長いです。色々と詰め込んだら14000文字。
目が疲れない程度に、読んでくださいね。
「遅い」
「第一声がそれか」
家庭的な音が継続的に立つ厨房に、張りのあるラムの声と呑気なハヤトの声が響く。その会話は彼が厨房の扉を開けた直後に交わされたものであり、『ほのぼの』の開始を意味するものだ。
数十分後に迫った朝食の準備をしていたラムに、早朝の仕事を終えたハヤトが合流した形。レムの指示に素直に従う彼が、たった今、厨房に到着したのだ。
厨房の中央に置かれた長机、その横に添えられた椅子に座るラムが作業の手を止めてハヤトを軽く睨み。両開きの扉を堂々と開けたハヤトが苦笑いを浮かべている。
「別に、俺はお前を待たせた覚えはねぇけど?」
「えぇ、そうね。別に、ラムも脳筋を待っていた覚えはないわ。待たすのは好きだけど、待たされるのは嫌い」
「それ、待たされる側からしたら最悪だぞ」
なら、どうして第一声がそれなのか。
棘のある声色のくせに不機嫌そうに見えない様子のラムを視界に入れながら、ハヤトは吊り戸棚を開ける。中から朝食に使う食材を取り出すと、戸棚を閉めた。
作業の準備を始めるハヤトを視界の隅っこに収めるラム。作業の手を止めない彼女は「でも」と、いつも通り芋の皮剥きに勤しみながら、
「ラムよりも遅く厨房に来たという意味合いでは遅いと言える。よくもまぁ、先輩であるラムが先に働いている場に、後輩である脳筋が謝罪の一つも無しにのうのうと顔を出せたわね」
「礼儀知らずも甚だしい」と、ハヤトの背に毒舌を放つ。
本来、それはラムが寝てる時間から早朝の仕事を開始したハヤトの台詞なのだが、ラムという女王の前では全てが覆されるらしい。いつもの光景だ。
朝っぱらから元気なようで結構。エンジン全開アクセルべた踏みの毒舌を受けたハヤトは、「そうかい。そりゃ、悪かったな」と軽く受け流す。
もはや、これがラムの平常運転まである。毒舌が彼女の親しみのある接し方で、会話の初めからそれが放たれたのは、彼女がハヤトを親しい存在であると思っていることに他ならない。
故に、特に気にしないハヤト。聞き慣れすぎて受け流しスキルが数値をカンストした彼は、まな板と包丁、ボウルの中に入れた取り出した食材を机に置き、ラムの斜め前の椅子に腰掛ける。
瞬間、どっと溢れた疲労感に表情が歪んだ。
「あー、疲れた。昨日の今日で早朝から働くのは流石にしんどいな。疲れがまだ取れてねぇってのに。これだから剪定は嫌なんだ。わざわざ庭園を歩き回る必要がある」
「それに関してはよくやったと言ってあげる。あの
「ありがとよ」
疲労気味なハヤトが「ふぅ」と息を吐き、意識の半分を作業からハヤトに移すラムが彼を労う。そこに先ほどのような適当さはなく、素直に功績を誉めてくれているのだとハヤトには分かった。
よくやったと言ってあげる、ご苦労様——言い方が地味に上から目線なのが腹立つが、気にするだけ無駄なので無視。
それ以上に、エルザと互角に戦えるのがハヤトしかいないとラムに言われたことが嬉しかった。彼女に実力を認められたと思えて、ちょっと心が震えた。
「ラムは大丈夫なのか? 疲れてねぇのか」
「脳筋のそれと一緒にしないでちょうだい。ラムは戦いに夢中になりすぎて、自分の限界を超えて戦うようなバカとは違うもの」
「それ、俺のこと言ってんのか?」
「自分のことだと思ってる時点で、半ば認めたようなものよ。バカ」
「こいつ……」
上手いこと釣られた気がして、「うぅ」とハヤトは低く唸る。対してラムは、口の端を持ち上げて勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。嘲笑に分類される笑みだ。
実際、それで間違っていない。屋敷の全員から戦闘大好き人間だと認識されているし、ハヤト自身も自分がバトルジャンキーだと思っている節はある。
しかし、悪口のように言われるのはムカっとくる。
ムカっとくるが、口にしたところでラムに負かされるだけだ。今のところ彼女に口喧嘩で勝てたことはなく、挑んだ回数だけ連敗数が加算されていくのがオチ。
基本的に、ハヤトがラムに勝てる要素は無い。あるとすれば声のデカさくらい。
「つかよ、ラム。ちょっと聞けや」
「口より手を動かしなさい」
「そんな突き放し方するか? なに、情緒不安定なの?」
数秒前まで会話に付き合っていたラムの急な態度の変化に驚きつつ、ハヤトは言われた通りに作業を開始する。手を動かすことについては最もな意見だと思った。
作業は単純。食材を食べやすいサイズに切る。以上。それ以上はレムの領域。自分が下手に手を出すと朝食の質が落ちるからやめろと、前にラムに怒られたことがある。
「でよ、ちょっと聞けや」
「なに?」
手を動かし始めたことで会話を咎められることがなくなったハヤト。ラムの意識がこちらに向いたことを感じると、彼は「あのよ」と会話の種を撒く。
撒いた瞬間、即開花する種だ。
「今日はよ、珍しく早朝に起きることができてな。なんと、レムが起きる時間に目覚めることができたんだよ」
自慢するような声で言い、ハヤトはドヤ顔で表情を彩る。十八歳にして早起きを自慢のネタにする情けなさはともかく、作業の手を進める彼は誇らしげだ。
とてつもなく、くだらない内容。親しい友人同士の談笑、そう表現する以外に適した表現がない。必要性を問われれば、間違えなく首を横に振るそれ。
けれど、その会話をするのは嫌いじゃないラム。こうして厨房で一緒にいる時間は必ず広がるそれに、彼女は「意外だわ」と澄まし顔のまま、
「テンテンに起こされるまで、眠りこけてるのが普通だと思ってたのに」
「お前、レムと同じこと言うのな」
「当然。ラムとレムは姉妹だもの」
姉妹であることに絶対なるものがあるらしい。ハヤトの早起きに対し、レムと同じ感想を抱いたと言われて、ラムも誇らしげな表情を浮かべた。
ハヤト的には姉妹揃って意見が一致されると悲しくなってくるが、実際はそれで間違っていないだろう。
これまで——この世界に召喚されてからずっと、朝にすこぶる弱いハヤトはテンに起こされる
ハヤトも、ラムも、自分だけの力で目覚めることがないのが普通だ。
「目覚めることができた。つまり、意図的に目覚めたわけ?」
「そうだな」
「絶対にうそ」
だからラムは突っかかる。下手したら自分以上に朝に弱い男が早朝から、それもレムが起きる時間に目覚めるなんて嘘に決まっていると。
信じる信じないの問題ではない。無理だから。起きれたことなんて今の今までに一度もなかったから。
テンが起こすのを忘れた日は、ラム直々に、寝坊したハヤトの土手っ腹に蹴りを捩じ込んでやったことだってあったくらいだ。
「テンテンと真反対な脳筋がそんなに早く起きれるわけがない。偶然に目が覚めたならまだしも、意識的に目覚めることができるなんてあり得ない」
「そこまで断言しなくてもいいだろ」
「当たり前のことを言ってるだけだけど?」
「それを断言って言うんだよ」
レムとは違い、ハヤトの言葉を素直に受け入れないラム。「なに言ってんだコイツ」とでも言いたげな目を向けてくる彼女に、ハヤトは苦笑いの裏で舌打ちした。
レムは素直に感心してくれたが、ラムはそう簡単にはいかなかったらしい。ちゃんと事の本質を見抜き、ハヤトの浅はかなマウントを蹴散らしている。
偶々目覚めたことを、あたかも意図して目覚めたように自慢するハヤトがついた嘘を当然のように看破し、頑なに信じようとしていなかった。
それでも、引き下がれるようなハヤトではない。今、引き下がったら「幼稚なことで上をとって楽しい? 可哀想なやつ」とでも言われて、バカにされそうだ。
「寝てるお前を起こして煽りまくってやろうとも思ったが、起こすのはレムの仕事だしな。こうして口だけで済ませてやったんだよ。どうだ、すごいだろ」
「寝込みを襲うとか、死ねばいいのに」
「なぜそうなる」
結果、バカにされなかった代わりに白い目で見られたハヤトだった。相変わらずラムのペースを崩すことはできず、刺さった毒舌に苦笑う。
早起きしただけで煽るハヤトの幼稚さが気になるが、ドヤ顔が滑稽に見えるからラムは敢えて指摘しない。華奢な体を抱き込み、か弱い女子を思わせる仕草をしながら、机を挟んで斜め前に座る男を睨んだ。
朝が弱く、負けず嫌いな性格をしてる二人だから成立するくだらないマウント合戦。『早起き』という話題一つで会話が成立するのは、この二人の関係が深いことの証明だろう。
「——それで?」
ハヤトのドヤ顔を受け流したラム。不意に彼女は、なんの繋がりもない疑問を投げかける。当然、意味を理解できるはずもない彼に「は?」と小首を傾げられた。
向けられる疑問の目を感じながらため息。作業の手を止めると、ラムは意識と目をハヤトに向けながら、
「出会ったばかりの女を屋敷に連れ帰った脳筋は、一体なにを考えているのかしら」
ぱっと話題を変え、突っ込んだ疑問を投げかける。表情も、目も、声色も、態度も変わりない。ただ、纏う雰囲気だけを真剣にしながら、昨日から胸に残り続けた思いをまっすぐ。
現状からして唐突とは言い切れないそれに、しかしハヤトはすぐに言葉を返せない。早起きの話題からスバルの話題に切り替わる速度が早すぎたため、気持ちの切り替えが僅かに追いつかず、
「顔も名前も知らなかった女をこの屋敷に連れ帰って、脳筋はなにをしようとしているのかしら」
その僅かな間に、ラムは畳み掛ける。
なにを考えて、なにをしようとしているのか。どちらかといえば聞きたいのは後者。なにを考えてハヤトがあの女を屋敷に連れ込んだかなど、彼の性格を考慮すれば簡単に分かる。
問題はそのあと。これから彼がなにをしようとしているのかが不透明で、相変わらずこちらの想像を越える言動をする彼のことが全く理解できずにいた。
だからだろうか。尖った言い方に受け取られてしまい、同じく作業の手を止めたハヤトは目を細め、
「なんだその言い方。妙に刺さる言い方じゃねぇの。俺がスバルに変なことでもしようとしてると思ってんのか?」
「ナニをしようとしているのかしら」
「言い直さなくていい。なんでソッチに話を向けようとすんだよ」
胸にぶつかる疑問の衝撃を殺し切り、気持ちを切り替えたハヤトが腕を組みながら言う。その姿勢は作業から意識を切り離し、ラムと話すことだけに意識を向けたことの示唆だ。
ちゃんと話してくれるのだろう。そんなことを思うラムもまた意識をハヤトだけに向ける。
手にした包丁を机に置き、近くにあった濡れ布巾でさっと両手を拭きながら、
「ソッチ、ってなに? ラムはただ、理解できない脳筋の意向を聞いてるだけよ。……それなのに脳筋ときたら」
やれやれといった具合で首を横に振る。それから赤色の眼光をキッと尖らせてハヤトを睨み、
「いやらしい。このど変態。性欲だけの卑劣漢。二度とラムに近づかないで」
「今のはお前が悪いだろ。これは流石に」
先程と似たようなやりとりを交わし、ハヤトが息をこぼす。疲れたようなため息。
人が真面目に話そうとすればすぐこれだ。茶化されて睨まれて、変態扱いされて、茶化したのはそっちのくせに「それで?」と再び同じことを聞き返してくる始末。振り回される自分の身にもなってほしい。
気にしても仕方ない。今度は切り替えをすぐに完了させると、
「スバルを屋敷に連れ帰った理由は簡単。アイツは帰る家がなくて、あのまま放置してたらその辺で野垂れ死ぬからだ。悪いが、俺はそんな女を放っておけるほど薄情な男じゃ———」
「ラムが聞きたいのは、そんな主観的な理由じゃない」
薄情な男じゃない。
そう言い切ろうとする前にラムの声が割り込み、ハヤトの口を強制的に止める。この胸を一直線に突き抜ける声色はやや感情的で、真剣な雰囲気が声に宿ったのだとハヤトは直感的に察した。
察せたのは、この態度のラムを何度も見てきたから。心を覗くようにじっと見つめ、視線を刹那たりとも逸らさなくなった彼女の真剣な眼差しを、彼は知っている。
「あの女を連れ帰った理由、本当にそれだけ?」
ふっと真剣な表情を作り、ラムは静かに問う。
その瞬間、厨房の空気が彼女に支配され、たった一言で空間全体に緊張感が伝播していった。顔を出したシリアスがほのぼのを塗りつぶし、緩む糸がピンと張り詰めていく。
ハヤトは自分に何かを隠している——そんな確信めいた言い方だった。嘘を許さない赤色の瞳に全てを見透かされているような気がして、ハヤトは不快感を覚える。
不快に感じるのは、嘘に心当たりがあって、それをどうしても隠したいと心の奥底で思ってるからだろう。隠したいと強く思うほど、不快感は爆発的に膨らむ。
「おう。それだけだが?」
故に、あくまで毅然とした態度で嘘に嘘を重ね始めた。これから先、山のように積み重ねていくであろう嘘を、親友と言っても過言でない友人に。
嘘だ。そんなわけがない。帰る場所のないスバルを放っておけないのもあるが、それ以上に放っておけない理由はある。一つ、決して無視できない重要なものがある。
絶対に口にできない、『
「本当に? もっと他に、理由はないの?」
そんなハヤトの思いとは裏腹に、ラムはしつこく迫る。一つ隣の椅子に移動した彼女は彼と真正面から向き合い、手を伸ばせば届く距離で、淡々と問い詰めた。
態度が全てを理解している人間のそれと同じだ。
なぜ、嘘を見抜いたのかは知らない。けれど、ハヤトは嘘を重ね続ける。動揺を表に出さず、裏だけに留めるのに必死になりながら。
「ラムに嘘をついているでしょ」
「本当だ」
「正直に話しなさい」
「本当だってば」
基本、己の意志を一歩も譲らぬ二人が対立する。どちらかが譲る人間ならまだしも、このような場合は正面から衝突し続ける。
その度に、ハヤトの心はじりじり削られていく。嘘という逃げ道を許さないラムの真面目な態度に、胸を抉られていく。
そうまでして、ラムはハヤトの口から真実を吐かせようとした。友人として嘘に嘘を重ねさせないために、できる限り粘る。
「言わないと殴るわよ」
「ホントだ、っつってんだろ」
「今ならまだ許すけど」
「しつけぇな、お前。逆に、なんで俺がラムに嘘をついてると思った?」
「そんな気がするだけ」
「ーーーー。……ほーん」
ーーお前、すげぇな。
確たる根拠や証拠も無しに堂々と言い切るラムに驚愕して唖然の沈黙を挟み、適当な返事をしながら思わず心の中で呟くハヤト。
努めて真顔を保つ彼は今、ラムという女の勘の鋭さをひしひしと痛感した。
普通、それだけで嘘を見抜くだろうか。それが本当かどうかも分からないのに、どうして嘘をついていると断言できる。
レムやエミリアも、テンが嘘をついたり隠し事をしていたら本能的に一瞬で見抜くという、テンからすれば、それはそれは恐ろしいことを平気でやってのけるが。
果たして、これもそれと同じやつと思っていいのか、どうなのか。
「ま、それは気のせいだな。お前が普段からどんだけ冴え渡ってるか知らないわけじゃないが、今回はハズレらしいぜ」
なんにせよ、ラムセンサーに引っかかったとしてもハヤトの意志は変わらない。「残念だったな」と真顔を崩して笑みを浮かべ、彼は動揺を笑顔に変えて発散した。
心は痛む。本当なら話してしまいたい。けれど、話すと確実に良くないことが起こるから、真実を話すことはできない。
笑みの裏で顰めっ面をしながら、胸を痛めるハヤト。そんな彼をラムは、まだじっと見つめている。嘘をついているだろ——目で語る彼女の瞳が、真意を無限に問い
五秒、十秒、十五秒と沈黙が続き、二十秒が経過したあたりで諦めたように吐息。ようやく視線を外すとゆるゆる首を横に振り、
「まぁいいわ……。そこまで話したくないのなら話さなくてもいい。ラムは言いたくないことを無理に言わせる女じゃないし」
手元に視線を落とし、声を柔らかくしながら、質問の姿勢を引っ込める。首が振られるのに釣られてさらさらした前髪が小さく揺れ、その隙間から見えた目には、諦観の念が見え隠れしていた。
テンのときと同じ対応。言いたくないなら聞かない。いずれ話してくれると信じて、彼女は『そのとき』を待つ。ハヤトだとしても、その姿勢は変わらない。
自分だってそうなのだから。隠し事をしているのは彼らだけではない。自分だって——自分だって、ぶちまけてしまいたい思いがある。それを言わないから、ラムの中ではお互い様として均衡を保つのだ。
——いつか、全てを曝け出せる。そんな日が、自分たちに訪れてくれるのだろうか。
「話せるようになったら話してちょうだい。それまで待っててあげる」
「さっき、待つのは嫌い、って言ってなかったか?」
「それとこれは話が別。寛容で慈悲深いラムに泣いて感謝するがいいわ」
「自分ルールだなぁ。……つか、嘘はついてねぇって言ってんだろ。待ってるもなにもねぇぞ」
内心、引き下がってくれたことにハヤトは一安心。胸を撫で下ろしたい衝動をぐっと堪えると、嘘を嘘で補強する。今、ここでそうしておかないと彼女に嘘をついている事を認めたことになると思った。
頑なに、丁寧に、嘘を貫くハヤト。とっくにそれが偽りの態度だと知っているラムには違和感の塊で、怪訝そうに目を細める彼女は「分からない男ね」と、呆れたように呟き、
「五ヶ月もずっと見てれば、過ごしてれば、一緒にいれば、隠し事をしてることくらい感覚で分かる。ラムとの関係を深めたのが失敗だったわね。嘘をつくには相手が悪すぎることを知りなさい」
「なにを言って……」
「あまり、ラムを舐めない方がいいわよ。言っておくけど、過去に一度、テンテンに隠し事があることも本人の前で見抜いてるから。——顔を見ただけで」
「ホントかよ」
「それなら、今まさに自分が、愚かにもラムに嘘をついているかどうか、その胸に訊いてみなさい」
半笑いのハヤトにラムは真摯だ。
お前が自分に嘘を見抜かれたのは自分と仲良しすぎるから——なんの恥ずかしさもなく断言し、自分に嘘が通用しないことを彼の胸に強く刻み込んでいる。
訊くまでもないハヤトだった。訊いたところで抉るような心痛を実感するだけで、特に意味はない。これ以上嘘を重ねたところで、自分が苦しくなるだけだろう。
どれだけ否定しようとも、ラムは己の心に絶対なる自信があるのだから。自分と同じく、己を信じて止まらない性格なのだから。
「それで? あの女……貞操無しの阿婆擦れ女を脳筋はどうしたいの? 屋敷に連れ帰って、それからどうするつもり?」
「それ、お前の中でまだ続いてんのな」
苦笑。
ラムの独特なネーミングセンスによって、不名誉すぎる言い方で呼ばれることになったスバルに「どんまい」と心の中でハヤトは手を合わせた。
彼女の扱いに関しては、今のところハヤトの客人で落ち着いている。というよりも、ハヤトが懸念の声を押し切って無理やりその扱いに落ち着かせた。
そうする以外に彼女を屋敷に連れ帰る方法が見つからなかったし、妥当だろう。しかし、いつまでもそういうわけにはいかないのも事実。
ハヤトの客人というふわふわした理由、それ一つで彼女をずっと屋敷に置いておくわけにもいかない。なにか、彼女がここにいるちゃんとした理由を作る必要がある。
つまり、
「スバルをここで働かせて、屋敷に住まわせてやりたい」
「———は?」
言った瞬間、少し遅れてラムの口から気の抜けた唖然の声が漏れる。
その発言を馬鹿だと嘲笑ったり、何を言ってるんだと聞き返すようなものではない。ラムの意識はそこまで追いついていない。本気で、唖然とさせられていた。
しかしそれも一瞬のこと。瞬時に言葉の意味を理解すると停滞しかけた思考を回し、心に言葉を受け止める余白を作りながら、
「本気で言ってる?」
「本気も本気。俺は至極大真面目だ」
疑心の目を向けてくるラムに、ハヤトは揺らぎない。力強い声で言い、今度こそ嘘偽りがないことを語っている。余計な感情の混濁がない純粋な目で彼女を射抜き、頑固たる意志を見せている。
これは、本気なやつ。
今までハヤトと接し、様々な一面を見てきたラムにはそれが分かった。感覚で嘘を見抜けるのだ、目の前の男が本気かどうかなど考えずとも勝手に分かる。
だからこそラムは、困惑通り越して呆れてくる。ここまで真っ直ぐな様を見せつけられると、いっそ清々しさすら感じた。
ハヤトという男の、馬鹿正直な優しさに。
「……それなら、ロズワール様に直談判でもしたら? やれるなら、あの貞操無しの阿婆擦れ女を雇う利点が無いことをひっくり返しなさい。やれるなら」
二回、挑発するように同じ言葉を口にし、ラムは言葉を閉じる。途端、意外だとでも言いたそうに驚いた表情をするハヤトの目が見開いた。
「なに? その目。不愉快」
「反対とかしないんだな」
「ラムが否定的な意見を述べたところで無駄でしょう? それで止まる脳筋じゃないことくらい分かってる。疲れるから無駄な努力をしたくないだけ」
「それに」とラムは腕を組み、
「決定権はラムにはないもの。ラムがなにを思おうが、言おうが、最終的な判断を下すのは主であるロズワール様よ。ロズワール様のご意向に付き従う、それがラムの全て」
つまり、ラム個人としては反対ということだろう。口に出さないのは、頑張ろうとするハヤトに対するせめてもの優しさか。
最もな意見だと思う。この屋敷に住む誰もが、ハヤトの意見に反発するのは目に見えている。程度の差はあれど、すんなり受け入れられるとは思っていない。
一番反発するのはレムか、ベアトリスか。否、両方だ。その上、ラムにも反対していると言われた今、その二つの壁に加えて乗り越えるべき壁が新たに一枚、重なってしまったことになる。
「……あ。つかよ、ラム。ちょっと聞いていいか?」
数分前に決意を固めておいて、早くも憂鬱になりそうなハヤト。少しでも早くテンに帰ってきてほしいと無意識に思う彼は、厚くて高い壁を見ていると、ふと思い出す。
「なに?」と小首を傾げられると「あのよ」と前置き、
「昨日、スバルを屋敷に連れ帰ることになったときにお前が言ったやつ。ラムの判断じゃない、ってどういう意味だ?」
眉間に皺を寄せ、ラムと同じように小首を傾げるハヤトが問いかける。質疑応答の立場が瞬時に入れ替わると、ラムのまつ毛がぴくりと跳ねる。澄ました真顔に僅かな乱れが生じた。
昨日、彼女が言ったこと。帰る場所がない人を放っておけない——それだけの理由でスバルを連れ帰ると言ったとき。反対すると思っていたラムは、自分に言ったのだ。
『これはラムの判断だとは、思わないでちょうだい』
では、ラムの判断は誰の判断か。昨日の彼女は一体、誰の意思で動いていたのか。否、考えるまでもない。答えは既に彼女の口から出ている。
「お前じゃない誰かの意思で、あんときのお前はスバルを屋敷に連れ帰ることに反対しなかった。そういうことでいいのか? それなら、お前の判断は誰の判断なんだ?」
しかし、ハヤトは本人の口から言わせようとする。言わせることで認めさせ、あやふやな認識を確実なものにしようとした。それ以降、彼は口を閉じる。
会話のキャッチボール——言葉という名のボールをラムの胸に投げ、投げ返されるのを待つ姿勢だ。自分はお前の質問に答えたのだから、今度はお前が自分の質問に答える番だと。
できれば、今後のためにも誤魔化さずに真実を語ってほしいところだが、
「………言いたくねぇか?」
ボールは、返ってこない。
ボールをキャッチしたラムから反応が消えた。それまでは順調に言葉を発していた声が止まり、彼女の視線が自分から僅かに逸れる。開いた口が閉じ、二人の間に沈黙が流れ始めた。
なにか、後ろめたい感情を持った人がする態度。
ただ視線を僅かに逸らしただけ——普通の人間なら後ろめたい感情があると断定するには小さすぎる動作だが、動揺の二文字とほぼ無縁で常に毅然とした態度を一貫する彼女にとっては十分な動作。
ラムがハヤトを五ヶ月も見てきたのなら、逆もまた然り。流石に嘘は見抜けずとも、彼女が漏らした僅かな変化になら感覚的に気づけるのだ。
ならいい。自分の口から言わせてもらおう。彼女は自分の隠し事を見抜けず最終的に見逃してくれたが、自分は違う。
そんな風にハヤトは口を開き、
「ロズワールだろ」
言った瞬間、ラムの雰囲気が変わった。
表情も、目も、声色も、態度も変わりはない。先と同様、雰囲気だけが別のものに染まる。言葉にして表すのは難しいが、敢えて表すなら『苛立ち』だろうか。
厨房に走る緊張の糸が限界まで張り詰め、蛇口から垂れる水滴の落ちる音がうるさい。相手の鼓動の音すら聞こえそうな静寂が、ハヤトに襲いかかった。
この空気を雰囲気一つで作り出すのだから、ラムの変化は分かりやすい。仲良くなって、心を表面に出してくれるようになった今なら、尚更分かりやすい。
黙り込むラム。この静寂に溶け込むように沈黙する彼女を許さないハヤトは、言葉を作るだけの酸素を確保すると、
「沈黙は肯定と思うが?」
「……知ってて聞くのは意地が悪い」
静寂から抜け出すラムが口を開き、目を細めてハヤトを睨みつけるように見る。ジト目に近しいそれを受け取ると、珍しい目をした彼女にハヤトは「ふっ」と笑い、
「俺と絆が深まりすぎたのが失敗だったな。嘘までは見抜けねぇけど、ちょっとの変化くらいになら気づけるぜ」
「不愉快」
「因果応報だよ」
先程の報いを受けさせて満足げに鼻を鳴らすハヤトと、自分のしたことをやり返されて不快感に思うラム。立場が逆転すると、思っていることもまた逆転する。
深く、長く、息を吐くラム。その返答が肯定を意味するものだと知っていた彼女は、吐息の中になにを含ませたのだろう。
分からないから気にしないハヤト。曖昧だった認識が確実なものになると、彼は「やっぱりか……」と悩ましげに喉を低く鳴らし、
「アイツが主導権を握ってるわけだな」
「アイツではなく、ロズワール様。昨日はロズワール様に止められたから引き下がってあげたけど、今は違うわよ」
「あぁ。うん。悪かったよ」
うわ言のように返されたラムの目が尖るのを横目に、ハヤトは少し考える。ふと、これは自分が知っていいことなのだろうか、察していいことなのだろうかと思った。
ラムとロズワールが裏で繋がっているのは、この世界に来る前から知識として知っている。というよりも
知られてはいけないことのはずだ。察せられるようなことを言ってはいけないはずだ。それは二人の間で結ばれた秘密で、誰にも勘付かれてはいけないことだから。
けれどラムは言った。これは自分の判断ではないと。自分の判断ではない誰かの判断で、自分は動いていると。裏の顔を悟らせるような危ない発言を、ぽろっと溢すような風に、一言だけ呟いた。
ロズワール至上主義の彼女にしては致命的なミス。自分のような関係の深い人に言うリスクを彼女が理解していないわけがないと思うと、その違和感は明らかだろう。
現に、こうして暴かれているのだから。
「お前それ、俺に知られていいことなのか? ロズワールが裏で動いてる、って俺に察せられていいことなのか?」
だから、直接聞いてみることにした。
ここまで暴いて引き下がるつもりはないし、逃すつもりもない。彼女がどういった意図でミスを犯したのかを知るべく、心の奥に土足で踏み込む。
会話のキャッチボール——その結果は同じ。ハヤトがボールを上投げで優しく投げ、片手で受け取ったラムが再び黙り込んでしまう。
ボールを見つめる彼女は、そこになにを込めようか迷っているようにも見えた。投げ返し方を選ぶのに時間がかかって、心にある言葉を素直に投げることができないような。
——葛藤している。
「別に、お前が本当のことを言ったところで俺が誰かに話すとかはねぇから。その辺は安心しろ。それくらいの区別はつく」
素直な返球を望むハヤトが、手を差し出すように語る。早起きの話題で盛り上がっていた呑気な声とは全く違う、力強くて優しい声。そのくせ、「言わなくてもいい」とは言ってくれない容赦のなさ。
それもまた、ハヤトなりの優しさなのだろうとラムは思う。言おうか、言うまいか、葛藤している背中をポンと押された気がしたから。それができる強さを持つ彼に、腹が立ったから。
「……そうね」
ラムは、ボールを投げ返す。
放物線を描くそれは弱々しく、ハヤトの胸には到底届かない。弾みながら床に落ちて、勢いのまま転がって、転がって、ハヤトのつま先に当たって止まる。
ハヤトに拾い上げられるボール。そこに込めた思いを見られながら、ラムは呟いた。
「知られていいことでも、察せられていいことでもない………のでしょうね」
言ったラムの表情に影が差し、ふっと儚さが宿る。物思いに耽っているようなそれは、少しでも触れれば簡単に崩れてしまいそうな脆さがあった。
不意に露出した、珍しい表情。毅然の裏に隠れた、一人の少女の弱い心を見たハヤトは言葉を失う。自分で聞き出しておきながら、情けなくも表情が真顔で固まった。
これは、知られることも、察せられることもダメな事を暴かれた人の態度ではない。もっと他のことを——別のことを気にかけている。
彼女は今、その事実を見ていない。
「情けないわね。——本当に」
独り言の声量で呟き、ラムは小さく俯きながら吐息。小さく動いた口元がなにを発したのか、ハヤトは上手く聞き取ることができなかった。それほどまでに、小さな弱音だった。
言うことのリスクは考えていたつもりだ。その発言にハヤトが引っかかっていたことも分かっていた。含ませた言い方をして、一方的に会話を切って、気になる終わらせ方をしたのは他でもない自分だから。
それを知っておきながらあんな態度をしてしまったのは、こんな姿を見せてしまっているのは、知らないうちに自分が弱くなってしまったからだろうか。
ずっと前の自分——男二人と出会う前の自分なら絶対にしなかった失態をしたのは、自分が彼らを心の底から信頼し、心のどこかで———。
「……ちっ」
「いでぇーー!?」
儚い顔が引っ込んだと同時、ハヤトの
靴のつま先ということもあって、その威力は語るまでもない。眼球が飛び出す勢いで目をかっ開くハヤトは反射的に脛に手を当て、
「おま、なんで脛ぇ蹴りやがった!」
「腹いせ」
「何に対して!?」
意味が分からない。
目に涙を浮かべるハヤトは不満を吐き散らしてラムを睨みつける。が、スカッとした表情のラムは彼の声を右から左へ受け流した。抗議の声を無視し、初めに座っていた椅子に戻る。
彼女の中では今の一撃で完結したらしい。一切の抗議を受け付けないラムの様子から察するに、「話は終わり」と一方的に会話を断ち切られたようだ。
これ以上は踏み込んでくるな、ということだろう。態度の変化が声の代わりに語っている。踏み込まれたくない意志を、こちらの心に伝えてきているのが分かった。
代わりに、脛がじんじん痛むようになったけれど。
「ったく……。お前はどうしていつも、困ったら最終的に暴力に走るんだよ。もちっと素直になれって。俺という親友に対する配慮というものをな……」
「配慮ならしてる。事実、脳筋の脛は砕けてないでしょう?」
「配慮がなかったら砕くつもりだったのかよ」
机に置いた包丁を持ち、淡々と作業を再開するラムに顔が引き攣るハヤト。彼女の意志を尊重する彼はこめかみに垂れた一滴の冷や汗を拭うと、自分もまた作業を再開した。
正直、もっと踏み込みたい気持ちはある。けど、彼女が拒んだのならそれまでだ。踏み込んでいい領域の良し悪しが判断できないほど子どもではないし、ラムが嫌がることをしたくない。
それに、「俺という親友」と言った自分の言葉をラムは否定しなかった。すんなり、そうだと受け入れている様子だった。なら、そのうち話してくれるだろうと信じて、ここは引き下がる。
それで、おあいこだ。
「レムのことだけど」
ラムが定位置に戻ったことで真面目な話し合いが終わり、厨房に漂っていた張り詰めた空気が薄れていく中、彼女が新たな話題を落とす。
厨房の雰囲気の緩みに乗じて、強く張っていた緊張の糸が緩んで弛むハヤトに「ん?」と目を向けられると、彼女は作業に目を向けたまま、
「あの子から話は聞かされているのよね」
「おう。スバルのことだろ」
言われた刹那でピンときたハヤトの声が一段下がり、明らかな声色の変化を気にしつつラムが「えぇ」と小さく頷く。
分からないわけがない。昨日からずっとその事ばかり考えている。二章を突破する上での最難関の壁として、ハヤトの頭をこれでもかと悩ませ続けている。
それは、
「レムがスバルを殺しかねない、って話だよな?」
「表現が飛躍しすぎ……と言いたいけど、否定しきれないのが姉として悔しいわね」
一応、話が食い違うことがないよう確認したハヤトの言葉を嫌そうな表情で渋々肯定し、ラムは口を閉じる。しかし、それが妥当な意見だとハヤトは確信していた。
原作においてスバルがレムの壁を乗り越えられたのは、偏にレムがスバルに救われたから。それがあったからレムはスバルを愛し、高く分厚い壁を越えれたのだ。
だが、そのレムは既に救済済み。原作開始前に救われた彼女はもう、ソラノ・テンしか見る気がない。彼以外を受け付けていない。きっと今も、恋人のことを考えているだろう。
「テンくん……」とか言いながら空を仰ぐ、恋する乙女の姿が容易に想像できる。
それはつまり、スバルがレムに付け入ることは不可能ということ。彼女が先走って、スバルを殺める可能性はゼロではないということ。
だが、
「まぁ、それに関しては大丈夫だろ」
「テンテンがいるから?」
「そう」
端的なラムの解答に軽く頷き、ハヤトは危機感のない呑気な表情を浮かべる。彼女も思っていることは同じだったようで、意見は完全に合致していた。
他力本願な考えだが、模範解答だ。テンはレムにとって恋人であると同時に強力な精神安定剤——それを二人は知っている。
治療から帰ってきたテンにレムは襲いかかるだろうし、その際に積もり積もった負感情を発散するはずで。テンも、彼女のそれを精一杯受け止めてくれるはずだ。絶対。
だから大丈夫。スバルに向けるレムの感情は、テンがなんとかしてくれる。
それが、ハヤトとラムの考え。
「テンテンの負担が大きすぎる気がしなくもないけれど……。まぁ、テンテンなら大丈夫ね」
「だな。アイツなら大丈夫だ」
あっさり断言し、二人は笑みを浮かべる。投げやりに思えなくもないそれは、信頼の裏返しだ。
言葉の要らない信頼。無責任で無邪気な絶対なる信頼。それが、二人がテンに向ける信頼。否、ハヤトとラムとレムとテンの四人を結ぶ信頼。
それを向けるだけの関係性を今までに築いてきたし、彼は自分らに向けさせるだけのものを示してきた。
大丈夫だと言い切ることに、なんの違和感もない。
「じゃ、俺らはとっとと作業を終わらせるとするか。朝食までに、俺はロズワールに直談判せにゃならんし」
「無礼な真似を働いたら殴るから」
「しねぇよ。……………多分」
結論を出した二人が話を着地させ、本格的に作業に勤しみ始める。話し合いで時間を使ってしまったからと集中し、仕事に全ての意識を向ける。
そうしてまた一つ、クルシュ邸から帰ってくるテンに負担が重なったのだった。
テン
「——っくしゅん!」
クルシュ
「風邪か?」
テン
「悪寒です。背中に底知れぬ圧を感じます」