前作では、今作(原作)に備えてオリ主二人の立ち位置を安定させるべく、二人がエミリア陣営に馴染むまでの過程を長々と書きましたが。
それがスバルの居場所を奪う理由になったのかと、最近になって改めて思いました。安定して原作を書くためにしたことが仇となるなんて、なんということでしょうね。私は、バカなんだと思います。
——二章を突破するにおいて、乗り越えなければならない壁は大きく分けて二つ。
一つ目。
原作が開始したことで無事に物語に参戦したナツキ・スバルちゃんが、エミリア陣営に馴染むキッカケを作ること。屋敷の人間たちに信頼され、受け入れられる理由を作ること。
なぜか、なぜそれが壁なのか。
自分らが存在しない原作二章では、『彼』であるスバルがエミリア陣営に信頼される過程が描かれていたと、自分の頭が記憶しているからだ。
そうでなくても、外から入ってきたスバルという存在の居場所を確実なものとする上で、一つの壁として立ち塞がるのは当然の話。これからの物語を進めるためにも突破は必須だろう。
だって、自分たちがそうだったから。
今から約五ヶ月前——自分とテンがこの世界に飛ばされて、ロズワールに拾われて屋敷に住むとなったとき、まずは、屋敷の住民に向けられる人間的な警戒心を解くところから始めたから。
要するに、人間関係の構築。自分らが辿った道を、スバルにも歩ませる必要がある。二章は、そのキッカケ作りだ。歩ませる準備を、二章では完璧に作らなければならない。
皮肉にも第零印象と第一印象が、マイナスに極振りされている少女と幼女がいるが。触れれば大爆発、そのまま殺しかねない二人がいるが。
そこは、自分たちがなんとかしよう。第零印象が最悪な少女はテンに丸投げするとして、自分は第一印象が最悪な幼女。ちゃんと、釘は刺しておく。
そうすれば、あとはスバル次第。彼女が屋敷に馴染むのは、彼女自身にも頑張ってもらおうと思う。正直、空回りして爆弾が大爆発する気しかしないけど。
二つ目。
メィリィ・ポートルート。その存在がけしかけてくる魔獣を撃退すること。単純に、二章の敵として立ちはだかる存在を打ち倒すこと。
もちろん、誰一人として欠けることなく。犠牲者ゼロの完全勝利しか望まない。
これに関して、特に考えることはない。来るのならば倒すまで。宣戦布告は早朝の散歩で邂逅した瞬間にしておいたし、それでも
ただ一つ、呪術にだけは警戒しておく必要がある。原作二章でスバルを殺し、レムを殺し、子どもたちを危険に晒した、あの子犬にだけは注意を払っておく。
噛まれたらお終い。否、仮に噛まれたら、それが試合開始のゴングとなるだろう。誰が噛まれようが、そうなった時点で自分のやることは一つ。
となると、今日から一日に一度は村に顔を出して、それとなく全員が無事であるか確認する必要があるだろうか。それか、噛まれる対象を子どもたちに絞り、村の中に紛れるメィリィに目を光らせておくべきか。
なんにせよ、面倒なことに変わりはない。自分の真意を悟らせないようにしつつ、事が起きないように見張る——面倒だから、いっそこちらから仕掛けてしまった方が早いのではないか。
「いや、ダメか」
そんなことを考える自分——ハヤトは首を横に振った。一段一段を足裏で踏みしめるように、落ち着いた足取りで回り階段を登りながら、早計な判断だとその考えを断つ。
行動を起こすのなら、テンが帰ってきてから。戦える頭数は多い方がいい。向こうから仕掛けて事が起きたのなら話は別だが、違うのならリスクの高い判断はしないべき。
それに、それよりも先にやらなければならない事がハヤトにはある。
だから彼は今、階段を登っている。
「まずは、こっからだよな」
二つの壁を確認する中で、再認識したこと。
それよりも前に乗り越えるべき一つの壁が、自分の前には鎮座している。それを突破しなければ、二つの壁を突破することはおろか、辿り着くことすらできないだろう。
それは、初めから立っていた壁ではない。自分が無理やり押し切った結果、立ったものだ。原作が用意した壁ではない。自分が道を歪めたことで、出現した障害だ。
故に、
「——ロズワール。ちょっと話があるんだが、今いいか?」
それは、自分でなんとかする。
☆☆☆☆☆☆☆
「急に悪いな。……仕事中だったか?」
「構わないさ。今から始めようとしていたところだーぁったけぇど、ハヤト君が部屋の扉を叩くのも珍しいからねぇ。私の中では仕事よりも君が優先」
「その言われ方はちょっと鳥肌が立つが……。まぁ、なら好都合だ」
窓から暖かな朝日が差し込む一室に、二つの声が響く。一つは、今しがた部屋の扉を閉めた、張りのあるハヤトの声。もう一つは、差し込む朝日を背にした、特徴的な口調を持ったロズワールの声。
交わされる言葉は親しみのあるもので、声色も柔らかい。その会話一つで、この二人の関係性が薄く浮き出てくる。事実、ハヤトを迎えるロズワールの表情は微笑みであった。
反対に、ハヤトはやや真剣気味。いつも通りの気丈夫な顔持ちの頬が、どこか固くなっている。
「スバル君の調子はどうだい。背中の窓から覗いた感じじゃぁ、元気そうに見えたけぇど」
「おう。あんなことがあった割には元気してるぜ。体が痛む感じはない、って言ってたし。つか、上から見てやがったのか」
その頬に気付きながらも、指摘しないロズワール。こちらに向かって歩いてくるハヤトの嫌そうな目に頷くと、彼は椅子を軋ませながら背もたれにゆっくり寄りかかり、
「窓の幕を開けたときに見えたものだーぁから。君が、君自身が肩入れする少女に浮気しないか否か、じっくり観察させてもらったとも。——ベアトリスには曖昧だったと報告しておこう」
「だからなんで、揃いも揃ってそうなるんだよ。ベアトリスは関係ねぇって言ってんだろ。それに、スバルに恋愛感情は
親指で自分の背中にある大窓を指差すロズワールのニヤけ面に即答し、ハヤトは呆れ顔をしながら歩みを止める。扉から入って十歩もない場所、ロズワールが普段から使用する執務机の前に立った。
その机の奥にいるのがロズワール。座り心地の良さそうな素材の椅子に座る彼は、執務机に積まれた書類の束とインクの入った小瓶に入れられた羽根ペンを見るに、本当に仕事をするつもりだったらしい。
そして、その背中にあるのが、彼が自分らを見下ろしていたとされる大窓。そこからは屋敷の庭園を一望することが可能で、実に良い景色が広がっている。
その窓から自分たちを見つめていたと思うと、少しだけゾッとするハヤトである。お陰で、ベアトリスにあらぬ事を吹き込まれそうで笑えない。
「釘を刺すが……。冗談抜きで、ベアトリスにはなにも言うなよ。今、ちょっとあいつピリついてるから。下手に刺激したら怪我人が出るぞ。愉快犯のお前も流石にそれくらいは分かるよな?」
怪我人ではなく死人の間違えではないか、と。
一瞬だけ聞こえた内なるハヤトの声を横に流し、ハヤトは執務机に手をつく。ついた手に体重を乗せ、前屈みになりながら真剣な表情で目の前のピエロを睨み、圧をかけた。
尤も、その程度の圧で怯むロズワールではない。愉しくなりそうな予感にニヤけ面が不気味に深まり、椅子の肘掛けに頬杖をつく彼は「ふぅん」と鼻を鳴らしながら足を組むと、
「これまでずっと独り占めしていた人が取られてご機嫌斜めなのが、今のベアトリス。それはつまり、私次第で、今日の朝食の席が修羅場というやつになっちゃうかもしれない。ということかーぁな?」
「お前やめろマジでやめろ。ただでさえ色々と大変なのに、これ以上俺に負担をかけるんじゃねぇよ。ストレス抱えすぎて白髪になるぞ。いや、それ以前に、屋敷内で揉め事が起きるぞ」
人の慌てる様を見て愉しむのが、ロズワールという男。以前、王様ゲームをした際、女子に不慣れなテンにレムを抱きしめるよう命令し、テンの精神を容易く崩壊させたのが、ロズワールという愉快犯。
そんな男に冗談なのか曖昧な声で言われれば、ハヤトも戦慄せざるを得ない。なにがキッカケで爆発するか分からない現状、少しのミスが命取りだと捉える彼の様子は本気だ。
修羅場を危惧するのではなく、命の危険を危惧するハヤトの態度。朝っぱらから元気な従者のそれを記憶すると、ロズワールは「はいはい」と適当に受け流し、
「何事にもどっしり構える君がそこまで言うのなら、今回は外から眺めているだけにしよう。ハヤト君の言うことにも一理あるしねぇ。今のベアトリスは、確かに少しばかりピリついている」
「揉め事が起こり得るほどに」と、ロズワールはハヤトを揶揄うのをやめて言葉を閉じる。含みを持たせたそれを低い声で言い、適当に腕を組んで息を吐いた。
ピリついている。そう思う理由など一つ。イラついた彼女の手によって、屋敷の窓の一つが完全に破壊されたことだ。実際に見たわけではないが、瞬間的に爆発したマナの奔流を彼は感覚的に察している。
超人並の魔法使いであるロズワールでなければ理解できない、乱心の証拠。感じた瞬間は何事かと思うほどに凄まじいものだった。
「……それで? 話とはなんだい?」
割れた窓ガラスの破片の掃除や、窓の取り替えなどの後片付けをしてくれたレムに心の中で感謝しながら、ロズワールは話を切り替える。椅子に預けていた体を起こし、執務机に両膝を立てながら手を組んだ。
ハヤトの緊張も解れたし、本題に入るための軽い談笑は十分。昨日、『腸狩り』と戦ったハヤトの体調も気になるが、立ち姿から察するに大丈夫そうだと片付け、
「朝の仕事を放ってこの場所に足を運んだのだから、それなりに大切なことなのだろう?」
本題に入った。
この場所——ロズワール邸最上階、中央。屋敷の主の部屋。ラムとロズワールの夜の密談が開かれる場所だ。
普通ならば来ない部屋。掃除をするのなら話は別だが、それ以外では全くと言っていいほどに扉を開ける機会がない。
あるとすれば、今回のように用があるときだけ。
「ま、君の用がなんなのか、君がなにを話すつもりなのか、なんとなぁく分かっちゃうけぇどね」
「そうかよ」
ロズワールが姿勢を変えたことは、きっと気持ちの切り替えを意味するのだろう。青と黄のオッドアイが話を聞く目になり、聞き手の姿勢になった男を見ると、ハヤトはそう考えてため息。
おちょくられるために来たのではない、壁を突破するために来た。サボるために窓ガラスの片付けを終えたレムに厨房の仕事を代わってもらったのではない、やるべき事をやるために代わってもらった。
一度、この場に来た意味を心に刻むハヤトが執務机から手を離す。前屈みに曲がった姿勢を一直線に伸ばし、人に頼む態度と気持ちをきちんと作りながら、
「ロズワール。俺の無理な頼みを聞いてくれ。遠回しな言い方はできねぇから、単刀直入に言うぞ」
「構わない。好きなように言ってみるといい。言うだけなら安いものだーぁからねーぇ」
この言葉を発した以上、後ろは振り返れない。どうにかこうにかこの男を説得して、目の前に立ちはだかる壁をぶち壊さなければならない。
つまり、後戻りはできない。
否、後戻りをするつもりなど毛頭ない。スバルを屋敷に連れ帰った時点で、テンの反対を押し切った時点で、覚悟なんて固まっている。
ピンと伸びた背筋。ぐっと握りしめた両の拳。真剣一色に染まった表情——堂々とした佇まいのハヤトはふっと雰囲気を変え、浅く息を吐くと力強い目でロズワールを見ながら、
「スバルを、この屋敷の使用人として雇ってくれねぇか? そんで、住ませてやってくれねぇか」
戦いの、狼煙を上げた。
▲▽▲▽▲▽▲
二章を突破する上で立ちはだかる、二つの分厚い壁。自分一人の力では決して簡単に乗り越えることができないそれは、一つの鬼門と表現してもいい。
しかしその二つの壁の前に一つ、大きな壁があることをハヤトは知っている。自分が築き上げた信頼を利用して、無理やりスバルを連れ帰ったことで生じた壁と、今まさに向き合っている。
それは、二つの壁を破壊するための前提条件——物理的にスバルの居場所を作ること。スバルという人物を、ロズワール邸に滞在させる状況を作ること。
原作では、スバルがエミリアを助けた見返りに自分が屋敷の使用人として雇われる事を要求。結果、スバルはロズワール邸を住居とし、そこから物語が展開。最終的に、良い形で二章は幕を閉じた。
が、この世界線ではその見返りがない。エミリアを助けたわけでもない彼女には、この屋敷に住む理由を作る手段がない。つまり、物語を展開することができない可能性がある。
今は『ハヤトの客人』という形で落ち着いているが、そのふわついた理由がどこまで維持できるか。今のところ、三日も持たない気しかしない。
だからハヤトは、この場でロズワールに直談判をしに来た。二つの壁を突破するための前提条件を整えるために、主人の前に立った。
これは、自分のやるべきことだから。スバルを屋敷に招くことに関してテンにも反対された以上、スバルの味方をしてやれるのは自分しかいないから。
「ほぅ……。スバル君を、ねぇ」
執務机に両膝を立てて組んだ手、その手に顎を乗せるロズワールが目を細める。驚きや疑問を含んだものではないそれは、ハヤトの動向をじっくり観察しているようにも見えた。
途端、部屋の空気が一瞬にして変わったことをハヤトは肌で感じ取る。自然と息が詰まり、じりじり焦がされるような感覚。多分、部屋の主の雰囲気が変わったからだろう。
「大まかな予想はつくが。一応、理由を聞かせてもらおう」
雰囲気一つで部屋の緊張感を一気に張り詰めさせ、ロズワールは低い声色で語る。一音一音をはっきり届かせる声は真面目で、ふざける気配は無い。
ニヤけ面が抜け、真剣味が宿る表情でこちらを見つめるロズワール。軽口の一つも許してくれないそれを見ながら、ハヤトは「単純だ」と前置き、
「スバルには帰る場所がない。だからここに住まわせてやって、ここを帰る場所にしてやりたい。それだけだ」
「その理由で、私が首を縦に振るとでも?」
「そんな甘いこと思っちゃいねぇよ。流石に、そこまでガキじゃねぇ。だから、無理な頼みを聞いてくれ、って言ったんだ」
言われて当然の返しをされたハヤトは、しかし一歩も譲る気を見せない。理由として不十分すぎる私情しかないと知っていても、それを語る態度は実に堂々としている。
これは交渉ではない、お願いだ。使用人と主人という立場で行われるものではなく、私人という個人同士の話し合いだ。
故に、ハヤトは交渉材料など一つも持ってきていないが、いつも通り堂々たる態度を貫く。あるのは情に訴えかける熱意と、自分とロズワールの間で築かれた信頼関係のみ。
その二つだけで、想いを紡ぎ続ける。
「王都で会ったときのスバルは右も左も分からねぇ状態でよ。多分、あのまま放置してたら路頭に迷うことになっちまうと思ったんだよ。そうなりゃ、まともに命が続くとは思えねぇ」
思うというよりも、その確信がハヤトにはあった。もし、あの場で自分らにくっついてきたスバルを無理やり振り払って帰ってきたとしたら、彼女は確実に路頭に迷うと。
それは、自分らが歩んでいたかもしれない過去だと思う。もし、自分とテンがメイザース領ではなく王都に飛ばされたとしたら、間違えなく悲惨な状態になっていたはずだ。
「それに、王都の下層区は上層区と違って野蛮な輩が多すぎる。実際、俺も路地裏で変なのに絡まれたし。万が一そいつらにスバルが襲われたらどうするんだ、ってな」
貴族や賢人会、近衛騎士などの気品のある人間が住む上層区と違い、暴力で物を語ろうとする輩が多いのが平民や貧民が住む下層区。そんな場所に一人で彷徨いて、彼女になにかあったらどうする。
目に入る全てを助けたいという英雄的な思想を抱くハヤトにとって、それは見過ごせない事態だ。困っている人間がいれば損得勘定なしに助ける彼に、見て見ぬふりという選択肢はない。
「そんな奴を見つけた以上、無視するなんざ俺には無理だぜ。他の全員が保身のために横目で見流そうが、俺だけは見流さねぇ」
「要するに、危険だから見捨てられなかったと? 見ず知らずの女を、その理由一つで連れ帰ってきたと?」
「そうだ」
「なるほどねぇ。実に君らしい、真っ直ぐな意見だ」
「ふっ」と失笑。
決して予想していなかったわけではない理由を聞き、閉じられたロズワールの口元が僅かに弧を描いた。
彼と真反対なテンならば予想は困難だが、ハヤトならばこうも簡単に考えていることが分かる。思考が感情に委ねられることが多い彼は単純で、予想通り過ぎておかしくなってきた。
目の前のことに真っ直ぐと言うべきなのだろうか。ハヤトという男は、基本的に後先考えずに突っ走る性格。己の行動によって引き起こす事態など視野に入っておらず、とにかく心が先行してしまう。
だとしても、引き起こす事態を自力で解決してしまうから、ハヤトは周囲からすごい奴として認められているのだ。
——結果、その性格に拍車がかかり、今回のような面倒な事態を招いたと。
「それに、少なからず、スバルは徽章奪還の件に貢献してくれたんだぜ」
高い実力と人徳があるだけに、無茶苦茶に無鉄砲で純粋に真っ直ぐすぎる性格が成立しているハヤト。
己を止めてくれる制御係が身近にいることも相まって目標に向かって全速前進しかしない彼は、いずれ、とんでもない事態を招くかもしれない。
怖さを知らない姿勢は危うげで、失敗を恐れない様が頼りになる男は、ロズワールにそんな懸念を抱かせていた。
「スバルがいなけりゃ、徽章奪還の起点が作れなかったと言っても過言じゃねぇし。エルザと戦ってるときに攻撃の隙を作って、俺が活路を切り開くキッカケを作ったのもあいつだ」
ロズワールの懸念など露知らず、ハヤトはスバルの功績を語る。原作ほどではないにしろ、スバルという存在が齎してくれたことは確かな結果に繋がったのだと。
嘘は言っていない。捉え方によっては脚色と美化が入っているようにも聞こえるが、間違ったことは一つもない。
事実、半ば強引ではあったもののフェルトと話す機会を作ったのも、不意をついてエルザに隙を作ったのも彼女だ。
だから、
「彼女には、なにかしらの謝礼があってもいい。それが、今回はこの屋敷で雇い、住まわせることだと。そう言いたいのかぁな?」
「おうよ」
無理な要求を突きつけ、力強く頷きながらハヤトは言い切る。
スバルは帰る場所が無いから、放っておくわけにはいかない。加えて、自分たちのために力を貸してくれたから感謝の気持ちを示してもいい。だから、願いを聞き入れてくれ。それが、ハヤトの要求。
困ってる人は絶対に見捨てられない——善人の権化のような思想を見せながら言われると、流石のロズワールも唖然の笑いが口元から溢れた。
果たして、その理由だけで人を拾ってくるだろうか。感情に対して実直すぎる彼のことだ。本当にその理由だけなのだろうが、だとしても違和感に思わない部分がないわけではない。
「本気で言っているのかい……と、聞くのは愚問かい?」
「愚問だな。俺の目を見ろ」
言われて、ロズワールはハヤトの目を見る。
こちらを一直線に見つめるハヤトの目に、嘘偽りはなかった。いつも通りカンザキ・ハヤトの瞳に曇り模様は一欠片もなく、生気に満ち溢れた活気のある色をしている。
それが本気の目であると理解するのに、時間は使わない。ハヤトという教え子の先生であるロズワールは、その目を見ただけで彼の本気度合いがよく分かった。
他人に嘘をつけるほど、ハヤトは器用な子ではないとロズワールは知っている。それが大切な事であればあるほど、素直な想いを伝えるのがハヤトだ。
とすると、
「彼女に、情でも湧いちゃったりした?」
「なんでだ?」
頭の上に大きな疑問符が浮かび、眉間に小さな皺を寄せながら小首を傾げるハヤト。
話し始めてから初めて表情が変化した彼を見ながら、ロズワールは姿勢を崩して椅子の背もたれにゆっくり寄りかかり、
「危ないところを拾われた、という点に関しては君も同じだーぁからね。なんせ君は……君たちは、この私に森で拾われた人間。捨て猫ならぬ捨て人だし」
「捨て人、って……」
膝掛けに手を置き、くつくつと笑うロズワールはその瞬間の記憶を見ているのだろう。あの日——自分とテンがこの世界に飛ばされて、竜に襲われたところを助けた場面。
別に捨てられたわけではないが、突っかかるのは面倒だから言わないでおくハヤト。その彼にロズワールは「これは、あくまで持論だが」と続けて、
「人間、同じ
「………確かに」
淡々と語られる持論を聞き、ハヤトは納得の声を小さく溢す。一瞬、その表情に痛みが走ったような歪みが生じるも、刹那で消えた。
良い意味でも悪い意味でも、あの二人に似通っている部分があるのは知っている。そのお陰で、お互いに良き理解者になれていることも。
詳しい部分までは
傷を舐め合う関係——その言い方だと悪くしか聞こえないから、お互いに支え合う関係とても語っておこう。レムも自分とテンは運命共同体だと言っていたし。愛し、愛され合う。相思相愛。
「俺とスバルが、それと同じだとでも?」
「惹かれ合うかどうかはともかく。そうではないのかと私は考えているよぉ。なんせ、君は誰に対しても等しく優しすぎる青年だーぁから」
ーーハヤト君は、優しすぎます。
不意に、少女の声が脳裏に過る。様々な感情を必死に押し殺した、棘のある冷たい声色。
昨日、殺意の炎を轟々と燃え盛らせたレムの声だった。自分にスバルの危険性を知らせに来た、現状では勢い一つでスバルを殺害する可能性が一番高い青鬼の忠告。
「まぁ、そうだと言えばそうなる……かもな。あいつの弱々しい姿は、初期の俺らと重なるところもある。状況的には全く同じだしよ」
その言葉を聞きながら頷くと、ロズワールは「ふぅむ」と鼻を鳴らしながら難しい顔をする。自分の語ったことがドンピシャで正解だった割には、納得のいかなさそうな表情だ。
今、その頭の中でなにを考えているのか、ハヤトには分からない。分からないから、読み取るのを諦めた彼は「だからよ!」と声量を上げ、
「頼む、ロズワール! スバルを屋敷に雇って、あいつをここに置いてやってくれ! 無理な頼みだとは分かってる! だが、どうしても放っておけねぇんだ!」
切実に懇願し、頭を下げる。
同情を誘うものではない。自分がどれだけ本気なのかを知ってほしいだけだ。そのためなら、この場に膝をついて這いつくばり、額を床に打ち付けてもいい。
この男の心に訴えてどうにかなるのか。どうにかならない割合の方が圧倒的に高いかもしれないけれど、自分にはこうするしか方法がなかった。
もう一度確認しよう。これは交渉ではない、お願いだ。使用人と主人という立場で行われるものではなく、私人という個人同士の話し合いだ。
故に、ハヤトは感情のみで勝負を仕掛け続ける。自分が築き上げたものを利用してまで。
それだけ必死で、本気だから。
「彼女を雇う必要性が私には感じられないけぇど。単純に屋敷に置くのと何が違う?」
「役割を与えると、あいつがここにいる意味ができると思ったんだよ。なにもせず、俺の客人ってだけで屋敷に置き続けるのは危ない。反発する人間が出る」
「そうでなくても、彼女がここにいるだけで反発する人間は出ると思うけどねぇ」
「ンなこと、もう分かってんだよ……っ! 昨日から今の今までの間に、嫌と言うほど味わった」
屋敷で雇う理由を端的に述べ、拳を握りしめるハヤトが感情を押し殺している。こちらの痛いところを的確についてくる緩い声に苛立ちながらも、頭には理性のストッパーが残っている。
盤面としては、かなり絶望的な状態からのスタート。唯一の親友ですらレムやベアトリス側の人間なのだから、なりふり構っている余裕などない——そうだと理解していても、勢いに任せて叫ばない程度に頭は冷静だった。
「頼む……! ロズワール」
再度、懇願する。
その態度を正面に、椅子に深く腰掛けるロズワールは低く喉を鳴らした。それから、下げた頭を上げようとしない、可愛がってきた教え子の必死な姿を目に焼き付ける。
なぜだろう。そうしていると、自分の中で言い表しようのない感情の紛糾をロズワールは感じた。僅かな乱れ。消そうと思えば刹那で消せるそれが、胸をチクチクと突いて、突いて、収まらない。
まさか、揺れているとでも。自分が、教え子が切実に頼む姿を見て胸を打たれているとでも。否、そんなわけがない。真に同情する感情なんてものは、いつの間にか消えた。
——じゃあ、この心に立つさざ波はなんだ。
「顔を上げたまえ、ハヤト君」
淡々とした低い声を受け、ハヤトはゆっくり頭を上げる。直後に見たのは、オッドアイでこちらを射抜くロズワールの顔。
道化さが消えた、真面目な表情をしていた。顔を下げる前と上げた後の差はゼロに等しい。が、確実に纏われる雰囲気が先程とは違うとハヤトは本能的に察する。
「君の要望だが」
開かれた口から出た言葉に、ハヤトは勝手に身構える。言いたいことを全て言い切って、もしダメだったらどうする——そう思う心が不安げに揺れ、表情に出さないようにするので精一杯。
一度だけ瞑目するロズワール。考えるための沈黙を挟むと、彼は整ったようにぱっと目を開き、
「無茶な願いではあるが、受け入れられないことはない」
「いいのか!?」
告げられた言葉に全身から緊張が抜けていく感覚がして、声を上げるハヤトの表情が華やぐ。強張っていた体と頬から力が抜け、思わず笑みを浮かべながら執務机に手をついて詰め寄った。
多分、不安だったのだとロズワールに思わせる教え子の態度。純粋に嬉しがるそれに彼は「ふっ」と笑い、
「これでも私は貴族だ。経済的な面での問題は障害になり得ないだろう。働き手が増えれば、君たちにも余裕が生まれて万歳と言ったところか」
今すぐにではなくても、将来的にはそうなるかもしれない。けれど、ハヤトにとってはそんなことどうだっていいのだろうなと、喜ぶ彼を見ながらロズワールは思う。
彼の願いは一つ。ナツキ・スバルの身の安全の確保なのだから。それだけでここまで頑張れるとは、優しすぎるにも程がある。
それが、ハヤトの美点なのだろう。
「私個人の意見としては、特に反対はしない」
「そうか。ありが——」
「しかし、ハヤト君。一つ、それには大きな問題があることを君も知っているはずだ」
歓喜に震えるハヤトに指を差し、強い口調と声で言葉を遮るロズワール。吹き上がる感情に騒ぎ出すハヤト、その心を黙らせて釘を刺すと、
「君は、彼女がここに馴染めると思うかい?」
投げかけられた問いに対して、「馴染めると思う」と即答することはできなかった。レムやベアトリスの態度が脳裏に過ぎり、感情を鎮火させられたハヤトは言葉が喉に詰まったように黙ってしまう。
じっと、ハヤトを見つめるロズワール。沈黙が肯定だと受け取る彼は、「自分で言うのもあれだがね」と微笑を見せながら手を組み、
「君とテン君の二人がエミリア陣営に属してから、バラバラだった我々の心が一つにまとまろうとしていると私は感じる。君たち二人の存在を中心として、陣営全体の雰囲気が良いものになりつつあるとね。……君も感じているはずだ」
「それは………」
「今のエミリア陣営の雰囲気。君たちが来る前のエミリア陣営の雰囲気。その二つを比較したとき、その差は明らかだとね」
エミリア陣営を作ったと言っても過言でないロズワールだからこそ、言えること。この陣営を誰よりも長く見てきたロズワールだからこそ、感じること。
薄々、勘づいてはいた。王選だけの関係——もはや他人と言ってもいい程度の関係値だった自分らが、二人をきっかけに不思議と仲良くなっている。
その際たる例は、過去に一度だけ開催した王様げぇむという面白い遊び。くじ引きで王様になった人間が他の人間に命令を下すという、犠牲者が多発したそれ。
昔の自分らだったら、まずありえない光景。屋敷の全員で集まって遊ぶ日が来るなんて、考えもしなかった。あのときは、犠牲者の一人であるロズワール自身も爆笑したものだ。
エミリアに平手打ちをされたのは痛かったが。それもまた一興。参加した屋敷の住民の全員が等しく笑顔だったから、それはそれで良い。
つまり、なにが言いたいか。
「既にエミリア陣営は、一つの個として完成されつつある。
皮肉にも、二人が五ヶ月の時を経て築き上げた関係が、邪魔をしているということだ。
「その中に、ナツキ・スバルという存在が入る余地があるとは思えない」
「そんなの、どうにでも——」
「どうにでもならないと思うから、わざわざ私は言っているんだよ。ハヤト君。私にそう思わせてしまうほどに、君たち二人はエミリア陣営に馴染みすぎてしまった」
どうにかするしかない。そうする以外に道はない。そうやって己を鼓舞するハヤトの意志を断ち、ロズワールは静かな声で現実を突き刺す。
仮に、エミリア陣営にソラノ・テンとカンザキ・ハヤトの存在がない状態。つまり、全員がバラバラの状態だったなら話は違ったかもしれない。まだ、可能性はあったかもしれない。
けれど、そうではないのが現実。
「希望を与えた後に、キツく言うようで悪いけーぇど」
そこで一旦、言葉を切る。
一呼吸分の間を開けて、ロズワールは無謀な挑戦をしようとする目の前の男に言い放った。
「現状、恐らくだが君の味方は一人としていない。彼女が屋敷に住むのは絶望的だと思っていい。仮に君の要望が叶ったとて、スバル君には苦しい思いをさせるだろう。私ができるのは、その道を作ることだけ」
ぎりっ。
味方は一人もいない。その通りだ。今でさえ、自分の言葉を信頼してスバルを屋敷に置かせてもらっているが、納得している者は一人としていないのだから。反発されるのは目に見えている。
ロズワールのような人間に言われて、改めて痛感させられる。エミリア陣営の全体を見渡してきた者に言われると、今がいかに『詰み』の状態であるか。
でも、それでも——!
「俺は……諦めたくねぇ!」
叫ぶ。
溜め込んだものを解放する声が、一度だけ彼に感情の解放を許し、解き放たれた幼稚な本音がロズワールを殴りつける。
「なんとか……なんとかするんだよ! そうじゃねぇと……スバルが……っ!」
諦めるつもりなんてない。絶望的な状況だなんて百も承知だ。それでもやらなければならない。スバルを放ってはおけないから。スバルはエミリア陣営には必要な存在だから。
親友に断言されて、レムの殺意を肌で感じて、ベアトリスの辛辣な態度を見て、ラムに柔らかく否定されて、トドメとしてロズワールにこれでもかと現実を突きつけられた。
自分だって、そんなことくらい分かっている。分かっていてもやると決めた。同じ『死に戻り』の共有者として、彼女と頑張っていくと己に誓った。
原作よりも良い未来を。原作とは違う道——空白を歩む覚悟を親友と誓い合った夜に、二人で最悪をひっくり返すと心に強く刻んだ。
これは、その第一歩目なんだ。誓ったそれを実現させて、自分らはこの理不尽な世界に溢れる最悪を覆してやると、運命に知らしめる最初の挑戦なんだ。
だから諦めたくない。ここで躓きたくない。この最悪な盤面を最高にして———、
「提案してもいいかい?」
数多の想いが心の中で交錯し、ぐちゃぐちゃになりかけたハヤト。彼の意識はその一言で精神世界から現実世界に引き戻される。
いつの間にか、俯いていたらしい。握りしめた拳、その手の平に食い込んだ爪の痕が刻まれた彼は、感情に揺れる表情が露出した顔を上げ、
「なんだ?」
「要するに、スバル君の身の安全が確保できればいいんだろう? 住む場所さえあれば、ハヤト君的には問題はない。これで正しいのだろう?」
「そう……だが」
なにが言いたいのか分からず、歯切れの悪い言葉を溢し、訝しむハヤトが困惑の目を向けながら「ん?」と喉を鳴らす。
そのハヤトに指をパチンと鳴らし、ロズワールはニヤリと笑いながら言った。
「——一度、彼女をアーラム村に住まわせるというのは、どうだろうか」