少しでも望む未来へ   作:ノラン

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心の特効薬

 

 

 

ベアトリスに付き合った結果として禁書庫に連れてこられたハヤト。ロズワールとの直談判を終えてお疲れの彼は、今しがた、その扉を潜ったところであった。

 

楽なものだと思う。禁書庫というものは空間自体が自分らの住む次元とは別次元にあり、範囲は限定されるものの、ロズワール邸の中であれば部屋の場所が固定化されていないのだから。

 

禁書庫の扉と、ロズワール邸に数多とある部屋の扉。その二つを好きな時に好きなように繋ぐことができる。それがベアトリス——陰魔法の極致に達した大精霊が持つ力。

 

故に、二人が禁書庫に辿り着いたのは双子姉妹と別れた五秒後のことだった。

 

 

「で? 付き合え、ってなんだよ。話でもあんのか?」

 

「急かすんじゃないかしら」

 

 

 手を横に振り、一閃。

 

小さな動作を起点に横殴りの衝撃波が生じ、開いたままの扉が閉まる。その事実を音として理解しながら、ベアトリスは足を止めずに奥へ奥へと突き進んでいく。

 

もちろん、袖口は摘んだまま。こっちに来いと口ではなく行動で示し、歩幅を合わせようと隣に並んでくるハヤトを禁書庫の奥深くまで連れ込んだ。

 

そして、その足が止まったのは扉から少し離れた位置。ベアトリスが本を読む際に使用する、大きめの椅子が置かれた場所に到達したとき。

 

 

「……ここでいいのか?」

 

 

案内終了の気配を感じたハヤトに頷き、ベアトリスは袖口をようやく離す。ひらりと揺らぎながら離された部位には小さく皺が寄っていて、力の入り具合を無言で語っている。

 

振り返り、ハヤトと向き合うベアトリス。ムスッとした表情が浮かび始めたときから不機嫌な空気を感じ取る彼に、彼女は自分の足元を指差し、

 

 

「そこに座るかしら」

 

「は?」

 

「座るかしら」

 

「なんで」

 

「座るかしら」

 

 

我を通さんとするベアトリスに、ハヤトの表情が曇る。強引にこの場に連れてこられた時点で違和感に感じていた珍しさ、普段はあまり見れない光景に困惑していた。

 

しかし、困惑で止まらないのがハヤト。言われたことをすっと飲み込むと、彼は言われた通り指定された場所で腰を下ろし、胡座をかいて床に座り込んだ。

 

今から自分はなにをされるのだろう。自分が連れてこられた理由が全く分からないハヤトが「そんで?」と胡座に手を置くと、今度は意味の分からない事態が目の前で起きる。

 

 

「ーーーー」

 

「おいおい。なんで脱いだ?」

 

 

ベアトリスが話さない限り状況の理解が通らない以上、聞き手の姿勢を貫くハヤトの目の前。ベアトリスが何も言わず、唐突に靴を脱ぎ始めた。

 

なんの予兆も、予感も、話の流れもない。本当に突然の奇行。さしものハヤトも驚きが声に乗り、あんぐりとした表情になる。珍しさに珍しさが重なりすぎて、一周回って逆に珍しく感じなくなってきた。

 

そのベアトリス。脱いだ靴を丁寧に揃えて横に置く彼女は「ふぅ」と吐息。なにか、心の準備を思わせる態度を一瞬だけ見せると、

 

 

「——ん」

 

 

両腕を広げて胸元を開放し、自分の意志を示す。ほのかに頬を赤らめ、視線をハヤトから逸らしながら、唇を尖らせて抱擁を要求するポーズ。

 

その体勢、ハヤトには抱っこを要求しているようにも見えて、行動の意味を理解することができない。あまりにも唐突すぎることが二重に重なり、あんぐりのまま固まった。

 

 

「……あ?」

 

「あ? じゃないかしら。マナ徴収なのよ」

 

 

結果、自分と同じ反応をされたベアトリスに真意を明かされてやっと理解に至る。ただそれだと、靴を脱いだ理由が全く分からない。

 

いつもは靴を脱がず、膝立ちのハヤトの胸に飛び込む形で抱きついてマナドレイン。定型の形とは別の形での徴収は初めてであり、定型で慣れるハヤトからすれば疑問に思うのは必然だ。

 

 それに、

 

 

「徴収はさっき終わったんじゃねぇのか? スバルが入ってきたやつ」

 

 

ついさっき、三十分程前。一日一回のマナ徴収は終えている。スバルの乱入があったお陰で、普段と比べて賑やかになったから忘れるわけがない。

 

単純にそう思ったから持ち出した話題は、ベアトリスにとって良くないものだったのだろう。ハヤトの口がスバルの名を刻んだ瞬間、眉間に皺を寄せる彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らし、

 

 

「あの程度の短い時間で終わると思ったら大間違いかしら。まだ、全然、吸い足りないのよ」

 

「んだよ。やっぱ足りなかったんじゃねぇか」

 

 

だから「もういいのか」とあのとき聞いたというのに、どうして頷いたのか。否、分からないわけではないから、顔を顰めるベアトリスには深く突っ込まないのがハヤトなりの優しさだ。

 

そんな気はしていた。普段は三十分も続くそれが今日はたったの五分とは、短すぎるにも程がある。だって、「あと五分」を無限に繰り返す彼女が短時間で解放するわけがないのだから。

 

尤も、三十分のうちの何割がベアトリスの私情に使われているかなど、考えるまでもない。

 

 

「まぁ、なんでもいい。お前なりに事情があったんだろうよ。じゃ、やるか」

 

 

「ほれ、こい」と。胡座に乗せた腕を大きく開き、ベアトリスを受け入れる姿勢。ベアトリスの事情は気にしないことにして、彼はマナ徴収に気持ちを切り替える。

 

 が、疑問が湧いた。

 

 

「つか、なんで靴を脱ぐ必要がある? 俺を座らせたのも意味が分からん。マナ徴収なら、いつも通りの体勢でやるのがいいんじゃねぇの? その辺はお前次第だから、姿勢に関しちゃ分からねぇが」

 

 

マナ徴収がやりやすい体勢とかあるのだろうか。

 

なんて疑問が広がる中、ハヤトは小首を傾げて疑問を飛ばす。その先では、広げた両腕を閉じた幼女が自慢のツインドリルの先端を弄っていた。

 

気恥ずかしさや気まずさから、女の子が髪を弄るのと同様——だと思うべきか。割と女性経験豊富な彼には、今のベアトリスは過去に付き合ってきた女子と重なるものがある。

 

 

「言いたいことがあんなら言えよ。遠慮すんな。命を助けてもらった礼なんだし、できることならやるぜ」

 

 

故に、ハヤトは喉に詰まる声を引き出すための一声。気持ちを我慢するのは良くないとする己に従い、踏み出せない背中を強く押した。

 

視線を逸らす。頬を赤らめる。もじもじしている。髪を弄る。これほどまでに分かりやすい、言いたいことが言えない女の子、がいるだろうか。

 

ここまで情報が揃うなど、こちらに心を悟らせるために故意でやってると言われる方が納得できる。彼女はこれを全て無意識でやっているのだから、その可愛さとツンデレは限界突破している。

 

 

「………なら、まずは足を伸ばすのよ」

 

 

一歩、踏み出したベアトリスの、躊躇いが含まれた声に素直に従うハヤト。胡座を崩す彼は、言われたように足をまっすぐ伸ばした。

 

 長座の姿勢。

 

 

「体を少し後ろに倒して、両手を背中の後ろにつくかしら」

 

 

下半身の次は上半身。特に逆らわないハヤトは体を少し後ろに倒し、倒れかける体を後ろについた両手で軽く支える。長座で座り、後ろについた両手に寄りかかる体勢だ。

 

なぜこの姿勢。意味が分からないハヤトに「次は?」と問いかけられると、ベアトリスは「それでいいかしら」と頷き、動き出す。

 

 そして、

 

 

「………なるほどな」

 

「なにが、なるほどな、かしら」

 

「いや。なんでもねぇ。気にすんな」

 

 

首を横に振り、思わずといった風に笑みを浮かべるハヤト。眼下に映る光景に頬を緩ませる彼は、ベアトリスが望むマナ徴収の体勢に恐れ入った様子だ。

 

その体勢——ベアトリスが足を伸ばしたハヤトの腿にちょこんと座り、脇から背にかけて両腕を回し、体を前に倒して胸に寄りかかって落ち着く体勢。

 

普段と違う体勢、胸に寄りかかりたいがためにとらせた体勢だろうとハヤトは思う。後ろに手をついて支えを作らせたのも、自分を受け止めても大丈夫なようにしたかったからに違いない。

 

靴を脱いだのも腿に座るためだろう。そのためにわざわざ脱いだと思うと、そろそろこの子のデレ具合が測れなくなってきた。

 

 

「ーーーー」

 

「ーーーー」

 

 

そこから先、言葉は続かない。

 

どうしてこの体勢なのか、なんでこの体勢をしたのか、などと無粋な疑問を捨てたハヤトが深く息を吐いて目を閉じ。

 

黙って自分の要求を受け入れてくれるハヤトの優しさに、ベアトリスもまた目を閉じる。

 

そうして訪れるのは無言の静寂。温もりを感じるベアトリスと、マナが吸い取られる倦怠感を感じるハヤトの邪魔の入らなくて——今度こそ、邪魔の入らなくて言葉の要らない、気の抜けるひととき。

 

 

「……すぅ」

 

「寝るなよ?」

 

「なわけないかしら。ちょっと深呼吸しただけなのよ」

 

 

冗談混じりな確認に即答し、ベアトリスは口を閉じる。胸に顔を埋め、深呼吸を重ねていると、体を包む温かさも相まって本当に寝てしまいそうな予感がした。 

 

目を閉じると世界が闇に閉ざされて、黒色以外はなにも見えなくなる。けれど、その代わりに聴覚が研ぎ澄まされて、耳を澄ましてみると鼓動の音が鼓膜を叩いてくる。

 

どうしてだろう。心音を聞いていると、とても落ち着く。いつもは肩に顎を乗せる体勢だから知らなかった感覚が、ひどく心地が良い。ただ心音を聞いているだけ、それだけのことがこんなにも安心する。

 

なるほど。レムがテンに抱きつきながら言っていたのは、こういうことか。分からなくもない。

 

 

「つーか、この体勢でもいいのかよ」

 

「どうして?」

 

「お前、いつも言ってるじゃねぇか。いつもの体勢が一番マナ徴収の効率が良い、って」

 

「ーー。もっと良い方法を模索してるだけかしら。今のところあの体勢しかやってないから、必然的にあれが一番効率が良いことになってるのよ」

 

「そうかよ」

 

 

取って付けたような理由には違和感しかないけれど、ハヤトは頷くだけだった。言葉の前に挟まれた僅かな沈黙の意味を理解していても、敢えて指摘するような真似はしない。

 

正直、この体勢の意味を聞いてみたい思いはある。マナ徴収をするからこの体勢をする——果たして、本当にそれだけの理由かと。

 

もちろん、それだけの理由ではないことなどとっくに気づいている。どこかの鈍感野郎——元鈍感野郎と違って、ハヤトは胸元で落ち着く幼女の本音を、心の底では理解している。

 

けれど、本人の口からそれを聞いてみたいと思ったり。それを素直に話さないから、ベアトリスは超が付くくらい可愛いのだが。

 

 

「なぁ、ベアトリス」

 

「なにかしら」

 

「頭ぁ撫でてもいいか?」

 

「………だめかしら」

 

「さっきは良かったのに?」

 

 

その辺の基準がよく分からないなとハヤトは思う。自分から向かって来ておいて、こちらから歩み寄ろうとすれば拒否反応。そんなだから、今のところ頭を撫でると軽く怒られる。

 

最近はツンデレのデレ傾向が強くみられるようになってきたが、譲れないものがあるのだろうか。テンに甘っ甘のでろっでろになる、レムのようにはなってくれなさそうだ。

 

いや、それはそれで違和感があるかもしれない。

 

 

「……すぅ。……すぅ」

 

 

レムのようにデレるベアトリスを想像し、違和感の塊だと思うハヤト。彼の脳内でアリ派とナシ派に分かれて議論が交わされる中、その胸元では議論の中心人物が依然としてぬくぬくタイム。

 

ハヤトの温かいマナ(もの)が自分の中に流れ込んでくる感覚——いつの間にか癖になった感覚をずっと感じていると、いつも陶然としそうになる。深呼吸をすると、より一層のこと。

 

この体勢をしようと思った理由は、色々とある。

 

十分なマナ徴収が本当に終わっていなかったり。ハヤトが疲れ気味だから、少しは自分以外に誰もいない空間で休ませようと思ったり。単に、自分が抱きつきたいと思ったり。

 

本来の事情。気遣い。私情。それっぽい理由は挙げようとすればいくらでも挙がる。

 

 けど一番は、

 

 

 ーーハヤト。アタシ、ハヤトに用があるんだけど。今から時間ある?

 

 

 それ、だと思う。

 

ナツキ・スバルとか名乗る女。昨日、ハヤトが十割の善意で連れ帰ってきた女。——鼻が曲がりそうなくらい、異臭を放つ女。

 

その女とハヤトの横並びを見て、モヤッとしたからだと思う。二人が並びながら歩く姿、普段は自分のいる場所に他の女がいる、その事実に形容し難い感情を覚えたから。そんな気がする。

 

だから今は、そのもやっとした気持ちを発散しているだけだ。こうして密着して、荒ぶる心を宥めているだけだ。極端に言えば、自分の都合の良いようにしているだけに過ぎない。

 

そして、心を宥めるためにどうするかと考えたとき、脳裏を過ったのがこの体勢。

 

 

 ーーテンって、すごーくあったかぁい

 

 

今から約一ヶ月前、酒に酔いに酔ったエミリアが、そう言いながらテンにこの体勢で抱きついていたのをよく覚えている。

 

呂律も、理性も、思考すらエミリアから奪われたあの日。常日頃から蓄積する感情を爆発させた彼女が、子どものように彼に甘えていたのは、今でも鮮明に思い出せる。

 

あの日は、酒に酔ったレムとエミリアの相手にテンが大変だったように。飲み比べでラムに完敗、酔っ払ってだる絡みをしてきたハヤトの相手をする自分も大変だったが、それはそれとして。

 

なんとなく、その体勢をハヤトとしてみたいと思った。特に理由はない。なんとなく——なんとなくだ。理由は自分でもよく分からないから、衝動に駆られたとでも言っておこう。

 

 考えるのも面倒だ。

 

 

「……ちょっと聞かせやがるかしら」

 

「なんだ?」

 

 

一つの考えが着地し、頭の中に他のことを考える余白が生まれたベアトリス。処理の許容範囲を越える感情に頭がくらくらしそうになりながらも、不自然のないように立て直す。

 

膨大な知識を蓄えた聡明な頭の容量が、ハヤト一つでキャパオーバーしかけるのはさておき。ふと思い出したことがある彼女は瞑っていた目を開くと、寄りかかる胸から体を起こした。

 

暗闇が晴れた世界。その中心にはハヤトがいて、目線の高さが同じ彼はこちらを真っ直ぐ見つめている。

 

正面、ほぼゼロ距離。ベアトリスは言葉そのままの意味で目と鼻の先にいる男を見つめ返しながら、

 

 

「お前、ベティーたちになにを隠してるのよ」

 

「ーーっ」

 

 

藪から棒な質問を投げかけられた瞬間、ハヤトの息が詰まる音がした。彼の柔らかい表情に動揺が走り、ピクリと眉毛が跳ねる。

 

物音ひとつしない、静寂の禁書庫。普通なら世界の音に掻き消される極小の音は、ベアトリスの世界ならば拾うことは容易だ。一度だけ強く跳ねた鼓動の音、それすらも。

 

 

「また、厄介事でも連れてきたかしら? 隠せてるつもりでもバレバレなのよ。……お前はイカれ男と違って、嘘が絶望的に下手くそかしら」

 

 

 真っ直ぐで、純粋だから。

 

心の中で言葉を付け加え、僅かな乱れだけで半信が確信に変わったベアトリスに、ふっと真剣な表情が宿る。数秒前までは蕩けていたとは思えないほど、真面目なもので。

 

その表情が本気だとハヤトが気付くのには、刹那の時間も要らない。これまで彼女の様々な一面を見てきたから、感覚的に分かった。分かってしまうことが、彼にとっては良くなかったのかもしれない。

 

 

「……はぁ。ったくよぉ」

 

 

真実以外を許さない、蝶の模様が浮かぶ瞳。こちらを一直線に射抜くそれから目を逸らし、ハヤトは力無く俯く。

 

深々とため息を漏らしながら首を横に振り、

 

 

「ほんと、(こえ)ぇな。お前ら」

 

「お前、ら?」

 

 

引っかかるベアトリスが反応を見せるが、今のハヤトに応える余裕はない。心臓に悪い詰め寄られ方をされて、自分は本当に嘘が下手なんだなと自覚した。

 

ベアトリス、というよりもこちらの隠し事を呼吸も同然に見抜いてくる者たちに驚嘆し、恐怖すら感じる。ここまで重なってしまうと、流石のハヤトも自信がなくなってきた。

 

 

 ーーあの女……ナツキ・スバルは、何者(だれ)なんですか?

 

 ーーラムに嘘をついているでしょ

 

 ーー君は、ナツキ・スバルのなにを知っている

 

 ーーお前、ベティーたちになにを隠してるのよ

 

 

どうして、どうして、こうも心を暴く。

 

自分が必死につきたくない嘘までついて、隠そうとしているのに。心を痛めて、何度も挫けそうになる己を励ましているのに。そんな思いを軽々しく踏み躙って、心の奥底に土足で踏み入ってくる。

 

嘘や隠し事を察せられるのなら、暴かれたくないことだって分かるはず。それでも尚、どうしてこんなにも心を揺さぶってくるのか。

 

違う。ハヤト自身がそうやってきたから、他のみんなも同じことをしているだけか。嫌がられていると知っていても、助けになりたいから歩み寄っているだけか。

 

自分がやってきたことを、やり返している。ただそれだけ。それだけ。それ、だけ。

 

 ——それだけのことがこんなにも辛いだなんて、知りたくなかった。

 

 

「なんで、そうだと思ったんだよ」

 

「ベティーが、お前を、どれだけ、見てきたと思ってんのよ。下手な嘘くらい見抜けて当然かしら」

 

「……はは」

 

 

一つ一つを叩きつけるような力強い声音が心を殴る度に、痛む心が更に痛んでいく。彼にしては珍しい弱った声に不信感を抱くベアトリスの不十分すぎる理由に、空笑いが溢れた。

 

やめてほしい。本当に、これ以上は踏み込んでこないでほしい。今、自分には味方なんて一人もいないのだから。本音を出せる相手など、一人もいないのだから。

 

屋敷の誰もが自分の言葉に反対している。みんな自分とは反対側にいて、スバルを背に庇う自分はひとり。隣には誰もいなくて、後ずさる背後は崖っぷち。

 

そんな中で、つきたくもない嘘を更に重ねろと。自分を心配する人間から、逃げ続けろと。一体、どれだけの壁を与えれば気が済むのか。覚悟はしていたが、少しばかり度が過ぎてはいないだろうか。

 

なによりも情を大事にするハヤトにとって、それはなによりも辛い行為。レムに嘘をついて、ラムに嘘をついて、ロズワールに嘘をついて。

 

友人という友人に必死に隠し続けて、ついにはベアトリスにまで———、

 

 

「ま、聞いたところでお前が素直に話すとは思えないから、深く突っ込むのはやめてやるのよ。ベティーの優しさに感謝するがいいかしら」

 

「は?」

 

「は?」

 

 

踏み込む足が引いた気がして、思わず変な声を上げるハヤトが顔を上げる。その反応は予想外だったのか、ポカンとする彼にベアトリスも変な声を上げた。

 

彼女も他と同じように糾弾じみた言い方で問い詰めてくる、そう思っていた矢先の出来事。不覚にも頭が真っ白になったハヤトは、苦鳴にも似た声を鳴らし、

 

 

「なんで……聞かねぇんだよ」

 

「なんで、ってなんでかしら?」

 

「だって! 他の奴らはみんな俺のことを疑って、しつこく理由を聞いて……」

 

「そんなの知らんのよ」

 

 

毅然とした態度のベアトリスが紡ぎ出す言葉を受け、ハヤトは言葉を続ける力が失われた。開いた口を閉じる力を奪われ、呆けた表情のまま時が停止する。

 

自分を見るハヤトの目。その瞳の奥に、ベアトリスは様々な感情を見た。正の感情と負の感情、二つがぐちゃぐちゃに混ざり合って、弱々しく震えている。

 

 

「嘘をつくのは知られたくないから。隠すのは暴かれたくないから。それを隠そうとすると、嘘に嘘を重ねる。……ベティーたちに対して、お前がそれを嫌うことなんて知れたことなのよ」

 

 

なにかに触れられたことで明らかな動揺を見せ、態度を一変させたハヤト。心に重くのしかかる本音を言い当てられ、彼は黙り込む。

 

その時点で、ベアトリスの語ることを肯定していることに気付けない。ラムに問い詰められた瞬間にはあった心の余裕が、直談判の疲労も重なって消えていた。

 

作り笑いすら、できない。

 

 

「本当に、お前は不器用な男なのよ。真っ直ぐ突っ走る以外にできんのかしら」

 

 

やれやれと言いたげにゆらゆら首を横に振り、ベアトリスは下げた手を伸ばす。小さな幼女の手が行き着く先は、すぐそこにあるハヤトの頬。

 

そっと、労るように触れた。

 

 

「もう少し、周りを頼るのよ。頼る相手がいないなら、せめてベティーを頼るくらいするかしら」

 

 

ふっと笑み、憔悴した心を癒す声がハヤトの鼓膜を撫でる。完全なる気の緩みを許すそれが心の奥底に響き渡り、耐え切ずに情けない吐息が溢れ、彼女の口元にかかる。

 

なにも考えられなかった。自分がつく『嘘』と『隠し事』に対して、他とは違うやり方で接せられて。込み上げてくる感情を抑えるので必死だった。

 

 

「正直、あの小娘は好かんのよ。勝手にベティーの空間に入ってきたくせに騒ぎ散らし、マナ徴収の時間を無駄にして、無礼にも程があるかしら。あの小娘の肩を持つお前は、理解に苦しむのよ」

 

 

棘のある声で言い切り、ベアトリスは断言する。そこだけは変わることなどないと突きつけ、前提を組み立てる。

 

それから「あの小娘の味方はしない」と畳みかける気配を匂わせ、

 

 

「けど、それがお前の味方をしないことには繋がらないのよ。あの小娘の味方なんて御免。でも、お前の味方にだったらなってやってもいいかしら」

 

 

それらを全部ひっくり返すつもりで、再び断言する。ハヤトの味方をすることは、間接的にスバルの味方をすることに繋がると知っておきながら、しかし味方をすると。

 

たくさん、ハヤトの感情がベアトリスの中に流れ込んでいた。マナ徴収——内側に溜め込めず外側に溢れる感情が吸い取るマナに含まれて、数多の思いがひしひしと伝わっていた。

 

だから彼女は、ハヤトの味方にはなる。理屈のない感情論だけれど、それが彼女の心を動かしていることに違いはないから。

 

 

「勝手に、一人で戦ってる気になってんじゃないのよ」

 

 

 それが、決定的だった。

 

心を貫く一言に一瞬、肩が跳ねるハヤト。失い、奪われた力がやっと戻ってきた彼は開いた口を閉じ、ゆっくり鼻から息を吐く。

 

胸に詰まった様々な感情を空気として外に放出し、それから「ふっ」と微笑を音にして、口角を釣り上げて笑みを作る。頬に添えられる小さな手に自分の右手を重ね、弱い力で握った。

 

 

「ベアトリス」

 

「なにかしら」

 

 

名を呼ぶ。いつもと変わらない返事が返ってくる。特別感は無い。至極普通であるとベアトリスが声色で語っている。

 

前を見る。こちらを見つめる彼女の表情、つんとした澄まし顔が微笑みに彩られていた。

 

その笑みが、自分は勝手に一人で頑張っていたことを教えてくれた気がして。味方はいないのだと思い込んでいたと、分からせてくれた気がして。

 

 

「ありがとう」

 

 

作り笑いでもない自然な笑顔が、ハヤトの表情を明るく染める。ベアトリスが常日頃からよく見る、太陽の笑み。

 

そうだ。それでこそハヤトだ。緊張が砕けた彼の声色に満足げに頷き、ベアトリスは「別に」と言葉を繋げて、

 

 

「ベティーはただ、辛気臭いお前を見るのが嫌だっただけかしら。作り笑いでへらへら笑う姿なんてお前には似合わない。そう思っただけなのよ」

 

「まじで……ありがとうな、ベアトリス」

 

 

遠回しに心配していたことを告げたベアトリスに愛情が湧き、感極まって抱きしめたい思いが噴火するハヤト。

 

その思いをぐっと堪えると、彼は歯を見せて笑いながらふと思った。

 

 

「いざとなったら頼らせてもらうぜ」

 

「ふんっ」

 

 

自分の笑みに鼻を鳴らし、照れ隠しをするベアトリス。

 

初期の頃、自分のことをとても嫌っていた幼女は、もしかしたら自分の親友以上に頼れる存在になるかもしれない、と。

 

 

 






ハヤトの胸の内が簡単にバレるのは、彼が分かりやすい性格をしているせいと、前作で築き上げた『絆値MAX』を人間関係の前提としたために生じる仕様です。

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