少しでも望む未来へ   作:ノラン

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今作初、いつもの四人組のほのぼのです。

ここまで不穏な話が多かったのでね。





テン大好き性欲モンスターレム

 

 

 

「ベアトリスってさ」

 

「おん」

 

「ベアとリス。って感じに発音変えたら『ベア』と『リス』っていう二つの動物が出てくるよね。んで、『ベア』って英語で『熊』って意味……だと思うのよ」

 

「………だからなんだ?」

 

「ベアトリスは熊とリスなんだよ」

 

「なに言ってんだお前」

 

 

蓄積した疲労によって脳がバグり始めたテンと、それに付き合うハヤトの会話が繰り広げられる厨房。二人並んで流し台に向き合う彼らは今、夕食で使用された銀食器を洗っている最中。

 

その背中には、男二人のくだらない会話を聞きながら濡れた銀食器を拭くレムとラムの姿。椅子に腰掛ける彼女らは、厨房の中央に設置された長机の上にわんこそばが如く積まれる食器らと格闘中。

 

 

「レムを動物に喩えると何になるかな。俺としては犬だと思う。従順だし」

 

「じゃ、ラムは猫だな。気まぐれだし」

 

「それなら、テンくんは一匹狼です。群れたがりませんし」

 

「なら、脳筋は熊ね。ケダモノだし」

 

 

時刻は、冥日の八時を回った頃。屋敷の食卓に並ぶ料理が作られるこの空間では、例によっていつもの四人組が揃っていた。

 

夕食後に必ず待っている食器の後片付けに取り掛かる、夜も忙しいロズワール邸の使用人たち。けれど、そんな時間が楽しい四人にとってこの時間は苦ではない。寧ろ、安らぎである。

 

気心の知れた存在しかいない世界。唯一、頭を真っ白にできる時間だ。そのせいで、気を張っていないテンの口から『ベアトリスは熊とリス』という謎の文章が出てきたわけだが。

 

 

「なんで俺が一匹狼なの?」

 

「レムの言う通り、お前は群れるのが嫌いなタイプだからだよ。一人でも余裕で平気な人間だからだよ。大学生ぼっち」

 

「それ以前に飼い主に従順。テンテンは心を許した人には精一杯尽くそうとする人だもの。エミリア様に騎士として従えるようになったら、その性格も浮き出てくる。ほら、早く尻尾振りなさい、犬」

 

「なにを言いますか、姉様。テンくんが尻尾を振っていいのはレムだけなんです。それと、今、エミリア様のお名前を口にするのは控えてください」

 

「どうして?」

 

「それはですね………」

 

 

熱心な様子のレムが隣に座る姉だけに語り出したことで、誰がなんの動物であるか議論は静かに閉じられる。レムの行動一つで会話のペアが姉妹組と親友組の二つに分かれ、強制的に分断された。

 

親友組の背後から姉妹組の会話が薄く聞こえ始め、「調教」だの「躾」だの恐ろしい単語が流れる中、それらを意識の外側に追いやった親友組は、洗剤を含んだスポンジで食器を洗いながら話し続ける。

 

 話し、続ける。

 

 

「ナツキさん、あの後どーなった?」

 

「ちゃんとブチギレてたぞ」

 

「だろうねぇ」

 

「テンくん、エミリア様の頭をナデナデしたんですよ。レムの頭ではなくエミリア様の頭を。許せません」

「エミリア様もレムと同じくらい寂しがられていたようだけど、それでもレムは許せないの?」

 

「ハヤトのことだから、誤解は解いたんでしょ?」

 

「解いた……が、本人はあんまし納得してねぇ」

 

「そっか。まぁ、別にいいよ。お前に相応しいかどうかなんて気にしてないし」

 

「許せません。許してはいけません。テンくんの頭ナデナデはレムの特権なんですから。これは由々しき事態、今夜、しっかり躾けます」

「……あまりテンテンをいじめすぎないようにね。不慣れなりに頑張ってるみたいだから」

 

「俺ぁお前のこと、最高の親友だと思ってるぞ」

 

「やめてよ、恥ずかしい」

 

「そこで恥ずかしがるところも含めて最高だぜ」

 

「嫌です。テンくんはレムのものなんです」

「そう……。なら何も言わないわ」

 

「気色悪いからやめろ」 

 

「相棒ぉ」

 

「きめぇうざい」

 

 

ニヤニヤしながら肩をぶつけてくるハヤトに、テンが本気で嫌そうな顔をする。やっぱり釣れない男だなと尚も笑い、ハヤトは「そうかよ」と楽しげに息をこぼした。

 

基本、ハヤトの友人はそこで調子を合わせてくる奴が大半だが、テンだけは違う。場のノリで「うぇーい」とか言って肩を組んだとき、「やめてくんない?」とマジトーンで拒絶されたことがある。

 

過去の記憶を思い返すハヤト。そんな彼にテンはふっと真剣な表情になると、

 

 

「アーラム村、まだなんともない?」

 

「おう。なんともねぇ。さっきスバルのやつを送りに行ったときにぐるっと回った感じ、異常は無かったぞ」

 

「そっか。ならよかった」

 

 

視線は合わせず、作業の手も止めないまま、声だけを互いに向けて情報を交換する二人。ここまで怒涛の展開続きだったから話そうにも話せず、仕方ないから今この場でテンが話を振った。

 

事が起こっていないかどうか。ハヤトと同様に原作理解者であるテンは、そのことを頭の中心で常に気にしながら今を過ごしている。故に、聞けるタイミングでその話を振らないわけがない。

 

背中にいる二人に聞こえると不審がられる内容だから、流れる水の音に掻き消される程度に声のボリュームをやや下げて、

 

 

「メィリィだっけ? あの魔獣使いは? いた?」

 

「ちゃんといたぞ。ああしてガキどもに紛れてりゃ、普通の子にしか見えねぇな」

 

「マジで? でもなにも起こってないの? そんなわけなくない? 大丈夫?」

 

「大丈夫……とは言い切れんが、きっと大丈夫だろうぜ」

 

「ホントにぃ?」

 

 

疑いの心しかないテンの声が不安に揺れ、生じた緊張に頬が強張る。作業の手が止まり、思わずハヤトに顔を向けた。

 

どれだけの対策をしても破壊してくる、初見殺しに溢れるのがこの世界。頭でそれを理解しているテンには懸念が止まらない。

 

今こうしている間にも——そう考えるだけで、悪寒に背筋を撫でられるような嫌な予感がするテン。そんな彼に見られると、ハヤトは「平気だって」と安心させるように笑い、

 

 

「村の子どもは誰も居なくなってなかった。メィリィと遊んでた子たちが噛まれてないかも、それとなく確認した。結界も確認した。夜まで外で遊ぶ悪い子たちは、みんな俺が家まで送り届けた。さっきぐるっと村を回ったやつ、あれ五周くらいした」

 

 

「なんか文句あるか?」と。

 

顔をテンに向け、笑いかける。これでもかと対策を講じた事実を叩きつけ、彼の知らないところで、メチャクチャに気を付けていたことを言い放った。

 

ただスバルを村に送り届けて帰ってきた、そんなわけがないだろう。自分だって二章の悲劇を知っているのだから、未然に防げる事態は防ごうと裏で頑張っている。

 

それを相手に気取られないようにしなければならないから、随分と遠回しな対策ではあるけれど。自分のやれることは全部やった。

 

 

「だから心配すんなって、な?」

 

「いや、それ聞いてもっと心配になった」

 

「なんでだよ」

 

 

期待とは違う返しをしてきたテンに肩を落とし、ハヤトの作業の手が止まる。相変わらず話が上手く噛み合わない男だと、普通の笑みが苦笑に変わった。

 

反対に、顔を手元に向けるテンは止まった作業の手を動かし始める。深刻に考え込む横顔をハヤトに見せながら「だってさ」と、

 

 

「それってつまり、子どもたちを攫えなかったメィリィが別のアクションを起こしてるかもしれない、って考えられない?」

 

「ーーーー」

 

「もし、原作二章の三日目にメィリィが子どもたちを攫うとして今日がその日だとしたらそれができなかったメィリィはなにをするの?」

 

 

早口で淡々と捲し立てられたハヤトの動きが、ピタリと止まった。突きつけられたテンの懸念の理解が進むにつれて苦笑が徐々に真顔へと変わり、最終的にその顔で凍りつく。

 

ずっと前からテンが懸念していること。自分たちが原作知識を利用して全て先回りし、起こる事態を未然に防ごうと策を講じた結果、予想だにしない事態が起こるかもしれない。

 

その事態とはなにか。答えは単純、

 

 

「分からない、でしょ? だから不安なんだよ。どんだけ対策しようが、この世界からすれば関係ないんだから。初見殺ししかないんだよ? それでスバル何回死んだと思ってんの?」

 

 

口数の多さが、テンの心に注がれた不安の量だ。不安がる自分を安心させようとして笑うハヤトの気遣いを蹴散らした彼が、本気で思い詰めた表情になりながら最悪を想定し続けている。

 

言われて気付かされたハヤト。彼の息が詰まった様子を視界の横に捉えながら、テンは「ふぅ」と息を吐く。口走った事を言ってしまう前に立ち止まると、

 

 

「できればお前、あのままずっと向こうにいてほしかった」

 

「寝ずに見張れと?」

 

「そう」

 

 

冗談じみた言い方をするハヤトに、テンが真面目な顔つきで頷く。それが本気であると分かると、ハヤトも「それが一番か?」と少しだけ納得の声を溢した。

 

なにが起こるか分からない以上、なにかが起こっても最速で対応できる形でなければならない。それができないのなら、人の死と向き合う覚悟でも整えておくのがいいだろう。それがこの世界の鉄則。

 

冗談じゃない。洒落にならない考えを放棄すると、テンは乾いた笑声を口の中で弾く。不確定要素が混ざったこの世界で生きる過酷さを早くも感じつつ、

 

 

「ハヤト。この作業が終わったら、お前と話したい事があるんだけどさ」

 

「おう。俺もだ。どっちかの部屋でな」

 

「なにを言ってるんですか? テンくんはこれから明日の朝までレムと二人っきりですよ」

 

 

その声に、どれだけ二人が驚いたことか。

 

不穏な話し合いを続けていた二人の間に、突如としてレムの声が割り込んでくる。姉妹組と親友組の二つに分かれていた会話グループが再び一つに合体し、使用人四人組に戻った。

 

あまりの驚きに反射的に横に飛んだハヤトと、背筋が一直線に伸びたテン。二人の反応を不思議がる仕草を見せつつ、レムはテンの腕にすりすりと頭を擦り付けながら、

 

 

「お伝えした通り、テンくんとレムは今夜、たくさん愛し合うんです。ですから、テンくんはこの作業が終わったらレムとお部屋に直行。忘れていた、だなんて言わせませんよ?」

 

 

言った直後、水の魔鉱石に働きかけるマナの供給が止まり、流れていた水が止まった。働きかけていたマナはテンのもので、それが止まったということはつまり、彼の意識が逸れたということになる。

 

皿洗いの体勢で硬直したテンの真顔にハヤトのジト目が刺さり、背中から胸にかけてラムの生温かい視線が貫通する。生温かいのは、それを祝福してくれているからだろうか。

 

気にできるテンではない。話の腰を折られた彼は首を傾けてレムを見ると、見上げてくる青い目の奥に大きなハートマークを見つけてしまい、既に取り返しのつかないことになっていると理解してしまった。

 

愛し合うと、レムはそう言った。それがなにを示唆しているか分からないほどテンは鈍感ではない。

 

 鈍感ではないけれど、

 

 

「それ、絶対に今日じゃないと「ダメです」

 

 

無駄な抵抗心を見せた途端、食い気味に言葉を重ねるレムがその心をぶった斬る。テンの言葉を自分の言葉に塗り替え、逃げ道を確実に塞いだ。

 

満面の笑みで圧を掛けるレム。なぜか、その笑みが黒く見えるテンに彼女は「えへっ」と無邪気な声を鳴らし、

 

 

「今日シます。今日じゃないとダメなんです。我慢できません、というかしません。今この瞬間にもレムはテンくんに襲われてしまいたくて」

 

「分かった分かった分かったから」

 

 

口走りかける興奮気味なレムを止め、テンは無限に擦り寄ってくるレムから目を離す。恋人を優先するべきか、物語を優先するべきか、究極の二択を迫られてハヤトに助けを求めた。

 

その途端、「むっ」と頬に空気の塊を作って不機嫌な顔になるレムに胸ぐらを掴まれ、ぐいっと引き寄せられる。外した視線を無理やりレムに引き戻させられ、

 

 

「レムよりもハヤト君の方が大切なんですか? 恋人以上に大切なことが今のテンくんにはあるのですか?」

 

 

 ある、とは言えなかった。

 

そう言ってしまうと、レムへの愛を裏切ってしまうことになる。自分の気持ちに、嘘をつくことになる。けれど、それと同じくらい大切なことがあるのも事実だ。

 

どうにか、どうにかしてこの場を切り抜けなければならない。レムの相手をしている余裕がないことを、伝えなければならない。

 

ここでレムの愛を受け入れると今夜は確定で彼女から一秒も離れられず、寝台の上から動けなくなる。最悪の場合、明日もそうなるかもしれない。暴走したレムの愛の凄まじさは計り知れないから。

 

せめて、ハヤトと話す時間くらいは作らないと。『原作対策会議②』とテーマ付けられる程度の内容のことは話し合っておかないと。

 

全力で考えるテン。一分でも多く時間を稼ごうとする彼は「あ、そうだ」と思いつき、

 

 

「レム、仕事は? まだお仕事が残ってるよね? それが終わるまでの間ならハヤトと話しても」

 

「全て完了いたしましたっ! 本日のお勤めはこの作業で終了ですっ!」

 

「早くない?」

 

 

浮かんだ名案がたったの二言で破砕、ばらばらと音を立てながら崩れる。「むっ」の表情から満面の笑みに戻るレムが、幸せに声を大にして大々的に言った。

 

嘘を言っている態度には見えない。が、同じ場所で働く身としてあり得ない事態に驚愕したテンがラムを見ると、

 

 

「ホントに?」

 

「嘘をつく理由があると?」

 

「マジかよ」

 

 

ほっぺたに手の平を添えて机に頬杖という、可愛らしいポーズをしながら成り行きを見守るラム。彼女の至極真面目なトーンの声に言われれば、テンも認めざるを得ない。

 

四人で分担しているとはいえ、一人あたり平均的に冥日九時まではかかる仕事量。その量の仕事を一時間前の冥日八時までに終わらせたとは、どんな魔法を使ったのか。

 

思い当たる節が一つだけある。

 

 

「君、鬼化して仕事したね?」

 

「テンくんとたくさん愛し合うためなら!」

 

「もうなんか性欲隠さなくなったね、お嬢さん!? 俺が帰ってきてからずっとそんな調子だけど、そんなに寂しかった!?」

 

「テンくんがいない日々なんて考えられないと痛感するほどに寂しすぎて死んでしまいそうでした」

 

 

早口で語って愛が我慢できなくなったのか、清々しいまでのネタバラシをしたレムがテンに抱きつく。皿を持つテンの脇の下から潜り込むようにして体にくっつき、全身からハートマークが溢れ出した。

 

まずい、よくない、やばい。レムの本気度の高さが普段と違いすぎる。これは確実に今日、自分とヤるつもりでいる。感覚的に分かる。これは本気なやつだ。間違えなく食われる。

 

 

「今日の仕事中になんかすげぇ足音すんなー、とは思ってたが。理由が分かった」

 

「愛の力と言ったところかしら。流石、ラムの自慢の妹ね」

 

「そこ感心するところか? ハードワークだぜ? 愛の力はすげぇとは思うけどよ」

 

 

愛の攻防戦を繰り広げる二人を見ながら、呑気に会話するラムとハヤト。テンとレムがこんな感じなのは割と前からなので、この光景に関してのコメントは特に無し。代わりに、レムの奮闘ぶりに感心する。

 

なるほど。鬼化すれば純粋な身体能力が底上げされて、作業の速度が普段の何十倍にもなるから当然、作業も早く終わると。

 

ただでさえ作業の早いレムが、それをすればどうなるかなど想像に難くない。結果がこれだ。

 

 

「俺もアクラ使って身体能力底上げすりゃ、すぐに終わるか?」

 

「作業器具を破壊される未来が視えるからやめてちょうだい。仮に破壊したら脳筋の給金が減るわよ」

 

「やめとくぜ」

 

 

愛が暴走状態のレム。あたふたするテン。二人を見ながら呑気に会話するラムとハヤト。

 

場が通常通り混沌と化し始めたところで、テンは「あ、そうそう!」と再び思いつき、

 

 

「ならお風呂……あ、ダメだ、俺が入れたんだ」

 

「はい。その通りです」

 

 

 ーー裏目に出ちゃったぁぁ!

 

 

心の中で吠え、テンは自分のしたことが見事に裏目に出たことを恨む。お風呂に入ってくれればハヤトと話すくらいの時間は稼げる——既にレムは入浴済みだ。

 

レムの頭を冷やさせるためにしたことが、こんな形となって返ってくるとは思わなかった。それで彼女の頭は冷えたから良かったと言えるが、これではそうとも言い切れなくなる。

 

レムが風呂に入ったのは今からおよそ一時間半前、特に汗をかいたわけでもないなら別に入る必要もない。またしても、テンの名案は刹那で破砕されたことになった。

 

ならばと、流し台を強く叩いたハヤトが「それならよ!」と全員の意識を自分に向けさせて、

 

 

「テン、俺と風呂に入るぞ! 俺ぁまだ入ってねぇからお前も一緒に」

 

「夕飯の支度が落ち着いた後、レムとエミリア様の次に入ってたわよ」

 

「なにしてんだテメェ!?」

 

「いや! だって………。ハヤトがアーラム村から帰ってこないから夕食の時間をいつもより三十分遅くする、ってロズワールが言ったからぁ。隙間時間に入ろうかなってぇ。思っちゃったんですぅ」

 

 

 ーー裏目に出やがったぁぁ!

 

 

いじいじして語尾が弱々しく伸びるテンに心の中で吠え、ハヤトは自分のしたことが見事に裏目に出たことを恨む。

 

アーラム村に異常がないか、安全を確認するために色々とやった結果として帰宅が遅くなり、その間にテンは入浴を済ませやがったと。隙間時間を活用しようとする彼の真面目なところが出た。

 

双方、自分のしたことが裏目に出るポンコツ二人組。事態を改善させようとして悪化する——テンが懸念していた事態がこんな場面で起きたことにハヤトが怒った声で、

 

 

「マジでなにしてんだよお前ぇ! バカか!?」

 

「まさか、そーなるとは思わないじゃーん。だってそうじゃーん。湯船に浸からないなら三十分もあれば余裕で入れるじゃーん」

 

「その語尾やめろ気持ち(わり)ぃ」

 

「じゃーん」

 

「お前まで真似せんでええわ!」

 

 

テンの語尾を真似した悪ノリ気分のラムに叫び、ハヤトは勢いよくツッコミを叩き込む。真似されたテンは半ば投げやり状態で、「どうにでもなれー」とでも言いそう。

 

正しく万策尽きた様子。離れるように言っても離れる相手ではないことが分かってるテンにはもう、思いつく策がない。今夜、下手したら世界が終わるかもしれないのに。笑えない話だ。

 

かくいうハヤトも、そんな風に思っておきながら良策の一つも思い浮かばない状態。「アーラム村に魔獣が襲ってくるからテンと警戒させてくれ!」なんて素直に言えたら、この悩みも晴れるのだが。

 

 

「ということで、テンくん」

 

 

そんなことを考えているうちに、非情にも話は進んでしまった。例え、今この瞬間になにが起こっていようとも、世界の時間は時を刻んでいく。

 

テンの正面に回り込み、世界一愛する恋人の胸に寄りかかりながら、ニコッと笑みを弾けさせるレム。まだその笑みが黒く見えて、テンの頬が引き攣った。

 

なにも言えず、固まるテン。自分の唇に人差し指の腹を当てるレムは、その指を彼の唇にぴとっと当てて間接キス。

 

 そして、

 

 

「テンくんの愛、溢れるくらい注いでくださいね♡」

 

「テン」

「テンテン」

 

「はい。覚悟、決めました」

 

 

 断れるわけが、なかった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「ハヤト。本当にごめん。肝心な時に一緒にいてあげられない相棒でごめん」

 

「いやいい。もう構わん。好きにヤれ。なんかあっても俺一人でどうにかする」

 

「なんかあったら空に火球でも打ち上げて合図して。花火みたいに爆発させて音で知らせて。もう暗いんだし、屋敷の誰かしらは気づく」

 

「分かった。そしたら飛んで来いよ?」

 

「うん。すぐ行く」

 

「テンくん。早く行きますよ」

 

「待って引っ張んないで行く行く! 行くから! ハヤト! マジで頼んだよ!」

 

「今のお前の口から『行く』って単語が出るとソッチにしか聞こえねぇんだが」

 

「やかましいわ! ホントに頼んだよ!? ちゃんと装備整えてアーラム村に今すぐに行く……向かうんだよ!?」

 

「ピュアか。わーったわーった、俺に任せとけ!」

 

 

そんな会話を最後にレムに連れ去られたテンと別れた数分後、厨房での作業を終えたハヤトは一人、自室へと戻っていた。

 

他の三人、テンとレムは二人でどちらかの部屋へ。ラムは仕事があるからと言って浴場へ。実はハヤトも仕事が残っているのだが、そんなものは知らない。

 

部屋に戻るなり、ハヤトは着用する制服を荒っぽく脱ぎ始める。なにが起きても対応できるように今からアーラム村の警備に向かう彼は、戦闘の準備を開始した。

 

脱いだジャケットを寝台に放り投げ。首から外した蝶ネクタイを寝台に放り投げ。脱いだベストを寝台に放り投げ。ベルトをするりと抜いて脱いだパンツを寝台に放り投げ。脱いだ白シャツを寝台に放り投げる。

 

 

「さてと」

 

 

適当に脱いだ制服一式を寝台に放り投げ、パンツ一丁になったハヤトはその肉体美を世界に晒した。

 

その身に纏うは、百八十センチ近い身長に見合った逞しい筋肉の鎧。引き締まった肉体には余分な脂肪が一切ぶら下がっておらず、盛り上がった胸板と六つに割れた腹筋、太い二の腕は龍が如くも顔負けだ。

 

ごつごつした肉体は、まるで岩の塊。並の攻撃ではびくともしないと誰しもに思わせる、山のような不動の安心感がある。ラムに熊と言われたのも、強ち間違ってはいない。

 

 

「やるか!」

 

 

日々の積み重ねで作り上げた肉体が光るハヤト。気合いの声を上げた彼は両開きの衣装棚を強く開けた。中にあるのは私服、戦闘服、制服の三種類。

 

彼が取ったのは勿論、二番目の戦闘服——上下が真っ白な白の衣。丁寧に畳まれた一式を一度に取り出し、わくわくした様子で衣装棚の扉を閉める。

 

 

「楽しみだぜ! おいおい!」

 

 

戦闘服を手に取って実感が湧いたのか、戦いを前にしたハヤトの口から嬉しさが溢れた。否、明るい顔色からも、戦闘服を着る動作からも、体から溢れる雰囲気からも、それら全てが嬉しさに満ちている。

 

その勢いのまま、彼は縦長の鏡の前で装備を整え始めた。

 

丈の合った真っ白なパンツを股上までしっかり穿()き、緩い腰回りを皮のベルトでキツめに閉める。インナーには適当に選んだ真っ黒の半袖を着用し、その上から下と同じく真っ白の羽織に袖を通す。

 

ひらひらした羽織を黒の帯でキュッと結べば、武闘家カンザキ・ハヤトが世界に爆誕。

 

 

「っし! やっぱこの服着るとテンション上がるな!」

 

 

 鏡の前で格闘の構え。

 

様になりすぎている己の姿に大興奮し、「はっ!」やら「せいっ!」やら「おすっ!」やらと構えを変えながら掛け声を張り上げる。

 

服装としては完全に空手家だ。それも、黒帯の空手家。故郷でも空手で黒帯まで上り詰めた彼の心に染みついた武道の精神は、異世界に来てもなんら変わりない。

 

もっと異世界っぽい格好をした方がいいと言われるかもしれない。そっちの方が世界観に合っていると言われるかもしれない。

 

けど、もしそんなことをほざく奴がいるのなら、ハヤトは鼻で笑おう。

 

 

「どんな場所だとしても俺は俺を貫く。それがカンザキ・ハヤトだ。俺にはこの格好でいいんだ。この格好がいいんだよ。この格好が一番しっくりくンだよ」

 

 

戦いに臨む時は、いつだってこの格好だった。

 

故郷でも、異世界でも、変わらない。自分が本気になって戦う時は、いつも白の衣を身に纏うと決まっている。どんな困難だって、この服と共に切り抜けてきた。

 

戦闘服にしては軽装だと侮るなかれ。この服はあの宮廷筆頭魔導師ロズワールが手を施した特別製。魔術において至高に到達した存在が、巧みな技で『防護の加護』の術式を編み込んでいる。

 

故に、ハヤトのマナが尽きない限りこの服は見た目以上の頑健さを発揮してくれる。マナを貯蔵する体積が大きい、尚且つ、ゲートの質が良く少ないマナの量で魔法を放てるハヤトからすれば鬼に金棒だ。

 

因みに、テンの戦闘服やレムとラムのメイド服も同様の術式が編み込まれているらしい。そんなことを平気でやってのけるロズワール、恐るべし。

 

 

「うし。服は良し。それなら……」

 

 

自分の姿に酔うハヤトが服装のチェックを終えると、次に意識が向くのは相棒となる武器。高揚感に心を躍らせる彼は肩を弾ませながら机に立てかけてある相棒、鞘に収まる大剣を手に取った。

 

柄を含めてハヤトの身の丈といい勝負の鋼の大剣。一振りすれば世界が吹き飛ぶ——わけではないが、ハヤトという怪力が振るえば一騎当千の活躍が大いに期待できる。

 

ショルダーバッグに近い作りをした鞘を背負い、肩に乗っかるずっしりとした重みを全身に感じる。

 

鞘がその作りなのは、いつでも鞘を体から下ろせるようにするため。この大剣は完全に背負った状態で抜刀するには大きすぎる。そのため、抜刀の際には鞘を下ろす必要があるから、この鞘が適任。

 

 

「よろしく頼むぜ、相棒」

 

 

数々の死戦を駆け抜けてきた大剣に声をかけ、ハヤトは歯を見せて凶暴に笑う。鞘に眠る刀身が光った気がした。こちらもやる気は満々。

 

服装よし。大剣よし。となれば、

 

 

「最後に、これだな」

 

 

大剣が立てかけてあった机、その上に布に包まれて置かれた金属製のナックル。ハヤトの本業、体術を用いた至近距離戦闘の際に活躍する格闘武器。

 

これに関しては持ち運び簡単。ベルトフックに引っ掛けるのみ。ちゃんと引っ掛けていれば、どれだけ激しく動いても飛んでいくことはない。

 

 

「これで装備は整えられたよ……な?」

 

 

あらかた装備を整えたところで、ハヤトは今一度鏡の前へ。今の自分に不足がないか、指差しで確認していく。

 

 

「服装よし! 大剣よし! ナックルよし! 他に確認するところは特にねぇ! あったとしても知らねぇ! 大体よぉし!」

 

 

 ——完全武装、完了。

 

 

「おっしゃぁぁーー! いくぜぇぇ!」

 

 

装備が整った瞬間、ハヤトの高揚感は一気に最高潮にまで達していく。何事もまずは形からと聞くが、本当にその通りだと己を鼓舞しながら強く思った。

 

完全武装すると、ハヤトの闘志は毎度のように激烈に燃え上がる。体の内側から外側へと興奮が噴き上がり、体を動かしていないとどうにも落ち着かない。

 

今から、原作二章における最大の敵と戦い(会い)に行く。

 

これだけで戦闘に飢えた血が騒ぐ。ここ数日間ずっと頭ばっか使っていたから、体を動かしたいと思っていた。

 

なら、すぐに行こう。既に、事が起きているかもしれないのだから。テンと共に戦えないのが残念で仕方ないけれど、レムがあの調子なら仕方ない。

 

 

「お前は恋人にでも集中しとけや。こっちのことは俺に任せてな」

 

 

腰に巻いた黒帯をキュッと締め直し、拳をグッと握りしめる。戦場は自分に任せてお前は恋人に意識を注いでやれよと思いながら、覚悟と決意を新たにして。

 

元より、スバルのことで色々と我慢させていたレムの相手はテンに丸投げしていたから、そういう意味では彼の戦場はあそこだ。

 

 ——今頃、テンかレムの部屋のどちらかで、レムの喘ぎ声が響いているだろうか。

 

 

「アイツも、本当に男らしくなったな……」

 

 

ふと思い、ハヤトは異世界に飛ばされてからの親友の成長に感慨深い気持ちになる。色々な方向で男らしくなってくれて純粋に嬉しい。

 

 

 ーー推し=好きってわけじゃないだろ。俺なんかじゃ釣り合うわけないよ。会えただけでも充分満足できる。

 

 ーーレムにはもうその相手はいるから。俺が入る隙なんてないよ。

 

 ーー俺はお前みたいに自信の持てる人間じゃねーっつってんだろ! 俺なんかが強くなれると思うのか!? 俺はお前とは違うんだよ!

 

 

異世界召喚直後、ひ弱だった頃のテンの言葉だ。

 

あの頃のテンと今のテン、比べた時の違いは一目瞭然。別人だ。この世界で得た様々な経験を通して彼は成長し、男として完成しつつある。

 

あのレムに、嫁にしたい二次元キャラランキングにおいて必ず五本の指に入るレムに、セックスを求められるくらい成長するとは思わなかった。普通に羨ましすぎる。全レム推しの夢だ。自分はフェルト推しだが。

 

まったく、嬉しい誤算。あんな男が親友で誇らしいことこの上ない。親友になれて本当によかった。

 

 

「おし! 行くか!」

 

 

 気合い十分。

 

拳を手の平に合わせ、ハヤトはついに歩き出す。

 

自分は自分の戦場を、テンはテンの戦場を、共に駆け抜けよう。今この瞬間に命を燃やし、魂のあらん限り死力を尽くそう。

 

場所こそ違えど、自分たちの見据えるものは同じなのだから。いつもは真反対でも、こういうときはまったく同じ方向を見るのだから。

 

体は軽い。足取りも軽い。恐怖はない。楽しみしかない。まだ見ぬ絶望に立ち向かうというのは、自分にとってそういうものだ。

 

 

「いざ、戦場へーー!」

 

 

ぎらぎらした笑みに表情を染め上げられたハヤト。彼は扉のドアノブを強く握り締め、(いくさ)に飛び込む気分で扉を思いっきり押し開き、

 

 

「——そんな武装して、どこに行くつもりなのよ」

 

 

 初っ端から、出鼻を挫かれる。

 

扉の先にあったのは廊下ではなく、本だらけの世界。見渡す限り本で埋め尽くされた、一人のための世界。

 

その世界を禁書庫だと頭が勝手に認識したハヤトの目の前には、禁書庫の番人である存在が堂々と待ち構えており、

 

 

「なにをするのか知らないけど、とりあえず全部ベティーに話すかしら」

 

 

澄ました顔をしたベアトリスが、全てを見透かしたような目で、じっとこちらを見つめていた。

 

 

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