少しでも望む未来へ   作:ノラン

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風に巻き上げられたモノ

 

 

 

盗品蔵にてハヤトがエルザとの死闘を繰り広げているのと同時刻、迷子を親の下に届けたエミリアとスバルは一足遅く貧民街に到着していた。

 

昇っていた日は沈み、すっかり夕暮れ。温かい陽光が照り付けていた世界は薄暗さに満ちつつあり、街灯などの公共設備が行き届かぬこの場所は寂れた印象を抱かせている。

 

そんな街を歩くエミリアとスバル。割と時間がかかった当初の目的を達成した二人は一刻も早く、先に向かった二人と合流するために盗品蔵へと急いで向かおうとするのが当然。

 

 なのだが——。

 

 

「そういえば、エミリアちゃん」

 

「なに?」

 

「盗品蔵って建物がどこにあるか、分かるの?」

 

「———ん?」

 

「え?」

 

 

 問題が発生した。

 

貧民街に来たはいいものの、盗品蔵の場所が分からない事実が発覚。質問した瞬間、エミリアの歩みが止まり。表情が固まった彼女にスバルの足もまた停止。

 

貧民街の入り口を潜ってから平然とした様子で歩くものだから知ってるとばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。向こうは向こうで、スバルが知っていると勝手に勘違いしていた。

 

結果、二人揃って相手が場所を知っていると思い込んで十分程度彷徨い続けたとか、笑えない話だ。スバルは異世界召喚されたて、エミリアは初めての王都ということもあって土地勘がまるでない。

 

 

「どうしよう……。私、てっきりスバルが分かってるとばかり思っちゃってた」

 

「アタシに頼られてもなぁ。残念ながら、ここに来たのは初めてなもので。すんません」

 

「ううん。いいの。勝手に勘違いしたのは私だし。頼ろうとしたのが間違ってた」

 

「間違ってないけどその言い方はグサッとくる!」

 

 

 やらかしたエミリアだ。

 

あのときは、迷子の子を助けたい気持ちばかりが先行していたせいで二人の話を全く聞いていなかったのが悔やまれる。最終的に助けられて貧民街の場所も聞けたから良かったけど、壁はもう一つあった。

 

盗品蔵という単語も依代の中で話を聞いていたパックから伝えられたものであって、彼女自身が記憶していたわけではない。彼がいなければ、盗品蔵という建物の存在すら知らなかったところだ。

 

となると、話を聞いていたパックに頼ろうとするのがエミリアで、

 

 

「パック」

 

「残念だけど、ボクもそこまでは分からないや。二人が話してたのは、貧民街の盗品蔵、ってだけだから。別れるときに、ちゃんと場所を聞いておくべきだったね」

 

 

「失敗失敗」と。そう言って彼女の淡い期待を簡単に裏切るのがパック。名を呼ばれ、頭に手を当てて戯ける様子で視界に現れた彼も、そこまでは気が回らなかった。

 

一つの壁を突破したら次の壁が立ちはだかる、困った事態である。誰も知らないのなら周囲の人間に聞いて回るのが妥当だと思って聞き回っても、尋ねた人たちの全てが辛辣なことも含めて。

 

そっけない態度をされたり。完全に無視されたり。挙句の果てには「お前ら、あのでかい男の仲間か……?」と、よく分からないことを言われて怖がられる始末。

 

実のところ、先に向かったラムとハヤトも盗品蔵の場所までは分からず、色々と聞き回った後に襲ってきたチンピラから聞き出したため、結局は今の状態を招くことに分かりはないが。

 

 ともかく。

 

 

「手当たり次第に聞き回った結果、三十人中三十人が空振ったけど、ここからどうするの? 今、アタシたちかなり崖っぷちに立たされてるけど」

 

 

難しそうな顔をしているエミリアを横目に山吹色の空を眺め、スバルは自分らの置かれた状況に一言。

 

他人に建物の場所を聞く難易度の高さに四苦八苦しながらも頑張った彼女は「ふぅ」と吐息し、やっと落ち着いてきた胸に手を添えた。頑張って、三十人中一人に聞き込みした自分を褒めた。

 

「んー」と喉を鳴らすエミリア。立ち止まり、悩ましげな彼女は唇に人差し指を当てて沈黙。それから五歩先でこちらを振り返るスバルに「分かった」と頷き、

 

 

「微精霊に聞いてみる」

 

 

「びせいれい?」と聞き返す声は、彼女の耳に届いていなかったのだろう。初めて聞く単語だらけで小首を傾げるスバルに返答は返ってこず、代わりに彼女の雰囲気が途端に変わった。

 

立ち止まり、瞑目するエミリア。その整った横顔にふっと真剣味が宿ると辺りが静まり返り、スバルは彼女によって成される光景に目を奪われることになる。

 

 

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど。いいかな」

 

 

唇が小さく動き、静寂の空間でやっと聞こえる声量がスバルの鼓膜を震わせた直後、それは起こった。

 

呼びかけに呼応するように、青白い淡い光が音もなく姿を現した。一つだけではない光球がエミリアの周囲を漂い始め、瞬く間に彼女が光を纏う。

 

不規則に揺らめくそれは、自分の記憶に該当する物で例えるなら蛍によく似ているとスバルは思った。微精霊というものがなんなのかよく分からないが、話の流れ的にアレがそうなのだろう。

 

 

「綺麗……」

 

 

広がる光景に意識を引き寄せられ、スバルは思わず感動の声を溢す。その光景には見るものの心を捕えて放さない悪魔的な魅力があった。

 

光球が宙を漂う光景は幻想的で。この廃れた貧民街とは乖離した限定的な世界に住む少女——目に優しい光を纏うエミリアは妖精のように美しく見えて。綺麗という言葉以外にぱっと思いつかない。

 

綺麗なのはエミリアか、光景か。どっちもだ。

 

 

「——うん。分かった。行ってみるね。教えてくれてありがとう」

 

 

どれくらい経ったか。多分、三十秒程度。エミリアが作り出す光景に目を奪われて一瞬に感じられた時間は、その声を起点に終わる。

 

微精霊との対話を終了するエミリア。ふわりと微笑む彼女が閉じていた瞼をゆっくり開くと、周りに漂っていた光球は少しずつ霧散、数秒で現れたそれらは同じく数秒かけて消えていった。

 

もう少し見ていたかった、とはスバルの勝手な感想。やっと異世界らしい光景を目の当たりにした彼女はこちらに歩いてくるエミリアに「どうだった?」と問い、

 

 

「盗品蔵の場所は分からなかったけど、この先にある広場でその場所を聞いてた人がいた、って聞いたから。行ってみましょう」

 

 

歩き出した自分の隣に並ぶスバルに返答し、エミリアは直線上に目を凝らす。遠くではあれど、確かに広場らしき開けた空間があるのが見えた。きっと、微精霊が話していたのはあそこのことだ。

 

正直、そこに行ってどうにかなるのかは分からない。しかし、少しでも可能性があるのなら行った方がいいだろう。もしかしたら、その場所で盗品蔵の場所が分かるかもしれないのだから。

 

 

「エミリアちゃん。その聞いてた人って、もしかして……」

 

「多分、ハヤトとラムのことだと思う」

 

 

話にあった人物に心当たりのあるスバルに便乗の声が重なり、エミリアは「あの二人も知らなかったみたい」と言葉を付け足す。その声色に、どこかほっとした色が混じったのは気のせいだろうか。

 

偶然とは想像し難い。盗みを生業とする者が多い貧民街で盗品に関する建物の場所を知らない人はいないはずで、知らない人といえば街の外から来た人しかいないと予想するのが妥当。

 

そうなれば、微精霊の話に出てきた人があの二人なのはほぼ確定。「アタシもそう思う」と頷くスバルは半ば願望気味に、

 

 

「アタシらが着く頃には、取り返してくれてるといいな。それならこっちの目的もあっちの目的も達成できて万事解決じゃん? アタシはアタシでハヤトに聞きたいこと聞けるしでオールハッピーってね」

 

 

歯を見せながら軽快に笑い、パチンと指を鳴らして理想的な未来をスバルは語る。異世界召喚直後のイベントにしては濃密だった気がしなくもないが、そこは気にしないとして。

 

それが終わればやっと自分の聞きたいことが聞ける。聞きたいこと——カンザキ・ハヤトの出身が自分と同じであるかどうか否かということ。根拠も確証もないけど、なんとなく雰囲気がそんな気がするのだ。

 

それを聞いたら、どうしようか。彼の出身が自分と同じであったとしてもなかったとしても、そのあと自分はどうしていけばいいのだろう。どうやって生きていけばいいのだろう。

 

 

 ーーこの一件が終わったら、アタシはどうなる?

 

 

不意に思った今後の自分、その未来に唐突な不安の飛来をスバルは感じた。出身が同じであることを聞く事が未来を切り開くことに繋がるわけがなく、またしても焦燥感に駆られる。

 

もし、それを聞いてハヤトと離れることになったらどうなる。聞くことを聞いて、それでお終いになったらどうなる。

 

ハヤト以外に知り合いがいない異世界で一人になるということは孤独を意味し、彼と離れるのなら自分は。

 

 自分は———。

 

 

「あんなに念押しされたのに。テンになんて言えばいいの……」

 

 

聞こえた声にはっとし、スバルは顔を上げる。

 

孤独の恐怖に呑まれかけた彼女の意識を引き上げたのは、鼓膜に届いたエミリアの声。いつの間にか俯いていた顔を上げて真横を見ると、白い横顔に陰りの生じた声の主がいた。

 

スバルに投げかけたものではないそれは、独り言。彼女もまた、スバルのように何かしらの悪循環に呑まれかけているらしい。不安そうに紫紺の瞳を揺らしている。

 

お互い、悪循環に呑まれかけたと察したスバル。良くない空気を壊すべく彼女は「そういえばさ」と、エミリアの肩をポンと叩いて沈んだ意識を引き上げ、

 

 

「さっきエミリアちゃんが話してた……びせいれい、ってなんなの?」

 

 

心の中に引っ込んでいた意識が、現実世界に帰還。

 

優しい力に起こされた彼女は少しの間だけ質問を理解する時間を費やし、真横にいるスバルに「あぁ、えっとね」と言葉を紡いだ。

 

 

「微精霊ってゆーのは、まだ精霊になる前の存在のこと。時間と共に成長して、力と自意識が芽生えると立派な精霊になるの」

 

「じゃあ、ちょいちょい出てきたあのモフモフな喋る猫は微精霊が成長して精霊になった姿ってこと? なんとなく、出てくる時の光の感じも似てたし」

 

「もふもふ……? パックのこと?」

 

 

上手く意識を逸らせたことに一安心。モフリスト心をくすぐる猫の名前を意図せず知れたところで「多分、そうだと思う」とスバルは言葉を閉める。

 

スバルがあの灰色の猫を見たのはこれまでに二度。一度目は、ハヤト達と別れる寸前。二度目は、ついさっき。どちらも、話すときに一瞬だけ出てきては、すぐに姿を消してしまった。

 

謎多き猫、パック。できればあのモフモフを堪能したところだが、それはまたの機会に。またの機会があれば、の話ではあるものの。

 

そんなスバルの心なんて知らないエミリア。徐々に見えてきた広場を見る彼女は「そうね」と、

 

 

「スバルの言う通り、パックは精霊。精霊って言っても、ちょっと特殊だから出てこれる時間は決まってるけどね。それ以外は依り代の中にいるの」

 

「そうなんだ」

 

 

精霊にも色々とあるらしい。姿を現している時間の方が短かったから、行動に制限でもあるのかと予想していたのは強ち間違えでもなかった。察するに、今は出てこれない時間なのだろうとスバルは解釈。

 

実際は、出てこれる。今こうしているうちにも「こんな感じで出てくるよ!」と茶化そうと思えば、できなくもない。

 

しかし、彼はハヤトとの別れ際に言われた。もしこっちに来るようなことがあれば警戒しておけ、と。何が起きても対応できるように力を温存しておけと。

 

故に、姿を現しただけでも膨大なマナを消費する彼は依り代の中。余計な力を使わず、然るべきときを待っているのだ。ハヤトの言葉に不信感の一つも抱かず、その言葉を信じて。

 

 

「着いた。けど………」

 

 

精霊の話をしているうちに、住宅街を抜けた二人は広場に到着していた。が、着いたと同時、目に飛び込んできた異様な光景にスバルは目を細め、

 

 

「なんか、転がってるぞ」

 

 

 物体だった。

 

何かの物体が八個、地面に無造作に転がっている。大の字になる物体や、仰向けな物体、地面とキスしながら転がる物体などなど、中々に酷い有様な物体たち。

 

 否。物体ではなく、

 

 

「人だわ! 人が倒れてる!」

 

 

叫び、エミリアが駆け出す。

 

物体の正体が人だと理解した瞬間から動き出すまでの間隔はゼロに等しく、困惑するスバルを置いて一目散に飛び出して行った。

 

 

 この瞬間。ハヤトがどうやって盗品蔵の場所を聞き出したのか、なんとなく察したスバルである。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 ——身を焦がされるような真っ赤な闘志と、情熱的に昂り続けるドス黒い殺意が、至近距離で交わり続けていた。

 

 

闘志の持ち主はナックルを握りしめたハヤト。剣術という攻撃手段を手放した男の心が格闘一色に染まり、豪風を纏いながら両の拳を高速で叩き込んでいる。

 

対するは二振りのククリナイフを携えたエルザ。肉体を穿たんと叩き込まれ続ける蓮撃を片っ端から迎え撃ち、打撃の蓮撃以上の手数で斬撃の嵐を叩き込んでいる。

 

 

「しぃぃーーッ!」

 

「はぁぁーーッ!」

 

 

斬撃と打撃の純粋な殴り合いだ。これまでの戦闘とは比較にならない量の火花が弾け飛び、双方の得物が衝突する度に鼓膜を殴りつける剣戟が空間に連発する。

 

時折、打撃の威力に耐え切れなかったククリナイフが粉々に砕けるが、剣戟は止まない。瞬間に懐から取り出される新たな得物が振るわれ、止むどころか熾烈さが加速していく一方。

 

加速して、加速して、止まらない。

 

 

「すげぇ……」

 

 

視界に広がる光景に、フェルトは息を呑む。

 

極限の域に到達しつつある戦闘に漏れた心の声は、驚嘆に近い称賛だった。身を蝕み続ける恐怖すら忘れ、少女は舞台上で踊り狂う男女に目を奪われてしまう。

 

それほどまでに、二人が繰り広げる戦闘は世界が共通して認識する『常識』という言葉から外れた攻防を展開していた。さも、それが当然かのように。

 

直撃すると思った一太刀が空振り、弾かれ。捩じ込まれると確信した一撃が空振り、弾かれ。もう何度エルザの攻撃が、ハヤトの攻撃が、相手の体を切り裂き、殴りつけたと錯覚したことか。

 

もしハヤトが押されれば援護してやろう——刹那でもそう考えようとした自分が馬鹿だと思う。これは、自分たちが割り込んだところでどうにかなる話じゃない。

 

 

「この場から動くでないぞ、フェルト。儂らにできることはここで身を潜めることだけじゃ」

 

「んなこと分かってるっての。あんなバケモン同士の戦いに巻き込まれてたまるかよ」

 

 

そんなフェルトの意思を察したのか、別の理由か。次元の違う戦闘を前にしたロム爺が頬を固めながら呟く。息を潜めて話す様子は、自分たちの存在を最小限に縮めているようにも感じられた。

 

実際、その方がいいのだろう。今、自分たちはなるべく気配を殺した方がいい。エルザの意識はハヤト一直線だから大丈夫だとは思うが、万が一こちらに向くようなことがあればお終い。

 

一瞬で、命が消える。そうでなくても、身を潜めるカウンター裏から一歩でも出れば、戦いの余波を食らうだろう。

 

動かないことが、ハヤトにとって最大の援護。力不足な自分達ができる、精一杯の手助け。

 

 ——その事実が、どうしてこんなにも歯がゆい。

 

 

「素敵! 素敵素敵!」

 

「さっきっから、それしかねぇな!」

 

「それ以外に言葉が見つからないもの。今のあなた、とっても素敵よ!」

 

 

ナックルと双剣が幾度となく火花を散らし合い、両者の視界で鮮血が激しく舞う。その血はどちらのものか、否、両方のものである。

 

基本、戦闘においてハヤトは怯むことを知らない。攻撃は最大の防御を掲げる彼が自分から守りに入るなどなく、傷を受けて怯む痛みを攻める力へと変換するのだ。

 

加え、アクラで自身を強化し続けた火力ゴリ押しの戦闘展開を好む性質上、怯むことはおろか止まることすら知らない。傷を負おうとも、ひたすら攻め続ける。

 

故に、傷を負うことを厭わないエルザとの戦いは加速していく一方だ。重傷以外をかすり傷と判断する怪物的な精神力を宿す者同士の戦いに、減速の二文字などない。

 

 

「ふっーーッ!」

 

 

短い呼気が肺から噴き出ると同時、ナックルを握りしめる右腕が素早く射出。腰も肩も入れない、ただ肘を伸ばすだけの最小限の動きから放たれるそれは至近距離に立つ顔面を狙う軌道。

 

動作的には軽いジャブ。しかし、ナックルの鋼とハヤトの怪力が合わさったとなれば話は別。軽いはずの一撃は意識を容易く狩り取る一撃へと変貌し、直撃は重傷を意味する。

 

この一撃にエルザは回避を選択。顔を正確に狙う一撃に対して頭を横に傾けるだけの動作で躱し、眼前にある腹部に右の刃を横薙ぎに放った。が、直撃寸前で残る左腕に軽く叩き落とされる。

 

左腕が右の刃を落とすのと、ジャブを放った右腕が引き戻されるのは同時。その程度の一撃なら瞬間に何発と打ち込めるハヤトが右腕を胸部目掛けて放ち、間隔のない一撃は寸前に割り込んだ左の刃の腹に阻まれた。

 

 

「ふるぅぅぁッ!」

 

 

衝撃に押し出されるエルザの懐に跳び込み、間髪入れず右腕を思いっきり突き出す。腰の捻りを活かした腕が土手っ腹に槍のように突き進んだ。直撃、否、皮膚を穿った感触がない。避けられている。

 

半身を逸らしたエルザが素早く身を回し、回避と同時に旋回した双剣がハヤトの顔面を真っ二つにせんと放たれた。が、これは屈むハヤトの髪を撫でるだけに終わり、反撃の左腕が脇腹に突き刺さる。

 

肋骨に罅が入る一撃に、今度は吹き飛ばない。打撃の威力を両足の踏ん張りのみで耐え切り、その場に留まるエルザが口から真っ赤な血を吹き出しながら髪を撫でた双剣を真下に振り下ろす。

 

瞬間、執拗に食い下がる双剣が手の中で回り、逆手持ちに切り替えた剣先がハヤトの脳天に照準を定めた。直撃まで一秒もない。対応するのが困難な距離にある死の刃は、確実に男の頭部を貫通——。

 

 

「ドーナ!」

 

 

 刹那。

 

息を潜めていた土魔法が主の詠唱に呼応、世界に干渉したマナの奔流が床板を突き破らせながら岩柱を現出させた。音を置き去りにするそれは迫る剣先よりも僅かに速く、双剣を握る手首を大きく打ち上げる。

 

予想だにしない迎撃に目を見開き、エルザの体が大きく反りかえった。その一瞬を、ハヤトは絶対に見逃さない。左腕を振ると同時に限界まで引き絞った右腕を無防備な土手っ腹に叩き込む。

 

腰も肩も入れた必殺の一撃は真っ直ぐ突き進み、人体すら貫きかねないナックルがエルザの内臓をぐちゃぐちゃにしてやろうと鋭く光り、

 

 

「ぅぐ……!」

 

 

伸びる腕よりも先に、真下から跳ね上がる足の甲にハヤトの下顎が蹴り上げられる。

 

両手首が打ち上がる反動に抗わず、背筋を逸らす動作を加えて、海老反りに近い宙返り——こちらも僅かに迎撃側の方が速く、顎から脳天に貫通した衝撃にハヤトの視界が歪んだ。

 

互いに攻撃を迎撃される形で開く距離。生じた眩暈を振り払いながらよろけるハヤトと、今の衝撃で手首の感覚が消失したエルザ。血走った両者の視線が交差したとき、衝突は始まっていた。

 

鏡合わせの特攻。真正面からの殴り合いを好むハヤトと、彼の闘志に感化され続けるエルザが開いた距離を瞬間で詰め、

 

 

「こんなのはどう?」

 

 

 衝突間近。

 

余裕のある声がハヤトの耳に届いた瞬間、エルザは動く。魔法によって地面から伸びた岩柱に手を伸ばし、両手で強く握りしめ、僅かに跳躍。横倒しの体が柱を中心に円を描くように急旋回し始める。

 

駆け出して肉体に得た凄まじい初速が、丸ごと旋回の力となったのだ。神速の勢いを乗せた回転は一回や二回では収まらず、遠心力を味方につけた蹴りは下手な体勢で繰り出された先ほどの蹴りよりも凶暴だろう。

 

不意に変化したエルザの挙動に息を詰め、咄嗟に床を踏み締めるハヤトが射程圏内半歩手前で急停止。前に流れる慣性を強引に殺す彼が上半身のみを後ろに傾け、旋回したエルザの蹴りが胸板を掠めた。

 

中々に化け物な動き。前に進む力を回る力に変えようとする思考に驚くが、ハヤトの心は揺らがない。回るなら、その足を捕まえてぶん投げるまで。

 

 そう、思っていた矢先。

 

 

「そんな芸当したところで、俺には通用しねぇぞ!」

 

「では、もう一つ芸当を重ねてみてはいかがかしら?」

 

 

薙ぎ払われる足首がハヤトの握力に潰されるより、エルザが岩柱から手を離す方が早い。遠心力との均衡が崩れると細身が弾丸のように床と平行に飛び出し、ハヤトの真横を通り過ぎる。

 

直後、ほぼゼロ距離で放たれた弾丸——不規則な動きに対応が遅れるハヤトの右腕から血が吹き出す。すれ違いざまに振りかぶられた刃が二の腕を抉り、これまでで最も深い裂傷が逃げ遅れた部位を刻んだ。

 

切断に至らなかったのは、彼の本能的な危機察知能力が神がかった反射神経を発揮させたからだろう。思考を介さず本能的な感覚、脊髄反射のみで身を屈め、辛うじて致命傷を避けている。

 

が、攻撃は止まない。痛覚が悲鳴を上げる痛みに歯を食いしばるハヤトの後方。彼の背後をとったエルザは既に追撃を仕掛けていた。

 

飛び出し、壁に足裏を合わせたエルザが膝を深く曲げて身にかかる旋回の力を吸収。力を溜めた両足が接する壁をぐっと押し込み、曲げた膝のバネを最大限に活用した跳躍。

 

蹴り上げた壁に穴が空くほどの力でエルザの肉体が放たれる。斬撃を与えてから一瞬の暇も与えぬそれから振るわれるは、身を屈めたハヤトの首を確実に刎ねる死神の鎌が宿った一閃だ。

 

 その死の未来を、

 

 

「だから言ったろ」

 

 

 ハヤトは、覆えす。

 

 

「通用しねぇ、って」

 

 

瞬間、視線を向けず後方に薙ぎ払われた右の裏拳がエルザの頬に直撃。左から鞭の如くしならせた一閃が首に到達する寸前、渾身の力の込められた拳が死神を殴り殺した。

 

あり得ないカウンター。視認速度を越える神速に寸分の狂いもなく己の攻撃を、顔面という小さい的に当てるなど。それも、被弾した直後という体勢が崩れた瞬間に。

 

否、それ以前に視界に捉えぬ状態でねじ込んだ事実に驚愕するエルザ。顔面の骨を砕く一撃に苦鳴すら上げる暇もなく、彼女の視界はぐちゃぐちゃに歪んだ。首の骨が異様な音を立てて軋み、体が横に高速回転。

 

前に進む力と横に叩き出される力が衝突、刹那にも満たない張り合いの末に相殺され、弾かれる彼女の肉体が縦——立ち上がるハヤトの目線の高さまで跳ねながら、薙ぎ払いに巻き込まれてコマのように回ったのだ。

 

 ——好機。

 

 

「ラムッ!! 合図したら特大のをぶち込めッ! 一撃で消し飛ばすッ!」

 

 

息つく暇もないエルザの猛攻を完璧に迎撃した裏拳を振り切るハヤトが反転、血を撒き散らしながら回るエルザを正面に、共に戦う友人に次の一撃で勝負に出ると命令する。

 

戦いを長引かせるのは不利だと知る彼は不意に訪れた一番の好機に集中し、この瞬間に全身全霊を懸けると覚悟した。重くなり始めた肉体のことも含め、そろそろ決定打を叩き込まなければならない。

 

その『そろそろ』が今だ。本能が、戦闘の勘が、決めるなら今しかないと教えている。

 

極限の集中に呼吸が止まり、かっ開く瞳が意識下からエルザ以外の全てを除外し、思考と行動のラグが一挙に取り除かれる。

 

世界から音が消失し、次第に色までもが褪せていく。時間経過が曖昧になり、何もかも全てが、加速する魂だけを置き去りにしてゆっくりと時を刻んでいった。

 

時間経過が曖昧になった世界の中で一つ、戦いの中で研ぎ澄まされた本能が成すべきことを叫んでる。

 

今、自分が何をするべきか、何をすれば勝てるのか、一筋の希望の光を掴むには何すればいいのか。

 

 それが、自然と解る。

 

 

 ーーコレさえ無けりゃ!

 

 

伸ばした手が捕まえようとするのは、回転の流れにはためくローブ。露出気味なエルザの背筋を覆う、闇に紛れるには適した黒の外套。

 

戦いの最中で脳裏に過ぎった記憶——アレがあると一度だけ魔法が無効化されるから、奪わなければならない。ラムに決定打を叩き込ませようとするには、邪魔な装備。単純かつ明快。

 

服の上から羽織るそれを、ハヤトは滅茶苦茶な方法で無効化しにかかる。

 

一瞬のタイミングを見極め、叩きつける左の拳で回転の力を相殺。床と平行な姿勢を保つエルザがうつ伏せになった瞬間、右手がローブを束ねながら首根っこを掴んだと同時、くしゃりと握り潰す左手が根本から下を引きちぎった。

 

物理的に千切れることのないそれを千切れたのは、彼が一時的に限界を超えてアクラを使用したからだろう。許容値を越えた使用は解除時に凄まじい反動を齎すが、今の彼が気にすることではない。

 

 

「おぉぉーーッッ!」

 

 

 一瞬の出来事。

 

ハヤトだからこそできる事を成した瞬間、彼は勝負に出る。大地が揺れんばかりの声を張り上げ、首根っこを掴む右手に震えるほどの力が入り、全ての気合が集約した右腕の筋肉が、血を流しながら膨れ上がった。

 

引きちぎったローブを握る左腕を振って身を回し、踏み込んだ左足に全体重が乗っかる。この体勢——野球の球を投げる体勢に近いそれが、エルザの体を壁に向かって全力投球。

 

外から見れば異常な光景だ。全身の力が宿る右腕一本で、エルザをぶん投げようとしているのだから。エルザ目線では、理解が追いつかないはずだ。

 

視界が歪んだかと思えば身にかかる回転が止まり、急に床と睨めっこ。直後、首根っこを引っ張られる感覚に喉がきゅっと締め付けられ、見ていた床が天井に変わり、体勢がうつ伏せから仰向けに変わる形で背負い投げられる。

 

それも、顔面に裏拳が直撃してから一秒にも満たない間に。次から次へと情報と激痛が雪崩れ込むせいで処理が追いつかず、何もかもが対応に遅れていた。

 

 ただ一つ、本能を除いて。

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

目に映るものが緩慢としている世界でハヤトは——ハヤトの魂はそれを理解した。理解して、もうどうすることもできないことを瞬時に察する。

 

魂は加速しても、それ以外はいつも通りに動いているのだから。遅くなった世界で自分一人が早く動けるわけがなく、この行動を中断することはできないのだから。

 

 その事実、

 

 

 ーーコイツ、まだ振れんのかよ!

 

 

首周りのみとなった外套を掴み、エルザを背負い投げる右腕。その腕に、ククリナイフが振られていた。顔面が歪み、片目が潰れながらも、無茶な体勢から確実に肉体を斬り落とすそれが、腕の力だけで。

 

化け物か。化け物だ。人外じみた力に振り回される状態から刃を振れる事よりも、脳震盪すら引き起こす打撃を受けてもなお攻撃の手を止めない精神力が。化け物すぎていっそ称賛の情すら湧く。

 

 

 ーー右腕を持ってかれる

 

 

瞬間的に察した。察したところでどうにもならない。刃は既に、二の腕に浅く斬り込んでいる。数瞬もすれば深く斬り込み、察した通りの結果を招くだろう。

 

鋼の侵入を簡単に許す皮膚を裂きながら肉へと喰らいつき、骨に到達。そこから容赦なく一気に貫通して腕が宙を舞う——この女を投げると同時に起こる未来。

 

痛いだろうか。痛いだろう。気絶しそうな気がする。否、そんなこと気にしていられる場合じゃない。もう、投げる。斬られる。舞う。血が流れる。激痛がくる。止められない。

 

 なら、やるべきことは一つ。

 

 

「ラムッ!」

 

「アル・フーラ!!」

 

 

来る痛みをぐっと堪え、ラムの名を呼んだハヤトがエルザをぶん投げる。自分の心配を捨て、心強い仲間に最後を託した。

 

直後、壁に叩きつけられるエルザの肉体にラムが声を荒げ、杖を振り下ろした。刹那、杖の先端にマナが集約し、そこから発せられる光が溜めた力を一気に解き放つ。

 

瞬間、盗品蔵の中に一つの嵐が生まれた。この一撃に全てを注ぎ込む彼女の指示に応えた風刃が壁に叩きつけられたばかりのエルザに走り、戦闘で飛び散った木屑が無慈悲に切り刻まれながら姿を消す。

 

直後、刹那、瞬間。全てはほんの一瞬の出来事で。ハヤトの魂が元の時間を刻んだとき、全ては彼が思った通りの道筋を歩んだ。

 

 

「ーーーッ!」

 

 

 轟音。

 

至近距離で撃ち込まれた風刃は、エルザという存在そのものを抹消する一撃必殺。その頼りなさとは裏腹に、生半可な刀剣の類を上回る切れ味を発揮する不可視の刃。

 

迎撃、回避。いずれにしても被弾直後のエルザには凌ぐ手立てがないそれが直撃した瞬間、標的の沈黙を確認せぬ魔法の余波が唸りを上げて荒れ狂い、最大火力が空間を蹂躙し始めた。

 

四方八方に飛び散る暴風が破壊を呼び、連鎖する破壊が新たな破壊に繋がる。空間にある無抵抗な物体の悉くを巻き込んで暴れ回り、カウンター裏に隠れるフェルトやロム爺すらも呑み込みかける。

 

やがて、自由奔放に暴れたそれは、空間に留まり切れずに壁や天井をぶち破りながら外側に逃げていく。元々劣化した建物、内側からの押し出す力に抗えず風の暴力に蹂躙し尽くすされる結果となった。

 

嵐が止んだとき、盗品蔵は半壊。エルザが叩きつけられた壁もろとも建物の半分が吹き飛び。当然、その標的となった存在は跡形もなく消し飛んでいる。

 

 そして——、

 

 

「———ぇ?」

 

 

 ぼとり。

 

 音を立てて、ラムの足元にハヤトの腕が落ちた。

 

 

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