少しでも望む未来へ   作:ノラン

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誰のことを言ってるんでしょうね(棒読み)





早とちりの天才

 

 

 ——ナツキ・スバルちゃん。

 

 

前代未聞の事実が齎した精神的な衝撃は、生きてきた中でテンが感じてきた衝撃の記録を軽々しく更新するものだった。

 

誇張表現抜きに、頭のてっぺんに雷が落ちたと言って差し支えない。心がぐらぐらと大きく振動し、頭の中で整理していた情報資料がばさばさと音を立てて散らばりかけるほどだ。

 

事実、目の前にいる少女への理解が終わり、自分の中に新たな『ナツキ・スバル』が完成した瞬間、雷撃でも受けたように視界が赤と白に点滅し、全身から力が抜けてへたり込んでしまった。

 

 結果として、

 

 

「テンくん。本当に大丈夫ですか? 先程からずっと気が動転しているように見えますし、心なしか心拍数も高いような……。レムにできることがあればなんでも言ってください。なんでもします」

 

「大丈夫。うん、大丈夫。大丈夫にした」

 

「きっと、疲れが出たんだわ。テンって意外と寂しがり屋さんだから、みんながいないところに一人で居て、気を張っていたのよ。ウソ言って無理しちゃだめなんだからね? 無茶もダメよ?」

 

「大丈夫です。ありがとうございます。だからそれ以上はくっついてこないでください」

 

 

体にくっついていた少女二人の献身的な働きによって立たされ、心も立て直されている。テンの疲れ切った様子にやっと気づいたらしく、両者とも心配そうな目をしている。

 

決して、覚悟していなかったわけじゃない。

 

テンとハヤト。二人の存在によって元の物語(原作)が改変されたことで、物語になにかしらの変化がある。その変化が未曾有の事態を招く可能性がある。

 

理解(わか)っていたはずだ。それでも抗うと、原作よりも良い未来を掴み取ってみせると、少し前に二人で誓いを立てたから。

 

恐れはない。なにがきても真っ向からぶつかる気でいた。ハヤトと二人で諸々破壊するつもりで、テンは原作が開始した世界を生き抜く心づもりでいた。

 

 だが、

 

 

「え? なに? もしかしてアタシの自己紹介が魂に響いちゃったとか? 今まで空振りまくって空振り三振バッターアウトどころの話じゃなかったけど、ここにきてホームラン打ったとか!?」

 

「いや、これは違うと思うぞ」

 

「違うんかい! 思わせぶりな態度するなんてサイテー! どうせ、そうやってエミリアたんとレムりんも堕としたんでしょうね!」

 

 

 こいつは、誰だ。

 

目の前で都合よく解釈してはしゃぐ少女を、テンは知らない。レムに殺意混じりの視線を向けられている少女を、知っているはずがない。だってそれはあり得ない話だから。少年であるべきはずだから。

 

誰がこんなことをした。誰が原作主人公の性別を弄った。神の領域をも越える改変、大罪なんてレベルじゃないぞ。悪夢なら今すぐ覚めてくれ。

 

そう思いながら、レムとエミリアに立たされて、テンは異常事態(スバル)と目を合わせる。

 

 

「ーーーー」

 

 

 瞑目。気持ちを整理する。

 

 一度、深呼吸。気持ちをリセットする。

 

 開目。そして、

 

 

「人生って、ほんとに色々とありますね。まさか、こんなことになるなんて思ってませんでした」

 

「なんか悟り開いてないこの人!? てか、切り替え早っ! 急に目の色変えて態度変えられても困るんだけど!?」

 

「取り乱してしまってすみませんでした。もう大丈夫です。受け入れました」

 

「なにを!?」

 

 

 テンは、ようやく現実と向き合い始めた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「色々と聞きたいこととか、言いたいことはありますけど……まずは、俺の自己紹介からですね。多分、名前自体は知ってるとは思いますが、一応の礼儀としてやっておきます」

 

 

言うと、本格的に両サイドにいる少女二人を剥がしにかかったテンが「んんっ!」と低い声を上げながら両腕を振る。優しめではなく強め、本気で振り払う。

 

その力加減で二人も潮時だと悟った。頑なだった姿勢を貫かんばかりにくっついていたエミリアが残念そうに離れると、レムも抵抗の挙動を見せながら離れる。

 

やっと解放された両腕を回し、固まっていた肩を解すテン。「あー、疲れた」と息を吐く彼は姿勢を正し、スバルの目を見ながら、

 

 

「今のところ、そこにいるロズワールに雇われてお屋敷で使用人やらせてもらってます。ソラノ・テンです。よろしくです、ナツキさん」

 

「壁のある話し方、やめてよね。アタシたちは故郷が同じ! ってことは魂に刻まれた文化が同じ! つまりソウルフレンドなんだからっ! お硬い言葉は抜きにしてユルくいこうぜ! ドゥーユーアンダスタン?」

 

「はい。そうですね」

 

 

 ーーこの人、俺と相性悪いな

 

 

丁寧な自己紹介に返された距離感のない返事を適当に流し、テンは心の中で悟る。ウィンクしながらグーサイン、目の前でそうやって笑いかけてくるスバルに対して苦手意識が芽生え、瞬時に開花した。

 

元より、テンはスバルのような人間が苦手だ。壁というものを知らずに接してくる、馴れ馴れしい性格をした人間が嫌で、なるべく距離を置きたがる。

 

その点で言えばハヤトも苦手な部類に入るし、彼のそのような性格もちゃんと嫌いだ。嫌いなところ以上に好きなところが多いから、良好な関係が保たれているだけで。

 

だからこそ、その壁を数日間で突破してきたフェリスに内心戦慄していたり。

 

 

「色々と聞きたいこととか、言いたいことはありますけど、疲れたから追々にするとして……。とりあえず、ナツキさんがどういったお方で、どんな扱いなのかだけ聞かせてください」

 

 

自分とスバルの心の間に厚さ五メートル程度の壁を設けながら、テンは赤の他人に接する態度でスバルに問いかける。

 

明らかに壁を感じさせるテンの対応が癪に障ったのだろう。分かりやすく「むっ」として眉間に皺を寄せるスバルは、会ったばかりのハヤトの態度とはまるで正反対だなとマイナスな第一印象を抱き、

 

 

「王都でハヤトと出会って、盗人に奪われた徽章を取り返す騒動があって、その後にハヤトにロズっちの屋敷に客として連れてこられた、お前と同郷の女。それがアタシ」

 

「徽章、奪われたんだ」

 

 

「ふぅーん」と。

 

鼻を鳴らしながら真顔でハヤトを見ると、ばつが悪そうな顔をしながらすっと目を逸らされる。次にエミリアを見ると、「ぅ」と苦鳴を漏らして顔を背けられた。

 

二人とも、テンに徽章関連で注意しておけと念入りに言われた人間。「やらかしたね?」と目で責任を問われたような思いになって、突き刺さる目から逃げている。

 

尤も、無事に取り返せたのなら責める必要もない。結局スバルが屋敷に来ることになったのは仕方ないとして、

 

 

「それで? ナツキさんはこれからどうするんですか? 屋敷に住むんですか?」

 

「まずその思考になるのが驚き桃の木山椒の木……。残念だけど違う。一昨日の時点でアーラム村に住む、って話に落ち着いてる。ペトラちゃんのお母さんの家に居候って感じね」

 

「ルーナさんのお宅に?」

 

 

ぱっと眉毛が跳ね、テンの声色が一段上がる。てっきりハヤトが無理言って屋敷に住ませているとばかり思っていたから、予想の範囲内に無い選択肢だった。

 

念の為の確認としてハヤトに目を向けて、

 

 

「そーなの?」

 

「そうだ。スバルはルーナさんの家に居候することになった。本当は屋敷に住ませてやりたかったんだけどな」

 

「へー」

 

 

興味なさそうな返事をしながら、テンはスバルの扱いが原作とは違うことを理解する。原作ではロズワール邸で雇われた使用人だが、ここではアーラム村の一人の住民として扱われるらしい。

 

それを受け入れたレイテ家も流石だが、受け入れさせたハヤトもハヤトだ。是が非でも一章で出会うスバルを連れて帰るとは聞いていたから、なんでもしそうだなとは思っていたが。

 

土下座でもして頼み込んだか。否、流石にそこまではしないか。差し詰め、自分と村民の間で築かれた関係でも利用したのだろう。

 

 言い方は悪いけれど。

 

 

「まぁ、ナツキさんの素性と扱いは分かりました。俺と同郷って言ってる感じ、ハヤトから色々と聞かされてるっぽいですね」

 

「そのことだけど、みんな知ってるわよ」

 

 

この世界でのスバルの素性と扱いが分かったところで、横からラムの声が入ってくる。

 

ラムの言う『そのこと』がなにを指しているのか分からず、目を合わせるテンが「ん?」と小首を傾げるとラムは堂々とした姿勢で、

 

 

「テンテン……いえ、テンテンと脳筋と貞操無しの阿婆擦れ女はこことは別の世界から来たのでしょう?」

 

「ラムさんや。その不名誉すぎるあだ名、いい加減にどうにかなりませんかね」

 

「なら、貞操無しの阿婆擦れ女改めバルスで」

 

「目潰しの呪文じゃん。もういいわよそれで」

 

 

スバルのあだ名が無事に原作通りに落ち着いている中、テンはラムの口から『異世界』という単語が出てきたことに意識が引っ張られる。

 

もはや、そこに驚きの感情はない。驚きすぎてその感情は機能を停止した。屋敷に帰ってきて色々と起こりすぎたせいで、いよいよ感情というものが乾き切りつつある。

 

無の顔つきで視線をロズワールに向けると、疲労困憊な様子に思わず「くはっ」と失笑されながら、

 

 

「にわかには信じ難い話ではあるけーぇど、その話を真実だとすると色々と辻褄が合う事が多くてねぇ。ハヤト君の言うことだし、とりあえず信じてみようかなーぁというわけ」

 

「へー」

 

「テンテンと脳筋が屋敷に来た頃からずっと、ラム達は二人の素性を洗おうとしたけど、なに一つとして進歩がなかった。でもそれが、この世界とは別の世界——異世界から来た人間だからなら、分からなくもない」

 

「へー」

 

「蹴るわよ」

 

「やめて。ちゃんと聞いてるよ」

 

 

リアクションが薄くなってきたことをラムに注意されながら、テンは「へーきへーき」と頷く。何事においてもロズワールが一番な彼女の鋭い視線が体を貫通するが、声色には覇気がない。

 

普段から無い覇気が更になくなると、生気をも感じさせなくなりそうなテン。随分と気が滅入っている彼は「はぁ」と重苦しくため息をつき、ハヤトを軽く睨んで、

 

 

「お前、言うこと言ったね?」

 

「聞かれたから答えた。そんだけだ」

 

 

腕を組みながら堂々と言われてしまえば、今のテンには返す言葉もない。「文句あるか?」とでも言いたげな空気が圧力のようにじわじわ押し寄せてくるのに、再びため息。

 

このとき、彼の右サイドを陣取るエミリアは異世界の話に関して問い詰めたいことがあった。勿論、レムに話したくせに自分には話してくれなかったことだ。

 

けれど、テンがとても疲れてそうだから今は遠慮してあげた。正直、今すぐにでも「どーして?」と詰め寄りたい気分ではあるけど、その気持ちをぐっと我慢。

 

テンの気持ちを慮れる女、エミリアなのである。

 

 

「エミリアたん、なんでちょっとドヤ顔なの?」

 

「え……? ううん。気にしないで。こっちの話」

 

 

肩を落とすテンの真横。謎にドヤ顔していたことをスバルに不思議がられると、エミリアは手と首を横に振りながら適当に笑って誤魔化す。

 

我儘を抑える自分をテンに悟られるわけにはいかない。悟られると無理して相手をさせてしまうから、この気持ちは胸にしまっておく。奥にしまうとすぐ取り出せなくなるから、手近なところに。

 

果たして、その程度の我慢では取り返せない量の我儘をやっていることに、彼女はいつ気づくだろうか。

 

 

「まぁ、ハヤトが異世界について説明したことについては別にいい。したならした。それでおしまい」

 

 

本来はもっと突っかかるべき話なのだろうが、この場で話すことでもない。そう判断したテンは話の区切りをつけるために手を叩くと、

 

 

「ナツキさんのことも、異世界のことも分かった。俺がいない間に、色々とあったっぽいのも察した。んで、ハヤトがやりたい放題やって色んな人に迷惑かけたのも予想できる」

 

「なんでそうなるんだよ」

 

 

必要最低限の情報を聞き出し、付属された情報も含めて一つ一つ丁寧に整理するテン。その中で自分が問題児のような扱いを受けていることに、ハヤトが抗議の目を向けた。

 

今のは聞き捨てならない。この数日間、どれだけスバルのために頑張ったと思っている。その努力を知りもしないで『迷惑』の二文字で片付けられるのなんて侮辱以外にあるものか。

 

睨みつけ、親友であっても看過できない発言に噛み付く。テンの両サイドにいる少女二人がその巻き添えをくらって反応を見せる中、テンは「じゃあ、聞くけど」と至極純粋な眼差しで、

 

 

「ここにいる人たちみんなに、自分のしたことが迷惑じゃない、ってハヤトは自信持って言えるの?」

 

「ーーっ」

 

 

的確な一言に弱いところを穿たれ、ハヤトの喉の奥で小さな苦鳴が弾け飛ぶ。その質問に対して「言える」と即答できないことが、一つの答えだった。

 

迷惑じゃないわけがない。スバルを屋敷に住ませること自体、無理を承知で頼んだのだから。アーラム村のみんなだって、自分の頼みだからこそ無理に要求を飲み込んでくれたのだから。

 

 

「お前の性格なら、どうせ無理なお願いでもしたんでしょ? 頼む! とでも言ってさ。違う?」

 

 

 図星だ。

 

事情をなにも知らないテンに見事に言い当てられた。それも、性格的な面から想像を膨らませてだ。そうなれば、ハヤトに反論の余地はない。

 

テンだからできるやり方——カンザキ・ハヤトのことを世界で一番理解している人間だからできるやり方で攻められたからこそ、ぐうの音も出ない。

 

閉じた口の中で歯を食いしばり、暴れ回る反抗の声をごくりと飲み込む。それもまた変わりようのない事実だと突きつけられ、沸騰した頭を急激に冷やされる不快な感覚に陥る。いつもの感覚だ。

 

切れ味のある二言で、ハヤトを意気消沈させたテン。制御係の片鱗を見せつけた彼はその反応をじっくり観察してから「よし」と、一仕事終えた感を出して笑み、

 

 

「少しは頭、冷えさせることできた?」

 

「やっぱ今のわざとかよ……。お陰様でな、くそがよ」

 

 

そうして、ハヤトの頭は強制的に冷えた。ここ数日間、頑張りすぎて温まっていた思考に、ようやくブレーキがかけられる。

 

いつものパターン、恒例だ。前へ前へと走り続けようとするハヤトをテンが止めて、冷静に状況を俯瞰させる。今回もまた彼はテンに、後ろを振り返ることを思い出させられる。

 

故に、この話の扉はこれで閉じるはずだった。ハヤトを軽く落ち着かせるためだけにテンが開いた会話は、おしまいのはずだった。

 

 おしまいの、はずだった。

 

 

「——なんだよお前、その言い方」

 

 

 扉が、こじ開けられる。

 普段なら終わる会話が、終わらなかった。

 

言いながらテンを睨みつけるのはスバル。

 

テンがハヤトのことを責め出したあたりから不穏な空気を纏い始めた彼女の頭は、常日頃からテンに制御されるハヤトの頭と違って、簡単に冷えるものでもなかったらしい。

 

三白眼をぎろりと動かし、眼光を鋭利に尖らせる彼女はどたどたとテンの眼前まで近寄る。スバル自身が短気すぎるのと、元からテンが悪印象だったこともあって喧嘩腰な態度を隠すことなく見せながら、

 

 

「さっきから黙って聞いてりゃ、迷惑だの自信持って言えるだの、言いたい放題言いやがって!」

 

 

怒り浸透気味なスバルにこの後の展開を読んだテンが、咄嗟にレムを背に庇う。すると、ラムが「やれやれ」といった風に額に手を当て、ハヤトが「待て、スバル」と静止を呼びかける。

 

それら全てを無視して、頭に血が上ったスバルは昂った感情のままに言葉を吐き散らしていた。

 

 

「ハヤトがアタシにしてくれたこと、お前は知ってんのか! ハヤトがどれだけ頑張ってアタシのために動いてくれたか、お前は知ってんのか! ああ!? 言ってみろよッ! それのどこが迷惑なんだよ!」

 

「やめろスバル。テンの言うことは間違ってねぇし、多分こいつは俺の努力を分かった上で言ってる。てか、これが俺とコイツの」

 

「いいやハヤト。悪いけど言わせてもらうわよ。コイツ、ちょっと分かってないっぽいから」

 

 

止めようとしてくるハヤトの体と声を強引に押し除けた直後、場違いに怒るスバルの顔色が激昂に真っ赤になる。どうしてか、こちらを見るテンの表情がなに一つとして揺れていなかったからだ。

 

自分のことなど初めから相手にしていないような雰囲気。面倒な奴だと割り切って、こちらの怒号が右から左へ受け流されているような不快感。

 

だから顔を赤くしたスバルは尚のこと怒りながら、

 

 

「ハヤトと真反対って話、あれが本当だって今ので分かった。あれだろ? ハヤトが口よりも先に行動に移して常に前向きなら、お前は口ばっか動かして過去のことをねちねち言ってくる後ろ向きなダサい奴」

 

 

 エミリアのこめかみに、小さな青筋が立つ。

 テンの背後で、異音を立てながら石畳が砕ける。

 

それら二つを刹那で感じたテンが右手をエミリアの頭に添え、左腕でレムの体を抑える。少女二人の心をなんとか宥めようと裏で頑張りながら、表ではスバルの目をじっと見つめた。

 

残念なことに、憤慨するスバルの視野には入らない。今、まさか自分がテンに守られているだなんて思うわけがないスバルは、「へっ」とテンを馬鹿にしながら指を差し、

 

 

「ハヤトの親友だって聞いたからどんな奴が来るのか期待してたんだけど、正直期待外れ。目つき悪いし、ヒョロそうだし、頼りなさそうだし、ハヤトが強いって言ってたけど全くそうは見えないし。完全にハヤトの劣等品ってカンジ?」

 

「スバル。頼むからそこまでにしろ」

 

「嫌だね。まだ言い足りない。ここで引き下がったら女が廃るってもんよ。最後まで言ってやるわ」

 

 

 エミリアの表情からふっと光が消える。

 テンの背後で砕けた石畳の破片が舞った。

 

ハヤトの劣等品——恐らくそれが境目。少女二人が無言で鬼気を放ち始め、冷や汗が頬を垂れるテンの表情から余裕が消し飛ばされる。

 

挑発的な言葉を並べるスバルはそれを都合良く解釈した。自分の罵詈雑言に動揺し、同じようにキレ散らかす一歩手前だと思い込み、心の中で劣悪な笑みを浮かべる。

 

そうだ、それでいい。その余裕の表情を崩したかった。なにを言われても涼しい顔したその口から、汚い言葉を吐かせたかった。キレさせて、同じ土俵にまで引き摺り下ろしてやる。

 

 

「どうしてお前みたいなのがハヤトの親友やれてんのか理解できないね。親友なら親友らしくもっと気ぃ遣えよ」

 

 

その仕上げに、一番言ってはいけない言葉を。

 

 

「お前、そんなんでハヤトの親友やってて恥ずかしくないの? アタシに言わせりゃ、お前は親友に相応しくな」

 

「ナツキ・スバルーーッ!」

 

 

 怒号が、突き抜ける。

 

世界を揺るがすほどの声量が鼓膜に叩きつけられた瞬間、場にいる誰もが突風が巻き起こったと錯覚した。そうだと錯覚させるほどに、今の声には熱が宿っていた。

 

驚き、心臓が跳ねるスバル。びくっとしながら声の方向に顔を向ける彼女の目は、声の姿を捉える。

 

それは、事態を眺めていたロズワールやベアトリスの姿でもなければ、必死に止めようとしてくるハヤトの姿でもない。まして、テンの姿でもレムやエミリアの姿でもない。

 

 ——凍てついた目でこちらを睨む、ラムの姿。

 

 

「ハヤト」

 

 

滅多に聞けないラムの声色が聞こえた意味。それを理解していたテンの行動は、誰よりも早い。不穏な空気が張り詰める世界で一人、考えるよりも先に動いていた。

 

名を呼び、その男の視線と意識を根こそぎ自分に集めると、

 

 

「今すぐスバルを連れてアーラム村に行って」

 

「……疲れてんのに手間かけさせて悪いな」

 

「平気。スバルの性格(こと)を考慮してなかった俺のせい。発言には気をつけるべきだった」

 

「お前………」

 

 

テンの意図を察したハヤトが、掛けられた優しい羅列に何かを言おうとする。けれど、その時間すら今は惜しいと舌打ちした。事態は一刻を争う。もたもたしている暇はない。

 

迫り上がる言葉を力ずくで押し込み、状況の理解ができず唖然とするスバルの手首を握る。ラムの視線に縛られて硬直する彼女の体を、片腕の力だけでひょいと持ち上げ、

 

 

「スバル。悪い。ちょっと強引にいく」

 

「え? わっ! ちょ、ちょっとまたこのパターンなのおおぉぉぉぉーー!」

 

 

スバルをお姫様抱っこし、有無も言わさず逃げるように駆け出す。テンの横を通り過ぎた際に見えたレムの阿修羅のように恐ろしい表情にトラウマを刻まれそうになりながら、テンに任せてとっとと退散。

 

地を蹴り上げて僅か三歩でトップスピード。戦闘時に出す速度で走り出し、五秒と経たずにロズワール邸の正門を通り抜けた。そうなれば、二人の姿はあっという間に遥か彼方である。

 

残されたのは気まずい沈黙と、尾を引いて木霊するスバルの悲鳴。それと、

 

 

「あの……レム? だ、だい、じょーぶ?」

 

 

 恐る恐る、振り返るテン。

 

スバルに罵倒され始めた途端から、否、スバルと同じ空間に身を置いてから口数の減った静けさが、嵐の前の静けさとしか思えない彼は、半分怯えながら恋人の様子を窺う。

 

視界に映ったレムは、俯いていた。下を向いて、その表情を隠している。横からなら確認できるだろうが、その勇気が今のテンにはない。

 

 

「——は、あはは」

 

 

不意にレムの口から笑い声が落ち、声と一緒に肩がぴくぴく動く。率直に言って不気味だ。

 

その笑い方をするレムに、ひどく見覚えがあった。瞬間的に過去の記憶が走馬灯のように脳裏に流れ、一体いつのどのレムだったかと探し出す。

 

そして見つけた、その笑い方をするレムの姿。

 

あれは確か、メイザース領に侵入してきた魔女教徒をレムが無謀にも一人で倒しに行った日。鬼化して暴走したときのレムが、今のレムのような笑い方をしていた気が———。

 

 

「ーー! レム落ち着いて! お願いだから暴走しないで! これ以上俺の心を疲れさせないで!」

 

 

レムを落ち着かせようと声を荒げたテンが、レムがどこにも行かないようにその体を思いっきり抱きしめる。レムの『今』を察し、描かれた未来絵図に全力で事を抑えようと本能的に頑張る。

 

皮肉にもそれが合図だった。事を荒立てないようにするはずの行為が逆効果となり、静寂の均衡が乱れたレムの頭が弾かれたようにぐんと上を向いた。

 

見えたレムの表情は恐ろしいくらいニッコリしていて。その額からは鬼族を象徴する一本のツノが立派に伸びており、

 

 

「………あはっ」

 

 

 瞬間、全員の心に緊張が走る。

 

 テンが青ざめたときには遅い。

 

 次の瞬間に、解放された。

 

 

「殺す! あの女、今すぐ殺してやるッ!」

 

「わー! 落ち着いて落ち着いて! 大丈夫! 大丈夫だよ! 俺は別になんとも思ってないから! 待って待って! ツノ! ツノ出ちゃってる! 早くそれしまって! 鬼化しないでーー!」

 

「私、ちょっとスバルのところに行ってくる」

 

「エミリアぁ!? おい待て待て! 待ってってば! ラム助けて! お願い助けて! レム抑えるので精一杯だからエミリアのことなんとかしてぇ!」

 

「どうしてこう、もっと静かにできないのかしらね……。はいはい、エミリア様はラムが宥めておいてあげるから、テンテンはレムをなんとかしなさい」

 

「ありがとう、ございますッ!」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「マジで疲れた……もうイヤ。この世界嫌い」

 

「今回ばかりは、お疲れ様と労ってやるのよ」

 

「ありがと……」

 

 

腰掛けた椅子の上で器用に胡座をかいたテンが、目の前にある長机に勢いよく突っ伏す。紡がれる言葉には力の一切が宿っておらず、ぐでーんと伸びる姿からは生気の欠片も感じられない。

 

その正面、労いの声をかけてきたのはベアトリス。長机を挟んで向かい側の椅子に腰掛ける彼女は、疲労の極みである男を同情の目で眺めている。

 

 

「はい、お茶。これ飲んで元気出しなさい」

 

「ありがと……」

 

 

きっかけ一つで液状化し、そのまま溶けて存在そのものが消えてしまいそうな危うさを感じさせるテン。そんな彼に、横からお茶を差し出す少女がいる。

 

突っ伏すテンの近くにグラスをそっと置き、その流れで彼の隣にある椅子にちょこんと腰掛けたラムだ。流石の彼女も今のテンに通常通りの態度を貫ける気がしないのか、声色が優しい。

 

少女と幼女から同情の目を向けられる、帰宅直後から受難続きで可哀想なテン。瞳から活気という光が消えた彼は、「んー」と唸りながらゆっくり体を起こし、

 

 

「お茶、いただきます」

 

 

茫然とした様子のままグラスに口をつけ、猫舌だから空気と一緒に茶を喉に流し込む。

 

熱いものが喉を通過した途端、体全体に温かい感覚が浸透していき、疲労した精神がほろ苦さによって癒やされる。後からやってきた多少の甘みが脳に安らぎを与えて、ほっと一息。

 

 そして、

 

 

「沁みるぅ」

 

 

 表情から、気が抜ける。

 

 

 ——レムとエミリアの怒りをどうにか静めておよそ五分後、テンは厨房で伸びていた。

 

 

場所が厨房なのはこれから夕飯の支度をするため。ラムがいるのも同じ理由だ。ベアトリスがいる理由は分からない。聞くのも考えるのも面倒だから、二人は特に聞いていない。

 

 それよりも、

 

 

「レム。すごかったねぇ……」

 

「エミリア様もね。あんなに乱心した姿、初めて見たわ」

 

「それだけあの娘たちがお前のことを慕って、お前のために怒った、ってことかしら」

 

「嬉しいんだけど、事が事だから素直に喜べない」

 

 

スバルの勝手な暴走によって堪忍袋の尾が切れたレムの乱心度合いは、言葉に表現できぬほど凄まじいものだった。テンの声すらも届かなくなるくらいの大荒れだった。

 

それだけならまだしも、エミリアも半ギレ状態という悲惨。ラムの助力がなかったら今頃、スバルが血祭りに上げられているだろう。その前にハヤトとの激闘が繰り広げられているかもだが。

 

 

「でも、ラムも怒ってくれたよね」

 

 

両手で包み込むようにグラスを持つテンが、姿勢を前に倒して机に両肘をつく。猫背で、胡座をかきながら、両肘を机に乗せるという行儀が悪すぎる体勢。

 

普通なら咎めるべきそれに目を瞑りながら、ラムは数秒だけ沈黙。自分の行いを振り返る時間を設け、なにをしてしまったかをその数秒間で自覚する。

 

こちらを見てくるテンの目と睨めっこした後、気まずいものを感じたように顔をすっと背ける。それから顎に頬杖をついて、

 

 

「他人を怒れないテンテンに代わってラムが怒ってあげた。それだけ」

 

「優しさの塊だ」

 

「はっ倒すわよ」

 

「ごめんごめん」

 

 

照れ隠しにしては乱暴すぎる決まり文句に苦笑し、テンは顔を合わせてくれないラムの優しさに心が温められる。そこで素直な言葉を並べないのが、なんともラムらしいなと思う。

 

罵詈雑言を吐き散らすスバルを一番に強く止めたのがラムなことに、驚きはなかった。ハヤトではないという意味合いでなら驚きだが、ラムが止めたのにはなんの動揺もない。

 

ラムは、優しいのだから。その優しさに、テンは救われたのだから。だからこそ、あの場で誰よりも早く動けたのかもしれない。

 

揶揄うテンと、顔を背けるラム。二人の距離感の近さを感じながらベアトリスは「ふんっ」と形のいい鼻を鳴らし、

 

 

「友人を馬鹿にされた。怒る理由は十分かしら」

 

「あまりご自身の基準で物事を考えない方がよろしいかと思います。ベアトリス様」

 

「お前、本当に素直じゃないやつなのよ」

 

「殴るわよ」

 

「なんで俺を見て言うの? あと、ちょいちょい暴力の種類変えるのなんで?」

 

 

話に乗っかってきたベアトリスの被害が丸ごと自分に跳ね返る予感に、苦笑の崩れたテンが口をつけたグラスを傾ける。「ずずっ」と音を立てながら茶を飲んだ。

 

ベアトリスに素直じゃないって言われるの、ヤバすぎだろ——とは、二人から殴られそうだから言わないとして。

 

これ以上揶揄うと本気で殴られかねない。背けた顔を戻し、こちらを睨みつけてきた赤の瞳から危険信号を受信すると、テンは口の中に残る苦味に「ほぅ」と一息つき、

 

 

「さっきの場面、ハヤトの頭ぁ冷やしたら、その後にアイツの苦労とか労うつもりだったんだよ」

 

 

殴られる前に話題を変えるテンが、先ほどのネタバラシをするように胸の内を口にし始める。すると、聞く姿勢をとる二人が目の色を変えた。

 

グラスを置き、再び机に突っ伏すテン。体を起こしている体力もなくなってきた彼は、そうやって密かに休み始める。机に置いた腕に片頬を乗せ、横を向いてラムの方向に視線を投げながら、

 

 

「ナツキさんに言われなくても、アイツが彼……彼女のために頑張ってたことなんて分かる。親友だもん。アイツと何年付き合ってると思ってんのさ」

 

 

それ以前に、テンはハヤトの意志を聞かされている。

 

スバルの居場所がこの場所には無いのではないかと懸念し、スバルを屋敷に連れ帰ることに否定的な意見を並べた自分に、彼は堂々と即答した。

 

 

 ーー作る。

 

 

ハヤトは自分の言った言葉を絶対に撤回しない、実現するためならどんな努力だって惜しまない人間だ。そして、『作る』という目標の実現がどれだけ難しいかなんて考えるまでもない。

 

それでも実現したこと。スバルの居場所を確保したこと。それがハヤトの計り知れない努力を物語っている。テンがそれに気づけないわけがない。

 

 

「だからアイツのことを軽く咎めて、それから、ちゃんと労わるつもりだった。努力はなんとなく分かるけど——みたいなこと言って、そっから下げた分だけ上げるつもりだった。でも」

 

「早とちりしたバカがいたかしら」

 

 

言葉を継いだベアトリスが言い切ると、頷くテンが「そうなんだよね」と申し訳なさそうな表情をする。隣に座るラムも「早とちりの天才ね」と皮肉が過ぎる言葉を溢した。

 

下げてから、その分だけ上げる——テンがハヤトの頭を冷やすときの基本。別にハヤトのことを責めたいわけではないテンの優しい咎め方。思考にブレーキというものがないハヤトの止め方。

 

それを知っているから、ハヤトを咎めるテンを誰も止めなかったし、ハヤト自身も甘んじて受け入れていた。いつも通りであると、そう思って。

 

 けど、

 

 

「まさか、ナツキさんがあんな風に怒るなんてさ。ハヤトの劣等品、笑っちゃうくらい的確すぎてグサッてきてる」

 

「的確かどうかはさておき、テンテンがそう思ってるとは思った。あ、言った。って思ったもの」

 

「あの娘どもの様子が変わったのも、それからかしら」

 

 

「はぁぁ」と幸せが全て逃げてしまいそうなため息を深々と吐き、テンは脱力。今でも偶にそう感じることがある彼にとって、その発言はあまりにも凶器すぎた。

 

レムとエミリアにとっても、だろう。自分の好きな人が馬鹿にされた彼女たちの心情を悟ることなど容易い。その後の乱心も含めれば、激怒していたことは確定だ。

 

そう思うと、二人がどうしているのか気になるベアトリス。ふと思った彼女はテンを見ると、

 

 

「あの娘どもはどうしたのかしら」

 

「風呂にでも入らせておいた。エミリアは俺が言って、レムはロズワールに命令してもらってね。お願いだから頭ぁ冷やしてきて、って俺が」

 

「クソ女への不満が飛び交いそうな組み合わせね」

 

「それで気が治まってくれるんなら、いくらでも汚い言葉を吐いてほしい。風呂場には二人しかいないんだし」

 

 

ラムのスバルに対する態度の変わり様を意識に留めつつ、テンは笑う。少しだけ感情が宿ってきたそれで表情を色づかせると、彼女たちのことを思った。

 

物理的に頭を冷やしたであろう二人は今頃、仲良くお湯の中で温まっていることか。立場上、レムとエミリアは友人のような関係にはなれないが、それに似た距離感で罵倒大会が行われていないと願おう。

 

二人をお風呂に入れたのは、割と英断だったとテンは考えている。特例という形で、レムに入浴を命令してくれたロズワールの手助けには感謝だ。

 

温かい湯を頭から浴びれば思考は自ずと落ち着くだろうし、湯の中に肩までつかれば多少なりとも昂った感情は静まる。そう、思いたい。

 

 それに、

 

 

「女性の入浴って基本的に長いし、お風呂から出た後にも髪とか乾かすのに時間かかるっしょ。お風呂ってだけで拘束される時間は長い」

 

「自分の目が届かない場所にいても、あの子たちが外に出ていかないようにした。と」

 

「ついでにね。本心は、冷静になってほしいってだけだから。お風呂に入れば自然と緩むよ、多分」

 

 

最後だけ適当になったテンが言葉を言い切ると、ベアトリスが「へぇ」と感心の息を吐く。疲れている割には考えているじゃないかと、彼女の中で少しだけ評価が上がった。

 

そんなことなど知らないテン。お茶が飲みたくなった彼は体を起こすとグラスを手に持ち、

 

 

「もっと上手く立ち回れたらよかったのに」

 

「なにが?」

 

「俺が変なこと言わなきゃ、あんなことにもならなかった」

 

 

悩ましげな顔つきになりながら茶を飲み、一息。徐々に回復してきた体から重だるさが消える感覚を横目にしながら、グラスを置くと頬杖をつき、

 

 

「一番に、ハヤトの頭を冷やさせようとしちゃったのが失敗だったかな。どうせ頭に血ぃ上ってるだろ、って勝手に思って。なんかやらかす前に早めに冷やそうと思わなきゃよかった」

 

 

一人反省会をするテンがそう言って、肩をすくめる。あれは自分のせいであったと己を責め、軽率な行動をしてしまったと反省。

 

疲労が積み重なった状態であったとはいえ、やらかしてしまった。自分がハヤトを責めれば短気なスバルが口を挟むだなんてこと、ちょっと考えれば簡単に分かったことなのに。気が回らなかった。

 

あの空間から早急に立ち去るべきだった。変なことを言わず無難に言葉を交わして、「疲れたから寝る」とでも言ってスバルから離れるべきだった。

 

 

「いやでも、そうなるとハヤトと話したいこと話せないし……でも、それはレムが辛いから……」

 

「自分を責めるのは違うとラムは思うけど」

 

 

ぶつぶつと反省するテンの頭に、小さな物体がこつんと打ち付けられる。思考を断たれる優しい衝撃にはっとして目をやると、ラムが手刀を落としているのが見えた。

 

心底呆れたとでも言いたそうな目。見れば、ベアトリスも似たような目をこちらに向けていて、

 

 

「誰がどう判断しても、あれは早とちりしたクソ女のせい。それをテンテンが気に病むのは違いすぎる。迷惑だったのは間違いじゃないし」

 

「お前はいつも通りのことをしたまでなのよ。姉妹の姉の言う通り、実際、あの男がベティーたちにしたことは迷惑以外の他にない。間違っちゃないかしら」

 

 

予想外とは言い切れない二人のフォローを受け、テンの目が見開く。疲労の色が抜けて感情が半分以上戻った表情が驚きに染まり、一人反省会を続けていた口が止まった。

 

嬉しいとか、安心したとか。色々と感じることはある。二人の優しい言葉に心が包まれて、頬が緩んでしまいそうだった。けれど、二人のそれを受けて一番に浮上した言葉は、

 

 

「ハヤト、そんなに迷惑なことしたの?」

 

「ええ」

「かしら」

 

「アイツ………」

 

 

頬杖をついていない方の手を額に当て、テンは重苦しくため息。同時に即答してきた二人に申し訳なさの情が溢れ出る。

 

自分がいない間に死ぬほど努力したのは労うとして、迷惑をかけたことはしっかり謝らせよう。テンはそんな風に心に決めた。

 

一体どれほどの迷惑をかけたのか、聞きたくもない。点数の悪いテストが返却される時と全く同じ気持ちだ、見たくもない。アニメ初期のスバルの人間性を顧みると、悲惨を通り越して悲劇。

 

ハヤトを咎めたときのスバルの態度からして、ハヤトは随分とスバルに好かれているように感じる。なにがあったのかは知らないが、ここでもハヤトのカリスマ性が光ったようだ。

 

 そうなると、

 

 

「ベアトリスも大変でしょ」

 

「なにがかしら」

 

「ハヤトのこと独り占めできないから」

 

「ぶっ飛ばされたいのかしら、イカれ男」

 

 

思ったことを素直に口にした途端、椅子から降りるベアトリスの態度が一変。雑な言葉を投げつけて、厨房の出入り口に向かって歩き出した。

 

彼女がハヤト大大大好き大精霊だなんてこと、既に屋敷の人間には周知のことだが、彼女としては認めたくないものがあるらしい。強制的に会話を遮断すると二人に背を向けながら、

 

 

「イカれ男の様子が気になったからわざわざ来てやったけど、余計な心配だったのよ。ベティーは帰るかしら」

 

「心配してくれてたんだ。ありがとう、ベアトリス」

 

「今回ばかりは同情したからなのよ。ベティーに同情させるお前も可哀想なやつかしら」

 

 

余計な一言と薄ら笑いを置き土産として、ベアトリスが開いた扉の奥に消える。カツカツと足音が遠ざかっていき、扉の開閉音が廊下から響いてきたのを最後に、その気配が世界から消失した。

 

残ったのはテンとラム。ベアトリスの「可哀想なやつ」という声が余韻として残る厨房で二人、沈黙が落ちる中で意味もなく顔を見合わせると、

 

 

「可哀想なやつ」

 

「復唱しなくていいよ」

 

 

テンを鼻で笑い、返された言葉を無視して椅子を引いて立ち上がるラム。彼女は手を叩いて厨房内の緩んだ空気を引き締め、

 

 

「はい、休憩終了。働きなさい、テンテン。夕飯の支度よ」

 

「帰ったばっかなのに仕事ですか。色々とありすぎて疲労困憊の俺に働けと」

 

「ぐだぐだ言わない。男でしょ」

 

「えぇ……」

 

 

嫌そうな声を漏らすテンの声など、ラムの耳には入っていない。てきぱき動き始める彼女は既に夕食であるシチューが作られた鍋と向き合っており、その後ろ姿が否定を受け付けていなかった。

 

仕方なし。「んーー!」と大きく背伸びすると、テンはラムに淹れてもらった茶をぐいっと飲み干し、

 

 

「やります」

 

「よろしい」

 

「なにをすれば」

 

「そこの食器を洗いなさい」

 

「うい」

 

 

切り替えの早さを見せたテンに指示を飛ばし、ラムは火の魔鉱石が敷き詰められた金網の上でシチューを熱し始める。横では水を出すテンが腕をまくり、流し台に積まれた食器と格闘開始。

 

レムは入浴中、ハヤトはアーラム村という、四人中二人不在な分を補う二人はそうして、約三十分後にまで迫った夕飯の時間に向けて準備を始めた。

 

 

 ーー俺も、ほんとは村に行った方がいいんだろうなぁ

 

 

作業片手間に、テンはそんなことを考える。

 

本当に色々とありすぎて忘れそうになるが、今は原作二章真っ只中。仮に自分がクルシュ邸に入院した日から原作が始まったとすると、その翌日から二章だから、二章開始から今日で三日目。

 

なにが起きていてもおかしくない。二章の主犯である魔獣使いがなんらかのアクションを起こし、既に事が起こっている可能性だってゼロではない。

 

記憶が正しければ、二章開始から三日目か四日目のどちらかに異変が起こったはず。そして、異変の中心はアーラム村。だからテンも、できれば村に行った方がいいのだが、

 

 

 ーーこの状況で行くとは言いづらいしなぁ

 

 

状況が状況だ。あんな風にスバルと別れてしまったから行こうにもいけない。それに、仕事をしろとラムに言われてしまった以上、彼女を置いていくわけにもいかないし。

 

そもそも、行くにしても理由がない。行きたいと言っても、スバルがいるから距離を置いた方がいいと一蹴りされるのが目に見えている。

 

ここは一つ、ハヤトを信用することにしよう。幸いにも頭は冷やした。今の彼なら感情に任せて突っ走ることもないから大丈夫——だと信じて。

 

 

 ーー原作開始かぁ。嫌だなぁ

 

 

一つの考えが着地すると、また別の考えが頭の中に生まれる。原作開始に対するテンの素直な感想だ。

 

今から地獄のような物語が待っていると思うだけで、鼓動の早まりを抑えられない。誰がいつ死ぬのか、誰が敵として襲い来るのか、鬱展開の盛り合わせみたいな日々は来ないでほしい。

 

下手すれば自分が死ぬかもしれない。どんな死に方をするのだろう。気を抜いた瞬間に死ぬのがこの世界だから、案外あっさり死ぬかも。てか、死に方とか選べるのかな。

 

そんな嫌な考えばかりが脳裏を過ぎると、ため息は口から勝手に漏れ出して、

 

 

「……はぁ」

 

「まだなにかあって?」

 

 

先程から、ため息をついてばかりのテン。

 

幸せが次々と逃げていくそれを敏感に拾われると、横目で見てくるラムに「ううん」と首を横に振って言った。

 

 

「休めないなぁ。って思っただけ」

 

 

 






前半はスバルブチギレ回。後半はネタバラシ回。

今回のお話、ちょっと展開が強引な気がしなくもないです。でも、これくらいならあり得るかな?って思ったんですよ。

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