お、お久しぶりです……。
三ヶ月間も放置しててすんませんでした。
——二章、本編開始。
はっきり言って、その始まり方は最悪の中の最悪、これ以上ないほどに最悪だった。過去最低、今まで経験してきた最悪を軽々しく更新され、ハヤトの中で不動の最悪となってしまった。
魔獣の襲撃でアーラム村の村人が死に、スバルが食い殺され、
簡単に振り返っても分かる悲惨さだ。地獄という言葉は、あのような状況を指すためにあるのだろう。そう言い表す他にないと断言できる。
物語が動き出すとき、必ず死に戻りが発動する。もちろん、その事実をハヤトが分かっていないわけがない。王都で実際に経験もしたのだから。
だから分かってはいた。分かってはいたが、
「初っ端からあんな悲劇が起こるって、誰が予想できんだよ。っざけんじゃねぇよ、クソが」
カーテンと窓を全開にし、外気と陽光がダイレクトに流れ込む部屋で一人、ハヤトは恨めしげにぼやく。ひどく怒気を含んだ声を雑に吐き散らしながら、衣装棚を勢いよく開いた。八つ当たりだ。
寝巻きを寝台に放り投げてパンツ一丁な彼は今、着慣れた制服に着替えようとしているところである。起きたら制服に着替える、異世界で身についた習慣のようなもの。
気持ちの切り替えと、そう表現してもいい。
「俺から
テンの命を奪った存在と、村の人たちとスバルの命を奪った存在——一括りにして運命という名の強大な敵に向かって宣戦布告。否、宣戦布告をされたのはこちらだから、これは開戦の合図だ。
既に身内が殺されている以上、黙っていられるハヤトではない。例えそれが終わった世界の話だとしても、忘れるはずがない、忘れられるわけがないのだから。
「ぜってぇ……ぜってぇにだ」
ぎりっと歯を食いしばり、ワイシャツの裾を入れながらパンツを一気に穿く。腰回りの緩い部分にベルトを通し、黒帯を結ぶときのような勢いで力強く締めた。
感情が昂っているから、一挙一動に勢いがあるハヤト。決意と覚悟を決めた途端に溢れてきた怒りの感情をそのまま活力に変換する彼は、言葉を口にすることで魂に火を灯す。
なにか言葉にして気を紛らわしていないと気が狂いそうになる、という理由もある。それくらい先ほどの出来事は衝撃的で、一生の傷跡になった。
「先ほど、か。……ほんと、変な感覚だな」
ワイシャツとズボンを着用し、ベストに手をかけようとしたところでハヤトは動きを止める。ベストを掴みかけた手を目の前に持ってきて、手の甲と平を交互に眺めた。
死に戻り、その戻る速さは体感的には五秒にも満たない。大袈裟に言えば一瞬。意識が飛んだかと思えば、次の瞬間にはもう巻き戻っている。
体に戦いの痕は跡形もなく、肉体的な疲労は皆無。あれだけ派手に戦い、血を浴びたにも関わらず。目に映る光景もまるで違う。ついさっきまでは森の中、なのに今は穏やかな自室という。
もし、戻ったことを知らなければ、悪夢から目が覚めたと勘違いするだろう。
「気持ち悪ぃな」
この感覚が、どうにも慣れそうにない。戻る前の感覚と戻った後の感覚に、差がありすぎて。現実離れした現象に吐き気を感じ、ハヤトは生唾をごくりと飲み込む。
切り替えなければ、いつまでも引きずってはいられない。こうしている間にも時間は進み、最悪の瞬間はゆっくりと、確実に、迫ってきているのだから。
「そうだ……。浸ってる時間なんて
頭をぶんぶん振り、余計な考えを振り落とす。巻き込まれたからには慣れていくしかないものと割り切り、これ以上の考えは止めた。
考え出すと止まらなくなり、心配事が無限に浮かび上がる。そうしているといつの間にか沼に嵌り、思考の渦から抜け出せなくなる。そのせいで心が削られるテンを、これまでにたくさん見てきた。
「なら、これからどうするよ。とりあえず着替えて……それからどう動く」
止めた手を動かし、素早くベストを着るハヤト。慣れた手つきでボタンを止めながら、彼は別のことに意識を向け始めた。
何事もスタートダッシュが肝心。一歩目をどれだけ良い形で踏み出せるかで、その後の流れが良くも悪くも変わってくる。
今この瞬間の自分の動き方次第で未来が変わる——流石にそこまでの影響力は無いと思うが、それくらいの心づもりで行動した方が良いとは確かなこと。
「一周目の朝……俺なにしてた? 確かこんな感じで早起きして、アーラム村に散歩に行って……」
——メィリィに、出会った。
「ーーーー。いや、ダメだ。流石に朝っぱらから仕掛けるわけにはいかねぇ。近くに村だってあるんだぞ、バカか俺は」
脳裏に浮かぶ早とちりな作戦を却下し、少しだけ葛藤した自分を強く咎める。思い出した瞬間から沸々と湧き上がってくる真っ黒な感情を強引にねじ伏せ、拳を握りしめる。
一周目の朝、珍しく早起きしたからアーラム村へ散歩に赴き、結晶石を確認していたところにメィリィから接触。この世界が一周目のように動くなら、行けば会えるだろう。
スバルと村人たちを殺し、村をめちゃくちゃにした魔獣、それを従える魔獣のボスに、会える。今回の騒動を引き起こした、張本人に、会える。会える。
会える。
「……………落ち着けよ」
無意識に向いた視線の先にあった勉強机、そこに立てかけられている大剣を見ながら、ハヤトは自分に言い聞かせた。今はその時ではないと。
今にも爆破してしまいそうな感情を制御しようと深呼吸を繰り返し、荒ぐ呼吸を整える。だから落ち着いてくれと。
だって、
「アイツと約束したろ、忘れんなよ。お前が
なにがあっても絶対に軽率な考えで動かないこと。自分の行動一つで人が死ぬ、そのくらいの気持ちでいること。感情だけで先走らないこと。
この三つを絶対に守れと言われた。そしてその約束の意味を今、ハヤトは身をもって実感している。事実、感情と行動が直結する寸前で立ち止まり、踏みとどまった。
暴れるのは今じゃない、戦力が足りなさすぎるから。戦うのは今じゃない、個人技だけで切り抜けられる話ではないから。
「頭、ちゃんと動かせよ、俺」
ため息。
いつも隣にテンがいるから気にしてこなかった自分の欠点をちゃんと自覚し、ハヤトは息をこぼす。一緒に体の中に溜まり続ける、要らない感情も吐き出した。
冷静、冷静でいなければ。感情に心の主導権を奪われてはならない。ただ闇雲に剣を振り回しているだけでは、この悲劇を切り抜けることはできない。
なぜなら、
「また、ロズワールに直談判する必要があるもんな。食卓でアイツらにこれからの説明もして、村のやつらにスバルの説明もすんのか。こりゃ、前途多難だな」
「ははっ」と乾いた笑いを声にして、ハヤトは寝台にどかっと尻をつく。視線の置き所に空を選び、窓の外を理由もなく眺めた。
数日後に村の襲撃があるが、それよりも前にスバルの件を片付ける必要がある。それはつまり、一周目の初日にやったことを、もう一度やるということを意味する。
ロズワールに直談判。食卓で異世界の説明とスバルの説明、あとこれからのスバルの扱いの説明。アーラム村の人たちに事情を説明し、スバルの拠点を確保。
これだけでも結構な負担な上に、問題はまだある。襲撃の対策と、打倒メィリィやエルザ、更にはテンの死因を突き止めることも視野に入れるとなると、
「相変わらず壁が多すぎる。頭ァ痛ぇ……」
頭を抱え、疲れた表情をするハヤト。気合いだけで精神を立て直し、記憶の整理をつけたとはいえ、死に戻り直後ではダメージが大きかった。
化け物並みの精神力と戦闘力を持つハヤトだが、彼は化け物ではない、仲間思いな心優しき青年だ。傷つくことにはしっかり傷つくし、悲しいことがあれば男泣きもする。他よりも耐久度が高いだけで。
村の住民を失った時点でかなりの被害、まして親友を失ったともなればダメージは想像を絶する。今のように立て直せているのは鍛錬の賜物だ。
鋼以上の精神力を持つハヤト。「ふぅ」と息を吐く彼は「おし!」と頬を叩いて立ち上がると、
「一個一個、潰していくしかねぇな。前回もそうやってなんとかしたし、一度になんとかしようとするからゴチャるんだよ」
どんなに知恵を絞ったところで、結局のところは一つ一つを確実に破壊していくしか方法はないのだ。悩み、頭を抱えていてばかりでは時間の無駄。
それこそ、今のままではいつぞやのテンと同じ失敗をする。考えすぎで心配事が増え、失敗を恐れて行動に移せなくなるのがいつもの流れ。
良く言えば慎重、悪く言えば臆病。自分もそうなるわけにはいかない。テンがそうなるとき、いつも自分が引き上げてきたのだから。
そのためにも、
「頑張らねぇとな。気合い入れろよ」
バサっと音を立てながら、ハヤトはベストの上から上着を羽織る。無駄にダイナミックな動きで袖を通しながら、
「行くぞ」
固めた決意と覚悟と共に、彼は部屋の扉を開けて廊下へと出ていった。
▲▽▲▽▲▽▲
「——と、出てきたはいいが。これからどうすっか」
部屋を出てすぐ、なに一つとして行動の方針が決まっていないことに、ハヤトは気づいた。気合いを入れて廊下に出たものの、そこから先の動作には繋がらず、早くも立ち止まる。
アーラム村に散歩に行くのは却下。行ったら絶対にメィリィの様子が気になり、彼女に会おうと思考が働く。そうなったら止まることはできない。
自分のことだから分かる。今、彼女に会ったら自分は自分を抑えることができなくなる。確実に戦闘を仕掛けてしまう気がしてならない。
だから行かない、行けない。行きたい気持ちをぐっと堪えて、二周目は一周目とは別の行動を起こしてみることにした。
となると、
「とりあえず、スバルの様子でも見に行くか」
散歩をしない分の時間をどう潰そうかと考えたとき、一番に浮かんできたのはスバルの存在。
一周目、恐らくスバルは何体ものウルガルムに食い殺された。爪と牙によって、全身の原型が分からなくなるほどにズタズタにされ、凄惨な死を強制させられた。
その直後のスバルが、今回は目覚める。そのことを思えば、ハヤトがスバルの様子を確認したがるのも必然と言えた。
当然だが、死に戻りは当事者が死んだ直後に起こり、その者は死の直前の記憶を保持した状態でループを開始する。例え、どれほどの残酷な終わりを迎えたとしてもだ。
死の瞬間、彼女がどんな状況で、どんな状態だったのかは分からない。が、村の状態からしてまともな死に方をしていないことくらい予想できる。
「発狂しながら目覚めたりしてな」
自分は虚無っていたが、彼女はどうだろうか。考えるのも想像するのも嫌だから、適当な予想をいくつか立て、それだけで終わらせるとしよう。
そんな風に心配しながら、ハヤトはスバルが眠る客室に向かおうとして、
「——おはようございますっ。ハヤト君」
背にかかる声を聞き、僅かに肩が跳ねた。瞬間的に呼吸が止まり、頭の中が真っ白になる。
鈴を転がしたように綺麗な声は溌剌としていて、とても弾んだ少女の声音は可愛らしい。一声聞いただけでも、声の主が上機嫌だと理解できる。
「ーーーー」
この瞬間、ハヤトの脳裏には声の主——自殺をしようとしたレムの姿が脳裏に鮮明に蘇っていた。本人の意思に反して最悪の記憶が流れ、音声と映像が自動的に再生されている。
しばらくの間、この現象に悩まされそうな気がしてならないハヤト。奥歯を噛み締める彼は目に焼きついた記憶を無理やり断ち、心拍数が上がる感覚に努めて『いつも通りの自分』を作りながら、
「おう、おはよう。レム」
「はい。おはようございます」
振り返ったハヤトを出迎えたのは、そう言って幸せいっぱいの微笑みを咲かせたレム。可愛さの極み、視界の中に入れていて実に眼福、目の保養になるに違いない。
その微笑みに、ハヤトはどこか救われたような気持ちになった。不思議と心が軽くなり、自然と強張っていた体から力が抜け、喉に詰まっていた息が静かに吐き出される。
レムが幸せそうに笑っている。ただそれだけでほっとしてしまって、
「その笑顔、いいな」
「なにがですか?」
思ったことが口からぽろっと漏れ、反応したレムが表情を変えずに小首を傾げる。頭に疑問符を浮かべるレムにハヤトは「いやな」としみじみした様子で、
「やっぱりレムはその顔の方が可愛いな、って思っただけだ」
「テンくんにも、可愛い、って言ってもらえますか?」
「可愛いで止まったらいい方だな。つーか、アイツはきっとお前がなにしても、可愛い、って言ってくれると思うぜ。お前らバカップルだし」
「ばかっぷる?」
「とんでもねぇくらいの相思相愛、ってことだよ」
パフェを分け合って「あーん」をしていてもなんら不思議じゃない。というか、二人はその域を余裕で超えている。ヤることヤってない方がおかしいと思うくらい、二人は愛し合っていると断言していい。
そういった意味合いでのハヤトの『バカップル』に、レムは「なるほど」と感心した様子で、
「相思相愛のことを『ばかっぷる』と呼ぶのですね。でしたらテンくんとレムは『ばかっぷる』です! 世界で一番の『ばかっぷる』です!」
「レム、俺が悪かった。悪かったから、それを自分の口でポンポン言うんじゃねぇ。レムになに教えてんのお前、ってまたアイツに胸ぐら掴まれる」
ズレた意味で言葉を受け止めたレムが、両手を合わせて『バカップル』を連呼。面白いのと恐ろしいのが混ざり、微妙な表情になるハヤトがそれを必死に止めにかかった。
その
愛の形はそれぞれで、余程のことがない限り否定する気はない。けれど、あまりにも大きく深い愛は、事と場合によっては人を殺しかねないということを知ってしまったから。
目の前の友人がそんなことを考えていることなど知らないレム。ひとしきり『バカップル』を連呼した彼女は表情を明るくし、ハヤトに羨望の眼差しを送ると、
「ハヤト君は本当に色々なことを知ってるんですね、羨ましいです。レムにキスマークを教えてくれたのもハヤト君ですし」
「ああ……そういや、んなこともあったな。そんときアイツにめっちゃ怒られた記憶が……。まさか、つけてるのか?」
「いくらハヤト君でも、それは教えられません。テンくんとレムだけの秘密です」
「そうか。まぁ、なんでもいいさ。そこまで深く突っ込むつもりもねぇ」
ひらひらと手を横に振り、ハヤトは適当に流す。恋人とのイチャラブは絶対に口にしないレムに「好きにしろや」と付け足して、言葉を切った。
二人が裏でやってるアレやコレを聞くと、親友として複雑な感情になりそうだから聞かない。言いたくないことを無理やり聞くつもりもないし、聞かなくてもなんとなく察せられる。
深く詮索しないハヤト。流石の彼も踏み込んで良い領域と、そうでない領域の境界線くらい感覚的に分かるらしい。だからレムは、やや前のめりな様子で詰め寄り、
「もっとレムに色々と教えてください。できれば、キスマークと同じ類のものを」
「いい感じのを思い出したら、そんときにな」
「お願いしますね。絶対ですよ」
「任せときな」
恋に熱心なレムの様子に歯を見せて口角を釣り上げ、ハヤトは頼もしく笑う。胸に拳をどんと当て、いつものような明るい口調で言った。
バレたときテンに怒られそうで怖いが、怒られたらその時はその時。暴走したレムにたじたじになって、最終的に投げやりになる過程を楽しませてもらおうじゃないか。
そう考えていると、レムが「あ、そういえば」と前置き、
「お体の調子はどうですか? 昨日は大変だったとハヤト君から直接聞きましたけど」
ハヤトのことを上から下まで眺めるレムがそう言って、ハヤトの顔を覗き込む。
そこで心配そうな目を向けてこないあたり、レムはハヤトのことをよく分かっている。そして、ハヤトにはその姿勢がありがたい。
人に心配をかけるのが嫌なハヤトは「平気だぜ!」と、力こぶを作ってマッスルポーズ。
「この通りぴんぴんしてる。ま、多少の余韻は残っちゃいるが、別に支障はねぇよ」
「ならいいんです。でも、あまり無理をしないでくださいね。お仕事中に倒れられては困りますから」
「気遣いありがとな」
「はい」
ふわりと笑い、レムは小さく頷く。それから「では」と綺麗に一礼して、
「レムはお部屋に戻って身支度をしますので、これで失礼します。ハヤト君も始業の時間になりましたら、いつも通りに」
「おう。またあとでな」
「せっかくの早起きですし、早めにお仕事を始めるのもいいと思いますよ? 前倒しで進めれば、それだけ早く終わりますし」
「そうだな。考えとく」
それも一つの選択肢としてありだなと思うハヤトが言葉を返すと、レムは笑みを浮かべて背を向ける。このままだと長話をしてしまうと踏んだのだろう、会話が途切れたタイミングで切り上げた。
会話の余韻が鼓膜に響く中、徐々に離れていくレムの後ろ姿をハヤトは黙って見つめる。彼女の姿が見えなくなるまで、名残惜しむような目で、最後まで見送る。
そうしていると、やはり終わった世界のレムの姿が嫌でも思い出させられる。息を潜めていた記憶の中の彼女の声が、慟哭が、凄まじい勢いでフラッシュバックし、
「ーーーー。こりゃ、俺が思ってる以上に相当のトラウマだな。男のくせに情けねぇ。情けねぇよ、マジで。決意も覚悟も決めたろ」
小刻みに震える臆病な手をポケットに突っ込み、隠した拳を握りしめる。近くの壁に額を打ちつけ、苛立つ表情を隠した。誰に見られるわけでもないのに、誰にも見られたくないと強く思って。
こんな状態でテンと再開して、自分は正気を保っていられるだろうか。多分無理だから、再開の日までに精神を完璧に立て直しておく努力をしようと心に決めた。
ちょっとずつにはなるけれど、耐性をつけなければならない。毎回、死に戻りが齎すダメージに苦しめられていたら、そのうち心が崩壊して廃人になる。
気をしっかりもつ、これ大事。だから、レムと言葉を交わすことができたのは本当に良かった。友人との何気ない会話というのは、ハヤトにとって一番の安らぎになるのだから。
「やっぱし、持つべきものは友だな」
ただの友でなく、気兼ねなく言いたいことを言い合える友。最高なことに、そんな人がこの世界には三人もいる。頼りになることこの上ない。
自分は一人じゃない、心強い仲間がいる。レムとの会話を振り返ると、そう感じることができて安心できたハヤトだった。
「ありがとよ、レム」
視界から姿を消したレムに感謝を送り、ハヤトは目的の場所に向かって歩き出す。
少なくとも今日一日はこの感情に苛まれ続けるのだと覚悟し、それでも抗ってやると魂を燃やしながら。
▲▽▲▽▲▽▲
スバルの眠る客室があるのはロズワール邸の一階。二階、三階は屋敷の住む人間が利用する階層となっているため、関係者以外は基本的に一階で対応するのが決まりだ。
過去に一度、ハヤトもその部屋に寝かされていたことがある。この世界に来たばかりの頃、ロズワール邸の住民ではなく客として扱われていたとき。
偶にその部屋を掃除する機会があるが、そのときはいつもその頃のことを思い出す。この世界に来た初日の出来事——とても懐かしく感じる。
「スバル、入るぞ」
そんな部屋に、ハヤトは来ていた。
無言で入るのも無礼なので、小声で入室の合図を入れながら扉を開ける。静かにゆっくり、音を立てないように。閉めるときも同じく、動きの一つ一つに気を遣った。
扉を閉めたハヤト、彼はカーテンが閉め切られた薄暗い部屋をぐるりと見渡す。
壁に絵画や調度品が、窓側に観葉植物が飾られただけの簡素な部屋だ。部屋の中央にはハヤトが使用する寝台の倍以上はありそうな大きさの寝台が置いてあり、部屋の広さも同様。
やはり懐かしい部屋という印象を受けるが、浸ってる時間はない。その感情を簡単に片付け、彼はスバルが眠る寝台に近寄った。
そして、
「………まだ寝てるな」
数秒だけ顔を覗き、少女の穏やかな寝顔を目に入れ、それだけで済ませる。規則正しい呼吸を繰り返しているのを確認して、ぱっと離れた。
相手は女の子、あまり寝顔をじろじろ見るのも紳士的ではない。それ以前に寝ている部屋に入るというのも、ハヤト的にはかなりアウト。関係が深いならまだしも。
無事に寝ていることを確認できれば、それでいい。物音で目覚められても困るから、寝台の反対側まで素早く移動し、部屋の机に備え付けてある椅子に腰掛ける。
「さて、こっからなにするよ」
立てた目的を一瞬で達成してしまい、これからの動きに思考を巡らせるハヤトが低く唸る。腕を組み、難しい顔をし始めた。
定刻通りに仕事を始めるのなら、あと一時間ほど空白の時間がある。だからといって前回のように村に散歩に行くとメィリィと邂逅してしまうから、その選択肢はない。
となると、ここでスバルが起きるのを待つ以外にすることがないか。あるいは、レムに言われた通り仕事を前倒して開始するか。あるいは、
「ベアトリスにでも会いに行くか」
いつもなら起きてから三十分後、時間的には早朝の六時を半分過ぎたあたりに顔を出すが、偶にはもっと早くに行ってもいいかもしれない。
色と色の濃さで時間を知らせる魔刻結晶から判断するに、現在の時刻は早朝の五時を過ぎたあたり。
「………流石に早すぎるか?」
まさか、自分がこんなにも早い時間帯から禁書庫の扉を開くとは思うまい。きっといい反応を見せてくれるはずだ。もっとも、寝られてたら意味がないけれども。
寝ていたら寝起きドッキリでも仕掛けてやろうか。びっくりされて吹っ飛ばされる未来が視えた。
「ふっ。それはそれで面白いな」
顔を赤くして驚くベアトリスを想像し、ハヤトが不敵な笑みを浮かべる。自分が彼女にどう思われているかぼんやりと認識しているだけあって、幼い抵抗が可愛らしく思える。
せっかくの早起き、この時間を有効活用しないなんてもったえない。色々と始める前に、できることは早いうちからやっておいた方がなにかと得だろう。
つまり、
「あとで行くか。マナの徴収もあるから、どの道行くことにもなるしな」
それに、ベアトリスにも会って心の整理をつけなければならない。終わった世界にいるベアトリスと向き合うためにも、会わないわけにはいかないのだ。
この後の動きを決定し、ハヤトは息を吐く。少し待って、目覚めなかったら出る。そうやって決まりを作り、予定を立て終えた。
ベアトリスとの話が済んだら、この場所にすぐ戻ってこよう。スバルが目覚める瞬間には絶対に立ち会いたい。だって、それはスバルにとってとても苦しいもので、恐ろしい瞬間になるから。
「だから、せめてそれまではゆっくり眠っててくれ。スバル」
一定のリズムで上下する布団に祈るような目を向け、ハヤトはやるせない思いに胸を締め付けられながら呟く。合わせた手をぎゅっと握り、下唇を噛み締めた。
自分のせいで、彼女は死んだ。こうなったのは自分のせいだ。自分がもっとしっかりしていれば、あんなことには絶対にならなかった。
後悔と自責の念に打ちのめされ、終わった世界のことを思うハヤト。しかし彼は、いつまでもそうしてはいられないと首を横に振った。
考えを切り替えるために別の考えをと思い、
「アイツ……、戻ったこと覚えてんのか?」
ふと、思う。
カンザキ・ハヤトの唯一無二、ソラノ・テンは死に戻りという現状に巻き込まれているのかと。
自分が巻き込まれているのだから彼も巻き込まれている——そう思っていた前回、彼はその話を一言も自分にしてこなかった。一言も、一言もだ。
彼に限ってそんなことはあり得ない。戻っていたら絶対に話すはずだ。深く話し合うことはなくても、「お前さ、戻ってる?」くらいの発言はしてくるに決まっている。
第一、あのリゼロオタクの彼が、その現象に巻き込まれて触れてこないわけがない。
だとするとやはり、
「覚えてねぇ……いや、戻ってねぇのかもな」
あり得てほしくない仮説が完成し、ハヤトの表情が目に見えて陰る。要らないはずの心配事がまた一つ増えた予感に、勝手にため息が漏れた。
テンと死に戻りの情報を共有できないとなると、かなりこの先が思いやられる。できれば間違っていてほしい仮説だが、ハヤトはその仮説を説明するものを知っていた。
「そのせいでアイツは死んだんだもんな。死に戻りを口にしようとして……」
テンは、死んだ。
知ってはいけないことを知っているから、死に戻りをさせる元凶に命を奪われた。状況からしてそう判断するのが妥当だろう。
死に戻りをしない者が、死に戻りを口にしようとすると問答無用で死ぬ——原作では確認できなかった、正しく初見殺し。
これも、自分たちがこの世界にいるから起こる歪みの一つなのか。原作の流れが変わったように、スバルが性転換したように、知らない物語が次々と書き込まれ続けているように。
思った以上に罪が重い。スバルが死に戻りを口にしようとすると心臓を握られるだけで許されるのに対し、テンの場合は即座に始末。
「ひどすぎるじゃねぇの。アイツがお前になにしたってんだ」
ドス黒い炎が轟々と音を立て、心を燃やしているのが分かった。親友の命を容易く奪った存在を決して許すなと、憎悪が燃え滾っている。
テンがダメなのに、どうして自分は許される。どうして自分は戻ったくせに、テンは戻っていない。そもそも、どうして自分だけが巻き込まれた。なにが違う、自分とテンのなにが違う。
「分っかんねぇ。分かんねぇから、考えねぇ」
答えの出ない問題に四苦八苦した結果、考えても仕方ないと見切りをつけて終わらせる。
それからハヤトは、窓の外に目をやって世界を見る。想像を遥かに超える過酷な運命を強いるこの世界を睨みつけ、
「お前が帰ってくる前に、できることは全部やっておく。だからお前も、そっちでできることはちゃんとやってこいよ」
自分のやることを果たすため、彼は椅子から立ち上がる。数時間後に飛び起きるであろうスバルを部屋に残し、客室から出ていく。
足取りは重く、表情も深刻そうだが、瞳に宿る強い意志だけは、これまでで最も燃え盛っていた。
そんなハヤトの相棒、テンはというと———、
▲▽▲▽▲▽▲
「おっはよー、テンきゅん! 今日から……にゃんでそんなにびっちょびちょ!?」
「フェリックス様、治癒魔法って水属性と適性があれば使えるんでしたっけ? あと、ヴィルヘルム様ってどこにいらっしゃるか分かります?」
「にゃんで急にそんなこと……って違う違う! それ! その頭! どうしちゃったの!? 頭イカれちゃった!?」
「これですか? ちょっと気分転換に」
「気分転換で頭から水被る人にゃんて、テンきゅんくらいだと思うけど?」
「気分転換の方法って、人それぞれだと思うんです。それよりも、先ほどのお話ですけど………」
と、テンもテンなりに、なにかしらの動きを見せ始めていたのだった。