少しでも望む未来へ   作:ノラン

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前回、上手くいけば次回で一章が終わるかもと書きましたね。

はい。いつも通りです。上手くいきませんでした。




努力の報われ方

 

 

 ——空間に、静寂が漂い始める。

 

 

数秒前までの激突が嘘のように静まり返る現象が起きたのは、ラムが氷塊の山もろともエルザを粉々にした直後のことだ。

 

戦闘直後に決まって訪れる、無音の時間。鳴り響いていた剣戟も、轟いていた気合いの声も、立ち続けていた地を蹴る音も、それら全てが形を潜めた世界。

 

空気を渡り歩く音の余韻が響き切れば、その世界は本当の意味で無音の時間に突入する。聞こえるのは、その中で死闘を繰り広げていた存在たちの浅く速い息遣いのみ。

 

嵐の前の静けさとはまた違った、静けさ。決定的な一撃が決まったことに、誰もが息を飲むような。戦いの結末を最後まで見届けるために、息を殺しているような。

 

 

「お、終わった、の?」

 

 

満たしていた戦闘音が消えた空間に、一番初めに聞こえたのは、スバルの声だった。勝手に保たれていた静寂の均衡が破れて、それをきっかけに全員の静寂が破られ始める。

 

フェルトを抱えながら咄嗟に飛び退き、尻餅。後ろに手をつく体勢のまま体が固まってしまった彼女は、エルザを仕留めた魔法の行き先を見つめたままだ。

 

バケモノであろうとも、流石にアレをまともに受ければ倒せただろう。そんな風に視線を外すスバル。外した視線が向くのは、片膝をつきながら「ふぅ」と深く吐息するハヤトで、

 

 

「多分、な」

 

 

スバルの声に反応。視線は崩壊した廃家に固定したまま、彼女に向けて右手をゆるゆる振っている。今の一撃で倒せたと思える彼女とは違い、エルザの性質を知っている彼は依然として警戒心が剥き出しだ。

 

しかし、戦う気は感じられない。輪郭を覆っていた黄金色のヴェールはそよ風に吹かれたように体から離れ、握りしめていたナックルと大剣を足元に置く姿は戦闘状態を解いたと判断していいだろう。

 

その姿が、スバルに安心感を齎した。全身の裂傷やら、右肩からの出血やら、玉のような汗やらを見ると別の不安が湧いてくるが、とりあえず命の危機は脱せたらしい。

 

 

「そうか……。それなら、本当によかった………」

 

 

告げられた戦闘終了の合図に、スバルは湧き上がる安堵の吐息を溢す。その脳裏には一度目のループで焼きついた悲惨な光景が流れ、心には形容し難い死の感覚が過っていた。

 

あんなことにならなくてよかった——それが吐息の理由。そう思うと、ハヤトという存在がいなければどうなっていたかと考えたくもない考えが浮上して、考えない方がいいと首を横に振って振り払う。

 

 

「ハヤトがいなかったら、本当にどうなってたか。アタシ一人じゃ、どうにもならなかったかも。いやぁ、マジで助かった。もう死なたくない」

 

「一回、死んだみてーな言い方だな。姉ちゃん。つか、いつまでくっついてんだよ。いい加減、その手ぇどけろ」

 

「あ、つい。抱き枕を抱いてると謎に安心する現象がアタシの中にふつふつと。まさか、ガキを抱いて安心するとは思わなかったけど」

 

「気色わりーこと言ってんじゃねーよ」

 

 

死に戻りの共有者が、こんなにも頼もしい存在であることに奇跡を感じて感慨深そうなスバル。命がある感動をひしひしと感じる呟きに言葉を挟みつつ、フェルトは身を捩って彼女から離れた。

 

落ちる短剣を回収。鞘に収めて懐に隠すように入れると立ち上がり、尻につく土を軽く払う。それから今だに尻餅をついた体勢のまま固まるスバルに手を伸ばし、

 

 

「その……さっきは助かった。姉ちゃんが助けてくれなけりゃ危なかった、と思う」

 

 

照れくさそうに言うフェルトに、スバルは唖然。しかしそれも一瞬のことで、素直に感謝の言葉を言える目の前の少女の態度に少しだけ笑みが溢れそうな予感がした。

 

お礼を言い慣れてないのか、視線を明後日の方向に向けながらのそれ。でも、ちゃんとその言葉を言えることに、根は良い子なんだと。フェルトに対する認識を少しだけ改め、

 

 

「つーか、ガキって言うな。アタシはこれでも十五だ。姉ちゃんだって大差ねーだろ」

 

 

「アタシは今年で十八だよ!」と騒ぐスバルの声を聞き、「そのガキっぽい面でかよ。恥ずかしくねーの?」と笑うフェルトの姿を遠巻きにして眺めるのはハヤト。

 

スバルのフェルトに対する認識がクソガキに固定化されたところで、彼は再び吐息。視線を半壊した廃家に戻し、頑張って立ち上がろうとしたのを中断した。

 

流石に無理をしすぎた。アクラを完全に解いた反動が疲労の重なる肉体に重くのしかかり、重力が何千倍にもなって地面に押さえてくる感覚に襲われている。

 

 今すぐには、動けそうにない。

 

 

「ハヤト!」

 

 

胡座をかいて座るハヤト。「疲れた……」と脱力する彼に声が掛かると、向けた視線の先には駆け寄ってくるエミリアの姿。その後ろから、パックとラムがゆっくりとした速度で近寄ってきているのが見えた。

 

察するに、治癒魔法をかけるつもりだろう。あの優しい彼女が傷つく自分を放っておくわけがないし。戦闘が終わったら治癒魔法をかける話にもなっている。

 

 尤も、

 

 

「——警戒!」

 

 

 まだ、終わってなどないが。

 

そうハヤトが思った矢先、狙ったようなタイミングでラムの声が全員の解けた緊張感をピンと張らせる。戦闘終了の雰囲気がそれだけで容易く壊され、突き抜けるラムの声にスバルとフェルトの背筋が一直線に伸びた。

 

戦闘していた者達に焦る様子は見られない。歯を食いしばり、無理やり立とうとするハヤト。肩を押さえてそれを止めようとするラム。目の色を変えるエミリアとパック。

 

その四人が見るのは半壊した廃家。あまりの威力に家の原型を保っていないその中——瓦礫の山から夥しい量の血を流しながら這い出てくるエルザ・グランヒルテだ。

 

 

「う、く……っ」

 

 

小さく開いた口から苦鳴らしい苦鳴を漏らしながら、立ち上がるエルザ。恐ろしいことにミキサーになったはずの肉体は原型を留め、その息の根は止まっていなかった。

 

しかし、自慢の再生能力を以ってしても完全治癒には至っていない。再生の間に合わぬ傷口からドス黒い血液がどばどばと流れ続け、あと数分もすれば出血死の未来に行き着くだろう。

 

 

「うっそだろ……。まだ生きてやがんのかよ!?」

 

「ちょっと待ってよ。笑えない冗談……っ」

 

 

それを加味しても、フェルトとスバルは動揺を隠せなかった。あの魔法の火力を見たなら尚更、体が無事であることに驚愕。傷が有るとか、そんなものは気にならない。

 

当然だ。ハヤトのジワルド(隠し球)。エミリアとパックの魔法。ラムの特大火力。三連コンボで完封されて撃沈したはずのエルザが、完璧に決まったと思った攻撃で死んだはずのエルザが、生きていたのだから。

 

 

「エルザ……。テメェ、どこまで人間やめてんだよ。まさか、その状態でまだ続けるつもりか? 次はねぇぞ」

 

「ハヤトの言う通り、そんなボロボロで戦えないでしょ? ここで無理に挑んでくるほど馬鹿な子だとは思いたくないけど。命が惜しいなら、退くことをお勧めするよ」

 

 

威嚇するハヤトの声に、警戒とは程遠いパックの声が重なる。極度に消耗した今、衝突することは不利益だと語る二人をエルザは見た。

 

それからエミリアとラムを見ると、「ふっ」と笑うように浅く息を吐き、

 

 

「……そうね。これ以上はあまり好ましくないみたい。続けても返り討ちにされちゃいそう」

 

 

ククリナイフを取り出そうとした、懐に伸びる手を止める。その手をハヤトに向けると人差し指をピンと立て、

 

 

「いずれ、この場にいる全員のお腹を切り裂いてあげる。——カンザキ・ハヤト。確かに覚えたわ。次、会ったときはまた私と戦い(遊び)ましょう?」

 

「上等ぉ。次はぜってぇに潰すからな」

 

 

指を差して叩きつけた挑戦状を、叩きつけ返される。今ここに一つ、新たな因縁が作られたことにエルザは静かに歓喜。

 

膝をぐっと曲げ、足に力を込めながら、頬を赤らめて「ふふっ」と不気味に笑い、

 

 

「それまではせいぜい、腸を可愛がっておいてね!」

 

 

 跳躍。

 

捨て台詞を残し、エルザは曲げた膝のバネを使ってその場から弾かれるように跳ぶ。

 

一度目の跳躍で形ある廃家の屋根に着地。二度目の跳躍で着地した屋根から姿を消し。三度目の跳躍に入ったときには既に、戦場にいる全ての視線から完全に外れる。人外的な俊敏な動きを可能とする、エルザの本領発揮だ。

 

後を追う者は、誰もいない。満身創痍の状態での機動力に驚くスバルをはじめとして、これ以上の戦闘を望む者はおらず、全員が逃げる背中を等しく見送り、

 

 

「……今度こそ、終わった?」

 

「みたいだな」

 

 

恐る恐るといった具合で再確認するスバルにハヤトが頷けば、死闘の幕は完全に閉じた。今回の死の螺旋、地獄のようなそれが続くはずだったスバルの運命が、ハヤトによって捻じ曲がった瞬間である。

 

もちろん。そのために払った代償は決して軽いわけではなく、

 

 

「あー、疲れた疲れた。体が馬鹿みたいに(いて)ぇ」

 

 

今回の一件で、一番奮闘したハヤト。

 

浅い傷から深い傷、打撲まで負った彼が脱力。ここにきて初めて——戦闘中、一切抜けることのなかった力を腕から抜く背中は弱々しく。「あいつ、強すぎんだろ」とボヤく表情には疲労が色濃く浮かんでいる。心なしか、呼吸も荒い。

 

そんな彼に近寄るエミリア。「動かないで」と一声かけると一番ひどい傷、刃物が刺さった右肩に両手を翳し、痛々しい傷に目を細めながら翳す手に灯した淡い青色の光を当てた。

 

 治癒魔法を、掛けているのだ。

 

 

(わり)ぃな」

 

「わるい? そんなこと思わないで。一番頑張ったんだもの。謝るのは私たちの方。一人で戦わせちゃってごめんなさい。もっと早く駆けつけてあげられてたらよかったんだけど……」

 

「気にすんな」

 

 

優しい温度に当てられて、じわじわ傷んでいた違和感が和らいでいく感覚。噴火していたアドレナリンの作用が消える体には、その感覚は心地良すぎた。

 

深呼吸。荒ぶる心臓に手を当て、ハヤトは心身ともに落ち着かせる。危機は去ったから、焦る必要などどこにもないと本能に呼びかけ、置いてけぼりだった理性に思考の主導権を差し出す。

 

 

「リア。そろそろ限界かも。さっきのでマナ切れ起こしちゃった」

 

 

本能と理性がバトンタッチするハヤト。戦闘が終わって本能が眠りつつある中、そう言ってエミリアの肩に着地するパックもまた眠たそうな声色だった。その体はエメラルドグリーンの輝きを薄ぼんやりと放ち、徐々に半透明になりつつある。

 

活動限界だ。ハヤトが見上げる空の色的にもそろそろ夕刻に入る頃。彼そのものの活動限界と、この世界に現出するためのマナが今ので底を突いたらしい。

 

 

「無理させてごめんね、パック。もう大丈夫だから、ゆっくり休んでて」

 

 

慈しんで、感謝の気持ちを込めた言葉に「うん」とパックは小さく頷いた。それから彼は消える前に一つ。「ハヤト」とその名を呼び、

 

 

「今日のことはありがとう。リアのために頑張ってくれたこと、感謝するね」

 

「やめろよ。それが俺の役目だ」

 

 

 ーーハヤト。明日、絶対にエミリアから目ぇ離すなよ。なにがなんでも徽章を奪われんな。

 

 

言うハヤトの鼓膜の内側で、その声が響いた。

 

それは、昨日記憶された親友の音声。今回、俺は何もしてあげられないからお前に全てを任せるよと、言葉そのままの意味で全てを託せてくれた声。

 

形として徽章は奪われ、一章は始まったが、結果的に解決したのだから別に構わないだろう。今、こうして無事に戦いを終えることができたのだから、彼だって許してくれるはず。

 

だからハヤトは、真剣な声で感謝するパックに軽く手を振り、

 

 

「アイツに託されたモン、守っただけだぜ。大した事したつもりはねぇよ。当然のことをしたまでだ」

 

「その、当然のことがすごいことなんだけど……。ま。ハヤトがそれでいいなら、別にいいや。とにかく、ありがとう」

 

 

「おうよ」と。

 

振り返るハヤトの笑みを満足そうに見届け、輝き度合いの増したパックが、その姿をいくつもの光球に変えて弾ける。そのまま宙に散らばるはずのそれらは、エミリアの胸元に飾られた緑の結晶石に吸い込まれるように入っていった。

 

パックが世界から姿を消せば、ハヤトの意識は自ずと別のものに移る。消えた大精霊の次に意識を向けたのは、真横で前髪を整えるラム。

 

相変わらず毅然とした佇まい。携えていた杖は懐の中に身を潜め、それが彼女の中で戦闘状態が解かれたことを静かに語っている。

 

自分を見つめるハヤトに気づいたのだろう。視線を絡めてくるラムに「なに?」と小首を傾げられると、ハヤトは「いや」と緊張が解けるように笑い、

 

 

「無事か?」

 

「一番無事じゃない人間がそれを言うの? 他人の心配よりも先に自分の心配をしなさい。ラムの心配なんて、百年早いわ」

 

 

人が少し心配しただけ、すぐでこれだ。相変わらずなのは、佇まいだけではなかったらしい。平常運転すぎて「ハッ!」と嘲笑すら飛ばしてきそうな勢い。否、実際に飛ばしてきた。

 

けれど、ハヤトは「へいへい」と笑みを深めるのみ。これがラムという少女ができる好感のある接し方だと、彼は理解(わか)っている。

 

実際、ラムの言うことは間違っていない。ハヤト以外の誰も傷付かなかったけれど、逆を言えばハヤトだけが傷ついたのだから。エルザが全員に与えるであろう傷を、彼が一人で背負ったのだから。

 

 

「帰ったらベアトリスになんて言われっかな」

 

「ロズワール様との鍛錬で半殺しにされて、ボロ雑巾になって帰ってきたテンテンを見たときの、レムの反応を想像しなさい」

 

「やべぇ」

 

 

ふと考えたことを言葉にし、挟まれた返答に苦笑しながら言葉を生む。その「やべぇ」には一体どんな意味合いが含まれているのか、正確に分かるのはハヤトだけ。

 

なんとなくしか分からないラムは、しかし全てを察したように「ハッ」と今度は別の意味で嘲笑。エミリアはハヤトの反応に「ふふっ」と微笑を一つ。

 

 

 ーー傷の手当てくらいはしてやるのよ。

 

 

屋敷を出る前、王都に行く自分たちを玄関前で見送ってくれたベアトリスは、自分にそう言ってくれた覚えがある。

 

用心棒として同行する割には完全武装しすぎだと気づき、今日は何かあるのかと勘付いてきたベアトリスには驚愕させられたものだ。姿一つで不審がられて、変に心配させてしまった。

 

つまり、今この状態で帰れば、自分を見たベアトリスに何を言われるかなど想像に難くない。

 

 

「エミリア。今ここで、傷を全て治すことは?」

 

「んーー。できることならそうしてあげたいけど、マナが足りないの。右肩(ここ)以外は軽くしか掛けてあげられないから、屋敷に帰ったらベアトリスに診てもらって。それか、自然治癒」

 

「だよな……」

 

 

ばっさり、切り捨てられたハヤトだった。

 

ダメ元だったから切り替えるが、帰ったときの彼女の反応が心配になる。()()()ほどではないにしろ、そこそこに傷ついた体。それを見たとき、なんて言うのか。

 

呑気なエミリアと異論を刻まないラムの中で、ベアトリスがハヤトを診る、という事について疑いが一切生じないのは置いておくとして。

 

 

「ま、帰ってから考えることにする。今から考えても仕方ねぇ。後のことは、後の俺に任せよう」

 

「そんな考え方だから、脳筋は後先考えずに突っ走るのよ。今回だって急にスバル(あの女)と話したいだとか、代わりにエミリア様を見てろだとか。自分勝手にも程がある。振り回される身にもなりなさい」

 

「誰かさんみたいに、後先考えすぎてヒヨるよりはマシだろ? そのせいでレムが苦労してる」

 

「私、どっちもどっちだと思うの」

 

 

 談笑の雰囲気。

 

ハヤトが戯けて笑い。ラムが呆れて笑い。エミリアが楽しくて笑う。

 

仲良しな空気感を感じさせ始めた三人は、その頭の中で誰を想像しているのか。各々が思い思いの感情で、表情を明るく彩った。

 

そこに近づく、一つの足音があった。おずおずと、申し訳なさそうな態度で、三人のほのぼのに足を踏み入れる存在。

 

 

「……あ、あのさ」

 

 

 フェルトだ。

 

わざわざハヤトの前に回り込む彼女の声色はか細く、威勢の勢いは衰えていた。否、それが当然の態度だろう。目の前の三人は、自分が物を盗んだ人間たちなのだから。

 

何か言おうとして、俯き、言い淀むフェルト。そんな彼女にエミリアとラムが口を開こうとして、ハヤトに手で制される。「なんで?」と二人して目で語れば、「黙ってろ」と首を横に振られた二人だった。

 

前にいる三人が、目と仕草だけで意思疎通しているとは思わないフェルト。右拳を握りしめる彼女は「よし」と自分にも聞こえない声量で呟くと、ぐいっと顔を上げ、

 

 

「これ、返すよ」

 

「これ、って………あ! 徽章!」

 

 

驚くエミリアが見るのは、差し伸ばされた右の拳。閉じられたそれが開き、中に置かれていた目当ての物体。赤色の宝珠が中心に埋め込まれた三角形——間違えなく徽章。

 

見て思い出したかのようなエミリアの反応に、ラムが心の中で「まさか、忘れていたわけではないですよね?」と表は無表情のまま半笑いする中、当の本人は小首を傾げ、

 

 

「でも、いいの?」

 

「奪われた姉ちゃんがそれを言うのも変な話だな……。さっき、アタシを助けてくれただろ? だから、そのお返しっつーか。そんな相手に不義理な真似はしたくねーんだ。それに………」

 

 

と、フェルトは言葉を止め、息を吸う。頭の中で言葉を作ると、エミリアと同じように目を丸くして驚くハヤトを真っ直ぐな目で見た。

 

 

「そこの兄ちゃんが、命懸けでバケモンからアタシを守ってくれようとしてたんだ。問答無用で襲いかかったアタシを、だ。だから、その……盗んだモンは、ちゃんと返す」

 

「俺と交渉して、買い取ってもらう話はいいのか?」

 

「いいよ。元々、アタシが始めちまったことなんだ。その不始末の決着(ケリ)も自分でつけられねーんじゃ、情けねーってもんだしな。せめて、これくらいはさせてくれ」

 

 

「今回は、アタシが悪かった」と。

 

悪ガキ感満載だったフェルトは、三人に対して軽く頭を下げる。腰を折ることはなかったけれど、その素直な態度に誠意が宿っていたのは伝わった。

 

徽章を返す判断に至ったのは、本当はそれだけじゃない。エミリアに、ハヤトに命を救われて、確かに恩は感じたけれど。でも、それだけがフェルトの心を動かしたわけではなかった。

 

カンザキ・ハヤトという男の真っ直ぐな態度に、不本意にも感化されたとでも言おうか。

 

初めて出会った、ロム爺以外に温かい言葉をかけてくれる貴族らしくない貴族。自分のことを見下すことも、ひどい扱いをすることもない、貴族にしてはとてもおかしな奴。

 

敵である自分と純粋に戦いたくないとか、なんの冗談かと初めは思った。どこまで自分を見下して、ふざけた態度をするのかと激怒した。

 

 けど、

 

 

 ーーお前は、ちゃんと俺らから徽章盗んだじゃねぇか。盗みは悪いことだが、その努力は(ちげ)ぇねぇ。

 

 ーーあんなヤツの言うことなんざ聞く必要はねぇ。自分のしたことに対して堂々としてろ。

 

 

エルザに馬鹿にされたとき、迷いなくそう言ってくれた言葉は、ひどく温かいものだった。盗まれた側なのに、その努力を褒めてくれた。認めてくれた。すごいと、言ってくれた。

 

だからだろうか。戦いたくない——その言葉が本心であると思ったのは。貧民だとか、貴族だとか、そんな下らない立場に拘らず、対等な存在として接してくれる男に、少しなら心を開いてもいいと思えたのは。

 

 それら全部まとめて、

 

 

「なんつーか。兄ちゃんには、色々と……助けられた」

 

「色々と、って?」

 

「い、色々は色々だよ! 詳しく聞くな!」

 

 

不思議がるエミリアに雑に返し、フェルトは治癒の完了した彼女の手に徽章を押し付けて渡す。話す最中にもハヤトの右肩の治療を行い、たった今、それが終わった。

 

治癒された右肩を回すハヤトが「ありがとうよ、エミリア」と笑いかけ、「どういたしまして」と笑い返すエミリア。

 

そのやりとりを見ながら、フェルトは「ふん」と鼻を鳴らし、

 

 

「次からは盗られねーようにしろよな!」

 

「あなたにそう言われるのって、すごーくへんてこな気分ね……。正論だから言い返せないけど」

 

「ですが、無事に戻って安心しました。これで、刎ねられる首が二つから一つ減りましたね。ラムの杞憂も要らないものになりました」

 

 

「ん?」と、低く唸るハヤトはさておき。初めはどうなることかと思ったが、こうして無事に徽章が返ってきて一安心のラムとエミリア。

 

聞き間違えだろう。そんな風に受け流すハヤトも深くは突っかからない。「あ、そうだ」とポケットに手を突っ込む彼は中を弄り、

 

 

「じゃ、これ。受け取ってくれ」

 

「これ……? えっ!?」

 

 

ポケットの中から出てきた、手に握られていた物体。差し出されたそれを見た途端、フェルトの目が輝いた。目だけでなく表情までも輝く様は、予想外なサプライズに喜ぶ姿の他にない。

 

実際にそうだった。フェルトは今、予想外すぎる出来事に驚き、開いた口が塞がらなかった。塞ぐよりも先に、眼下にある四つの物体に意識が釘付けになってしまう。

 

 なぜなら、

 

 

「聖金貨四枚!? い、いいのかよ! これ、だって兄ちゃんの……」

 

「徽章を買い取れる額じゃねぇから出さなかったが、今はそういうわけでもねぇ。徽章を返してくれたお前に対する俺からの礼、ってことでよ。どうせ使わねぇんだ」

 

 

「今日は、それで美味い飯でも食いな」と、溌剌とした様子のフェルトにハヤトは笑う。その笑みには一切の含みはなく、嘘偽りのない謝礼だと彼女は理解した。

 

今日は王都に行く予定があるから、念のために忍ばせていたものだ。というか、街などに出かける際は必ずお金を持って行くのがハヤトという男。故郷でも癖だったそれが、こんな場面で吉と出た。

 

この世界において最も価値のある通貨——聖金貨。通貨の基準が不明だからハヤトにはその価値がイマイチ分からないが、反応からして凄まじいらしい。食いつき方が尋常じゃない。

 

 

「本当に、いいのかよ?」

 

「いい、っつってんだろ。ほら。早く取らねぇと引っ込めんぞ」

 

 

言った直後、焦るフェルトの両手がハヤトの手の平に伸び、その上から聖金貨四枚を取る。流石盗人と言うべきか、取ってから懐に隠すまでの動作に迷いはなかった。

 

慣れ親しんでいるのだろう。それはそれで悲しい話だが、今の彼女を生き延びさせているのがそれだと思うと、強く否定することはハヤトにはできない。

 

必死に足掻いて、現状に抗って、その結果が今のフェルト。ならば、ハヤトに口出しする権利はない。生きようと懸命に頑張る人間に、第三者が余計な事を言う資格などないのだ。

 

 

「後悔してもおせーぞ。もう、兄ちゃんには返してやらねーからな」

 

「疑い深いな……。別に、それで構わんぞ。それはお前のモンだ。使いたきゃ使えばいいし、貯金したきゃ貯金すればいい。お前の好きなように、大事に使え」

 

 

 ーーもう二度と、こんな機会はないからな

 

 

言葉を自分の中で閉じ、ハヤトは親指を立ててグーサイン。その両サイドにいるラムは「はぁ」とため息をつき、エミリアは敵の心を完全に開くハヤトの会話術に感心気味。

 

人が良すぎると言うべきか、なんと言うか。ここでお金を渡すとは思わなかった二人だ。それ以前に、持ってきていることすら知らなかった。

 

ハヤトが働いて得た給金だから口は挟まないけど、もっと使い方があっただろうにと思わなくもない。渡したのが聖金貨な事実を考えると、尚のこと。

 

どうして渡したか。そんなの決まっている。

 

 

「ありがとな、兄ちゃん!」

 

 

フェルト(推し)の笑顔が、とても見たかったから。

 

初めて見せてくれた満面の笑みは、今までの全てが報われたような気にさせてくれるほどに破壊力があった。聖金貨を渡されたことも含めて、様々な意味が込められた「ありがとな」に、冗談抜きで呼吸が止まる。

 

 ずっと、それが見たかった。

 

 その純粋な笑顔が、見たかった。

 

 子どもらしい素直で無邪気なそれに辿り着きたくて、今の今まで頑張ってきた。

 

 

「ハヤト。俺の名前は、カンザキ・ハヤトだ」

 

 

だから、もう少し先。辿り着いたその先をハヤトは望む。せめて、名前で呼んでほしい願望に喉を震わせる。

 

決して、そんなハヤトの意図を察したわけではない。けれど今のフェルト——聖金貨が四枚という嬉しすぎる事実に歓喜するフェルトは、その名に八重歯を見せて笑いかけ、

 

 

「ありがとな、ハヤト!」

 

 

 心臓が止まるかと思った。

 

正面、すぐそこで弾けた笑顔に、ハヤトは釣られて笑むのを我慢できない。気持ち悪くニヤける口元に手を当てて隠し、溢れる笑声が飲み込めずに音として溢れた。

 

きっと、レムに愛を告げられたテンはこれ以上の感覚を味わったんだろうなと、ハヤトは不意に思う。自分の推しに愛を告げられるなんて、本当に羨ましすぎる。自分も言われてみたい。

 

否。彼の場合は、『この世界のレム』と『アニメのレム』は別の存在だと認識しているから、推しに愛を告げられた感覚はゼロだろうか。レムという心を持った一人の女性に、告げられた感覚——。

 

なんだっていい、とにかく羨ましい。

 

 

「頑張ってきてよかった」

 

「ーー? よく分からないけど、お疲れ様と言ってあげる」

 

 

推しに名を呼ばれて感動し、瞼の裏側が着実に熱される感覚——咄嗟に空を見上げた。隣のラムは理解できないが、とりあえず労いの言葉をかけながら、一度だけ背中を優しく叩く。

 

二度、フェルトの名を呼んでド直球に「気持ち悪い」と言われた彼からすれば、これは嬉しすぎた。それだけ嫌われていた相手からの名呼び——それ一つで努力が報われる。

 

本当に、本当に、頑張ってきてよかった。

 

 

「じゃ、アタシはそろそろ行く。ロム爺ぃんとこ行って今日の交渉は無しだって伝えなきゃだし。今日は色々と助かった。ハヤト達も早く帰れよ」

 

「そうね……。もう観光は十分でしょう。ラム達も屋敷に帰るとしましょうか」

 

 

フェルトがこの場から去る気配を匂わせると、便乗するラムが手を鳴らして空気を整える。

 

名を呼ばれた余韻に浸る、泣きそうなハヤトはともかく。それで気持ちを切り替えたエミリアは「えぇ」と柔らかく微笑み、

 

 

「あなたも、元気でね。もう、こんなことしちゃダメよ。また盗んだりしたら、次こそ容赦しないんだから」

 

聖金貨(これ)まで貰った相手に、んなことやらねーよ。じゃあな。強く生きろよ!」

 

 

貧民街では決まり文句のような言葉を置き、フェルトは三人に背を向けて駆け出す。疾風を纏わずただ走る背中は、その直線上に夕陽があるのも相まって夕陽に向かっているようにも見えた。

 

遠くなる背中。小柄なこともあってその姿が小さくなるのに時間は使わず、最終的に曲がり角を曲がってその姿を消した。

 

そんな背中を見送ったハヤトが「ふぅ」と吐息。脱いだ白の羽織を着ると大剣を鞘に納刀。ナックルをベルトのフックに引っかけ、肩掛けの鞘を背負う。

 

帰宅の準備を整えると、感動の余韻が完全に心に染み渡る彼は、「うし!」と声を上げ、

 

 

「気分よく終わったところで、俺らも帰るとするか! 今日はよく眠れる気がするな!」

 

 

死闘直後という事実を忘れさせる元気さを取り戻したハヤト。鼻歌を歌う彼は誰がどう見ても気分が良さそうな雰囲気で、帰路に着くために歩き始める。

 

 

「名前を呼ばれたの、相当嬉しかったようですね。これは……ベアトリス様にご報告案件では?」

 

「ずっと前から思ってたけど、ハヤトってやっぱり小さな子が好きなのかしら。アーラム村の子どもたちの話とか、よく聞かせてくれるし」

 

「その言い方だと、随分な語弊が生じる気がしますが。……いいえ、生じさせる脳筋が悪いということにしましょう」

 

 

その背を追うのは、ラムとエミリア。言葉を交わす少女たちは前を歩く男の単純さに呆れる思い。けれど、その単純さがハヤトらしくて好感が持てるのだろうと思っていたり。

 

とりあえず、帰ったらベアトリスにこの事を言っておこうと思うのは二人共通のことなのであった———。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、待て待て待て待て! なに、勝手に終わらせようとしてるの!? 爽やかにエンディング迎えそうだけど、このアタシ、ナツキ・スバルのターンがまだ残ってるんだけど!? ちょ、ちょ待てよ!」

 

 

 

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