少しでも望む未来へ   作:ノラン

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前回の投稿からもう三週間……。

遅れて申し訳ないです。中間テスト&レポートが山積みだったもので、スイッチを小説から勉強に切り替えてました。

またコツコツやっていきます。





二章 真実の代償
元凶邂逅


 

 

 

 ——最悪な光景だった。

 

 

ロズワール邸の一室。他の部屋となんら変わりない客室は、まるで別世界のように空気が重く。冷たい緊張感が張り詰め、心臓を鷲掴む絶望が世界に立ち入った者たちを蝕んでいる。

 

膝から崩れ落ちたエミリアが、呆然と涙を流していた。彼女の隣に浮かぶパックが、久しく感じる悲哀に表情を歪めていた。

 

歯を食いしばるラムが、暴走する殺意を隠せずにいた。憤怒の情に揺らぐロズワールが、溢れる殺気を魔法として具現化しようとしていた。

 

 そして、

 

 

「——やっぱり、あのとき殺しておくべきだったんですよッ!」

 

 

 レムの声が、轟く。

 

生きとし生ける者の全てに宿る真っ黒な感情を集約したような、憎悪に満ちた怒声。世界に遠く響き渡る、負感情に支配された慟哭。

 

爪が皮膚にめり込むほど強く拳を握り、獰猛に尖る青色の双眸から涙を滝のように流し、剥き出しにした牙をぎりぎり食いしばるレム。

 

その呼吸はひどく荒く、声色はそれ以上に荒い。両肩を激しく上下させる様子は、精神状態が限界を越えて乱心している様子の他になかった。

 

 

「ハヤト君の優しさが! ハヤト君の甘さが!! この事態を招いたんです!!!」

 

 

 叩きつける。

 

一つ一つ、目の前にいる友人の心に、事実を刻み込むために。当人を含め、この場にいる者たちの心に、変わりようのない結果を知らしめるために。

 

その優しさが、なにを招いたのか。その甘さが、なにを引き起こしたのか。全てを知っておきながら、それでも自分の忠告を無視した果てに、取り返しのつかない未来になってしまったのだと。

 

 お前のせいだ。

 

 お前のせいで、最愛の人は———。

 

 

「レム、俺はただ——」

 

「うるさい!!」

 

 

細々とした抵抗の声を、レムは太い罵声で弾く。普段の様子からは想像もつかないほどに弱った声を、レムの心は受け付けはしなかった。

 

もう、なにも聞きたくない——そう言わんばかりに首を横に振った。恋人に可愛く思われたくて整えた青髪が、ぼさぼさになることを気にも留めず。

 

そんなの、気に留めたところで意味なんてない。その理由はもう、この世界には無いから。意識に入れる必要なんて、なくなってしまったから。

 

それを思うと、今この瞬間にも死んでしまいたくなる。生きることが、生き地獄に感じる。自分の生きる理由が消えた今、そんな世界に価値などありはしない。

 

でも、まだ死ねない。死ねない理由がある。生きる理由と引き換えに、死ねない理由がレムにはできた。自分の目の前にそれはある。なのに、

 

 それなのに——!

 

 

「どうしてハヤト君はその女を庇うのですか! ハヤト君だってレムと同じはずです! その女はレムのテンくんを……ハヤト君の親友を……!」

 

「ちがっ……。スバルは関係な——」

 

「関係ないわけないーーッ!」

 

 

目の前の男——自分が心を許した友人、カンザキ・ハヤトは自分の前から退こうとはしない。この状況においてハヤト側に味方する澄ました顔のベアトリスを横に並べ、自分と敵対している。

 

その様は、普段と比較して弱々しい。常日頃から堂々とした男らしい態度を一貫する男には今、その欠片もない。漏れ出す悲哀に堪えきれず、自分と同じように涙を流していた。

 

彼だって自分と同じだ。それでも尚、どうして背中の女を庇おうとする。まるで意味が分からない。

 

だって、自分たちのすぐ横で、()は彼自身が作った血の海に沈んで——。

 

 

「早く、そこを退いてください!」

 

 

 殺せ、殺せ、殺せ。

 

 自分の中から、聞こえてくる。何者かも分からない、けれど心を簡単に支配されてしまう声が。

 

 

「退いてくださらないのなら、無理矢理にでも押し通りますッ!」

 

 

 それは、衝動。

 

 己の命以上の存在を失った心が、友人と戦ってでもあの女を殺せと言っている。心に眠る鬼を、呼び覚まそうとしている。

 

 

「その女を——」

 

 

 なら、委ねてしまおう。

 

 殺さねば、この感情は治らない。殺したとしても、永久に治らない感情があるけれど、今はその声に心の主導権を渡してしまおう。

 

 だって、

 

 

「魔女教の関係者を——」

 

 

 だってこの女は、

 

 

「レムから最愛の人を奪ったお前を、八つ裂きにしてやるーーッ!!」

 

 

 ソラノ・テンを、殺したのだから。

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 

 

 

ハヤトは、早起きがすこぶる苦手である。

 

 

この世界に飛ばされる前、つまり故郷に住んでいた頃。大学の有無に関わらず、日々の就寝時間の大体が夜中の三時を過ぎるという夜更かしな生活を送っていたせいだ。

 

世界的に蔓延した流行病もあって、講義の全てがオンラインしかない日があるのも理由の一つとしてあるのだろう。お陰で、高校時代から崩れ済みな生活リズムが更に狂った。

 

大学に行かない日は基本的に遅くに寝ることがほとんどであり、バイトが夕方以降なのも相まって、午前中に目覚めることがほとんどない。

 

この世界に飛ばされて早四ヶ月。使用人として早朝の六時を過ぎた頃に起こされる今も、しかし、その悪い癖は継続中。テンに「起きろー」と言われて布団を剥がされるまで、彼は爆睡をキメる。

 

 はずなのだが、

 

 

「………朝か」

 

 

 今日は違った。

 

時刻は、早朝の五時を過ぎた頃。使用人として活動を始める一時間ほど前に、珍しくハヤトは目を開けた。普通ならば絶対に起きない時間帯に、彼の意識は眠りから引き上げられる。

 

体温で温められた布団の中、意識の半分が眠った状態のハヤトはあくび。口を大きく開けて「はわぁ」と変な声を一つ、目頭に浮かび上がる涙を布団から出した手で拭った。

 

それから少しの間、寝起き直後に必ず訪れる睡魔とのせめぎ合いの時間。このまま目を瞑って二度寝に沈むか、布団を蹴飛ばして意識を完全に覚醒させるか、その格闘を開始。

 

 

 ーー起きるか

 

 

三十秒程度の格闘の末、ハヤトは布団を蹴飛ばす方を選んだ。

 

起きれるときに起きた方がいいだろう。このまま二度寝したところで、自分のことだから時間通りに起きれないに決まっている。

 

そうなれば、ラムに叩き起こされる未来が確定。優しく起こしてくれるテンが不在な今、朝っぱらから爆睡中の土手っ腹にドロップキック真下バージョンが炸裂。

 

「起きなさい!」と叫び散らす声と同時、美少女による打撃で刺激的な朝を迎えることができる。

 

 

「いやいや。笑えねぇよ」

 

 

脳裏に描かれた少し先の未来絵図を真顔で拒否。過去に何度か経験したことのあるハヤトは布団を蹴飛ばし、まずは睡魔を促進させる温もりから脱する動きを見せる。

 

そんな危険な目覚まし時計、自分は買った覚えなどない。テンに起こされるのなら安心して眠れるが、ラムに起こされるとなれば話は別。

 

遠慮なく接せられるまでに関係値が深まったせいで、彼女は色々と容赦がないのだ。もちろん、目覚ましだって例外じゃない。

 

「んーー!」と、喉を低く鳴らしながら伸びの体勢。全身に力を入れながら手足を限界まで伸ばし、縮こまった体を起こすために軽く解し、

 

 

「あー、(ねみ)ぃ。つか、体が(いて)ぇ。テン(アイツ)、いつもこんな時間から起きてやがんのかよ」

 

 

 脱力。

 

入れた力を抜いた瞬間にあくびが浮かび、口を大きく開きながら重たい上体を起こす。指の関節をゴキゴキ鳴らし、「あーー」と眠そうに唸りながら首を回した。

 

どうやら、エルザと繰り広げた死闘の反動はしっかり出ているらしい。体を伸ばした途端、若干ではあるものの筋肉痛に近い痛みが全身に走ったのをハヤトは感じている。

 

 

「ちくしょう。しっかりしろよ、俺ぇ。あの程度の戦い、これまでにもやってきただろうが」

 

 

流石に無反動は無理なようで、肩を揉みほぐすハヤトはため息をこぼす。本調子じゃない状態で戦ったのだから仕方ないと言えなくもないが、弱々しい己を情けなく思えてしまっていた。

 

以前までの自分——あの夜の前の自分なら、どれだけロズワールにボコボコにされても寝れば回復したというのに。一度、エルザと戦っただけでこの有様。自分の弱体化ぶりがよく分かる。

 

実のところ、この程度の反動で済んでいることが異常なのだが、世界有数の化け物(ロズワール)に鍛え上げられた彼は気づかない。

 

 

「早く、調子を取り戻さねぇとだな」

 

 

戦いの反動はゼロが普通だと思うのがハヤト。打たれ強さに自信がある彼は頬をパチンと叩き、眠気を覚ますのと一緒に気合いを入れ直した。

 

少しでも早く本調子を取り戻すことに専念するのが、今の自分にできること。情けないと思うのなら、その思いを鍛錬するための力に変えてやる。

 

今までだって、悔しさをバネに自分は強くなった。どんなときでも、それは変わらない。

 

 それに、

 

 

「今日から二章だ。頑張れよ、俺」

 

 

徐々に意識の起動が完了しつつあるその声色には、強い決意と覚悟が色濃く滲み出ていた。滲み出るのは、彼がそれほどまでに奮闘しようとしていることの証拠だろう。

 

声に出し、耳に言い聞かせ、心に刻む。昨日、寝る前にも確認したことを再確認。原作を意識し始めた頃から心に刻んだことを今一度、強く意識する。

 

既に本来の道から逸れた物語を進む現状、これから先なにが起こってもおかしくないのだと。

 

一章にて、密かに出会えるのではと期待していた『剣聖』ラインハルトの出番が無かったように。本筋とは違う展開になるのが普通だと思っておいた方がいいだろう。

 

 

「アイツが帰ってくるまでに、なにも起こらねぇといいが」

 

 

思い通りにいかないのがこの世界。初見殺しという名の理不尽を強引に押し付けてくるのが現実。それでも、できれば自分の相棒が帰ってきた後に問題が起こってくれればいいと願うばかり。

 

正直、原作にて二章が始まってから何日後に事態が起こるのかハヤトには分からない。

 

テンと同様、あらすじは知っていても詳細は知らない人間だ。誰が敵で、何があって、どうなるのかは覚えていても、それらの日時まではとても曖昧。全くもって使えない頭だ。

 

だから、事が起こるのは信頼できる相棒が帰ってきてから。万全の状態で挑みたいのが心情だが、

 

 

「……無駄な期待だな」

 

 

その心情を、自らの手で切り落とした。

 

ないものねだりしても仕方ない。起こったら起こったで臨機応変に対応すればいいだけの話。テンがいなくたって、自分と仲間たちで乗り越えてみせるくらいの気概じゃないと頑張れない気がするハヤト。

 

寝台から足を下ろし、床を踏む両足に力を入れて立ち上がる。こうして考えるうちに意識の大半は起動したから、あとは洗面台で顔面に水でも浴びせて、まだ眠りたがる意識を無理やり叩き起こす。

 

早朝に浴びる冷水は、睡魔にはよく効く。ある程度の睡魔はこれで追い払うことが可能で、それは今回とて変わらない。

 

 

(ねみ)ぃ……」

 

 

残念なことに、それでも眠いものは眠いけれど。

 

否、それを追い払ってこその使用人。相変わらず早起きが苦手な部分は平常運転だけれど、今ここで寝たら例の如くラムに叩き起こされる未来が既に視えている彼に、二度寝の選択肢は皆無。

 

 

 ーー日の光を浴びるか

 

 

朝に太陽の光を浴びると睡眠欲求が減ると聞いたことのあるハヤト。思い立った彼は、締め切ったカーテンへと歩き出す。

 

ロズワール邸のカーテンは陽光を通しにくい素材で作られているのだろう。完全に締め切った状態だとこの時間帯の部屋の中は薄暗く、光を遮断したい人間にとっては最適だ。

 

それゆえに、全開にすれば気持ちのいい陽光が一気に部屋を照らすことか。止められていた陽光が極太なスポットライトの如く降り注ぐはず。

 

そうすれば、この眠気もマシになると思いたいハヤト。カーテンに手をかける彼は、腕を思いっきり横にスライドさせ、

 

 

「うぉ……」

 

 

予想通りの眩しさに目を細め、体の前面で朝日の陽光を受け止める。寝起き直後に浴びるよりは痛くないにしても、朝っぱらから眼球を焼く陽光を浴びるのは夜型のハヤトには堪えた。

 

しかし、それも数秒のこと。しばらくすると目が慣れて眩しさは消えていく。時間経過とともに慣れは度合いを増していき、二十秒もすれば眼球を焼く陽光は朝の知らせを届ける心地よいものに様変わり。

 

 

「んーー! 今日もいい天気だ」

 

 

換気するために窓を開け、縁に手をかけるハヤトは窓から顔を出す。

 

無駄に豪邸な屋敷の二階から見る景色は雄大で、視界いっぱいに広がる豊かな自然を見るのは気持ちが良い。天気は晴れ。暑くもなく寒くもない、過ごしやすい気候。

 

僅かなそよ風に頬を撫でられるハヤト。ひんやりしたそれに小さく身を震わせる彼は、この光景に何を思ったのだろう。

 

口角を釣り上げると窓から離れる。それから意識の完全起動を感じながら「よし」と呟き、

 

 

「サクッと着替えて、散歩にでも行くか」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

早起きしたものの、仕事が開始する早朝の六時までは特にする事がないハヤト。部屋でごろごろしていると暇すぎて寝そうだから、散歩に出かけることにした。

 

仕事を早めに開始するという考えも浮上したが、面倒だから却下。仕事に慣れた今となっては、時間通りに始めたとしても余裕を持って終われる。その必要はないだろう。

 

それに、早起きの苦手な自分がこんなに気持ちいい世界を歩ける機会は貴重。どうせ暇なら、早朝の静けさが漂う世界を歩いてみたい。

 

そういうわけもあって、スイッチが入ったハヤト。気持ちが散歩モードに切り替わった彼は着慣れた制服に身を包み、寝癖等の乱れを整え、今しがた部屋の扉を開けていた。

 

部屋と廊下の境界線を越え。風の通り道が生まれたことで冷たい外気が体を通り抜ける感覚に身を固め。

 

 それから、

 

 

「——お?」

 

 

どこからか反響する音が鼓膜を叩き、ハヤトは声を漏らしながら顔を向ける。音の方向は踊り場とは反対側、西棟の長い廊下の最奥、つまりテンの部屋がある方向から。

 

なんで音が——否、考えるまでもない。答え合わせは視界に映っている。現在進行形で、幸せオーラを全開にしながらこちらに近づいて来ている。

 

視界に映る情報一つ、それだけで色々と察したハヤト。全てを物語る光景を前に苦笑する彼は、ひらひら手を振りながら、

 

 

「おはよう。レム」

 

 

目の前に接近してきた少女——水色のネグリジェ姿のレムに挨拶をした。

 

昨日の夜。自分との話し合いを終えた彼女がどこで寝たのか、察しがつくせいで苦笑の表情が取れない彼にレムは「はい」と頬が緩むような微笑みを弾けさせて、

 

 

「おはようございますっ。ハヤト君」

 

 

 可愛さの極みである。

 

語尾が気持ちよく跳ねた声色。ご機嫌に弾む足取り。幸せ感満載な雰囲気。なにより、可愛いという言葉を体現したようなこの笑顔。

 

なにか、夢の中でいいことでもあったのだろう。昨日、自分と話しているときのレムと同一人物か疑わしい様子だった。可愛い以外に適した言葉が出てこず、思わず釣られて笑むハヤトだ。

 

そんなことなど知らないレム。さしずめ、アイツの部屋で寝たんだろうなとハヤトが考える最中、ふと思ったように、

 

 

「今日は早起きですね。テンくんに起こされるまで寝ているのが普通かと思ってました」

 

「ま、それで間違ってねぇよ。ただ、俺だって起きようと思えば起きれる、ってこった」

 

 

感心するレムに腕を組んで胸を張り、「どうだ、すごいだろ」とドヤ顔。本当は単純に目が覚めただけだけれど、感心してくれてるようだから真実は黙っておく。

 

尤も、感心されるのも困った話。早起きしただけでそのような目を向けられるなんて、客観的に見た自分の寝起きの悪さ度合いが知れた。ついでに、早起きが得意なテンの凄さも。

 

 ともかく、

 

 

「んで? アイツの布団の中で寝て、良い夢は見れたのか?」

 

「はい! それはもう、とても心地の良い……」

 

 

 夢を見れました。

 

そう言おうとした寸前、レムは言葉を止める。そのまま心の中で続く言葉を横目に、普通に言いそうになった自分を制御。そして、普通に見抜いてくるハヤトに心の中で驚愕。

 

幸せな笑みが固まった数秒後、余計な言葉を漏らさぬ両手が口元に添えられる。顔の内側から浮き出る困ったような表情が固まった笑みと交代すると、

 

 

「知っていたんですか?」

 

「お前がアイツの部屋から歩いてきた時点で察した。つか、レムもアイツについてくーーって騒いでたのを知ってりゃ、簡単に想像できるぜ」

 

「鎌をかけたんですか?」

 

「んなめんどくせぇこと俺はしねぇよ。そうだと思ったから、言っただけだ」

 

「……そうですか」

 

 

知っているのが普通だと言われた気がして、レムの表情が目に見えて曇る。最初から隠すつもりなどないし、別に知られてもいいことだけど、当たり前のように言われると変にムッとする自分がいた。

 

確かに、あの姿を見ているとしたらハヤトの言い分にも頷ける。否、それ以前に自分がテンに捧げる愛情を毎日のように見ているのだから。

 

彼のいない生活を強いられる自分がどうやって削られる精神を癒すのか、想像に難くない。が、簡単に心を見透かされた感覚は良いものではなかった。

 

 

「まぁ、早くても明後日には帰ってくるし。それまでの辛抱だ。帰ってきたら、めちゃくちゃに甘えればいいさ。好きなだけかまってもらえよ」

 

 

「アイツ、男のくせに押しに(よえ)ぇし」と。

 

一言付け足しながら、レムの肩をぽんと叩くハヤト。内心、曇った表情にやってしまったかと思い、この後に待つ幸せな構図を彼女の脳裏に呼び起こさせるよう促す。

 

良くも悪くもテンの事となると情緒不安定になりがちなのがレムという乙女に、その言葉は絶大だった。

 

ハヤトの言葉を起点にテンと別れる前の記憶が脳裏を過ると、レムは口元に添えた手の内側から溢れる笑声を「ふふ」とこぼし、

 

 

「はい。なんでも一つだけ言うことを聞いてくれる権利がレムにはありますから。めちゃくちゃにします」

 

「そうか」

 

 

小悪魔的な笑みを光らせながら断言するレムに適当に返し、ハヤトは真顔で頷く。その辺に関して踏み込む意思は見せず、時間的に目が覚めているであろう親友に「頑張れよ」と念を送っておいた。

 

「とても、とてもとても楽しみです」と、胸に手を添えて興奮を抑えるレム。止まらない笑みを隠さない彼女は今、その絵面を想像しているところである。

 

自分の中では、めちゃくちゃにするよりもしてほしい欲の方が強いけど、今回は気にしない。だってこの機会に彼の理性を今度こそ木っ端微塵に破壊して、襲ってもらう予定なのだから。

 

 その後はもちろん———。

 

 

「……いけませんね。考えていると時間がなくなってしまいます」

 

 

想像が飛躍する寸前で立ち止まるレム。これ以上先に進むと突っ走り続けてしまう気がして、小声で己を咎める。

 

首を軽く横に振り、その考えを頭の片隅に追いやると小さくお辞儀。「では」と言葉を繋げ、

 

 

「レムは部屋に戻ります。ハヤト君も、お仕事の時間になりましたら、いつも通りに」

 

「おう。またあとでな」

 

 

言葉を受け取って小さく頷いたのを最後に、レムはハヤトに背を向けて歩き出す。

 

スバルが眠る部屋の前を通り過ぎた瞬間、僅かに首が扉に傾く挙動は見られたが、引っかかることなく素通りしていった。

 

 

「……俺も行くか」

 

 

すたすた歩くレムの背がどんどん遠くなるのを見ながら、ハヤトもまた歩き出す。

 

スバルが眠る部屋に行こうかと思わなくもないものの、不用意に女性の寝顔を覗くのはいかがなものかと思い、扉の前は素通り。

 

二階の踊り場から回り階段をのろのろ降り、玄関前の大広間を一直線に抜けて、ロズワール邸の玄関扉を潜った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

早朝から活動する人間が目覚め始める世界。ときおり小鳥の囀りが音を奏でる静かな村の中を、昇りつつある太陽に照らされながら、ゆったり歩く。

 

吹き抜ける風は心地が良く、陽光の温かさに空を見上げれば、濁りのない澄んだ空が見えた。夜の余韻が抜けつつあるそれを眺めていると、不思議と清々しくて気分爽快。

 

 

「たまにゃ、悪かねぇな」

 

 

早朝に散歩するご老人の気持ちが、なんとなくではあるが分かったかもしれないハヤト。ポケットに手を突っ込みながら大きく息を吸う彼は、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む。

 

大きく息を吐いて、自分の中にある余分なものを全部吐き出した。こうすると体が軽くなるような気がして、より気分爽快。

 

早起きは三文の徳とは、よく言ったものだと思う。テンが言っていた「早起きは気持ちいいんだよ」の意味が身に沁みた。

 

 

「こんだけ朝方だと、流石に静かだな」

 

 

ぐるりと首を回し、視線を周囲に向ける。

 

視界に映るはずの子どもの姿も大人の姿もない、あるのは立ち並ぶ住居だけ。たまに散歩するご老人とすれちがうのを除けば、出歩く人の数はゼロに等しい。

 

普段なら子どもたちの遊ぶ声やら大人たちの談笑の声やらで賑わっている村は、世界に満ちる静寂に溶け込んでいた。自分の知っているアーラム村とは違いすぎて、ハヤトにとっては違和感に思えてくる。

 

常に誰かに話しかけられて、子どもたちに手を引っ張られては遊び相手にされる場所。それが、ハヤトの知るアーラム村。

 

否、早朝だから当たり前だろう。

 

 

 ——散歩に出かけたハヤト。彼は今、二十分ほどかけてアーラム村に訪れているところであった。

 

 

ただ散歩するだけではつまらない。どうせなら目的地を決めようと思った次第だ。行く場所もなくさすらうのもアリな気もするけれど、それだと終わらない予感がする。

 

それに、二章が始まったこともあって村の様子が気になった。自分の知識が正しければ騒動が起こるのはこの村だから、何もないことを確認するべく見回りに。

 

流石に初日から起こるわけがないと思う心はある。が、最悪なことに初見殺し満載なのがこの世界——この事実一つでそのような余裕は破壊されるのだ。

 

 

「おはようございます、ハヤト様。こんな朝方に珍しいですね」

 

「まぁ、ちょっと目が覚めたからよ。爺さんも(はえ)ぇのな。いつも散歩してんのか?」

 

「日課のようなものですので。こうして静かな村を歩くのは、心地が良いものですよ」

 

「確かにな。朝に散歩すんのも悪くねぇと思うよ」

 

 

すれちがったご老人と軽く言葉を交わし、笑みと一緒に届けられた会釈の返しとして手を振って別れる。勿論、老若男女に好かれる笑みを向けながら。

 

とても、優しいご老人だと思う。あの人に限った話じゃない。ここにいる人たちは良い人ばかりだ。子どもは無邪気だし。大人は穏やかだし。大きな争い事が起こったことも今のところないし。

 

みんなみんな良い人すぎて恐ろしいと、テンがビビっていたことだってあった。

 

 

「だから……絶対(ぜってぇ)に俺が守る。コイツらはやらせねぇ」

 

 

村の周囲を囲う背の高い柵を越え、木々の隙間から陽光が差し込む薄暗い森の中へ足を踏み入れるハヤト。肝に銘じるために強く言ったとき、その表情には真剣味が宿っていた。

 

二章でターゲットにされるのは村の子どもたち。どういった経緯で危険な目に遭ったかは知らないが、ウルガルムに噛まれて呪われたところをスバルに助けられていた覚えがある。

 

 犯人の名前は——。

 

 

「めい……めいりー。メイリー」

 

 

 そんな感じだった気がする。

 

先程から曖昧な知識ばかりで自分のことながらに不安になる。こうなるんだったら、この世界に飛ばされる前にリゼロを復習しておくべきだった。その方が確信が持ててよかったのに。

 

否、リゼロの世界に飛ばされることが予測できてたまるか。

 

 

「青髪だったよな? ……おん。青髪だ。間違いねぇ。間違いねぇと信じよう」

 

 

木々を避け、森の奥深くへと進みながら、ハヤトは引っ張り出してきた記憶を覗き見る。その中に映るのはもちろん、二章の元凶である一人の少女。

 

まさか、ペトラたちと同年代かそれに近しい少女があんな恐ろしい出来事を起こすなんて、誰が想像できただろうか。正確にはあの子が抱える子犬が元凶なのだが、その大元はあの子。

 

あの子が、これから数日後にペトラたちを呪い殺そうとするはずだ。少し先の話をすると、四章にも登場して状況をしっちゃかめっちゃかにしてくるはずだ。

 

 数多の魔獣を、従えて。

 

 

「やってやるよ。来るなら来いだ。全部、返り討ちにしてやる」

 

 

拳を合わせ、実際に会ったことのない少女に宣戦布告。歯を見せてギラギラ笑うと挑戦的な態度を面に露出させ、己を待ち受けるであろう死闘に心が昂る。

 

名前の知らない四足歩行のライオンのような立髪が印象的だったデカい魔獣と、「イワブタちゃん!」とか言われてたデカい魔獣。その二体が出現するかもしれない——考えただけで身震いしそうだが、

 

 

「——よかった。今んところは無事だな」

 

 

一旦、その考えを頭の片隅に置いて別のことに意識を向ける。

 

アーラム村とは別の目的地に到達した彼は目の前の木に埋まる物体に手を伸ばし、手の平で撫でるように触った。

 

その物体、青色の光を放つ結晶石だ。アーラム村と隣接する魔獣の森から魔獣——特にウルガルムが村に侵入しないよう境界線を引くために、こうして大樹の中に埋め込まれている。

 

こうしたものは他の場所にも等間隔で設置されており、それら一つ一つを一本の線で結べば結界の完成。境界線が引かれて村の安寧は保たれるシステム。

 

だから、一つでも乱れがあったら結界の効力が弱まって魔獣が境界線を越えて村に侵入。一ヶ月前のような悲劇が起こる危険性があるわけであり、

 

 

「あんときは俺とテンがいたから怪我人はいなかったが……そうじゃなかったら大変だからな」

 

 

 洒落にならない。

 

だからこうして、結界の確認に来た。

 

基本的に結界の維持の確認は村人の勤めとして義務化されているが、自分の目で確かめて安心したいのがハヤトの心情なのだ。

 

自分やテンのような実力者なら、あんな子犬など今となっては雑魚。無傷で勝てる自信がある。群れで襲いかかってこようが消し炭にしてやろう。実際、大群で襲われたのを全て返り討ちにしてやった。

 

しかし、力を持たない村人にとっては一体だけでも驚異的な存在になってしまう。抵抗できず、そのまま無惨に食い殺されるのがリアルな話。

 

 そんなこと、絶対にさせない。

 

 

「とりあえず、全部確認だな」

 

 

確かな決意と覚悟の下、ハヤトは力強く頷く。今日から長く始まることになる熾烈な日々、どれだけ過酷だとしても全て乗り越えてやると。

 

誰も悲しませない、苦しませない、怖い思いをさせない。もう二度と、自分の前で誰も死なせない。

 

そう思いながら足を踏み出す——、

 

 

「——お兄さん」

 

 

 不意に、声がかかる。

 

声変わりをしていない、子どもの声帯。活発というよりも落ち着いた雰囲気を思わせる、ゆったりとした声色だった。

 

背後だ。背後に誰か立っている。声が後ろから通り抜けたことからして、恐らく声の主だろう。こんな朝早くから早起きとは、アーラム村にはすごい子もいたらしい。

 

どんな子だろうか。振り返るハヤトは返事をしようとして、

 

 

「おう。なん………」

 

 

 止まった。

 

なんだ、と。そう言おうと思った瞬間、彼の動きがぴたりと止まる。以降、麻痺したかのように彼の中の時間が停止し、音を立てて動いていた秒針が無音を刻んでいく。

 

心臓が跳ね上がる、凄まじい衝撃だった。頭のてっぺんから足の先まで電撃が走ったような、言い表しようのない驚愕だった。

 

考えること全てが吹き飛び、何も考えることができない。考えるという行為すらも奪われて、ハヤトは口を開いたまま静止画と化す。

 

振り返っただけでそうなったのは、きっとそれだけの事実が目の前にあったからだ。

 

 

「ねぇ、お兄さん」

 

 

ハヤトの腰に届く程度の身長の、青色の髪をお下げにした純朴な顔立ちの少女。

 

興味に光る緑色の瞳には、見た目相応の好奇心旺盛といった分類に属するものではなく、獲物を見つけた魔獣のような輝きが無邪気に宿っている。

 

その少女が纏う空気は明らかに異常で。隠しきれないほど滲み出るおぞましい鬼気を、ハヤトは今この瞬間、本能的に感じ取っていた。己の内に居る獣が、牙を剥いて唸り声を上げている。

 

 その少女の名は、

 

 

「そんなところで、なにしてるの?」

 

 

 ——メィリィ・ポートルート。

 

 

 二章において問題を起こした元凶が、子犬を抱えながらこちらを見つめていた。

 

 

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