少しでも望む未来へ   作:ノラン

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キツいのは次回。今回は前置き。





カウントダウン

 

 

「んーー!」

 

 

全開にした窓から流れ込んでくる冷気を浴び、スバルは全身に力を込めながら体を大きく伸ばす。高く喉を鳴らして両腕を天井に突き上げ、丸まった背筋を一直線に張った。

 

少しして脱力。「んあぁーー」と吐息しながら両腕を下げると、これまでの疲労がどっとのしかかってくる。あまりの重さに体が前に傾き、咄嗟に窓枠に両手をついた。

 

体勢を立て直し、窓の外を眺める。見えた光景はアーラム村の街並みで、木造建築が大半を占めるそれはド田舎の村と表現するのが適切だろう。

 

 

「昼間と違って夜は静かね。あんなに騒がしかったのが嘘みたい」

 

 

既に太陽は沈み、満月が浮かぶ空には星々が声を上げるように輝いている。我先にと言わんばかりの眩い光を見ていると、実際に「見て見て!」と声が聞こえてきそう。

 

対照的に村の雰囲気は静かだ。村で生活を営む老若男女の喧騒が朝方から夕暮れにかけて響いていたのが嘘のように、驚くほど静まり返っている。

 

元都会住みのスバルからすれば違和感がある。車のエンジン音が聞こえることもなければ、たまに真上を通過するヘリの騒音もない。隣人の「はぁ!? 今の当たっただろぉ!」という暴言も。

 

別の世界からやってきた時点で飛び込む情報の全てが違和感の塊で、世界自体が違和感なのだが。

 

 と、

 

 

「夜風が気持ちぃ……。風呂上がりに効くぅ」

 

 

そこまで考えていたところで夜風が頬を撫で、火照る体が冷やされる感覚に、三白眼が心地良さそうに細まる。表情筋がへにゃりと崩れ、手をかけた窓枠に寄りかかった。

 

やや湿った黒髪と火照って赤い頬、首からバスタオルをぶら下げた様は言葉通りに風呂上がり。洗面所でやることを済ませ、自室に戻ってリラックスしてる感がある。

 

自室——そう、自室である。スバルは今、自室と呼んでいいのか分からない自室で、二日間かけて人が住める状態にまで片付いた自室で、くつろいでいた。

 

 

 ——現在、ナツキ・スバルは拠点をロズワール邸から移し、アーラム村のとある一家に居候中である。

 

 

異世界に召喚されたはいいものの、なにをすれば良いのやらと困り果てていたスバル。彼女は同郷のハヤトと王都で出会い、なんやかんやあって彼が住むロズワール邸に招かれた。

 

しかし色々と問題があるらしく、残念なことに屋敷には住めないようで、住む場所もないスバルにとっては最悪の展開と言えた。そして、その打開策として今の状況がある。

 

ロズワール邸から歩いて二十分の場所にある辺境の村、アーラム村。人口三百人程度の小規模の村の一員として、住民の家に居候する形で、スバルは拠点を据えたのだ。

 

スバルが自室として使っている部屋は、居候先で借りた一室。元は倉庫として使われており、当初はそれなりに散らかっていたのだが、

 

 

「この部屋も、よくここまで片付いたもんだ。埃一つないピッカピカの状態……劇的ビフォーアフターに投稿してもいいとこまでいけるわね」

 

 

くるりと身を回し、窓枠に背を預けるスバル。自室を一瞥する彼女は『なんということでしょう』の時に流れるBGMを鼻で歌い、謎のドヤ顔を浮かべた。

 

部屋の広さはスバル一人が生活するには少しばかり手狭だが、寝泊まりするだけなら全く問題ない。ベッドと机の二つで部屋の半分が占められているものの、逆に言えばまだ余白は半分も残っている。

 

前の部屋——日本に住んでいた時に使っていた部屋と比べると雲泥の差。そうなると、どうしてもあの部屋が恋しくなるスバルだが、四の五の文句を言える立場でもない。

 

 

「元は人が住めない状態だったんだし、こうしてゆっくりできてるだけでも感謝感激ってね。ここの人たちとハヤトには感謝しなくっちゃ」

 

 

絶望的なまでに図々しいスバルではあるが、与えられたものに対して素直に感謝できるくらいの礼儀はある。あくまで主観的な意見なので、客観的にそうであるかはさておき。

 

部屋の準備をする際、村の人たちにはたくさん助けられた。話を聞きつけた大工、昼食におにぎりを作ってくれた老婆、小物運びを手伝った子どもたち、要らない家具を運び出してくれた男たちなどなど。

 

村全体で一つの家族、それがアーラム村。準備を始めてから終わるまでの二日間で、スバルはこの村にそんな印象を抱かされていた。僅か二日でそう思わせるのだから、その結束力は凄まじい。

 

そして、その結束力の大前提にあるのがハヤトの存在だと思うと、

 

 

「異世界召喚されて初めに会えたのがハヤトでマジラッキーだった。裏表のない単純に良いやつで、その上化け物並みに強いとか、なんなのアイツ。無料単発ガチャでSSR引いた気分」

 

 

それも、確定演出ありで。

 

とんでもない強キャラ、一部が尖っているのではなく総合的に強キャラ。そう簡単に仲間になっていいキャラじゃない。あの手のタイプは最序盤から一緒にいたら、色々な意味でヌルゲーになる類。

 

あれで同じ異世界召喚者なのだから驚愕だ。なにがどうなったらあそこまで強くなれるのか、約五ヶ月前にこの世界に来たと聞いたが、その間でなにがあったのだろう。

 

実際に聞いてみたところ「毎日半殺しにされてみるか?」と言われた。意味が分からない。

 

 ただ分かるのは、

 

 

「ハヤトの親友にアイツは相応しくない、ってことくらいね。全く、なんなんだよテンとかいうヤツ、お前がハヤトのなにを知ってんだっての」

 

 

ハヤトのことを考え始めてから脳裏にチラついていた存在、ソラノ・テンに舌打ち。顔を思い浮かべると邂逅の瞬間が思い出され、怒りの感情にスバルの心がぐつぐつと沸騰し始める。

 

今日の夕方、ロズワール邸を出発したスバルは、テンと初めて顔を合わせた。結果はスバルの苛立つ顔を見れば一目瞭然、聞かなくても悪かったのだと分かる。

 

 

「本っ当にムカつく、アイツ。ハヤトがアタシになにしてくれたのか知りもしないで言いたい放題言いやがって、なんだよあの顔。あの、さもそれが当然でーす、みたいな澄ました顔!」

 

 

この場にいないテンに暴言を吐き、スバルは怒り浸透とばかりに表情を歪める。眼光が鋭く尖る三白眼には明らかな嫌悪感の色が濃く塗られており、敵意という他にないだろう。

 

誰もが口を揃えて「ハヤトの親友」だと語ったが、あんなのが本当にハヤトの親友なのか心底疑う。仮に本当なら申し訳ないけど、人を見る目がないと言わざるを得ない。

 

その代わり「ハヤトの真反対」と語る人間の見る目はあると言おう、はっきり言おう。ハヤトがSSRならテンはN、つまりノーマル。否、ノーマル以下だ。

 

 それに、

 

 

「アイツ、レムりんとエミリアたんに抱きつかれてたっけ……あんなねちねち男のどこがいいんだか」

 

 

異世界系の定型——日本では特にモテなかった根暗が途端にモテ始めるやつ。その恩恵をまさかあの男が受けているとは最悪だと心から思う。

 

異世界も皮肉なものだ。あの男だからこそ与えられたと思えば納得できなくもないが、世の中には限度という言葉がある。

 

 

「どうしてあんなヤツがハヤトの親友なんだよ。天地がひっくり返ってもそんなことにはならないわよ、普通」

 

 

罵詈雑言を叩きつけ、スバルはこれ以上ないまでにテンを酷評する。しかしその評価はテンの人となりを知れば簡単にひっくり返るのだが、生憎とスバルは今日会ったテンしか知らない。

 

であれば、短気なスバルがその結論に至ってしまうのも必然と言える。恩人であるハヤトの努力を貶されたら尚更。

 

 

「アイツ、マジ嫌い」

 

 

つまるところ、スバルはテンが大嫌いになった。

 

時間が経過してもなお、その熱は冷めない。テンがハヤトに放った言葉の数々を思い返すだけで、腑が煮え繰り返る。

 

できることなら、今すぐにでもあの顔面をぶん殴ってやりたいところだ。ハヤトと同格とか言われていたからどんなヤツかと思っていたけど、案外大したことなさそうだし。

 

 

「………ん?」

 

 

ベッドにどかっと座り込み、蛮族的な結論に至ろうとしたところで、スバルの喉が短く鳴る。頭の中にいるテンを見ていた目が向くのは、自室と廊下を隔てる一枚の扉だ。

 

二回ほど叩く音がして、ドアノブが音を立てながら捻られる。ゆっくり開かれる扉の奥から姿を現したのは可愛らしい少女、

 

 

「ペトラか」

 

「うん。わたしだよ、スバル。……こわい顔してどうしたの?」

 

「いんや、気にしないで。ちょっと目の敵を思い出して頭にキてただけだから」

 

 

部屋に入って早々、怖い顔をしていたと言われたスバルがそう言って軽薄に笑いかける。その不審な笑い方に困惑するペトラだが、彼女は「そっか」と言って流し、扉を閉めた。

 

スバルが居候することになった家の住人、レイテ夫妻が授かった子だ。髪に飾る赤いリボンがトレードマークで、母親譲りの美貌を内に秘めた将来が大いに期待できる村一番の村娘。

 

入浴を済ませた今はリボンも飾っておらず、格好も黄色を基調としたシンプルな寝巻き姿となっている。

 

 

「お風呂、気持ちよかった?」

 

「気持ちよかった気持ちよかった。他人(ひと)()の風呂に入るなんて小学生のお泊まり会以来だったから、ちょっとだけ興奮したのはナイショだからね」

 

「言っちゃってるから内緒になってない気がするけど……?」

 

 

指を鳴らして口約束事を取り付けてくるスバルに小首を傾げ、ペトラは苦笑う。ベッドの上をぽんぽんと叩いて座るよう促してくるスバルの横に腰掛け、一息ついた。

 

それからスバルを見ると、彼女があまり見たことのない服を着ていることに気づいて、

 

 

「スバルのそのお洋服って……」

 

「ん? これ? 屋敷のを借りてんの。アタシ、着る服がアレしかないからさ。洗濯に出しちゃったら着れる服がないのよ。だから、ハヤトに言って貸してもらったってわけ」

 

 

手を軽く広げて服の全体を見せるスバルは普通の態度だが、ペトラにとっては珍しいのだろう。「ふぅん」と関心の息を溢す彼女は、物珍しそうな目でこちらを見てくる。

 

スバルの寝巻きはロズワール邸から借りた患者衣——屋敷で目覚めたばかりのスバルに着せられていたものを着用している。

 

本来これは病人に対して使われるものだが、これがまた着心地が良いのなんの。いかにも病人感のあるデザインさえなんとかなれば、普段着にしてもいい。

 

そう思うスバルにペトラは「じゃあじゃあ」と目を光らせながら近づき、興味津々な様子で、

 

 

「お屋敷のお洋服だから、やっぱり着心地とかっていいの?」

 

「見た目よりもね。まぁ、アタシのジャージよりかは機能性に欠けるけど、通気性はタメ張ってると思う」

 

「じゃーじ? さっきママが持ってた、スバルが着てた黒い変なお洋服のこと?」

 

「変なお洋服って言うな!? アレ、アタシの相棒だぞ!?」

 

 

なんの悪意もない少女の罵倒に意表を突かれ、スバルが思わず声を荒げる。当然、悪意がないペトラにはその意味が伝わらず、「ん?」と不思議そうな表情をされた。

 

やはりと言うべきか、この世界にとって日本のものは総じて『変なもの』扱いされるらしい。実はレムとラムにもボロ切れだの布切れだの散々な言われようで、これでは職人が泣く。

 

 

「あ、そうだ。それよりも、スバルに聞きたいことがあってね」

 

 

そんなスバルの感情をたった一言でさっと片付け、ペトラは簡単に話題を切り替えた。

 

パチンと音を鳴らして両手を合わせる彼女は、「アタシのジャージの価値とは……」と項垂れながらも切り替えて「聞きたいこと?」と、こちらを見てくるスバルに可愛い笑顔を作ると、

 

 

「スバルって、ハヤトのなに?」

 

「なにって……」

 

 

体を真正面に捉えて聞いてくるペトラに言葉が詰まり、スバルの口が止まる。割と真剣な声色で聞いてくるものだから、一瞬だけ真剣に考えようとした。

 

それが一瞬だけだったのは、彼女の中で既に答えが出ているから。じっとこちらを見つめてくるペトラに適当に「あはは」と笑いながら、スバルは言った。

 

 

「同郷の友達ってだけよ」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「本当に?」

 

「本当の本当に。ペトラみたいな可愛い子どもに嘘つくほど腐ってないつもりよ、アタシ」

 

 

答えを絶対なるものにするように念を押し、しつこく聞いてくるペトラ。気がつけば体が触れる距離にまで詰め寄っていた彼女に手を横に振り、スバルは吐息するように笑う。意図を察したのだ。

 

それをどう受け取ったか、途端にペトラの笑顔が崩れる。頬を固めてムッとした表情になるペトラは、その大きなエメラルドグリーンの瞳を鋭く細めて、

 

 

「ハヤトはわたしのだから。わたしが先に好きになったから、ぜーったいに取らないでよね」

 

「あー、やっぱりそんな感じなんだ」

 

 

細めた目で睨みつけ、声に覇気を持たせて、不満全開の表情で精一杯に威嚇してくるペトラ。しかしスバルからすれば年相応の可愛さしか感じられず、怖いというよりむしろ微笑ましい。

 

ハヤトに男としての魅力があるのはスバルも感じている。その感覚が間違っていないことも、村に住む女性たちのハヤトへの対応を見ていて薄々ではあるが感じていた。

 

そしてそれは大人だけでなく子どもにも絶大な効果を発揮したようで、

 

 

「わたしの友達みんなハヤトのこと好きだから、コイガタキは減らしておきたいの」

 

「恋敵って、どこでそんな言葉覚えたの。本物の恋を知るには若すぎない?」

 

「ママが言ってた。男をおとすには周りの女から蹴落とせ、って。あと、きせいじじつ? を作りなさいって言われたよ」

 

「ルーナさんって、ただの美女ってだけじゃなかったんだ……。美女って怖ぇ」

 

 

ペトラの母親、ルーナ・レイテ。彼女がどうやってペトラの父親を堕としたのか、ちょっと気にならなくもない。が、聞くと恐ろしいことを聞かされそうだからやめておく。

 

だって、子どもに既成事実を作れと教える母親がどこにいる。ルーナの印象が穏やかな笑顔と優しい雰囲気が似合う女性だったのに、今の会話でだいぶ揺らいでしまった。

 

そんなことなど知らないペトラ。自分の放った言葉でスバルを動揺させている自覚のない彼女は「だからダメ!」と、言葉を強くして、

 

 

「ハヤトのこと好きにならない、ってわたしと約束して!」

 

「分かった。んじゃ、ほら、アタシと約束」

 

 

前のめりなペトラに笑顔を崩さないまま、スバルは右手をペトラの前に持ってくる。小指以外の指を全て折り曲げると、残った小指をペトラに向けて反応を待った。

 

スバルにとっては馴染みのある行為だが、ペトラにとっては知らない行為。目を点にして小指を見つめる彼女に「なにそれ?」と戸惑われると、

 

 

「指切り。知らない? 約束をするときにお互いの小指を絡ませてやるんだよ。そうやって約束を固めて、破ったら針を千本飲む、っていう罰を与える。アタシの故郷に古くから伝わる由緒正しき儀式」

 

「じゃぁ、もしスバルがハヤトを好きになったら針千本飲んでよ?」

 

「考えたくもない……。いやでもアレって、針千本なのかハリセンボンなのか曖昧だったような気が……。まぁいいわ、飲んであげる。もし、アタシがハヤトを好きになったらね」

 

 

「約束」と。

 

余計な考えを捨てたスバルが小指を小さく揺すると、「やった!」と歓喜の声が弾けて笑顔の花を咲かせるペトラが同じように小指を出し、スバルの小指に絡めた。

 

そうしてスバルが指切りの歌を歌い出せば、少女と少女の約束は固く交わされることになり、

 

 

「——ゆーび切った」

 

「今のお歌は?」

 

「指切りをするときの歌。お友達にもやって村中に流行らせてもいいよ。そのときはアタシが発祥だって伝えてね。ドヤ顔で、アタシが始めました、ってみんなに言うから」

 

「うん、分かった!」

 

 

その言葉が終わる頃には、二人の間で約束が交わされていた。

 

嬉しそうに、満足そうに、頬を緩ませて笑むペトラ。そんな彼女の様子に釣られて、笑みが勝手に溢れてくるスバル。表情だけの笑みは次第に声となり、二人が口を開けて笑い合う。

 

約束を確かめ合うように小指と小指を固く絡めた二人が一緒に笑い、笑い、笑い続ける。楽しげな声は家の二階にある自室の壁を貫通し、一階にいる両親にも届けられて、顔を合わせる二人もまた笑む。

 

そうしてレイテ家が温かい空気に包み込まれ、やがて確かな安堵となって四人に浸透していく。

 

 

 ——その、ときだった。

 

 

「ーーーーッッ!!」

 

 

 とてつもない轟音が、静まり返ったアーラム村を震撼させたのは。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「なに今の!?」

 

 

ほのぼのな空気を一瞬でぶち壊す轟音に目を剥き、驚きにペトラを抱きしめたスバル。衝撃を振動と音として受けた彼女の行動は早く、ペトラを離すとベッドから降りて窓から体を出し、外を確かめた。

 

爆撃でもされたような衝撃音と振動、言葉そのままの意味で世界が揺れたと錯覚する衝撃は、スバルも生きてきた中で感じたことがない。ならば、村になにかしらの変化が———。

 

 

「——ない?」

 

 

なにも、起きていなかった。

 

視界に広がる光景はついさっき涼んでいたときに見たものと全く同じで、これといった変化はない。火の手が上がっているわけでもなければ、建物が破壊されているわけでもなかった。

 

ありえない、そんなわけがない。目を凝らすスバルは左右に首を振って注意深く確認するが、それでも大きな変化は見られない。

 

強いて言えば、今の轟音を聞いた近隣住民がスバルと同じように窓から顔を出していることくらい。家の外に出て様子を確認している人もちらほら見える。

 

 

「今なにがあったの!?」

 

「私にも分かりません!」

「衝撃で驚いて外に出てきたばかりなので!」

「村になにかあったのか!?」

「でもなにも見えないぞ!」

 

「……アタシと同じか」

 

 

試しに窓から一言声をかけたが、返されたのは似たような言葉ばかり。理解が追いつかない事態にスバルを含めて全員が等しく混乱しており、状況の把握がまるでできていない。

 

そうこうしているうちに衝撃の余韻は消え、アーラム村は落ち着きを取り戻していく。村人たちの困惑と混乱を置いて、一人静かに寝静まった。

 

静寂の世界に一度の特大な衝撃、その後には何事もなかったかのように姿を消す。まるで花火のような演出に、それこそ花火が上がった直後のような胸の高鳴りをスバルは感じる。

 

興奮ではなく、焦燥の高鳴りだ。

 

 

「ペトラ」

 

 

加速する鼓動を宥めつつ、なるべく落ち着きながらスバルは振り返る。

 

外から聞こえる村人たちの慌ただしい声と数秒前の轟音にペトラもただならぬ気配を感じたのだろう、不安そうな顔つきでこちらを見つめていた。

 

自分がしっかりしなくちゃいけない。目の前の少女を見ていると、そんな使命感にも近しい思いが吹き上がってくるスバル。首のバスタオルを机に置く彼女はペトラの手を優しく握ると、

 

 

「とりあえず下にいるルーナさんとロイさんのところに———」

 

「ペトラ!」

 

 

努めて冷静さを欠かないようにするスバルの提案がペトラに届く寸前、階段を突き抜ける声が一階から響き渡り、直後にどたどたと勢いよく駆け上がってくる足音が近づいてくる。

 

張り上げられた声はルーナのもので、我が子の身を案じる声音からは焦りが滲み出ている。その声に突き動かされたスバルはペトラの手を引っ張って部屋から飛び出ると、

 

 

「ルーナさん!」

 

「ペトラ、スバルさんも……! 一緒にいたのね。二人とも怪我はない?」

 

「アタシもペトラも大丈夫」

 

 

スバルに真剣な声で言われたルーナが、手を繋ぐ二人の全体を軽く見る。

 

怪我がないことを確認すると固くなった頬の筋肉が僅かに緩み、「ほっ」と胸を撫で下ろすと、

 

 

「怖くなかった? ペトラ」

 

「大丈夫。スバルがぎゅってしてくれたから平気だったよ」

 

「強い子ね、流石ママの子」

 

 

一番に娘のことを心配するルーナがそう言ってペトラの頭を撫でる。空気を読んだスバルがペトラの手を離すと、安心の表情を浮かべてそのまま抱きしめた。

 

「えへへー」とペトラから雰囲気に似合わない声が漏れる。ルーナはその無邪気な声を聞きながらペトラを抱き上げると、

 

 

「この子のことありがとう、スバルさん。スバルさんも怖くなかった?」

 

「アタシは全然平気、モーマンタイ。刃物振り回してくる胸のデケェ女ぁ相手にするより全然マシ、このぐらいで狼狽えるアタシじゃないぜ」

 

 

歯を見せてグーサイン、自分に言い聞かせるスバルはそうやって己を鼓舞すると、深く聞かないルーナは「そうなの」と一言だけ言って小さく頷く。

 

実際、王都で経験したエルザとの激闘に比べたら今の事態は対して恐怖ではない。焦ってはいるが、周りが見えなくなるほどのものでもないし、思ったより思考は安定している。

 

問題ない。今の発言からそう判断したルーナはスバルに背を向けると歩き出し、

 

 

「ひとまず、村の中央広場に向かいましょう。なにか起こったら必ずそこに集まるのが、この村の決まりなんです」

 

「分かった」

 

 

中央広場とは、名前の通り村の中央に位置する円状の大きな広場だ。主に商売や集会などが多く開かれる場所であり、数日前にハヤトが村の住民を集めてスバルの話を持ちかけた場所でもある。

 

階段を降りて一階へ。一直線に玄関に向かうルーナはペトラに靴を履かせた後に自分も履き、背に続くスバルも人差し指と中指を靴べらにしてスニーカーを履く。

 

トントンと爪先で地を叩いて踵まで足を入れると開かれた扉を抜け、ルーナと彼女に抱かれるペトラと共に敷地の外へ出た。

 

 そこで気づく。

 

 

「ルーナさん、ロイさんは?」

 

 

ペトラの父親、つまりルーナの夫、名をロイ・レイテの存在。少し話した感じ、完全にルーナの尻に敷かれてる感が否めない雰囲気の、穏健で気さくな青年の姿がない。

 

あれほどの衝撃があったのだから、ルーナのように真っ先にペトラの下に駆けつけるはずだ。なのにこの場にいないのはなにかしらの事情があるからだろう、多分。

 

呼び止められ、足を止めるルーナ。近隣の住民が中央広場がある方向に向かっていくのを横目に、彼女は「主人は」と繋げて、

 

 

「万が一に備えて、村の倉庫に武器を取りに向かいました。青年団ですから」

 

「青年団?」

 

「村に異常が起こったとき、率先して解決に動く人たちのこと。と説明したら分かりますか?」

 

「ああ、地元警察みたいなもんね」

 

 

自分なりの解釈で理解し、スバルは疑問を解消する。同時に、外見だけで言えば優しそうなロイが剣を振るう姿が想像できなさすぎて、少しばかりの心配が心に浮上する。

 

ハヤトとかいう化け物並みに強い男がいるから、そういった人たちはいないと思っていたが、そうでもなかったらしい。

 

青年団というからには複数人いるのだろう。が、ハヤトと比べてどれほど頼りになるのかは不明と。

 

 

「ごめん、余計な時間取らせた。広場に向かおう」

 

「はい。行きま———」

 

 

 しょう。

 

そう言葉を続けようとした瞬間、ルーナの声を掻き消す轟音が再びアーラム村に轟き渡る。爆撃されたような音、先程と全く同じ音が爆発した途端、地面が大きく揺れた。

 

不意なそれに耐えきれず、よろけるスバルが敷地の壁に肩をぶつける。ルーナは抱き抱えるペトラを庇うように背中から衝突、閉じた口の中で「ぅぐ」と苦鳴が弾け、

 

 

「ーーーーッッ!!」

 

 

その音すらも、轟音は掻き消した。

 

一度目の轟音に続いて二度目の轟音が間隔を開けず村中に木霊し、連鎖反応のように三度、四度、五度目と連続して音が立ち始める。

 

音の震源は遠くない。それどころか、こちらへ徐々に近づいてきているようにすら聞こえる。なにかを容赦なく破壊し尽くす音が、確実に迫ってきている。

 

先程のは一度の轟音、対して今回のは連続——原因不明の音と振動に混乱するスバルは、痛む肩に手を当ててルーナにぐいっと顔を向けると、

 

 

「ルーナさん大丈夫!?」

 

「私は平気です。ペトラは痛くなかった?」

 

「平気だよ」

 

 

心配するスバルに笑いかけたルーナが胸元のペトラに視線を落とすと、見上げるペトラの表情がとても安定しているのが見えた。

 

こんな状況、周囲には情けない声を出して中央広場に一直線の人間だっているのに反し、ペトラは依然として落ち着いている。ひょっとしたらこの場の誰よりも落ち着いているかもしれない。

 

状況を理解していないわけではないだろう。子どもだとしても、否、子どもだからこそ、肌に触れる空気感で身の危険を察知する能力は大人よりも高いのだから。それならどうして、

 

 

「ーーーー。考えてる場合じゃないわね。ルーナさん道案内して、全力で着いてく!」

 

「こっちです! 遅れないでください!」

 

 

不審なまでに冷静なペトラの様子を頭の片隅に追いやり、スバルは走り始めたルーナの背中を追いかける。既に広場に向かう近隣住民の流れが弱くできており、その中に加わった。

 

もはや、この村でなにかが起こっているのは確実。自分らは何者かに襲われている。ならば、足を止めている時間など与えられてはいない。

 

一分一秒が生死を分ける——今、自分はそういう状況に置かれているのだとスバルは判断した。この轟音と揺れだ、ちょっとくらい大袈裟に考えてもいいだろう。

 

となれば、あと考えることは一つ。

 

 

「このことをハヤトに知らせた方がいいと思うんだけど! ハヤトがいればなんとかなるでしょ?」

 

「おそらく青年団の一人がロズワール様の邸宅に向かっているはず……絶対に大丈夫です。ハヤト様とテン様が来てくだされば、なにが起きてもどうにかしてくださりますから」

 

「ハヤトは分かるけど、テンもなの? それってちょっとおかしくない?」

 

 

既に村の一人が救援要請に向かっているのは吉報、ハヤトだけではなくテンも来るのは凶報。テンの評価が地の底突き抜けてマントルまで到達するスバルは「は?」とでも言いたげに小首を傾げる。

 

スバル的には当然の反応でも、周囲を走る人間的には今のはおかしいらしい。逆に「は?」とでも言いたげに心の目を向けられた。

 

 

「なにもおかしなことはありませんよ。テン様もハヤト様と同じくらいお強いですから。お二人が一緒にいれば私たちに怖いものはありません」

 

「だからわたし怖くないよ、スバル! なにがあってもハヤトとテンが助けに来てくれるもん! この前だってね、わたしとママを助けてくれたの!」

 

 

それがペトラが異常なほど冷静な理由だと分かったとき、スバルは改めて——改めすぎるほど改めて、ハヤトという存在の大きさを理解した。不服だけどついでにテンも。

 

語るルーナの顔にも、ペトラの声色にも嘘はない。周囲を走る人たちと同じ空気を放ってきて、全員がその二人が助けに来ると信じて疑っていない。

 

必ず助けに来ると、本心から語っている。

 

 

「来ます。必ず、お二人は来てくれます。私たちはそれを信じます」

 

 

「これまでだって、そうしてきましたから」と、唇を綻ばせるルーナがそう付け足して言葉を切る。真横を走る彼女の横顔があまりにも真剣だったから、スバルはなにも言えない。

 

色々と思うことも言いたいこともあるが、口にすると袋叩きにされる気がする。というより、そんなことを言ってられる場合でもなかった、なくなってしまった。なぜなら———、

 

 

「オオオオォォォォーーー!」

 

「ーーっ! 今度はなに!?」

 

 

後方、突如として狼の遠吠えにも似た咆哮が背中に叩きつけられる。鼓膜を(つんざ)く咆哮は十を越えて重なり、驚いた全員が足を止め、思わず振り返ってしまった。

 

そしてその直後、決して足を止めるべきではなかったのだと、思い知らされることになる。

 

 

「——おい、今の声って」

 

 

誰かそう溢したか。広場に向かう集団の中で声が落ち、わなわなと震える。その声に触発されるように全員の顔が青ざめ始め、トラウマを思い出したように呼吸が乱れる。

 

その中でただ一人、スバルだけが置いてけぼりだった。初めて聞いた咆哮に困惑し、しかしルーナの表情が戦慄に歪んだのを見て、良くないことが起きたことだけは分かった。

 

咆哮に引き寄せられて振り返った誰もが息を呑み、ゴクリと生唾を飲み込む。場にいる全ての視線が直線上に集中し、その正体を見た。

 

 

「嘘だろ……!」

 

 

満月の下、月光に照らされた地上を、黒い物体が凄まじい速度で走っている。

 

四肢を激しく回転させ、真紅の瞳でこちらを睨みながら、牙を剥き出しにして迫ってくるそれは、

 

 

「魔獣だッ! 逃げろぉぉーーッ!!」

 

 

死を意味する悲鳴が、アーラム村で上がる。

 

その声を起点に、死へのカウントダウンは動き始めた。

 

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