少しでも望む未来へ   作:ノラン

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タイトルが全てを物語ってるシリーズ、再び。

この展開は、なんとなく予想できたと思います。




死の共有者

 

 

「——脳筋?」

 

 

 名を呼ばれ、目を開く。

 

目の前には、こちらを振り返りながら不思議そうに小首を傾げているラムがいた。親しみのあるあだ名で青年のことを呼ぶ少女の顔は毅然としていて、その澄まし顔は見慣れたもの。

 

薄暗い路地を背景にし、目の前の青年に対して頭の上に疑問符を浮かべるラム。そんな少女のことを、青年の気の抜けた顔が眺めている。その双眸は惚けたように一点見つめだった。

 

黒目に渦巻くのは『空白』の二文字。ラムが話しかけても全く反応しないそれは空虚で、不安定で、ふとした瞬間に倒れてしまいそうな危なさがある。

 

外から見れば漠然とした様子でラムを眺める青年——カンザキ・ハヤト。貧民街へ向かおうと路地裏に駆け出し、僅か一歩目で立ち止まった彼にラムは近づき、

 

 

「なに、ぼーっとしてるの? さっさと行くわよ」

 

 

 ぺち、と。

 

背伸びしたラムが額にデコピン。惚ける彼の意識を物理的に引き戻しにかかる。脇腹に手刀を捩じ込んでやってもよかったけど、流石のラムもそこまで鬼畜ではない。

 

乾いた音が鼓膜の中で弾け、爪の硬い感触にハヤトの口から「いて」と声が漏れた。反射的に右腕が動き、先に繋がっている手が衝撃部に添えられ、痛みを和らげるように摩る。

 

 そして、

 

 

「………あ?」

 

 

 気づく。

 

視界の真ん中を埋める右手が、否、切断されたはずの右腕が、あることに。自分の思い通りに動かすことが可能な右腕が、ちゃんと繋がっていることに。

 

それがきっかけだった。右腕が無事な事実を知ると、鈍く動いていた思考が熱を帯びて高速回転。優しめの一撃に宙に浮いていた意識が心に戻ると、様々な情報が肌を通じて脳内に一挙になだれ込む。

 

右手を退け、空を見上げると沈んだはずの太陽が昇っていた。夕方の静けさが漂っていた街は午後の喧騒に溢れ、大通りを行き交う人々の声が耳に飛び込んでくる。

 

 

「まさか」

 

 

二の腕から下が切断された右腕は、何事もなかったかのように存在し。逆に、全身を蝕んでいた痛みは忽然と消え。加速していたはずの鼓動は平常のリズムを刻み。血に濡れたはずの服には、裂傷が一つもない。

 

極め付け。自分は、起こったはずの出来事を覚えている。化け物を殴った感触も、斬られた痛みも、鼓膜を殴りつけた悲痛な叫び声も。全部全部、イヤになるくらい鮮明に。

 

 

「おいおい」

 

 

それらを理解し、ハヤトは本能的に悟った。

 

 

「マジかよ」

 

 

自分は、巻き込まれたのだと。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 銀髪を揺らしながら、凄まじい速さで駆けていく少女を、見ていた。

 

人混みを掻き分ける体に躊躇は感じられず、前に前にと交互に踏み出され続ける両足には明確な意志が宿っている。その彼女が向かう先には、今にも泣き出しそうな幼子の存在があった。

 

 

「………は?」

 

 

 思わず、困惑が漏れる。

 

あの少女に対してではない、そんなわけがない。迷子が放って置けなくて助けに行く彼女に困惑するわけがないだろう。立ち止まる自分を置いていったことに変な違和感はない。

 

困惑の理由は、もっと別のことだ。意味が分からないことだ。理解不能な光景。現象。現実。身に起こった意味不明なそれに処理が追いつかず、ただただ茫然と立ち尽くしてしまう。

 

 

「え?」

 

 

さっきまで自分はボロい家、盗品蔵と呼ばれる場所にいたはずなのに。なんで、街中にいるのか。数分前まで夕方のはずだったのに、なんで、空は青いのか。なんで、陽光が温かいと感じるのか。

 

腹を割かれていたはずなのに。なんで、傷痕一つないのか。滝のように流れ出す血を、内臓を見たはずなのに。なんで、体は大丈夫なのか。あの瞬間、エミリアに名を叫ばれながら意識が落ちて、確実に死を感じたはずなのに。

 

死んだ——死んだはずなのに。なんで、息をしている。なんで、二本足で立っている。なんで、心臓は動いている。

 

なんで、なんで、なんで、なんで————。

 

 

「え? あ……え? なんで?」

 

 

なんで、アタシは生きている。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

割と、自分は『死』という概念に対しての耐性は高い方だとハヤトは自負している。

 

ロズワールの熾烈を極める鍛錬を受けてきたせいで、毎日のように半殺し。冗談抜きで血反吐を吐き、ときには気絶すら招いた日々。自分の親友なんて、腕の骨を折られたこともあった。

 

三途の川を幻視した回数は数知れず。打撃を受けすぎて痛覚が麻痺した回数は模擬戦の回数と比例。日によって魔法まで駆使してきた虐待と遜色ない一方的な蹂躙。

 

それが一ヶ月以上も続けば、流石に精神力は人並み外れる。否、感覚が狂ったと言うべきだろう。戦闘に不要な感情として、恐怖というものが切り捨てられてしまったのだ。

 

決して、死ぬことに抵抗がないわけではない。自分の帰りを待っている人がいるから死にたくないし、生きていたいし、そこまで人間をやめたつもりもない。

 

ただ、この世界に来てから今までの約五ヶ月間でそれに立ち向かう精神が自分の中で見事に形成された。というだけの話。

 

 なのだが、

 

 

「これは、また……」

 

 

 ーーキツいな

 

 

言葉の続きを心の中で言い切り、ハヤトはその場にしゃがみ込む。突然の行動に更に不思議がるラムの声を聞きながら両膝に腕を乗せ、顔を下に向けて地面と睨めっこ。

 

まさか、巻き込まれるとは思わなかった。それはそれでスバルと戻った事実を共有してやれるからありがたいが、一度目ということもあって心が追いついていない。

 

 

「ラムの言ったことを聞いてなかったの? 地面と睨めっこするのは、あとにしてちょうだい」

 

「分かってる。分かってるから、ちょっと待て」

 

 

全てがリセット。それが心に波紋させる衝撃は想像以上だ。この事態の因果関係を理解しているだけあって尚更。心構えが皆無だったことも重なって心の整理が、全くできていない。

 

感覚的には五秒もない。自分はついさっきまで瀕死に追いやられて、ラムの悲痛な叫びを聞いていた。スバルがやられた事に憤慨し、エルザに特攻していた。それで、意識を失ったと。

 

あの後、実際に自分は死んだのだろうか。意識を失ったから分からないけど、限りなくそれに近いはずだろう。スバルは言わずもがな。この現象は、彼女がトリガーなのだから。

 

意識を失って、目を開けたら全てが戻っていた。盗品蔵に行く途中でラムとくだらない話をしたことも、ロム爺と酒を飲んだことも、頑張ってフェルトに気を許されたことも。

 

全が、無慈悲に。一瞬で、無と化した。

 

 

 ーーしっかりしろよ、カンザキ・ハヤト

 

 

 深呼吸。

 

あまり見ないハヤトの様子に困惑が心配に変わりつつあるラムを他所に、彼は心にあった行き場のない感情を吐き出す。己に「大丈夫だ」と言い聞かせ続け、揺らぐそれを立て直す。

 

どういった経緯で巻き込まれたのかは解らない。解るはずがない。情報が少なすぎる今では、自分の頭だけでは正確な理解は困難。

 

が、今はいい。現時点で大事なのは、その部分ではない。もっと大事なこと——自分よりも混乱している存在が背中にいることを、ハヤトは知っているのだ。

 

故に、怯んでいる暇など自分には刹那も与えられていない。起きたなら起きた。そうやって受け入れて前を向き続けろ。今こうしている間にも事は進み、足を止めた分だけ置いていかれてしまう。

 

なんのために自分が力をつけてきたのか。どうして地獄のような日々を歯を食いしばって乗り越えてきたのか。

 

 それを、思い出せ。

 

 

「……うし」

 

 

小さく頷き、様々な感情でぐちゃぐちゃになった心を整理整頓。一つ一つを丁寧に並べ、身に襲いかかった現実に真正面から立ち向かう。目を逸らさず、理不尽な事態を睨んだ。

 

そうして、ハヤトは立ち上がる。直後に見えたのは、異様なものを見たとでも言いたげなラムが訝しげに目を細めている光景。

 

当然の反応だと思う。ハヤトからすれば辻褄が合うそれは、何も知らないラムからすれば突然のことで意味不明。ハヤトのことをよく知るのならより一層、意味不明なはず。

 

そんな彼女にハヤトが開口一番に放った言葉は、

 

 

「ラム。急で悪いが、スバルと話がしたい。話が終わるまでの間でいい、エミリアの傍にいてやってくれないか?」

 

「は?」

 

 

セーブポイントとしては、貧民街に行く二人と迷子を助ける三人が別れる瞬間。そう予想したハヤトが自分は間違っていなかったことを密かに知る中、ラムの声が疑問に染まる。

 

目の前の男は、自分が想像もつかないことを当然のようにしでかす奴だと分かってはいた。それで毎回のように驚かされることも。が、今のは流石に理解の範囲を飛び越えた。

 

驚くよりも先に困惑。先程からずっと様子がおかしいとは思っていたが、何をどうしたらそうなるのかまるで分からない。

 

けれど、そう言ったハヤトの顔はいつになく真剣。こちらの目をじっと見つめる瞳にふざけた様子は一切なく、不審がる自分に対して「頼む」と無言ながらに言ってくる。

 

この顔は、本気なやつだ。

 

 

「なにか考えが?」

 

「ある。ちょっと聞かなくちゃならねぇことを思い出した」

 

「随分と都合のいい思い出しだこと」

 

「そう思ってくれていい」

 

 

嫌味な言い方をしてくるラムに、ハヤトの態度は崩れない。咄嗟に「思い出した」とついた嘘を見抜いてそうな雰囲気だが、この場を譲るつもりなどハヤトにはない。

 

突拍子もないことだとは承知の上。それでも、今、話さなくてはならない。事が起こった直後の今しか話すことができないから。これは、自分しか共有することができないから。

 

 

「別れたら話せなくなっちまうんだ」

 

 

「頼む」と。

 

真摯な声色で頼み込む。色々と不審に思うところはあるだろうけれど、それら全部をひっくるめて飲み込んでほしいと。

 

まだ始まったばかりの悲劇。その開始一発目から大きく転ぶわけにはいかず、最悪の未来をなんとしてでも変えたいハヤトには今この瞬間がなによりも大切なのだ。

 

今、自分が選択する行動次第で未来が変わる。最高に近づくか、最悪に近づくか、二つに分かれた道のどちらに進路が傾くかが。だから、無理を言ってでもこの場を押し切るつもり。

 

そんなハヤトの意思を察したか、あるは別の理由か。審議の沈黙を越え、不満という不満を押し殺したラムが面倒そうな顔をしながら「ちっ」と舌打ちし、

 

 

「これで徽章を奪い返せなかったら、本当に全ての責任を脳筋に押し付けるわよ」

 

 

やれやれといった具合で、この場から引き下がってくれた。この顔をした彼は人の話を聞かないことが分かっているから、変に張り合うのも無意味だと自分の中で割り切る。

 

この男は馬鹿だ。自分勝手で、感情論ばっかりで、すぐ突っ走っては面倒事を持ち帰ってくるくらいの馬鹿。しかし、ただの馬鹿ではないことをラムは知っている。いざというとき、頼りになる馬鹿だ。

 

なんの考えも無しに、今のを言ったわけでもないだろう。そうだったとしても無駄骨になるような真似はしないはず。嘘だ。無駄骨になる予感しかしない。

 

が、ハヤトという人間が持つ素質——コイツがいればなんとかなる、と思わせられるせいである程度の無理は許してしまう。彼の行動一つ一つに意味の有無はともかく。

 

その上、「安心しろ。その心配はいらねぇ」と力強く即答されれば、彼に信を置くラムはため息をつかざるを得ない。不本意にも「そうか、心配は要らないのか」と思えてしまう。

 

この男は色々とやりたい放題なくせに、最終的に事を解決してしまうすごい友人なのだから。揺らぎのない信頼関係を築いた事がこんな形で影響を及ぼすとは、どんな皮肉だ。

 

 

「ありがとよ、ラム」

 

「別に。脳筋の無理を聞くのは今に始まったことじゃないし。振り回されるのにも慣れてきた。どうせ、ラムがなにを言っても聞いてくれないでしょう。どうせ。ラムの懐の広さに感謝するがいいわ」

 

「そうだな。ありがとよ。いつも助かってる」

 

 

「ほんと——ありがとな」と。皮肉を混ぜたラムの言葉に感謝を重ねるハヤト。最後の一言にだけ妙に感情が宿り、彼らしからぬものを感じ取ったものの、ラムは触れないことに。

 

そんな彼が今、頭の中でなにを見ているのか。それは彼だけが知ることだった。

 

 

「それじゃ、また後で」

 

「おう」

 

 

短い問答の末、行動は決まる。

 

ラムが感じた違和感を断ち切り、ハヤトが脳裏に流れていた記憶から意識を外し、軽く声を掛け合った二人は本来の方向とは真逆の方向に走り出した。

 

ハヤトが向かう先は慌ただしくきょろきょろするスバルの下。側から見ても混乱していると一瞬で判断できる彼女と現状の整理をすべく、何から話そうか考えながら。

 

数秒と経たず、目的地に到着。横切るラムがチラリと横目でこちらを見たのを意識に留めながら、ハヤトは「スバル」と彼女の名を呼ぶ。

 

ハヤトの存在は、それなりに衝撃的だったのだろう。彼を見るなり「え?」と気の抜けた声を漏らし、死人でも見たように驚愕した目が見開かれ、余計に混乱させてしまった。

 

ついさっきまで瀕死だった人間が傷一つない状態で平気そうに声をかけてきたのだ、並の人間ならば当たり前の反応と言える。

 

 

「大丈夫か、スバル。顔色、悪いぞ」

 

「へ? あ、あぁ……」

 

 

心配の声に対する反応は薄い。開いた黒目でハヤトを凝視する彼女の様子は朧げで、意識が復旧するまでの自分とそっくりだとハヤトは思う。

 

きっと、自分と同じように突然の事態に心が追いつけていないのだろう。それが普通だ。地獄を生き抜いてきたハヤトと違って、彼女は平和ボケした故郷から飛ばされたばかり。

 

現に彼女は、「ハ、ハヤト」と隠せない動揺に声を小刻みに震わせながら、

 

 

「あの、ちょっと変な事が起こったんだけど……」

 

「解ってる」

 

 

拳を強く握りしめ、意を決して話し出そうとするスバル。鈍く動く思考でなんとか言葉を作り出そうとする声を止めたのは、全てを理解したような声、否、全てを理解するハヤトの声だった。

 

予想外の返しに言葉が詰まり、口が止まるスバル。この不可思議な現象に苛まれたのは自分だけではないのかと、変な安心感を抱く彼女の肩にハヤトは手を添えて、

 

 

「解ってるから、ちょっと話そうぜ」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

薄暗い路地の入り口、建物の壁に寄りかかるハヤトと、その隣にいる地べたに座り込むスバル。人混みを抜けた二人は流れてくる喧騒を背景にしながら、ひとまず落ち着いていた。

 

 

「色々とあって混乱してるだろうが、とりあえず起こったことを直球で言う。いいか?」

 

 

膝を抱え込むスバルに優しく、けれども容赦なしにハヤトは話を切り出す気配。彼女が動揺しないようなるべく落ち着いた声色で語りかけ、半ば強制的に話の流れを作る。

 

もう少し落ち着く時間を与えたいところだけど、状況確認が最優先事項。彼女もそれが分かっているのだろう、弱々しいものではあったが「うん。いいよ」と頷いてくれた。

 

なら良し。そんな風に「じゃあ聞くが」と前置き、

 

 

「お前、さっき死んだよな?」

 

 

言った瞬間、スバルの肩がピクリと跳ねる。遠回しな表現を苦手とするハヤトの配慮の欠片もないド直球な問いに、息を飲む音がはっきり聞こえた。

 

返答がなくとも、それだけで分かる。そんなに露骨な反応をされれば誰だって分かる。それでも彼女の口から直接聞くまでは口を閉ざし、ハヤトは待ちの姿勢。

 

五秒程度の沈黙。言葉にするのも恐ろしい事実に胸に詰まった息を深く吐き出すと、

 

 

「死んだ……死んだ、はずだ。あの瞬間、アタシは死んだ。腹が裂かれるの、を、見た……見たんだ」

 

 

歯切れの悪い返答を口にし、スバルは抱え込んだ膝に額を押し付ける。思い出すだけでも心の底から震え上がる恐怖の訪れを感じ、鼓膜の内側で加速する鼓動の音が轟いた。

 

簡単に受け入れられるわけがない。斬られた瞬間に稲妻が落ちたような勢いで突き抜けた激痛も、自分の中から外へと滝のように赤色の血が流れていく感覚も、遠ざかるエミリアの必死な呼びかけも。

 

自分の命が消える、その絶望も。

 

 

「なのに、なんでアタシは無事なんだ? なんで、生きてるんだよ。腹、斬られたはずなのに。つーか、なんでハヤトも無事なんだよ。腕、斬られたはずだろ」

 

 

連続して吐き出される問いかけは、隣で腕を組むハヤトに向けられたものではない。理解の限度を超越した現象に向けられたものだ。死んだはずなのに生きているという、理解不能なそれ。

 

夢だと一蹴りすることはできなくもない。世の中には白昼夢という言葉もあるくらいだ。けれど、とてもではないがスバルにはそうは思えなかった。

 

夢にしてはリアルすぎる。自分が死ぬ夢があんなにもリアルだとか、トラウマになって一人で寝れなくなったらどうするつもりだ。

 

それに、夢ではないと証明する事実は、自分の隣にいる。

 

 

「ハヤト……。お前も、さっきのことを覚えてるのか?」

 

「おう。覚えてるぜ」

 

 

「腕を斬られたのもな」と、二の腕から切断された右腕を動かすハヤトが粛々と頷く。抱え込んだ膝に額を当てて視界を暗闇に閉ざすスバルと違い、彼は意外と平気そうな様子だ。

 

自分以外の人間があの光景を覚えている以上、夢である仮説は簡単に崩れる。同じ夢を同時に、別の視点から見ていたと無理やり思うことも不可能ではないが、そこまで現実を否定する気はない。

 

あれは、紛れもない現実だ。

 

 

「今までにも、こんなことはあったのか?」

 

「んなわけ。あんなのが二度も三度もあってたまるかよ。ま、過去にドラゴンと戦って死の一歩手前に追い込まれたことはあるがな。あれは、本気で死ぬかと思った」

 

 

場を茶化すような風に言うハヤトの声は、残念なことにスバルには届いていない。異世界でお馴染みの化け物がいたことに感動する余裕が心になく、気持ちの切り替えが上手くできずにいた。

 

無理もない。あんな事があった直後、冷静に状況を分析できる人間などいる方がおかしい。スバルの反応が正常。数秒で状況を飲み込み、理解した自分の頭がイカれているだけ。

 

元からそれを知っている、というのもあるのかもしれない。自分が飛ばされたアニメの世界における、定番の展開を。

 

 

「俺は右腕が斬られた。スバルは腹を掻っ捌かれて死んだ。そんで次、目を開けたら沈んだはずの太陽が昇ってて、傷も治ってる」

 

「ありえねぇ……。なんだよ、それ。夢でもねぇなら、なんなんだよ」

 

 

何回声に出しても解らないスバルがハヤトの心情を継ぐように一言。自分の置かれた状況そのものが心をかき乱す大きな要因で、世界を見ていると気が狂いそうになる。

 

異世界召喚というだけでキャパオーバーなのに、この状況をどうしろと。

 

死んだはずなのに生きてる、何もかもがリセットされて。——まるで、ゲームオーバーしたらセーブポイントに戻される電子ゲームみたいじゃないか。自分がよくやっていた、ゲームそのものではないか。

 

ふざけるな。冗談じゃない。痛みを伴うリセットとか、地獄の他にないだろう。死んでも死ねない、というやつ。常識離れしすぎて笑えてくる。

 

そもそもの話、異世界召喚された時点で常識離れしてるからなんとも言えないけども。

 

 

「これは俺の予想だが」

 

 

どう頑張っても理解できない現実に四苦八苦、そろそろ嫌になってきたスバルの耳にハヤトの声が届く。どうやら、自分がこうして悩んでいる間にも彼なりの見当をつけたようだ。

 

どんな考えなのかと彼女は耳を傾ける。考えることを中断し、ハヤトの言葉を理解する余白を心の中に作り、

 

 

「時間が遡ってる、ってのはどうだ?」

 

 

その言葉に、ごちゃごちゃしていた考えが少しずつ晴れていく予感がした。極小ではあれど、心の中で快音が響き、陰っていた表情に光が差し込む。

 

思わず顔を上げるスバル。無音で持ち上げられた顔が見るのは、真剣な顔つきで空を仰ぐハヤト。山吹色が青色に変わった青空を眺め、彼は目を細めている。

 

確かに、そう考えたらこの現象にも合点がいく。何かをトリガーとしてあの瞬間から時間が遡り、ここまで戻ったのだとすれば、二人の体から傷が消えたのにも納得だ。

 

 でも、

 

 

「何を起点に?」

 

「あの瞬間、戻る直前にあったなんか。だろ」

 

 

時間遡行の方向でこの事態を理解しようとするスバルの疑問に、ハヤトは喉を悩ましげに低く唸らせる。実に下手な演技、しかし思考の海に沈むスバルは気づかない。

 

正直、ハヤトはこの現象がどういったものであるか理解している。理解していないわけがない。それが定番なのだから。

 

ただ、一番初めのそれでスバルに自分自身の力で答えに辿り着いてもらう必要があるという話。自分の口から伝えられるより、そっちの方が理解しやすいと彼は考えたのだ。

 

考えたくないし、そう簡単に戻らせる気はないが。この現象とはこれから先、長い付き合いになりそうだから。

 

そうとも知らないスバル。考え込む彼女はこうなる直前に何があったのかを思い出す。混濁する記憶を整理し、あの瞬間まで記憶を辿り、

 

 

「アタシの、死」

 

「かもしれないな」

 

 

あり得ないとしていた事が、今のところ一番有力な結論として確立した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 ——異世界で得た能力は、『死に戻り』でした。

 

 

「いや、笑えない。ぜんっぜん笑えない」

 

 

それっぽい結論が頭の中で組み上がった瞬間、スバルは深くため息。戻った直後の動揺は時間と共に抜け、少しは落ち着いてきた心で状況を咀嚼、理解し始める。

 

まともに言うと『時間遡行』というやつ。それはつまり、自分の死を起点に世界が一定の場所まで巻き戻っているということ。信じ難いが、実際に起こっていることに違いはない。

 

自分はあの瞬間、あの女に腹を裂かれて、死んだ。そしてその事をトリガーに世界が巻き戻り、自分は——自分とハヤトは戻らされている。

 

 

「とか、簡単に言ってくれるなよ……。力があるならまだしも、アタシみたいな一般人が戻ってどうすんだっての。これで記憶が無かったら、マジで詰みだったぞ」

 

 

もはや、自分の中にチート級の力がないことなんて薄々理解している。妄想の世界で繰り広げた無双劇は不可能で、カッコいい男たちに囲まれて逆ハーな異世界生活を送るなど夢のまた夢。

 

そんな女——戦闘能力が皆無な女が時間を巻き戻す能力——意図的にではなく『死』という苦痛を以て巻き戻す能力を保有して、一体なんになる。なんの役にも立たない気がしてならない。

 

尤も、ハヤトは別だが。

 

 

「なら、ハヤトはどうなんだ? 仮にアタシの死がトリガーだとして、ハヤトが死んでも死に戻りは起こるのか?」

 

「分からねぇ。俺は死んだのか曖昧だからな。あの時は気絶した、ってだけで、スバルだけが起点になってることも考えられる。……試してみるか?」

 

「やめて!? なんでそんなスプラッターな事しようとするの!? もっと自分の命を大事にしようか!? てかそれ、アタシのことも殺す気か! この人殺し!」

 

「まだ何もしてねぇのにそれを言うか」

 

 

今までどんな修羅場を生き抜いてきたのか知らないが、流石にそれは肝が座り過ぎている。マジな声色で言われると本気でやりかねない危うさがハヤトにはあって、冗談だと分かっていても背筋が凍った。

 

とはいえ、今ので肩に入っていた余計な緊張が解れたスバル。「悪い悪い」と陽キャのテンション感で笑いながら適当に謝ってくるハヤトには心の中で感謝しておくとして、

 

 

「そういや。他の奴らは戻った自覚ってないのかな。エミリアちゃんは、アタシたちみたいな反応はしてなかったけど」

 

 

ふと、思った。他の人たちはどうなのかと。

 

エミリアに関しては言った通り。特に動揺する様子は見られず、迷子に向かって一直線。死に戻りの事実に足を止めたスバルを気にも留めず、完全に置いてけぼり。

 

あの優しさの権化のような子のことだ、あの瞬間の彼女は迷子にしか意識が回らなかったのだろう。泣きそうな子を前に、早く助けに行きたくて仕方なかったはずだ。

 

それが、世界が巻き戻った自覚がないことを強く裏付けている。だって、自覚があるのならスバルのような混乱ぶりを見せてくれたはず。

 

 つまりは、

 

 

「俺とスバルしか自覚がねぇ、っつーことだな」

 

「ラムって名前の子はどうなの?」

 

「いや。いつも通り、毒舌だった」

 

「いつも通りとは?」

 

 

自分のことを貞操無しの阿婆擦れ女扱いしてくれやがった、Sっ気の雰囲気漂う桃髪美少女メイド。毒舌美少女メイドとか、ソッチ系の男が大歓喜する要素が積まれまくった子。

 

どうやら、その子も戻った自覚は無いらしい。「いや、アイツならもしかしたら……」とハヤトは呟いているが、表情から察するにあまり期待できそうにない。

 

この場合の『アイツ』とは。スバルはラムのことだと解釈しているが、ハヤトの中では全く別の人物が思い浮かんでいたり。

 

 

「俺とお前しか自覚がないとなると……、そうだな。スバル、死に戻りのことは俺以外の人間には話すな」

 

「不審がられるから、ってことか」

 

 

「そういうこと」と、親指をハヤトにスバルは「分かった」と同じく親指を立てる。時間が巻き戻っているのだから、記憶のない人間に巻き戻る前のことを話しても伝わらない、少し考えれば分かることだ。

 

ハヤト的には、ループの内容に触れる発言をすればどんな事態を招くか知っているから、というのもある。なるべく、原作の知識をフル活用して未然に防げる悲劇は防ぐ気概。

 

そうなると、どうして自分と話している間は何もないのか不思議で仕方ない。ループ現象に巻き込まれていることも含めて、謎が深まるばかり。

 

しかし、そこで深く考えないのがハヤトという男。巻き込まれたのなら巻き込まれた。話せるのなら話せる。そうやって無理やり飲み込む。深く考えたところで、解らず終いになるのは明らか。

 

気にするだけ無駄——そんな風に事を受け入れるハヤト。決してそんな簡単に受け入れていいわけがないそれを簡単に受け入れる彼に、スバルは「ねぇ、ハヤト」と彼を見上げ、

 

 

「ここから、どうするんだよ」

 

「どうする、とは?」

 

「またあの女と戦うのか?」

 

「奪われたモン取り返すんだから、戦うことになるだろ」

 

 

避けては通れない道だとハヤトは思う。徽章を取り返すにはフェルトとの接触が第一関門であり、その奥にはエルザという化け物が待ち構えているのだから。

 

そうでなくても、実質負けみたいな終わり方で終われるほどハヤトの頭はお利口さんじゃない。腕を斬られ、仕留め損ねた挙句、スバルまで殺されて、黙っていられるわけがないだろう。

 

次は倒す。必ず倒す。もう二度と調子には乗らない。エルザという女の戦い方にも慣れてきたところだ、次は絶対にやれる。否、やる。やってみせる。

 

 

「心配すんな、スバル」

 

 

気合十分、負けん気がすこぶる強いハヤト。一度の敗北を越えてもその炎が絶えることのない彼の声は、心を燃やす高揚感に反して柔らかなものだった。

 

理由は一つ。膝を抱え込みながら真横に座る少女の体が、小刻みに震えているから。少年ではないことになんの違和感も抱かなくなった彼は、か弱い少女の横に片膝をついてしゃがみ、

 

 

「次は負けねぇし。お前は死なせやしねぇ。俺の前で人が死ぬのは嫌だからな。だから、安心しろ」

 

 

 ニカッと、笑う。

 

それはハヤトが他者を安心させるときによく見せる、太陽のように輝かしい笑み。その言葉に確証があるわけがないのに、負感情の一切が混入されていないそれを見てしまうと、スバルは不思議と安心してくる。

 

初めて出会った時にも感じた安心感。この男の隣にいればなんとなくいける気がする、と。根拠のない自信が心の底から湧き上がってくる変な感じ。お陰で、心を戦慄させていた感情が消えていった。

 

同時に、形容し難い感情の昂りも察した。胸が妙に熱くなって、目の前の存在から目が離せない。

 

 

「さて。そろそろ行くとするか。あまり話しててもラムに怒られるし」

 

 

一度、スバルの肩をポンと叩き、ハヤトは立ち上がる。自分と彼女の身に起きた現象の解明も済んだところで、彼は動き出すことにした。

 

打倒、エルザ・グランヒルテ。その攻略法が思いついたわけではないが、あの化け物を退却させる方法は分かった。一度、ぶっ殺してしまえばいい。そうすればあの女は逃げる。

 

できれば倒したい。倒して、一矢報いたい。が、一度目のループでそれは厳しいと悟った。そうやって自分の意志を貫いた結果が、現状に繋がったと彼は心に刻んでいる。

 

 

「スバルはどうする? ついてくるか?」

 

「あ、アタシは……」

 

「辛かったら、ここで待っててもいいんだぞ。全部終わったら迎えにきてやる」

 

 

言い淀むスバルに、ハヤトは言葉を畳み掛ける。死の恐怖を感じた直後に今の質問を投げかけるのは酷だと思う心はあるが、曖昧にしたままこの場を去るわけにもいかない。

 

今ここで、座り込む彼女の意志を聞く。それから自分は動き出そう。まだ一緒の来たいと言うのなら行動を共にするし、待ってると言うのならここに置いて一人で動く。

 

返答待ちのハヤト。考える時間を与える彼は黙ってスバルを見つめ、できれば後者を選んでほしいなと思い、

 

 

「手伝わせて。ここまで付き合ったんだから、最後までやる。乗り掛かった船、ってやつよ。それに、世界を遡ってる者同士、一緒にいた方がいい気がするでしょ?」

 

 

こちらを力強い目つきで見上げてくる彼女の意志に「そうか」とだけ。後者を選べと思いながらも、スバルならば前者を選ぶだろうなと分かっていた彼は小さく笑った。

 

彼女が自分の意志で恐怖に飛び込むと言うのなら、ハヤトは止めない。脆く、儚い覚悟であったとしても、少女が覚悟を決めたのだから。本人の意志を否定する気はない。

 

何かあるのなら、自分が彼女のことを守ってやればいいだけ話。頑張って力をつけたのは、そのためでもある。つまりは、ここからずっと頑張りどき。

 

 

「いけそうか? スバル」

 

 

故に、ハヤトは手を差し出す。座り込むスバルを立ち上がらせるために。彼女の心を蝕む死の連鎖から彼女を救い、一緒に戦ってあげられるよう。

 

この手を取られた瞬間からが、きっと始まりだ。ここから果てしなく続くであろう死の旅、その横に並んで歩く旅の始まり。

 

 

「うん。大丈夫」

 

 

差し伸べられた手を取り、引っ張り上げられながら立ち上がる。まだ少し怖いと思う心はあるけれど、もう体は震えていない。

 

死んだら世界が戻る。そんな常軌を逸した地獄かもしれない事態を引き起こすのは自分かもしれないけど、この男から離れるのだけは嫌だったから。

 

 

 死の共有者と共に、ナツキ・スバルの悲劇は、静かに幕を開ける——。

 

 






リゼロ3期、来ましたね。

さて、この小説が五章に入るのは何年後になることやら。


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