——ナツキ・スバルという女は、寝起きの良さには定評がある。
誰かに直接的な評価をされたわけでもないから、単に自分自身で勝手にそうだと自称してるだけだが。仮に評価をされたとしても、割と高評価を得られるのではという確かな自信があった。
目覚め直後に機嫌が悪くなるわけでもなく。起きても布団の中で三十分以上ごろごろするわけでもない。寧ろ、その逆。起きたら、すぐに動き出せる人間だ。
故に、寝起き直後の彼女は覚醒した意識で、微睡み気味な脳に「起きろー!」と大声で再起動を呼びかける。現状の把握をすべく視界に映る光景から情報を収集し、端的な結論を出し始めた。
結果、得られた情報は全部で三つ。
「アタシん
一つ。
目覚めて一番に分かったこと。今、自分が見ている白い天井は、自分が普段から目にする天井ではないこと。備え付けられた結晶が淡く光り、部屋を天井から床にかけて照らしていた。
知らない天井——そう言うのが最も適している。まさか、自分自身がこの言葉を本当の意味で使う日が来るなんて思わなかった。言葉そのままの意味で、見たこともない天井。
「アタシの知らない枕の感触」
二つ。
見慣れない天井とほぼ同時に感じたこと。今、自分の後頭部を受け止める柔らかさが、普段から使用する枕の柔らかさとは段違いということ。ホテルで使用される枕並みにふかふかすぎる。
自分の枕ではまず得られない感覚。一度でも起きれば、直後に意識が覚醒するスバルも二度寝の誘惑に負けてしまいそうな、癖になる柔らかさだ。おまけに、いい匂いがする。
「アタシの部屋でもない」
三つ。
体を起こして分かったこと。見える光景が普段と違いすぎる。パソコンを弄る勉強机も、好きなアニメキャラのフィギュアやら漫画が置かれた棚も、壁に飾られたポスターも無い。
広い——広すぎる一室だ。自分が寝かされているベッドですらダブルベッドの倍の面積はありそうなのに、それが置かれていも部屋のスペースには余裕がある。多分、軽く追いかけっこができそう。
額縁に飾られた解釈不能な絵画やら、窓際に飾られた花瓶やら、全体的に高級感の漂う部屋。他二つの分かったことも加味すると、この部屋が上流階級の住まう部屋であると一発で分かるスバルだ。
それらを理解し、結論づけ、再認識する。
「夢じゃ……、なかったんだ」
自分の身に起こった現象は、紛れもない現実なのだと。
感じた痛みも、死の恐怖も、人情の優しさも、それら全ては実際に自分が体験したことであり。目が覚めたら自分の部屋で、今までのは夢オチ——なんてことはなく。
「異世界生活……継続中」
自分は、本当の本当に、異世界に召喚されたのだと。
▲▽▲▽▲▽▲
最近になって流行り出した異世界転生、召喚系の物語。それは、アニメ好きならば、誰しもが一度は自分を中心に妄想するであろう夢物語。
平和ボケした人間がなんらかの理由で異世界に飛ばされて、お約束のようにトンデモ能力を授かり。自分最強物語を紡いでいくやつ。
手に入れた能力をぶん回し、小石を蹴るような気軽さで困難を乗り越えて人生楽勝。周囲から称賛の嵐を存分に浴び。自由気ままにスローライフを堪能するまでがワンセット。
尤も、
「アタシの場合、スローライフの欠片もないっての。誰だよ、俺TUEEEとか言ったやつ」
異世界召喚という胸踊る展開が起こったにも関わらず、既にこの有様だ。
初っ端の戦闘から化け物を相手にさせられ、そのくせ異能が爆発するわけでもなく、自分以外の存在に完全に任せっきり。
無双なんてなかった。スバルが思い描いていた異世界召喚と、この世界は違いすぎる。逆に違わないことと言ったら、
「『死に戻り』っつー能力があること、って?」
もはや伝統と言ってもいい展開が、幸いにもあったことだろう。異世界に飛ばされた人間がなんらかの力を授かった状態で第二の人生をスタートさせるという、お決まりが。
だとすれば、運が悪すぎるとスバルは思う。
世界を巻き戻し、待ち受ける悲劇に対して事前に試行錯誤し、回避することを許された能力。もし誰かを相手にするなら、相手の全てにおいて先手を取ることができる可能性を秘めたヤバい能力。
ただし、
「そのためには死ななくちゃいけないから、正直二度と使いたくないチート能力だけど」
単に時間を遡る能力ならまだしも、自分の場合は命を対価とする能力。そう気軽に簡単に使えるものじゃないことなど、火を見るより明らか。それ以前に、使うような状況になってほしくもない。
死の感覚を痛みとして覚えている——その事実がどれだけ異常か、自分の頭は正しく理解しているだろうか。死んでも死ねない能力なんて、捉え方によっては呪いのようなものだ。
時間を戻せる力はあっても、戻ったところで特に力のない自分になにができる。試行錯誤して、それを実行できる力が、一体どこにある。
「そう思うと、マジでハヤト様様。ハヤトがいなかったらどうなってたか……考えたくもない」
体を起こした寝台の上、掛け布団を蹴飛ばして剥いだスバルはあぐらをかいて思い出す。
今の自分があるのは、間違えなくハヤトがいたからだろう。事が一度の死に戻りで済んだのも、行き場のない自分がふかふかのベッドで落ち着いているのも、全て彼のお陰だ。
気さくで、優しくて、男前で、自分と同じ境遇で、死に戻りの共有者で、とんでもない強キャラ。化け物じみた動きのエルザと互角に渡り合うのだから、多分、相当な実力者。
そんな、物語序盤に出会う味方キャラにしては強すぎる男が隣にいてくれたから、こうして自分は生きている。
断言しよう。彼がいなかったら、少なくともあと二回は死んでいた。死因は定かじゃないが、謎の確信と情けない自信がスバルにはあった。
そうならなかったのは、主にハヤトの力によってスバルが第一ステージを突破したことを意味し。同時に、第二ステージに移ったことを意味している。
つまり、
「流れ的に、ハヤトの家って感じかな」
記憶が正しいのなら、ここはきっとハヤトが住むお屋敷なのだろうとスバルは推測する。否、考えずとも分かる。他でもない彼に「屋敷に来ないか」と言われたのだから。
エルザを撃退した後、ハヤト達と一緒に帰路について、地竜と呼ばれるトカゲのようなでっかい生き物に仰天。
それから竜車と呼ばれる馬車的な乗り物に乗って、外の景色を眺めていたら途端に疲れて———。
「寝落ちたな、アタシ」
そこからの記憶がないあたり、そういうことになる。眠る自分を誰がこの部屋まで運んでくれたかなんて、想像に難くない。
部屋に運んだついでだろうか、身を包む衣類がジャージから患者衣に変わっている。ついでに、ざっと確認した感じ下着までも変わってる。
まさか部屋に運んだ存在は、それだけに終わらず下着を含めた着替えも、
「いやいやいや! それはないそれはない! 寝落ちて部屋に運ばれた挙句、アタシの隅から隅までハヤトに見られてるとか、もうお嫁にいけなくなっちゃうーー!」
完成しかけた言葉を破壊し、首をぶんぶん横に振って、途端に騒ぎ出しながら全否定するスバル。
両手で華奢な体を抱きしめる彼女は、「てか、寝顔もバッチリ見られてるじゃん!?」と己の乙女指数の大暴落の予感に暴れ回った。
流石にない話だと信じたい。寝顔はともかく、自分を着替えさせたのは彼ではないと思いたい。あんな『良い奴』の要素だけで作られた男が欲望に従順な男だったら、世の中の男の全てが悪に見えてしまう。
いや、寝顔も普通にアウトだが。
「となると、アタシを着替えさせたのは笑顔が眩しいエミリアちゃんか、あの桃髪の毒舌メイド……ラムとか言われてたっけか」
脳内で勝手に作られる、両手をわきわきさせるハヤトが自分の服を脱がせる絵面を木っ端微塵に破壊。それから顎に手を当て、彼以外の選択肢を思い浮かべる。
その二人のどちらかが、自分を着替えさせたと思うのが妥当。短時間でも良い奴だと思わされるハヤトが、自分の裸を見るわけがない。それくらいの配慮はできるはずだ。人として。男として。
そう、スバルは結論づけて頷く。どうしても心配なら聞けばいい話だし。仮にそれで「おう。俺が着替えさせたぜ」と真顔で言おうものなら、
「アタシの必殺平手打ちが火を吹くぜ。あ、でも、平手打ちなんてしたことないからアタシの方が痛いかも。ハヤト、めちゃんこ頑丈そうだし」
震える右手を薙ぎ払い、「ハヤトのエッチ!」と平手打ち。パチーンと乾いた音が響き、打たれたハヤトではなく打ったスバルが痛がる不思議な光景が脳裏に浮かび上がってくる。
その出番は無いと信じることにしたスバル。頭の中で着替え騒動に一旦の区切りをつける彼女は、ふと思って寝台から足を下ろして窓際に近づき、閉じていたカーテンを思いっきり開いてみた。
瞬間から眼球を焼く陽光に、目を細めて数秒。目が眩む感覚が消えると、視界に広がったのは人工的な整備が窺える広大な緑の大地——おそらく庭園である。
「すっげぇー、めっちゃ広い。屋敷って言うくらいだから広いとは思ってたけど、なにこれ。庭っていうか原っぱじゃん」
開けた窓から顔を出し、肌を撫でた冷たい外気に「ふぉう」と身を震わせながら軽めの感激。金持ちの屋敷の庭園、アニメや漫画で広がる光景がそのまま映し出されたような光景だった。
この光景だけで察せられる、屋敷の主の身分の高さ。部屋の内装からして薄々勘づいていたことだが、その予想が今ので明確に固まった気がする。
どうやら自分は、とんでもない人間と関係を築いたらしい。自分と同じ境遇を持った人間がこんな『大』がいくつあっても足りない豪邸に住んでいたなんて、ラッキーだったと思うべきだろうか。
となると、
「とりあえず、ハヤト。ハヤトを探さなくちゃ」
回れ右。
窓に背を向け、素足で歩くスバルは床の感触を足裏に感じながら扉へ一直線。考えること全てにハヤトの名が上がることを静かに自覚すると、衝動に駆られたように行動を開始。
昨日のお礼をちゃんと言いたい。衝撃的な出来事の連続すぎて疲れて寝落ちたせいで、命を助けられたお礼を落ち着いて言えていなかった。
ハヤト自身のことも聞きたい。この世界に飛ばされた経緯とか、出会ったばかりの自分にどうしてここまで優しくしてくれたのかとか。色々と聞きたいことがあるのだ。
それら全部まとめて、彼と話したい。
「外の雰囲気的に早朝だけど……きっと起きてると信じて! ハヤトの部屋とか知らないけど、そこは勘を頼りに探し当てるとして! ナツキ・スバル、行きます!」
そんな適当な決意を胸に、スバルは扉を開けて部屋の外へ。ここから新たなアタシの冒険が始まる——と、知らないものばかりの世界に胸を躍らせて。
今のところ、この世界において唯一とも言える同族。自分にとっての生命線と言っても過言でない存在を探し求めて、屋敷の中を探索し始めた。そして、
そして——。
「ハヤトの————妹?」
「そんなわけないかしらーー!」
ドリルが目立つツインテール幼女に、豪快にぶっ飛ばされる結果に至った。
▲▽▲▽▲▽▲
「——ん? 今、スバルの声が聞こえた気がしたが? つかお前、今なにした? すっげぇ衝撃波を背中に感じたが?」
「なんでもないかしら。ちょっと虫の掃除をしただけなのよ」
「虫?」と小首を傾げるハヤトに抱きつきながら、ベアトリスは「ふん」と形のいい鼻を鳴らす。自分の領域に足を踏み入れてきた女を部屋から追い出した直後にしては、冷静すぎる態度だった。
まるで、異変をハヤトに悟らせないような。彼の肩に顎を乗せる彼女は、気にするなと言わんばかりの澄まし顔である。
ぶっ飛ばしたスバルが通過した扉を閉め、また入ってこないように禁書庫の位置を少し横にずらすベアトリス。
そうやって、巧みな早技をハヤトに悟られないように終えた彼女は、邪魔者が消えた世界で再び至福の時間を堪能、
「いきなりなにするの!? このドリルロリぃ!」
堪能、できない。
わざわざ位置を変えた扉が凄まじい音を立てながら押し開かれたのは、ベアトリスがスバルを追い出してから数秒後の出来事だった。
吹っ飛んだ衝撃で右肘を強打したらしい。左手を痛む箇所に添えるスバルが、怒号と共に青筋を立てながら禁書庫の扉を開いたのである。
扉渡りが破られたことに「コイツもベティーの扉渡りを……」と、小さく驚くベアトリス。怒るスバルなど眼中にない彼女は今、ハヤト以外に破れる人間がいる事実に驚愕。
その間にも、スバルはベアトリスの方へとどかどか近づいてくる。その足音と声を聞き、ハヤトもスバルの存在に気づいた。
「おぉ、スバル。目ぇ覚めたか。元気そうでなによりだ」
「もちろん。ハヤトのお陰で怪我もないし、この通り元気もりもり……って違う違う! 今アタシ、ハヤトに抱きついてるドリルロリにぶっ飛ばされたんですけど!」
「普通に、肘ぶつけたんですけど!」と。
首だけ振り返るハヤトの呑気な声に流されかけたスバルが、自分を鋭い眼光で睨んでくるベアトリスを強く指差す。そのテンションの昂りは怒りの感情が半分、もう半分はハヤトを見つけられた喜びだ。
怒りと喜びが合わさった結果、声と態度が大きくなるスバル。興奮気味な彼女は、抱き合う姿勢から一向に変わる気配のない二人を違和感に思いながら、視線をハヤトに移し、
「初めて会う人のことを豪快にぶっ飛ばす。さて、どんな教育されたらそんな狂気的な発想になるのか、是非とも聞かせてほしいところ」
「大丈夫だ。俺も最初の頃はよくぶっ飛ばされてたからな。これがベアトリスの普通だ」
「大丈夫な要素が一つもない上に、すっごい理不尽な理由なんだけど。てか、答えになってないし」
つまり、これがあのドリルロリ——ハヤトにベアトリスと呼ばれた幼女の普通と言いたいのか。気に入らないことがあったらとりあえずぶっ飛ばすのが、あのロリの当たり前だと。
答えになっていない言葉を返され、不満感全開なスバル。ぶっ飛ばされた時点で若干の敵意が芽生えそうな幼女を見ても、その澄まし顔に反省の色は見られず、不満は更に膨らんでいく。
「懐かしいねぇ。俺も昔は、
そんなスバルの不満を前に、しみじみした様子で語るハヤト。その頃のことを思い出したか、ちょっとだけベアトリスが気まずそうな顔をする中、彼は過去に思いを馳せる。
しかしそれも数秒のこと。「あぁ、あれは凄まじかった」と溢したのを最後に、記憶の奥底から現実世界に帰ってくると「まぁしかし」と前置き、抱きつくベアトリスの背中をポンと叩いて、
「スバルは俺と違って頑丈じゃねぇし。流石にぶっ飛ばしたのは見逃せることではないわな。痛そうにしてるし、とりあえず謝っとけよ」
「嫌かしら。あんな小娘にくれてやる謝罪なんてないのよ。そもそも、ベティーの趣向を凝らした迷宮をぶっ壊したのが悪いかしら」
その上、マナ徴収の時間を邪魔されたのだから。最初から悪印象を抱くスバルに送る謝罪の言葉など一つもない。寧ろ、あの程度で済ましてやったことに感謝するがいい。
そんな言い草で言い切るベアトリスの表情は依然として澄まし顔。スバルの味方につくようなハヤトの態度が気に食わないことも相まって、意地っ張りに拍車がかかっていた。
自分が被害者側であるとするスバルからすれば見過ごせない態度。しかし、今の一言に引っかかるものがあったのだろう。「迷宮?」と大きな疑問符を頭の上に浮かべると、
「もしかして、同じところずっと歩かされる廊下のこと? アレ、君がやったことだったのね。だとしたらメンゴ。色々と頑張ってたみたいけど、アタシってば、言動直感もろもろ空気読めないところがあるから」
「一発で正解の扉、見つけちゃった」と。軽薄な様子で中身のない謝罪を口にし、手を合わせるスバルが二人に笑みを見せる。その態度は、ベアトリスの神経を逆撫でするものでしかない。
「この小娘……」と心底嫌そうな表情を分かりやすく面に浮かべるベアトリス。そのすぐ真横、スバルの語った現象に思い当たる節のあるハヤトが「あぁ!」と声を上げ、パチンと指を鳴らし、
「ベアトリス。お前、さては俺が屋敷に来た頃にやった事と同じ事やってたな? 一生、廊下ぐるぐる回るやつ。同じ絵がずっと続いて、歩いても歩いても景色が変わらないやつ」
「あ、ハヤトもやられたんだ。廊下無限ループ」
「おう。やられたぜ。一生、廊下ぐるぐる回るやつ」
絶対に譲らないハヤトの、直球すぎるネーミングセンスはともかく。スバルも自分と同じ現象を体験していたことに、彼は「そうかそうか」と楽しそうに笑う。思い出し笑いだ。
その現象、ハヤトも体験したことがある。今からずっと前——ロズワールの屋敷に滞在した初日のこと。見知らぬ部屋で目覚め、テンを探すために屋敷を探索しようとして、その現象に襲われたのだ。
尤も、最終的には歩いても数十秒後には元の位置に帰ってくる現象を楽しんでいたから、襲われたという表現は違う気がするが。
「つーか、お前よく
「ってーと?」
「この部屋はちょっと特殊な部屋でな。来ようと思っても簡単に来れない部屋なんだよ」
「なにその、RPGゲーのダンジョンにありそうな低確率で入れる隠し部屋みたいな言い方。乱数で来れるか来れないか決まってんの? 千回に一回みたいな? そういうカンジ?」
「…………ん?」
「伝わらなかった!?」
自分と同じ世界からきた人間なら分かる例えだと思ったのだが、どうやらそうでもなかったらしい。引きこもり生活を送ってはゲーム三昧のスバルからすれば、ドンピシャな例えだったというのに。
若干、衝撃を受けるスバル。会話についてこれないベアトリスが疎外感を感じてもやっとする中、ハヤトは「そんな不規則じゃねぇよ」ともやっとしてる幼女の頭に手を添え、
「この部屋は……あー。簡単に言うとベアトリスの部屋でな。常にランダムで屋敷の部屋のどれかと繋がってるから、偶然で来れるもんじゃないんだよ」
「常にランダムで屋敷の部屋のどれかと繋がってる……? 部屋自体が動いてるってこと?」
「まぁ、そういう感じだ。部屋が少なかったら見つけるのも苦労しないが、この豪邸だ。ここを見つける手段がなきゃ、そう簡単に正解の扉を開けれねぇのさ」
「俺は違うけどよ」と言葉を付け足すハヤトを前に、スバルは少し考える。
聞いた感じ、この部屋は自分を廊下ループ現象に閉じ込めた張本人——ベアトリスの部屋で。その部屋は摩訶不思議な力によって移動するから、簡単には来れないと。
じゃあ、自分はどうしてこの部屋を見つけられたのか。そんなもの、
「なんとなく。なんとなく、扉に違和感があったの。言葉にできないけどね。んで、その扉を開いたら二人がイチャついてる現場に遭遇。見てんじゃないわよ! ってそこのロリにぶっ飛ばされたわけ。肘、ぶつけたわけ」
「だってよ、ベアトリス。俺以外にも、ここを見つけられる人がいたらしい。良かったな、話し相手が増えたぜ」
「良くないかしら。全然良くないのよ」
「あー、肘痛いなぁ! これ、折れたかもなぁ!」とわざとらしく騒ぐスバルを横目にしながら、冗談じみた言い方をしてくるハヤトに、今だに本気で嫌そうな顔をしているベアトリスが即答。
久しく見る顔だと思う。これを見るのはいつ以来だろうか。多分、自分がベアトリスと仲良くなる前に見たのが最後。最近は見せなくなったそれが、今は全面的に露出している。
これは、結構マジなやつだ。
「てか、今更感あるけど、なんでさっきっから二人は抱き合ってんの? あれ? もしかしてイチャイチャしてた感じ? アタシ、邪魔しちゃった? 修羅場ルート入る?」
この状況を長引かせるとベアトリスのイライラが蓄積するのではと懸念を抱くハヤトだが、呑気なスバルはそんなことなど知らない。
ふと思ったように膝立ちの彼と、彼の胸にすっぽり収まる幼女に問いかけていた。
外見的に十八、九歳の青年と十歳前後の幼女。歳の差カップルというには度がすぎる光景は、一見して仲良し兄妹に見えなくもない。
しかし、その選択肢は開口一番に消された。ぶっ飛ばされながらでも耳に入ってきた声——兄妹関係を否定する幼女の声が、頭の中で強く反響している。
目の前の二人の関係が曖昧で、眉間に皺を寄せながら小首を傾げるスバル。腕を組む彼女に笑いかけるハヤトは「そんなんじゃねぇよ」と、
「ちょっと、こうせにゃならん事情があるだけだ。まぁ、ベアトリスが俺から離れねぇのは事実——」
「事実じゃないかしら。ベティーはただ、マナ徴収が終わらないから、仕方なく、くっついてるだけなのよ。勘違いしてんじゃないかしら」
淡々と言い切るハヤトに、ベアトリスは食い気味だ。言葉を最後まで言わせず、自分の言葉で強制的に終わらせる。三十回以上と重ねた行為だが、表向きの理由だけは絶対に譲るつもりはないらしい。
あくまで仕方なく。そう、仕方なくだ。本当にそうかなんて分かりきったことだけど、口に出すと盛大に揶揄われそうだから、言葉にするのはいつも通りの本心と真反対の言葉。
どっちが本当のことを語っているのか、深く考えなくても答えは自然と出てくるスバルである。だから彼女は、分かりやすい態度の現れようにはっとし、顎に手を当ててベアトリスを凝視すると、
「この子、もしかしてツンデレ属性?」
「今のでよく分かったな。すっげぇ
「なに言ってるのか意味不明だけどベティーをバカにしてるのは分かったのよ。またぶっ飛ばされたくなかったらその口を閉じるかしら。小娘」
自分を見る二人の目が居心地の悪い目に変わったことを察し、無礼な女に手を向けながら軽く言い捲し立てるベアトリス。
この瞬間。理解不能な意思疎通に頷き合う彼らを見たせいで、またしても、自分一人が仲間外れにされたような気分にもやっとするものがあった。手を向けたのは、感情が行動となった結果だろう。
そこでぶっ飛ばす対象にハヤトが入ってないあたり、関係値の格差が垣間見える。彼に言われることに不快感は感じないのか、お咎めは初対面のスバルのみ。
と、
「——もう十分かしら」
一言。
小さく言い、向けていた手を引っ込めたベアトリスがハヤトの胸の中から離れる。それが意味するのはマナ徴収タイムの終了であり、彼女にとって至福の時間の終了。が、ここでハヤトは「ん?」と不思議そうに喉を鳴らす。
自分の内側から体力がごっそり持ってかれる感覚が余韻を残して消えるのを感じつつ、一歩程度の距離を空ける彼女に「もういいのか?」と目で語りかけた。
返されたのは無言の頷き。顎を引くように頷く彼女からは肯定の意が返ってきた。この時間、普段ならあと三十分は続くのだが、今日は珍しく五分程度で満足したらしい。
なら良し。自分とベアトリス以外の人間がいる今、深く追求しないハヤトは「そうか」と彼女だけに聞こえる声で呟き、
「じゃ、今日のマナ徴収は終わりな。また明日、朝一番で来るから、続きはそんときに」
「分かったかしら」
「え、毎日やってるの?」と背中からスバルの驚きの声が投げかけられるも、特に取り合わない。それどころか、彼らは互いに「ふっ」と笑い合って無言の意思疎通タイムに突入。
今度は、スバルが置いてけぼりにされた瞬間だった。勿論、抱き合う事情を知らないのだから当たり前だと納得できる。かといって不満がないわけではないが。
そんな風に疎外感を感じてしまうスバル。気に食わない彼女は「あー」と二人の領域を破壊するように声を発し、
「ハヤト。アタシ、ハヤトに用があるんだけど。今から時間ある?」
直後。
こちらを見るベアトリスの目がキッと尖り、刺すような敵意が自分に放たれたのをスバルは認識する。幼女が抱くにしては、いささか鋭すぎるほど純粋で混じり気のない感情だった。
見て見ぬふり。触れた瞬間に弾けるシャボン玉のようなそれを流すスバル。内心、冷や汗をかきそうな彼女にハヤトは「あるっちゃあるが」と立ち上がって振り返り、
「庭仕事しながらでもいいか? 格好から分かると思うが、これでも使用人なんだ。このあとに朝の仕事が俺を待ち受けてんだよ。もうそろ、始めなきゃいけない時間だぜ」
「だりぃ」と。約四ヶ月も担ってきた作業に愚痴をこぼし、マナ徴収によって襲いかかる倦怠感を跳ね除ける勢いで背筋を伸ばす。真横にいる幼女の目つきが鋭いことなど、知らないまま。
否、時間があるのならなんだっていい。敵意が殺意に変わる予感がしてきた幼女とは絶対に目は合わせないまま、スバルは「おっけおっけ」と首振り人形のように何度も頷き、
「なら都合がいいじゃない。その仕事、アタシも手伝ってやるよ。そうすりゃ仕事も捗るし聞きたいこと聞けるし一石二鳥、ついでにアタシの暇も潰せて良いこと尽くめ!」
「いや、下手すりゃ指がちょん切れるから外から見ててくれ」
「どんなエキサイティングな庭仕事をするおつもりで!?」
この世界の自然は襲いかかってくるのかな。なんてことを思いながら声を荒げるスバルを「冗談だよ」の一言で落ち着かせ、伸ばした背筋を縮めながらハヤトが一息。
やはり、マナ徴収直後の倦怠感はいつも重く感じる。
彼女も自分のことを気遣ってなのか、干からびるまで吸い取ることはないにしろ、マナを貯蔵するオドの中から半分以上も無くなるとなると、残存する重だるさは否めない。
この感覚に耐えられるのは自分だけだろう。自分以外の人間がやられた場合、軽くぶっ倒れる気がする。彼女自身、徴収直後に動けるのは凄いと語っていたし。
「うし。じゃ、行くか」
自分が我慢強いのは置いとくとして。
背伸びを終えたハヤトは「またあとでな」とベアトリスに手を振ると歩き出す。柔らかく笑いかけたのを置き土産とし、朝の挨拶を終える気配を漂わせた。
その横に並ぶのは「積もる話がたくさんあるんだけどさ」と、馴れ馴れしく話し出すスバルだ。ポケットに手を突っ込むハヤトの真横——いつもならベアトリスが立っている場所に、その女はいる。
「積もる話、ってなんだよ?」
「同郷の語らいってやつ。ほら、昨日も話してくれたけど、アタシとハヤトって同じじゃん? 通じる話もあると思ってさ」
——その横並びが、ベアトリスにとってはひどくもやっとする。
徐々に、自分から遠ざかっていくハヤトとスバル。その後ろ姿をじっと見ていると、なぜか胸の中で燃え盛る感情があった。ふつふつと沸騰する、灼熱の想いがあった。
知らない、こんな感情。初めてだ、こんな想い。
想いの矛先はハヤトではない。彼の横に並ぶ女だ。自分とハヤトの世界に割り込んできた、空気の読めない無礼な小娘だ。
「また来るぜ。ベアトリス」
そうこうしているうちに扉が開き、先にスバルが姿を消した。その次に、振り返ったハヤトがいつもの言葉を投げかけて、笑みを残しながら扉は閉まる。
全くもって変わらない、いつもの光景。ただそこに、スバルという異質な存在が一つあるだけで、ベアトリスの心はこんなにも荒れてしまう。
二人が部屋から消えた今——そう、今この瞬間も、あの女がハヤトの隣にいると思うと心が抉られる。抉られて、抉られて、居ても立っても居られなくなる。
「……もやっとするかしら」
自分しかいない世界。途端、静寂が存在を主張し始めた空間で一人、ベアトリスは呟く。
どうしてだろう。その小娘とハヤトの横並びを見ていると、こんなにももやっとしたのは。
どうしてだろう。自分の居場所と言っても過言でない場所に、自分以外の小娘がいて、その光景が脳裏にこびりついて消えないのは。
分からない。分からないけど。
「ベティーが……ハヤトの一番かしら」
この時。
スバルを嫌う理由がベアトリスの中で確定されたのは、確かなことであった。
スバルがテンに近寄る=レムがイライラ。
スバルがハヤトに近寄る=ベアトリスがイライラ。
おい、これどーすんだよ。