少しでも望む未来へ   作:ノラン

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前作での一番の盛り上がりの部分、魔女教徒襲来篇。1話にまとめると恐ろしい文量になるので分けて投稿です。

頑張って端折りましたが、物語の山場と言える部分なので前回前々回よりも長め。短編並みの長さとなりました。一日の出来事なので、「一ヶ月が経った——」みたいな風に端折ることを封じられたのは辛かった。

目が疲れない程度に、読んでくださいね。




0章 総集編『転①』

 

 

 

「今すぐ村に向かうわ。着いてきなさい」

 

 

そう言ったラムは、テンとハヤトが見たこともないほどに取り乱した様子だった。基本的に何があっても一切動じることのない彼女が、今は焦燥感に駆られるがままに動いているような。

 

そんな彼女はテンの手を無理やり引っ張り、屋敷の中を出口に向かって突き進み。彼と一緒にいたハヤトも二人の背中を追いかけた。

 

 

「村に行くってなんで?」

 

「レムを助けるからに決まってるわよーー!」

 

 

どうしてそんなに焦るのか。走る彼女の隣を並走しながらそんなことを問い掛ければ、帰ってきたのは吐き散らすような怒号。

 

詳しく聞けば。今現在、ラムは共感覚によってレムが以上なまでに暴れていることを感覚的に知り、その事実一つで自分の妹の身に危険が降りかかっているのだと瞬時に理解したのだとか。

 

 

「殺意、焦燥、憎悪、恐怖。レムの感じてることがさっき伝わってきたの。伝えるというよりも堪えきれずに漏れたの方が正しいかもだけど」

 

 

基本、双子の共感覚——それ即ち意思の疎通のようなものは意図して制御しているのだが、不意に感情が爆発してしまうと制御を失って片方から片方に感情が波紋してしまうことがある。

 

その波紋がラムにはレムから伝わってきたのだ。否、今まさに伝わってきているのだ。悍ましく、震えてしまいそうなほどの負の感情が、今までに感じたこともない量で一挙に。それもなんの予兆もなく。

 

 

「ずっと、ずっと伝わってくるの……! レムの、あの子の感情が。こんなこと……っ、今までに一度も……。ラムも初めてで……!」

 

 

下唇を噛み締め、拳を握りしめるラムが俯く。今もなお妹から継続して送られてくる憎悪に、泣き叫ぶような感情の絶叫に。狂いそうになる心の悲鳴に。

 

たった一人の家族——その存在の身に今も危険が襲いかかっている。そう思わせる共感覚は彼女の心をこれでもかと揺さぶって。冷静を保っていられる方が難しかった。

 

 

「ならすぐにでも助けに行こう。俺たちも力になるよ」

 

「たった一人の妹だもんな。なりふり構わず助けに行きたくなるのは当然だし、焦るのも当然だ。任せとけ、俺達がお前の助けになってやるよ!」

 

 

だからテンとハヤトは状況を飲み込んでラムに力を貸した。ラムが、レムが、こんなにも弱っているのだから助けない理由はないし、ロズワールが出かけて不在な今、自分たちが出る他にない。

 

穏やかだった日常から急展開。今までのほのぼのが音を立てて崩れる。

 

レムの危機の知らせを聞いてから五分と経たぬうちに状況を無理やり飲み込んだテンと、飲み込む必要などない、レムを助ける、それ一つでいいハヤトの二人——頼りになる彼らを連れてラムは走った。

 

状況が正確に分からない以上、まずは詳しい状況の把握から。事態は一刻を争うことを理解している彼女は走る足に鞭を入れる。

 

そんな中、展開が早すぎで追いつけなくなりそうになる頭を一旦クリアにするテン。彼は前をゆくラムの横に並ぶと、ふと思い出す。

 

別にレムを助けに行くのはいい。寧ろ助けに行かせてほしい。しかしこのままだと、

 

 

「ラム。ロズワールの言いつけはどうなる?」

 

 

今、ラムを含めた使用人四人はロズワールから自分が留守の間、屋敷を任せるように言いつけられている。その状況で屋敷を出ること、それはつまりロズワールの言いつけを破ることになる。

 

ロズワールの意思を一番とするラムにその言葉はかなりの衝撃を与えたようで、思わず足を止めてしまう。

 

決して通り過ぎてはいい事ではないロズワールの言いつけ。彼の意思を優先させるスタンスのラムにとってそれは、もしかしたら命よりも大事な命令かもしれないのだから。

 

 加え、

 

 

「もしこれが誰かによる意図的な犯行だったらどうする? 俺達が全員出払って屋敷に変な輩が入ってきたら誰が対応する?」

 

 

もし、この一件が何者かによる意図的な犯行だったら。屋敷から戦える人間を削ぎ、その隙に屋敷内に変な輩が侵入したら。それこそ、ロズワールの言いつけを破ったことになる。

 

その対策して、屋敷に残るベアトリスは禁書庫内に篭ってろと言えばいいし。エミリアはパックに守ってもらえばいいとハヤトは言うも、前者はともかく後者はダメだ。パックは今現在、依代の中である。

 

 ならば、

 

 

「分かった! なら、ラムは先に村に向かってろ! 俺はベアトリスに、禁書庫から一歩も出るな、って伝えてくるから。テンはエミリアにそれを伝えてこい! 合流すんのは村でだ! いいな!」

 

 

良案の出ない状況を半ば無理やり一括し、ハヤトはベアトリスの気配を頼りに禁書庫へ。色々と頭を回していたテンからすれば、まさかの強行突破であった。

 

静止の声すらかける暇がなかった。自分の意見だけを押し切って、相手を無理やり納得せざる負えない状況を作り出すとは。物語の主人公がやりそうな事を軽々とやってのける彼はやはり主人公体質なのだろうか。

 

鬱屈気味になり頭に手を当てるテン。それとは逆にラムは満足げな表情をしている。それでいい、それでこそハヤトだと彼女は彼の強引さに今だけは密かに感謝した。

 

 

「で、どうすんの? もうハヤトが行っちゃったから俺はエミリアをなんとか説得するけど。根本的な問題は何も解決してないの、分かってるよね」

 

 

根本的な問題——ラムがロズワールの指示を無視すること。初めの問題はそこから始まったのだから、それをなんとかしなければ動き出すことはできない。

 

尤も、その辺に関してラムには考えがあるようだ。

 

 

「テンテン、それと脳筋。あなた達はロズワール様から、何かあればその時は二人の判断に一任すると仰られていたのを覚えていて?」

 

「……俺に、ロズワールの命令に背くように命令しろって?」

 

「そうよ。テンテンに命令されるなんて、これ以上ないまでに屈辱だけど」

 

 

確かに、ロズワールが屋敷を出る前にそんなことを言っていたことをテンは思い出す。「胸騒ぎが——」みたいな発言の後にしていたはずだ。

 

何かあればその時は二人の判断に一任する。つまりは、テンとハヤトの判断次第では命令に背く形になっても構わない。

 

 

「言うなれば。ロズワール様から判断を委ねられたテンテンの判断は、間接的にロズワール様のご判断。今回だけ、仕方なく従ってあげる」

 

 

ロズワールから判断を任されたテンの判断はロズワールの判断と変わりない。随分と都合の良い解釈の仕方だが、そうでもしないと彼女は忠誠心を守れないのだろう。

 

断る理由もないテンは「やれやれ」と首を横に振ると軽く息を吸い、

 

 

「じゃあロズワールに変わって。——ラム、お前は状況確認のために今すぐ村に向かえ」

 

「承知しました」

 

 

分かりやすく口調を変えるテンの命令にスカートの裾を摘んだラムが整ったお辞儀。まさか彼女にその動作をされる日が来るとは思わず、場違いにも息が詰まったのはテンだけの内緒。

 

命令を受託したラムはすぐさま駆け出した。桃色の髪が荒っぽく揺れるそれは、心に届き続ける妹の感情を辿るように。

 

 

「俺らと合流する前に一人で無茶しちゃダメだからな」

「なら、無茶をする前にあなたがラム達を助けに来てね」

 

 

そんなやりとりを、最後に挟みつつ。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「——ラム!!」

 

「脳筋。早かったわね」

 

「ベアトリスの奴、割と物分かりがよかった」

 

 

テンがエミリアを必死に説得しているのと同時刻。ベアトリスに部屋から出ないように言い聞かせたハヤトは一足先に村へ向かっていたラムの背中に追いついていた。

 

意外に、言うことをすんなり聞いてくれたベアトリスだった。状況の説明を全くせず自分の言いたいことだけを一方的に押し付けてしまったけど、彼女も何かを感じ取っていたらしく、

 

 

「嫌な気配——不埒な連中が彷徨いているのと厄介な魔獣が紛れ込んでるのよ。もし、お前達が森に入るなら今のベティーの言葉を心に留めておくがいいかしら。じゃないと死ぬのよ」

 

 

そう危険を知らせてくれたベアトリスは、ハヤトを引き止めるようなことはしなかった。部屋から一歩も出ない理由を深く問い詰めることはなく、事は簡単に済んだ。

 

テンの姿が見えないことから察するに、彼はエミリアの説得に四苦八苦しているらしい。当然と言えば当然だろうか。彼女ならば「自分も行く」と言ってテンの言うことを全く聞こうとしないはず。

 

 

「まぁ、アイツならなんとかするだろ」

 

「そうね。気にするだけ無駄だわ」

 

 

しかし、二人は無責任な信頼をテンに一方的に押し付ける。それこそが二人が見てきたテンという人間の評価だ。無責任な信頼を向けるに相応しいと。

 

きっとなんとかしてくれるはず。そう信じるハヤトとラムは後ろを振り返らない。彼はここぞという時は必ずやってくれる土壇場での判断力、行動力に長けた人間、何も心配はいらない。

 

自分達は自分達のやれることを、テンはテンのやれることを、今は全力でやるだけだ。

 

今はただ前に、前に、進み続ける。アーラム村に買い物に行ってから帰ってこなくなったレムを助けに行くため、駆ける足を止めることはない。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「ヤバい。出遅れた……急がないと」

 

 

ハヤトとラムが屋敷を出てから五分程度経った頃、テンはロズワール邸の正門を走り抜けていた。自分がどれだけ遅れたのかは不明だが、出遅れたことは分かる。

 

 だから、急がないと。

 

 

「……ごめんね、エミリア」

 

 

振り返ることなく、テンは一人走る。数十分にも渡る説得の末に、彼は『約束事』という形で無理やり意思を押さえつけてエミリアを我慢させたから、少しばかり心が痛んだ。

 

予想通りというか、やはりエミリアは「自分も行く」と言って聞かなかった。レムが危険で、テン達も危険な場所に行くのに自分が部屋でじっとしてられるわけがないと。

 

けれど、そんな彼女をテンは抑えつけなければならなかった。今から自分たちが行く場所は想像もつかないほどに危険な場所で、下手したら命に関わるかもしれないのだから。

 

 

「レムのことは本当に心配。だけど、それと同じくらいに私はテンが心配なの! ハヤトと違ってテンはすぐに倒れちゃうから。また危険な場所に行って、傷付いて、もし、もしもそれで帰って来なかったら——。やだ……、考えたくない!」

 

 

命に関わるかもしれない。そう言われたエミリアはテンに叫んでいた。他でもないテンが心配なのだと。レムのことは心配だけと、それと同じくらいテンが心配なのだと。

 

どうして彼が心配なのか、エミリア自身もよく分からない。ただ、自分のことを初めて普通の女の子として扱ってくれた、見てくれた、接してくれた人が危険な目に遭って、ひょっとしたら命すら危ない場所に行く。それが、とても許せなかった。

 

今この場で彼を行かせたら、自分は後悔することになるかもしれない。そう思っただけで、刹那でも心がそう抱いただけで、エミリアは悲しくなって、名前の知らない感情が心の中で暴れ回る。

 

理由の分からない損失感と、意味の分からない孤独感が掴んだ彼の体を決して離さなかった。

 

 

「一つ。約束をしよう」

 

 

そんな彼女を、テンは約束事で縛り付けて無理やり説得した。否、我慢させた。

 

 

「レムを連れて帰る。ラムもハヤトも無事に帰ってくる。勿論、俺もまたこうしてエミリアの下に生きて帰ってくる。それを約束しよう」

 

「……約束」

 

「そう、約束。それならエミリアも安心して俺のことを送り出せる……といいな。とか淡い希望を抱いてるけど。どうかな?」

 

 

彼女にとっての約束事がどれほど力があるかは何となく理解しているつもりだ。なによりも守らなくてはならない絶対的なもの、破れば信頼関係に傷がついてしまうもの。

 

それを理解しているからこそ、テンは彼女に提案した。長い時間をかけて築いた自分と彼女の絆を確かめるために。

 

酷いやり方だとは思う、だってこれは彼女の弱みに漬け込む方法なのだから。

 

 でも、

 

 

「エミリアは、俺のことを信じてくれる?」

 

 

でも、テンはそう言ってエミリアの意思を曲げた。それがどれだけひどいことで、ずるいことなのか知っていても。

 

エミリアには「ずるい」と言われてしまった。「バカ」とも言われてしまった。けど、その一言は彼女にとって決定的なものだった。

 

 

「……破ったりしたら今度こそ許さないからね。テンと私の三つ目の『約束』。二つの『約束』もちゃんと果たしてくれてないのに」

 

「大丈夫。それもこれもちゃんと果たすから」

 

「生きて、私の下に帰ってきて。私の知らないところで勝手に居なくなったりしたら、許さないんだからね」

 

 

だから、エミリアはテンを信じた。自分にとって大切な存在の言葉を信じた。『約束事』を絶対に守るようにと強く言い聞かせ、彼女はテンの生きる覚悟を丸ごと信じた。

 

 

「帰ってきたら、私に返して。私にとって最初の贈り物なんだから。返してくれなかったら無理矢理にでも取り返しに行くから」

 

「……分かった。必ず返しに来るよ」

 

 

その代わり、彼女はテンに贈られた腕輪を彼の手首に付けた。帰ってくることの約束の形として。ちゃんと生きて帰って、自分にこの腕輪を返せ、と。

 

落ち着いた結果に対しての、せめてもの抵抗だ。

 

自分だってレムを助けに行きたい。やっと仲良くなれたのに失うだなんて、許せるわけがない。皆んなが頑張ってる中で自分一人だけ安全な場所で待ってるだなんて、納得できるわけがない。

 

けど、彼女はそれら全てを飲み込む。目の前の男に全てを託し、信じることで。

 

不安な気持ちが解消されたわけじゃない。寧ろ、時間が増すごとに膨張する一方だ。けどテンは信じてくれるかと言った、ならエミリアができることは信じること。

 

彼を、彼の覚悟を。彼自身を丸ごと信じる。

 

 それが、エミリアにできること。

 

 

「じゃあ、行ってくるね!」

 

「うん。いってらっしゃい!」

 

 

彼女はテンの背中を強く押した。その一押しに感情の全てを込め、テンを力強く押し出し————。

 

 

「必ず——みんなで帰ってくるよ」

 

 

そうやってエミリアの意思を捻じ曲げ、テンはアーラム村へと駆けていく。約束事を果たすため、彼はレムから贈られたハートの首飾りをぎゅっと握りしめた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

その後、テンは先に村へと向かった二人と合流。

 

直後に魔獣の森から魔獣が出てこれないように張っていた結界がなんらかの因果で切れ、アーラム村に侵入したウルガルムから村を守る『アーラム村防衛戦』があったものの、無事に掃討。

 

村人に感謝を言われながらも、三人はレムが危険を顧みずに突入したと思われる森の中へ。村を探してもレムは見つからなかったことに加え、村人からレムが森の中へ入ったと聞いたのだ。

 

 

「暗いな」

 

「あん時と同等か。まぁ、直ぐに慣れる」

 

「立ち止まってる時間はないわよ」

 

「「分かってる」」

 

 

月明かりの遮られた森の中は予想通り真っ暗だ。前後左右上下、どこを見ても暗闇がすぐそこにいる。加えて数えきれない本数生えた木々、気を抜けば突然現れた一本の木に顔面から激突する漆黒の空間。

 

テンとハヤトがそうならないのは恐らく、いつ死んでもおかしくなかった命懸けの中間試験、その経験が経験値として確実に生きているからだ。

 

お陰で真っ暗な闇を駆けるのは慣れっこ、ひょっとしたら夜目の利く目になってきたのかもしれない。

 

ラムの方はよく分からないが。彼女も夜目が利くのか足取りは軽やかで迷いがない、二人と同様に木々の間を縫い進むように走っている。

 

結界よりも更に奥へ。村を守る結界が切れた事実を放り投げてしまうほどに冷静さを欠くレムがこの先にいるのだから、例え視界不良の夜の森だとしても迷いはない。

 

 

「二人とも、少し待って。千里眼を使うわ」

 

 

ある程度進むと、ラムは千里眼を使用。波長の合う存在と視覚を共有できる、彼女が保有する能力でレムの場所を探し当てようと試みた。

 

千里眼を使うときは決まって目を瞑るが、この時に襲われたらどうするのかと彼女を見るテンは少し考える。これは信頼の裏返しと捉えるべきか否か。

 

ラムだって千里眼のリスクは誰よりも理解してるだろうし、無防備になってもいい場所以外では迂闊に使用しないはず。つまりは自分達を信用しているからこその千里眼か。そうじゃないかもしれないが。

 

 

「——二人とも、何かがこっちを見てるわ」

 

「十中八九」

「ウルガルムだな」

 

 

そんなことを考えていると、千里眼で直近の視界を失っているラムが叫んだ。直後に飛び出してきたのは二人が見当をつけた通りの魔獣、大型犬を思わせるウルガルムが一匹。

 

大した脅威でもない。一体、自分たちがどれだけロズワールにボコボコにされたと思っている。今さらその程度の魔獣など子犬にしか見えない。

 

特に焦ることもなく対処し、闇の中から奇襲したつもりで余裕な雰囲気のあった一匹を串刺しにし、投げ飛ばし、叩きつけ、頭を潰して殺した。

 

 

「この範囲には居なかった。もう少し深くまで潜ってみましょう。行くわよ」

 

 

これから先も何度かあるであろうウルガルムとのエンカウントが終わると、ラムは一息ついて走り出し。彼女の後に続く男二人が置き去りにされないように走り出す。

 

どれだけ深く潜れば千里眼の範囲にレムが入るのか分からない以上、今はとにかく前に進むしかない。

 

今こうしている間にもレムは何かと戦っているのだから。叫んで、苦しんで、憎んで、悲しんで、怖がって。助けも求められない暗闇の中でたった一人。

 

 レムは。ラムの妹は——、

 

 

「——レムッ!」

 

「え、ラム!?」

「待てよ! 転ぶぞ!」

 

 

突然、ラムがレムの名を悲痛に叫ぶと地を強く蹴り上げて疾走。何かに突き動かされた彼女の身体は後ろから追いかける二人の身体からどんどん離れていく。

 

彼女を突き動かしたのは他でもない、共感覚を通じてレムから送られ続ける感情だ。殺意や憎悪といった憎しみを抱くものに加えて、たった今ラムの心を強く揺らした不安。

 

暴走し続ける感情の上から新たに生まれた感情、妹から受け取ったその絶叫。受け取る度にラムの心すらも絶叫を上げ、焦燥感に駆られるがままに我を見失った彼女は走り——、

 

 

「ぁーーーっ」

 

 

不意に生えていた木の根に足元を掬われる。目が慣れてきたと言えどもこの暗闇の中で速く走れば自ずと足元が疎かになるもの、息が詰まった彼女の身体が前に跳ぶ。

 

倒れる身体、近づく地面、あわや衝突——する寸前のことだった。姿勢を低くしたテンが素早く彼女と地面の間に入り込み、おぶる形でその身体を受け止めた。

 

そのまま一時停止とはならず。刀を納刀する彼は彼女を正しくおぶり、ハヤトに視線を送ると、

 

 

「速度を上げる。木にぶつからないようにね」

 

「おおよ!」

 

 

直後、ラムは風のように走るテンの速度をその身で感じた。生身の人間が出していい速度ではない、何かしら持っている人間の機動力。視界に映る木々の流れ方が異常だった。

 

ラムを驚かせたのはそれだけではない。それだけのことをしておきながら彼は自分を気遣うように優しくおぶっている。これだけの速度で走っておきながら、伝わってくる衝撃が無いに等しい。

 

 

 ーーやってしまった

 

 

心の中で己を咎めるラムは、下唇を噛み締める。いくら妹からの感情に心を揺さぶられたからといって単独で動くなど愚行、自分だけでなく彼らにも危険が及びかねない行為。

 

 

「いいよ。ラムは焦ってて」

 

 

そんなラムにかけられたテンの声は、ひどく優しいものだった。レムの気持ちに気付けない鈍感さを持った男が言った、心に寄り添う言葉だった。

 

隠す必要も、我慢する必要も、堪える必要もない。妹が危ないところに一人でいるのだから、ハヤトも言ったように不安になって当然。

 

 当然だから、

 

 

「ラムが焦ってる間は俺が落ち着いてる。だから大丈夫、安心して俺の背中で焦っていいよ」

 

「……生意気ね」

 

「そうですよーだ」

 

 

その行為をラムが否定しなかった時点で、彼女はテンの優しさを受け入れたようなもの。普段は女々しくて自信なさげで弱々しいくせに、こういう時に限って男らしい彼に、理由もなく腹が立った。

 

屈辱ではある。屈辱ではあるが。

 

彼の言葉の温かみを背中の温度で感じているラムは、不思議と安心してしまう自分が心の隅にいることに気づく。ただ背負われて、言葉をかけられただけ。たったそれだけのことなのに。

 

ハヤトのような、弱る心を前に前にと力強く鼓舞してくれる温かさではない。隣で寄り添って、優しく肩に手を添えるような。そんな温かさ。

 

 

 ーーバカね

 

 

惚けている場合か。今の自分は、周りに動揺を簡単に悟らせる精神状態。向けられた優しさに少しだけ過敏に反応してしまっているだけだとラムは無理やり決めつけた。

 

 

「言うようになったじゃねぇか。それでこそ俺の相棒だぜ」

 

 

そんな二人の会話に入ってきたのは、いつの間にかアクラを使用して金色の覇気を纏ったハヤト。

 

暗い居場所だと存在感を一層引き立てる彼は二人の横に並ぶと、テンが久々に見せた男気の片鱗を見ながら楽しそうに口角を釣り上げている。

 

瞳の色が違う、物理的なものではなく精神的に。彼の瞳に宿る感情がいつにも増して赤くなっている。彷彿とさせるのは真っ赤に燃える炎しかないそれ。

 

彼はやはり女の子が絡むと男になるらしい。中間試験の時もエミリアとレムに不安そうにされて簡単にスイッチが入っていた覚えがある。それが今回はラムと。

 

相変わらず男として超単純で、それでいて緊迫した場面では誰よりも頼りになる男である。

 

 と、

 

 

「ーー! テン、魔獣だ!」

 

「強引に押し通るよ! 構ってたらレムを見つけ出すのが遅れる!」

 

「分かった!」

 

 

ウルガルムとのエンカウント。しかし、道端に転がる小石を蹴飛ばす簡単さで蹴散らす二人は前方に広がる血のカーテンを突き抜けて前へと走り出る。

 

邪魔だ、退け。お前達と遊んでる暇など自分たちにはない。レムの命が懸かってるのだから、子犬と戯れている時間なんて刹那たりともありはしない。

 

そんな二人の覇気を感じ取ったのか、ラムは自分を支える両腕に力が入ったところで目を瞑って千里眼発動の準備。何度か深呼吸を繰り返し、精神を安定させていく。

 

首と腰から回した手足に力を込める彼女は発動手前にテンの肩に顎を乗せて、耳元で息を吐くように囁いた。

 

 

「——離したら殺すから」

 

 

言い、ラムは自身の視界を放棄する。身体を預けた男とその相棒を信じて、彼女は妹の感情を辿ることに死力を尽くし始めた。

 

一体これで何度目か。短時間にこうも心を揺らされる言葉をかけられたテンは、場違いにも緩む頬をどうにかして引き締める。

 

いつでもどんな時でも、傲岸不遜な態度を崩さないラム。だが、たった一人の家族である妹の危機となった時、彼女はこんなにも脆い少女としての顔を取り戻す。

 

その姿に、テンがどれだけ『命を張る覚悟』を固めさせられたことか。

 

 だから、

 

 

「大丈夫。お前を離す時は俺が死ぬ時だから」

 

「ヒューー! かっこいい! お前誰だよ!? ほんとに俺が知るソラノ・テンなのか!? 人格変わってんじゃねぇの!?」

 

「ついでにハヤトも道連れにする」

 

「その前に俺がお前を助けてやるから安心しな!」

 

 

だからテンは命懸けで背負う少女を守ると強く決意し、そんな彼の相棒は親友の新しい一面に歓喜。二人で一緒に頑張るのだと気合を入れ、緊迫した場面の中で歯を見せて笑った。

 

 

「気合い入れるよ」

 

「気合いなんざとっくに入ってるぜ」

 

 

中間試験を思い出す展開にハヤトは炎炎と燃え、テンは淡々とし。真反対な二人は、しかし瞳に宿る色だけは全く同じ赤色で。駆ける足を止めない彼らは道なき道を確実に前へと進んでいく。

 

いずれくるであろうラムからの報告を待ちながら、追い縋る獣たちの足音を聞き、地獄からの手招きを受け取って。今はただ、ひたすらに前へ。

 

深く、深く、地獄の底へと。暗闇で一人、泣き叫ぶ少女のところへ行くために。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「テンテンーー! レムがいたわ!」

 

 

その知らせは、テンとハヤトがウルガルムとの命懸けの追いかけっこを開始してから十分後のこと。ウルガルムを一時的に上手く撒いた男二人が小休憩を挟んでいるところに、ラムは久々に声を上げた。

 

それから彼女は喜びの表情を作ったあとで、意味不明な場所に連れられた事実に眉を寄せて、

 

 

「しばらく見ない間に、随分と走ったものね」

 

「大変だったんだぜ。谷を跳び越えるわ崖から飛び降りるわ——」

 

「そんな事はどうだっていいよ。それよりもレムは?」

 

 

休憩終了の合図に立ち上がったハヤトが鞘と大剣を背負い直す。テンの下まで歩く彼は十分間にわたる疾走を武勇伝の如く語るが、張りのあるテンの声がそれを掻き消した。

 

坂道を越え。下り坂を滑り降り。深い谷底を一気に飛び越え。勢い余って自殺を対象とした高さの崖に飛び出て、結果として木々が一本も生えていない崖側の広々とした空間に出たわけだが。テンとしてはどうだっていい。

 

獣道も極まった道を進もうが、関係ない。それよりもレムの方が大切。

 

 

「ここからそう遠くない位置で、レムの影を別の視界が捉えたわ。タイミングが悪くてレム自身の視界は掴めなかったけど。あれはレムの姿だった」

 

「なんで分かった?」

 

「群れと一緒にどこかへ移動している最中のウルガルムに視界を奪われて、その視界の端っこに戦うレムが映ったの」

 

 

偶然が生んだ奇跡か。あるいは、ここまで頑張って走ったテンとハヤトの努力とラムの死力が奇跡を引き寄せたか。なんにせよ、近い場所にレムがいるらしい。

 

なら、今すぐにでも助けに行こうと三人は走り出し、

 

 

「ーー!」

 

 

その足を、不意に闇の奥から響き渡ってきたウルガルムの咆哮が止めた。正面、否、崖側である背中を除いた全方位から聞き覚えのある咆哮が次々に連鎖し、それが三人を大きく取り囲む。

 

刀を抜刀するテンを横に、ハヤトも大剣を両手で握りしめる。ラムも忌々しげに舌打ちして臨戦体制。

 

背中は崖、それ以外は開けた平地を囲うように森がある、中には当然魔獣がいるだろう。月明かりで照らされた光の空間では三人の姿も鮮明に映っているから逃げることも不可。

 

つまりは、背水の陣。引くことを許されない展開に三人は戦意を最大まで高める。

 

森と平地——闇と光の境界線を踏み越える輩がいればテンの風刃が真っ先に飛翔し、無理やり押し通ろうとすればハヤトの暴力が牙を剥く。完全に殺る気満々な二人は直近まで迫った大群戦に精神を尖らせた。

 

相手をしている暇はない。レムがすぐそこにいるのだから。レムを助けに行きたいラムが真横にいるのだから。

 

なら早いところこの集団を殲滅して向かう——、

 

 

「——と、いきたいけど。実際のところ、コレかなりの数いるよね。魔獣の森ってだけあって追加されることも含めるとまともに相手するのは愚策な気がする」

 

「確かにな。お前の言うとうりだ」

 

 

膠着状態の中、周囲に視線を走らせるテンが落ち着いて状況を把握。危機的状況を脱せてないことに焦りを抱きつつある中、背中のハヤトが同調の意を示した。

 

これまでこの森で戦闘して分かったこと。ウルガルムは倒しても倒しても温泉の如く沸いてくるということ。文字で表すと単純かつ明快だが、それが当人達にとっては絶望の事実でしかない。

 

一時的な凌ぎはあっても数分後には咆哮を上げて襲撃の知らせを心に突きつけてくる、長期戦となると厄介な相手。レムを助け出すという、時間の迫られた三人からすれば不愉快極まりない。

 

ならばどうするのが正解か、ハヤトは考える。理性ではなく本能によって答えを導き出す彼は考えて、考えて、考えて。

 

 

「テン。ここは俺に任せてラムと先に行け」

 

 

テンとハヤトの絆が、この瞬間に試された。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「は? なに言ってんの?」

 

 

考えもしなかった作戦を背中越しに受け取ったテンの肩が動揺に跳ね、思わず振り返りそうになるのを堪える。こんな時に何をふざけたことを、と言いたくなったがハヤトの声色は本気だ。

 

僅かにラムの首が声の方向へと傾く中、ハヤトは落ち着いた声で言葉を繋ぎ、

 

 

「ここでコイツらの相手をしてても時間の無駄だ。なら、誰か一人が相手をしてるうちに他の二人がレムを助けに行く。これが一番だと俺は思う」

 

「そんなの……。なら、俺が残る。お前はラムと二人でレムを助けに——」

 

「テン。四の五の言ってられる場合じゃねぇからここは正直に話すぜ」

 

 

自分の意見を塗り替えようとしたテンの声がハヤトの通りのいい声に遮られる。そのまま淡々と話す彼は口早に理由を語った。

 

テンは自分と違って集団戦に向いていない。自分と違って力でゴリ押しできないテンが残ってどれだけ耐えられる。一体一体を確実に仕留めるテンが、複数を一回で仕留める俺よりも有利に戦えるのか、と。

 

ハヤトはどっしり構える火力戦闘を得意とし、テンはひたすらに疾走する機動力戦闘を得意とする。集団戦において力のある方が有利というのは少し考えれば分かること。たった一人で挑むならなおさら。

 

いくら速くても数の有利に圧倒されれば空間を相手に支配され、動き回れる領域も狭まり最後には数に圧倒される——それがテンが残った場合の未来だ。

 

しかしハヤトならばその未来も避けれる。数で攻められようが、振り回す大剣と暴力の二つを駆使して全てねじ伏せることができる彼は数の有利を個の力で圧倒できる。

 

 けど、

 

 

「何匹来るかも分からないんだよ? この場所にお前を残して俺とラムが行って、それでお前は全部倒し切れるの? だったらとっとと片付けて三人で行った方が確実だよ!」

 

 

事実を突きつけられながら、力不足を呪いながら、それでもテンは取り乱しながら食い下がる。ハヤトを、この世界でたった一人の親友を、この場に一人残していくことなどできないと。

 

そんなテンの意志に覚悟を決めるハヤトは首を横に振り、息を大きく吸うと、

 

 

「ンなこと言ってたらレムが死んじまうぞ!」

 

「ーーーっ!」

 

 

声を大にしたハヤトの声が森中に轟く。

 

普段から騒がしいと言われているハヤトが、今日一番の咆哮。耳を塞いでもハッキリと聞こえてくるであろう声は、鼓膜を通じて思考に影響を及ぼし、更には心の奥底に入り込んだ。

 

 

「お前がそんなこと言ってる間にもレムはすぐそこで戦ってんだぞ! 誰にも助けを求められない場所で、たった一人でだ! こんな雑魚どもは俺一人で十分なんだよ!」

 

「でもッ!」

 

「お前が命を張る場所はこんな場所じゃねぇ、ここは俺が命を張る場所だ! 魔獣は俺が、レムはお前が! テメェはテメェのやれる事を全身全霊でやりやがれッ!!」

 

 

今まで一番の激昂。

 

鼓舞するというより叱咤に近い突き放し方をするハヤトの目つきは、決して友に向けていいものではなく。切羽詰まった状況で敢えて『命』というワードを放ったのはハヤトなりの覚悟の証だ。

 

テンの気持ちは痛いほど分かる。彼は自分よりも周りを大切にする人間、一人で残る自分に反対しないわけがない。しかし今は、親友以上の存在が目の前にいるのだ。自分のことなど捨て置けと、彼は揺らぐテンの心を叱咤する。

 

 

「……だけど」

 

 

往生際の悪い親友の弱々しい声を耳にし。同時に自分たちを取り囲むウルガルムの包囲網——それが縮まり始め、奴らの態勢が威嚇から攻撃へと移ろうとしている挙動を見て、ハヤトは笑う。

 

 

「テン」

 

 

もう時間はない。限られている。あと数秒もすれば魔獣との衝突が始まる。一度でも始まれば終わらない地獄が、すぐ目の前に。

 

 ——均衡が崩れる。

 

もう時間はない。すぐにでも動かねばならない。向こう側が動いてからでは遅すぎる。しかしテンをなんとかしなければ状況は前には進まない。

 

 だからハヤトは叫んだ。

 

 

「——相棒」

 

 

ハヤト(相棒)からテン(相棒)へ。

 

それは、全部を託し、託されることのできる魔法の言葉。たった一言の絆を試す誓い。振り向き、テンと目を合わせるハヤトは力強い表情を浮かべ、

 

 

「俺を信じろ!」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

その瞬間、テンは自分がエミリアに言った言葉がどれだけ卑怯なものなのか理解させられた。その言葉がどれだけの影響を心に与えるのか、真に理解させられた。

 

自分を信じて、と。エミリアに言った言葉を自分自身が言われることになるとは、皮肉なものだ。

 

確かにずるいと、テンは思った。培われてきた絆を心を押さえつけるための材料にされて、子どもじみた反抗をそれ一つで押さえつけられて、何も言えなくなって。

 

そんなことを言われてしまえば、自分もエミリアと同様の反応をする以外になかった。

 

 

「エミリアはこんな気持ちだったのか」

 

 

全てが凪となったテンが落ち着きを取り戻した時、ハヤトとラムの耳に彼の溢れるような呟きが流れてきた。ハヤトの言葉を聞いてから数秒後のことだ。

 

不意に深く息を吐いて全身の力を抜くテンが大きく肩を落とす。力無く垂れた両腕が弱く左右に揺れ、完全に無防備状態。しかし、彼の纏う空気に明らかな変化が生じたことを二人は感覚的に察している。

 

気持ちの整理をつける時、多くの人間は深呼吸をする。余計なものを吐く息で体の内側から吐き出して、吸う息で外側から新鮮な空気を活力として肺に流し込む。

 

刀を握る拳に力が宿り、伝播する両腕が持ち上げられる。刀を始めに全身に行き渡る力は彼の折れ曲がった背筋と首筋を伸ばし、全てに力が宿った時、彼の瞳には決意が満ちていた。

 

 

「ハヤト」

 

「なんだ」

 

 

 だから、

 

 

「信じてるよ」

 

「おう」

 

 

 それ以上は要らなかった。

 

もっとかけるべき言葉はあったかもしれない。言いたいことも、言わなくちゃいけないこともあったかもしれない。

 

しかし、それ一つで全てが通じ合う、共感覚にも等しい絆がそれらを全て伝え。テンの背中を強く押し出し、ハヤトの心に溢れんばかりの戦意を抱かせた。

 

決意が定まれば、身体は勝手に動き出す。

 

 

「ラム、俺に掴まれッ!」

 

「あら。口調のお荒いですこと」

 

 

刀を納刀したテンが飛びついてきたラムの身体を抱き抱えると同時に、群れが走ってきた方角へと一気に駆け出す。ハヤトに背中を押された彼は己の力を全て解放したと思わせる速度で森の中へと疾走していく。

 

 ——均衡が崩れる。

 

ジリジリとした膠着状態がそれを起点に容易く壊される。それでまでの静寂から一転した魔獣達が、まさしく拘束されていた膠着から解き放たれたように全方位から迫った。

 

数メートル先、刀を振れば当たる距離に迫る魔獣。地を蹴り上げ、そのうちの一匹の頭を力強く蹴り、大きく跳躍したテンは口を大きく開いて息を吸い、

 

 

「アル・フーラ!」

 

 

詠唱に応えたゲートが溜め込んだ分のマナを一挙に放出する。主の背中を大きく押し上げるそれはただの暴風。高く跳躍した勢いのままに二人の身体が斜め上へと、撃ち出されたように高く飛んで行く。

 

戦闘は避ける。ならば飛び越える、奴らが追いかけることを諦める程の距離まで。そう語る背中は月明かりすらも捉えることはできず、数秒もすれば闇の中へと消えていった。

 

そうなれば、ウルガルムの牙が向くのは中央——包囲網の中で取り残されたハヤト。たった一人の獲物である。が、ハヤトは好戦的に歯を見せて笑った。

 

 

「信じてるよ、か」

 

 

 初めて言われた。

 

言葉にせずとも行動で共有していたことを、言わなくても伝わっていたものを。正しく自分に背中を預けられたような気がして胸が過去最高に熱くなった。

 

過去最高が次々と更新されるが、一体いつになったらそれが止まるのだろう。恐らく、この騒動が終結するまでは絶対に止まらないとハヤトは思う。

 

しかし、それも良い。ハヤトからすればそのような展開は大好物だ。友に全てを託し、託された自分は魔獣に囲まれる悲劇的な状況にあり、それでも包囲網の中で猛々しく戦うなんて。

 

 なんとも、主人公してる。

 

 

「いいぜ……。上等だァァ!!」

 

 

燃える展開にハヤトが猛々しく吠えた。その手に携えた大剣を振り回し、圧倒的な威圧感と圧迫感を放つ彼が、魔獣の逃走本能を直接刺激する大咆哮を包囲網の中で轟かせる。

 

まるで、自分がこの森の主だとでも主張する彼は絶望的な光景を前に決して怯むことはない。むしろ、気持ちが昂るばかりであった。

 

 

「犬っころ如き、何千匹だろうが俺が狩り尽くしてやるよーーッ!」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「レムの声……!」

 

「確定ね。急ぐわよ!」

 

 

ハヤトに全てを任せて、魔獣の包囲網から強引に脱したテンとラム。無事、地面に着地した二人は聞こえてきたレムの咆哮に反応し、流れてきた方向に向かって走っていた。

 

 

「テンテン。少し聞きたいのだけど」

 

 

ふと、隣を走るラムが目線を向けずに言葉だけをかけてきた。ここに来て自分に聞きたい事とは何なのか、「ん?」と喉を低く鳴らして疑問符をテンは頭の上に浮かべる。

 

しばしの沈黙。それからラムは己の中で何かしらの結論に至ったのか、小さく頷くと、

 

 

「あなたには人を斬る覚悟がある?」

 

 

 ポンと、問いかけられた。

 

何の溜めもなく、普通に話すのと同然な風に口から出て、それはテンの胸に深々と突き刺さる。

 

真摯に問うてくるラムの声色にテンは息が詰まる。彼女の聞くことなんて予想のしようがないからと身構えていれば、随分と前に一度だけ考えたことのあった問いかけ。

 

それはつまり、自分に『人を殺す覚悟』があるかどうかということ。斬れるとも言えず、しかし斬れないとも言えないテンは返答を先延ばしにするために咄嗟に口を開き、

 

 

「レムと関係が?」

 

「可能性の一つとしてだけど。一応、聞いといた方がいいでしょう? 万が一、それで動きが鈍られたら動きに支障が出てしまうわ」

 

「……そっか」

 

 

現実的な意見を基に問うラムに、テンは返答を返すことができない。遅かれ早かれ決めなければならない覚悟だと思っていなかったわけじゃないけど、あまりにも唐突すぎて。

 

 

「無理ならそう言いなさい」

 

 

揺らぎ、沈黙したテンをどう捉えたか。

 

急に立ち止まるラムはそう言うと、同じく立ち止まるテンの体に落ち着いた足取りで歩み寄った。眼前、見上げたラムの瞳がテンの瞳を真っ直ぐに射抜く。

 

立ち止まってる暇はないはずなのに、この場で立ち止まるラムは「いい?」と言葉を紡ぎながら進行方向だった闇を指差し、

 

 

「ここから先に進めばきっと後戻りはできない。レムを襲う輩を始末して、レムの自我を取り戻さない限りは絶対に戻ってこれない」

 

「……覚悟を決めるなら、ここで決めろってことかよ」

 

「えぇ、そうよ。できないならここから先はラム一人で行く。テンテンはラムがレムを連れ戻してくるまで待っててもらうことになるわ」

 

 

告げられた最終宣告にテンは急激に喉が乾くような錯覚に陥る。自分の目から視線を一切逸らさない赤色の瞳に、何かを試されているような不気味な感覚を得た。

 

ふと思い、ラムが「この先」と言う方向に意識を向けると、確かに異様な雰囲気が漂ってくることに気がついた。言い表しようのない緊張感が境界線を踏み込む一歩を躊躇させている。

 

ラムもそれを察したからこそ止まったのだろう。つまりは引き返すならここが最後、この境界線を踏み越えたら最後まで決して背を向けることはできない、と。

 

故に、今ここで決める必要がある。斬れるか、斬れないか。中途半端な覚悟で挑んで下手に足を引っ張られても困るのだ。

 

 

「ーーーー」

 

 

 ——覚悟。

 

それはこの世界に来てから嫌と言うほど聞いてきた言葉で、これでもかと頑固とさせてきた自分の心を折らさないための強い意志。恐らく、否、絶対にこれからも固めることになるであろう一種の呪い。

 

人を斬れるかどうかなんて分からない。実際にやらないと、同族を殺すという感覚を体に刻ませないと、正確な判断はできないとテンは思う。

 

 けど、

 

 

「………斬る」

 

 

自分の背中を押してくれたエミリアに、みんなと一緒に生きて帰ると約束した。

 

 

「斬るよ」

 

 

全てを託してくれたハヤトが、自分のことを信じると。弱い心を鼓舞してくれた。

 

 

「そのために、俺はここにいる」

 

 

目の前のラムが自分の力を信じ、命を救うことを頼んでくれた。

 

 

「必ず、斬ってみせる」

 

 

だからテンは、言い切った。

 

みんなが自分のできることに全力を尽くしているのに、自分一人が甘えるなんて自分が許さない。覚悟一つでどうにでもなる事に足踏みをしている暇なんてないのだ。

 

思い出せ、何のためにここにいる。

思い出せ、誰を助けるためにここにいる。

思い出せ、今までなんのために頑張ってきた。

 

 

 ーーテンくん。

 

 

守りたい人を、守りたいと思える人達を、守れるようになるために。やることは変わらない、決して揺らぐことはない。

 

 

「人を殺す覚悟は……。ごめん、まだ決め切れてない。でもやってみせるよ。それにここまで来てお前一人だけに行かせるわけないじゃん」

 

「お前を離す時は俺が死ぬ時だから、ってこと? 悪いけど、ラムの両手は埋まってるの。諦めてちょうだい」

 

「聞いてたのかよ……。別にそういう意味じゃないから。変に誤解しないで」

 

 

人が決意を固めていればすぐ茶化してくるラムに、テンの闇に向けた剣先が力無く垂れ下がる。一番触れてほしくない発言を触れられた彼は出鼻をくじかれたような気持ちになった。

 

いつものような軽口を呼吸するように吐くラム。しかし言葉とは裏腹に、その表情はいつにも増して柔らかなもので。

 

危機の妹を目の前にした姉とはとても思えない様子の彼女は、項垂れるテンのことを上から下まで視線を流すように見ると、不意に「ふっ」と小さく笑い、

 

 

「らしい答えね。いいわ、頼んだわよ」

 

「うん。頑張る」

 

 

そこはハヤトみたいに「任せとけ!」と言ってほしかった部分はあるけど、今までのテンという人間を見てきたラムは彼を信じた。

 

彼は口や態度ではこんなだが、いざとなったら人が変わったように頼り甲斐がある男になる事を彼女は知っている。否、知った。

 

 

「それじゃ行こうか」

 

「えぇ。レムを助けに」

 

 

頑張ると意気込むテンと、そんな彼を横に添えたラムの二人が地獄の境界線を踏み越える。二度と戻れなくなるかもしれないと心の中で思いながらも、決して後戻りはしない。

 

 

「……血の匂い」

 

「それにこれって……っ!」

 

 

地獄へと足を踏み入れた二人。

 

ラムの案内に従って走っていると、そこが地獄だと思わされる光景が目の前に広がっていた。

 

鼻をつんざくような血生臭さと、乱雑に薙ぎ倒された木々、辺りに転がる夥しい量の肉体。否、死体と肉塊と化した人間だったもの。僅かに侵入した月光が光のカーテンとなって惨殺の程度を無音で照らしている。

 

それは殺戮の跡地だった。

 

 

「……行こう。動揺してる時間はない」

 

 

揺れてる時間はない。静寂に紛れる轟音が響いてくる方向へと二人は走った。これら全てをレムが作り出したと思うと戦慄に震えそうな思いだけど、この程度で怯んでいてはこの先、生きていけない。

 

 

「戦いになると思う。いつでも動けるようにしておきなさい」

 

「分かった」

 

 

レムの下に向かうこと、それはつまりレムを襲う輩と戦うことを意味し。ラムは引き締まった気を限界まで引き締めるつもりでテンに言った。ここからの危険度は極限まで高まるから注意しろ、と。

 

 そう、言った直後。

 

 

「テン——」

 

 

 ラムは、見た。

 

音もなく忍び寄り、闇の中から伸びた狂気が自分の体めがけて懐に入り込むのを。

 

 ラムは、感じた。

 

見たのとほぼ同時、自分の体がテンに力一杯引き寄せられ、胸に抱えられるのを。こちらの動きの方が僅かに早く、自分を守る腕が刀を振るう。

 

それは突然だった。否、地獄に足を踏み入れた時点で襲われる条件は満たしているため、突然ではないかもしれない。

 

言葉を紡ぐラムの体が引き寄せられ、咄嗟に抱え込まれた腕の中、彼女は目の前で金属が衝突する音と共に火花が散るのを見た。

 

交差したのは刀の刃と十字架を象った剣の刃だった。刀はテンの携えたもの。しかし十字架の剣は二人のうちのどちらのものでもなく、第三者のものだ。

 

短剣程度の刃渡り。狂気が鈍く輝き、先端が鋭利に尖る悪趣味な意匠。刀よりも遥かにリーチの短い武器を携えた第三者の肉体とテンの肉体が接触する。

 

二人の瞳に刹那の襲撃者。その影がハッキリと映り込み。それを確認した途端、テンの瞳が驚愕と戦慄に大きく見開かれ——、

 

 

「ーーーー」

 

 

今回の襲撃者がなんなのかを二人は知った。

 

それは地獄よりの刺客。それは闇の中で蠢く不気味な暗殺者。それはこの世界にとって共通の最悪——漆黒に同化する黒装束。

 

いずれは敵対すると心のどこかで思って。でもまだ先だと気にしないようにしていた、自分が真に刃を振るうべき殺戮集団。

 

 その名は、

 

 

「魔女教徒ーー!」

 

 

 悲劇は、最悪へ加速していく。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「あはは……ッ! はははは!」

 

 

地獄絵図とは、このことを言うのだろうとテンとラムは思っていた。目の前で狂気に表情を歪ませながら笑い、襲いくる魔女教徒をレムが惨殺する光景を見ながら思っていた。

 

血肉が弾け飛び、血潮が吹き出し、鉄の破壊が縦横無尽に暴れ回り、レムの苦鳴と叫声が混ざり合う。魔女教徒と鬼化して暴走したレムの戦闘——自分たちが割って入ることのできない状況だ。

 

この状況になった経緯を簡単に説明するならば、突如として襲撃した魔女教徒からラムを守るためにテンが襲撃者を殺害。それからレムの下へと移動中に囲まれ、その場所にレムが乱入。

 

そこからは今の地獄絵図(状況)。魔女教徒はレムを脅威だと判断したのか二人に襲いかかる様子はなく、暴れ回るレムに一挙に襲いかかっていた。もう、何十人も返り討ちにされている。

 

 

「……とても話を聞いてくれる状況じゃないけど。なんとかなるのかよ」

 

「なんとかするのよ。このままあの子が傷つく様を指を咥えて見ていろとでも?」

 

「んなこと誰も言ってねぇ」

 

 

血の舞台を、今のところ観客席から見ているしかない二人が向こうの意識がこちらに向かぬよう体を屈め、声を顰めて話す。声は互いに向けながらも、二人の視線は舞台から一秒たりとも離れようとはしない。

 

次元が違う。あの中に入れば、戦いに追いつけずにみっともなく死ぬ未来しか想像できないとテンは思うが。今そうなっていないのは自分達が観客席にいるからだ。

 

もし、レムと魔女教徒の意識が刹那でも自分達に向けば。その瞬間、舞台の上に引き摺り込まれてしまう。

 

さて、この状況、どうしたものかとテンは考える。考えて、考えて、考えて。 

 

 

「ラムは、レムが大事で心配?」

 

「当たり前でしょう。確かにあの子の方がラムより強い。でも、それは心配しない理由にはならない」

 

「そうだね」

 

「なにをやらせてもあの子の方がずっと上でも、ラムはあの子の姉様だもの。その立場だけは、絶対に揺るがない」

 

 

問いかけに対して即答された姉の愛が、今後の方針を決める決定的な一言となった。

 

それを示されてしまったからには、テンも今ここで覚悟を決めなければならない。妥協の決意ではなく、本当の覚悟——人を殺す覚悟を。

 

レムを助けるために。ラムに応えるために。二人のことを守り通すために。

 

また、みんなで笑い合うために。

 

 

「よし分かった。ならやることは変わらない」

 

「なにをする気なの?」

 

「なにって。さっきラムも言ってたでしょ。レムを襲う輩を始末して、自我を取り戻さないといけない、って。それをするだけだよ、難しく考える必要なんてなかった」

 

 

それまで何をどうするかと思考をこねくり回していた自分が馬鹿馬鹿しい。レムを襲う輩を始末して、レムの自我を取り戻す。ただそれだけのために悩み、怖がることなどない。

 

やることはブレず、成さねばならぬことは決して変わらず。故に、この場にいる自分達の役目も決まっている。

 

 

「まずはアイツらを殺して、レムの意識を俺たちに向ける必要がある。レムの自我を取り戻すのはそこから」

 

「覚悟は決まったの?」

「決まった。お前ら姉妹のおかげでな」

 

 

隣に立ち並ぶラムの問いかけに、その回答をテンは言う。本当なら地獄の境界線を踏み越える前に言いたかったところだが、生憎とそこまでテンは主人公ではない。それはハヤトの役目だ。

 

レムのことを見て、ラムの言葉を聞いて。なにより、苦しそうに表情を歪める姉妹を前にして、ようやくテンの覚悟は定められた。

 

ギリギリ間に合ったかどうかのタイミング。

 

 

「死なないでね」

「守ってくれるんでしょう?」

「俺が生きてる限りは」

「じゃあラムが死ぬことはないわ」

 

 

寸前に軽く言葉を交わす二人。

 

自分の真面目に対する軽口なのか曖昧なラムの返し方に、テンは真面目な姿勢を崩さず。言葉を締めるラムが落ち着き払った声で断言した。

 

無責任な信頼。ここまで一緒に戦ってきてより一層それが強まったテンの横顔に、ラムは言った。

 

 

「気張りなさい。ここで死んだりしたらレムが悲しんでしまうもの。妹を悲しませることはラムが絶対に許さないから」

 

「分かったよ」

 

 

互いに背を預け、テンとラムは血で飾られた地獄舞台に足を踏みれる。レムと魔女教徒が戦う舞台に茶々を入れ、邪魔な存在を引き摺り下ろしにかかり。

 

 

 魔女教徒と鬼、そこに乱入する鬼の姉と想い人。血の舞台に突撃する彼らは、レムを救うべく戦闘開始の合図を上げた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

乱戦が始まる。

 

レムの命が懸った失敗のできない乱戦が。

 

二人の作戦は至ってシンプル。我を失ったレムが魔女教徒を片付ける側で、彼女の余波を喰らわぬように魔女教徒を片付ける。以上である。

 

相手が何人いるか不確定な状況、レムの力を借りずに乗り切るのは不可能だ。だから、彼女を刺激しない程度でこっそりと暴れ回る方向で戦闘を展開し、魔女教徒を全て殺す。

 

 

「——はずだったんだけどね!」

 

 

振られた短剣を弾き、大きく仰反る肉体にテンの体が飛び込む。もう迷わない。動作に対して対応がくる前に容赦なく刀を振り翳して命を絶った。

 

瞬間、仲間の死を感情に含めない魔女教徒がテンに殺到する。真横、血を浴びて視界不良となった彼の視覚外から二人目が蛇のように這い寄り、突き出された狂気が喉元へとひた走った。

 

テンが気づく様子はない。否、その魔女教徒とは真反対から迫る三人目の対応によって二人目の対応に遅れが生じている。刃が喉元を突き破るまでもう数秒もない。穿つ短剣が返り血を浴びる——、

 

 

「エル・フーラ!」

 

 

 寸前。

 

詠唱の声に呼応した二つの風刃が彼の命を救う。手刀を薙ぎ払うラムの武器が闇よりの暗殺者の腕を切り落とし、一陣目に続く二陣目が容易く首を刎ね飛ばした。

 

背中に返り血を浴びながらテンは真正面の魔女教徒へと刀を刺突。回避する体が十字架の剣——短剣を鋭く突き出し、刀の柄を握ってない腕が狂気を握る腕を殴りつける。軌道を大きく変えられた短剣がテンの右耳を掠めた。

 

密着する身体。不意に闇に煌めくもう一本の刃をテンは視界に捉え、相手の武器は一つではなく二つだと悟った時には既に体は動き始めている。

 

攻撃に次ぐ反撃に次ぐ回避、仕掛ける側が刹那で切り替わる戦闘が展開される。握るもう一本の短剣とテンの刀が衝突し、力に押し負けた短剣もろとも刀が手首を切り落とした。

 

痛みすらも感情から断つ魔女教徒の動きは異常なものだった。苦鳴一つ上げずに後方へと流れた手の中で短剣が小さく回り、ガラ空きの背中へと手首のスナップのみで突き立てる。

 

 

「しっーー!」

 

 

許すほどテンは甘くはない。押し進む刀が吐いた息を斬り裂きながら相手の肉体を一刀両断、背中に突き刺さる寸前に自らの手で二人目の命を斬った。

 

これで二人、ラムのと合わせて三人の魔女教徒を葬った。しかしここは地獄、葬った事実を置き去りにして二人の周囲で戦闘が繰り広げられ、目まぐるしく変化し続け、

 

 

「横に飛びなさい!」

「ほわっ!?」

 

 

ラムの悲鳴に近い叫び声がテンの鼓膜を刺激し、反射的にその場から真横に飛び出す。直後に彼の体があった場所にレムが投擲したであろう鉄球が突撃、テンが仕留めるはずだった魔女教徒が木っ端微塵に弾けた。

 

 瞬間、

 

 

「——るぅぅぅ!」

 

 

鉄球に続いてレムが弾丸のような勢いで跳躍。テンの真横を通り過ぎながら目の前の一団へと突貫し、鉄球と柄を繋ぐ鎖が蛇のように暴れ回ると辺り一体に血と肉が弾け飛ぶ。

 

どうやら。今のレムにはテンの姿が見えていないらしい。好きな人の姿すら視野に入らぬ彼女の目にはきっと敵対する存在しか入っていないのだろう。現に、テンやラムには目もくれず魔女教徒に一直線。

 

しかし、今はそれでいい。良くないけど。彼女のことは今は、今だけ後回しに。そんなの絶対にダメだけど。まずは場を整えない限りは彼女の正気を取り戻すことすらできな————、

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

不意にテンの様子が一変する。顔色を驚愕に染め上げ、戦慄に大きく見開かれた瞳がそれを見た。

 

視界の端っこに映ったラムの姿。額から血を垂らした彼女の身体が、ゆっくりと、力無く前に倒れていく光景を。

 

 

「ラムぅーー!」

 

 

全く予想していなかった展開に直面したテンの行動は、今までも最も早かった。

 

予想外な状況に思考を介さずして導き出した「ラムを意地でも助ける」という心の指示が何よりも先行し、その場から射出されたと勘違いする程の初速でテンが飛び出す。

 

追随する刃に皮膚を抉られても止まらない。飛来する火球に背中を焼かれても止まらない。なにもかもを振り切り、駆け抜ける最中に魔女教徒による被害を負いながらも、絶対に止まらない

 

進行方向に立ち塞がる邪魔な魔女教徒を斬り払うテンが跳躍、木々を飛び渡る。枝の折れる音が連鎖するのは、跳び出す脚力に耐えきれず何本もの枝がへし折れているからだ。

 

そしてそれは、数秒と経たずに彼女の身体へと辿り着く。見えた、短剣が胸元に突き立てられようとしている。

 

 

「ーーーッ!」

 

 

凄まじい速度でラムの下へとたどり着いたテンの肉体が枝から射出され、身を翻した彼の踵落としが彼女の肌に伸びる狂気——それを握る腕を身体ごと地面に叩きつける。

 

全身の物量でそのまま蹴られたような衝撃に瞬間の停滞を許した魔女教徒への応酬は、上げた顔面にぶち当たる裏拳。顔が沈み込む威力に後続の仲間を巻き添えにして吹っ飛んでいった。

 

気にも止めない。次がくる前に彼は地に倒れ伏すラムの腰に腕を回すとひょいと抱き上げ、左腕で彼女の身体を支えると息つく暇もなく刀を真上に振る。

 

半円を描く斬撃に当たったのは短剣。やけに明るく感じる空間で、煌めきながら投擲されたそれが弾かれて明後日の方向へと飛んでいく。

 

それを横目に彼は、肩に顎を乗せてきたラムの容体をチラと確認すると、

 

 

「救助ご苦労様。次はレムね」

「心配した気持ちを返せ。つか、拭くな」

 

 

随分と余裕そうなラムから呑気な声をかけられて、ほっと一安心。もしものことがあれば——なんて考えた自分がバカらしく思えた。額から垂れた血をテンの肩で拭く彼女は死んでないという意味では健在だ。

 

 

「なんで急に倒れたの」

 

「戦闘限界、とでも言っておくわ。思ったよりもラムの体力がもたなかった。ここからはテンテンの支援に徹してあげる、感謝なさい」

 

「要するに動けなくなったから後のことを俺に全部丸投げすると」

 

「捉え方次第ではそう聞こえるかもね」

「そうにしか聞こえねぇよ!」

 

 

がなるテンに応じるラムはいちいちふてぶてしい。度重なる戦闘にマナを保つことができず、手足をまともに動かすこともできない状態とは信じられない態度だ。

 

一体なんのためにここまで彼女の力を温存させていたと思っている。千里眼の分を使ったことでそれもなくなったとでも言いたいのだろうか。

 

なんにしても、文句を言ってられる場合でもない。倒れたなら倒れたで仕方ない。小言は全部終わってからまとめてぶつけてやることにして今は生き残ることに全身全霊を注ぎ、テンは戦った。

 

 

 戦い、続けた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

どれだけ戦っただろう。

 

ラムを庇いながら戦うのは傷を負いながら戦うのはそれなりに重労働で、時間なんて気にしている暇なんてなかったから分からない。

 

否、分からなくていい。剣を振るうことだけに意識を回していればいい。自分に向けられる独特な殺意を感じ取り、抱き抱えるラムを守りながら戦う事に専念した方が生きれる。

 

そうしていれば、その時は訪れた。

 

 

「ーー?」

 

 

斬り殺した何十人目。

 

力を失った肉体が死体の大地の一部となったのを横目に次なる輩へと意識を向けた時、テンは今まで肌で感じてきた人ならざる者が発する歪な気配が不意に消失したことに気づく。

 

確信はない。が、戦闘の意志を警戒に切り替えて動きを止め、耳を澄ましてみる——明らかに周りが静かになっていた。

 

それはまるで、戦闘の後に訪れる唐突な静寂。荒いでいた波が突然、収まるような不気味な静寂だ。

 

テンはそれを知っている。その不気味さの意味を感覚で覚えている。故に、彼の視線は導かれるがままにレムへと向き、そして固定される。

 

戦いの影響で木々が倒され、随分と開放的になった空間。闇よりも光の割合が多く占める中で、月光に強く晒された空間に、レムはいた。

 

 

「ーーーー」

 

 

レムは動いていなかった。立ち尽くしたまま、気配を探るように闇を睥睨している。先程まで暴れ回っていたのが嘘のようだった。しかし額から角が伸びているところ、嵐の前の静けさらしい。

 

それが意味するのは魔女教徒の始末完了。気配を感じ取れなくなったから今のように静寂し、逆を言えば気配を察すれば、また暴走列車の如く暴れ回ることになるだろう。

 

 ーー今が勝負か

 

 

「ラム。出番だよ、輩は始末し終わったっぽい。今ならレムの意識を無理やり引き寄せられる」

 

「えぇ。分かったわ」

 

 

舞台から邪魔者は消え失せた。あとはレムの意識を取り戻させて幕引きだ。そしてそれができるのは世界で唯一の家族、姉であるラムただ一人。

 

テンの体から降りた彼女がレムの方へとおぼつかない足取りで、地を踏みしめながら確実に近づいていく。目の前にいる妹を、家に連れて帰るために。

 

 

「……レム」

 

 

 呼びかける。

 

応じたレムの肩が小さく震え、理性の消失した瞳に青色の光が薄く宿る。唇を震わせ、戸惑うように、レムの瞳は一心不乱にラムの事を見つめている。

 

 

「そんな顔することなんてない。もう全部終わったの。だから、ラムと帰りましょう」

 

「ねぇ、さま……」

 

 

かすれて、疲れ切った声ではあった。だが、それは確かな音となってラムの鼓膜を震わせていた。届いている。自分の声が彼女の心の中にハッキリと響いていた。

 

刀を鞘に納刀したテンはその様子を後ろから見ているだけだ。自分の口出しは不要、余計な心配もいらない。姉が妹を迎えに行く、だだそれだけなのだから。

 

 

「……はぁ」

 

 

時間としては短いが、あまりにも壮絶すぎる事が立て続けに起こったせいでとてつもなく長く感じたこの騒動。それも終わるとテンは心の底から安堵する。

 

『鬼』に飲まれてようとも最愛の存在の声は、絶対に心に届く。だから、これでおしまいだ。

 

目を閉じ、耳を澄ます。そしてテンは聞く、終止符を打つ始めの声を。

 

 そして、

 

 

「ーーー!」

 

 

 聞こえてきたのは、レムの咆哮だった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 失敗だ。

 

ラムの声は、レムには届かなかった。

 

最愛の姉の声は最愛の妹の心には一歩届かず、刺激したことで強く拒絶するような様子がレムに浮かび上がり。彼女は自分の射程圏内に一歩でも入れば攻撃を開始するほどに不安定な精神に陥ってしまった。

 

届かなかったというよりも、鬼に支配されたレムの心がラムの声によって呼び覚まされたことで不安定になってしまった、の方が表現としては正しいかもしれない。

 

「近づくな」と言うようにその場で武器を振り回す様は、自分に近づく全てを拒絶するようなものを思わせているのだから。

 

それでも、ラムの声が完全に届かなかった事実に変わりはない。

 

そしてその事実は、テンには絶望にも等しいものだった。彼女の声が届かないのならば、一体誰がレムのことを鬼の支配から助け出すことができるのか。

 

 一体、他に誰が——。

 

 

「その役目はテンテンに任せるわ」

 

「…………は?」

 

 

突然の意味不明な発言。

 

即座に否定的な言葉をかけようとテンの口が動くが、しかしそれは止まる。無理解な発言をしたラムの表情があまりにも真摯なものだったからだ。

 

座り込み、倒れた木に寄りかかるラムの真っ直ぐな瞳が、テンのことを見ていた。

 

 

「なん、で? 俺、なんか、ラムの方が……」

 

「テンテンにもやれる。いいえ、やりなさい」

 

「だって俺はレムにとってただの男なんだよ? 姉の声に少ししか反応しなかったレムが、俺なんかの声に反応するわけないじゃん。そんなのおかしいよ。任せるなんて、そんなの」

 

 

ただの男——レムに対して自分がその程度の男であると語るテンにラムは心の奥底から噴き上がる真っ赤な激情を察した。

 

あれだけ好意を向けられて、あれだけ寄り添われて、まだ分からないのか。テンがレムにとって、ただの男、なわけがないだろう。どうして分からない。どうして分かってあげられない。

 

そんな彼が、レムに慕われている彼が、レムにとって自分は『ただの男』だと語ることはラムが許さない。自分が彼に全てを託そうとする意味、それに気づかない事にどうしようもなく腹立たしさを感じる。

 

 けど、

 

 

「これを言うのは野暮ね。けど、一つだけ確かなのはテンテンはあの子にとってただの男ではないということ。試してみる価値はあるわ」

 

「ただの男じゃないって……! それじゃあ俺はレムのなんなのさ!? 仮にそうだとしても、俺なんかよりずっとラムの方が——」

 

 

 良いに決まってる。

 

声を荒げ、そう繋げようとしたテンの口は強制的に閉じられる。こんな時でも自分の力を信じ切れない彼の女々しい態度が、ラムによって荒っぽく捻じ曲げられる。

 

予感も無しに伸びる両手がテンの胸ぐらを掴みかかった。体を力任せに引き寄せられ、彼女の口元が耳元に近づくと、言った。

 

 

「ラムだって…、ラムだって行きたい! 世界で一人しかいない妹の危機に黙ってられるお姉ちゃんがどこにいるのよッッ!」

 

 

魂の叫び声がテンの耳元でうるさいぐらいに響く。服の繊維がブチブチと千切れる音と共にラムの声が心に叩きつけられ、ラムが初めて自分のことを「お姉ちゃん」と形容したことにテンは思わず押し黙った。

 

しかし、それ以上は無い。叫ぶ力はあっても今の自分には立ち上がる力すらないのだから。手足の一つとまともに動かせない。

 

しかし、そんな状況を理解していてもテンはラムの離脱を受け入れようとしなかった。「自分では無理」という固定概念に近い弱々しさがあるからだ。

 

だからラムの否定を否定する。ラムとしては、ここまで言われたのだから人を殺す覚悟を決めた時のように一歩踏み出してほしいところだが。そこで一歩踏み出せないのがラムの知るテンであり。

 

決定的な何かがあれば、一歩踏み出すことができるのがラムの知るテンでもある。

 

 

「屋敷でラムが言った言葉、まさか忘れたなんて言わせない」

 

 

だからラムは、その一歩を踏み出させるための『決定的』を彼の心に思い出させる。屋敷を出る前、何気なく言った軽い一言。

 

 それを今一度、この場で。

 

 

「無茶をする前にあなたがラム達を助けに来てね」

 

「ーーーっ!」

 

「ラムに無茶をさせないためにテンテンはここにいるんでしょう? 怪我人を無理やり表に出すような真似、しないでちょうだい」

 

 

無茶をするなとテンが言い、そうならないように自分達のことを助け来てねとラムが軽く言った数十分前。何気ない一言に含まれた、確かな信頼関係の証。

 

思い出させた決定的な一言にテンの瞳が大きく見開かれた。何か言いかけた吸息音は、しかし言葉には繋がらない。

 

それをここで突きつけられた彼は、何も言えなくなってしまった。自分でどうにかできることではないのに、でも彼女に無茶をさせるわけにはいかない。二つの感情に挟まれ、どうすればいいか分からず。

 

ハヤトと別れる時もそうであったが、テンはここぞという場面では頼りになるのに、反対にここぞという場面以外では頼りない。自信を持てばすべて解決するのに、彼にはそれがないからだ。

 

だから、ハヤトなら一度固めた覚悟一つで最後まで走り切るところを、彼は何度も立ち止まって躊躇している。

 

脆く、柔く、面倒な。一度定まった——本当の本当に定まった覚悟に対しては実に真っ直ぐなテン。そんな彼にラムは珍しく優しく微笑み、

 

 

「レムを——ラムの妹を助けて」

 

 

その言葉が、テンの心を整わせた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 テン VS() レム。

 

果たして、その構図が完成するなんて誰が想像できただろうか。普段は自分の気持ちに気づいてほしくて好意的に接するレムと、そんな彼女の気持ちに全く気づかないテンの二人が、戦う事になるなんて。

 

否、戦うのではない。テンがレムを命懸けで助け出すのだ。自分のことを本気で殺しにくる鬼からレムの意識を引っ張り出し、彼が彼女のことを闇の底から救い出すのだ。

 

けれど、肝心なレムの意識は今は闇の底。ラムの声を受けて少しは顔を出してくれたそうだが、まだ彼女の理性は瞳に宿っていない。

 

 つまり、

 

 

「本気でやらないと死ぬ……か」

 

 

きっと、今のレムの目にテンは映らない。

 

今の彼女は自分が立つ月光に強く照らされた光の空間——己の射程圏内に物体が入り込めば、なりふり構わず敵とみなす程に暴走しているのだから。

 

要は、本気でやらなければテンはレムに殺されるかもしれないということ。ずっと仲良くしてきた女の子が意図しない形で、自分は死ぬかもしれないということ。

 

そうなれば、全部がお終い。レムは救われず、ラムも救われず、テンは死に。エミリアとの約束も果たせなくなる。

 

 そんなの、嫌だ。

 

 

「気合入れろよ。お前次第なんだから」

 

 

両手を握りしめるテンが来るべき時が来たとばかりに表情を固めた。魔女教徒と邂逅した時以上、ひょっとしたら今までで最も集中している彼がそこにはいた。

 

もう両者は止まらない。戦闘の意を交換し合い、衝突させたことでありえない対戦カードは成立し、頭の片隅で思い浮かべていた最悪が実現してしまったことをテンは悟る。

 

 ——さぁ。いわゆる、正念場。

 

今までの戦いは全て前哨戦。説得も、魔獣も、奔走も、魔女教徒も、それら全てはこの時のために。

 

 

「今からお前をそっから引っ張り出すから。もし、ほんの少しでも俺の声が聞こえてるなら——ちゃんと手ぇ伸ばせよ」

 

 

 ここからが本番なのだから。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「ーーー!」

 

 

均衡が破れるのは一瞬だった。

 

何も持たぬテンがレム——鬼の領域へと足を踏み入れた途端、咆哮に呼応する鉄球が一直線に飛んでくる。ここが月光の差す空間でよかった。でなければ絶対に避けれない。

 

半身を逸らした体の真横を通過する鉄球に対し、テンは追撃を嫌がって真横への跳躍を選択。直後、跳ねる肉体を追いかけた鎖が同じ方向に薙ぎ払われる。

 

鞭のようにしなりながら追随する鎖。当たれば間違えなく骨の一本や二本は骨折しそうな破壊の塊は、その速度も相まって骨折どころか粉砕されそうな終焉の凶器だ。

 

 

「っらぁ!」

 

 

当たれば致命傷の恐怖にテンは冷静。横に薙ぎ払われるのなら上に避け、先程とは真反対の方向に跳ねる肉体の真下を豪速の鉄の塊が通過。着地と同時にレムへと駆け出し、引き戻される鉄球に限界まで体を屈ませる。

 

その彼の腰にはあるはずの刀は無かった。否、鞘すらも姿を消し、完全に無手の状態で彼は鬼との戦いに挑んでいる。

 

鬼とは言えど体はレムのもの、万が一傷つけばどうするのかとラムに怒られた結果だ。助けるつもりで立ち向かうのに刃など不要だろう。

 

 

「レムぅ! 俺は今までお前にたくさん助けられてきたから、今度は俺がお前を助けてみせるよ! でもその前に、お礼が言いたい! だからちゃんと聞いてね!」

 

 

 だから、叫ぶ。

 

発する声の一音一音をレムの心に届かせるように。気怠さなどかなぐり捨てたテンがそれを語り始める。

 

それはラムがレムにしたように、自分の言葉を心に届けることだった。自分にできることなんてこれぐらいしかない、これ以外に彼女の理性を取り戻させる方法が思いつかない。

 

だからテンは叫んだ。レムの猛攻を回避しながらでは呼吸をするのもやっとだが、それでもレムを取り戻すために。

 

彼女との思い出、一緒に歩んできた絆の軌跡、それを呼び起こすように。

 

 

「レムは覚えてるかな。すごく前のことだけど、俺とお前が相合い傘してお互いに嫌われてるんじゃないかって思い込んでた話ッ!」

 

 

 懐かしい。

 

この世界に来て一ヶ月が経っていなかった頃の出来事だ。土砂降りの日に傘を忘れた自分をレムが迎えに来て、お互いに同じ傘の下で身を寄せ合いながら状況に酔って甘い時間を過ごしたこと。

 

 

「あの時の俺さ、お前に嫌われてると思い込んで実はめっちゃ落ち込んでたんだよね! お前に一週間くらい避けられて、それはもう人生で一番落ち込んだんじゃないかってくらいに!」

 

 

その次の日からレムが全く口を聞いてくれなくて、目を合わせてくれなくて、意図的に避けられていると分かって虚無感に襲われたこともあった。

 

 

「でも、そうじゃないって分かったとき、あの時はちゃんと言えなかったけど本当はすごく安心したんだ! お前に嫌われてないって思えて、嬉しかった! 気持ち悪いかもしれないけどさっ!」

 

 

自己完結が悪い癖なのが仇となったのだろう。あの時はお互いに勘違いをしていた。自分が度が過ぎた行為をしてしまったから、相手に嫌われてしまったのでないのかと。

 

でも実際はそうじゃなくて。そうだと分かったとき、ダメだと思っていても嬉しいと思ってしまった自分がいた。

 

 

「他にもね、中間試験の後の夜! 俺がまだまだだって落ち込んでた時。レムが隣にいて、こんな俺のことを励ましてくれて、寄り添ってくれて、嬉しかった! そんなことしてくれる人、今まで一人もいなかったから!」

 

「ーーーっ!」

 

 

 言い。

 

テンが満面の笑みを浮かべた直後、それまで泣き叫ぶように咆哮していたレムの声がピタリと止み、暴れ回る鉄球が静まる。暴走状態にあった鬼の瞳に動揺の気配が見られた。

 

見え隠れしていた理性が淡く浮かび、鬼の瞳に確かなレムの感情が宿る。しかし血にまみれた狂笑は崩れない。瞳にはレムが戻りつつあるが表情は鬼のものとチグハグな様子だった。

 

 

 ーーまだだ、まだ足りない

 

 

彼女を鬼から引き剥がすのにはもっと揺さぶる必要がある。遠くからではだめだ、もっと近づいて。至近距離で、彼女の耳に——心の奥底に声を届けなければ伝わらない。

 

故に、テンは踏み込んだ。息を詰め、殺される危険のある領域へと己の身を投じる。鉄球の勢いが弱まった今ならばきっと武器を奪える、そうすればもっと話しやすくなる。

 

全ては目の前のレムのために。彼女ともっと近くで話すために。

 

 

「まだあるよ! レムが俺にしてくれたこと! 紅茶を淹れてくれたり、鍛錬の時に俺んところに来てくれたり、疲弊した俺を怒ったこともあったよね! 些細なことだけど、俺にとっては全部が全部嬉しいことで、ありがたいことなんだ!」

 

 

喉が張り裂けそうだ。呼吸が間に合わない。頬から流れる血が口に入ってうまく話せない。否、関係ない、お前のやれることを全て尽くしてレムを助けろ。自分のことなど考えるな。

 

距離を詰めるテンへの応酬は迎え撃つ鬼の武器。先と同様に縦横無尽にそれが行手を阻む。刀が無い以上は体捌き一つで凌ぎ切らなければならないが、テンの動きはそれを上回った。 

 

 

「まだある、たくさんある! お前に助けられたこと、数えきれないくらい俺は心を支えられたから! お前の優しさに、何度も何度も何度も、たくさん救われ————」

 

 

鬼の暴力を掻い潜り、レムへと近づいていく中で不意にテンの叫びが止まる。沢山のありがとうを彼女に伝えるために、思い出を次々と呼び起こさせる口が、突然に止まる。

 

それまで順調だった口が言葉を刻まなくなったのは、それを凌駕するものがテンの瞳の先にあったからだ。

 

思わず息が止まり、考えていたこと全てが失われて、頭の中が真っ白になって、表情を悲痛に歪めるテンの前には——、

 

 

「泣いてる………」

 

 

意図せずに思い出語りの止まった彼が見たのはレムの頬に垂れる一筋の雫だった。光を反射させたそれが額から伸びる角よりも煌めいて、それがテンの心を瞬間だけ硬直させる。

 

 そして、停滞は被弾を呼んだ。

 

 死の予感が、魂を削り取る。

 

 

「があああああ!」

 

 

鞭のようにしなった鎖がテンの脇腹に直撃、彼の肉体を軽々と跳ね飛ばした。戦いの中での停滞は死に直結するかそれと等しい致命傷を負い、それは今も変わらない。

 

威力を衝撃部から内側へと振動させるような鉄の一撃に絶叫を上げるテンは、しかし気合で足裏を合わせる地面を蹴り上げて力の方向に跳び、慣性に振り回されながら受け身を取った。

 

二度三度ほど地を転がり、倒木した木に肩を激しく打ちつけられながらも追撃に備えて身体を起こす。たった一撃にも関わらず、全身に激痛を引き起こさせる鬼の力には歯を食いしばるしかない。

 

消し飛ばなかったのは力が弱まっているからか、なんにしても決して緩くない一撃に脇腹に手を当てるテンがレムに視線を送ると、悲嘆に暮れる女の子の顔が薄く表れているのが分かった。瞳には前よりもずっとレムの理性が宿っている。

 

畳み掛けるなら今しかない。それならもっと声をかけようと立ち上がり、腰を上げた——、

 

 

「ーーーッ!」

 

 

 瞬間、

 

脳天から足先へと電撃が走り、全身を刺すような激痛が産声を上げた。痛みの元は先ほど受けた脇腹だ。

 

多分、逝った。鎖が直撃した部分の骨が確実にヤバいことになっている。ロズワールに打ち込まれてきた痛みと同等、否、それ以上の激痛が全身に響き渡っていた。

 

全身の骨が軋むように痛い。これまでに蓄積してきた傷の全てが敵に回って痛み続ける。マナが枯渇してしまいそうなせいでフラつく。

 

意識が意識が落ちそうだ。意志が折れそうだ。膝をついてしまいそうだ。

 

 でも、それでもーー!

 

 

「折れるかぁぁーーッ!」

 

 

脇腹の痛み、更には全身の激痛を振り切り、己を叱咤する咆哮を轟かせながら、テンはその場から風のように飛び出した。痛みなどこの際どうでもいい。体のことなど捨て置け。

 

嫌だ。折れてなるものか。レムが、レムが泣いてる。やっと見えたレムが助けを求めている。ならもう、意地でも頑張るしかないだろう。そのために今日は命を懸け続けたのだ。

 

 助ける。絶対に助ける。

 

 

「聞いて、レム! だからね、俺はお前にありがとうって言いたい! 俺が屋敷に来てからずっとずっとずっと、本当にずっと、寄り添ってくれてありがとう! 前にも言ったけど、言葉にしきれないくらいに感謝してる!」

 

 

もう追撃は来ない、一気に距離を詰める。

 

自分の持てる全てを発揮し、彼女との思い出を語れる分だけ語り。ようやく崩せた鬼の表情をもっと崩して、その裏側に隠れたレムの表情を見るために彼は地を蹴り上げる。

 

近づく、レムが肩を荒く上下させている。近づく、レムの頬に涙が垂れた。近づく、レムの瞳と目が合った。

 近づく、近づく、近づく。

 

 そして————、

 

 

「レムーー!」

 

 

その手が、ついにレムの体に触れた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 同時刻。

 

その空間は、死体の大地が築かれていた。森と乖離した光の舞台は、中で行われた圧倒的な虐殺によって真っ赤に塗り替えられていた。

 

広々とした空間に所狭しと倒れるのは魔獣の死体。否、もはや肉塊と化したものもある。血液をこんこんと流し続け、血の海を広げつつあるそれらはピクリとも動かない。

 

凄惨な光景だ。下を見れば死体、横を見れば死体、上を見ても崖に叩きつけた魔獣の内蔵が飛び散り、見渡せば手足等の魔獣の部位が転がり。どこを見ても生き絶えた魔獣の残骸がゴミのように転がっている。

 

 

「にしても……。よく生きてたもんだ」

 

 

その空間を作り出した人間——ハヤトはそう言いながら崖に寄りかかり、脱力するように地面に座り込む。ウルガルムとの大軍戦を終えた彼は今、やっと落ち着けていた。

 

白の衣の影はもはや皆無。ドス黒い返り血で染色された彼の衣服は腰に巻いた黒色の帯と同等の黒さを持ち、それが爪痕の刻まれた服の間から顔を覗かせる赤い傷跡を悪目立ちさせている。

 

 

「……アイツら。無事だよな」

 

 

落ち着いたところで、ハヤトは先に向かわせた二人のことが気になる。レムのことを見つけられただろうか、助けられただろうか、無事だろうか。と様々な心配が沢山浮かんでくる。

 

大丈夫だと信じているが。それでも心配してしまうものは心配してしまうのだ。今、自分達がしていることは生き残りをかけた戦い——全員が無事に終わる保証などどこにもない。

 

ラムが、レムが、テンが、もしかしたら自分自身が、命を落とすことだってあり得ない話ではない。だってこの世界は理不尽で残酷なのだから。

 

 

「……信じてるぜ。相棒」

 

 

心配事は思い浮かべようとした時間の分だけ出てきては心を揺さぶってくるが、それら全てをテンに託すことで彼は己の心を正常に保つ。彼なら、彼ならば絶対にやってくれると。

 

理由はない。そんなもの必要ない。敢えて理由付けるとすれば、培われた絆が「大丈夫」だと言っているとでも語ろうか。

 

確かに彼は自分とは真反対で弱々しい奴だけど。重なりに重なった覚悟が『決定的』な何かを起点に、歯車が噛み合うように整った瞬間、彼は決して揺らがない、自分のような男になる。

 

それを、ハヤトは知っている。だから彼を信じることにした。

 

 

 

「そういや。ベアトリスの言葉……」

 

 

ふと、頭の隅に追いやってしまっていた言葉を思い出した。屋敷を出る前、正確にはベアトリスの禁書庫から出る寸前に珍しく真面目な顔をした彼女に呼び止められたときのこと。

 

 

 ーー不埒な連中が彷徨いているのと厄介な魔獣が紛れ込んでるのよ。

 

 

彼女はそう言っていた。何を根拠にそれを伝えたのかは不明だが、非常事態に直面したハヤトに嘘を伝える彼女ではないだろう。

 

 

「まいっか。戦う事になれば正体も分かるもんだろ」

 

 

あまり深く追求しないハヤトがベアトリスの言葉を頭の端っこに追いやる。今は心身共に体力を回復させることが最優先だと、頭の中を空にする彼は考えることを一旦止めた。

 

だから、彼は知らない。

 

 

 ーーもし、お前達が森に入るというのなら、今のベティーの言葉を心に留めておくがいいかしら。

 

 

だから、彼は気づかない。

 

 

 ーーじゃないと死ぬのよ。

 

 

その忠告が牙を剥き、己を死に追いやることに。

 

 

 ——遠く、遠く、響き渡る。森中を震撼させる咆哮が、ハヤトの本能を震わせた。

 

 

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