少しでも望む未来へ   作:ノラン

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洗礼

 

 

きっと、それが自分の中に残っていた力の全てだったんだとハヤトは思う。

 

右腕と引き換えに強行した策、その終わりを託した親友の名を呼んだ声が、自分の喉が発した最後の言葉だったんだと。

 

 

「ラムッ!」

 

 

名を呼んだ瞬間、投げ飛ばしたエルザの重みが体から消え、同時に鋭い痛みが二の腕を一閃。無茶な体勢から繰り出されたにも関わらず、質を落とさない斬撃が伸びた腕を一刀両断。

 

右腕が灼熱に焼かれた瞬間、視界の右半分で、赤い花が散った。赤よりも赤い花びらが舞い、それが自分の血であると気づいた時にはもう遅い。

 

くるくると回る腕が、突如として発生した暴風に巻き上げられていく。ラムが魔法を放ったと思っていい。なら、自分は彼女に勝利を繋げられたと思っていいのか。

 

そう考えた時点で、ハヤトは膝をついていた。

 

 

「か、は———」

 

 

なによりも先に訪れたのは、予想を遥かに越えた目眩。切断からコンマ数秒の間隔、数字として表すことが不可能なほど短い時間差で視界が歪み、一度でも歪めば止まらない。

 

物体の輪郭が曖昧になり、世界の形が曖昧になり、色も曖昧になり、なにもかも全てが曖昧になっていく。ただ、空間で暴風が荒れ狂っているのは分かったこと。

 

視界が不規則に揺れ、体が異常に軽くなっていく感覚に意識も揺れ、次第に地を踏む両の足から力が抜ける。抜けたのは、力だけだろうか。

 

命。命が、自分の中にある命が容赦なく溢れていく。命を保つための液体が、堰き止めることすらままならない血が、切断された右腕の断面から噴水のようにどばどばと。

 

 

「ぁ……ふ」

 

 

膝をつき、力無く前に倒れる体が床に叩きつけられる。顔面が床と衝突、痛みはない。否、痛みすら感じ取れないくらい意識が凄まじい勢いで闇へ吸い込まれている。

 

視界が赤く染まったのは、自分の血に突っ込んだからだろう。世界が曖昧だから状況の把握はできず、確認しようにも体がピクリとも動かないから確証はないけど、事前の状況的にそう考えるのが妥当。

 

体が、動いてくれない。動け動けと思うのに、心は生きているのに、言うことを聞いてくれない。足先から頭のてっぺん。体の隅々まで動かせず、ただ血を眺めることしか叶わない。

 

 

 ーー腕、斬られただけでこれかよ

 

 

アニメや漫画には腕を斬られても平気で意識を保っているキャラが多くいるから自分も大丈夫、とか余裕で考えていたが、そんなことはなかったらしい。

 

現実を叩きつけられた気分。どれだけ強くなろうとも、自分は一人の人間だった。打撃の耐性は人並み外れていても、日常では受けることのない人体の切断に対する耐性は皆無。出血の多さに意識が落ちそうだ。

 

人生、最初で最後の右腕切断——それが齎す衝撃は想像を絶している。

 

 

 ーーいや、違う

 

 

それだけじゃない。多分、意識の揺らぎで解除されたアクラの反動が重なっている。

 

身体能力を飛躍的に強化する陽魔法、アクラ。人間を越えた動きさえも可能とさせるそれは、使い方によっては己の身を簡単に滅ぼしかねない危険な魔法。

 

故に、肉体の許容値を越えた過度な使用は禁止としている。が、今回は相手が相手ということもあって頑張りすぎた。昂る感情が知らず知らずのうちに許容値を越えて使わせていたのだろう。

 

情けない。アツなりすぎて制御を忘れていたとか、自分らしすぎて笑えてくる。約一ヶ月ぶりの激戦に昂った感情、それに体が追いつかなかった。自分が思っていたよりも、体は鈍っていたようだ。

 

おかしい。ちゃんとリハビリはしたはずなのに。やはり実践的なリハビリでないとダメだったのだろうか。

 

要するに、限界まで張っていた緊張の糸がプツンと切れた。心ばかりが先走り、体を置き去りにしてしまったということ。

 

 

 ーーフェルト(推し)の前だからって気合い入りすぎんなよ?

 

 

ふと、テンに言われた言葉が脳裏を過ぎった。

 

別れ際に交わした、親友とのたわいないやり取り。この状況で過ぎったのは、その発言に思い当たる節が自分の中にあったから。

 

色々と重なって、結果として頑張りすぎてしまった。流石に無理をしたかもしれない。否、無理をしたと認めよう。

 

 ちょっと、調子に乗った。

 

 

「——ト!」

 

 

なにか聞こえる。誰の声だろうか。分からない。

 

鼓膜に届く声はひどく不安定で、くぐもっていた。耳に何か詰めらているように聞こえ難くて、聞こうとするのに音がどんどん遠ざかっていく。

 

 

「しっか———さい! ハヤ—!」

 

 

視界が赤色から茶色に変わって、桃色が見えた。うつ伏せの体が仰向けに回されて、顔が天井を向いたんだと思う。それで、自分の顔を覗き込む桃色が目に飛び込んできた。

 

多分、ラムだろう。体が横に揺れる感覚、彼女が遠のく意識を呼び戻そうとしている。右へ揺れ、左へ揺れ、力の入らない首が揺さぶられて、揺さぶられる。

 

普段は親しみを込めたあだ名で呼ぶくせに、こんなときに限って下の名前で呼びやがって。まるで、自分が死ぬみたいじゃないか。

 

ふざけんな、誰が死ぬか。

 

そんなことしなくても、俺は死なない。そんな声で呼ばなくても、俺は死なない。まだ、俺は死ぬつもりなんてない。たかだか腕一本、斬られたくらいで人は死なない。

 

 

 ーーじゃあ、なんで意識が沈みやがる

 

 

「布! 布を—————さい!」

 

「ロム—! なんか————よ!」

 

「これ————ゃ!」

 

 

ラムがなにか、指示を飛ばしている。多分、フェルトとロム爺に言っている。世界がぼんやりしているお陰で何も分からないけど、彼女が応急処置を施してくれるのだろうか。

 

流石、ラム。こんな非常時でも対応は迅速。自分なら頭が真っ白になってしまうところを、彼女は冷静だった。本当に、本当に頼りになる親友だと思う。

 

 

「ハ—ト! ベアト—–—さまがな——よ!」

 

 

 必死に叫ぶ声。

 

闇に沈みゆく意識を意地でも回復させようと呼びかける声は、いつになく感情が宿っていた。基本的に気丈夫で、毅然とした態度を一貫する彼女にしては珍しい。

 

それだけ自分は彼女に心を許されていたと。そう思ってもいいのだろうか。ごく稀な声が聞けるとき、それは彼女の心が強く揺れているということだから。

 

 

「——! —————」

 

「—————! —————————!」

 

「———————」

 

「————————!!」

 

 

ダメだ。もう、音が聞こえない。誰が何を言ってるのか分からない。考えがまとまらなくて、頭がぼーっとしてきた。時間と共に、自分の体からあるべき質量が抜けていき、体がどんどん軽くなっていく。

 

世界の音が遠のき、遠のき。微に動いていた思考が止まると心が止まり、瞳から光が消えかかり。

 

 

 朦朧と、意識が溶けていく。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

その瞬間、ラムの頭は真っ白に埋め尽くされた。眼下にある物体が衝撃的すぎて理解が追いつかず、考える力が一時的に奪われる。

 

腕、腕だ。粘り気のある液体を垂らした腕が、自分の足元に落ちている。鍛えられた二の腕が、誰かの腕がぼとりと落ちて、そこに血溜まりを作り出している。

 

なんで腕が落ちた、斬られたから。どうやって斬られた、刃物以外にない。誰が斬られた、

 

 それは勿論——。

 

 

「——ハヤト!」

 

 

処理落ちした心が復旧、停滞した思考が加速し、眼下にある物体の処理が完了した途端、全てを理解したラムは悲痛に叫び、カウンターを飛び越えてハヤトの下に駆け寄った。

 

驚愕に見開く赤色の瞳。出会ってから初めてその名を呼んだ表情はひどく悲劇的で、戦慄一色に染め上げられた彼女は心の動揺を隠しきれていない。否、今の彼女には、そんな余裕などなかった。

 

だって彼女は今、世界で二人しかいない親友のうち一人の凄惨な状態を見ているから。同族の酷い死を見ても揺れなかった心が、自分でも驚くくらいに揺れているから。

 

死にかけた時のテンと、今の彼が重なったから。

 

 

「しっかりしなさい! ハヤト!」

 

 

力尽きた倒れ方を思わせる体を回し、うつ伏せから仰向けに体勢を変える。虚空を見つめる黒目を覗き込み、その奥に命の光を見た。けど弱っている、弱り続けている。

 

ダメだ、死なせない。死なせるものか。名を呼びながら脱力した体を揺すり、この声が届いていることを信じて呼びかけ続けた。その彼女が睨むのは、血が溢れ続ける右腕——が、あった部位。

 

切断された腕の傷口は恐ろしく滑らかで、彼の右腕の肉、骨、神経、血管の全てを鮮やかに断ち切っていた。その有様に、エルザという人間が持つ技術力の高さに場違いな感嘆を感じる。

 

太く逞しい腕が二の腕から切断されて、断面から流れてはいけない量の血が半壊した盗品蔵の一部分を血の海に変えていた。穴が空いた箇所から下に垂れているのに、それでも海は干上がらない。

 

それはつまり、彼の命が刻一刻と死に向かっていることを意味する。

 

 

「布! 布を持ってきなさい!」

 

「ロム爺! なんかないのかよ!」

 

「これはどうじゃ!」

 

 

込み上げる感情をぐっと堪えたラム。脳裏を駆け回る様々な後悔を押し除け、彼女はカウンター裏に隠れていた二人に叫んだ。まずは、この流れ続ける血をどうにかしなければならない。

 

鬼気迫る声を受けたフェルトとロム爺の反応は早かった。エルザを倒して一安心——そんな余裕すら許さない緊迫した空気にはっとし、フェルトに視線を向けられたロム爺が手に持っていた布をラムに投擲。

 

宙を舞うそれは、白い羽織。感情が昂ってきたハヤトが戦いの最中で脱ぎ捨てたもの。ロム爺の顔面にかかった以降、綺麗に畳まれていたそれの役立つときがきた。

 

 

 ーー許しなさい

 

 

心の中でそう言い、ラムは受け取った羽織に風刃を一振り。止血に余分な部分を切り取ると素早く畳み、痛々しい切断面に強く当てた。止血、何をするにもまずは血を止める。

 

当てた瞬間、白色が一気に赤色に埋め尽くされていく。溢れる血液が分厚い羽織に染み込み、数秒間当てただけで半分が侵された。それでも、まだ侵食は続いている。

 

相当痛いはずなのに、ハヤトは呻き声ひとつ漏らさない。それどころか薄く開いた瞳が徐々に陰り、いつも通りの輝きを失いつつあった。

 

 

「ハヤト! ベアトリス様が泣くわよ! あんなに自信満々に言い切って、その結果死んだなんて、テンになんて言えばいいの!? 男なんだから、これぐらいの傷で逝かないで! ラムは、刺し違えてでも倒せ、だなんて言った覚えはない!」

 

 

止血と同時、ラムは柄にもなく声を張り上げる。目の前の親友を誰が殺してなるものかと自分に強く言い聞かせ、闇に沈み込む魂へと、まとまりのない思いを、懸命に叩きつけた。

 

彼を待ってる人が屋敷にいる。彼に死なれてほしくない人がたくさんいる。だから逝かせない。この身が彼の血に濡れようが知ったことか。気にする心なんて、一欠片もない。

 

それでも、ラムの意思とは反対に血は止まらない。傷口に当てた羽織は既に赤黒く染色され、押さえても吸収しきれない血が僅かに滲み出しつつあった。干上がらない血の海に、彼の命が流れてしまう。

 

まずい、と。ラムは心の底から震え上がる自分を自覚した。治癒魔法を使える者が近くにいない現状、応急的な圧迫止血しか選択できない今、この出血量は命に関わる。

 

なのに止まらない。止まれ。どれだけ強く押さえても止まらない。止まれ。声をかけ続けても止まらない。止まれ。ダメだ。止まれ。死ぬな。止まれ。止まれ。止まれ。止まれ、止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ———。

 

 

「止まりなさいーーッ!!」

 

 

この世の理不尽に向けた怒号が、世界に響く。押し殺してもなお、込み上げる激情の一端が漏れ、苛立ちを含んだそれが悲痛に吐き捨てられる。

 

 その時だった。

 

 

「ラム! なにがあっ………」

 

 

ラムの叫び声が届いたのか、ただならぬ気配を察した様子のエミリアが銀髪を荒ぶらせながら盗品蔵に飛び込んできた。

 

瞬間。視界に映る光景に思考が凍りつき、許容範囲を軽々しく飛び越える状況に表情が固まる。聞いたこともないラムの叫び声——その意味を理解し、ハヤトの酷い姿に紡ぐはずの言葉が消えた。

 

その停滞は、状況が許さない。

 

 

「エミリア様! ハヤトに治癒魔法をかけてください!」

 

「なんでハヤトが……」

 

「早くしてください!!」

 

 

「ハヤトが死にます!」と。紫紺の瞳が小刻みに揺れるエミリアの思考を叱咤気味に叩き起こし、余裕の消えた顔をラムは向けた。

 

両手の半分以上が赤黒い血液で濡れても、血は止まっていない。圧迫したおかげで幾分か勢いは弱まったものの、まだ流れ続けている。

 

故に、説明している暇はない、事態は一刻を争うのだから。今はとにかく、ハヤトの命を繋ぐことが先決。

 

エミリアも状況を無理やり飲み込んだのだろう。珍しいラムの様子に状況の理解を放棄した彼女は「分かった」と頷き、横たわるハヤトに駆け寄った。

 

血の海に足を踏み入れた途端、ぴしゃっと音を立てて血が跳ねる。気にならない。ラムの横に座り込むと切断面に両手を翳し、エミリアは青色の光を生じさせた。治癒魔法を使ったのだ。

 

この傷を塞ぐのが先か。大量出血で死ぬのが先か。

 

 

「——ひ」

 

 

エミリアとラムの懸命な応急処置。ひりつくような緊張が空間を満たす中、不意に高い掠れ声が鳴った。声に反応したフェルトとロム爺が視線を送れば、そこには見慣れない服を着た少女が口を手で押さえている。

 

ラムの声に反応して駆け出したエミリアに置いていかれたスバルだった。一足遅く盗品蔵に辿り着く——状況を確かめる間も無く、彼女はショッキングな光景に息を呑む。

 

このとき、彼女の脳内を占領したのは呆然の二文字。恐怖でもなく、絶望でもない。ハヤトの腕が切断されている事態に理解が追いつかず、生まれて初めて見る光景に処理落ち。

 

結果、棒立ち。人間、突然で衝撃的な出来事に見舞われると思考が鈍って動けないと言うが、今のスバルがその模範的な状態だった。

 

頭が目の前の光景を処理するまで思考が麻痺し、空白の時間が訪れる。

 

 

「———ぅ」

 

 

そんな時、空間に新たな声が僅かに聞こえた。否、新たな声ではない、それは深い闇の底から帰ってきた声だ。

 

 

「まだ……死ねねぇ」

 

 

か細く、小さく、声の主にしては弱々しすぎる声だった。けれど、懸命に命を繋ぎ続ける少女二人にとってそれは、絶望を希望にひっくり返す声だった。

 

声に反応したラムとエミリアの視線が声の方向に集中。微かな音でも確実に拾った二人は鼓膜の中で薄く反響するハヤトの声に息が詰まり、視線の終着点に光が宿る瞳を見た。

 

その瞬間、余裕が無かったラムの表情が和らぐ。緊張に固まっていた頬が緩み、結んでいた唇が解ける。まだ危険な状況に変わりはないが、意識が復旧できる程度には大丈夫らしいと、そう思えたのだ。

 

勿論、不安そうな表情が明るくなったエミリアも同じで、

 

 

「ハヤト! 大丈夫なの!? 大丈夫なのね! 大丈夫って言って!」

 

「おう、大丈夫だぜ。と言いたいが、大丈夫なもんかよ。だが、生きてる。右腕が、斬られたくらいで……死んでられるかよ」

 

「右腕が斬られたくらい、って……。全然、軽い怪我じゃないんだから、軽々しく言わないの!」

 

 

顔を覗き込むエミリアの怒声に小さく苦笑。正直、目も耳も完全に機能しているわけじゃないから何を言ってるのか曖昧な部分はあるけど、なんとなく怒られているのは分かった。

 

朦朧とする意識を、気合いだけで復旧させたハヤトである。溶けゆく意識を意志の力一つで叩き起こし、まだ死ねない、死ねるわけがあるかと命の灯に火を注いだのだ。

 

しかし、意識が回復しただけであってそれ以外の問題は何も解決していない。

 

ラムとエミリアの処置もあって切断面の出血は治りつつあるが、失った血が戻るわけでもないし。痛みはエミリアの治癒魔法で鎮痛されているが、痛くないわけでもないし。

 

体は——無理に動かさない方がいい。動かせないわけじゃないが、今は安静にしておこう。アクラの反動が体にのしかかっていることも含めて、動いたら怒られる気がする。

 

いやしかし。腕一本、斬られただけでここまでの被害とは。「安いもんだ、腕の一本くらい」とか、男らしく言ったあの男の強者度合いが知れる。

 

 

「赤髪の海賊みてぇには、いかねぇもんだな」

 

「なに意味の分からないことを……。怪我人は黙って寝てなさい、脳筋。話されると集中が途切れて、ついうっかり止血の手が緩みかねない」

 

「ハヤト、って呼んでくんねぇのな」

 

「死になさい」

 

 

様々な感情を込めた一言と、冷たい視線がブッ刺さった予感。場を和ませようと適当に茶化したつもりが、割と本気の声で嫌がられてしまった。先程の焦った声が嘘のように、いつも通りに戻っている。

 

切り替えが早いと言うべきか、なんと言うか。今だにぼやける視界では明確な表情を知ることもできないのに、それでも彼女のそれを察することができるのがすごいと思う。

 

それが聞けただけでも良し。彼女の悲痛な叫びは、聞いていてあまりいいものじゃない。叫んでくれるくらい仲が良いと思えて嬉しかったのは、場違いで不謹慎な考えだから捨てた。

 

 そして、ふと思う。

 

 

「エルザ……あのバケモンはどうなった?」

 

「ラムの魔法が直撃したんだもの。跡形もなく消し飛んだ。死体すら残ってない」

 

「そうか」

 

 

簡単に返したラムに呟き、ハヤトは深く吐息。それで本当に倒せたのかは分からないが、倒していることを信じて警戒心を解く。

 

そんなハヤトを横目にラムも吐息。劣化しているとはいえ、平屋よりも大きな建物の半分を吹き飛ばす威力の魔法を放った直後だ。少しだけ疲れた。ちょっとだけ休ませてほしい。

 

とりあえず、一段落。

 

戦闘が終了したラムとハヤトの二人が張っていた緊張の糸を意図的に解き。ハヤトの命の無事を察したエミリアが一安心。場を支配していた空気から解放されたフェルトとロム爺も肩から力が抜け。

 

ようやく落ち着いてきたスバルも、ハヤトに話しかけようと躊躇していた一歩を踏み出し、

 

 

「ーーーッ!」

 

 

その真横を、人影が通り過ぎた。

 

それが誰であるか確認する間も無く、スバルの目の前で事は起きようとしていた。音もなく飛来した無音の暗殺者が、狙う命を狩り取ろうとしている。

 

一瞬で、突然の出来事。警戒を解いたハヤトとラムが反応できるわけがなく。治癒魔法に集中するエミリアも気づくことがなく。勿論、麻痺していた思考が回復したばかりのスバルも同類。

 

反応の余地を一切与えないそれは、暗殺者——エルザの持ち味を最大限に発揮したものだ。殺したと油断させて不意をつく、完全なる初見殺し。

 

 その初見殺しに、

 

 

「させっかーー!」

 

 

ただ一人、フェルトだけは反応していた。

 

目に映る光景に頭よりも先に心が動いた瞬間、懐に忍ばせていたナイフを投擲。大振りから放たれたそれが鋭い軌道を描きながらエルザの体が止まる所、ハヤトの頭上へと飛んだ。

 

しかし、避けられる。標的はハヤトだと断定した勘は鋭かったが、反応したエルザが目的地一歩前で急停止。一瞬の停滞を越え、眼前を通り過ぎたナイフを横目にククリナイフを振り下ろし、

 

 

「お見事!」

 

 

その停滞が、エルザの目論見が阻まれる要因となる。フェルトが稼いだ僅かな時間が、殺意が凝縮された刃とハヤトの間に物体が割り込む時間を作らせた。

 

肉を断ち、血飛沫が上がるはずの未来が覆された瞬間、称賛の声と共に氷盾が展開。ハヤトと彼を治療する二人を完璧に守るそれが、鋼と鋼が衝突したような甲高い音を鳴らしながら落ちる刃を受け止め、

 

 

「食らえい!」

 

 

生じた一瞬の隙にロム爺が、携えた棍棒をエルザの真上から叩きつけていた。戦闘中、ハヤト一人に任せっきりな現状にもどかしさを感じ続けた二人が、この危機一髪を凌ぐ未来を掴み取る。

 

床板を盛大に破壊した一撃は容易く回避されてしまったが、命を救えたのなら重畳。依り代から出てきたパックを先頭にフェルトとロム爺は三人を背にして庇う姿勢。

 

その三人も、今の一瞬の攻防でエルザの存在を理解していた。ラムが驚愕に赤色の目を尖らせて女を睨み、歯を食いしばるハヤトが動こうとし、止めるエミリアが警戒心を高める。

 

それらを正面にエルザは「ふっ」と笑った。それから後方にいる一人の少女——状況に追いつけないスバルのことをチラリと見て、

 

 

「あなたの腸を見れないのが残念だけど、今日はここまで。代わりに一人、可哀想な少女のお腹を裂かせてもらったわ。——この場に来たのが、間違いだったようね」

 

 

 直後。

 

ばたん、と。鈍い音を立てながらスバルの体が崩れ落ちる。発言の意味を表すような時間差で少女の肉体が力無く倒れ、皮膚という名の堤防が裂かれた腹部から血がどっと溢れ出す。

 

少女の口から吐き出た血液に、加害者を除くその場の全員に衝撃が走った。その少女の認識度に違いはあれど、目の前で罪の無い少女が殺される映像に心が揺れ、エルザに向けられた視線が途端に尖り始める。

 

 中でも一番は、

 

 

「スバルーー!?」

 

 

短い時間でも、スバルと一緒に過ごしたエミリア。自分と言葉を交わし、親しげに接してくれた少女。そんな子の悲劇的な光景に紫紺の瞳が見開き、悲鳴を上げる喉が動揺に震えた。

 

その瞬間、動かない体を無理やり動かそうとするハヤトが食いしばる歯の奥で強く唸る。心の奥から噴き上がる感情に爪が皮膚がめり込むほどの力で左の拳を握りしめ、黒の双眸が殺伐と血走った。

 

叫び声が呼んだ名——それだけで状況を理解してしまった心が殺意に燃え上がり、噴火する激情が彼に動く力を与えてしまう。

 

直後に咆哮するための酸素を肺に取り込み、心臓の活動が急激に加速、止血したばかりの切断面から死に至らせる量の命をどばどば流し始め、

 

 

「とても楽しめたわ。ありがとう。——さようなら、カンザキ・ハヤト」

 

「エルザぁぁぁぁーーッ!!」

 

 

 咆哮。

 

命の心配が頭から抜けたハヤトが背にされた三人の間を駆け抜け、血を撒き散らしながら特攻。投げかけられる静止の声は届かず、したり顔なエルザが視界から姿を消しても、逃げる気配を追いかける。

 

倒せなかった、とか。腕を失ったのに、とか。死ぬかも、とか。そんな考えはなくて。それらは全部、今の自分にとっては邪な考えとして破棄されていた。

 

後先考えない心のままに、動く。今はただ、スバルを殺したエルザに対する真っ黒な感情が、体を突き動かすのだから。

 

 そして、

 

 

「このバカッ! 動くと本当に死ぬわよ!!」

 

「あの女はもう逃げた! 追いかけるとお前さんまで死ぬぞ!」

 

 

そのハヤトを、ラムと彼女に目配せされたロム爺が無理やり押さえ込む。自分一人の力では到底押さえ込めないとラムは瞬時に判断し、指示を飛ばされたロム爺が暴れるハヤトの体を両手で掴んだ。

 

ハヤトの怒りは収まらない。傷だらけな体のどこから湧いてくるのか分からない怪力が左腕に集まり、身を捩って拘束から抜け出そうと大暴れ。「ぶっ殺してやる!」と野蛮な言葉を叫ぶ。

 

そんな彼にラムは舌打ち。誰の言葉も聞こえないハヤトがこれ以上暴れると、本気で死なれかねない。もしかしたら、もう遅いかもしれない——そう考える暇があるならこの馬鹿を一秒でも早く静める方法を探せ。

 

 一つしか、ない。

 

 賭けに近しい。

 

 けど、やるしかない。

 

 

「………許しなさい」

 

 

ハヤトに対して謝罪の言葉が口から小さく漏れた瞬間、ラムの手刀が暴れる首筋の後ろに走る。弱い衝撃に短く打たれる感覚を得たとき、ハヤトの意識の崩壊は始まっていた。

 

視界が揺らぎに揺らぎ、正常を取り戻しつつあった世界が歪む。精神と肉体を繋いでいた糸が切れ、供給されていた意志の力が切断される。

 

意識を保っていた要素が絶えれば、自ずとそれは再び闇へと落ちていく。沈むのではなく落ちる。闇の底に急降下し、気絶するのに時間は使わず、全身から力が抜けいく。

 

 

「死なれたら困るの」

 

 

落ちる意識の中、スバルの名を呼ぶエミリアの声を背景に、ラムの声が聞こえた。視覚はほぼ機能を失い、辛うじて生きる聴覚がその声を拾う。

 

声に対して抱く感情はない。否、考える力すらも意識と共に闇に落ちているのだ。カンザキ・ハヤトを成立させている全ての機能がこの瞬間にも落ち、彼が本当の意味で意識を失おうとしている。

 

失うまで、数秒もない。

 

 

「今、死なれたら、また四人で集まれなくなってしまうでしょう? やっと元通りになれたのに、失いたくないわ」

 

 

意識が落ちる。音が遠ざかる。闇が、すぐ近くまで迫っていた。光は、ずっと遠くにいってしまって。

 

 

「——トは、ラムが死なせ——」

 

 

己に言い聞かせ続けるラムの言葉を聞けないまま、ハヤトの意識は闇に消えた。

 

 

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