少しでも望む未来へ   作:ノラン

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前作の魔女教徒襲来編以来、まともな戦闘描写を書いてこなかったせいか、下手くそです。





待ちかねた一戦

 

 

 深呼吸。

 

 

正面の存在を睨み、心の奥底から込み上げる高揚感を感じながら大剣の柄を握る両手に力を宿す。存在を見た瞬間から爆発した挑戦的な感情に突き動かされる体を制し、ハヤトは心を落ち着かせた。

 

それでも静まらないのは、昂る灼熱の感情が止めどなく心に押し寄せるからだろう。目の前に立たれただけで感覚的に察した相手の化け物度合い——常軌を逸した殺意に、心底震えている。

 

これまで宮廷筆頭魔導師と名高いロズワールや三大魔獣を除けば魔獣の頂点とされるドラゴンと戦い、その殺意を身に浴びてきたが、あの女の殺意はそのどちらにも属さない。

 

殺意以外に混じり気のない殺意。生存本能を逆撫でし、自然と警戒心を掻き立てるもの。一瞬の油断も許さない、刹那でも気を抜けば瞬間に殺されると勝手に気が引き締まる。

 

 なるほど、

 

 

「これが『腸狩り』。エルザ・グランヒルテか」

 

「あら? 私のことを知っていて?」

 

「王都じゃ有名な名だ。人の腹ぁ掻っ捌いて殺す猟奇殺人鬼、ってな」

 

 

僅かに重心を前に傾けるハヤト。床を踏む足裏に力を集中させる彼は名を呼んだ襲撃者——エルザが小首を傾げるのを見ると、知って当然である風に語る。

 

事実、いくらか戦いに精通する者ならば知らない者はいない程にエルザは有名だ。その類稀な戦闘能力と殺人方法が特徴的で、王都では指名手配されていたり。

 

否、そうでなくてもハヤトはこの女のことを知らないはずがない。ある程度力がついて戦うことに生を感じ始めた頃からずっと戦いたかったのだから。

 

この世界の強さランキングにおいて、上から数えた方が名が上がるのが早い化け物と。

 

 

「猟奇殺人鬼……そんな風に呼ばれているの。なら、あなたの腸も見せてくれるかしら? あなた、とても強そうだもの。きっと、腸も綺麗な色をしているのでしょうね」

 

「そんなこと言われて見せるヤツがいるかよ。悪いが、見るのはテメェの死に様だけだぜ」

 

 

初動の奇襲、次いで間髪入れなかった追撃を防がれたエルザが楽しげに笑み。本能的に動けるからこそ防げたハヤトが溢れる高揚感に笑む。

 

互いに別々の理由で笑う両者が飛び出す機会を伺ように睨み合い、

 

 

「おい、聞いてた話とちげーぞ!」

 

 

その中に、フェルトの怒鳴り声が割り込む。

 

ハヤトに庇われたこと一時的に頭の片隅に置く彼女は、自分を守ってくれる背の後ろから困惑が含まれた目でエルザを睨み、

 

 

「ここを血の海に変えることじゃなくて、アタシから徽章を買い取るのがアンタの仕事だったはずじゃねーのか! どーいうことだよ!」

 

 

顔を赤くし、怒号を吐き散らすフェルトは前進するのをハヤトに制される。が、それでも彼女の怒りは止まらない。

 

聖金貨十枚という破格の報酬を受け取るはずが危うく殺されかけたのだ。それも、何の容赦もなく。フェルトからすれば当たり前の反応と言える。

 

ハヤトがいなければ、あの瞬間に散っていたフェルト。寸前で命を救われた彼女にエルザは「面白いことを言う子ね」と嘲笑の息をこぼし、

 

 

「誰が徽章の持ち主も一緒に連れてこいと言ったかしら? 私が頼んだのは徽章だけ。取引の席に持ち主がいたとなっては商談なんて成立しない。当然のことでしょう?」

 

 

至極当たり前に語るエルザの瞳に射抜かれ、背筋が凍りつく殺意を向けられたフェルトが尻込む。

 

生死の瀬戸際を走るような修羅場を潜り抜けたハヤトならば受け流せるそれは、貧民街に暮らす人間にはあまりにも冷酷だ。

 

自然、自分が狩られる側と認識させられたフェルトが恐怖に慄く。そんな彼女の態度をエルザは愛おしそうに見据え、

 

 

「だから予定は変更。この場にいる関係者は皆殺し。それから徽章を回収することにするわ。それに殺し甲斐のありそうな獲物が一人、私の目の前にいるもの」

 

 

獲物と言われたハヤトが「言ってくれるじゃねぇの」と、身に纏う黄金色の覇気を増加。薄々としていたマナの滞留が色濃く膨張し始め、アクラによる身体能力強化の高まりを語った。

 

やる気は十分。漲る闘志が具現化したと言ってもいい覇気を横目に「所詮は貧民街の住民ね」とエルザは尚もフェルトを見据え続け、

 

 

「あれだけ大口を叩いておきながらこの体たらく。期待するだけ無駄だった、と言ったところかしら? 盗み一つまともに熟せないなんて、依頼した私が間違いだったわ」

 

「ーーーっ」

 

 

今の発言に思うところがあったのか、恐怖とは別の感情がフェルトの瞳に宿る。苦鳴を喉の奥で鳴らす彼女の表情に心痛が浮かび上がり、ハヤトの背中で押し殺した小さな震え声が溢れた。

 

琴線に触れた発言を放ったエルザの顔は変わらず、楽しげな表情。フェルトの痛みなど気にも留めない様子で「切り捨てられても仕方ない」と容赦なく畳み掛け、

 

 

「ーーーッ!」

 

 

 ——その顔面を、ゼロ距離で振り抜かれたハヤトのナックルが殴り飛ばしていた。

 

瞬きの間で間合いを詰めた破壊が嘲笑する鼻頭を粉々に砕き、陥没せんばかりに捩じ込まれたそれにエルザの体がいっそ面白いほど軽々しく吹っ飛ぶ。

 

あのロズワールですら無防備な直撃を嫌う打撃。頑健な岩をも軽く殴り壊すそれが直撃したとなればただでは済まない。骨が砕ける嫌な音が響くと同時、壁を貫通したエルザが盗品蔵から飛び出された。

 

誰もが驚く行為。否、なんとなくハヤトの心を理解したラムと当人以外の二人が驚く行為。

 

 

「悪い。不意をつくのは好かねぇが、カーッとなると口よりも手が先に出ちまう人間なんだ。俺は」

 

 

心を痛めつける感情を忘れて目を丸くするフェルト。速すぎて見えなかった動きに呆然とするロム爺。やりやがったとでも言いたそうに密かに笑うラム。

 

三人の視線を背に受けながらハヤトは殴った拳を胸の前で握る。心なしか怒気を孕んだ表情を真顔に混ぜる彼は、エルザが吹き飛んだ場所から視線を逸さぬまま「フェルト」と名を呼び、

 

 

「お前がアイツに言われたことに何を思ったのか俺は分からねぇ。だが、傷ついたことくらいは分かるぜ。お前の心に触れて、苦しんだことはなんとなく分かる」

 

 

百八十センチ近い大柄な体格で、姿に似合う暴力を身に宿す男にしては優しすぎる声だった。感じただけでビビってしまう圧倒的な闘志を放つ男にしては、柔らかすぎる声だった。

 

振り返らぬ背中をフェルトは見る。徽章を盗んだ自分——ハヤトから見れば敵である自分を守ってくれるそれは「だから、まぁ、あれだ」と言葉を選ぶように悩むと、

 

 

「スカッとしたか?」

 

 

親指を立てた拳を突き出す。

 

変に詮索しない彼は余計な言葉を語らず、お前の代わりに俺がやっておいたぜ、とでも言うように歯を見せてニヤリと笑った。

 

その視線がフェルトの視線と絡まないのは、彼がエルザの襲来をひどく警戒しているからだろう。エルザが飛び込んでくるであろう方向を睨む彼は、この程度の一撃では倒せないことを理解している。

 

その姿勢にわけの分からない感情の紛糾を感じたフェルト。要するに、今のは動けなかった自分の代わりに怒ってくれたのだと彼女なりに解釈し、

 

 

「ちょっとだけスカッとした。……ありがと」

 

 

 と。

 

素直な声を聞かせてくれたフェルトにハヤトは「そうか」とだけ。見せぬ顔でふっと笑い、我慢していた力を解き放つことができて自分自身も気分爽快。

 

ちゃんとお礼を言ってくれるあたり、根は良い子なのかもしれない。このような場所で育ってしまったがために性根の悪さが少しばかり目立つかもしれないが。

 

ともかく。そろそろ吹っ飛んだエルザが帰ってくる頃合いだと大剣を構え直し、

 

 

「——いきなり殴るなんて酷い真似をするのね、あなた」

 

 

 声と接触は同時。

 

穏やかな声が場にいる全員の耳に届いた直後、吹っ飛んだ方向から低姿勢で疾走したエルザが盗品蔵に突撃。小細工なしの正面特攻をハヤトに仕掛け、手に携えたククリナイフを横薙ぎに薙ぎ払う。

 

注意を払っていたにも関わらず声を聞いた時には懐に入り込まれていた足の速さ——距離を詰めることに長けたハヤトですら瞬間移動とさえ思える神速に、しかし彼の表情は崩れなかった。

 

思考を介さずに本能的な反応のみで回避。腹部を真横に切り裂く一閃を半歩程度の僅かな後退のみで避け、間髪入れず眼下にいる脳天に大剣を振り下ろす。

 

使用者の身の丈に匹敵する大剣。見た目に反して小枝のように振られるそれの直撃は即死を意味し、まともに受ければ衝撃に体が押し潰されるだろう。

 

 

「しーー」

 

 

 故に、エルザは回避行動をとった。

 

短く呼気を放ち、真横に跳ねる肉体が真上から落ちる斬撃の軌道上から大きく外れる。斬撃の威力に床板が盛大に弾け飛び、その場に残った自分の残像が叩き割られた瞬間、エルザは反撃に転じた。

 

回避する上で必然的に開いた距離を蹴り上げ一つで瞬間的に詰め、大剣を振り下ろした状態のハヤト——武器を振り切った隙を狙うククリナイフが跳躍の力を乗せて首筋へ突き出される。

 

一瞬の攻防。一秒にも満たない命の奪い合いは、斬撃のカウンターが捩じ込まれることで形となった。

 

 

「ちぃーー!」

 

 

刀身の片刃が床に埋まる大剣を引き戻す余裕が無いと判断したハヤトが柄を手放し、剣術から体術に切り替えた彼の左拳が蛇のように伸びる斬撃を真上にかち上げる。

 

ありえない防ぎ方。ククリナイフの腹を思いっきり殴りつけて軌道を無理やり捻じ曲げた。跳躍が乗る刺突は並の動体視力と反射神経では到底追えないはずだが、

 

 

「遅ぇよ」

 

 

生憎と、並の環境で鍛えられていないハヤトには見えていた。エルザよりも速い攻撃を余裕で何十発と放ってくる化け物を毎日のように相手にしたお陰で、追えない速度じゃない。

 

化け物を相手にするのは慣れっこなハヤト。己よりも遥かに格上の存在に挑み続けた経験は決して無駄ではなかった——そう叫ぶように弾かれて大きくのけぞる腹部に照準を定め、

 

 

「オラァーーッ!」

 

 

踏み込み、手加減なしの右拳が穿たれる。

 

弾かれた瞬間に打ち込まれるそれには回避という選択肢が無く、得物を握る腕が真上にあるエルザには直撃不可避な暴力。

 

が、踏み込みが浅く腰が入っていなかった。

 

カウンターで直撃したそれはエルザの体を先のように大きくぶっ飛ばすには至らず。慣性に振り回されることを嫌がった彼女が衝撃のまま後方に跳び、壁に背を打ち付ける形で衝撃を散らされる。

 

 

「ああ、今のは効いたわ。お腹の骨が砕けちゃうかと思った。痛みが全然引いてくれない打撃を受けたのは初めてよ。とても素敵」

 

 

床に着地し、打撃を受けた腹部に手を当てるエルザが頬を紅潮させてうっとりしながら呟く。浅かったとはいえ確実に入ったはずなのだが、打撃を受けた女は興奮気味だ。

 

ふと思って自分が叩きつけられた壁を見ると、衝撃部には軽い凹みがあった。間違えなく彼の打撃を受けた自分の体が沈ませたものだろう。どうやら、威力が自分の体を貫通して壁に及んだらしい。

 

身に受けた打撃と沈んだ壁の一部。二つを認識するとエルザは「ふふっ」と、新しいおもちゃを買ってもらった子どものように無邪気な笑声を音にし、

 

 

「いい。いいわ。あなた、素敵よ。次はどんな痛みを感じさせてくれるの?」

 

「……狂人」

 

 

その声に反応したのはハヤトではなくラム。彼の打撃、その威力を過去に何度も見てきた彼女にはエルザの異常とも言える様子に目を細めた。

 

だって彼女は知っている。実戦と遜色ない過酷さの模擬戦において、ハヤトの打撃を何百と受け止めるロズワールの腕が凄まじく痺れていることを。体術において世界的に上位に立つ人の腕を、あの打撃が痺れさせていることを。

 

そんな打撃が顔面と腹部に直撃したにも関わらずあの女は元気そうだ。それどころか「ぞくぞくしちゃう」と昂っている。昂り、続けている。

 

 狂人以外の何者でもない。

 

 

「厄介な相手ね」

 

「そうだな。顔面の傷も治ってやがるし」

 

 

心が戦闘一色に染まるハヤトの横に並び、懐から杖を取り出したラムが、呼吸を落ち着かせる彼の指摘に顔を僅かに顰めた。

 

言われて見れば、確かに治っている。容赦のないハヤトの一撃を受けたはずの顔面は血だらけのはずなのだが、傷跡が無いどころか血の跡まで綺麗さっぱり癒えていた。

 

戻ってくるまでに治癒したと考えていいだろう。となれば吹っ飛んだ後に追撃しなかったことが悔やまれるが、

 

 

「過去を悔いてる暇があれば今に意識を向ける。脳筋、やるわよ。こんな黒女さっさと片付けて徽章を取り返す」

 

 

過去の後悔はこれから補っていけばいい。凍てつくように冷たい目でエルザを睨み、ラムは杖を軽く握りしめた。強く握りしめないのは多分、頼りになる男が隣にいるから。

 

コイツがいればなんとかなる。どれだけ相手が化け物だったとしても乗り越えてきたのだ、今回だって同じ。特に心配することはない。

 

ハヤトに厚い信頼を預けるラム。並の出来事ではピクリとも揺らがないそれにハヤトは「任せな」と、頼もしく返し、

 

 

「俺がアイツと殺り合う。援護、頼んだぜ」

 

「頼まれてあげる。切られたくなければラムの射線に重ならないように立ち回りなさい」

 

「そこはお前が俺に合わせろ」

 

 

 軽口を叩き合い、笑む。

 

そのやりとりだけで、お互いが隣に立つ存在の精神状態を把握できた。気を抜けば目の前の女に殺される場面でも心に余裕があり、言葉を刻む声は一切震えていない。

 

なら良し。そんなことを思いながらラムはその場から離れた。後方支援に回る彼女はカウンター裏に隠れるフェルトとロム爺の前に立ち、杖の先に膨れ上がるマナを集中させる。

 

戦闘外から茶々を入れる姿勢のラムを見届けたハヤト。頼り甲斐のある少女の存在に唇を綻ばせる彼は「うし」と正面——こちらに近づくエルザに全ての意識を注ぐ。

 

途端、心を真っ直ぐ射抜く野生的な殺意にエルザが小さく身震い。これまで経験してきたどの殺意にも分類されないそれを肌で感じ、浮かんだ笑みが勝手に深まる。

 

 

「作戦会議はもういいのかしら?」

 

「律儀に待っててくれたのか? 意外だな」

 

「素敵な出会いにうっとりしてしまっていた、と言っておくわ。あなたのような人を簡単に殺しちゃうだなんて勿体無いもの」

 

 

「私と踊り狂う準備は整っていて?」と。ハヤトの闘争心を逆撫でするような発言を口にし、エルザはククリナイフを懐から取り出す。一の刃から二の刃へ、独特な形状のそれを両手に携えた。

 

二度の衝突で分かった。あの男は強い。手を抜いていては自分が喰われるほどに。仕留める気で仕掛けた攻撃を容易く防がれたことも含めると、男の危険性はより高まる。

 

否、それ以前に男から溢れんばかりに漏れ出す闘気が凄まじすぎて無視できない。輪郭を覆う黄金色の帯は、それが具現化したものだろうか。

 

なんにせよ、エルザの本能が脅威だと捉えたことに違いはない。

 

 故に、ここからは本気。

 

 

「二人はそのままカウンター裏に隠れてろ。隙ができたら上手く逃げな」

 

 

 余裕が無くなる前に一つ。

 

眼前に迫った激闘を前にしたハヤトが、身を潜めるフェルトとロム爺に声をかける。口角が釣り上がる横顔には確かな緊張感と真剣味があって、それが嘘ではないことが二人には分かった。

 

分かったからこそ、フェルトは「え?」と間抜けな声を漏らしてしまったのかもしれない。

 

 

「徽章……、徽章はどーすんだよ!」

 

 

潜めたカウンターから顔を出し、視線の絡まぬ横顔に叫ぶ。敵であるはずの自分と戦いたくないと主張し、徽章を奪い返すよりも先に自分たちを逃そうとしてくれている姿勢に、異議を申し立てた。

 

どうして異議を申し立てたのだろう。あれほど渡したくないと言っていたはずなのに。

 

それはきっと、ハヤトの真摯な姿勢に揺れる心があったせい。あの男は自分を馬鹿にしてきた連中とはまるで違うと思わされてしまったせい。

 

エルザの挙動一つ一つに神経を尖らせるハヤト。一瞬でも攻撃に動く動作が捉えられれば即座に動く彼に「なんだ? 渡してくれんのか?」と、冗談じみた言い方をされるとフェルトは「それは……」と言い淀み、

 

 

「話し合って決めることにしたから、今は渡すとは言ってやらねー。けど、考えてやる。だから今は——」

 

「残念だけど、徽章はあなたの下には帰らない。この場にいる者は皆殺しと言ったのを忘れてしまったの? 腸を可愛がってあげるから楽しみに待っておいて」

 

 

熱心な説得にようやく聞く耳を持ち始めたフェルトの声は最後まで続かない。獲物を前に舌なめずりするエルザの声が割り込み、弾き返した声の主に濃密な殺意が向けられた。

 

この瞬間、ハヤトに襲いかかっていた殺意の一端がフェルトの心臓を鷲掴み、小柄な体が一気に強張る。昂り続ける高揚感と沸騰する興奮が火種となって燃え上がったそれが、彼女の体を縛り付けた。

 

貧民街という過酷な環境で暮らしたとはいえど、心はまだ十五歳前後。幼い少女が向けられるには冷酷すぎる殺意に肩を竦め、

 

 

「心配すんな、フェルト」

 

 

その一言に体を縛るモノが消え、緊張していた体の力が抜ける感覚を得る。命を脅かす殺意以上の安心感に心を包まれ、喉に詰まっていた息が口から弱く吐き出た。

 

声の主はハヤト。エルザと相対した以降から崩れる気配のない笑みが光る彼は「へっ」と微笑し、

 

 

「俺の魂に宿る炎が消えねぇ限りは、誰も死なせやしねぇよ。この女は俺がぶっ倒すから安心しろ」

 

 

「なにその台詞」とラムに小馬鹿にされたが、それで安心してくれたらしい。「んだよ、カッコつけやがって」と雑に呟くフェルトの声は怖がってはいなかった。

 

言ったからにはやらなければならない。元より負けるつもりなど毛頭ないが、男に二言はないとするハヤトは深く息を吐き、改めて気を引き締め直す。

 

その態度が、エルザをより興奮させた。

 

 

「いい気概ね。楽しませてちょうだい」

 

「その余裕、ぜってぇに崩す」

 

 

手の中で器用にナイフを回すエルザ。表情から笑みが消えたハヤト。両者の殺意が交差し、互いに飛び出す機会を窺うように息を潜めている。

 

二人の間に漂うのは刹那の油断も許さぬ緊張感と、呼吸すら躊躇する静寂。戦闘が開始されるまでの異様な静けさは、激闘を予告する嵐の前の静けさに違いない。

 

 

「一つ、聞かせてほしいのだけれど」

 

 

一触即発な静寂に声を乗せたのはエルザ。見当もつかない質問に対して「なんだ?」と訝しげな声を投げかけてくるハヤトに剣先を向け、

 

 

「あなたは、ソラノ・テン?」

 

 

言った瞬間、ハヤトの目が訝しげに細められる。声色と同じ情が睥睨する双眸に宿り、正面の女の口から知るはずのない相棒の名が出たことに疑問を抱き、喉が低く唸る。

 

ラムも同様だ。ハヤトと違って態度には色付いていないが、心の中で意味不明だと警戒。

 

 

「……だったらなんだ?」

 

 

なぜ彼の名前が出たのか分からない。

 

探りを入れるハヤトの声が分かりやすく警戒に染まる。もしや、この女が親友に危害を加えるつもりなのかと思うと、警戒の色は濃くなるばかり。

 

 そんな警戒は、

 

 

「ある人から、その人と敵対した場合は殺すなと言われているの。この腸狩りに獲物を生かせだなんて、言ってくれるものだわ。名前しか知らされてないのに」

 

 

退屈そうに言うエルザ。獲物の腸を見ることに快楽を感じる彼女には獲物を生かす流儀などなく、興醒めしてしまいそうな言葉にはさぞ不満を抱いただろう。

 

そんなことなど知らないハヤトとラム。二人は今、エルザがテンの名を知っていたことよりも、彼の名前を知る人間が彼女の後ろにいる事実に驚愕。

 

この世界で彼を知る人物といえば身内かアーラム村の住民しかおらず、それ以外ではまずあり得ない。それはつまり、その中の誰かがこの化け物と繋がっていることになる。

 

 その人物とは誰か。

 

 

「だから。あなたがもしそうなら、とても残念だと思ったの。こんなにも腸を見たいと思える相手を殺すことができないなんて、特上の獲物を前に我慢しろと言われたようなものだから」

 

「安心しろよ。俺はそんな名前じゃねぇ」

 

 

この一件の核心に迫るエルザの発言を一蹴り。気にしている場合ではないと、ハヤトは無理やり気持ちを切り替える。目の前の相手を倒すこと以外の考えを邪とし、今は頭の片隅へ。

 

正直、気にならないわけがない。テンを知る人間がエルザの後ろにいる事実。その上、彼を殺さないように指示した事実。暴くことができればこの主犯が分かりそうな気がする。

 

 しかし、

 

 

「俺には俺の名前がある。テメェが思うような人間じゃねぇから、存分にかかってこい」

 

 

よそ見をして勝てる相手ではない。

 

そう心に言い聞かせ、エルザの照準を自分のみに向けさせる。部屋の隅に固まる三人に意識が向かぬよう、自分一人が相手になると意思表示。

 

その態度に何を感じ取ったか。数秒間の沈黙の後に「素敵」と色っぽい吐息を溢すエルザが「それなら」と言葉を繋げ、

 

 

「あなたの名前を教えてちょうだい。せっかく素敵な人に出会えたのだから、お腹を裂く人の名前くらいは知っておきたいの。——これから見る腸と一緒に記憶に刻むわ」

 

「お前、相当ヤベェ奴だな」

 

 

熱のある求愛と冷めた一言が交差したのが、戦闘前最後のやりとりだった。波が引くように言葉の余韻が響き渡り、睨み合う両者が纏う緊張と静寂が空間を埋め尽くす。

 

しんと静まり返る盗品蔵に固唾を飲むフェルトとロム爺。来る戦闘開始の合図に全意識を注ぐラム。

 

エルザがハヤトの名乗りを待つ以上、彼が名乗りを上げれば戦闘は始まる。故に、全員の生存を懸けた激戦を外から見る三人の視線がその男に集中し——。

 

 

「カンザキ・ハヤト。お前を倒す男だ」

 

「『腸狩り』エルザ・グランヒルテ」

 

 

 戦闘開始の合図が、静かに告げられた。

 

 

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