その戦いは、もはや人間同士の戦いとはとても言えないものにまで達していた。人間と人間が戦っているはずの戦闘は、しかし並の人間のそれを遥かに上回っている。
互いに至近距離戦闘を好む性質上、常に刃の射程圏内が戦闘区域となり、狭い空間で交わされ続ける殺意の応酬は恐ろしく苛烈。
叩き割る大剣が。しなる双剣が。唸る暴力が。その命に執念深く牙を剥き続け、加速して加速して止まらない。それは、思考という名の理性を置き去りにした本能と本能の純粋な斬り合い。
——脊髄反射。
それだけが、目で追うのがやっとな戦闘を成立させていた。
「あぁぁーーッ!」
ハヤトが吠え、大剣が動く。
百八十センチ近い身の丈にも負けない大剣が、エルザの真上から瓦割りのように落ちる。徐々に夕陽色に染まりつつある空を割らんばかりの一撃に、エルザの反応は迎撃。
剣速はエルザよりは劣るも、常人が回避できるような生半可なものではない。ましてこのゼロ距離で放たれれば、回避は至極困難。
故に、眼前に迫る大剣の動線上に、エルザは右の刃を割り込ませた。連動する左の刃が右の刃に重なり、交差する双剣が一瞬で防御姿勢を整え、
「おらぁ!」
火花が、散る。
「ちっーー!」
エルザが、吹き飛んだ。
重なる刃の上を滑る大剣に押し出され、受け切れなかった威力に細身が跳ねる。弾くことも、逸らすことも不可能。そう言わんばかりの斬撃は恐ろしく重たく、受け身を取るエルザは思わず舌打ち。
分かっている。あの男の繰り出す一撃一撃をまともに受ければ、こうなることなんて。だから今のは、流れる斬撃を受けざるを得ない状況を作り出された。
受ける以外の選択肢が、無かった。受け流すしかできない一撃に、受け流す時間を奪われた。
体勢を立て直す。
「らぁ!」
その背後に、猛々しい声が飛びつく。
回り込むハヤトが体を大きく捻らせ、片手で握りしめる大剣を薙ぎ払う。真横に描く一閃、一切の淀みもない刃は、はためくローブもろとも首を刎ねる軌道。もう片方の手は、そのローブに伸びる。
背後から感じる、肌が痺れるような殺意。凄まじい威圧感に対し、エルザの動きは最小だった。頭を下げる——ただそれだけの動作で、後方を確認しないまま軽々と避ける。
首を狙うのなら、狙われた部分を刃から逃がせばいいだけの話。斬撃の正確さが、回避の要因。背中に目がついているのかと疑うレベルだった。
「おかえし」
回避の時点で、反撃は始まっている。
振り返るエルザが双剣を薙ぎ、攻撃直後の腹部目掛けて切っ先が駆ける。狙いは狂わずの腸——心に染みついた欲望を宿す二振りが険悪に煌めき、鞭のようにしなる腕が刃を振り切る。
鮮血は、流れなかった。薙ぎ切る鋼は、主人が欲した血を浴びることはない。攻撃の動作を無理やり止めて背後に跳ねるハヤトには、その程度の反撃など反撃のうちに入らなかった。
「くそっ……、掴めねぇ」
苛立ち気味な表情を浮かべながら後退。自分の思い通りにいかせてくれない相手に舌打ちし、目の前にあるローブを掴むはずだった手を柄に戻す。直後、次なる攻防に息を詰めた。
両手で大剣を握り締め、追撃に躍り出るエルザと切り結ぶ。始まるのは、幾度となく展開された、瞬間で攻守が逆転する目まぐるしい殴り合い。刹那の油断も許されぬ、呼吸を忘れる殺意の応酬。
縦横無尽に大剣を振るい、直撃の軌道を双剣に受け流される。反撃に繰り出される斬撃の嵐を、思考を介さない感覚だけの反射のみで回避、あるいは迎撃して凌ぐ。
俊敏に動くエルザと、山のように不動なハヤトの、命の駆け引き。
ーーあのローブをなんとかしねぇと
視界の中を、目一杯に動き回るエルザ。牙を剥き出しにする獰猛な表情を見ながら、ハヤトは考える。時折、防御と回避の隙間を縫った斬撃に皮膚を割かれる痛みを感じても、思考に揺らぎはない。
あのローブを無力化する方法。今、自分に必要なのはそれだけ。それが自分が果たすべき最後の役目であり、親友に託されたものを守るための責任なのだから。
「道は作る」と言った以上、絶対になんとかする。男に二言はない。吐いた唾は決して飲まない主義。その代わり、彼らに後のことを全てを託すことにした。
だから、自分はこの衝突で全てを出し尽くしてでもあのローブを無力化する気概だ。それに、マナの残量にも気を回す必要が生じた事を察している。無理やり体を動かすためにアクラに注ぎすぎたか、干上がりそうな予感。
要するに、そろそろ、勝負に片をつける必要があるということ。
幸いにも、自分の馬鹿力があれば強引に引き剥がせるのは実証済み。隙があれば、前回みたくやれるはず。
ただ、前回みたくやると確実に腕が斬られるから、今回は大剣に頼る。握力ではなく腕力で、打撃ではなく斬撃で、あの忌々しいローブをなんとかしたい。具体的には、首元から下を全て剥がしたい。
剥がしたいのだが——、
「っぶね!」
隙が、全くない。
魔法から身を守る部分が背中にある都合上、必然的に背後に回り込む必要があるが。当然、エルザのような相手がそう簡単に背を晒すわけがなく、背に回る挙動を予測した剣先に阻まれてしまう。
ただでさえ隙の無い相手。その背後を取ることがどれだけ大変なことか。取れたとしてもローブを剥がすに至るには遠く及ばず、伸ばす手は必ずと言っていいほど虚空を撫でる。
その上、
「先ほどから後ろにばかり回ってくるけれど、私の背中になにか?」
相手に動きの変化を悟られれば、難易度はぐんと跳ね上がる。
明らかな挙動の異変に気づかれ、ハヤトは誤魔化しついでに「綺麗な背中だと思ったんでな。見たくなっただけだ」と、自分でも意味の分からない発言を一つ。
「ふふ。どうもありがとう」と、恍惚とした表情で返しながら襲いかかる双剣に目を細める。
最小限の動きで避けた一の刃が、目先の空間を裂き。真下から跳ね上がる二の刃には拳を振って迎撃、刃を握る手首を真上から叩き落とす。尚も執拗に振るわれる双剣だが、かすり傷以上の被害は与えられなかった。
警戒心を高めるエルザの背後を取り、ローブを剥がす——この状況では難しすぎる。エルザの警戒を突破する隙が上手く作れず、意表の突き方が脳内で形にならない。否、思考する時間がない。
なにか、隙を作らなければ。
でも、どうやって作ればいい。
今の自分にできることで、なにか——。
「——やい! エルザ! こっちを見ろぉぉ!」
その時だった。
不意に、ハヤトの思考を掻き乱す声が戦場に割り込む。張り上げた女性の声。大声を出すことに不慣れなのか、最後の方が裏返って間抜けに聞こえる、喉を張り裂かんばかりの大声。
死闘を展開していた二人の動きが同時に止まり、反射的に声の方向を見る。声の方向はエルザの後方——そこにいたのはフェルトと共に隠れているはずのスバル。
拳を突き出す彼女は、向けられた殺意に怯みながらも歯を見せて笑う。それから震える拳に握られた物体、ハヤトからすれば随分と懐かしい電子機器をエルザに向け、
「これでも、食らっときな!」
直後。
奇怪な音を立てながら白光が放たれ、声に釣られて振り返ったエルザの視界を眩く焼く。意識外に捨てた存在からの奇襲に、さしものエルザも動きに刹那の停滞が生じ、
「う、おおおお!」
その刹那が、フェルトに衝突する時間を作った。
スバルの体を目隠しとして、その横合いを駆け抜ける疾風が砂埃を舞い上がらせた瞬間、小柄な影がエルザの懐へ飛び込む。その間隔は、白光が放たれてから一秒もない。
この一撃に全てを賭ける覚悟。残像すら生む速度が全て乗る短剣を体全体の力で強く振り下ろし、しかし刹那の停滞を抜けたエルザによって最も容易く防がれてしまう。
——この瞬間、決定的な隙を晒したことにエルザは気づいていない。
「悪い子」
故に、冷え切った声を漏らすエルザはフェルトに斬りかかる。この胸を熱くさせる戦いに割り込む邪魔者を殺すべく、一撃離脱の動きを見せようとする小柄な影を頭からかち割り、
「よいしょぉぉ!!」
かち割れない。
必死な表情を浮かべるスバルがフェルトの腰に手を回し、抱き抱えて後ろに飛び退く。咄嗟の判断。スーパーミラクル。まじアタシすげー。回避に間に合わぬフェルトの跳躍を、スバルの跳躍が補った。
しかし、所詮は十八歳女子の跳躍。適度な運動は心がけていたとはいえ、子ども一人抱えた状態の跳躍などたかが知れている。斬撃の回避には成功しても、その後の追撃に対応する距離を稼げるわけがない。
だから、
「ハヤト!」
スバルが叫ぶ。
「兄ちゃん!」
フェルトが叫ぶ。
「「やっちまえ!」」
同時だった。
自分たちがここに来た意味。死の危険を冒してまで横槍を入れた理由。たった一度の名前呼びで、二人はそれを伝える。伝われと、強く思いながら。
それだけで伝わるかは、分からない。ハヤトがどこまで察しがいいのかは、分からない。そもそも自分たちがこれをした意味があるのかすら分からない。分からないけれど、
「——
そう叫ぶハヤトが、今日一番の声を上げながら大剣を振り上げているのは見えた。振り切った先に、エルザの体を覆っていた黒いローブがはためいて、宙を舞っている。
それは、スバルとフェルトが体を張って作った隙を活かしたハヤトが、全てを賭して最後の役目を終えた光景。今、首元から下が全て切り離されて、首周りだけとなったローブは完全に無力化された。
安堵——そんな暇など二人には無い。ここは命を奪い合う戦場。そんな場所に身を乗り出すことは、自分の命を敵対する存在に曝け出すことを意味する。
眼前。「やってくれるわね」とドス黒い殺意を燃え盛らせたエルザの双剣が目と鼻の先に——、
「ドーナ!」
瞬間。
主の短い詠唱に全霊で応える岩柱が、地面から空を穿たんばかりに突き出す。落ちる切っ先が殺意の矛先に到達する寸前、エルザの腹部を真下から打ち上げた。
背中のハヤトではなく正面の二人を殺そうとしたのが、エルザの判断ミス。振り返り、ハヤトに双剣を振るっていれば、不意を突かれることもなかっただろう。背中を晒したままにしたのが失敗だ。
内臓を圧迫する衝撃に、肺から酸素が吐き出て。己を穿つ柱が限界まで飛び切った途端、慣性に流される体が顎を真下から強く打たれたように反り返り、太陽が落ちつつある山吹色の空が視界一杯に広がる。
綺麗な色をしていると、場違いにも思った。その思考のまま、このまま飛ぶことができればあの空の向こうに辿り着けるのか。なんて考え、
「ーー!」
足首を掴まれる感覚が痛覚を刺激した直後、猛烈な勢いで世界が歪む。重力に従って自由落下するはずの体が物理的な力によって真下に引きずり下ろされ、そのまま地面に顔面から衝突。
何が起きたか。攻撃の手を止めないハヤトが大剣を手放し、自らの手で生み出した岩柱を蹴り上げて跳躍、舞うエルザの足首を掴んで地にぶん投げたのだ。
発揮できる力の全てを込めたそれにエルザの体がバウンドして地に伏せ、脳震盪さえ起こしかねない衝撃に倒れる。
ーー今しかねぇ!
広がる光景に、好機と見做したハヤトの双眸が見開く。予想だにしない援護によってこちら側の勝利条件が整った今、絶好の機会が回ってきたと本能が叫び散らしていた。
今。今この瞬間。今以外に考えられない。だからハヤトはある一点に血走った目をやりながら、叫ぶための酸素を肺に思い切り取り込んで、
叫ぶ。
「お前らぁーーッッ!!」
魂の叫びだった。
後方で構える三人の鼓膜をはっきり打つ声は、普段から大声を出すハヤトの中でも格別。おそらく、夕暮れの静寂が漂い始める貧民街中に轟いたであろう。
それはつまり、攻撃開始の合図。勝利へ繋げるためのバトンタッチ。この化け物との戦いに決着をつけるための勝利宣言。
——道は、作られた。
「あとはボクたちにお任せあれ!」
「ラム! 私たちの後に続いて!」
「承知しました!」
三人の声が順番に飛び交い、向けられた全幅の期待に応えるパックとエミリアが始めに動く。その横では、杖に蓄積させた風のマナが溢れた結果として荒れる暴風を纏うラムが出番を待っていた。
その二人によって姿を現すのは、二十を越える氷塊。解き放たれたマナが直径一メートルは下らない巨大な塊を次々と世界に作り出し、瞬時に装填完了。
隙は与えない、容赦なく打ち出した。
番えた矢で穿つように放たれた氷塊。ありえない初速を伴ってエルザへと一直線に突き進むそれは、標的へと寸分の狂いもない一斉射撃。直進の過程で四方八方に分かれ、獲物を取り囲む包囲網。
と、
「あの野郎ぉ……まだ!」
直撃不可避——己を取り囲むそれに対し、一か八かの離脱を図ろうとするエルザをハヤトの瞳は捉えた。
直撃まであと数秒もないにも関わらず、絶望的な状況にも関わらず、あの女の心は折れていない。
あの状態でも、まだ立てるのか。あれだけやっても、まだエルザ・グランヒルテという化け物は立ち上がるのか。取り囲む水色の氷塊を前にしても、その笑みは曇る気配がなかった。
驚愕。否、そんなの分かっていたことだ。短いながらも濃密な戦闘をしたハヤトになら、あの女がこの程度の連携で崩れないことなど、本能的に理解している。
だから、もう一手。
「落ち着け……」
最後の最後で、隠し球。
「外すなよ。カンザキ・ハヤト」
両足の裏で大地を踏み締め、体勢を整える。右腕を伸ばし、人差し指をエルザに向け、ハヤトは言った。
「ジワルドぉッ!」
極光が、エルザの片膝を貫く。
この土壇場で見事に照準を合わせた人差し指——その先から伸びる一つの熱線。触れるものの全てを見境なく焼き切る必殺の一撃が、一筋の光となってエルザの体勢を崩すきっかけを作った。
突然の事態に驚くエルザ。自分に何が起きたか把握しようとした時にはもう遅い。対応しきれなかった足が体重を支えきれず、体勢が崩れる。
貫かれた片膝が地につき。尚も足掻こうと生ている反対の膝に力を込め、
「——ふっ」
笑みを溢し、悟った。
黒い影が視界を覆い尽くし、包囲網から脱走しようとする存在を押し潰そうとしている。否、これからそうなるのだろう。全方位を囲むそれらが、至近距離で自分を睨んでいて——。
「じゃ、ばいばーい」
呑気な声と共に、パックは空に掲げた腕を振り下ろす。直後、その挙動を起点として氷塊がエルザに殺到。数の暴力が一つ、また一つと中心にいる存在に体当たりを始めた。
その光景、まるで岩石封じ。それも、相手の動きを封じるだけに止まらず、内側にある物体を粉々に押し潰して殺す勢いの岩石封じ。氷塊の上から氷塊が重なる度に、内部から何かが砕ける異音がするのが、その証拠だろう。
動きを封じる壁は一重、二重、三重、四重と厚さを重ね、全てが突撃し終える頃にはエルザの影は形もない。そこにあるのはただの氷塊が積み重なった、氷塊の山だ。
動きは封じた。ならあとは、
「ラム!」
「アル・フーラ!」
役目を果たしたエミリアがラムに呼びかけ、纏う暴風を解き放つ彼女が杖を振るう。数瞬しないうちに飛び出すのは、暴発寸前にまで溜めに溜めた風刃の一撃。
それは、ラムが発揮できる最大火力だったのだろう。あまりの勢いに煽られる桃髪と銀髪が、羽ばたくように大きく暴れた。
大気を切り裂きながら走る不可視の刃が、空間を吹き荒らしながら突貫。旋風と言っても過言でない風の渦が砂埃を巻き込みながら横倒しで進み、回転する刃が氷塊の山に接する——、
「ーーーー!」
轟音。
盗品蔵を半壊させる威力が、山を取り込む。
エルザがいるであろう中心部を一瞬にして飲み込み、鋼のそれと遜色ない切れ味を誇る渦巻く刃が、飲んだ物体をミキサーの如く粉々にし。砕かれた氷塊が回転に巻かれ、不可視の刃を水色に彩った。
かつて神童と謳われたラムの最大火力。その威力の高さは細かく語るまでもない。一撃で仕留める暴風が積み上がった氷塊の全てを粉塵状になるまで切り刻み、内部にいるエルザも同様だろう。
「これでトドメよ」
加速を得た横倒しの旋風を見ながらラムは一言。吐息し、最後まで魔法の結果を見送る。
手加減などない。そう語るような一撃は止まることなく直進し、進行上に建っている廃家に激突。壁を突き破り、中に侵入。食い足りないと言わんばかりの暴風が荒れ狂い、腐敗した壁やら床に牙を剥く。
結果、その勢いが収まる頃には、巻き添えを受けた廃家は半壊。渾身の一撃は触れるもの全てを跡形もなく消し、最後には二次被害を生んで四散するように消えていった。
もちろん。その一撃が直撃したエルザは、氷塊の山と同様に跡形もなく、
「……頼むから、これで退いてくれよな」
ハヤトにしては珍しい、祈るような声色が、この死闘に終止符を打つことになった。
対エルザ・グランヒルテ戦、決着。
上手くいけば次回で一章が終わる……かも。