少しでも望む未来へ   作:ノラン

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すぐそこにいる化け物

 

 

 

目の前にいる少女は、外見情報だけで判断するならば、いたって普通の少女だ。おとなしそうで、人見知りがありそうな、ごく普通の可愛らしい女の子だ。

 

外見では、本を読むのが好きそうな感じ。普段からハヤトを遊び相手として振り回す子どもたち——活発にきゃっきゃしながら公園で走り回る子とは違うタイプだと勝手に想像できる。

 

 尤も、

 

 

「あ、あぁ……。ちょっと散歩をな」

 

 

 それは、一般人の見解。

 

そうに違いないとハヤトは思いながら、油断すれば加速してしまいそうな鼓動を宥める。動揺を声に出さんとする心が驚愕を冷静で塗りつぶし、表情筋に力を込めて平然の顔を装った。

 

そんなハヤトの歪な返しに目の前の少女——メィリィは「へぇ、そうなんだ」と興味ありげに言ってくるが、この瞬間のハヤトはそれどころではない。

 

一体、誰がこの絵面を想像したのか。このタイミングで二章の元凶と邂逅するなんて、流石のハヤトも心臓が飛び上がった。これも自分とテンがこの世界に来た影響だとするならば、(たち)が悪すぎる。

 

一章での性転換したナツキ・スバルとの邂逅。二章での元凶メィリィ・ポートルートとの邂逅。

 

 

「つか、お前はどうしたんだ? こんな朝早くに起きて、子どもはまだ寝てる時間だぞ?」

 

「起きちゃったから、散歩してたの。お兄さんと一緒」

 

 

 ーーマジで勘弁してくれ

 

 

胃が痛くなりそうなハヤトだった。

 

口調、様子、雰囲気。意図的に偽っているのか知らないけど、眼前の子の話す様子は、普通の少女のそれに他ならない。自分が知識として把握している、画面の中で観た様子とは段違いだ。

 

だからこそ戦慄している。外見情報だけで判断するしかない一般人——武に長けてない者と真反対に位置する彼は、この少女のその内側から滲み出る狂気を本能的に察していた。

 

戦いの中で得た技能なのかどうなのか、それは曖昧だ。肌に弱電流が流れ続けるような感覚は自分になにが言いたいのか、それも曖昧だ。

 

ただ、心の奥底に住み着く獣が唸り声を上げて警戒心を剥き出しにしているのだけは、明快だった。

 

 

「その石……光ってて綺麗」

 

 

唸る獣の声を横目に、違和感がありすぎるメィリィと話すことを決めたハヤト。彼女が抱える子犬に対する警戒心を密かに高める彼に、メィリィは視線を結晶石に移しながら言った。

 

これから村を襲う都合上、キーとなる結界を知らないはずがないのだが。知らない(てい)でくるのなら乗っておくハヤト。彼は「結晶石のことか?」と同じく視線を向け、

 

 

「けっしょうせき?」

 

「こわい魔獣が、村に入ってこないようにするための石のことだ。この石があるから、この先にいる魔獣が村に入ってこないんだよ」

 

「じゃあ、その石が無かったら……恐いまものさんたちが来ちゃうの?」

 

「そういうことになるな」

 

 

背後から隣に並んできたメィリィに軽く頷き、背筋を伸ばしながら少しだけ横にズレる。あまりにも近い距離間に命の危機を感じ、違和感のないように二歩ほど距離を取った。

 

今の近さは、子犬に噛まれる距離(子犬の射程圏内)。警戒心高めの自分は、その距離すら許さないのだ。子犬の正体と、その危険性を知っているなら尚更。

 

結晶石に近づくメィリィが背伸びしながら石を眺め、彼女に抱えられる子犬がじっとこちらを眺める。二つの眺める光景を見ながらハヤトは腕を組み、

 

 

「まぁ、アーラム村(あの村)には意図してそんなことする奴ぁいねぇし、その心配もないけどよ。過去に一度、魔獣が村に入ったこともあったし」

 

「そうなんだ」

 

「おうよ。たまたま俺とテンがいたから怪我人は出ずに済んだけどな。……そんなことがあったら、その石を外そうなんて馬鹿な真似、しようと思う奴はいねぇだろうさ。だが………」

 

 

そこで言葉を止め、ハヤトは口を閉じる。そこから先の言葉を紡がれず、不審に思ったメィリィがこちらに振り返るのを見計らって再び口を開き、

 

 

「もしそんな奴がいンなら、俺と相棒がブッ飛ばす。村の平和を崩す野郎がいンなら、俺たちは容赦しねェ」

 

 

唸り声のような声で、言い切る。

 

視線は狂わずの一直線。その終着点にいるのは今回の元凶メィリィ・ポートルート。決して本人に言ったわけではないそれは、しかし本人に言っているようにしか聞こえないもので。

 

半ば、脅しだった。もしやるなら、この俺を敵に回すことになるぞと。俺だけじゃなく、俺の相棒も敵に回すことになるぞと。

 

なにも知らないはずのハヤトから、なにも知らないはずだと思っているメィリィへの警告。

 

聞いたメィリィが、自分に言われているような錯覚を起こしたのはそれが原因だろう。そのせいで全身が総毛立ち、心の底から震え上がったのも。

 

お陰で、子犬が大きく吠えた。

 

 

(わり)ぃな。昨日、ちょっと色々あってよ。敏感になりすぎてた。……怖かったか?」

 

「ーーーー。気にしないで。この子、すぐ吠えちゃうから」

 

 

意図的に発した威圧を引っ込めるハヤトに、メィリィは息が詰まる感覚を得る。言葉を紡ぐための時間を要したのは、彼のそれが想像を遥かに超越していたからだ。

 

しかし、森一帯に満ちる静寂が一気に緊張感のある静寂に変わる威圧——子どもがいる場面で出していいものではないそれを一身に浴びても、その本性は隠したまま。

 

依然、メィリィ・ポートルートは少女の仮面を被り続ける。

 

 その裏で、不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

「つか、お前はどこの子なんだ? 見かけねぇ顔だが」

 

 

吠える子犬の頭を撫でて宥めるメィリィの前に膝をつき、目線の高さを合わせて問う。

 

アーラム村において人気者として位置付けられ、村の子ども全員に遊び相手として認識された結果、顔と名前を完璧に覚えた彼からすれば当然の疑問だろう。知らない子がいれば抱いて当たり前の違和感。

 

もちろん、この子が余所者であるとは知った上。聞く必要など微塵もないが、メィリィに『普通の子どもとして扱われている』と思わせるには必要なことだと思ったのだ。

 

 そんな彼は、

 

 

「知らない人に、自分のことは話しちゃダメだってママに言われた」

 

 

首を横に振って、投げかけた疑問を拒否される。

 

自分のこと、と表現してるあたり詮索拒否の意も込められているのだろう。彼女の『ママ』が誰なのか知らないが、余計なことは喋らせない気らしい。

 

ならば仕方ない。執拗に迫ると警戒される懸念に従って「そうか」とだけ言って会話を閉じた。どの道戦うことになる、その時にでも聞かせてもらうとしよう。

 

そう思うと、今ここでとっ捕まえてしまえば万事解決なのではと思わなくもない。が、確たる証拠が無い今では捕まえた自分自身が怒られそうな予感がしたから、その案は早々に切り捨てた。

 

屋敷の人間や村の人間から信用されてるとはいえ、流石に限度というものがあるはずだ。今はまだ、動くべきときではない。

 

 

「ねぇ、お兄さん」

 

 

自分がロリコン認定される未来は意地でも回避したいハヤト。自分の行動次第によって全てが変わる今、これから自分はどう動けばいいのかと思う彼の思考は、その呼びかけによって遮られてしまう。

 

返答の遅さは不審に繋がる。考え事を放棄し、小首を傾げて「なんだ?」とすぐに返すと、メィリィは大事そうに両腕で抱える子犬を近づけて、

 

 

「この子、かわいいでしょ?」

 

「かわいいな」

 

 

近づく子犬に僅かに息を詰まらせ、迫り上がる動揺を飲み込むハヤトの頷きにメィリィは「そうでしょ」と満足げに頷く。

 

茶色の体毛をした、三十センチにも満たない、見た目は普通の子犬。ただ、この子も普通の女の子に見えるメィリィ同様、見た目だけであることをハヤトの頭は決して忘れてはいない。

 

コイツは、ウルガルムだ。噛まれれば問答無用で呪われて、確実に衰弱死させてくる恐ろしい魔獣。噛まれた場合は逃げられる前に殺せば事なきを得るが、この状況でのそれは戦闘開始を意味する。

 

だから、絶対に、手は出さない。

 

 

「撫でてもいいよ」

 

 

そう思った矢先、心を読んだかと疑うタイミングでの爆弾発言。小さく笑いながらぐいっと更に近づけられ、目と鼻の先に小さい牙が迫る光景にハヤトは咄嗟に上半身を後ろに引く。

 

我慢し切れず浮き出るのは苦笑い。静かなる生命の危機に不本意にも引き攣った笑みが面に出てしまったが、

 

 

「ーー? 子犬、苦手なの? 噛んだりしないよ」

 

 

幸い、その笑みが子犬に対する苦手意識によるものだと都合良く解釈された。そのせいで浮かべた笑みを深めた彼女に「撫でてあげて。喜ぶから」と、頭の撫でりこを勧められる。

 

つぶらな瞳に見つめられるハヤト。そんな目で見られると撫でてやりたい衝動が胸の奥から沸々と湧き上がり、意図せずに固く組んだ腕の力が緩みそうになり、そのまま———。

 

 

「……いや。悪いが、遠慮するぜ」

 

 

緩みかける腕に力を込め直し、否定の意を込めて首を横に振る。一瞬でもメィリィの声に流されかけた己の心を強く咎め、目の前にいる人物が如何なる存在であるかを心に刻む。

 

今、何も知らなかったのなら、間違えなく自分はこの子の頭を撫でていただろう。噛まれて、原作のレムのような未来を辿っていただろう。

 

尤も、それは何も知らなかったらの話。生憎と、ここにいるハヤトは知っている人間だ。噛まれちゃいけないことも、噛まれた場合の対処法も、予備知識として備わっている。

 

 だから、

 

 

「お兄さん、もしかして怖いのお? そんな強そうな(なり)して、こんなにかわいい子犬が? ぷぷっ! 思ったより可愛い人じゃなあい」

 

「そういうことにしておいてくれ」

 

 

一瞬——本当に一瞬だけ、仮面を外した気がしたメィリィ・ポートルートの煽り口調に適当に返しながら、彼は立ち上がる。誰にでも優しい心が「ブッ飛ばすぞ、このメスガキ」と言っているのは、ガン無視。

 

これで「ざぁこ」とか煽ってきたら、戦闘開始の合図が天高く轟くことだろう。魔獣を操る少女と魔獣を蹴散らす青年の大合戦とは、さぞ楽しいことか。

 

その大合戦、数日後に行われる気がする。

 

 

「もう行っちゃうの?」

 

「あぁ。仕事があるからな。お前も、早いとこママんところに帰れよ。こんな早朝に家から出て、きっと心配してるだろうし」

 

 

子犬を撫でさせたがるメィリィが仮面を被った音を聞きながら、これ以上の話は無意味だとハヤトは背を向けて歩き出す。それに、彼女が自分の前に現れた真意も薄く悟った。

 

多分、呪う気だろう。子犬を執拗に撫でさせたがるのが露骨すぎる。普通の子どもを演じるときだけでなく、素の自分まで出してきたら流石のハヤトも勘づくのに頭は使わない。

 

ここは一つ、事が起きる前に帰ろう。今この場でメィリィを見逃すことがなにを意味するか、分かっているけど、確たる証拠が無いから動こうにも動けないのもまた事実だから。

 

 

「じゃ、またな」

 

 

 今は見逃す。

 

 次は無い。

 

 

そんな意味を込め、背に受けるメィリィの視線に手を振りながら、ハヤトは来た道を戻っていく。

 

この場所以外の結晶石の確認は、既に頭の中から抜けている彼なのであった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「あーあ、行っちゃった」

 

 

遠ざかるハヤトの背を見ながら、メィリィは小さく吐き溢す。楽しみにしていたことが消えたような、つまらなさそうな声色だった。

 

ムッと頬を膨らませ、退屈そうに鼻を鳴らし、唇をつーんと尖らせる。その表情は、ハヤトを前にしていた時のものとはまるで違う——被っていた仮面の裏に隠していたものだ。

 

それが露出するのは、メィリィ・ポートルートという少女が一人になった世界で、本性を出したことを意味し、

 

 

「せっかくならここで噛ませて、呪っちゃおうと思ってたのにい」

 

 

彼女の真意が姿を現したことを意味していた。

 

ハヤトの勘は間違っていなかった。彼女はあの場で、なにも知らないハヤトに子犬を噛ませて呪い殺すつもりだった。一番厄介な存在を、一番初めに始末するつもりだった。

 

あの男がヤバい人だとは聞かされている。というよりも、見ただけでヤバいと分かった。結晶石に悪さをする連中がいるなら潰すと言い切った瞬間に感じた恐怖も含めると、そのヤバさは倍増するばかり。

 

だから、ここで潰すつもりだった。あの男が誰もが寝ている早朝の、こんな人気のない森の中にいる——これを殺すのに最適と言わずしてなんと言う。

 

 が、

 

 

「あのお兄さん、変に勘が鋭いんだからあ。野生の勘ってやつ? 挑発にも乗ってこないし。もう、つまんないの」

 

 

コツコツと寄りかかった大木に踵をぶつけながら不服アピール。抱えた子犬を見下ろしては、「可愛いから撫でると思ったのに」と満足のいかない結果に不満を垂れる。

 

どうやら、あの男は勘が鋭いらしい。危険を察知する嗅覚が人並み外れている。自分がこの子を近づけたときの反応も他とは違ったし、なにかしら察知したのかもしれない。

 

 

「ま、いいけど。どうせみぃんな殺しちゃうし。そしたら、あのお兄さんも少しはいい顔見せてくれるかしらあ」

 

 

不平をさっと片付け、「ふふっ」と釣り上がる唇の隙間から高い笑声を鳴らす。不気味な笑みの矛先は、子犬の頭を撫でる彼女自身にしか分からないことだ。

 

あの男は自分にとって脅威的な存在。その上、あの男は『俺と相棒がブッ飛ばす』と言った。それはつまり、あの男と同格の存在がもう一人、存在していることになる。

 

否、関係ない。敵がなんであろうとも、自分の持てる全てを駆使して蹂躙するまで。自分がここにいる意味——それがやるべきことなのだから。

 

それに、あの男たちと戦うのは、なにも自分一人ではないことをメィリィは知っている。その気配を、先ほどからずっと感じている。

 

 

「せっかくなら顔くらい出せばいいのにい」

 

 

自分とあの男が話していた場所から少し離れた場所、身を潜めるには丁度いい大木の裏。

 

呼吸を殺し、気配を殺し、自分たちの話をじっと聞いていた、早朝の静寂に溶け込む一人の化け物。

 

 

「あのお兄さんに、会いたかったんじゃないのお?」

 

 

不敵に笑いながら姿を現す存在に視線をやり、メィリィはその化け物に笑いかけた。

 

 

「——エルザ」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

行き帰りを含めれば約一時間程度の散歩。意外と短く感じたそれを終える頃には時刻は陽日の六時、つまり朝方の六時を過ぎていた。

 

メィリィとの邂逅を終え、無事にロズワール邸へと帰宅したハヤト。使用人として働き始める彼がまず初めに向かったのは、ベアトリスがいる禁書庫。

 

朝食を用意するために厨房に行くわけでもなく。庭仕事をするために中庭か庭園に行くわけでもなく。洗濯物を取りにいくために脱衣所に行くわけでもない。

 

真っ先に向かうのは、ベアトリスがいる禁書庫。

 

朝の仕事を始める前の挨拶とでも言おうか。一日を始める時、彼女に挨拶をしてからじゃないとなんとなく気になってしまうのだ。おはようを言わないと、気が入らない。

 

それに、マナ徴収の件もある。

 

彼女にとって生命線であるそれの徴収は、あの日から一ヶ月程度経った今も必須条件で。色々と時間を考えた結果、朝の挨拶のときにやろうという形に収まった次第だ。

 

マナ徴収とは。分かりやすく説明するならば、今から約一ヶ月前の出来事——メイザース領に侵入した魔女教徒を叩くべくレムが単身で突撃し、彼女を助けるためにラムが自分とテンを引き連れて、森に突撃した悲劇の夜のこと。

 

その際、とある理由で戦いに参戦したベアトリスは色々あってマナを大量に消費し、マナが冗談にならないくらい枯渇気味になってしまったのだ。

 

ベアトリスという大精霊にとって、それは死活問題。彼女の性質上、他者からマナを受け取ることでしかマナを貯蓄することができないから尚のこと。

 

そのため、マナの貯蓄体積が人並みよりも大きいハヤトに白羽の矢が立った。失った分を貯め直すから、そのマナを自分に寄越せと彼女はハヤトにお願いした。

 

それが、今から約一ヶ月ほど前の出来事。その日から毎日マナ徴収は行われ、その度にベアトリスに最低でも十分間は抱きつかれるのがハヤトのちょっとした悩みで、ベアトリスの至福だったり。

 

 

「よぉ、ベアトリスぅ。起きてっかー?」

 

 

だから彼は、今日も今日とて禁書庫に繋がる扉をドンピシャで当て、自室に入るのと変わらないテンション感で禁書庫へと足を踏み入れる。

 

二階の西棟。ハヤトの部屋から少し離れた場所にある部屋が、今回は禁書庫と繋がっていた。どうせなら、いつぞやの無意識のように自室と繋げてもらっても構わないのだが。

 

それを言うと怒られるから、言わないとして。

 

 

「おはようかしら」

 

 

扉を開けると、一歩先は別世界。

 

部屋のどこを見ても本が視界に映る、奥行きのある二階建ての本の世界。一つ一つ数えていると途方に暮れる量の本が保管された、知識の宝物庫。

 

その管理人——たった今、挨拶を返してきたベアトリスは決まって同じ場所にいる。扉を開けた直線上、数メートルほど歩いた所で、三脚を椅子代わりにしながら膝に乗せた本を読んでいる。

 

 

「珍しいのよ。いつもならあと三十分は遅いかしら」

 

「なんか目覚めちまってな。二度寝すんのも起きれなさそうだし、眠気覚ましに散歩に行ってたんだよ」

 

「朝から散歩……? いつもイカれ男に起こされるお前が……? 今日は、雪でも降るのかしら。出かけるなら傘を持って行く事をオススメするのよ」

 

「ありえねぇ、って言いてぇならそう言ったらどうだ? ケンカなら買うぞ」

 

 

お決まりの軽口を叩き合い、扉を閉めてゆっくり歩み寄ってくるハヤトに、ベアトリスは「朝っぱらから暴れんのは嫌かしら」と面倒そうな声色で言葉を閉じる。

 

閉じたのは言葉だけではない。読んでいた本もだ。会話の中で自然な風に開くそれを閉じ、下を向く顔を上げてはハヤトのことを真っ直ぐ見つめ始める。ちゃんと目を合わせて、話し始める。

 

因みに、ベアトリスが言った『イカれ男』とは、ハヤトの親友であるソラノ・テンのことだが。詳しい話は別の機会に。

 

 

「ケンカもなにも、ベティーは事実を言っただけなのよ。今までのお前を顧みれば当然のことかしら」

 

「朝が(よえ)ぇのは否定しねぇが。俺だって起きれるときは起きれるんだぜ?」

 

「いつもイカれ男に起こされる上にラム(妹の姉)に蹴られて起こされた男が言っても、説得力の欠片もないかしら」

 

「やめろ、思い出すと地味に痛むんだよ。てか、ラムのこと妹の姉って言うの、言い難くないのかよ。いや、それ以前にテンのことをイカれ男って呼ぶな。割と気にしてんだぞ、アイツ」

 

 

閉じた本に頬杖をつきながら薄ら笑いを浮かべてくるベアトリスに苦笑。蹴られて起こされた瞬間を思うと、腹部の内側から異様な痛みが滲む気がして、手を添えた。

 

ゆっくり、ゆっくり、歩み寄り続けるハヤト。近づくのと比例して目の奥に宿る輝きが目に見えて増すベアトリスに彼は「つかよ」とポケットに手を突っ込み、

 

 

「どうでもいいが。お前ってなんでアイツらのこと名前で呼ばねぇんだ?」

 

「理由なんてないかしら。呼びたくないから呼ばない。それだけなのよ」

 

「じゃあ俺は? なんで俺のことは偶に名前で呼んでくれんだ?」

 

「気分かしら」

 

「適当かよ」

 

 

 失笑。

 

即答された雑すぎるベアトリスルールを聞くと、それ以上の追及は出てこない。気分——そう言った彼女の頬に若干の赤みがかかるのを見ると余計に。

 

果たして本当に気分かどうか。赤色の理由を詳しく聞いてみたいところではある。それを聞くと普通に嫌がられるからはここまでにしておくのが、ハヤトという引き際は弁えられる男だった。

 

そうこうしているうちに、彼はベアトリスの前に到着。中身がすっからかんすぎる会話をした数秒間が過ぎる頃、手を伸ばせば届く距離間にまで両者の空白は埋められていた。

 

そうなれば、マナ徴収(いつもの)時間の始まり。

 

 

「ほい。いつものな」

 

 

ベアトリスの前で両膝をつき、両腕を広げて待機の姿勢。特に恥ずかしがることもなく胸元を全開放した数瞬後、「分かったかしら」と頷く彼女が三脚からひょいと飛び降りた。

 

向かう先は、開放された胸の中。かれこれ三十回近く重ねた行為に対して歩み方がぎこちない彼女は、数秒かけて目的の場所まで歩き、開かれた温もりの中に体を埋める。

 

ぽすん。という音と共に彼女がハヤトの肩に顎を乗せながらその体に沈み。背中に回された小さな腕が彼の服をきゅっと掴むと、直後に『その感覚』は訪れた。

 

体の内側から力が吸い取られるような感覚。徐々に体力が抜き取られ、倦怠感が全身に襲いかかるような異常な感覚。

 

マナドレインの感覚。

 

 

「そろそろ慣れたか?」

 

「何に慣れるかしら?」

 

「俺に抱きつく感覚」

 

「くだらないこと言ってんじゃないのよ」

 

 

マナ徴収が始まって数秒後の会話。ふと揶揄ってみたくなったハヤトの声が、ベアトリスの澄ました声に弾かれる。抱きつく瞬間、毎度のようにぎこちない動作を見せても、頑なに認めようとはしない。

 

その澄ました声が徐々に緩くなっていることを、ベアトリス自身はどれだけ自覚しているだろうか。

 

抱きついた途端、視界の右半分に映る幼女の横顔がふにゃりと弛緩していることを、どれだけ知っているだろうか。

 

 

「勘違いすんじゃないのよ。別に、お前に抱きつきたくて抱きついてるわけじゃないかしら。今の、この体勢が——」

 

「一番、効率的なマナ徴収の方法。なんだろ? ほんと、それだけは決まり文句みてぇに毎回言ってくるよな。そこまでくると、抱きつきたいから抱きついてる、って言ってるようなもんだぞ」

 

「なーーっ!?」

 

 

敢えて触れてこなかった部分に触れられて赤面するベアトリス。それなりにダメージがあったのだろう。直球で触れられた途端に肩を跳ねさせ、横目で真横の男を睨んだ。

 

そんな可愛らしい反応に閉じた口の中でくつくつ笑い、広げた腕を静かに閉じるハヤトは胸元の幼女を優しく抱く。五ヶ月間の賜物——やっと心を許してくれた独りぼっちだった子に、温もりを供給。

 

寝起きのベアトリスのツンデレ属性が平常運転しているようで結構。どんな時でも相変わらずすぎて、謎の安心感が沸いてくる。

 

 

「まぁ、別になんでもいいが。……ちょっと聞くけどよ。こうやってマナ徴収をしてきたわけだが、実際のところどれだけ貯められてんだ? あの時に使った分のどれぐらいを取り戻せてんだ?」

 

 

真横にいる幼女の羞恥ゲージが一気に上限突破したのを察し、分かりやすく話題を切り替えたハヤト。ふと思ったことを投げかけ、彼はベアトリスの横顔を横目で見た。

 

自分の赤面を別になんでもいいの一言で片付けられて、不満に思わなくもないベアトリス。しかし、触れられたらそれはそれで恥ずかしい(めんどくさい)と思った。

 

思ったので、深くため息をついて気持ちを切り替えると、

 

 

「まだ全然かしら。あの夜にほとんど使い切ったせいで、貯めるのも一苦労なのよ」

 

「具体的にはどれぐらいしか溜まってねぇ?」

 

「一割にも満たないのよ」

 

「一割にも満たないのよ!?」

 

 

淡々と言っていい内容じゃない言葉に「マジか?」と己の耳を疑って驚くハヤトだが、ベアトリスは淡々と「まじかしら」と言い切る。

 

一瞬、半信半疑の視線を向けられてもその表情が崩れることはなかった。

 

今になって、自分に嘘をつくような子ではないだろう。嘘を語らない真面目な表情からしても、本当の本当に使った分の一割も取り戻せていないらしい。

 

一体、あの夜にどれだけのマナを消費したのか。想像もつかない量に軽く戦慄するハヤトである。体積の大きい自分なら半分くらいは——とか勝手に想像していたのは馬鹿だった。

 

 

「一ヶ月もマナ徴収をした(抱き合った)のにまだそんだけしか取り返せてねぇのか……。大変だな、こりゃ」

 

「だ、だからお前、いい加減にするかしら! ま、マナちょうしゅうを、だ、だだ、抱き合ったとか言うんじゃないかしら! これは抱き合ってんじゃないのよ! マナ徴収してるだけかしら!」

 

 

何気なく放たれた抱き合う発言に過剰に反応し、ハヤトの後ろに回した手でその背中をばしばし叩くベアトリス。反応の濃さこそが彼女の心を雄弁に語っているが、残念なことに今の彼女は気づけない。

 

敏感すぎる彼女の、心を隠すための幼稚な抵抗。しかし、大精霊とはいえども所詮は幼女の力。「確かに、あの戦いはすごかったからなぁ」と感慨深そうなハヤトには通用していなかった。

 

 

「抱きしめるとか、言うんじゃないのよ! お前、それ分かってて言ってるかしら! 絶対にそうかしら!」

 

「なら仕方ねぇな。こつこつ貯めていこうぜ。いくらでも抱きしめてやるよ、ベアトリス」

 

「聞きやがれかしら!」

 

 

しみじみするハヤトと、プンスカするベアトリス。お互い、抱き合いながらのそれは中々に面白い絵面だ。

 

二人の関係をよく知る屋敷の人間が見れば、自分たちが足を踏み入れることが不可能だと確信するほどに仲睦まじく、揶揄ってしまいたくなる。

 

当たり前だ。なんだかんだ言いながら怒っていても、ベアトリスがハヤトから離れようとしないのだから。数ヶ月前ではありえない光景に、きっと開いた口が塞がらないだろう。

 

ベアトリスに訪れた、明らかな変化に。

 

 

「お前、また同じこと言ったらぶっ飛ばす……ぶっ飛ばすかしら! 久々に派手にやってやるのよ!」

 

「そう怒るなよ。朝っぱらからうるせぇって言われるぜ?」

 

「誰のせいだと思って………」

 

 

揶揄ってるのか、鈍感なのか。多分、前者だろうなと思いながらベアトリスは口を閉じる。言葉を最後まで言い切ることはせず、疲労が混じる息を吐いた。

 

頭痛がしたように頭に手を当て、やれやれと言いたそうに首を横に振る。言葉を発する度に胸を貫通する羅列が返ってくると理解して、その流れを自ら断ったのだ。

 

 それに、

 

 

「しばらく黙るかしら。マナ徴収に集中したいのよ」

 

「おう。分かった」

 

 

ふっと真剣な声で禁書庫の空気を変えた瞬間、ハヤトの雰囲気が変わった。揶揄いの色を含んでいた声色が真剣一色で塗り替えられ、言葉を生む口が閉ざされる。

 

真面目な態度には、それ以上の真面目な態度で返してくれるハヤト。こういうときの切り替えの早さに定評のある彼が黙れば、二人を包んでいた明るい声は余韻を残して消えていく。

 

そして訪れるのは、心地よい静寂。声が一切上がらない、ベアトリスにとって落ち着ける時間。

 

 

「ーーーー」

 

 

その静寂は、ハヤトとベアトリスの二人が作り出すものだ。騒がしかった世界が一変、言葉の要らない世界に様変わり。言葉など無粋であると思わされる空間が、作り上げられる。

 

この瞬間は、ベアトリスにとっては密かなる至福でもある。ただ、ハヤトの温もりを感じることができるから。

 

本人には絶対に言ってやらないけど、こうして肩に顎を乗せて、抱きしめられていると、理由もなく安心してしまう。本人には絶対に言ってやらないけど。

 

以前、レム(姉の妹)がイカれ男に抱かれると安心すると幸せそうに力説していたが、こういうことだろうか。否、考えるとふわふわしそうだからやめておこう。

 

今はマナ徴収の時間。ハヤトのマナが自分の中に流れ込んでくる感覚に意識を集める。自分たちだけの秘密の時間の中、いつものように「あと五分」を積み重ねまくる。

 

 邪魔する者は一人もいない。

 

 

「——あれ? なにここ? さっきまでアタシの部屋だったはずだけど。もしかしてどこでもド………」

 

 

 いない、はずだった。

 

静寂をぶち壊す、歪な存在の侵入。自分とハヤトだけの世界に割り込んできた、邪魔者。扉が開かれる音と共に鼓膜に流れ着いた、耳障りな女の声。

 

この瞬間、そういえばあの女は廊下をぐるぐるさせていたなと、不意にベアトリスは思い出す。思い出したところでどうしようもないが。

 

 

「あー、えっとー」

 

 

この世界に足を踏み入れて数秒。なにか、見てはいけないものを見てしまった——気まずそうな声を漏らす歪な存在。

 

抱きしめる体勢の都合上、入ってきて一番にその存在を視界に捉えたのはベアトリスで。その事実に、とてつもない嫌悪感と羞恥心が噴火したのもベアトリスで。

 

色々と言いたいことはある。感じたこともある。けれど、ハヤトがなにか言う前にとりあえず。

 

 とりあえず、だ。

 

 

「ハヤトの—————妹?」

 

「そんなわけないかしらーー!」

 

 

 開口一番。

 

ふざけたことを言ってきやがったその女——ナツキ・スバルを、ベアトリスは豪快にぶっ飛ばしてやった。

 

 

 

 

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