少しでも望む未来へ   作:ノラン

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切りがよかったので短め。9000文字です。
いや、9000文字を短めと言ってもいいのか……。
相変わらず進みが悪いです。




小さくて大きな命

 

 

何重にも重なる狼の咆哮が、スバルたちの鼓膜に殴りつけられる。それはアーラム村の住民からすれば恐怖の象徴、自分らを餌としか見ていない生物による死の宣告。

 

月光を浴びて黒光りする漆黒の体毛に、大型犬にも引けをとらない強靭な体躯。地を蹴り上げる四肢と先に伸びる三本の鋭い鉤爪、開いた口から顔を出す凶暴な牙を持つその生物は正に狂犬。

 

狂犬の双眸は血のように真っ赤で、それが線状の残光となってこちらへ迫る光景は絶望と表現する以外に適切なものがない。

 

 

「ウルガルムがなんでここにいんだよ!」

「結界が破られたの!?」

「とにかく逃げましょう! 走って!」

「走ったところで追いつかれるぞ!」

 

 

実際その生物——ウルガルムに追われるスバルたちは絶望的な状況にあった。逃走本能を強く掻き立てる光景に悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 

大量のウルガルムが、スバルたち目掛けて押し寄せていた。涎を垂らしながら距離を詰めてくる光景は少し前に起こった悲劇、まるでその再現だと言わんばかりで、

 

 

「なんなのアイツら、アレが魔獣ってやつなの!?」

 

「ウルガルムです! この村に隣接する魔獣の森に生息する化け物!」

 

「なんでそんなクレイジーな場所に村を!? 普通に考えてバカじゃないの!?」

 

「普段は村と森の境界線に結界が張られて村には入ってこれないはずなんです! でも………!」

 

 

端的かつ率直なスバルの意見に必死の様相で叫び、息を切らして走るルーナは後方をチラ見。釣られてスバルも見れば、自分らの後方を走る村人の更に後方に着々と距離を詰めるウルガルムの姿が見える。

 

結界が張られていればあり得ない、ルーナはそう言いたいのだろう。結界が化け物を封じているのはゲームのお決まりで、一言で察したスバルは「なるほどね」と納得。

 

 つまり、

 

 

「結界が破られた?」

 

「そう考えるしか。結界の管理は普段から青年団が受け持っているんですが」

 

「管理不足が問題でこの状況なら洒落にならないわよ。杜撰な管理とか整備が原因で事故って人が死ぬとか、飛行機の墜落事故とかで聞いたことある話だけどね!?」

 

 

前を向き、ペトラをしっかり抱き抱えながら走るルーナと並走しながらスバルは吠える。テレビなどで偶に放送される歴史的事件、他人事や過去の出来事として扱ってきた事態に襲われていると思って。

 

仮に原因がそれなら本気で洒落にならない。この事態の原因が同じく人間の怠慢なら、結末もスバルが想像する歴史的事件と同じ道を辿るのだから。

 

 

「ここではそうならないと——」

 

「嫌ぁぁあああーーっ!!」

 

 

 思いたい。

 

切実な思いを口にしようとした瞬間、背中で甲高い悲鳴が飛び跳ねるように上がる。この状況に陥ってそのような願望を抱くスバルを世界そのものが否定し、声が掻き消された。

 

驚き、首だけ振り返って声の主を確認——あまりの恐怖に喉の奥で「ひゅっ」と声にならない声が鳴り、一瞬にしてスバルの表情から余裕が消え、恐怖一色に塗り潰される。

 

 

 ——人が、魔獣に喰われていた。

 

 

走る途中で転んだのか、胸から倒れる女性の体に何体ものウルガルムが群がり、我先にと言わんばかりに噛みついている。四肢に、胴体に、首に、髪に、ありとあらゆる部位に牙を立て、蹂躙していた。

 

皮膚と肉の壁が噛みちぎられた肉体から鮮血が栓を抜いたホースのようにどばどば吹き出し、瞬く間に血の海が広がる。爪で雑に掻っ捌かれた腹部から臓物が垂れ落ち、数多の鉤爪に踏み荒らされた。

 

丸呑みされた右手が手首から骨ごと噛み砕かれ、右手首から先が消える感覚に白目を剥いて絶叫。間もなく左脚の脹脛に牙が貫通し、首を左右に振る動作で肉が抉り取られる。

 

 

「あ、ぁぎぃぃぃ! ぶっ、ごがぁぁぁ!」

 

 

自身の体重を軽々しく凌駕する総重量に対抗できるわけもなく、涙を流して絶叫する女性には抵抗という選択肢がない。生きながらにして肉塊にされる現実にただただ叫ぶのみだ。

 

その絶叫、ウルガルムにとっては快音でしかない。無情にも蹂躙の勢いが増し、耳を塞ぎたくなる断末魔が最初の犠牲者が出たのだとスバルたちに知らしめた。

 

知らせが届けば、動揺する人間は必ず出る。そしてそれを、魔獣は決して見逃さない。

 

 

「や、やめろ……来るなぁ!」

「ぎゃぁァあァあァあッ!」

「嫌だ、助けてぇ! 置いてかないでぇ!」

「ああぁあぁああぁぁああーー!」

 

 

現実離れした光景に戦慄し、足がもつれて転倒した人たちに凶牙が殺到。猛烈な勢いで迫った絶望が、逃げ遅れた者たちへ残虐な死を強要する。

 

死を寸前にした人たちの行動は様々。近くに転がる石を投げて抵抗、化け物に裏返った声で発狂、遠のく背中に手を伸ばして哀願、恐怖に怯えて絶叫——いずれにしても魔獣には意味を成さなかった。

 

肉を引き裂く音が連鎖し、犠牲者の断末魔が聞く者の心を震え上がらせる。一緒に逃げていた存在に助けを求めるはずの声は皮肉にもその背を強く押し、自衛を優先させる本能が逃走を助長させ、

 

 

「その人から離れろーー!」

「俺の友達に手を出すなぁ!」

「その子を殺さないでッ!」

 

「ーーっ! ダメ行かないで!」

 

 

その助長がきっかけとなり、愚かにも本能に反逆した数人がスバルたちとは真反対に戻っていく。ぎょっとして目を見開いたルーナが振り返って呼び止めるも、もう遅い。

 

小規模なだけあって、ほとんどの村人同士が顔見知りなのがこの村。隣人なら尚更であり、その中には関係が深い存在だっている。その上で結束力が高いとなると、助けてしまうのが人間の(さが)

 

そうして我が身を捨てて駆け出した結果は明白だ。勢い任せの特攻は無駄死にを招き、量産され続ける死体に歓迎されながら地に倒されて絶叫、救おうとした人間と同じ末路を辿った。

 

血飛沫があたり一面に降り注ぎ、のどかだったアーラム村に惨劇の跡が刻まれる。雲ひとつない満月の下では鮮明に見え、四肢と肉片が散らばる中心で魔獣が次なる獲物を求めて涎を垂らし、

 

 

「ひっ……!」

 

 

それらの目に射抜かれた気がして、引き攣ったスバルの喉が高い音を短く漏らす。化け物に狙いを定められたと錯覚するほどの恐怖を一身に浴びせられ、意図せず足が絡まってよろけかけた。

 

体勢を立て直そうと体を起こしても遅い。体に残る前に進む力に振り回されて派手に転倒——–、

 

 

「スバルさん!」

 

 

 寸前。

 

慌ただしく暴れるスバルの手をルーナが掴み、閉じた口の奥で気合いを叫びながら勢いよく引き上げられる。

 

そのまま手を引っ張られて強引に体勢を立て直され、下を向いていた顔がぐいっと前を向くとルーナの血走った目と目が合い、

 

 

「止まらないで走りなさい! 止まったら死ぬわよ!」

 

「はいッ!」

 

 

早口で捲し立てるルーナの叱咤に軽口すら言えず、スバルは返事一つで再び走り出す。息も絶え絶えでいつ止まるかも分からない体に鞭を打ち、死にたくないという感情に従って。

 

今もなお聞こえてくる断末魔。スバルたちよりも後ろを走っている村人たちが追いつかれ、次々と殺されていく。原型を留めぬほどぐちゃぐちゃにされ、死体の道が徐々に完成しつつあった。

 

それを作り出す魔獣にもう時期追いつかれると思うと、スバルの頭は恐怖で真っ白になり、

 

 

「早く来てよハヤト……!」

 

 

無意識に思い浮かべた男の名を呼び、スバルは震える拳を握りしめる。この世界に来てからずっと寄り添ってくれた心強い存在に縋り付くように、掠れた声で助けを求めた。

 

ハヤトならあんな化け物イチコロ、瞬殺してくれるに違いない。彼がここに来てくれればそれで全てが解決、自分たちがこんなに怯える必要もなくなるだろう。

 

そんな思いを胸にして、今この瞬間にも死ぬかもしれない恐怖と断末魔に背を押されながら、スバルは生き残っている人たちと前へ前へ進み行く。

 

 

「ママ……?」

 

「見ちゃダメ、目を瞑ってなさい!」

 

 

そんなやりとりが聞こえて横目で見ると、ルーナの胸に頭を埋められているペトラの姿。子どもの不安に揺れるか細い声に、母親が強く言い聞かせている。

 

ハヤトが心の拠り所のペトラも聞こえ続ける悲鳴に危機感と恐怖を抱いたのか、母親の体にしがみつく小さな両手はその服をぎゅっと掴んで離していない。

 

眉間に皺が寄るほど強く瞑られた目は、恐怖に怯える子どもの姿以外になく、

 

 

「大丈夫、絶対に大丈夫よ」

 

 

ペトラに優しい言葉をかけるルーナもまた、母の姿以外にない。絶対に離さないとばかりに我が子を抱き抱える様は母親根性と言うべきか、この状況下でも逞しいものがあった。

 

額から汗を垂らして息を乱すルーナには余裕なんてないのだろう。実際、疲労の色が見え始めた表情は必死そのもので、時折後方を確認しては青ざめている。

 

それでも冷静なのはペトラがいるからか、親心なんてまともに理解したことがないスバルに分かる話ではなかった。分かることがあるとすれば、

 

 

「きゃぁぁーー!」

 

 

その冷静な判断力が、たった今襲いかかった最悪の事態を、自分を含めてルーナに知らせていることくらいだった。

 

ちょうど、スバルの真後ろを走っていた女性だ。それまで弱く聞こえていた懸命な息遣いとは違い、喉を張り裂かんばかりの絶叫がスバルの鼓膜を不意に打つ。

 

驚きに肩を跳ねさせ、反射的に振り返るスバル。彼女はなにが起きたのか確認して、

 

 

「ぁ………」

 

 

 ——その瞬間、目に映る世界がスローモーションになった。

 

一番に全ての物体の動きが緩慢になり。二番に世界を揺るがしていた阿鼻叫喚の音が次第に消えていき。最後にその世界に取り残される思考だけが加速していく。

 

そうして刹那が無限に引き伸ばされる世界で見えたのは、目と鼻の先にまで迫ったウルガルムだった。後ろの村人たちを残さず虐殺した殺戮集団が、ついにスバルたちを獲物に定めたのだ。

 

その脚力をもってして体に体当たりするように、既に飛びかかられている。走る勢いを乗せたそれをまともに受ければ、戦う力の無い人間は簡単に押し倒されてしまうだろう。

 

避けられる未来はない。例え世界が遅くなってもスバルが早く動けようになるわけがないのだから。考える力だけが加速する状況では、誰もがただ死を待つ傍観者に過ぎない。

 

 

 ーー嫌だ、死にたくない

 

 

そんな思い虚しく、世界は時を刻んでいく。間もなくウルガルムの体当たりが目の前にいる女性に叩き込まれ、ドミノ倒しのように自分も倒れる。あとは死んでいった人たちと同じだろう。

 

もう当たる。倒される。死ぬ。自分も。ルーナも。ペトラも。周りの人も。その瞬間が訪れる。ウルガルムと女性の体が触れた。

 

 その瞬間、

 

 

「ーーーーッ!!」

 

 

突如として民家を突き破った巨大な物体がウルガルムを蹴散らしながら高速で目の前を横切り、巻き起こった衝撃波にスバルは容赦なく吹き飛ばされていた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

ペトラ、どこにいるの!? ペトラ!

 

 

誰かの叫ぶような声が聞こえた気がして、スバルはゆっくり目を開けた。鼓膜を小さく刺激する誰かの金切り声に意識が呼び起こされ、停止した思考が鈍く動き始め、状況を把握すべく情報を集める。

 

視覚を通じて見える世界は、闇で閉ざされていた。眼球だけを動かして周囲を見るも、どこを見ても景色が変わらない。

 

 

お願い、返事をしてペトラ! ペトラぁ!

 

 

朦朧とする意識の中、再び誰かの声が流れてくる。けど、誰の声なのか分からない。耳の奥で鐘のように鳴り続ける耳鳴りのせいで音が遮断され、正常な区別がつけられない。

 

今、自分がどんな体勢をしているのかも不確かだ。寝そべっているのか、丸まっているのか、浮いているのか。体の感覚を感じることができず、置かれた状態に理解がいかない。

 

今、自分がどこを向いているのかも不確かだ。上を向いているのか下を向いているのか、はたまたそれではないどこかを向いているのか。どこを向いても世界は闇一色で、まるで分からない。

 

何かが起きる前と起こった後、二つの記憶が上手く結び付かず、自分の身になにが起こったのかすら不確かだ。

 

不確か、不確か、不確か不確か不確か。自分という存在を取り囲む全てが不確か。

 

思考が点滅する。意識に霧がかかる。

なにも考えられない。なにも分からない。

 

なにがあって、こうなっているのか。自分は生きているのか、死んでいるのか。そもそも自分ってなんなのか。

 

 

うそ……そんな。ペトラ! ペトラ!

 

 

立て続けに、これでもかと、誰かの声が鼓膜に流れ込んでくる。必死な声。誰かが誰かに訴えかけるような、そんな声に聞こえる。

 

そして、それが女性の声帯から発せられるものだと聴覚がぼんやりと理解したとき、スバルの意識は急速な回復を見せた。

 

 

「………ぉぁ」

 

 

うめき声を絞り出し、スバルの体がピクリと動く。途端、鈍い痛みが苦痛となって全身に走り、回復しつつある意識を叩き起こした。機能停止した五感が飛び起き、スバルの中に情報が滝の如く流れる。

 

 

だめ……ダメよ、ペトラ! やめて……嘘だと言って……ペトラ! ペトラ! ペトラぁぁ!

 

「るーな、さん?」

 

 

聞き間違えじゃない、確かにそう呼ぶルーナの声が聞こえた。ペトラの名を叫ぶ涙混じりの悲痛な声、あの穏やかな彼女からは想像がつかない魂の絶叫。

 

突き動かされるように再び体を動かすと、先ほどの激痛に苛まれて「ぅぐ」と苦鳴が鳴る。体に入りかけた力が抜け、伸びかけた腕が落ち、耳の真横で草と草が擦れ合うようなさらさらとした音がした。

 

感覚的に打撲した時の痛みに近く、歯を食いしばって無理をすれば動けない痛みではない。——というか今、自分はどんな体勢でいる。

 

多分、背筋が極限まで丸まった状態、でんぐり返しの状態でひっくり返っている。それで、頭のてっぺんが地面を向いている。でなければ頭に血が上るこの感覚はなんだというのか。

 

 

「てかアタシ、今どこに……」

 

 

そこまで思考が至り、スバルは思う。真っ暗な世界、ここは一体どこなのかと。

 

記憶が正しければ狼の化け物、ウルガルムと呼ばれていた魔獣に襲われる寸前、巨大な何かが目の前を通り過ぎた直後に浮遊感——そこからの記憶が一切無い。

 

意識でも失っていたのだろうか。お陰で自分がどこにいるのか見当もつかず、視覚に頼れないスバルはそれ以外の感覚に頼った。

 

 

「………草?」

 

 

結果として、自分は草のような柔らかい何かに包まれていることに気づく。素肌に触れるチクチクとした感触は枝葉の先端に触れた時に感じるそれであり、触り心地も遜色ない。

 

開いた手を閉じれば柔らかい感触が握られる。少し力を込めただけでパキパキと折れ曲がり、手の中でいくつも握り潰した。

 

 

誰か……誰かいないの!? 誰も生きていないの!? お願い、ペトラを助けて……誰か……。誰かーーッ!!

 

 

意識の復旧が完了に近づくにつれて、身の置かれた状況を把握しつつあるスバル。数珠繋ぎのように全ての身体機能が結ばれていく中、再びルーナの声が聞こえてくる。

 

五感の復旧は完了したが、その声はややくぐもっている。辛うじてなにを言っているのか分かる程度、それも所々が虫食いのように聞こえず、その全貌は把握しきれない。

 

音が、外の音が遮られている。その原因が自分の内側によるものなのか、外側によるものなのか、なにも見えないから分かりようがない。

 

 ならば、

 

 

「う、りゃぁ!」

 

 

気合いを入れて痛む体を強引に動かし、スバルは歯を食いしばってじたばた暴れる。

 

動かす度に鈍い痛みが痛覚を殴りつけられ、苦痛に表情を歪めながらも、身を捩って空間を殴り、蹴飛ばす。

 

 そして、気づく。

 

 

 ーーこの闇、掻き分けられる

 

 

闇だと思っていたものは、どうやらそうではなかったらしい。物理的に触れられる闇を掻き分け続けていると、不意に闇の世界に光が差し込み、僅かではあるが晴れた。

 

その光を目指すように無茶苦茶に暴れる。しばらくしないうちに体全体を包む感覚が徐々に減っていき、外の音が明快に聞こえてきて、

 

 

「ルーナ! ペトラになにかあったのか!?」

 

「ロイさん……! ペトラが、ペトラが!」

 

「ルーナさんひどい怪我! それにペトラちゃんも……。他に生きてる人はいないのか!」

 

「あのデカいのはどこいったんだよ! さっきから村中走り回って村をめちゃくちゃにしやがって! それにあの魔獣……」

 

「見間違えじゃなけりゃ多分、ギル………」

 

 

最後の方は上手く聞き取れなかったが、自分の周りに男が何人か集まっている。とりあえずルーナとロイがいることと、ペトラに何か起こっているのは察せられた。

 

一時的に意識と記憶が吹き飛ぶほどの衝撃を受けて、ルーナは生きていたのか。心の端っこで安堵するスバルは、しかしペトラの身になにが起こったのかと心の大部分で思い、

 

 

「誰か! 生きてるなら返事してくれ!」

 

「ーー! ここ! アタシはここにいる! 誰か助けて! へーループーミー!」

 

「スバルさんの声……あそこだ!」

 

 

高く上がる生存確認の声を聞いた途端、精一杯に叫んでスバルは暴れ回る。心にある感情を全て真横に置き、自分の存在を主張することだけに意識を注いだ。

 

なにをするにも、まずはこの状況から抜け出す必要がある。百聞は一見にしかずとも言うし、そろそろこの体勢も辛くなってきた。あと、理由は知らないけど額がすごく痛い。口の中で血の味もする。

 

そんなことを考えていると複数の足音が慌ただしく近寄ってきて、何かを掻き分ける音が立つ。五秒もしないうちに世界がぱっと開け、闇の世界が完全に晴れた。

 

 

「んっ……」

 

 

降り注ぐ月光に眼球を焼かれ、眩んだ目を細めるスバル。その視界に映る世界は逆さまになっており、自分を心配そうに見つめる男たちもひっくり返って見える。

 

予想通りというべきか、やはりでんぐり返しの姿勢——かなり破廉恥な格好で見つかったスバルは慌てて体を横に倒す。すると、わさっと音を鳴らして柔らかい感触に受け止められる。

 

ずっと肌に当たっていた感触。ようやく視界良好になった彼女は、初めてその正体を見た。

 

 

「運が良かったですね。きっと吹き飛ばされたあと、大量に積まれた藁に突っ込んで受け止められたんですよ」

 

「そう、みたいね」

 

「額が割れて血が流れてますけど、それ以外の大きな怪我はなさそうです。本当によかった」

 

「ひたい……?」

 

 

心底ほっとした、肝を冷やした。そんな言葉が全身から溢れ、安心した様子で男たちは胸を撫で下ろす。

 

命を助けてくれた藁に対する思いもまともに抱かせてくれない発言に朧げな声色で小首を傾げ、スバルは言ってきた男の視線が集中する額に恐る恐る指先で触れ、

 

 

「痛っ……。なるほどね、さっきから痛かったのはこれのせいか」

 

 

指の腹に当たった皮膚ではない感触、触れた指に付着した血液、今も眉間の間を通って流れる出血、最後に一瞬だけ痛覚を刺激した刺すような痛み。

 

これらの情報を結合し、スバルは額が割れている事実に気づく。意識した途端にじんじんと痛み出し、意識がふらつく度に現実に引き戻す目覚ましとなった。

 

呼び起こされる意識のままに、スバルは男に手を引かれて立ち上がる。重たい腰を上げ、服についた藁を払うこともせず、顔を上げて世界を見た。

 

 

「ーーーー」

 

 

 惨状が、広がっていた。

 

穏やかで質素だった街並みは崩壊し、大量殺戮の跡地と変わり果てている。

 

スバルたちが走った跡には死体の道が一直線に築かれており、血と臓物がざっくばらんに散らばっている。あたり一面に異臭を放つ人の四肢や指が飛び散り、それぞれが血の海を作っていた。

 

その海を広げているのが、乱雑に噛み殺された人間の死体の数々。辛うじて人としての原型を保っているそれらから血が延々と流れ出し、血と血が混ざり合い、道全体が赤黒く染められていく。

 

魔獣という存在の凶暴さを体現したような光景に、スバルは開いた口をそのままにして立ち尽くす。正気(せいき)が抜けた表情から感情の色が消え、呆然とするしかない。

 

 

「ーーーー」

 

 

呼吸を忘れるほどの衝撃的な現実を目にし、スバルの思考はまたしても止まる。

 

しかし彼女が見ているのは死体の道ではなかった。もっと手前、彼女の頭を白く染める現実は、彼女の目の前にあるのだから。

 

 

「なに……、これ」

 

 

 掠れた声が、漏れる。

 周囲を見渡す目が、驚愕に見開かれる。

 

スバルが見つめる先——スバルたちが魔獣に襲われる寸前にいた場所、そのすぐ真横の民家が破壊されていた。何かが一階を突き破り、二階の重量に耐えれずに倒壊、そんな風に。

 

見れば、その反対側の建物も同じように倒壊している。見上げるほどの高さを誇る建物が己の一部を周囲に撒き散らしながら己の重量に押し潰されるという、壮絶な死を遂げていた。

 

一体、なにがあった。なにがあったらこんな終わり方ができる。

 

 

「ギルティラウです」

 

 

ふと、声がかけられる。生じた疑問を悟ったように真横から角刈りの男が現れ、

 

 

「どうして奴がここにいるのかは分かりません。けど、奴が暴れながら村中を走っているせいで村がめちゃくちゃにされているんですよ。僕たちはそれを追ってここに辿り着いたんです」

 

「そう………」

 

 

うわごとのように危うげな声で溢すスバル。目も合わせず、耳も傾けず、ただ聞こえた声に返事をしただけの彼女の頭に、内容など入っているわけがない。

 

見つけてはいけないものを、見つけてしまったのだ。説明されている途中に、一番初めに自分の意識に呼びかけた声の主を、意識下に入れてしまった。

 

右手に携えた剣の柄を握りしめ、顔を歪めて下唇を噛みしめる角刈りの男。ぐるりと周囲を見渡す彼は奇しくもスバルと同じ方向——人が集まる一点に目を置くと、

 

 

「恐らく、ここの人たちは走り回る奴に偶々轢かれて………。運良く生き残ったのはスバルさんとルーナさんだけです。あとは………」

 

 

言葉を切った角刈りの男を他所に、スバルは無言で彼から離れていく。一歩一歩を踏み締める足は辿々しく、ある一点を見つめる瞳は動揺と恐怖によって小刻みに揺れている。

 

正面、すぐそこ。右足が足首から潰れている女性が誰かを抱き抱え、声を上げて泣いていた。その女性の肩を抱く血に濡れた男性が、声を殺して泣いていた。

 

嘘だと思いたかった。そんなはずないと言いたかった。だけど現実は残酷で非情だった。二人に近づくスバルの目に、変えようのない絶望が飛び込む。

 

 

「ペトラ、お願い目を開けて……!」

 

「ダメだ……ペトラ、逝かないでくれ!」

 

 

自分の両親——母、ルーナ・レイテの胸に抱かれ、父、ロイ・レイテに手を握られながら、虚空を見つめるペトラ・レイテが静かに息を引き取っていた。

 

 

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