少しでも望む未来へ   作:ノラン

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イセカイビト

 

 

「異世界。って言われて、分かるか?」

 

 

決定的な一言を簡単に突きつけたハヤトが受けたのは、ぞくっとするほどの沈黙。食卓の場が凍りついたように静まり返り、開いた窓の外から流れてきた小鳥の囀りがやけにうるさい。

 

他者の心音が聞こえてくるのではとすら思える静寂が途端に襲いかかり、堪らず奥歯を噛み締めるハヤト。軽く拳を握りしめる彼は、発言直後の反応を察するべく面々をさっと見渡した。

 

突き刺さる視線に込められた感情は様々だが、それら全てに共通しているのは『困惑』や『疑念』と表現すべき感情だろう。

 

 ただ一人、レムだけを除いて。

 

 

「イセカイ?」

 

 

理解の追いつかない単語を受けた中、最も早く思考の停滞から脱したのはベアトリス。椅子の上で左に身を回し、体の真正面にハヤトを置く彼女が、眉間に皺を寄せて小首を傾げている。

 

動作に釣られて小さく揺れるツインドリル、その揺れ動きが思考の揺れ動きを示唆したか。沈黙し、硬直していた者たちが解放されたように一気に動き始め、

 

 

「これまた初めて聞く言葉だ。偶にハヤトたちからは知らない言葉が出てるとは思ってたけど、これもその類に含まれるの?」

 

「これでも知識にはそれなりの自信があるんだけぇど、こうも立て続けとなると自信無くすねぇ。その言葉が君たちの故郷、ニホンとやらと関係していると?」

 

「この場面でデタラメを言うとは思えないわね。発音すら理解できない言葉だけど、そのイセカイってなに? ニホンが故郷なら、イセカイは何になるのかしら。ラム達に分かるように説明して」

 

「イセカイがテンとどう関係してるの? ハヤトが関係してるなら、もちろんテンとも関係してるんでしょう? そうよね? ハヤト?」

 

「そんなことよりおうどんたべたい」

 

「んんん〜〜! 聖徳太子ぃ!」

 

 

ベアトリスを起点として、積もり積もる疑問ラッシュ。投げつけられる疑問マークに痛みでも感じたように表情を歪め、ハヤトは軽くだけのつもりが強く拳を握りしめる。

 

ぐっと力を込めたそれをテーブルに叩きつけ、彼は『異世界』に対する関心の高さをひしひしと痛感していた。初っ端から問答無用で疑問が突撃してくるとは、誰が予想できるものか。

 

これら全てが一度に押し寄せるのだから、ハヤトの苦労も想像に難くない。一人一人が順番に口を開くのならまだしも、全員が同時にとなると話は別だ。

 

一名、変なのが混じっていた気がしなくもないが気にしないとして。ハヤトは「お前ら落ち着けぇー!」と半ばヤケクソ気味に声を大にして叫び、

 

 

「今から全部説明するから、ちょっと黙れ。開始一発目から来られても困る。質問は俺が話し終わってからにしろ」

 

「ねぇハヤト。テンが」

 

「お前はさっきっからアイツのことばっかだな」

 

 

紫紺の瞳を期待に輝かせたエミリアが熱心に迫ってくるのを制止し、テンのことしか頭にない無自覚乙女を座らせる。無意識に立ち上がっていたと遅れて気づく彼女が「あっ」と声を漏らした。

 

ただ一人、レムだけが冷静な食卓。唯一無反応だった存在、その事実にラムとロズワールの二人が違和感を覚える中、一度だけ咳払いするハヤトは音を立てながら立ち上がり、

 

 

「異世界ってのは、この世界とは別の世界のことを意味すんだよ。お前たちが生まれた世界とは別の場所——なにもかも全てが違う世界のことだ」

 

「異なる世界だから、異世界ってところね」

 

「そう。スバルの言う通りだ」

 

 

歯を見せて笑いかけてくるハヤトに応じ、キメ顔で指を鳴らすスバル。渾身の一撃が空振りし続けて今のところ見せ場ゼロな彼女が、やっとヒットを打った瞬間だった。

 

黙ってろとは言われたものの、やはり黙っていられなかったらしい。その性分をしっかり咎めようかと一瞬だけ考えたが、面倒なのでやめておくハヤトである。

 

スバルはテンが嫌いそうなタイプだなと不意にも考える彼に、「なるほどね」と呟くラムが顎に手を当て、

 

 

「異なる世界だから、イセカイ、ね」

 

「発音が違う。異世界だ」

 

「異セカイ」

 

「異世界」

 

「異セ界」

 

「異 世 界」

 

「異世界」

 

「そうだ」

 

 

発音を整えるため、異世界のキャッチボールをするハヤト。一見してくだらないそれにラムが真剣な表情で付き合っているのは、鼓膜を震わす単語が未知のものであると受け入れた証拠の他にない。

 

受け入れて、理解しようとしている。疑いの心など微塵もない彼女が、友人の知らない部分を知ろうと努力している。ただ、二人して真顔の掛け合いはそれなりにシュールだった。

 

仲の良さが垣間見える場面を挟みつつ、発音教室を閉じるハヤト。決してふざけたわけではないそれを終えた途端、他の面々も同じ言葉を同じ発音で復唱しているのが聞こえてくる。

 

 

「なに? この世界には異世界って概念が存在しないわけ? アタシらの世界で異世界って聞いたら転生やら召喚やらでありふれてるし、みんな分かるけど。なんなら今のアタシ、事実は小説よりも奇なり状態だけど」

 

「反応からして()ぇんだろうな。発音すら知らねぇって感じだしよ」

 

 

そういった文化が発展している祖国と違って、こちらの世界には『異世界』という概念の発展が乏しいらしい。発音すら教えてやらないと分からないのだから、別の世界という考え方は非常識なのだろう。

 

となると、物事を正しく理解した彼らの反応が気になるところだ。異世界——その真の意味を知るということは、目の前に存在する青年と少女が異質な存在であることを知る事に直結するのだから。

 

これまでの常識がひっくり返された気分になってもおかしくない。しかし、動揺されるとは思っていない。理由はないが、彼らがこの程度のことで取り乱すわけがないという確信がハヤトにはあった。

 

だから、先ほどの疑問ラッシュには驚いた。

 

 

「……つまり、ハヤト君たちは大瀑布の向こう側からやってきた、という解釈で正しいのかぁーな?」

 

「は?」

 

「大瀑布?」

 

 

「は?」の口のまま怪訝な顔をするハヤトと、聞きなれない言葉に小首を傾げるスバル。己の中でなにかしらの結論を出したらしいロズワールの発言に、今度はこちら側の二人が疑問を抱く。

 

瀑布と聞く限り、滝であると予想できる。大瀑布ともなれば巨大な滝が頭の中に思い浮かんできた。だが、そこまでは想像できても、そこから先が全く分からない。

 

しかし周囲の反応から察するに、今のはこちら側の世界に住む人間の総意らしい。異世界と大瀑布になんの繋がりがあるのか知らないが、自分らは大瀑布とやらの向こう側からやってきたらしい。

 

 

「いや違う。そうじゃねぇ。そうじゃねぇんだよ。俺たちは……そうだな……こことは全く別の世界から来たわけで……」

 

「それをこちら側の世界では、大瀑布の向こう側から来た、と言い表すのですよ。ハヤト君」

 

 

唐突に、これまで静観を一貫していたレムが口を開く。必要最低限の言葉以外に発していなかった声にレムの意思が宿ったとき、それは彼女が話し合いの場に参加したことを意味する。

 

突然なそれに全員の視線を受けるレム。ロズワールとラムが自分に訝しの目を薄く送ってくるのを横目に、彼女はハヤトの目だけを見て、

 

 

「ハヤト君たちの故郷がある世界——レムたちからすると異世界は大瀑布を挟んだ向こう側にあり、ハヤト君たちはその向こう側から来た人。それが、この世界に住む人間の総意です」

 

「……らしいけど?」

 

「そう言われてもな」

 

 

言い慣れた様子のレムが淡々と語るのを聞き、スバルとハヤトは返答に困る。表情を曇らせる両者は顔を見合わせ、なんて説明したら良いのやらと思考を巡らせ続けた。

 

とりあえず、沈黙するのだけはやめておこう。そんな風にハヤトは「因みに」と、

 

 

「大瀑布ってなんだ?」

 

「世界の果てにある水際のことかしら。その彼方のことを、大瀑布の彼方と呼んでるのよ」

 

「なるほど」

 

「大瀑布は、龍以外は渡れないとされる此方と彼方の境。彼方になにがあるのか知る存在は一人としていない。だから、お前たちが語った異世界が存在しても不思議とは言えないかしら。否定も肯定もできんのよ」

 

「なるほど」

 

 

レムの言葉を継ぐベアトリスの説明に困惑し、椅子に腰掛けるハヤトが背もたれに深く寄りかかる。そのやりとりに既視感を感じたレムが、心の中でひっそり笑みを浮かべた。

 

決して納得したわけではないが、形として納得しておくハヤト。素直に「なるほど、分からん」と言いたい口を固く閉じると、彼は重そうな雰囲気で低く喉を唸らせる。そろそろ考えるのが面倒になってきた。

 

スバルもスバルで、納得してそうで納得していない表情。両者ともに大瀑布と異世界の関係性が皆無という事実を上手く伝えられず、もどかしい。

 

 

「——話はちょっとずれるけぇど。一つ、レムに聞きたいことがある」

 

 

話が行き詰まってきたところで、そう切り出したのはロズワールだ。大瀑布の話を持ち出してきた本人によって、話題がハヤトたちからレムに切り替えられる。

 

たった一言で話の中心に置かれたレム。特に動揺することもない彼女は「はい」と短く返事を返す。姿勢を整えつつ体をロズワールに向けると目を伏せ、

 

 

「なんなりとお聞きください」

 

「ハヤト君から異世界のことを聞かされたとき、違和感に思ったんだけぇど。レム、君だけが驚いていなかったように見えたのだが……何か理由があるんだーぁね?」

 

 

「この私ですら、多少なりとも驚いたのにねぇ」と、胸に手を添えながらレムのことを視線で射抜くロズワール。前置き無しに直球で投げかけ、口を閉じた。

 

瞳を通じて心を覗き込むような主人の目に対し、レムは「はい」と一言。理由の有無を聞くのではなく、理由の根拠を問いかけてくる洞察力に恐れ入りながら、

 

 

「レムは既にテンくんから聞かされていましたので。特別、驚くこともありませんでした」

 

「ぇ」

 

 

告げた瞬間、エミリアの口から変な声が漏れる。短く弾けた音には力が入っておらず、本人の意志に反して溢れたものといった印象が強い。思わず漏れた声、そう表現するのが適切だ。

 

驚き、明らかに動揺するエミリア。彼女の愛らしい顔色が途端に曇り始めるのを見たパックが「はぁ」と小さくため息をつくのを他所に、レムは短く息を吸って、

 

 

「レムがテンくんに、テンくんのことが知りたいとお願いしたところ、快諾してくださったテンくんが包み隠さず全てお話ししてくれたことがあったのです。ご自身の境遇も、想いも」

 

「レム。それはいつの話?」

 

「今からおよそ一ヶ月ほど前の出来事になります。レムとテンくんが恋人になった日です。——テンくんが深い眠りから目覚めた、あの日の夜のこと」

 

 

その日のことか、と。聞いたラムを含めて、スバルを除いた誰もがそう思った。そして、言いながら、ほのかに頬を赤らめるレムが初々しく感じる。声は冷静だが頬は素直だ。

 

あの日——血と涙と悲鳴が連鎖し、それぞれの心に大きな変化を齎した悲劇の日、その凄惨な出来事に終止符がついた日のことだろう。それならば、状況的にも心情的にも筋が通る。

 

色々と救われたばかりのテンとレムのことだ、何をしていても違和感がない。下手をすれば性行為に及んでいても——とは、行き過ぎた考え方をするハヤトの脳内。

 

 

「その日に、レムはテンくんの事を全て知りました。全て聞きました。その一つにテンくんの出身、異世界のお話も含まれていたので。ハヤト君からそのお話を聞いても驚きませんでした」

 

「私、聞かされてない……」

 

 

レムが冷静な理由が明らかになり、納得する者が続出する中、全く別のことに意識が引っ張られてしまうのはエミリア。意識して音を拾うパックにしか聞こえない声は、彼の胸が痛むほどにひどく切ない。

 

彼女の肩に座り、我が子の横顔を窺うパック。じっと見つめる先にあるそれには僅かながらに影が差し、宝石のように綺麗な瞳には良くない感情が色づいているのが見えた。

 

 

「決して隠していたわけではないと思います。テンくんも、いつか話さないといけない、と仰っていましたし。遅かれ早かれ、テンくんの口から語られたはずです。ですから、テンくんがロズワール様に黙っていたことは……」

 

「気にすることでぇはないよぉ。我々も二人の関係性はよぉーく理解してるつもりだしねぇ。あの時のテン君の心情を考えれば、レムだけに話したのも分からない話ではない」

 

 

 ——ずきり。

 

エミリアの胸に鋭い痛みが走る。物理的に針で刺されたようなそれに、なにかと思って胸元を見下ろすが、なにかを刺されたわけではなかった。手を当てても、なにもなかった。

 

 

「レムだけに話した、か。なんかそう聞くと、アイツがどんだけレムのことを好きなのか、よく分かるよな。異世界のことを話すのってかなりの覚悟が要るんだぜ。アイツにそれを言わせたレムがすげぇ、ってことだな」

 

 

 ——ずきり。

 

また、胸に痛みが走った。けれど見下ろす胸元にこれといった傷はない。だからこれは、心の痛みなんだろうなとエミリアは感覚的に理解できた。

 

理解できたのは、この痛みを感じたのはこれが初めてではないからだ。これまでにもずっと、感じてきたからだ。なのに、これっぽっちも慣れない。

 

 

「はい。レムはテンくんに愛されていますから」

 

 

 痛い。

 痛い。

 痛くて、仕方ない。

 

レムは聞かされているのに自分は聞かされていない。心が理解した事実にずきりとくる。自分が知らないテンをレムは知っている。そう思うと、言い表しようのない感情の紛糾があった。

 

童顔で愛らしいレムの顔。見慣れたそれが今に限ってモヤっとくる。心がずきりとする。理由は分からないけれど、言葉にできない感情の沸騰を感じる。

 

ふつふつと、なにかが体の内側から外側に出ようと迫り上がってきているのを、エミリアは悟っていた。それがなんなのかは、依然として分からない。

 

分かりたいのに、分からない。想いばかりがどんどん膨らんで、膨らんで、止まってくれない。もどかしくて、やきもきして、胸を掻きむしりたくなる。

 

この想い、どうしたらいい。

 

 

 ーー全部、テンにぶつけてやるんだから

 

 

「まぁ、レムが驚かなかった理由は十分理解した。説明ありがとねーぇ、レム」

 

 

帰宅したテンを強く問い詰め、蓄積する感情を余すことなく発散することがエミリアの中で密かに決定する中、その一言で話が動く。

 

綺麗に揃えた両膝の下、その上に置いた両手でスカートの裾をぎゅっと握りつぶし。ムッとしながら片頬にぷくっと空気の塊を作る彼女が見るのは、レムがロズワールに頭を下げている光景だ。

 

話題を開いたのがロズワールなら、閉じるのもまたロズワール。聞きたいこと以上は聞かずにさっと片付けて話題の中心からレムを外し、

 

 

「では、話を戻すとしよう」

 

 

 再び、話題がハヤトたちに戻る。

 

切り替えが早すぎるロズワールに目を向けられたスバルの背筋が一直線に伸び、面倒なのが来たと言わんばかりのハヤトが大きなため息を一つ。

 

それら二つの反応を受けたレムは、ハヤトの思考停止の予感を感じ取りながら「話を簡単に整理します」と、

 

 

「ハヤト君とお客様は、テンくんと同じく異世界人。そして、その異世界とは大瀑布を渡った先にあるこの世界とは異なる世界のことを差します。ですから、お二人はその大瀑布の彼方からこの世界に訪れた……迷い込んでしまった人という認識になります」

 

 

「お間違えないですか?」と、小首を傾げながら二人に問いかける。

 

『訪れた』から『迷い込んだ』に訂正したのは、テンが意図せずしてこの世界に来たことを聞いていたからだろうか。なんにせよ、疑問を投げかけられた二人にとっては頷きかねる問いだ。

 

その結論で着地させようとしているのか、「お間違えないですか?」と聞きながら「お間違えないですよね?」と言わんばかりの圧がかかってくるのも含めて。

 

数秒間、考えるハヤト。それが自分に対する助け舟だと気づいた彼は、「うん」と深く頷いて晴れやかな顔つきになり、

 

 

「そんな感じだ。お前たちの話を聞いた感じ、それ以外に考えられねぇし」

 

「それでいいの、ハヤト?」

 

「いいんだスバル。これ以上、俺に考えさせるな」

 

 

いよいよ思考が停止、頭のてっぺんから湯気が昇りそうなハヤトの投げやりな物言いに苦笑し、スバルは初めて自分の力で言葉を喉の中に押し込む。流石の彼女もハヤトの疲労を読めた。

 

元の世界では空気を読まないことに定評のある彼女ではあるが、それも時と場合と状況によりけり。いかに適性が低かろうが、空気感が濃ければ読むくらいのことはできる。

 

 

「お前たちも、それで納得してくれるか? いや、納得してくれ。納得しろ」

 

「無様なくらい切実ね。バカ担当」

 

「うるせぇ」

 

「使わない頭を使うからそうなるかしら。バカ担当」

 

「うるせぇ」

 

 

強引に押し切ろうとするハヤトに「ハッ」と嘲笑を飛ばすラム。面白いものを見る目で薄ら笑いを飛ばすベアトリス。双方に雑に返し、ついにハヤトがテーブルに突っ伏す。

 

もはや、異世界という概念の完全な説明は諦めた。テンも異世界の説明はレムという個人にできていないのだから、多数を相手にする自分にできるわけがない。

 

テンから異世界の説明をされたレムが、この世界の表現方法で異世界を喩えている。それはつまり、異世界について自分の言葉で説明しようとした彼の努力が虚しく散ったことを意味するわけで。

 

人間、諦めが肝心とも言う。はっきり言って無理。テンが頭を使ってできなかったことを自分がやったとて、無駄な徒労を重ねるだけだ。

 

 

「だから、異世界(故郷)の話はレムの要約を結論とさせてくれ。アイツもそれで納得したんだ。お前たちもそう思ってんなら、変に曲げるとややこしくなるだろ」

 

「ってことは、ハヤトとスバルには大瀑布を渡ってきた記憶とかあるの? 無かったら矛盾しちゃう気がするんだけど……。突然、向こうからコッチにきたわけでもない「ややこしくすんなーー!」

 

 

実は大当たりな例え話を混ぜて聞くエミリアのそれは、これ以上頭を使いたくないハヤトによって即座に弾き返された。

 

跳ねる勢いで顔を上げる彼の怒り顔の意味は伝わらず、彼女は「ん?」とあどけない表情。やっと心の痛みから抜け出せた乙女は状況に置いてけぼりで、事実をねじ曲げかけた自覚はない。

 

良い感じにまとまりかけた異世界論。その結論に亀裂が入る音が聞こえた気がして、崩壊の予兆が来る前に「まぁまぁそれはそれとして」とハヤトは早口に言葉を繋げて、

 

 

「俺たちに関しちゃ、そんな感じだが。できれば納得してほしい。つか、この場で話し合うことは他にもあんだろ。これ以上この話題で止まってたら終わらねぇぞ?」

 

「んー。まぁ、そうだねーぇ。エミリア様のご意見はごもっともだぁから、突っ込んでみたい気もするけぇど。ハヤト君の言うことにも一理ある」

 

「そうだろそうだろそうだろ」

 

 

ひやひやさせてくるロズワールの言い方に戦々恐々とし、首振り人形のように何度も頷くハヤト。

 

滑稽な様子にラムが「ハッ」と心の底からの嘲笑を突き刺してくるのを華麗に受け流し、彼は話題の着地を切に願う。終われ、終わってくれ、と。

 

愉悦大好き人間のロズワールからすれば、極上な甘い蜜のようなそれだが、話が控えているのも事実。これよりも大切な話が最後に一つ、まだ残っていることを彼は知っている。

 

 なので、

 

 

「では、ここはハヤト君の努力に免じてこの話題はここまでとし、これ以上の追求は避けようじゃーぁないか。それでも追求したい者は各々個別で聞くこと。いいねーぇ?」

 

「「承知いたしました」」

「異論なしかしら」

「分かったわ」

「それでいいんじゃにゃい?」

 

 

長かった異世界の話題に、ようやく『終了』の二文字が刻まれる。第二の壁突破の合図は今のやりとり。軽く手を叩いたロズワールが、話を上手くまとめた。

 

またいつもの四人で集まった時、話題が無かったときにでも聞けばいいと思うレムとラム。ハヤトと禁書庫で二人っきりの時に聞けばいいと思うベアトリス。

 

テンに思いっきり問い(ただ)してやると思うエミリア。そのエミリアの隣で、黙って話を聞いていればいいと思うパック。

 

各々が己の中で妥協案を立てたことで、ハヤトの頭がオーバーヒートしそうな話題にカンマが打たれた。終止符ではないのは、後で必ず異世界について正しく聞こうと思う存在がいるからである。

 

ともあれ、第二の壁突破だ。

 

 

「よし。んじゃ、これで俺たちの話は終わりだな。ったく、ただでさえ疲れてんのに余計な苦労させんじゃねぇよ。パックぅ」

 

「ボクのせい?」

 

「話し振ってきたのお前だろ」

 

「みんな気になってたことだから、ボクが聞かなくても誰かしらが聞いてたと思うけど?」

 

「タイミングってもんがあんだろ」

 

 

一つの話に片がつくと、緊張感から解放されたハヤトが途端に気を緩め始める。テーブルに頬杖をついて姿勢を崩し、ふわふわ宙を泳ぎながら近づいてくるパックにジト目を向けた。

 

元を辿ればこの猫が原因だ。彼が聞かなければ異世界の説明などすることもなかった——とは言い切れないが、少なくともこのタイミングで説明する必要はなかったはず。

 

要するに、予想外の壁。お陰でちびちび削られていた思考力が底を突きそうだ。ロズワールと一対一で話すのに大半を使った上での今、そろそろ本格的に湯気が出る。

 

 

「どれほど素性を洗おうとしても、なに一つとして進展がなかった理由が判明しましたね」

 

「お屋敷に来たばかりのテンくんたちが文字の書き方を知らなかったのにも納得がいきます」

 

「そうだねぇ。色々と不自然なところがあるとは思っていたけぇど、異世界人ともなれば辻褄が合う」

 

 

やいのやいの言い合うハヤトとパックと、それを眺める取り巻きを見ながら、意見を交わすのは双子メイドとロズワール。密かにハヤトとテンの身元について調べていた三人。

 

身元不明だとは初期の段階で周知のことだったが。なるほど、道理でどれほどの時間を費やして素性を洗おうともなに一つとして進歩がなかったわけだ。

 

この世界とは別の人間だから彼らに関する情報が浮かんでこなかった、となれば納得がいく。あまりにも奇天烈で常識離れしている筋の通り方ではあるが、形として理解はできる。

 

 

「だとしても、異世界とはまた……。魔法の適性といい、飛躍的な能力の向上といい、相変わらず二人は私を驚かせてくれるものだ。たった五ヶ月でよくここまでやってくれる。——次はなにを見せてくれるのだろうか」

 

 

「くくく」と、低い声を抑えながら小さく笑うロズワール。僅かに俯き、添えた手で隠した口元は不気味に歪んでいた。

 

しかしそれも一瞬のこと。両隣のメイドに悟られる寸前で修正し、再び道化を顔に貼り付ける。騒ぐハヤトとパックをその顔で見つめれば、いつも通りの完成。

 

 

「ハヤトには苦労をかけちゃったかもだけど、テンのことを知れたから嬉しかった。ありがとう、ハヤト」

 

「ほら。リアもこう言ってるし、ここはボクの可愛い愛娘に免じて一つ」

 

「なにが一つだよ」

 

 

そんなロズワールの視線の先には、愚痴をぶつけるハヤトと適当に受け流すパックがいる。どうやら余程疲れていたらしい、依然として言い合いは継続中だ。

 

あるいは、こうしてくだらない言い合いをすることで心の余裕を回復させているのかもしれない。ハヤトにとって一番の安らぎとは、こうした何気ない会話にこそあるのだから。

 

だから、敢えて会話を遮ろうとする者はいない。早朝の対談を知っているなら尚更。彼を労いたいという気遣いは共通だ。

 

スバルを助けようとするハヤトに対して否定的なロズワール邸の住民だが、実は全員がハヤトの味方をしている今の構図。そのことに、ハヤトはどれほど気付けているだろうか。

 

 

「——そういや、ちょっと気になったんだけど」

 

 

不意に、言い合うハヤトとパックの間に一つの声が割り込む。銀のスプーンで平皿を叩いて音を鳴らし、注目を集めたスバルだ。

 

会話に参加できているようで、あまりできていないスバル。先程から時折感じる疎外感的なものに嫌気がさしてきた彼女は、あたかも初めから自分が中心であるかのような態度で、

 

 

「さっきハヤトが言ってたけど、他に話すことってなによ。ここ食卓なのに誰も食事に手ぇつけてないし、さっきっから硬い話ばっかで面白味に欠けるんだが」

 

 

この場合、自分がほとんど参加できていないという意味合いで面白味に欠けると言ったスバルだが、残念なことにその意味を理解できる者は一人もいない。

 

故に、ハヤトの頑張りを貶された気がしてベアトリスの瞳が鋭く尖る——ハヤトが彼女の頭に手をポンと置くと、途端に和らぐ。

 

ここまでくるといっそ感心してくるハヤト。ベアトリスの宥め方を熟知した彼に目配せされたロズワールは「そのことなんだーぁけど」と、つまらなそうな顔をするスバルに視線を送り、

 

 

「これはハヤト君と話し合って決めたことなのだが」

 

 

名を出されたハヤトの方にスバルの視線が向くのを横目に「結論から述べると」と、前置きして言った。

 

 

「——スバル君、君にはこの屋敷から出て行ってもらおう」

 

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