少しでも望む未来へ   作:ノラン

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ソラノ・テン、合流。彼がまともに物語に出てくるのは今作初めてです。

アニメジャパン、神でした。





再会の突撃

 

 

 ——山吹色に染められた空の下、斜陽が照らす街道を、一台の竜車が小さな砂埃を立てて走っていた。

 

 

走る速度はゆっくりで、竜車内から見える外の光景はとても落ち着いている。自然に挟まれた街道、王都ではまず見られない景色を御者が楽しむ余裕すら、今の竜車にはあった。

 

基本、竜車を引く地竜が持つ『風避けの加護』によって御者台を含めて竜車内は静かだ。その気になれば百キロ以上もの速度を出して走るに伴う振動と風、それらは加護によって遮断されている。

 

その加護すら、街道を走る竜車には必要ない。加護を展開せずとも問題がないくらい遅い速度で、のろのろ直進中。

 

 

「——メイザース領に入ったよ。テンきゅん」

 

 

欠伸が出そうなほど遅い竜車の中で一つ、女性の声帯から発せられる声が上がる。御者台の後ろに連結する客車内で、椅子に腰掛けた一人の少女によるものだった。

 

亜麻色のセミロングに白いリボンを飾った、全体的に線の細さが目立つ華奢な少女だ。青と白を基調とした肩出しワンピースのような服を身に纏い、腕や足首にスカーフを巻いた可愛げのある少女。

 

着用する服にはリボンやフリルなどの装飾が施されており、女物の服といった印象を見る者に抱かせるだろう。

 

声だけでその身に宿した愛嬌を猫のように振り撒いていると分かる存在の頭では、この世界では珍しくない猫耳が揺れ動いている。

 

その少女——否、男性、フェリックス・アーガイルことフェリスは壁際に座る青年の肩に身を寄せ、

 

 

「テンきゅんってば。ついたよ」

 

「———ん」

 

 

肩を揺すられ、喉を低く鳴らしたのはフェリスの真横に座る青年。客車の壁に身を預け、瞑っていた目を静かに開く様子は、寝起き直後と言い表すのが適している。

 

細くてシュッとした整った顔立ちの、奥二重でやや目つきの悪い青年だ。体格としては百七十センチを越えるあたりで、執事服に包まれた輪郭は着痩せしているように細身に見える。

 

実際に細身であるか外側だけでは判断できないが、青年を真横から見るフェリスの目に映る青年の胸板の厚みが、鍛えられた努力の肉体を無言で語っていることは記しておく。

 

フェリスと比較して、外見に大きく目立った特徴はない。あるとすれば右目の下、涙袋のあたりに横に一筋、白い傷痕があるくらい。その傷痕を除けばただの一般人、普通の青年と言っても過言ではない。

 

その青年——ソラノ・テンにフェリスは唇を釣り上げて笑いかけ、

 

 

「おはよっ。すっごくよく寝てたけど、もしかして夜更かしでもしてたの? お家に帰れるのが嬉しすぎて寝れなかった?」

 

「まぁ、そんな感じ。昨日、色々と考えてたら寝るのが遅くなっちゃって。勝手に寝ちゃってごめん」

 

「んーん。別にいいよ。テンきゅんの寝顔、フェリちゃんの目に焼き付けられたし。口を半開きにして寝てるの見てて面白かったよ。ぽかーんってしてたし。ぽかーんって」

 

「んなこと言わなくていいよ」

 

 

あくびを噛み殺しながら、テンはニヤつくフェリスの目から逃げるように前を向く。硬くなった体をほぐすついでに、寄りかかってくる男の娘(おとこのこ)の体をやんわり押し返した。

 

ひとしきりほぐし終わると吐息し、両腕を伸ばして「んー!」と大きく背伸び。首を横に振って眠気を振り払い、背筋を伸ばして姿勢を整える。すると、再びフェリスに寄りかかられた。

 

 

「寄ってこないで。軽い」

 

「そんな文句の言われ方、初めてにゃんだけど」

 

「実際に軽いからね。ほら、離れてください」

 

 

近づいてくるフェリスを両手で強引に押し退け、寄りかかられた部分に生じた服の皺を指先で軽く整える。その動作を見ながら、強めに嫌がられたフェリスは「ちぇー」と言って引き下がった。

 

壁に沿って二つの長椅子が対面するように設置された、こぢんまりとした竜車の内装。座れる椅子は二つあるのだから、中に二人しかいないテンとフェリスは広い長椅子を一人で占領できるのだが、

 

 

「昨日、フェリちゃんとあーんなことやそーんなことして、フェリちゃんの心を本気にさせたくせに、そんにゃこと言っちゃうんだ。フェリちゃん悲しい。しくしく」

 

「本気ってなんだよ。揶揄うのも大概にしてください。あれはフェリスが勝手に入ってきただけでしょ。俺のせいじゃない。記憶から消して。俺も消す」

 

 

仲良さげに話す彼らは、一つの長椅子を二人で使っている。三人掛けの長椅子に人一人分の間隔を空けて、嫌がるテンに笑うフェリスがじわじわと近寄り続けている。

 

テンが座った長椅子にフェリスが座ったか、その逆か、分かるのは当事者たちのみ。分かることがあるとすれば、フェリスがテンのことを揶揄って、遊んでいることくらい。

 

 

「でも、ちょっと意外だった」

 

 

背筋を一直線に伸ばし、揃えた膝下に手を置くテンが、ふと思ったような声で言いながらフェリスを見る。フェリスのような性格の人間は苦手な部類に入るはずだが、彼の話し方は壁が薄い。

 

両手を目元に当てて「しくしく」と下手な泣き芝居をしていたフェリス。唐突な話の振られ方にそれを止める彼が「なにが?」と猫耳をピコっと動かすと、テンは「いやさ」と、

 

 

「お見送り。来ないと思ってた。御者台にはヴィルヘルム様がいらっしゃるから、それで十分だし。フェリスってなるべくクルシュ様の近くにいたい人なんでしょ?」

 

 

顔を上げ、こちらを見てくるフェリスの目を見ながら言うと、テンは視線を竜車の正面——御者台のある方向に向ける。

 

相変わらず、壁一枚を挟んだ向こう側からは鳥肌が立ちそうな存在感が迫ってきている。どう頑張っても意識の外側に追いやることのできない気配は、間違えなく『剣鬼』ヴィルヘルムが放つ覇気。

 

原作開始日から二日間でゲートの治癒が完了したテン。原作一章が終わり、今頃二章が始まっていると思うと気が気じゃない彼は、幸いにも三日という最短時間で帰宅を果たそうとしていた。

 

流石に足で帰るわけにもいかない、帰らせるわけにもいかないので、帰りはヴィルヘルムを御者とした竜車に送ってもらって。クルシュやフェリスとは正門で別れの挨拶を交わし、お終い。

 

 と、思っていた。

 

 

「クルシュ邸の正門でフェリスとはお別れかなーって思ってたんだけど。なんで着いてきたの?」

 

「もっちろん、テンきゅんと別れるのがとーっても寂しかったから! テンきゅんと過ごす一分一秒を噛み締め………」

 

「ーーーー」

 

「気分ってやつ?」

 

「俺に聞くなよ」

 

 

「なに言ってんだコイツ」と目で語るテンの表情から温度が抜けた途端、即座に理由を変えるフェリスが小首を傾げて人差し指を頬に当て、愛嬌のある顔つきで「にゃは」っと笑いを音にした。

 

営業スマイルとも言える笑みを見せて数秒。初日と比較して接し方が大きく変化しているテンの心境の変化を感じながら、フェリスは「んー」と頬に当てた人差し指を唇に当てて考える素振りを見せて、

 

 

「命令半分、私情半分ってところかな」

 

 

綺麗に揃えた膝下に手を置き、テンと同じ姿勢をとりながら理由を語った。

 

「命令?」とこちらを覗き込むようにテンが小首を傾げるのを見てから、「そそ」と唇に当てた人差し指をテンの肩に置き、

 

 

「テンきゅんは、あの宮廷筆頭魔導師であるメイザース辺境伯と王選候補者のエミリア様、お二人からのお客様にゃんだよ? そりゃぁ、丁重にもてなすのが道理じゃにゃい」

 

「もてなされることをした覚えはないけどね」

 

「命を懸けて戦い、深い傷を負った大切な従者には、相応の治療を受けてもらいたい。親書にはそんな感じの内容がびーっしりってクルシュ様がおっしゃってたの、忘れちゃった?」

 

「覚えてるよ。クルシュ様、苦笑いしてたもんね」

 

「んね。クルシュ様の苦笑い見たのにゃんて久しぶりだったから、びっくりしちゃった」

 

 

常日頃から毅然たる立ち振る舞いをするクルシュ・カルステンを苦笑いさせるほどの文章とは、一体どれほどのものか。

 

知りたいと思わなくもないが、むず痒そうだからテンは敢えて触れなかった。隣に座るフェリス曰く「すぅぅっごいよ」らしい。彼もまた、クルシュと同じく苦笑いしていた記憶がある。

 

 

「んで? 私情は?」

 

 

想像以上にロズワールに可愛がられていた事実を頭の片隅に追いやり、テンはもう一つの理由に話を移す。正直、まともな私情が出てくるとは思っていない彼の顔は興味がなさそうだ。

 

そうしてつまらなさそうな顔を見たフェリスはすっと猫のようにしなやかな動きでテンに擦り寄り、目を細めてうざがる彼の左腕に両腕を絡ませる。最後に最大火力の上目遣いをして、

 

 

「テンきゅんとは友好な関係を築いておきたいにゃー、って思ってね」

 

「わーうれしー」

 

「なにその棒読み!? 嘘だと思ってるでしょ! 嘘って思ってる顔してるもん! ほらしてる! してるしてる!」

 

 

おふざけに全く付き合わないテンのそっけない対応に騒ぎ、棒読みな声を掻き消すフェリスが身をよじる。頬を膨らませて不満感を全開にし、媚を売る表情を一気に砕いた。

 

左腕に両腕を絡めたまま体をくねくね動かし、テンの体も一緒に揺すってくるフェリス。そろそろ意識が完全に覚醒してきたテンは耳元で鳴く猫に「うざいです」とばっさり断ち切り、

 

 

「近寄ってこないで。匂いが服につく」

 

「理由が変わった!?」

 

 

体重的な問題から匂い的な問題に理由が移ったと知ったフェリスが、猫耳をぴーんと立てながら大袈裟に驚く。予想外の返し方をされたのが面白かったのだろう、「なんでなんで?」とより一層のこと擦り寄り始めた。

 

飼い主の足元にまとわりつき、甘える子猫を彷彿とさせる態度。仮にこの人が女性なら、テンは本気で貞操概念を疑う。疑ってないのは、わざとやっていると知っているからだ。

 

だからさっきよりも強引に振り解き、フェリスが倒れない程度の力で突き放した。それから対面の長椅子に移動すると、フェリスに面白いものを見る目で見つめられて、

 

 

「そんな理由で断られたのなんて、またまた初めて。テンきゅんってホントに面白い子だネ。話してて飽きにゃい」

 

「フェリスからは、ちょっとまずい香りがするからだよ。俺にとって、その香りが服につくのは死活問題なの」

 

「死活問題? 治癒術師であるフェリちゃんを前にそれ言う?」

 

 

見当のつかない話を持ち出されたフェリスの姿勢が途端に前のめりになり、目の中に興味の色を宿す。髪を弄るような風に尻尾を弄り、「どういうこと?」と呑気な声で聞いた。

 

香水をつけているのか知らないが、フェリスの体からは女性の香りがする。甘い香りというか、フルーティーな香りというか、とにかくテンにとっては天敵とも言えるそれ。

 

レムのような女性を恋人に持つと、色々と気を遣わなければならないことを彼は知っている。過去に一度、服に付着したエミリアの匂いを嗅いだレムに、やりたい放題された覚えがあるのだ。

 

場合によっては殺されかねない。治癒魔法云々ではない傷を負わされる。レムに襲われる記憶の中の自分を見て、心の中で戦慄しながらテンは「あのね」と口を開き、

 

 

「——テン殿」

 

「はいっ!」

 

 

不意に名を呼ばれ、用意していた言葉を押し除けた力のこもった返事が口から弾け飛ぶ。これ以上伸びない背筋が更に一直線に伸びた。敏感な反応に、くすくすとフェリスが失笑する。

 

テンが反射的に返した直後、客車内の人間が体に感じていた僅かな振動が止まった。なにかと思った二人が窓に視線をやると、後方に流れていた光景が止まっていることに気づく。

 

修羅場を回避しようとしたテンの声はフェリスには届かず、代わりに御者台の方向から突き抜けた厚みのある声が続けて、

 

 

「外へ。どうやら、お迎えが来たようです」

 

「お迎えって……あ。はい。分かりました」

 

「フェリちゃんも行こーっと」

 

 

 迎えが来た。

 

それ一つで察したテンが「やっぱ来たか」とため息。主に嫌なことが起こった時に行うそれだが、今は違った。いそいそと客車の扉を開けて外へ出る彼の表情は、とても嬉しそうだ。

 

扉を開け、竜車の外へ。長時間座っていたこともあって地に足がついた瞬間、数歩だけよろける。フェリスの降りてきた姿を視界の端っこで見つつ体勢を整えると、前を向く。

 

御者台に乗るヴィルヘルムの視線の先、そのずっと向こうに一つの人影があった。こちらへと一直線に駆けて来ている。

 

残念なことに、日が翳りつつある今だと影にしか見えない。けれど、頬が緩むテンには影の正体が断言できる。

 

 

「まぁ、レムだよね」

 

「レムちゃんだね。テンきゅんのお嫁さん」

 

「なんで知ってんの?」

 

「レムちゃんから聞いた」

 

「ついに他陣営にまで広め始めたか……」

 

 

三日ぶりの我が家。そのお出迎えが愛する恋人という嬉しい感情にさせてくれないフェリスに苦笑し、乾いた笑いがテンの口から漏れた。

 

アーラム村で話を広めていた時点で、なんとなく分かってはいた。分かってはいたが、まさか他陣営にまで既成事実を作られるとは思わなかった。これは、確実に外堀をガンガン埋めている。

 

そのうち、通り過ぎる人の全てに言うのではないかと思うテン。彼はレムの愛の深さを感じつつ、

 

 

「とりあえず、行ってくるね」

 

「がんばれー」

 

 

棒読みなフェリスの声を背に受け、テンは前に歩み出す。徐々に姿が確認できるようになってきたレムを受け止めるべく、適当に体をほぐして準備を始めた。

 

受け止めると思っているあたり、レムのことが理解できてきたな。なんてことを考えながら、御者台の横を通り過ぎる。見下ろしていたヴィルヘルムと目が合って一礼、頭を下げて竜車よりも前に出た。

 

 

「さて。どうしよう」

 

 

 構える。

 

深呼吸し、どうやってあの速度から放たれる体を受け止めようかと考え始める。飛びついてくるのは確定。なら、威力に流されない体勢を作る必要があるだろうか。

 

仁王立ちの姿勢から右足を後方に滑らせ、レムに対してやや半身(はんみ)になって構える。仁王立ちだと一気に持っていかれるから、右足で全ての勢いを殺し切る予定だ。

 

それから両手を広げて胸元を全開放。レムが飛び込んでくる場所を作り、「ここにきて」と構えで誘導した。地を踏み締める踵に力を込め、来るべき瞬間に全力で構え、

 

 

「よし。いいよレム。いつでも来て。俺はいつでもいいよ。ごめんやっぱウソ、もうちょっと勢いを緩めてくれると嬉しい」

 

 

感動の再会に集中するテン。戦いに臨むような思考を終えた彼はそう言うと、口角がニカッと釣り上がる。嬉しさ九割、緊張一割、ちゃんと受け止め切れるか不安になってきた。

 

静止の声が届いているとは思っていない。多分、聞こえる距離にいたとしても今のレムの耳には入らないと思う。

 

 

「……寂しい思い、させてごめんね」

 

 

苦しげに呟いた彼の目に映るレムは、必死な様子で走っていたから。息を切らし、髪を乱して、目いっぱいに涙を溜めながら、「テンくん」と劇的な声で愛する人の名を呼んでいたから。

 

心に体が追いつかず転びそうになりながらも懸命に走る様子は、せっかく整えた姿勢をぶっ壊して駆け出したくなるほどに愛おしくて。

 

飛び込んできた小柄な体をがむしゃらに抱きしめてあげたいという愛情が、爆発的に膨れ上がっていく。そしてそれは、実は自分も寂しかったんだなとテンに自覚させた。

 

そうこうしているうちに、レムは目前にまで迫っている。姿がはっきり見える距離にまで来ている。すぐそこにいる。突撃まで五秒もない。

 

 だから、

 

 

「テンくんーー!」

 

「ぼふっ!?」

 

 

 恋人を、全力で受け止めた。

 

瞬間の衝撃は凄まじい。一瞬、大砲にでも突撃されたかと思った。しかしその感覚は刹那で消え、レムが突撃してきたのだと理解すると広げていた両手が閉じ、小柄な体を抱きしめる。

 

整えた体勢が後方に流されかけ、あまりの威力にのけ反ったせいで左足が浮いたテン。右足一本で全てを支え、崩れかけた体勢を整えると彼は一息ついた。

 

予想通り飛び込んできたレム。彼女は走る勢いそのままテンに抱きつき、四肢を使ってテンの体を全力ホールド。首に両腕を回し、腰から背中にかけて両脚を回し、隙間なくくっついている。

 

いつも通りだいしゅきホールドで抱きついてくるレムからは、切ない泣き声が止めどなく聞こえてきて。それが嬉しさからくるものだといいなとテンは思いながら、

 

 

「ただいま、レム」

 

 

そっと頭に手を添え、優しく撫で下ろす。三日ぶりのレムの温もりを全身で感じながら、愛おしさに任せて心のままに動いた。

 

テンに返されたのは声ではなかった。強く強く抱きしめ返されて、頬を擦り付けられる。猫が愛情表現で行うように、けれどそれ以上に情熱的に。人目なんて気にせずの頬擦り。

 

 

「ごめん。寂しかったよね。色々と辛かったよね」

 

 

首を縦に振るレムが小さく頷く。小刻みに体を震わせながら、背中に回した手でテンの服をぎゅっと握りしめた。力を入れていないと、声を上げて大泣きしてしまう確信があった。

 

走り続けた疲労と、溢れ続ける涙によって呼吸が激しく乱れ、言葉を紡ぐことはできていない。体を大きく上下させて呼吸していると、時折「げほげほ」と言葉の代わりに咳が出た。

 

 

「走って迎えに来てくれたのは嬉しいけど、そんなに苦しそうだと申し訳なくなるなぁ。ひとまず深呼吸しよう。ね?」

 

 

泣いたレムが体に思い切り抱きついて、呼吸を乱している。この光景、ロズワール邸を出発する日にも見たなと思いながら、テンはレムの背を一定のリズムでたたく。

 

声にもならないほどの幸福に襲われているのに、呼吸が辛そうなレム。幸せなのに辛いという相反する感情の板挟みになってそうな彼女を見ると、その場で体を回してフェリスたちを体の正面に捉えた。

 

テンの右肩に顎を乗せて抱きついている都合上、二人に背を向けているとレムの泣き顔がしっかり見られてしまう。だからロズワール邸に背を向け、二人がいる竜車の方に向き直る。

 

レムの尊厳を守り、それからボロボロになったレムの顔を見る。泣き崩れた表情がレムの心を語っていて、不本意にも嬉しくなってしまった。

 

 

「もう話せそう?」

 

「お、おか……おかえり、なさッ、げほ」

 

「まだ話さない方がいい。深呼吸深呼吸。ゆっくりでいい。俺はどこにも行かないよ」

 

 

感情を言葉にしようとした途端、咳が押し退けて出てきたレムの背をさする。落ち着いた声で深呼吸を促されたレムが、ゆっくり息を吸い始めた。

 

恋人不在の中で感じていた苦しさの分、再会したときの感動は大きい。この瞬間を今か今かと待ち望んでいたレムにとって、テンと離れ離れになった反動は本人の予想を遥かに越えていたらしい。

 

たった三日しか離れてないというのに、まるで一年ぶりに再会したような喜びようだ。

 

 

「初めて会ったときのレムちゃんとは大違い。あんなにメイドとして完璧ですごいなーって思ってたから、ちょっと意外かも」

 

「ごめん。この子とは色々とあって。見なかったことにして」

 

 

レムの泣き顔を隠した結果、自分たちと顔を合わせる形になったテンを、フェリスは珍しいものを見た目で見つめていた。

 

当たり前だ。レムが乱れた姿を見せるのはテンだけなのだから。外ではこんな姿、絶対に見せない。メイド服を着用し、一人の使用人として活動しているなら尚更。

 

それでも我慢できなかったのは、テンと再会できた喜びが勝ったということだろう。恋人のレムがメイドのレムをねじ伏せたのだ。

 

 

「だとしても、そろそろ落ち着いてきたかな。レム。もう大丈夫そう? 話せそう?」

 

「ごめん……なさい。今は、だめ……っ」

 

 

涙が止まり、呼吸が落ち着いてきた頃合いを見計らって確認したテンに途切れ途切れの声で紡ぎ、レムは再会の余韻に浸る。

 

心を燃え上がらせる感情を宥めるのは難しく、心の中で謝りながら愛する人の体温を感じた。

 

感動の再会直後の激情が引いてきたとはいえ、余韻が抜け切ったわけではなかった。否、レムの心境を思えばこれが普通だとテンは思う。

 

きっと今、ロズワール邸にはナツキ・スバルがいる。それだけでレムの心労など考えるまでもない。我慢した分を全て解き放ったら、こんな風になっても仕方ない。

 

 

「よく頑張ったね、レム。ほんと、よく頑張ったよ。もう大丈夫。俺が傍にいるから安心していいよ」

 

「ーーっ。そんなこと、言われたらレムは……また、泣いて。こんな人前で……」

 

「じゃぁ、胸に顔でも埋めて隠す?」

 

「そのような意味では……。隠します、貸してください」

 

「いくらでも」

 

 

自分が傍にいるから安心していい。

 

まったく自分らしからぬ言葉を言ってしまったなと思うテンの体から降りると、自分の足で立つレムは彼の胸元に顔を埋める形で再び抱きついた。

 

脇の下から背中に手を回して、ぐっとテンの体を抱き寄せる。自分の体を彼の体の中に埋めるつもりで抱きしめると、お返しに抱きしめ返された。

 

三日ぶりの感覚——気持ちいい。その一言に尽きる。腰に回された手、頭を撫でてくれる手、二つの手で思いっきりぎゅっとされると、形容し難い快感に心が溶かされそうになる。

 

 

「——お帰りなさい、テンくん」

 

「うん。ただいま、レム」

 

 

そうしてやっと、レムは言いたかった言葉を紡ぐことができた。たっぷりテンの温もりを体に感じて、寂しかった心を慰めて、その上で抱きしめてもらってやっと。

 

こんな姿、メイドとして失格だ。人前で、それもカルステン公爵の従者の前でこんな情けない姿、姉に怒られてしまう。

 

 

「すみませんね。ヴィルヘルム様、フェリス。本当はちゃんと挨拶しなくちゃいけないとなんですけど、本人がこの調子なので。どうか、許してください」

 

「お気になさらず。女が愛する男と再会する。それを咎める道理など、我々にはありません」

 

「そーそー。今のレムちゃんの態度にとやかく言うほどフェリちゃんは鬼畜でもにゃいし。お好きなようにどーぞ。存分にイチャついちゃっていいよ」

 

 

そんなレムの心情を悟ったかのようなタイミングでテンが二人に謝ると、二人からの温かい対応が順番に返ってくる。

 

いつの間にか御者台から降りたヴィルヘルムは、抱き合う二人を微笑ましげな表情で見ながら。ニヤつくフェリスは手をふりふりと振りながら。

 

気恥ずかしいものを感じ、テンは「ありがとうございます」と頭だけで一礼。それから眼下にいるレムを見た。頬を赤らめながら胸に顔を埋め、額を擦り付けてくる彼女は本当に可愛い。

 

ずっと見ていたくなるけど、そういうわけにもいかない。正面の二人をこの場に居続けさせるのもどうかと思ったテンは顔を上げ、フェリスを見た。

 

 

「フェリス。今回の一件、貴重な時間を削って俺のゲートを治してくれたこと、本当にありがとう。割と冗談抜きで俺の人生に関わることだったから、感謝してもしきれないくらい感謝してる」

 

 

これまでの態度とは一変、ふっと雰囲気を変えたテンが真摯な表情で言った。首より下はレムのために使っているから、首より上で治癒期間の二日間に対する感謝を伝える。

 

少し驚いた表情をするフェリス。ぱっと目を見開く彼は数秒だけ動きを止めるも、「やめてよー」と手を揺らし、わざとらしく笑って柔らかく表情を砕き、

 

 

「そんなお硬いこと言わなくてもいいのに。感謝の気持ちは十分すぎるくらい伝わってる。それに、フェリちゃんとテンきゅんは、もうお友達にゃんだからっ」

 

「知り合い以上、お友達以下です」

 

「以下ってことは、お友達ってこと?」

 

「未満です」

 

「釣れないにゃぁ、もう」

 

 

例え仲が深まっても、必要以上に近づかせてくれないテンの堅いガードに頬を膨らませて不満アピール。しかし、本気で不満そうな様子には見えない。

 

初日にフェリックス様と呼んでいたのが、今はフェリスと呼んでいて。堅苦しい敬語だったのが崩れている。それがテンの答えだと知っていながら、敢えて不貞腐れた仕草をして、

 

 

「壁が分厚いんだから。ヴィル爺みたい」

 

「俺とヴィルヘルム様を比較するのはやめて。ヴィルヘルム様に失礼」

 

「度が過ぎた過小評価ですな」

 

 

軽快に軽口を交わしていたところに芯の通った声で否定されて、テンの肩が僅かに跳ねる。

 

心臓が跳ねたようにも見える反応を見せた彼は声の方向に顔を向け、こちらをじっと見つめてくる『剣鬼』の視線に誤魔化し笑いを浮かべた。

 

下手くそなそれには全く付き合わず、ヴィルヘルムは真っ直ぐテンの目だけを見つめ、

 

 

「誇るべき志も、それに見合う実力も、実力を高める向上心も有りましょうに。昨日(さくじつ)の模擬戦、実に見事なものでしたぞ。年甲斐もなく感化されてしまいました」

 

「あんな冷静にボッコボコにしておいてなに言ってるんですか。俺なんてまだまだですよ」

 

「今日のやつでクルシュ様に、有意義な模擬戦だった、って言われたのに? ヴィル爺の言う通り、テンきゅんってば、ちょこっとばかし過小評価が過ぎるところはあるかもね。直した方がいいよ」

 

「治してくれる?」

 

「心の治癒は専門外だからムリでーす。自分でなんとかしてくださーい」

 

 

「ぶっぶー」と効果音を口で言いながら、両手を交差させてばつ印を作るフェリス。

 

ヴィルヘルムの視線が怖くて、その軽口に乗っかりたいテンは視線をフェリスに移そうとするが、

 

 

「——テン殿」

 

「はいっ!」

 

 

呼ばれただけで視線が拘束され、ヴィルヘルムの目から逃げられなくなった。またしても背筋が限界を越えて伸び、レムを抱きしめる両腕に力が入る。

 

突然に強く抱きしめられたレムが「んっ」と甘い声を喉の中で鳴らす中、二歩ほど前に出るヴィルヘルム。圧迫感に押しつぶされ、呼吸が止まるテンを目の前に『剣鬼』は「よいですか」と、

 

 

「テン殿ほど己の価値を己自身で錆び付かせている人間を、私は知りません。故に、その自覚をするべきだ。それはテン殿という人間の質を下げかねない。——努努、忘れずに」

 

「はいっ!」

 

「にゃはは。ホント、面白い子。昨日ボコられたのが相当怖かったんだろうね。ヴィル爺、珍しく熱が入っちゃってたみたいだし。剣鬼の鬼指導にゃんて、かわいそーとしか思えにゃかったもん」

 

 

 ーー可哀想だと思ってんなら助けろよ

 

 

心の中で不満を垂れつつ、怯えながらも返事だけは良いテン。見せ物を楽しむような気軽さで茶々を入れてくるフェリスを睨みたいところではあったが、生憎とそれどころではない。

 

ロズワールとはベクトルの違う恐ろしさを宿した『剣鬼』ヴィルヘルム。剣において至高の領域に到達した存在に言葉をいただく——これ以上に光栄なことがあるだろうか。

 

そんな感動も今のテンには感じられない。ヴィルヘルムが御者台に乗ってようやく視線の拘束から解放され、身動きと呼吸が動き始めたところだ。

 

 

「それじゃ、フェリちゃんたちはそろそろ帰ろっかにゃ。あんまり長居しても帰る時間遅くなっちゃうし、レムちゃんにとってもお邪魔だと思うしさ」

 

 

ヴィルヘルムが御者台に乗ったのが合図だったのだろう。こちらにウィンクしたフェリスが「バイバイ」と手を振って客車の扉を開け、中へと消える気配を匂わせた。

 

 

「待って、フェリス」

 

 

その直後、テンの声がフェリスを呼び止める。

 

尻尾が扉の先に消える寸前で名前を呼ばれ、「んー?」と喉を鳴らしたフェリスが扉から顔だけを出すと、

 

 

「またね」

 

 

 一言。

 

笑みを浮かべながらテンは言った。純粋に笑ったと相手に思わせるそれは社交辞令じみたものではなく、彼がハヤトやラムといった友人だけに見せる笑み。

 

意識して出せる笑みじゃない。無意識のうちに出すものだ。ハヤトのように好青年スマイルを使いこなせるわけでも、フェリスのように営業スマイルを習得したわけでもない彼の、ただの笑顔。

 

「ふっ」と、フェリスもまた口角を釣り上げて笑う。この三日間、テンと最も長く過ごした彼はテンの明らかな変化を見届けて、

 

 

「またね、テンきゅん。次に会う頃にはフェリちゃんと対等な立場になってることを期待しとくね」

 

「そうなれるように精進いたします。——クルシュ・カルステン一の騎士、『青』のフェリックス・アーガイル様。どうかご壮健で」

 

「むっ。その態度嫌い」

 

「先に仕掛けたのはそっちだよ」

 

 

 そんなやり取りを最後に、テンの二泊三日の入院期間は無事に終わったのだった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「そういえばさ。レムはなんで俺が帰ってきたって分かったの? パックかベアトリスが知らせてくれた?」

 

「違いますよ。掃除をしていたらテンくんの気配を感じ取ったので、お出迎えにと思った次第です。なので、愛の力です。愛の力があればレムはなんでもできてしまうんです」

 

「愛の力ってすげー」

 

 

クルシュ陣営の従者たちを乗せた竜車を見送ったテンとレム。二人は今、談笑しながらロズワール邸へと続く道をゆったりとした速度で歩いていた。

 

テンにレムがくっついているのは、もはや当たり前。テンの左腕に自分の両腕を絡め、恋人繋ぎをしながら、レムは幸せいっぱいの笑顔を輝かせている。

 

時間帯は夕暮れだが、青空が澄んだ正午の街を歩いているような晴れやかな気分だ。テンがいなかった時に心を覆っていた暗い雰囲気、彼という存在の大切さを教えてくれたそれが、完全に消えている。

 

 

「テンくんっ」

 

「どしたの?」

 

 

語尾が跳ねながら愛しい名を呼ぶと、テンがこちらを見てくる。

 

ゼロ距離。互いの吐息が唇にかかる距離で見つめられると、レムは「ふへっ」と変な声を溢して破顔。恋人にしか許されない距離を楽しみながら、

 

 

「大好きです」

 

「ーーっ」

 

 

不意をついた愛の告白に動揺し、一瞬だけテンの足が止まりかける。身長的にレムがテンを見ると必ず上目遣いになって、頬が紅潮した状態でそれをやられると破壊力が尋常ではなかった。

 

思わず視線を逸らし、顔を背けるテン。ニヤつく頬を我慢する彼は、気持ち悪い笑みを浮かべたがる唇に暇な右手を当てる。

 

レムにとっては関係ない。今ので我慢していた感情の一端が解放されてしまうと、抑えられなくなった彼女は猫撫で声のような甘ったるい声を出しながらテンに激しく擦り寄り、

 

 

「好き。好き好き好き。大好きーー! テンくん好きぃ……! テンくんテンくんテンくん。ずっと愛してます。愛してるから、もっとくっつきたい」

 

 

正面に回り込み、強制的に足を止めさせたレムがテンの胸元に抱きつく。一度は離れた自分だけの場所に身を委ね、決して飽きることのない恋人の温もりを貪欲に欲した。

 

極度に寂しかったのだとテンに理解させる甘えっぷり。テンに対して遠慮と我慢を知らなくなった結果、頻繁に自制という言葉が機能しなくなるレムの平常運転開始である。

 

 

「俺がいない間、どーやってそれ抑えてたの?」

 

「テンくんのお布団に入ってテンくんの匂いを嗅いでテンくんを感じながら眠って、どうにか凌いでました」

 

「逆効果じゃなかった?」

 

「逆効果だったからこうなってるんです。早く、ぎゅってしてください。ぎゅって。ぎゅーって」

 

 

「むっ」と可愛らしく頬に空気の塊を作り、テンのハグを要求する。既に自分はテンの背中に腕を回して準備万端。

 

恋人として否定することはできない。寂しがらせたのは自分なのだから。自分が帰ってくるまで頑張ったレムには、ご褒美が与えられる資格がある。

 

言われた通り、テンはレムの柔かな体をぎゅっと抱きしめた。抱きしめると成長に富んだ乳房が胸の中で横に広がって、ああそういえばこの感覚も久しぶり、なんてことも考えながら、

 

 

「寂しかった?」

 

「分かってて聞くの、ずるいです。しばらくずっと一緒にいてください。寝るときも一緒です。レムから離れたら怒りますからね」

 

「寂しかったか」

 

 

早口で捲し立てるレムに熱の入った口約束事を作り上げられ、とりあえず寂しかったことは分かったテン。彼は優しい表情でレムの頭を撫で下ろしながら、ついでに乱れた髪を整える。

 

くすぐったそうにみじろぎし、「ぅん」と嬌声にも似た声を漏らすレム。「スンスン」と鼻を鳴らしてテンの匂いを嗅ぐ彼女は「はぁ」と恍惚とした吐息を溢し、

 

 

「レムの好きなテンくんの匂いです。やっぱり本物はお布団とは違います。……好きすぎて、死んでしまいそう」

 

「少なくとも俺より先に死ぬのはやめてね」

 

「大丈夫です。テンくんが死んでしまったら追いかける覚悟ですので」

 

「なにも大丈夫じゃないけど?」

 

「テンくんもレムが死んでしまったら、ちゃんと死んでください」

 

「ちゃんと死んでください?」

 

 

可愛い顔で平然と怖いことを言い出したレムの平常運転ぶりに苦笑い。平常運転すぎて逆に安心してくる自分はきっと、レムに毒されているのだろう。

 

嫌じゃない。好きだ。こんなレムも好きで、甘えてきてくれる彼女のことを、どこまでも甘やかしたくなる。どっちが先に飽きるか勝負してもいい。絶対に終わらない。

 

今、自分とレムがバカップルになりかけているだなんて知る由もないテン。無自覚なうちにレムに依存しつつある彼を見上げると、

 

 

「テンくん。そういえばなんですけど」

 

 

その名を一度だけ呼んでから、ふと思い出したようにレムは言った。

 

 

「なんでも言うことを一つだけ聞く約束、忘れてませんよね?」

 

 

聞いた瞬間、テンの表情が固まった。

 

藪から棒とは言い切れないが、状況からすると唐突なそれに頭が真っ白になり、直後に訪れたレムの行動に対応が追いつかなくなる。

 

硬直するテンに背伸びするレム。足りない分の身長をそうやって補うと、首に回した手でテンの頭を引き寄せながら、その耳元に唇を近づけて、

 

 

「今夜、期待してます」

 

 

一瞬、サキュバスのような雰囲気を漂わせながら囁く。鼓膜を舐めるような、艶かしい声だった。テンの本能に呼びかけている、誘惑の声だった。

 

言葉の意味を理解した時には遅い。レムは既に事を終えて抱きつきモードに戻っている。照れているのか、目を瞑り、五感を研ぎ澄ませて甘える彼女の頬は真っ赤だ。

 

 

 ーーえ? マジ? 夜? やるの!?

 

 

直球すぎる感想を抱いたテンである。

 

なにをどう期待するのか分からない以上、自分がなにをするべきなのか分からない——そんなわけあるか。鈍感な自分は卒業した。

 

今までのレムを振り返れば答えなど簡単に出る。これまでレムがテンという恋人になにを求めていたか、それが期待の拠り所。

 

レムと付き合い始めて早一ヶ月。性的な触れ合い方を強く欲するようになった彼女が、口付け程度で許してくれるわけがない。添い寝とハグがスキンシップの最低基準であるレムが期待すること。

 

 それは———、

 

 

「——ん?」

 

 

考えが完結しかけたところで、視界の中に異変が映り込み、テンの喉が短く唸る。

 

目を凝らした視線の先、ロズワール邸へと伸びる一本の道を、ものすごい勢いで走ってくる人影があった。

 

 

「………やば」

 

 

その直後、異変の正体を感覚的に察してしまって、背筋に冷たいものが流れた。レムと体温を交換し合って温かいはずなのに、急激に体の中の温度が低下していく。

 

やはり夕方だから、至近距離にまで近づかないと誰だか分からない。けれど、テンにはその人影が誰なのか断言できる。

 

自分のことを走って迎えに来る人など、ロズワール邸には二人しかいないからだ。そのうちの一人は胸元で目を瞑って、自分の世界に入り込もうとしている。

 

 となるとあの人影は、

 

 

 ーーエミリアかな

 

 

意図して口には出さず、心の中だけで少女の名を呼び、テンは己の死期を悟る。気づいていないわけがない少女二人の想いを知っているからこそ、この先の展開が読めた。

 

多分、エミリアも飛びついてくる。レムがあの有様だったのだから覚悟はしておいた方がいい。が、覚悟してもその先をどうすればよいのやらと頭を抱えた。

 

レムに抱きつかれた状態で受け止められるわけがない。エミリアは羽根のように軽いという、質量に対して意味不明な体重だからもしかしたらと淡い期待を抱いてみるが、どうせ散るだろう。

 

となると、静止の声に応じて止まってくれることを期待するしかないが、

 

 

「テンーー!」

 

 

 ーーあ、ダメだ

 

 

遠くから響いてきた銀鈴の声を聞いた途端、テンは突撃されることを本気で覚悟した。悲鳴に聞こえたエミリアの叫び声を聞いて、彼女もまた寂しかったのだと知る。

 

考える時間はない。エミリアは姿形がはっきり認識できる距離にまで迫っている。本当に、一秒も休ませてくれない忙しい世界だ。

 

 

「この状況を忙しいと思えなくなるのが、俺の目標なんだけどね」

 

 

 今のところは無理そうだと、テンは空笑う。

 

 下を見る、甘えるレムの姿。

 前を見る、走るエミリアの姿。

 

 どちらとも、ヤンデレ属性を秘めた美少女。

 

 

「これ俺……、帰って早々に死ぬ?」

 

 

結局、フェリスの匂いが付かずとも修羅場は訪れるのだと。レムと同様の勢いで走ってくるエミリアを見ながら、テンは思ったのだった。

 

 

 ——エミリア、到着まで残り十秒。

 

 

 






いろんな方の小説を読んでいて、文字の綴り方を変えた方が読みやすいのではと、小説を書き始めて一年たった今になって感じ始めました。今みたいになにもせずに文字を綴るのではなく、

 こう書いた方が、読みやすくて分かりやすいんじゃないかなぁと。
 句点と句点の間で改行して、頭の文字の前に空白を一つ開けて。
 こんな感じで文字を綴った方がね。

 なら、こんな風に。
 短い文章でも。
 個人的にはすらすら読めます。

でも、こんな風に。なにもしなかったら。私としては読みにくいんですよね。なんだか書きにくいし。

やっぱり句点と句点の間で改行した方が読みやすいのでしょうか。まぁ、今になって突然に変えてもなぁ。私の中でその表現方法は、強調したい文章にだけ使ってますし。


 悩みどころです。
 次回、もしかしたらその書き方で書いてみるかもなので、よろしくです。

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