少しでも望む未来へ   作:ノラン

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甘えは許さない

 

 

 

嫌味を前から後ろへ受け流したロズワールがハヤトたちと合流すると、ロズワール邸の住民が禁書庫に完全集結。

 

馴染みのある面子(めんつ)が一箇所に揃ったことで、テンの悲鳴から始まった悲劇は本腰を入れて幕を開けようとしていた。

 

 

「この場に(みな)を呼び寄せたのはテン君、君の悲鳴だーぁから、状況を説明は君にしてもらおう。——なにがあったんだい?」

 

 

なにをするにも状況確認。話の取っ掛かりを切り出すロズワールがそう言って、目の前にいるテンに会話の主導権を投げた。

 

赤く腫れた目から溢れる涙を手拭いで拭き取り、「ありがと」と一言添えながらエミリアに返すテン。「どーいたしまして」と微笑む彼女から返事を受け取りながら彼は鼻を軽く啜り、

 

 

「さっき、部屋でレムと一緒にいるときに呪術に掛けられてたのを見つけたんです。それで、ヤバいって思って無我夢中でベアトリスを呼びました」

 

「ほう」

 

 

含みのある声を溢し、ロズワールは青と黄の目を細めた。値踏みするようにじっくりこちらを見据える双眸の中に疑心の色が僅かに漂い、心を覗き込もうとしているのが分かる。

 

レムのことしか見えていなかったテンからすれば厄介な相手。解呪してから後のことをなにも考えていなかった彼は、頭の中で真実と嘘を混ぜたそれっぽい説明文を作ることと喋ることを並行して行いながら、

 

 

「レム、ちょっと右手出して。噛み傷をみんなに見せてほしい」

 

 

顎を引くように頷くレムが右手を上げる。全員に見える高さまで噛み傷を持ってくると、テンは手首の下あたりにくっきり残る歯形を指差した。

 

まだ成長途中の獣、ぱっと見だと子犬に噛まれたように思える痕。自然、話を静かに聞く面々がその傷痕を覗き込むのを正面に、

 

 

「この傷痕が呪術の原因。多分これ、ウルガルムのものだと思います。思いますっていうか、呪術が刻まれてたので断言します。ウルガルムのものです」

 

「ウルガルム……?」

 

 

口にされた魔獣の名を意味深に呟き、エミリアが困惑げに小首を傾げる。思考の海に潜って考え込み出し、口元に手を当てて視線を斜めに下げ、床と睨めっこ開始。

 

ウルガルムが呪術を扱えるのは常識だ。対象に噛むことで術式を刻み、発動することでマナを摂取し、力を蓄える。その餌食となった対象は生命力を奪われ、最終的には死に至る。

 

厄介この上ない話だが、ウルガルムとはそのような呪術を本能的に扱える魔獣。魔法や呪術を扱えるのは人間の特権——そう思っているのなら大間違いだ。

 

残念なことに、この世の生きとし生けるもの全てにマナは備わっている。人間がマナを利用するのなら魔獣も同様。魔法そのものを使う個体だって存在する。

 

それを知らないエミリアではない。彼女を困惑させるのはもっと別の——–。

 

 

「なぜ、この噛み痕がウルガルムのものだぁと言える?」

 

「過去に俺が噛まれたのとそっくりだったんですよ」

 

 

思考が深まるエミリアを他所に、話し合いは進んでいく。

 

疑問を一つ一つ丁寧に投げかけてくるロズワールの目と真っ直ぐ向き合い、テンは「覚えてますよね?」と繋げて、

 

 

「いつだったか、ウルガルムがうじゃうじゃいる魔獣の森に、俺とハヤトを放り込んだ日がありましたよね。中間試験だとか言って、死んでもおかしくない場所に眠らせて運んで捨てた話」

 

「そのときに噛まれた傷痕と、レムにつけられていた傷痕がひどく似ていた。と」

 

「はい」

 

 

話の流れを予想して言葉を継いだロズワールに、テンは短く頷く。「そんなこともあったな」と、思い出すハヤトのしみじみとした声が二人の間を通り抜けていった。

 

事実が半分、嘘が半分。今のは二つを混ぜて即興で作った擬似作り話。噛まれたのは本当だけれど、成長体で大型のウルガルムだ。小型と接敵しなかったわけではないが、噛まれてはいない。

 

顎に手を当て「ふーぅむ」と息を溢すロズワール。「あれは武勇伝だぜ」と女性陣に語るハヤトとは違い、平然と嘘をつけるテンの感情が読めない無の顔つきに「なるほどねぇ」と、

 

 

「違う可能性があったかもしれないのに、かい? 自身が過去につけられた傷痕とそっくり——ただそれだけの理由でレムに呪術がかけられていると断定し、君はあーぁんなにもベアトリスの名を?」

 

「違ったならそれはそれ。違っても、そうでなくても、少しでも早く確認する必要があった。違ったら人騒がせだと怒られる、そうじゃなかったら今みたいになる。どっちに転んでも悪い事態は避けられる」

 

 

「違いますか?」と。

 

反論された量だけ反論し、テンはその顔のまま淡々と言い切る。レムはテンの事となると途端に視野が狭くなりがちだが、逆もまた然りだった。

 

笑い話になるか、真剣な話になるかの違い。それだけならば、あの瞬間のテンの行動は一択に絞られていた。自分が怒られるか、レムの命を救えるか、天秤にかけるまでもなく、

 

 

「俺は、俺の大事な人のためだったらなんだってしますよ。勘違いであったとしても、それでその人の命が助かるなら喉が張り裂けるくらい叫んでやります。命の危険、その可能性が少しでもあればね」

 

「お前、成長したな。そんなこと言えるようになったのか」

 

「俺なんか。が口癖のテンテンがね」

 

「そんな……俺の嫁のためだったら、だなんて照れます」

 

 

緊張感のない野次が飛んできて、カッコつけたわけでもないテンの無の顔つきが羞恥に歪む。ロズワールも今の発言には思うところがあるのか、子の成長を見守る親のような目である。

 

そこまで過去の自分が情けなく見えていたのかと聞きたくなる反応。人が真面目に話していたと思えばすぐこれ。抱きつくなと言っておいて、レムが擦り寄ってきた。

 

成り行きを見守るベアトリスはともかく、先程から深く考え込むエミリアが気がかりなテン。彼女のことも視野に入れつつ彼は「こほん」と咳払い、緩んだ糸をピンと張り直し、

 

 

「俺の行動に納得してもらえましたか?」

 

「君がレムを本気で愛していることに納得した」

 

「納得してほしいのそこじゃない」

 

「いやはや、愛とは素晴らしいものだねーぇ。普段から物静かな君をあれほど荒れ狂わせるとは、実に難儀なものだ。でーぇも、そのお陰で中々に面白いもーぉのが聞けた」

 

 

これまでの経緯を聞き、状況を把握したロズワールが手で口を押さえながらくつくつと笑う。可愛がる教え子の新しい顔を見て、柄にもなく嬉しがる心を感じた。

 

別の部分で納得されて不満の声を溢すテンにニヤニヤした笑みを浮かべると、『俺の大事な人』の部分を頭の中で『俺の嫁』、に変換して恍惚とした顔をするレムに視線を移し、

 

 

「幸せにしてもらいなさい。こんな子、簡単に見つかるものじゃぁない」

 

「はいっ。ロズワール様」

 

 

レムとラムを娘のように可愛がっているロズワールが正しく親の顔をしながら言うと、声を弾ませたレムが笑みを咲かせながら頷いた。

 

レムに向けられた親の顔。当然、彼女の真横にいるテンはその巻き添えを食らうわけで。むず痒いものを感じ、気恥ずかしいといった具合で喉を低く鳴らす。

 

「とにかく」と流れを断ち切り、

 

 

「これがここまでの流れです。理解してもらえましたか?」

 

「君の愛の深さは」

 

「ロズワール!」

 

「はいはい。理解したよん」

 

 

どこまでもふざけようとするニヤけ面に強めに言い聞かせると、ロズワールが降参するように両手を上げた。真剣な声色を聞き、引き際だと分からされたらしい。

 

ため息し、自分の周りには呑気な人しかいないのかとテンは思う。その緊張感の無さが心に余裕を与えてくれているから、あまり強く糾弾することはできないけれど。

 

ともあれ、状況説明は済んだ。原作知識を使うと必ず起こる『絶対に知らないことを知っていること』の帳尻合わせが完了したのなら、次にやることは一つ。

 

 

「それじゃぁ」

 

「でもそれって、変じゃない?」

 

 

話を次に進めようとしたところで、横から声が割り込んでくる。唐突に声を出して全員の視線を一挙に浴びるのは、これまで深く考え込んでいたエミリアだ。

 

ようやく思考の海から上がったエミリア。紫紺の瞳でテンを見つめる彼女は、恋人繋ぎで繋がれたテンとレムの手にチラチラと目が揺れながらも、

 

 

「ほら、魔獣って結界のお外には出て来れないでしょう? なのにどーして噛まれちゃったの? もし、レムが魔獣の森に入ったのなら話は別だけど……。でも私、()()レムが一人で森の中に入るようには思えないの」

 

「確かに……、エミリア様のおっしゃる通りね。こちら側から結界の中——森の中に入らなければ、ウルガルムに噛まれるようなことはまずない。なのに噛まれたのは不自然」

 

「結界の中に入らなければ、かしら」

 

 

後ろ二人の考えと真逆の意見を持つベアトリスがレムに疑いの眼差し、蝶を宿す双眸で見据えた。前科があるからすぐに言い返すことができず、レムの表情が曇る。

 

エミリアとラムが言いたいのはつまり、結界を越えれるはずのないウルガルムに噛まれるのはおかしいということ。わざわざ結界の中に入る用事もないだろうし、あるのなら自分らに話しているはず。

 

独断で結界の中に入る。それがどれだけ危険なことか、魔女教騒動の際にレムは身を以て知ってる。だから尚更、二人には噛まれた理由が分からなかった。

 

 

「考えるよりも本人から直接聞いた方が早いだろ」

 

 

同じ失態をやらかしたのではと疑うベアトリスの肩を一度だけポンとたたき、張りのある声で言ったのはハヤト。

 

通りのいい自分の声が禁書庫に響くのを聞きながら彼は腕を組み、

 

 

「レム。その傷はどこでつけられた?」

 

「アーラム村です。今日のお昼頃にお買い物に訪れた際、不意に向かってきた子犬に噛まれてしまったときに」

 

「は?」

 

 

返された返答に素っ頓狂な声を出し、口が「は?」の形になったままハヤトが目を見開く。テン以外の面々が同じく驚いているが、彼が驚いた理由はそれらとは違う。

 

 それは、

 

 

「お前、村に来てたのかよ。言えよ」

 

「言う必要がないと判断しましたので。あのときのハヤト君、あの女の対応で忙しそうでしたから。下手に声をかけるのもお邪魔になるかと」

 

「いや、顔くらい出せよ」

 

「そんなこと今はどーでもよくない? もっと意識しなきゃいけないことが今の発言にあったでしょ」

 

 

突っかかろうとするハヤトを一言で黙らせ、テンは脱線しかけた話を強引に戻す。差し詰め、ハヤトと一緒にいるであろうスバルに会うのが嫌だったんだろうな程度で完結し、本題に移った。

 

レムが死ぬ恐怖の余韻が引いてきたからそろそろ手を離そうとして、嫌がったレムにぎゅっと強く握られながら、

 

 

「今のはつまり、みんなが外を出歩くお昼時、村に侵入したウルガルムが普通にうろちょろしてた、ってことになるよね。それってヤバくない?」

 

「ヤバい、なんてもんじゃないのよ。結界の効果の有無が魔獣の侵入に直結してるとすれば、少なくとも今日の昼頃には既に、結界が切れてることになるかしら。つまり」

 

「こんだけ時間が経ってんだからいつ侵入されててもおかしくない、ってか」

 

 

ベアトリスの推測から察したハヤトが深刻な声色で言葉を繋げると、ベアトリスは落ち着いた声色で「そうかしら」と頷いた。

 

その反応を受けたレムが「レムがあのとき……」と後悔しながら下唇を噛み締め、息が喉に詰まったように驚愕したエミリアの表情が青くなる。ロズワールとラムは動じず冷静だ。

 

事態の深刻さが明らかになった瞬間、一度に反応を見せた面々。それらを見るテンは「うん」と一人で頷き、

 

 

「なんにしても、今は一秒でも早く行動を起こさないと。今こうしてる瞬間にも動いて、村に向かわなきゃいけない。そんくらい差し迫ってると思う」

 

 

事は一分一秒を争う。そんな言い草で言ったテンに反対の声は出ない。

 

本来ならここで、夕方に結界の無事を確認した自分がその報告をするべきだとハヤトは思うが、円滑な話し合いを求める彼は敢えて触れない。

 

論議すべきはそこではないのだ。今は、とっととこの場を終わらせて村に向かうのが最優先事項。なら、話を合わせることだってやる。

 

ハヤトが言わないのならテンも触れない。親友の意思を酌んだ彼は誰もが最悪の事態を想像する中、この場の顔ぶれを見渡すと、

 

 

「どうする? 誰が出る?」

 

「俺は行く。テンも絶対だ」

 

「でしたらレムも行きます」

 

「私も行く」

 

 

胸を叩いたハヤトがテンを巻き込んで出撃メンバーに志願すると、レムとエミリアが条件反射のような速度で続いて志願。ほぼ同時に声を上げ、テンに苦笑いさせた。

 

そんな光景を横目にラムはロズワールを見て、

 

 

「いかがされますか?」

 

「私は屋敷に残ろう。万が一、これが王都で徽章騒動を引き起こした者と繋がりのある者による事態だとすると、屋敷に刺客を寄越してもおかしくないかーぁらね」

 

 

 ーー白々しいな、この人

 

 

真面目な顔して言ってくるロズワールに嫌悪感を抱いたテンの心の声。この事態が誰による者であるか知っている彼にとって今の発言は吐き気しかしない。

 

真顔の裏で唾を吐くテン。彼がなに考えているか読ませない顔でロズワールを見ているのを視界に捉えながら、ラムは「では」と、

 

 

「ロズワール様がお残りになられるのでしたら、ラムも残ります」

 

「いーぃや、ラムも村に行きなさい。人手は多い方がいいだろうしねぇ」

 

「ですが」

 

「命令だ」

 

「承知いたしました」

 

 

食い下がろうとするラムを命令の一言で宥め、ロズワールは口を閉じる。基本、ロズワールの言葉が絶対である彼女にとって『命令』という言葉は絶大だった。

 

一秒前の態度を刹那で引っ込め、澄ました顔になるラムが綺麗に頭を下げる。そうなれば、出撃の有無に名が上がっていない最後の一人に自然と視線は集中するわけであり、

 

 

「………なにかしら」

 

「お前も来い」

 

「嫌かしら」

 

「担いで連れてくぞ」

 

「そこまで連れて行きたいのかしら!?」

 

 

出撃拒否の姿勢を一番に表明したベアトリスが全身を使って大袈裟に驚く。否定を否定されるとは思っていたが、担いで連れて行くと言われるとは思わなかった。

 

この場合、ハヤトに任せる方向で二人を除いた全員が静観に静まる中、ハヤトがベアトリスの目の前で腰を下ろす。真剣な顔つきになりながら目線の高さを合わせて、

 

 

「なにが起こるか分からねぇ。王都みたくヤベェやつと戦うことだってない話じゃねぇ。なら、お前を連れていかねぇ理由(わけ)なんてねぇよな?」

 

 

なんせ、目の前にいるのはあの大精霊ベアトリス。過去に一度、彼女と共にドラゴンを討伐したことのあるハヤトにとってテン以上に心強い存在——になりつつある大魔法使い。

 

味方として不足なし。下手したら彼女一人で戦いが終わってしまうのではとすら思える。実力に関して言えば、この世界に存在する精霊の中で五本の指に入ると言っても過言ではないだろう。

 

 

「あの戦いから大体……一ヶ月か? 無くなった分のマナ、どんだけ貯められたよ」

 

「貯めてた分の二割にも及ばないかしら」

 

「どんだけ貯めてたんだよ」

 

「貯蓄を数分で使い果たさせるあの魔獣が悪いかしら。勿論、それだけに限った話じゃない、他にも貯蓄を削り取る要因はあの夜にたくさんあったのよ」

 

 

あの夜とは、先程にも出てきた魔女教騒動のことを指す。ハヤトが棺桶に片足を突っ込み、テンが寝転ぶところまで死にかけた最悪の夜。

 

その日に大活躍したベアトリスは、代償として貯蓄していたマナをほぼ全て使い切った。そのため、使った分を取り返そうとハヤトからちょこちょこマナ徴収しているが、現状はそんな感じだ。

 

全体の二割にも及ばないとなると、あの夜のような無双は期待できないか。攻守に優れ、治癒も可能とし、瞬間移動すらなし得る大精霊ベアトリスの真骨頂は。

 

 

「だが、お前も来い」

 

「だから……」

 

「お前が必要なんだよ」

 

 

言った瞬間、ぱっと目を開いたベアトリスの体が動揺に五センチほど飛び跳ね。ぎょっとしたテンの気管に唾液が飛び込み、()せたせいで「ごほごほ」と咳き込む。

 

お前の力が必要なんだよ、の間違えじゃないか。舌足らずにもほどがある。無自覚タラシ野郎か。勘違いされても仕方ない。いや、もうされてる。

 

そんなことを思うテンが雰囲気を邪魔しないよう輪の中から離れて遠くに行くのを気にせず、立ち上がるハヤトはこちらを見上げるベアトリスの目を一直線に見つめ、

 

 

「力を貸せ、ベアトリス。——俺と来い」

 

 

 手を伸ばす。

 

この手を取れと言わんばかりに伸ばされた手は、掴んだ存在の全てを掻っ攫ってしまいそうな強引さがあって。でも、この手を優しく包んでくれそうな温かさがあって。

 

力強くも優しい目。そんな目に情熱的に見つめられてしまうと、ベアトリスはどうしても胸の高鳴りを自覚せずにはいられない。精霊である自分には高鳴るものなどないのに、うるさく聞こえる。

 

ならば、この高鳴りの音は一体どこから。分からない。分かるにはきっと、自分からこの男に歩み寄るしかないのだろう。分かった瞬間が、自分が真に変わるときだと思うから。

 

 思うから、

 

 

「ふ、ふん! お、おお、お前がそこまで言うなら。か、かっ、かかか貸してやってもいいのよ」

 

「お、そうか! ありがとよ!」

 

 

ごつごつした手の中に華奢な手が収まり、閉じられる。見かけに反して優しい握り方をされたベアトリスの頬がぽっと紅くなり、結んだ口の中で「こひゅっ」と声にならない声が弾け飛んだ。

 

この手を握ることにどれだけの覚悟がいるか、満足した顔で笑うハヤトは知らない。そして、この手を掴んでくれたことがどれだけ嬉しいか、ベアトリスは知らない。

 

 

 ーーなんか、既視感あるなぁ

 

 

その絵面がどうしても『俺を選べ』と重なってしまうテン。噎せた状態が落ち着いた彼は輪の中に加わり、息を吐きながら静かに絶望する。

 

伸ばされた手を掴むことがどれだけすごいことか、ベアトリスが禁書庫の外から出ることがどれだけすごいことか、ハヤトは分かっているだろうか。

 

多分、ベアトリスにその手を掴まさせるハヤトがイカれてるだけだろう。また一つ、名シーンが消えた。自分がレムとエミリアに恋されてるだけで名シーンが悉く消えてるのに。

 

ともかく、将来的に契約関係になるであろう二人の話はこれでまとまった。

 

 となれば次は、

 

 

「エミ」

 

「テンくん。少しだけいいですか?」

 

 

エミリアに焦点を合わせようとした寸前、繋がれた手を軽く引っ張られてテンの意識が横に逸れる。そのまま輪の中から静かに外れて、少しだけ遠くへ移動。

 

半分だけ名を呼ばれたエミリアを除き、全員の意識がハヤトとベアトリスに注がれる今。レムは声量を抑えてひっそりとした様子になりながら、

 

 

「その、申し上げ難いのですが……」

 

 

言葉を切り、繋いだ手を引き寄せる。テンの体を自分の方に傾けさせると、その耳元に口をそっと近づけ、

 

 

「実は今、レムは下着を着ていなくて」

 

「ーーーー。いつでもヤれる格好なのね」

 

「いつでもヤれる格好なのです」

 

 

衝撃の事実に絶句し、数秒だけ言葉を失ったテンにレムが包み隠さず正直に言った。双方、誰にも聞こえぬようにヒソヒソ声である。

 

ちょっと違和感に思っていたことが解消されて、テンは変に納得。女の子というのは服の上から恥部を擦り付けてあれほど感じるのか——と、思っていたけど理由があったようだ。

 

今、レムはネグリジェの下になにも着ていない。薄い布一枚を脱げば一糸纏わぬ———。

 

 

「なら、今すぐ着替えてきて。その格好じゃできることもできないでしょ」

 

 

よからぬ想像ををして下半身の一部が盛り上がる予感を感じ、テンはその場でしゃがみ込む。曲げた両膝に手を置き、昭和ヤンキースタイルの踵を上げるバージョン。

 

当然、なにを思ってしゃがんだのかレムに分からないわけがない。クスッと笑む彼女はテンの肩に手を置くと隣にしゃがみ込み、

 

 

「想像、しちゃいましたか?」

 

「しないと思う?」

 

「大きくなりそうですか?」

 

「お願いだからこの場ではやめて」

 

 

妖艶スイッチが四割ほど入ったレムの表情がふっと艶やかなものに変わり、視線がテンの股付近に落ちる。どこを見ているのか容易に想像がついて、テンの頬が引き攣った。

 

自分の恋人が場所を考えられない人だとは思いたくない。だけど、そんな風に思ってしまう自分を心の端っこに追いやると、暇な片手で手刀を作り、レムの頭をコツンとたたく。

 

「あぅ」と。口から漏れた可愛らしい苦鳴を聞きながら、

 

 

「それをするのは二人っきりのときだけね。いいから早く、着替えてきて。多分、レムが着替え終わる頃には俺ら、屋敷から出てると思うから」

 

「準備でき次第、村に駆けつけます」

 

 

盛り上がりの予感が過ぎ去ったテンと一緒に立ち上がり、妖艶な表情を引っ込めると、すぐ真剣な顔つきになってレムは言う。流石の彼女も時と場合くらい弁えられた。

 

でも、これくらいはさせてもらおう。そんな風にテンの胸に抱きつく。それから、いつものようにその中から世界一愛しい恋人を見上げて、

 

 

「無茶も無理も、絶対にダメですからね。もう二度と、傷だらけのテンくんは見たくないですよ」

 

「分かってる。心配しないで」

 

 

身を案じてくるレムの不安がる目に微笑みかけ、テンはレムを抱きしめる。もしかすると戦いになるかもしれない、そう思うだけで心配が止まらない恋人の心を落ち着かせた。

 

たっぷり五秒、温もりを贈る。その時間が過ぎると繋いだ以降からずっと握り合っていた手を離し、胸からレムを送り出して、

 

 

「じゃ、村で会おう。道中、気をつけてね」

 

「はい。テンくんも、お気をつけて」

 

 

それが、最後のやり取りだった。

 

駆け出し、テンから離れていくレム。止まると振り返ってしまいそうだから、ハヤトたちの横を通り過ぎても止まることはなく、彼女は禁書庫の外へと消えていった。

 

 

「レムのやつ、どうしたんだ?」

 

「あの格好じゃ動きにくいから着替える、ってさ。部屋にでも戻ったんじゃない? だから、村で合流する形になる」

 

 

輪の中に戻ってすぐに聞かれたハヤトの問いに簡単に返すと、テンは一息つく。直後、無言で真横に陣取ってくるエミリアの存在に気づいた。

 

ちょっと不満そうな目。いや、ちょっとじゃなくてかなり不満そうな目。少しでも動けば肩が触れる距離、ここが定位置だと言わんばかりの場所に身を置くお嬢様はご立腹らしい。

 

先程のやり取りを見られていたのは知っていたから覚悟はしていた。が、行動を起こす速度が相変わらず尋常じゃないことにやや驚きつつ、

 

 

「待ってて。って言っても、どーせついてくるんでしょ?」

 

「もちろん。流石テン、私のことよく分かってる。私もテンのことよく分かってるけどね。レムよりも」

 

 

幼く張り合い、当たり前に言って嬉しそうに笑むエミリアに「はぁ」とため息し、テンは頭痛でもしたかのように頭に手を当てる。

 

今のやりとり一つで会話の焦点が向けられ、全員の視線が自分らに集中したのを感じ、

 

 

「どーしても来たい? ってのは愚問?」

 

「あのとき、みんなのことを心配する私をお屋敷に一人で待たせてすごーく不安にさせた挙句、死んじゃいそうになって帰ってきて、もーっと私を不安な気持ちにさせたのにまだそんなこと言うの? そのあと一週間くらい眠り続けて、もう二度と起きないんじゃないかって私のこと寂しがらせて怖がらせたのに、けろっとした表情で起きてくるんだもの。私にあんなことさせたのだってテンのせいだわ。テンが悪いんだ。テンが勝手なことばかり言うのが悪い。私がテンのことどんな気持ちで見送ってるかなんて知らんぷりなんだもん。なのに」

 

「エミリア様、それ以上はご容赦なさってください。テンテンが過呼吸で死にます」

 

「え?」

 

 

不満を語り出すと途端に饒舌になる自分をラムに止められ、はっとして横を見る。ついさっきまでいたテンの姿はなく、違和感に思って足元を見ると床に腕をついて倒れる彼の姿が見えた。

 

テンからすれば今のは、鋭いナイフで無抵抗なまま滅多切りにされたようなもの。エミリアの一言一言が凄まじく威力のある斬撃で、精神的に追い詰められた心が(いと)も容易く沈む。

 

立ち上がり、荒れた呼吸を整えるテン。エミリアはそんな彼の胸に身を押し付ける。その動作、まるでついさっきのレムを真似るように。その中からテンを見上げるのも同じで、

 

 

「あんな思いするの、私だって嫌。私はテンに守られるだけの女の子なんかじゃないもの。確かに、テンは私を守ってくれる私だけの騎士(もの)だけど」

 

「もの?」

 

「だからって守ることだけに固執してほしくない。私だって、ちゃんと戦えるんだからね。テンの苦しむ姿が見たくないの、レムだけじゃないんだから」

 

 

決意みなぎる目で言い切り、エミリアは絶対に置いていかれないことを断固として表明する。その心にこの意志を強く刻むつもりのゼロ距離で堂々と。

 

生憎と、テンはそれどころではない。知らないうちにエミリアに所有物にされていた事実が不意にも発覚し、軽く戦慄。他の面々もニヤけ面が一人、あとは苦笑か真顔。

 

本人は自身が口にしたことの異常性に気づいていないのだろう。服をぎゅっと握る彼女は意地っ張りな態度でムッとして、

 

 

「私も行く。行くったら行く」

 

「分かった分かった。でも、その服装でくるのはやめて。戦いになるかもだから、動きやすい服装できて」

 

 

なにを言っても無駄だと悟ったテンが降参する。白旗を上げた彼に表情をぱぁっと明るくするエミリアは「うん!」と元気溌剌に頷き、

 

 

「着替えてからすぐ村に向かうわ!」

 

「あ、ちょ、待って! 道中、気をつけるんだよ! あと、できればレムと一緒に来ること!」

 

「分かったーー!」

 

 

思い立ったらすぐ行動、善は急げなエミリアが駆け出す。テンの忠告を背に受けながら走り出し、今頃大急ぎで着替えているであろうレムと同じく、禁書庫から出て行った。

 

そうして少女二人を送り出したテンが「ほぅ」と、何百回目かの息を吐く動作をする。過労でぶっ倒れないか心配になるそれを見ながらハヤトは「おし!」と拳を合わせ、

 

 

「決まることは決まったことだし、そろそろ俺らも行くとするか!」

 

 

色々と言いたいことはある。けれど、呑気に言ってられる状況でもないのが現状。今の話し合いでかなり時間を取られてしまったから、決まったのなら今すぐにでも出る必要がある。

 

異論の声はない。無言を肯定だと受け取ったハヤトが禁書庫の扉へと歩き、屋敷の玄関扉と繋げるから待てとベアトリスに止められるのを聞きながら、ラムはロズワールに頭を下げ、

 

 

「では、ロズワール様。ラムたちはアーラム村に行って参ります。どうか、お気をつけて」

 

「問題なーぁいよ。万が一のことがあれば、この私(みずか)ら相手となろうとも」

 

 

テンとしては、そうなってくれた方が簡単に事が解決するから嬉しいなと思う。しかし、この騒動の主犯が誰であるか知っているから思うだけ無駄であった。

 

知らなくていいことまで知っているせいで色々と複雑な気持ちになるテン。この先、この道化とどう付き合っていこうかと頭の片隅で考えていると、ふと、その道化に目を向けられていることに気づき、

 

 

「アーラム村でのことは君とハヤト君に任せる。なにかあーぁれば、そのときは二人の独断で動くといい」

 

「承知いたしました。……じゃ、行って参ります」

 

 

特に長話をするつもりはない。整った動きで一礼するとロズワールに背を向け、ラムを連れて走り出す。二人が向かう先にあるのは、屋敷の玄関扉と繋がった禁書庫の扉。

 

たった今繋ぎ終わったらしく、開かれた扉の奥に広がる景色は、玄関扉を開けた時のものと全く同じだ。奥の方にロズワール邸の正門が見える。

 

扉へと向かう最中、テンと並走するラムは隣の男の軽装すぎる寝巻き姿を一瞥し、

 

 

「脳筋は完全武装してるようだけど、テンテンはいいの? 武器くらいあった方がいいとラムは思うけど」

 

「武器は二つとも、レムに没収されてるから無い。なんかあっても素手で戦うよ」

 

「やれるの? あの日からずっと動いてないのでしょう?」

 

「だいじょーぶ。この一ヶ月で鈍った感覚、ちゃんとクルシュ邸(向こう)で取り戻してきた」

 

 

そんな会話をしているうちに、二人は扉の前で待機していたハヤトたちと合流。

 

勢いそのまま扉を通り抜けて外へ出ると、それを出撃合図と受け取ったハヤトもベアトリスと共に扉を通り抜け、屋敷の外へ飛び出す。

 

玄関前にある階段をひょいと飛び降り、揃った動きで石畳に着地。地を蹴り上げて前へ飛び出し、そこから先はアーラム村へと一直線。

 

 

「頼む。頼むから無事でいてくれよ、お前ら。すぐ行くからな」

 

 

縋るように思いを口にし、心に積もる不安と焦燥を気合いで押さえ込みながら、ハヤトは頼れる仲間と共に全速力で村へと向かっていく。

 

きっと大丈夫、みんな無事であるはずだ、無事でないわけがない。そんな甘い言葉を自分に言い聞かせながら、ただひたすらに駆けていった。

 

 そして———。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 ——村に到着したハヤトを出迎えたのは、魔獣に食い散らかされたスバルの死体だった。

 

 

 

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