『腸狩り』エルザ・グランヒルテとの死闘を終え。フェルトとのわだかまりも解決。主にハヤトが命懸けで頑張った結果として、死のループから脱することができたスバル。
誰も死ななかった、誰も悲しい思いをしなかった。敵対する存在を除いて、みんながみんな幸せ気持ちで終われる形。王道系主人公カンザキ・ハヤトという男がいるからこそ、自然に成り立つ幕引き。
一難去ってまた一難。そんな地獄を乗り越え、三人並んで歩く絵面は正しく、万事解決———。
「——って、終われると思ってんじゃないよ! まだここに、アタシという重要人物が残ってんの! ハッピーじゃないアンハッピーなアタシが置き去りになってんの! ハッピーエンドにはまだ早いってば!」
と、いうわけでもなく。
帰ろうとするハヤトたちの背を追いかけ、歩く足を止めるため進行方向に割り込み、通せんぼ。大きく広げた両腕を慌ただしく動かすスバルは必死な様子で声を荒げ、目の前の三人に己の存在を激しく主張。
まったく、笑えない冗談だ。自分だってそれなりに頑張ったというのにこの扱い。確かに巻き込まれたのは自分からだが、存在感空気扱いされるとは思わなかった。
その上、
「うるさいわね。いったい、なにが気に入らないの。貞操無しの阿婆擦れ女」
「まだそれ続いてたのね!? いや、気に入る入らないとかじゃなく、アタシを放置したままエンディングとかおかしいでしょ! 普通もやっとするでしょ! 普通!」
こうして面と向かって雑に扱われてしまえば、スバルの不満は爆発した。元から、自分一人だけ仲間外れにされたような気がして気に入らなかったのだから、その感情は積もるばかり。
対する三人——軽快に笑うハヤトと、はっとするエミリア。その二人よりも少し早く反応したラム。表情で面倒だという意志を語る彼女は焦るスバルを適当に鼻で笑い、
「しないわ。貞操無しの阿婆擦れ女のことなんて一瞬で忘れられるもの。道端で会った女のことを覚えてられるほど、ラムは暇じゃないし」
「辛辣! 優しさの欠片もないよ、この子!」
「そもそも、ラム達の問題に勝手に首を突っ込んできておいてその態度はなに? 一日一善だか知らないけど、身の程を弁えなさい」
こちらの言葉を無視した正論すぎる言い分に、スバルはぐうの音も出ない。冷たい瞳と切れ味のある声色でバッサリ切り捨てられ、返す言葉が上手い具合に頭の中で作ることができなかった。
確かにそう。三人からすれば、自分らの問題にスバルという部外者が取ってつけたような理由と共に踏み込んできたようなもの。ラムがその反応なのも、分からなくもない。
けれど、死に戻りの共有者が向こう側にいる以上、関わらないという選択肢にはスバルにはなかった。世界で唯一、その現象を共にする存在から離れるなんて、できるわけがないのだ。
それ以前に、スバルはカンザキ・ハヤトという名を持つ存在に自分と近しい感覚を感じ取っている。この世界に来て早くも見つけたかもしれない——
「まぁ。そう言うなよ、ラム」
スバルに期待を抱かれていることなど知らないハヤト。ひとしきり笑った彼は、スバルの存在を忘れかけていた呑気な自分を心の中でぶん殴りながら、
「理由はなんであれ、俺らに協力してくれたことに変わりはねぇ。そのおかげで、こうして無事に戦いを終えることもできたしな。お前らは知らないだろうが、フェルトと話すきっかけを作ろうとしてくれたのだってスバルなんだぜ」
「結果としちゃ、上手くいかなかったけど」と付け足し、ハヤトは小さく笑む。始まりこそスバル自身が私情的な理由で首を突っ込んだかもしれないけど、それが無かったらこうはいかなかったと。
何もできないなりに、頑張ろうとしてくれた。その根底に何があろうとも、事実は変わらない。フェルトに顔をバレているハヤトの代わりに自分が行くと言ってくれた事を、ハヤトは忘れない。
「それに」と。スバルの横に並んで腕を組み、
「エルザに勝てたのは、他でもないスバルのお陰だ。フェルトがエルザに一撃叩き込んだのもそうだが、その大前提にあるのがスバルの活躍。スバルがエルザの意表を突いて隙を作らなかったら、あの展開は成立しなかっただろうよ」
淡々と、スバルの活躍を語るハヤト。
依然として浮かべた笑みのまま話す彼に、エミリアは「確かに、そうかもしれないわね」と口元に手を添えて小さく頷き。ラムは都合よく美化してそうなハヤトの言い方に目を細め。スバル自身は「そうだそうだ」と腕を組んでドヤ顔。
決して、全てが全てスバルのおかげというわけではない。この場にいないパックを入れたハヤトたち四人がエルザを追い詰めて、彼女を消耗させたことも勝因の一つとして考えられるだろう。
けれど、彼女の行動が勝利の起点となったのも確かなこと。確実にエルザを仕留めるためにハヤトが隙を作る——そのためのチャンスを作るために一役買ってくれたのだから。
だから、
「感謝くらいは、な?」
言いながら、ハヤトはラムとエミリアを見る。手を軽く広げて戯けるような仕草をして、感謝の言葉を促すように小首を傾げた。
ラムは表情を変えぬまま沈黙。しかしエミリアは「うん」と優しく微笑んだ。スバルの活躍を素直に認め、感謝の念を胸に抱く彼女は紫紺の瞳でスバルの黒目を一直線に見つめると、
「ありがとう、スバル! スバルのおかげで、すごーく助かっちゃった」
「ぐあああ! 笑顔が眩しい!」
同性ながらも思わず見惚れそうな純粋無垢な笑みに、スバルが目に手を当てて眩しさアピール。こんなに可愛い笑顔見れるとは、流石異世界ファンタジーと。こんな場面で異世界を味わう。
ともかく。自分の反応に「ど、どうしたの?」と困惑するエミリアには「エミリアちゃんの笑顔があまりにも可愛すぎて……」と返しておくとして。スバルは視線をラムに移し、
「ヘイ! そこの桃髪ガール! 君もアタシに何か言ってくれてもいいんじゃないの? この超絶頑張った功績者の一人に! ハヤトの言った通り、アタシのフラッシュが無かったらこの戦いには勝てなかったと言っても過言じゃ——」
「ハッ!」
「お願いだから最後まで言わせて!?」
指を鳴らし、立てた人差し指を己の胸に突きつけてキメ顔。テンション高めな様子で今回の活躍を捲し立てるスバルに、ラムの対応は揺るぎない。
嘲笑。たったそれだけで簡単に跳ね飛ばす。嫌われているわけではなさそうだが、言葉を発さないことから察するに、完全にめんどくさがられている感満載である。
天と地な対応の差を受け取ったスバル。素直な感想を言ってこないラムに物申そうと口が動くも、引っ込める。ラムの目がこれ以上の対応は受け付けないと語っていたからだ。
「つーかよ、スバル」
ラムからの感謝は期待せず、エミリアの天使の笑みが見れたから良しとする——ハヤトから声がかけられたのは、スバルがそんな風に考えていたときだった。
声に釣られて真横を向く。そこには指の関節を鳴らすハヤトがいて、
「お前、俺に聞きたいことがあんじゃねぇの? 街中で会ったとき、そんなこと言ってたよな?」
ゆるい声で言われた言葉に、スバルは自分がここにいる意味を思い出した。衝撃的なことが立て続けに起こって流しそうになっていた、自分がハヤトに声をかけた理由を。
「あ、そうだったそうだった」と、手を叩くスバル。聞きたい内容を頭のど真ん中に置く彼女は体の向きを変え、ハヤトと向き合う。自然、ハヤトもスバルと向き合い。両者が向かい合った。
今からスバルが問いかけることは、この世界の人間からすれば意味の分からないことで、けれど自分と同じ境遇ならば伝わること。だから、場合によっては変に思われてしまうかもしれない。
だからだろうか。できれば後者であってほしいと願う心と、後者でなかったときの悲しみを味わいたくない心が半分半分で。
なんとなく、緊張するスバルだ。
「一目見たときから、思ってたんだけど」
それでも、スバルは言葉を紡ぎ始める。一音一音、声を形として届けるように。隣から向けられるエミリアとラムの視線を感じながら、その意識は目の前に立つ男だけに向けて。
「色々と理由はあるけど、やっぱり感覚的に、っていうか。なんとなく、アタシと似たようなものをハヤトからは感じるの。ハヤトの雰囲気って、親近感が湧くというか、なんというか」
上手く言葉にはできない何かが、ハヤトにはあるとスバルは思う。自分が慣れ親しんだ感覚を、この男は放っているとスバルは感じる。
言葉に形容し難く、全ては直感的なものだ。でも、心が「そうだ」と言って譲らない。この男は自分と同族であると、この心は直感的に察している。
黒髪だとか、黒目だとか。名前が異世界人っぽくないとか、顔つきが日本人っぽいだとか。それらしい理由は見つけようとした分だけ見つかるけど。
やっぱり一番は、纏う雰囲気だから。
「ハヤトって、『日本』って言葉……知ってる?」
それに全てを賭け、問いかけた。
その言葉が世界に木霊するのを聞きながら口を閉じ、スバルは沈黙。イエスかノーか。半分はない。その答えが返ってくるのをじっと待つ姿勢、祈るような目でハヤトを見る。
イエスなら歓喜。ノーなら落胆。イエスであれと強く念じるスバルに、ハヤトは「あーー」と顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。
それが数秒続くと、己の中でなにかしらの結論を出したのか「なるほどな」と口角を釣り上げ、
「知ってるぜ。そこは俺の生まれた国だ」
「ってことは……!」
途端、不安の色がスバルの表情から霧散。自分の直感は狂っていなかった確信を得ると、緊張感が解れる歓喜に表情を明るくしながらハヤトに詰め寄った。
黒目が期待に輝くそれは、進級したクラスに仲良しな友達がいたときの喜び——その数億倍もの喜びが色濃く宿っている。否、スバルの現状からして、その反応が当たり前だ。
ハヤトは親友とこの世界に飛ばされたのに対し、スバルはたった一人。頼れる存在が一人としていない孤独からのスタートは、さぞ恐ろしかっただろう。自分だって恐ろしいと思うに違いない。
だからハヤトは、そんなスバルに破顔。いつもの太陽の笑みを浮かべると近寄る肩に手を添え、
「お前も、俺と同じか」
「同じ……。そうだよ……そうだよそうだよ! 同じだよ! 同じなんだよ! ハヤトはアタシと同じなんだよ! アタシもハヤトと同じなんだよ! 日本で生まれたんだよ……!」
ぶわっ、と。
何かが溢れ出した音が聞こえたとき、スバルは声を大にして心に落ちる言葉を繰り返していた。自分の望む答えが普通に返ってきたことに心の底から喜び、感極まってハヤトの肩を揺さぶる。
家族も、友人も、知り合いすら一人もいない異世界召喚。召喚されたはいいものの、どうすればいいのかも分からず、このままいけば間違えなく路頭に迷って孤独感に蝕まれるのは確実。
そんな現状を打破してくれる存在は、ここにいた。凄まじく心強くて、優しくて、男らしい。死に戻りを共有してくれる人が、同じ境遇の人が、自分にとって希望の光だった。
「嬉しいのは分かるが。とりあえず落ち着け。今、割と体とか痛めてるから。あんまり揺するな」
「あ、ごめん。ドラマばりの運命的な出会いに感謝感激雨霰だーーってアタシの心が感動してて」
平然と言われたことに気付かされ、スバルはぎゅっと掴んでいた肩を解放。「別に、構いやしねぇよ」と笑いかけてくるハヤトを見ると、その笑顔から目が離せなくなる。
そんなスバルとは反対に、ハヤトは落ち着いていた。掴まれた肩が地味に痛むのを感じつつ、昂る彼女を態度で落ち着かせている。彼女が自分と同じ召喚者だとは把握の上、特に反応する部分はない。
「ちょっと」
不意に、ハヤトとスバルの間をラムの声が通り抜ける。
質問と回答が済んだ二人は、声が流れてきた方向に視線をやると、見えたのは澄まし顔で腕を組む声の主の姿。そして、可愛らしく小首を傾げるエミリアの姿。
「ラムとエミリア様を置いて、勝手に話を進めないでほしいのだけれど」
「その……ニ、ニホン? ってなに?」
空気を読んで黙っていたか、あるいは話に参加するタイミングを逃したか。話が着地するまで言葉を挟まなかった二人の疑問に、ハヤトは「んーー」と喉を低く唸らせる。
今ここでそれを語り出すと、話が長くややこしくなる予感しかしない。この二人に納得してもらえるような説明の仕方が思い浮かばず、余計な苦労がかかりそう。
というより、話すのがめんどくさい。エルザと戦って疲れている中、難しいことを考えるのは遠慮したいハヤトだ。
だから彼は、説明しようとするスバルに目配せ。目で「何も言うな」と静かに語り、
「別に、お前らが気にすることじゃねぇよ。今のは、ちょっと確認されただけだ」
「なんの確認?」
「俺がスバルの思うような人間かどうか、のだよ」
意味の分からない説明に、傾げた小首の角度が増すエミリアが「どーゆーこと?」と眉間に皺を寄せた。その様がテンとよく似ていて、不覚にも面白く見えたラムもまた「は?」と理解に苦しむ。
しかし、二人はそれ以上の追求はしない。意識を自分らから外したハヤトの様子から、追求の受付拒否を察した。彼の視線は、既にスバルに移されている。
「にしても、まさかスバルもだったとはな。お前の口からカタカナが飛び出てくる場面があったから、まさかとは思ってたが」
「アタシだって驚いたよ。アタシの初期位置にドンピシャでハヤトがいて、ハヤトもアタシと同じって。これもう、運命だ。運命だね。運命としか言えない。うん、そうだそうだ。ハヤトもそう思うでしょ?」
「そうだな」
「適当か」
テンポのいいノリツッコミを交わし、スバルは笑声を漏らす。自分が召喚者であると分かって余計な緊張感が抜けたか、声から力が抜けつつあるような気がハヤトにはした。
心なしか、強張っていた表情も柔らかく見える。一度は死んだというのに、逞しいことだ。エルザの意表をついたときといい、意外と肝が据わっているのかもしれない。
そう考えるハヤトは、まさか自分の存在がスバルの心を支えているなんて思わないだろう。
「実はよ、スバル。俺ら以外にも——」
「ねぇ、ハヤト」
話を続けようとしようとしたところで、エミリアの声がそれを遮った。気になるところで止められたスバルが「俺ら以外にも、なに?」と聞き返すのを横目に、ハヤトはエミリアを見る。
視線を向けられたエミリアが見上げるのは、夕陽色が落ちて夜空に変わりつつある空。空の色を確認した彼女は視線をハヤトに戻すと、人差し指で空を指差し、
「そろそろ帰らない? 日も落ちてきちゃったし、早く帰らないと屋敷に着くのが遅くなっちゃうわよ」
「エミリア様の言う通りだわ。日が落ちすぎると地竜を走らせるのが危険だから、最悪野営する羽目になる。これ以上、その女との話が長引くようなら、脳筋を置き去りにしてでもエミリア様と帰るけど?」
面倒そうな表情が、苛立ちの表情に変化しつつあるラム。冗談だろうけれど、その表情と態度が相まって全く冗談に聞こえないのが、彼女の恐ろしいところ。
それは勘弁してほしい。「分かった分かった」と手をひらひら振って適当に返事するハヤトは先ほどの会話の流れを切ると、
「スバル。お前、これからどうすんだ?」
「これから……って?」
「帰るところはあんのか、ってことだよ」
どきん、と。
自分の心臓が大きく跳ね上がるのを、スバルは自覚する。一度でもそうなれば、彼女の鼓動が焦燥に加速を始めるのに時間はかからない。柔らかくなったはずの頬に、緊張が戻る。
ずっと不安だったことが、やってきた。考えないようにしてても、ふとした瞬間に考えてしまうことが。
ーーこの一件が終わったら、アタシはどうなる。
ハヤトに聞きたいことを聞き終えた今、自分には彼と一緒にいる理由がなくなってしまった。それはつまり、この世界で唯一の同郷と離れることになるかもしれないということで。
そうなったら、スバルは生きていける気がしない。自分一人で、やっていける自信がない。ハヤトという存在が居ないと、孤独で死んでしまう。
いやだ。怖い。ひとりになりたくない。そんな思いばかりが駆け巡り——、
「これも何かの縁だ。俺らの屋敷に来ないか?」
「「「え?」」」
ハヤト以外の声が、重なった。
スバルは、駆け巡っていた負感情が破壊される声に。エミリアとラムは、相変わらず予想もしないことを平気で言ってくる声に。一人と二人は、別々の理由で驚く。
もちろん、その反応を予期していなかったハヤトではない。衝撃的な一言で三人の視線を集めようとも、普段通りの威風堂々とした態度が崩れることはなく、
「どうせ行くところもないんだろ?」
「い……、いいの?!」
自分のことをどこまでも助けてくれるハヤトに、戸惑いと期待の目を向けるスバル。まるで、自分の心を読んだかのような発言を聞いた瞬間には「コイツ、神様かな?」と率直な感想を抱いた。
だって、いい奴すぎる。普通、初めて会ったばかりの女にそこまでするだろうか。自分に対する接し方や、命をかけて守ってくれたことも加味すると、ハヤトのいい奴度合いはメーターを完全に振り切る。
なにか、裏があるのかもしれない。そう、疑ってしまうほどにハヤトは善人の塊。身寄りのないスバルにとって、願ってもない提案だ。
「お前らも、それでいいよな?」
今この瞬間、気を抜けばカンザキ・ハヤトという男に惚れてしまいそうなナツキ・スバル。そんな彼女を横目に、ハヤトは喉を鳴らして悩むエミリアと考える素振りを見せるラムに投げかける。
もし、これで反対されても押し切るつもりだ。帰る場所もないスバルをここに置いていくような薄情な人間ではないし、『死に戻り』を共有する以上は行動を共にした方がいい。
それを知っていながら、見捨てるという選択肢など、ハヤトにはない。誰も見捨てることのできない優しさを心に灯す彼には、今のスバルを見過ごすことなどできるわけがない。
反対上等。なんでも言ってこい——そんな心構えのハヤトに返された返答は、
「行くところがないなら……。でも、勝手に連れて帰るのは……。でも、放っておくのも可哀想よね。スバルだって、私たちのために頑張ってくれたんだもの」
肯定と否定が交互に顔を出した結果、エミリアはハヤトと同意見に着地。「あー」「うー」と葛藤の声を何度か漏らしたものの、最終的には彼女を放って置けない心が勝った。
そして、
「……どうしてもと言うのなら、いいわ。今ここで捨てて野垂れ死なれても後味が悪い。連れ帰って、ロズワール様の指示を仰ぎましょう。それでダメだったらこの場所に放り捨てる」
仕方なさそうなため息をこぼし、ラムもハヤトの意見に従った。従ったというよりも、ハヤトの瞳に宿る頑固たる意志を悟って諦めた、の方が表現としては正しいのかもしれない。
しかし、ハヤトからすれば意外だ。エミリアはともかく、普段から現実的な意見を切り込んでくるラムは絶対に反対すると思っていたのに。
お陰で、変に身構えていたのが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。それほどまでに、呆気なかった。
「てっきり、ラムは反対すると思ったんだが」
「えぇ、そうね。……だから、これはラムの判断だとは、思わないでちょうだい」
思っていた言葉が口に出たハヤト。独り言と変わらないそれを拾われ、即座に返された言葉に彼は「は?」と息をこぼすように呟き、疑問符を頭の上に浮かべる。
ラムの判断じゃない。その意味を理解するのに数秒の停滞を許し、
「ラムが言えるのはそれだけ」
その間に、ラムは歩き出してしまった。含みのある言葉をハヤトの胸に押しつけ、その胸に秘める真意を曖昧にしたまま、彼女の背は遠ざかっていく。
ハヤトが停滞から脱したときには、もう遅い。徐々に小さくなる背中を眺めていると、先の自分と同じく追求の受け付けは拒否されているように思えてしまって、
「ラムの判断がラム自身の判断じゃないなら、アイツの判断は誰の判断なんだよ」
ハヤトの要望が通った事実に、両手を上げて「いーーやったぁぁぁ!」と溌剌とした様子で喜ぶスバル。その声を聞きながら、ハヤトは歩き出すラムの背中に投げかける。
先の独り言を拾ったラムの鼓膜にそれは届かず、浮上した疑問が解消されることはなかった。
▲▽▲▽▲▽▲
地平線に沈む夕陽の光を僅かに浴びながら、スバルを含めたハヤトたちを乗せた竜車は、ロズワール邸へと走っていた。
晴れ晴れと澄んでいた青空。快晴だった世界の天井は、今は夜の訪れを匂わせ始めた紺色に染まりつつある。あと二、三時間もすればお月様が目立つ夜空が完成するだろう。
そんな時間に、ハヤトたちは帰路につく。王都観光に来たつもりが、とんでもない騒動に巻き込まれた彼らは、ようやく緊張の糸を緩めることができていた。
ちなみに、今現在、ハヤトの横でスバルが寝息を立てて爆睡中。色々とあって精神的に疲れたのだろう。壁に寄りかかる安らかな寝顔が、客車内にいる二人には見えていた。
全員が疲労していることもあって、客車内には行きのような騒がしさはない。静かで、ゆったりとした時間が、流れていく。
「どしたよ、エミリア。そんな浮かない顔して」
ふとした瞬間に寝落ちそうな空気に身を委ねつつ、椅子に深く腰掛け、窓の縁に頬杖をつくハヤトが斜め前に座るエミリアに話しかける。
戦いの余韻、完全に癒えない傷、それらが疲労として襲いかかる彼の声は眠たげだ。時折、「ふぁあ」と情けない声であくび。滲む涙に目を擦る仕草が行われている。
そんな彼が見るのは勿論、エミリア。背もたれに寄りかかり、揃えた膝に両手を置く彼女の表情も疲労気味だが、それ以上にどこか不満げである。
隠す気もないのだろう。「だって」とエミリアは右手首に飾られた腕輪——宝物同然のそれを眺め、
「テンに、何も買えなかった」
そういえばそんな話をしてたな、と。寂しそうな声色で、唇を尖らせながら外の景色を眺めるエミリアを見ながら、ハヤトは思い出す。
スバルと出会う寸前に、その話をしていた記憶があるような、ないような。彼女がテンに腕輪を贈られたお返しに、自分もテンに同じ腕輪を贈りたいと話していた気がするような、しないような。
徽章を巡る騒動に決着がついて色々と落ち着いた今、不満が込み上げてきたのだろう。言われて思い出したハヤトとは違い、エミリアにとっては結構重要だったらしい。
「むぅ」と可愛く頬の内側に空気の塊を作る様は、明らかに不満そうだ。
「別に、今日買うことはねぇだろ? また王都に行った時に買ってやればいいさ」
「でも、王都に行ける機会なんて少ないんだもん」
それを言われれば、返す言葉がない。ただでさえ行くのに時間のかかる王都ルグニカ。買い物をしたいという小さな理由、コンビニ感覚で行くには流石に遠すぎる。
部屋に篭って勉学に励むエミリアにとっては、これは数少ない機会だった。いつも自分のしてほしいことをたくさんしてくれて、この心をぽかぽかさせてくれる大切な人に、形として「ありがとう」を伝えるきっかけだった。
なのに、この結果。買おうと思って動き出そうとしたら徽章を盗まれ、徽章を狙う人と戦い、騒ぎが終わったのは夕方も深まった頃。
残念なことに、買いに行く暇なんてなかった。
「私、ずっとテンに何かしてもらってばっかり」
「なにが?」とは言わないハヤト。これは多分、内側に溜まった鬱憤を晴しているのだと瞬時に判断する彼は、聞く姿勢をとった。
共感してほしわけでも、意見が欲しいわけでもない。ただ、誰かに聞いてほしいだけな雰囲気を纏うエミリア。
無意識のうちに「はぁ」と恋のため息を漏らす彼女は、頭の中でどんな光景を思い浮かべたか。そして何を想ったか。膝に添えた手を軽く握り締め、
「なのに、私はテンに何もしてあげられないの、すごーくもやもやする」
唇をきゅっと結び、閉じた口の中で小さく唸った。贈り物をしたいと思った理由——普段から自分のために頑張ってくれる彼に、何かしてあげたいと思っているのに、今のところできそうになかったから。
彼は自分に弱いところを見せようとしない。逆に、自分は彼に弱いところしか見せることができない。そんな甘えて甘えられての関係が、ひどくもどかしい。
だからせめて、感謝の気持ちとして形に残るものを贈りたかった。折角なら彼とお揃いのもので、日頃のお礼を伝えたかった。
「んなこたぁ、ねぇと思うぞ?」
意気消沈なエミリア。誰がどう見てもヘコむ少女にハヤトは否定の意を口にした。「どーして?」と眠気の増した目でこちらを見つめられると、一度だけ大きくあくびをして、
「形あるものが全て、ってわけじゃねぇからだよ。目に見えないだけで、お前の一つ一つは、ちゃんとアイツの活力になってる。なんせ、俺と同じで単純な奴だからな」
「超が付くくらいの単純野郎。そこだけは俺と一緒」と、妙に嬉しそうな態度でハヤトは語る。他の全ては真反対なくせして、そこだけは同じな親友との唯一の共通点。
単純であることが共通点とは、自分で言ってて馬鹿にされてる気分だが、悪い気はしない。根っこは同じだということが、ハヤトには普通に嬉しいのだ。
「そーなんだ」
真面目に返してくれたそれに、エミリアは浮ついた返し方をする。自分の言葉が右から左に抜けてる感が否めないそれに、ハヤトもまた「そうだよ」とだけ。
互いに疲労したせいで思考がおぼつかず、会話と意識が不安定になりつつあった。
それでもエミリアの中には、彼に形あるもので気持ちを伝えたいと思う気持ちは確かにあって。無理だと諦めても、勝手に湧き上がる不満は本人の意思とは関係なく溢れるもので。
「あーぁ」と残念そうに呟き、
「贈り物、したかったな。すごーく喜んでくれると思ったのに」
そんなエミリアの一途な想いを残して、竜車は平原を突き進んでいく。長い長い一日が、ようやく終わろうとしていた。
スバルを屋敷に連れ帰る話、無理矢理感あったかなぁとか思ってます。