少しでも望む未来へ   作:ノラン

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前作0章の終盤、『空白を歩む覚悟』より一部抜粋。(ちょっと長いです)



「未来は、捻じ曲げるもの。結末は、覆すもの。運命は、変えるもの。この言葉をその心に刻んどけ。テメェが何のために戦うのか、その意志を常に心の中で燃え盛らせろ。それが、原作の知識を持った俺らの誓いだ」
 
 
ハヤトはそう言い「いいな?」とテンに拳を突き出しながら、
 
 
「俺と、お前で。最悪をひっくり返すぞ」
 
「うん。レムは絶対に助ける」
 
「レムだけじゃねぇ。みんなだ。悲劇に朽ちるはずの人達、全員を助けるぞ」
 
 
 コツン、と。
 
伸ばした拳にテンの拳が伸び、そんな音を小さく立てながら誓いが交わされる。元から覚悟を決めているハヤトと、ようやっと覚悟を決めることができたテンの二人が、決められた未来に抗うと互いに表明し合った。
 
自分達が原作に働きかけ、改変したことであるべき展開が大きく変わり、そこから先が自分達の知らない真っ白な状態——空白になろうが関係ない。
 
捻じ曲げたい未来がある。覆したい結末がある。変えたい運命がある。だから恐れはしない。空白だとしても、そこに自分達の物語を刻みながら歩んでいけばいい話。
 
運命様上等、望むところだ。筋書きなんていくらでも書き換えて、原作よりも良い状態の物語を描いてやろうじゃないか。
 
それは、この世界で歩む自分達が、自分達の手で描き続ける物語。『Re:ゼロから始める異世界生活』なんて名前の物語ではない自分達の、自分達だけの物語だ。


 以上。





最悪の最悪

 

 

 ——頭の中を真っ白に支配されるのは、もううんざりだった。

 

 

目の前に広がる光景に絶句し、言葉を失ったハヤトは立ち尽くす。心を貫通した衝撃を受けた瞬間の体勢、「は?」の口のまま動きを止め、自分という存在から時間の概念が奪われる。

 

受け入れ難い事実に殴りつけられ、なにもできずに棒立ちになるのはこれで何度目だ。理解の許容値を簡単に越え、無理解な出来事に立ち会うのはこれで何度目だ。

 

それはこの世界に来てから数多と経験して、その度に乗り越えてきたはずだ。俺ならやれる、俺なら頑張れる、俺ならどうにかできる、と。そうやって親友と踏ん張ってきたはずだ。

 

 なのに、それなのに———。

 

 

「ーーーー」

 

「………ハヤト」

 

 

脱力し、色褪せた表情で立ち尽くすハヤト。珍しくその名を呼び、彼の手をそっと握りしめるベアトリス。二人の足元には、変わり果てたスバルの死体が転がっていた。

 

ほんの数時間前まで溌剌としていた少女は、もはや人間としての形を保っていなかった。

 

全身に深々と刻まれた噛み傷の量は目も当てられぬほど夥しく、歯形に穴が空いた皮膚の下からドス黒い血が滾滾と漏れ出し、今もなお血の海を作り続けている。

 

爪で無理やり引き裂かれた痕が残る四肢は原型が消えるまでぐちゃぐちゃに抉られ、左脚は膝から下が無い。その原因が刃物で一刀両断されたわけではないことなんて、容易に想像がつく。

 

噛み倒し、噛みちぎったのだろう。爪で、牙で、皮膚という皮膚を引き裂き、肉という肉を噛み砕き、余すことなく尊い命を蹂躙したのだ。

 

無抵抗な少女に何匹も群がり、惨たらしい姿に変えた連中が残酷な死を強要する——一体、そんなことをされる罪がこの少女のどこにある。

 

その表情すらも、引っ掻き傷だらけで見ることは叶わない。死ぬ間際のスバルが何を思い、どんな顔をしていたのか、助けられなかったハヤトには見る権利すら与えられていなかった。

 

誰がこんなことを。考えるまでもない。顔を上げたハヤト。その視線の先に主犯の姿がある。

 

 

「ーーーー」

 

 

 ——村人たちの死体を食い散らかす、何十匹ものウルガルムの姿が。

 

村の正門の真下で肉塊も同然に変わり果てたスバルと、正門前に広がる広場を埋め尽くさんばかりに転がる村人たちの死体。そして、それらを無慈悲に喰らうウルガルム。

 

これが、村に到着したハヤトたちを出迎えた光景だ。無事を願うハヤトの心を打ちのめし、淡い希望を絶望で覆い尽くす惨劇の結末。

 

このとき、茫然とした様子でその光景を眺めるハヤトは、不思議な感覚に襲われていた。

 

なんの予兆もなくゆっくりと世界の音が消え、次第に目に映る景色がどんどん色褪せていく。不快な咀嚼音が嫌なくらい響く静まり返った世界、その時間に置いていかれるような、そんな感覚。

 

それら全てを取り戻した瞬間が、自分が動き出す合図だなんてことを知らず、呑まれていく。痛ましげな表情をして手を握り、寄り添ってくれる幼女の感覚、それすらも忘れて。

 

 

「ーーーー」

 

 

 なにも、感じなかった。

 

苦しいとも、悲しいとも、憎いとも感じない。ただただ虚無感ばかりが無情に過ぎていく。けれどそれは、無意識に状況の理解を拒み、爆発的に産声を上げ続ける様々な感情を堰き止めているからだ。

 

そんな時間が長く続いてくれるのなら、どれほど楽なことなのだろうか。この心を暗転させていく光景から目を背けてしまえば、ちょっとはラクになれるのか。

 

受け止めたくない、受け入れたくない、真正面から向き合いたくない。そうしたが最後、絶対に心が壊れる。村人の死体を()()()村人の死体と認識していないと、決壊する。

 

自分を守るため、そのまま心を闇に閉ざし———、

 

 

「——しっかりするかしら!」

 

 

 乾いた音が、反響した。

 

なにかで強く打たれたような衝撃が、背中から胸にかけて突き抜ける。衝撃部に小さな手の平の感触を感じた瞬間、燃え上がったと錯覚するほどの熱が全身に駆け巡った。

 

「かはっ」と、乾いた息が抜ける。呼吸すら忘れていた意識を覚醒させる一撃に闇が祓われ、暗転しかけた視界が一気に開けた。

 

一瞬、目が眩むほどの光が差し、直後に落ち着く。そして、目の前に広がる光景が、目の中に鮮明に飛び込んでくる。

 

築かれた死体の大地が、誰によって築かれたものであるか。少しずつ、容赦なく、頭が理解し始めた。

 

 

「……めろ」

 

 

自分を慕い、自分が慕っていた人たちが、魔獣に喰われている。まるでゴミを漁るように、肉片を撒き散らしながら食い散らかされている。

 

足元で息絶える少女と同じ末路を辿った、大切で大好きな人たちの亡骸が、人間以下の存在に弄ばれている。

 

 

「やめろ……」

 

 

一緒に酒を飲んで笑い合った男たち。井戸端会議に招き、好きな女性の好みを聞いてきた女たち。晴れた日に散歩をして、昔話を聞かせてくれた老人たち。公園でたくさん遊び、輝かしい笑顔を見せてくれた、小さい子どもたち。

 

彼らが、顔馴染みだけで築き上げられた死体の大地で死に絶え、それでもまだ蹂躙されている。

 

 

「やめろ……っ!」

 

 

これだけの悲劇を作り出しておきながら、まだ、魔獣というものは命の尊厳を穢すことをやめない。淡々と、非情に、目の前で、家族同然な大切な人たちを肉片に変えていく。

 

 大切な、人たちを———。

 

 

「やめろぉッ!」

 

 

 ブヂッと、なにかのちぎれる音がする。

 

 世界の音と色が、戻った。

 

 

「やめろっつってんだろうがァーーッ!!」

 

 

怒りに吠えたハヤトが前方に跳ね、射出された体がウルガルムとの距離を刹那で詰める。狙われた個体が接近に気づいたときには遅い、腹部に右足が捩じ込まれ、夜空へと高く打ち上げられた。

 

次の瞬間、大剣を素早く抜刀するハヤトが目にも止まらぬ速度で刃を振るう。邪魔な鞘を投擲して一匹を殺し、蹴り上げられたのを見送る三匹の首を有無も言わさず切り落とした。

 

こちらの接近を悟り、群れが対応に動き出すまでの僅か数秒、数値として表現するのが困難な時間の間に五体、一気に蹴散らす。

 

 

「死にやがれぇぇ!」

 

 

この一瞬で五体を殺し、足りないと言わんばかりにハヤトが吠える。返り血を浴びた顔を鬼の形相に変貌させ、戦闘開始の合図を上げながら一挙に襲いくるウルガルムに突撃した。

 

たった一人で突っ込んでくる馬鹿な獲物。眼前の男をそう認識した一匹の頭部が真っ二つに叩っ切られ、真横から飛びかかった二匹が振り向きざまに薙がれた刃で散る。

 

そのまま身を回し、背後から爪で抉らんとする数匹に大剣が走った。肩の可動領域目一杯、腕を限界まで伸ばし、大きく弧を描く刃が爪もろとも本体を切り伏せ、鮮血が世界を赤黒く染め上げる。

 

 

「クソがぁーー!」

 

 

仲間を踏み台にして高く跳躍し、頭上から牙を剥いて落ちてくる大口目掛けて剣先を刺突。口内に収まり切らない大剣に顔面を貫かれ、脳汁を吹き出して絶命した。

 

串刺しになったそれを雑に振り払い、懐に飛び込んできたものに思い切り叩きつける。伸びる爪がハヤトを突き刺すより、降り注ぐ刃が命を狩り取る方が何倍も早い。

 

強靭な肉体と毛深い体毛の鎧を纏うウルガルムも、地響きが起こるほどの斬撃にはなす術がなかった。鎧の抵抗虚しく刃の侵入を許し、たった一撃で血と臓物を撒き散らしながら命が消えた。

 

 

「こいよ……もっと来やがれッ!」

 

 

命を狙いにくるウルガルムの悉くを一方的に殺し、ハヤトは挑発的に叫ぶ。死体に埋まる広場を血と殺戮の舞台に変えたその声は、悲哀と憎悪に支配されていた。それを悲劇的に上げながら、殺し続ける。

 

血走る目を目まぐるしく動かして獲物を定め、照準を合わせられた運の悪いものは数秒もしないうちに死ぬ。生死を確認することもなく次の獲物へと刃を振り翳し、襲いかかるものには死を与える。

 

そんな光景が延々と繰り返されていれば、流石のウルガルムもこの男が化け物であると理解した。大群であっても手が届かない存在であると、本能的に悟った。

 

 

「ーーーー」

 

 

一体の恐れが大群全体に伝播し、怒涛の勢いであった蓮撃が弱まり、止まる。不意なそれに動きを止め、ハヤトは自分を囲むウルガルムたちをぐるりと見渡し、睥睨する。

 

自分を見るウルガルムの目は、ひどく怯えていた。先程までの弱者を嬲るような目とはまるで違う目、化け物を見るそれに違いない。中には恐怖に震えている個体もいる。

 

 ——殺された村人たちも、そんな目をしながら、死の恐怖に震えていたのだろうか。

 

 

「——ぶっ殺すッ!」

 

 

暴風が広場を吹き荒らした瞬間、ハヤトの体に黄金色の覇気が纏われる。憤怒の情に触発されたマナが限界を超えて爆発し、怨念の詠唱に呼応した魔法がハヤトを残虐な殺戮兵器へと仕立て上げる。

 

一人の人間が発したものとはとても思えぬ暴風は、肉体に再展開したアクラによって溢れ出したマナによる波動の余波——違う、これは魂の悲鳴であり絶叫だ。

 

 

「全員、ぶっ殺してやらぁーーッ!!」

 

 

呪詛を込めた叫びを上げ、ハヤトは血の滲む手で大剣を握りしめる。大粒の涙を頬に垂らし、大好きな人たちの死体——半ば肉塊と化したそれを踏み締め、敵討ちを始めた。

 

大剣が唸り、無意味にも対抗するウルガルムが次々と血飛沫を上げて葬られていく。恐れ慄き、逃げていくものには火球を浴びせ、岩柱で串刺しにし、一体たりとも逃しはしない。

 

 皆殺しだ。

 

 

「あああああーーッ!」

 

 

泣き叫ぶように吠え、目に映る全てのウルガルムを殺し回る。

 

他の場所にもいたのだろう、音を聞いてやってきた他のウルガルムも含め、手当たり次第に殺して、殺して、殺す。

 

 

「死ね! 死ね! 死ね! 死にやがれ!」

 

 

憎悪に満ちた咆哮が轟く度に命が散り、ハヤトが血に濡れていく。彼の真っ直ぐな心を具現化したような白の衣が、瞬く間にドス黒い血の色で染まっていく。

 

助けたかった。助けられなかった。

守りたかった。守れなかった。

 

そんな自責の念を紛らすように、暴れ続ける殺害衝動に身を委ね、ハヤトはウルガルムを殺した。

 

因果応報と言うべきか。今まさに、死んだ村人たちの気持ちを、ウルガルムに味合わせていることには気付かないまま。

 

 

「……もう、いいのよ」

 

 

憎悪のままに殺戮兵器と化した心優しき青年、カンザキ・ハヤト。喉を張り裂き、血を吐くように絶叫しながら戦う彼を、ベアトリスは見ていることしかできなかった。

 

ハヤトに現実と向き合わせた彼女は、ドレスの裾をぎゅっと握りしめ、表情を痛ましげに歪めている。

 

今のハヤトにはウルガルム程度の魔獣、一撃で殺すことなど容易い。その戦闘センスに怪力と大剣の切れ味が合わされば、大群だって一人で相手にすることもできるだろう。

 

大量の魔獣を相手に無傷で戦い、圧倒的な数の不利を実力一つで捩じ伏せる。その一騎当千ぶりは、怪力自慢なカンザキ・ハヤトの真骨頂と言える。

 

戦士としてこれ以上ないほど輝かしい姿。ある程度武に長けた者の目にはその姿が、鬼才に溢れた戦士のようにも見えるだろう。

 

だが、ベアトリスの目に映るハヤトの姿は、その姿からかけ離れたものだった。

 

 

「もう、やめるのよ……」

 

 

今にも泣いてしまいそうな弱々しい声で呟き、唇を震わせるベアトリスの目に映るハヤトの姿は。

 

前向きで、明るくて、優しくて。そんなハヤトの太陽の笑みに救われ、真に心を許すことができたベアトリスの目に映るハヤトの姿は。

 

 

「死ね! 死ね! 死ねよクソがッ! 死んじまえ!」

 

 

 泣き叫ぶ、少年だ。

 

殺戮の限りを尽くし、ウルガルムを掃討する様は勇敢な戦士にも見えるだろう。それは、ハヤトのことを何も知らない人間の感想だ。

 

ベアトリスには、痛々しくて堪らなかった。泣きながら戦うハヤトの姿が、これ以上見ていられない。嫌なことがあって、やたらめったらに叫ぶ少年の他にないからだ。

 

戦闘面において屈強な精神力を持ち、苦難を突破してきたハヤト。しかし彼は代償として、人の死と向き合うための精神が極めて未熟であった。

 

そんな彼が、自分と親しい者たちの悲劇的な最期を見たとなれば、こうなることくらい予想できる。けれど、あまりにもひどすぎる仕打ちじゃないかと、ベアトリスは胸を痛めた。

 

 

「ベティーはどうしたら……」

 

 

 よかったのよ。

 

言葉の終わりを心の中で呟き、歯を食いしばる。

 

ハヤトに現実と向き合わせたのは自分だ。なのに、後悔している自分がいる。こうなることが分かっていて、それでも現実を見させたことが、間違いであったのではないかと。

 

今もずっと、戦い続けるハヤト。悲哀と憎悪、そして怒り。三つの感情に支配された彼が、胸が締め付けられるほど悲しみながら叫んでいる。

 

自分になにができる。どんな言葉をかければいい。荒れ狂ったテンのように、誰の声も届かないのではないか。どうすれば、どうすれば、

 

 

「——ベアトリス!」

 

 

不意に、背中から声がかけられる。息を切らしたテンの声。反射的に振り向くと、こちらに駆け寄ってくるテンと、その隣にラムの姿が見えた。二人とも、少しだけ血に濡れている。

 

広場から聞こえるハヤトの絶叫から、並々ならぬ事態を察したのだろう。緊張に表情を硬くした二人は、広場に視線を戻すベアトリスの横に並び、

 

 

「………ぇ?」

 

 

 事態を、知った。

 

無理解な出来事に遭遇したとき、ほとんどの人間が共通して立ち尽くす。頭の中に入る情報が処理し切れず、処理落ちを起こすからだ。そしてそれは、テンも例外ではない。

 

心臓を掴まれたような錯覚を起こし、悪寒に背筋を撫でられるテン。気丈夫な顔つきを驚愕に歪めるラムの隣で、彼は足元で息絶えたナツキ・スバルの死体を見て、思考に空白が生まれる。

 

それも一瞬のことで、人の死を覚悟していたテンの頭は事実を飲み込むのに時間を使うことはなかった。それが彼の心に、今この瞬間の異常さを知らしめ、死以上の衝撃が叩きつけられる。

 

 

「なんで……なんで?」

 

 

 ーーなんで、戻ってないの?

 

 

心の中で呟き、テンは表情も確認できぬほどに抉られたスバルの顔に視線を落とす。急激に加速し始めた鼓動の音を聞きながら、真っ先に思い浮かんだ事実と努めて冷静に向き合った。

 

間違えなく、死んでいる。この状態で生きている方がおかしい。おかしいのに、おかしいと思えない。スバルが死んでいるのなら、戻っているのが当たり前だから。そう思っているから。

 

戻っていないということは、生きているということ。それなら、眼下にある死体はなんだというのか。まさか、彼女に取り残されたとでも言うのか。

 

この世界は、既に本筋から外れた、ありうべからざる世界であるとでも———。

 

 

「意味、分かんねぇ……」

 

 

自分でも驚くくらい冷静に状況を把握し、テンは理解できないことを理解した。髪の中に手を差し込み、勘弁してくれとでも言いたげに力無く首を横に振る。

 

それから、ウルガルムを殺すハヤトが泣き叫びながら踊り狂う舞台、惨たらしい死に様をする村人たちが転がる広場に目を向け、

 

 

「………ひどいね」

 

「脳筋と違って冷静ね」

 

「自分でもびっくりしてる。俺、あんま悲しくないのかな」

 

 

そう言いつつも明らかに声色の沈むテンが、自分と親しい人間のみで作られた死体の大地を眺める。中にはテンのことを慕い、仲良くしてくれていた人の姿もあった。

 

感情のない瞳に映し出された光景に対し、胸を痛めないわけがない。なのに、ハヤトのように動き出す気にはなれなかった。レムのときのように、無我夢中になれる気はしなかった。

 

悲しいという感情も、憎いという感情もある。けれど、それらを弾き飛ばす一つの事実が足元にあるせいで——いや、そんな事実が無くても、きっと動かないなとテンは思う。

 

知らない間に、大切なものが欠如したか。

 

 

「ラムも人のこと言えないでしょ。俺とこうやっていつも通りに話せてんだから」

 

「レムから話は聞いているでしょう? ……ラムとあの子は、過去に故郷を燃やされてる」

 

「それに比べたら、って?」

 

「ーーーー」

 

「……そっか」

 

 

沈黙するラムに喉を鳴らし、テンは彼女の心情をなんとなく理解する。でも、少なからず動揺の色が顔に浮かんでいるのが見えて、ちょっとだけ安心した。

 

一つの会話が閉じられると、テンは視線をスバルに向け、ラムはハヤトに。二人とも顔に陰影を作りながら、自分たちは遅かったのだと心に刻む。

 

二人の横で、ベアトリスはずっとハヤトを見ていた。自分のしたことが正しかったのか、答えのない後悔に頭を悩ませて、それでもハヤトからは目を逸らさない。

 

そのハヤト。暴れ尽くした彼は、今まさに最後の一体を仕留めようと大剣を振り下ろし、

 

 

「テメェで最後だぁーー!」

 

 

全ての感情を乗せた一撃が地を叩き割り、ウルガルムを胴体から一刀両断する。二つに分かれた肉体がぼとりと音を立てながら地に落ち、その目から命という光を失った。

 

それを見届けたのを最後に動きを止め、地に埋まった大剣から手を離すハヤト。胸を大きく膨らませながら、肩を激しく上下させて呼吸を繰り返す彼は、奥歯を割るほど歯噛みする。

 

戦闘に決着がつき、途端に静まり返りゆく戦場。全身全霊の殺戮を終え、人間と魔獣の死体が入り混じった大地の上で一人、爪が皮膚に食い込むほど拳を握り、大量の涙を流しながら、

 

 

「あぁあぁああぁあああーーッ!!」

 

 

 慟哭が、木霊していく。

 高く遠く、どこまでも。

 

惨劇の跡地に響き渡るそれは、聞いた者の心に深々と刻まれる爪痕。悲劇が起こると知っておきながら、なに一つとして防ぐことができなかった自分とテンへの糾弾。

 

 

「ちくしょう! ちくしょう! お前たちのせいだ! お前たちが……お前たちがぁぁぁ!!」

 

 

膝から崩れ落ち、拳を地に叩きつけるハヤトが、ありったけの呪詛を込めながら泣き叫ぶ。

 

喉が潰れ、声が枯れるまで続いたそれが、取り返しのつかない罪を犯したことを裏付けていた。

 

 

 自分たちは、なにも守れなかったのだと。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 一度、生存者がいないか確認するため、ラムとベアトリスが村の中を捜索することになった。

 

 

あれだけの死体が正門近くに転がっていたのだから、状況は最悪の中の最悪だ。はっきり言って生存者がいる確率はゼロに等しい。

 

それでも僅かな希望に賭けて、動かないハヤトと彼に付き添うテンに代わり、二人は村の中を走っている。ハヤトの頼みで、必死に生存者を探し回っている。

 

そうして残ったハヤトとテン。取り返しのつかない失敗をした二人は今、死体となったスバルの(もと)にいて、

 

 

「ごめんな、スバル……」

 

 

涙も声も枯れ、感情の全てを出し尽くし、精魂すら尽き果てたハヤトがスバルの前で崩れ落ち。その背中で、村に来た以降、表情から感情が消えたテンが立ち尽くしている。

 

罪を口にするハヤトの声に、もう力は無い。なにもかもが終わってしまった今、完全に無気力になっている。常に堂々と胸を張っているはずの男の背は、テンが見たこともないくらい折れ曲がっていた。

 

 

「テン。俺たち、誓ったよな」

 

 

だらりと垂れた両腕、その先にある拳を弱々しく握りしめる。ちょっと握っただけで痙攣を起こす指先がピクピクと震えながら、ハヤトは背にいる親友にぼそぼそ呟いた。

 

 

「俺とお前で最悪をひっくり返すぞ、って。悲劇に朽ちるはずの人たち、全員を助けるぞ、って」

 

「うん。……誓った」

 

 

 未来は、捻じ曲げるもの。

 結末は、覆すもの。

 運命は、変えるもの

 

原作を改変し、その先で何が起きても必ず突破してみせると覚悟した二人の誓い。原作知識を持つ者たちとして、みんなを助けると一緒に誓い合った。

 

その誓いを守るために、ハヤトは頑張ってきた。原作が始まってから今の今まで、自分が知らない物語だらけで混乱しながらも、少しでも望む未来へ向かえるようにと必死にやった。必死に、だ。

 

やれることは全部やった。自分のできることは全部やった。思いつくことは全て全て、満足のいく結果になるまでやり尽くした。やり尽くした、はずだ。

 

 それなのに、

 

 

「こんなの、ありかよ……っ!」

 

 

 なにも、守れなかった。

 

 

「俺ぁ、今までなんのために」

 

 

 なにも、救えなかった。

 

 

「ごめん。ごめんな、お前ら……!」

 

 

体を丸め、額を地に落とすハヤトの体が小刻みに震え出す。行き場のない後悔ばかりが心に積もり、捨て場のない謝罪が口から溢れ続ける。

 

その背に、テンはなにも言えなかった。ハヤトがどれだけの努力を積み重ねたのか、正しく把握できない彼が親友に掛けられる言葉はない。それに、掛けたところで意味がないと思った。

 

この傷は、軽々しく慰めていいものじゃない。

 

 

「ハヤト。俺、今さ、そー見えないとは思うけど、実はすっげー混乱してて」

 

「……なんでだ?」

 

 

だから、少しでも気休め程度になればと思って、話題を変えるテンが話を振った。こちらには振り返らず、声と意識だけを向けてくれたハヤトから視線を外すと、「ほぅ」と吐息する。

 

それだけで話し出す覚悟を決め、変わり果てたスバルの死体を見ながら、

 

 

「スバルが、死んじゃってるんだよ?」

 

「……だからなんだよ」

 

「スバルが、死んじゃってるんだよ」

 

「だからーー!」

 

「だから! スバルが、死んじゃってるんだよ!」

 

 

地面に向かって叫ぶハヤトの爆発しかけた声を蹴り飛ばし、癇癪でも起こしたようにテンが叫び散らす。三度、変わりようのない事実を雑に叩きつけ、途端に態度を一変させた。

 

自分で言ってて、その異常性を改めて理解したテン。言葉にできない恐怖を地団駄踏むことで発散しようとする彼は、ひどく焦った様子で、

 

 

「俺がなに言いたいか分かんない!? スバルが死んでんだよ!? この状況がどれだけ異常なことかお前、分かんないの!?」

 

「………は?」

 

 

声を大にし、必死に訴えかけてくるテンの言葉をすぐに理解することができず、ハヤトが口から息を漏らす。感情に支配され、目先のことしか見えていなかった頭が、理解しようと動き始めた。

 

その理解力の無さに、理解の遅さに、不本意にも焦ったさを感じたテンは「ああ、もう!」と頭を掻きむしり、

 

 

「なんで、なんで死に戻………」

 

 

途中まで言いかけ、違和感のある場所で言葉が止まった瞬間、ハヤトはテンの言いたいことを理解した。それまで鈍かった頭が即座に理解したのは、その一言が全てを物語っていたからだ。

 

それと同時に、理解できないことが新たに生じた。今、なぜテンは最後まで言わなかったのか、分からない。特に言葉を切る必要など、なかったはずなのに。

 

その不自然な様子を訝しむハヤトが「テン?」と、その名を静かに呼ぶ。

 

 異変が起きたのは、その直後だった。

 

 

「………ぶ」

 

 

 なにか、(こぼ)れる音がした。

 

 地面に、液体が落ちたような音。

 

 その音を、ハヤトは知っている。

 

 

「テン?」

 

 

嫌な予感を察知し、体を起こしたハヤトが振り返ってテンの様子を確認——直後、予想だにしない事態にハヤトの目がかっ開かれた。

 

 

「がふっ……」

 

 

 ——テンが、血を滝のように吐いている。

 

 

「ーー! テン!」

 

「ぉご………ぎ」

 

 

倒れる体を抱き止め、尻餅をつくハヤトの胸の中で、テンが喉を手で押さえながら吐血する。夥しい量の鮮血。体の中にある血液が、全て吐き出されていると言っても過言ではない。

 

 止めなければ、死ぬ勢い。

 

 

「テン! テン! しっかりしろ!」

 

「ぁ……ごぉ」

 

 

血を吐き続ける口を咄嗟に手で押さえ、ハヤトはこれ以上、血が流れないようにした。が、命の液体は止まるどころか勢いを強め、抱き抱える男の体がどんどん軽くなっていく。

 

 命が、消えていく。

 

 

「やめろ! コイツだけはやめてくれ! これ以上俺から奪わないでくれ!」

 

「ぅ………」

 

 

涙を流して悶え苦しむテンに降りかかる、常軌を逸した異常事態に叫び、夜空を見上げるハヤトはこの事態を引き起こした存在に懇願する。そうしたところで、意味なんてなかった。

 

 意味なんて、なかった。

 

 

「————」

 

「…………テン?」

 

 

ふっと、小さく聞こえていた苦鳴が途絶え、ずっしりとした重みが両腕に乗る。肩に頭が当たる感覚がして、最悪の事態が脳裏を過った。

 

そんなはずはない。そう信じながら顔を下に向けて、テンと目が合った。

 

 

「————」

 

 

 虚ろな目をした、テンと。

 

 

「…………ぁ」

 

 

力を失った首ががくりと曲がり、下を向いた口から血が大量に溢れ続ける。全身から力が抜け、喉を押さえていた手がだらりと垂れ下がる。世界で唯一の存在の瞳から、光が消える。

 

 

「てん……?」

 

 

涙混じりの声で呼び、ハヤトはテンの体を揺する。呼びかけに応じるはずの声は聞こえず、下を向いた首がふらふら揺れた。

 

 

「おい……おい! おい! テン!」

 

 

あまりにも呆気なさすぎる最期を受け入れられず、なおもハヤトは揺する。縋り、助けを求めるような声で懸命に名を呼び、涙に震えながら、消えた命を呼び戻す。

 

ハヤトの足元が、テンの血で満たされていく。スバルの死体が、テンの血の海に沈んでいく。延々と流れる鮮血が、テンの体を赤く染め上げていく。

 

 もう、その体に魂は無かった。

 

 

「————」

 

 

 テンが、死んだ。

 

 ハヤトの唯一が、死んだ。

 

 

 ——枯れたはずの絶叫が、アーラム村に響き渡った。

 

 

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