少しでも望む未来へ   作:ノラン

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久々の投稿で17000文字とかいう長文をぶち込みます。





大切の意味合い

 

 

 ——一度、現在の目的を簡潔に確認しておこう。

 

 

二章を攻略し、絶望のループを突破する上で、絶対に達成しなければならない目的は二つ。

 

一つ、三日目に起こる襲撃からアーラム村を守ること。一つ、スバルの安住の地を確保すること。

 

前者の目的は一周目と同様。メィリィ・ポートルートがけしかけてくる魔獣の撃退、エルザ・グランヒルテの打倒、総じて『襲撃者』から村を守る。

 

特に目的の変更はない。襲撃者から村を守る、単純かつ明快。むしろ大きな変更があったのは後者、スバルに関する目的。

 

当初の目的では、スバルが屋敷に馴染むキッカケを作ることが後者の目的だった。彼女を屋敷に住まわせ、屋敷の住人から信頼を得る。その目的を掲げ、突っ走っていた。

 

変更したのは、一周目でスバルが屋敷に住むことが不可能だと確定したから。そして、思った以上にスバルの地雷度合いが悲惨で、流石のハヤトも自分のやろうとしていることの無謀さを理解したから。

 

申し訳ない気持ちを押し込めてはっきり言おう、スバルは地雷すぎる地雷だ。屋敷の人間との相性が悪すぎる。彼女がテンを嫌っていることも踏まえると、居ない方がいいのではとすら考えた。

 

今はまだ、その時ではないのかもしれない。絆を育むのは色々と事が落ち着いてからにして、屋敷の人間に信頼されることは一旦置いておくことにした。

 

ひとまず、スバルが異世界で生活できる基盤を整えることが最優先。ハヤト的にもスバルが屋敷にいるだけで気が気じゃないから、本音を言うとそっちの方が助かったり。

 

屋敷の人間に信頼されることを諦めたわけではない。それよりも優先すべき事ができただけで、全てが片付いたらその問題に取り掛かるつもりだ。テンを含む、屋敷の人間と仲良くなろう大作戦に。

 

そういった理由もあり、掲げる目的は当初から変わる。前者は詳細になり、後者はランクを下げる形となった。

 

故に、二度目のループと真っ向から衝突するハヤトは、前回と全く同じルートを辿るべく身を粉にして奮闘した。

 

理由は簡単、そうすれば二つの目的のうちの一つ、後者を自然と達成できるからである。

 

 

「ロズワール。俺の無理な頼みを聞いてくれ。遠回しな言い方はできねぇから、単刀直入に言うぞ」

 

「遠回しな物言いは君には似合わないからねーぇ。好きなように言ってみるといーぃよ」

 

「スバルを、この屋敷の使用人として雇ってくれねぇか? そんで、住ませてやってくれねぇか」

 

 

そう言って開かれたロズワールへの直談判に始まり、朝食の場で起こった異世界とスバルの話に繋がって、最終的にアーラム村で終わった一連の流れ。

 

それら主要イベントに重ね、間で挟まれるラムやベアトリス、レムとの一幕をなんとか回収。予想通り村人の前で地に額を叩きつけるなどの一件もありながら、事は順調に進んだ。

 

結果、前回と同じくスバルはレイテ家にお世話になることになり、コットンという女性が営む仕立て屋で働く予定——前回と同じ状況になった。

 

無論、近くで見ていたスバルも、なにもしなかったわけではない。彼女なりのサポートとして軌道修正を施し、できる限り前回と同じ立ち回りを、前回以上の完成度でやりきろうとした。

 

ハヤトの力になりたい。助けられっぱなしはイヤ。

 

じっとしていられない性格がその感情に発破をかけ、口を挟んだことが裏目に出て、ハヤトの肝を冷やしながらではあったものの。

 

兎にも角、頑張るハヤトと同じくらいスバルも頑張った。そう、頑張ったのだ。

 

波乱の一日目を無事に終え、大忙しな二日目に突入。朝から夕方まで引っ越し作業に明け暮れ、夜の訪れに合わせて屋敷に帰宅。

 

作業が終わるまでは、屋敷に寝泊まりする約束のスバル。帰宅した彼女は村の周囲を警戒するハヤトと行動を共にし、役に立とうとしたのだが———。

 

 

「——もうちょっとくらい、頼ってくれてもいいと思うんだけどなぁ」

 

 

自分を置いて行ったハヤトに愚痴をこぼし、スバルは湯船に体をちゃぽんと沈める。浴場に反響する声を耳にしながら、不満げにため息をついた。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

一度目のループ開始日より今日で二日目、その夜。

 

二度目の二日目の夜を体験するスバル。妙にピリついていたロズワール邸での夕食を終えた彼女は、湯船に浸かりながら、この二日間の努力を振り返っていた。

 

割と、自分的には、良い仕事はできたと評価している。要所要所で違和感のない反応をできたかと言えば微妙なところではあるが、これといって怪しまれるようなこともなかったし。

 

今のところ、物事が一周目と同じルートを辿っているのが証拠。ハヤトが主体となって動く最中、別行動する時間もあったスバルもまた、回収すべきイベントを全て回収したのだ。

 

早朝のエミリアとの会話、異世界と自分の説明、村での二度目の初めまして。そして、居候先のレイテ家で行う引っ越し作業。

 

文字にして羅列すると少なく感じる、中身が濃密すぎるイベントたちを、一つも取りこぼさなかった。その見事な結果を誰かに褒め称えられたい気分だ。

 

 

「アタシ、チョー頑張った。お疲れアタシ、花丸アタシ。ハヤトに迷惑かけちゃったから、リアルに点数つけると赤点になりそうだからつけないけど」

 

 

ハヤトが話すのを横で聞いていたとき、黙っていられなくて口を挟んだことで滑らせた挙句、ハヤトにフォローされるという悲惨。

 

勢いに任せて話してしまうのは悪い癖だ。お陰様で前回通りに喋るのが難しかった。ちょいちょいオーバーリアクションをとってしまった部分も否めず、あのハヤトに苦笑いされたのは忘れられない。

 

そんな一件をいくつも起こしつつ、五十メートル走を全力で駆け抜けるように二日間を走り切ったのが、現在に至るまでの道程だった。

 

そんな風に走れば、当然のように心身ともに疲れが出るもので、

 

 

「あー、疲れた。肉体労働は引きこもりの体にゃ堪えるっての。ただでさえ力仕事苦手なのに丸一日させるとか、アタシに喧嘩売ってんの? この世界。アタシの筋力と体力の無さ舐めんなよ」

 

 

浴槽の縁に背を預け、深いため息をつき、スバルは全身から力をゆっくり抜く。湯に包まれる細い二の腕を揉みほぐし、斜め上を向いて湯煙を眺めた。

 

前回のルートを辿れば結果が同じなのは、なにも展開だけに限った話ではない。引っ越し作業で痛めつけられた肉体の疲労もまた、前回と同じ。

 

スバルの体は今、全身の骨が軋む痛みにじわじわ苛まれていた。動く度に無視できない地味なそれが筋肉を刺激し、肩に乗っかる疲労が重しとなって怠さを感じる。

 

普段から使わない筋肉を使い、少し走っただけで息切れするほど底の浅い体力を使い切ったのだ。当然と言えば当然ではあるが、

 

 

「だとしてもこんなに痛みますかね、普通」

 

 

持久力は度外視するとしても、体を動かすこと自体は得意だと思っていたから、ここまでの反動が来るとは思っていなかった。とは、自分の情けない体に対する前回同様の感想。

 

二の腕、太もも、ふくらはぎ。特に痛む三箇所を念入りに揉んで筋肉に癒しを与える。適当に肩のツボらしき場所を指で押すと、「あ〜、いい」と気の抜けた声が漏れた。

 

湯船の中はいい、筋肉と関節が緩んで下手くそなマッサージでもそれなりに気持ちよかった。

 

 

「ハヤト、一人で大丈夫かなぁ」

 

 

そうして痛めた体を休める傍ら、スバルはハヤトのことを考える。自分以上に働いても尚、ここまで疲労の色を見せていない体力お化けのこと。

 

明日の襲撃に備える彼は恐らく、アーラム村周辺で警戒の糸を張り巡らせているだろう。大剣を担ぐと目立つといった理由で鋼のナックルを握りしめ、屋敷から静かに出て行った姿をスバルは見た。

 

勿論、スバルもその後ろ姿について行こうとしたに決まっている。ハヤトだけに負担はかけまいと、当たり前のように便乗しようとした。

 

 のだが、

 

 

「——絶対に、屋敷から、出るな。俺が今から行くのはウルガルムがうじゃうじゃいる森、ついてきたところでだろ?」

 

 

 一蹴。

 

その一言で突き放され、置いていかれてしまった。問答無用といったところか。拒絶かと思うくらいばっさり遮断され、反論はまるで聞き入れてはくれなかった。

 

頼りにされていないのか、危険な目に遭わせたくないのか。多分、ハヤトとしては後者だと思う。けど、どうしてもスバルの脳内では前者だと思われていると思ってしまう。

 

 

「そりゃ、アタシはハヤトみたいに戦う力もないし、行ったところでどうなるのよ、って思うかもだけどさ。だからって突き放すみたいな言い方することないじゃない」

 

 

揉み揉みする両手を止め、その手を後頭部に添えるスバルは口をつーんと尖らせる。仲間外れにされたような気がして、捨て場のない感情にムッとした。

 

自分を連れていかなかった理由は分かる。村を襲った化け物——魔獣と呼ばれていたウルガルムと対峙しても、無力だから。圧倒的な力に対抗する力が皆無で、囮として逃げ回るのが関の山。

 

故に置いていかれたことへの納得はある。が、不満がないとかと聞かれたら「ノゥ」と即答してやりたいのがリアルな心境だった。

 

であれば、スバルのやることは一つ。

 

 

「今のアタシにできることを精一杯やるしかない、か」

 

 

ハヤトはハヤトのできることに、自分は自分のできることに、全力でぶつかっていくしかない。お互いに手探り状態で、明日までに襲撃に対抗する名案が思い浮かぶか怪しいところなのだから。

 

頭で考え、体で行動に移し、一つでも多く情報を集める。一分一秒と無駄にはできない。そのために、今こうしている間にもスバルは己のできることと向き合う必要がある。

 

 

「その結果が入浴(これ)、ってどうなのよ。ハヤトが森で魔獣と戯れてんのにアタシは一人、湯船でふやけて極楽極楽ってか」

 

 

くるりと身を回して体を反転させ、浴槽の縁に両腕を置き、その上に顎を乗せて呟く。自傷するような言葉に反して声色は砕け、吐息する頬はふにゃふにゃになっていた。

 

今のスバルにできることなど、限られている。それが何かと考えた時、真っ先に浮かんだのが、こうして湯船に浸かることで疲労を少しでも減らすことだった。

 

事が村で起きる以上、なにかしらのアクションを起こすにしても村にいなければならない。それが叶わないのなら、明日に向けて英気を養うのが今の自分に求められる行動だと判断したのである。

 

 

「べ、別に、屋敷でできることが入浴しかなかったわけじゃないんだから! そこんトコ勘違いしないでよねっ! ……って、一人でなにやってんのアタシ」

 

 

勢いよく立ち上がるスバルが天井を見上げ、握った拳を突き出して虚空を穿つ。体に纏った湯の湯船に滴り落ちる音が浴室に木霊した数秒後、虚しくなって再び湯に沈む。

 

誰に言ったのか、自分ですら意味不明なノリツッコミ。声が無駄に反響する浴室特有の効果も相まって、小さく響き渡る自分の声が嫌に寂しく聞こえた。

 

もっとも、声と一緒に不満を吐き出してさっきよりは気分が晴れたから良しとする。それだけでこのヤキモキが全て無くなるのなら、いくらでも叫ぶのに。

 

 

「………ふぅ」

 

 

そんな風に籠った心の熱を放出し、追撃に吐息するスバルは考えることをやめた。一度、ごちゃごちゃになった頭の中を真っ白にして整理する時間を作り、精神を落ち着かせる。

 

疲労が残る体を湯に預け、目を瞑ってリラックス。そうして全ての思考を断ち切ると、肌に触れる心地よい温度を途端に感じ始めて、ふとした瞬間に寝そうになる予感。

 

湯口から延々と浴槽の中へと注がれる湯の音も相まって、時間の経過につれて湯口の音が遠のく。ふらふらと首が船を漕ぎ、次第に意識は湯船の中へ———、

 

 

「——あ、スバル」

 

 

不意に扉の開く音がして、沈みかけた意識が引き上げられる。顔面が浴槽に落ちて飛び起きる寸前の出来事、湯を大量に飲み込む未来を回避したスバルの目がぱっと開いた。

 

瞼の重い顔面に湯をかけて眠気を覚ますスバル。手近なところに置いたハンドタオルで顔を拭くと、彼女は首を振って振り返った。

 

静かな浴室に舞い降りたのは天使の癒しボイス、銀鈴の声音。その声を持つに相応しい少女が、こちらへ向かってきているのが見える。

 

 

「お洋服があったからもしかして、って思ってたんだけど……。そのもしかしてだったみたい」

 

 

 天使が、いた。

 

月の雫のように美しい銀髪に、隅々まで磨いたアメジストを思わせる紫紺の瞳。何人(なんぴと)たりとも踏み荒らすことを禁じた、処女雪のように透き通った白い肌。

 

裸体を隠すべく巻かれたタオルはその肌に密着しており、湿気を吸ったその下から浮かび上がる体躯は、男の獣欲を無意識に掻き立ててしまうほどに扇情的だ。

 

出るところと引っ込むところの区別がはっきりした、瑞々しく抜群の肉付き。特に胸部の主張が激しく、隠してもなおチラリと顔を出す立派な果実は、彼女の動きに連動して小さく揺れている。

 

その様は世界中の名だたる画家が思わず筆を手に取るような美貌の体現者、魔性じみた魅力を宿した少女と言うに違いない。

 

 その名は、

 

 

「エミリアたん……。そういや、こんなイベントもあったっけか」

 

 

肌に巻いたタオルを手で押さえながら、こちらに近づいてくるエミリア。いつ見ても眼福な光景を視界に入れつつ、スバルは思い出す。

 

確か、前回の二日目の夜も彼女と風呂に入った覚えがある。色々と興奮しすぎて会話の内容まで覚えていられる余裕はなかったが。

 

今回は落ち着いて話そう。前回の教訓を心に刻むスバルは浴槽の縁に手を置くと、

 

 

「エミリアたんも今から風呂?」

 

「そうなの。いつもはもっと早くに入るんだけど、ちょっとお勉強が忙しくて。もう少しで寝なきゃいけない時間だから、入るなら今しかないの」

 

 

小首を傾げるスバルに短く返答し、エミリアは頷く。これも前回と同じ理由だなと思われながら、ペタペタと足音を立ててスバルに近づいた。

 

限界まで近寄ると、膝を折り曲げてしゃがむ。できる限り目線の高さをスバルと合わせ、「だから、その、えっと……」と、戸惑うように目をうろうろさせて、

 

 

「スバルが嫌だったら出ていくけど……わ、私も、い、一緒に……入っても、いい?」

 

 

両の人差し指をくっつけ、離してを繰り返し、おずおずと問う。声色には相手の顔色を窺う慎重さがあって、聞いてはいけないことを聞かれている感覚がスバルに訪れた。

 

エミリアのこと、少しではあるけれどハヤトから聞いた。容姿が原因で周りの人間から疎まれ、迫害されてきたと。そしてその認識は世界共通で、今も苦しめられていると。

 

異世界系では珍しくない境遇。目の前にいる少女もまた、スバルが思うような差別を受けてきたのだろう。だからこそ、スバルは歯を見せて笑い、

 

 

「いーよいーよ、いつでもウェルカム。エミリアたんみたいな美少女と一緒に入浴できるのに断る理由があるか、いやないね。そのままキャッキャウフフな展開に持ち込んじゃうから覚悟してなさい」

 

 

右手で湯船を叩き、真横に座るように促す。左手をわきわきさせて、エミリアをいやらしい目で見つめる。左右の手で別々のことを行い、わざとらしく茶化した。

 

エミリアとしては意を決して放った一言、勇気を振り絞って投げかけた願いだったのだろう。己の覚悟を気にもしない様子のスバルに呆気にとられ、時が止まっている。

 

しばらくしないうちに動き出すと固まっていた頬が柔らかく解ける。口に手を当ててクスッと失笑し、

 

 

「ありがとう、すごーく嬉しい。あと、その手の動き、すごーくいやらしいから気をつけた方がいいかも」

 

「エミリアたんみたいな女の子にそれは無理な話ね。エミリアたんってばすっごく可愛いし。むしろ、エミリアたんこそ気をつけた方がいい。男は狼なんだから」

 

「……そうね。男は狼だものね。気をつけないとチューされちゃう」

 

 

今の発言に思い当たる節があるのか、僅かに考える素振りを見せたエミリアが不穏な呟きを置いて立ち上がる。なにを思ったのか、見えた横顔は楽しげだった。

 

反応したスバルが「んん? チュー?」と補足を要求するも遅い。背を向けた彼女はスバルから離れ、体を流しに行ってしまっている。

 

前を見ても後ろを見ても可憐な美少女、エミリア。実に眼福な後ろ姿を眺めているうちに彼女は背もたれのない椅子に座り、蛇口を捻って湯を出すと桶に溜め始めた。

 

どうやらこの世界にはシャワーという概念が無いらしく、お湯を桶の中に溜めて体を流すのが主流のよう。

 

二度三度、体を流したところで、目の前の大きな鏡と睨めっこして銀髪を洗い始めたエミリア。その裸体を隠していたタオルは既にはだけ、綺麗な背筋やら腰のくびれやらが世界に晒されている。

 

うん、えっちだなと思うスバルである。

 

 

「ねぇ、エミリアたん」

 

「ん? どーしたの?」

 

 

同性のスバルも見惚れてしまうそれをぼーっと眺めていると、唐突に思ったことがあった。遠くから波のように反響してくる声に「あのさ」と、

 

 

「やっぱり、髪が長いと洗うのとか大変だったりするの?」

 

 

湯船から上がり、浴槽の縁に座って足湯スタイルに切り替えるスバルが、沸いた疑問を投げかける。エミリアとの入浴に向けて熱った体を冷ましつつ、鏡に映るエミリアを見た。

 

「んー」と、唇を軽く結んで考えるエミリア。毛の一本一本を丁寧に洗うように手つきが滑らかな彼女は、同じく鏡に映るスバルを見ると、

 

 

「大変だけど、もう慣れちゃったからそーでもないかも」

 

「ふーん。そうなんだ。アタシには大変そうに見えるけど」

 

 

一つに束ねた髪を、右肩から前に垂らして洗う。背中から垂らすと背筋が隠れてしまうほど髪が長いエミリアはそうして、銀髪を撫でるように洗っている。

 

髪の短いスバルとは無縁の洗い方。そもそも短髪の方がスバル的には好ましく、そういった意味合いでは違和感に感じなくもないので、

 

 

「切ったりしないの?」

 

「絶対にしない」

 

 

 即答。

 

なにとなしにかけた言葉への反応速度に驚き、スバルの肩が衝撃でも受けたように小さく跳ねる。まつ毛がピクッと反応し、目が見開かれた。

 

今の言葉には、断固として譲らない意志の強さがあった。言葉は緩やかで、声色は優しく、しかしそこに宿る言霊には情熱的で、スバルには計り知れない想いがあった。

 

 

「前に一度だけ、切ろうと思ったことがあったのは確かよ。でも、その時に私の大切な人が、そのままでいよう、って言ってくれたことがあって」

 

 

驚くスバルを他所に、幸せな記憶を思い返すエミリアが優しい声で語り始める。

 

髪を撫でる手は止めず、鏡に映る自分の姿——銀髪のハーフエルフと真正面から向き合って、

 

 

「私は私のままでいい、って。本当に嬉しかった。きっと、本人からしたら当たり前のことを言っただけなのかもしれないけど、私はその当たり前にたくさん助けられて、励まされてる」

 

 

ふっと恍惚とした表情になる彼女はそう言うと、赤らむ頬が勝手に緩む。

 

綻ぶ唇の内側から恋のため息が小さく溢れ、情けない顔をしていることを自覚しながら、

 

 

「早く、明日になればいいのに」

 

 

無自覚、無意識、恋する少女が明日の訪れを切実に望む。恋の行先にいる青年、自分のことを大切にして、大事にしてくれる、自分にとって欠けてはいけない存在との再会を待ち焦がれて。

 

一瞬にして乙女の顔になったエミリア。その顔も可愛いなと思うスバルは両手を後ろにつくと、「あー」とわざとらしく声を上げてエミリアの意識を引きつけ、

 

 

「その大切な人のことなんだけどさ。もしかして、いや、もしかしなくてもテ」

 

「テンのことよ」

 

 

言い切る前に強引に割り込まれ、最後の部分を盗まれる。分かりやすく声色が上がったエミリアが上機嫌に恋の名を呼ぶと、スバルの表情が分かりやすく曇った。

 

双方、名前自体が感情の着火剤。エミリアは幸せな記憶が蘇って心を温かくしてくれるから。スバルは最悪な記憶が過って神経を逆撫でしてきやがるから。

 

テンに対する好感度が最悪なスバル。しかし流石の彼女も、エミリアの前では彼のことを悪くは言えない。幸せな笑みを見せられて喉元まで迫った陰口がゆっくり引っ込み、

 

 

「テン。そう、ソラノ・テンのこと。私の……私だけの騎士(もの)のこと」

 

「は?」

 

 

その笑みから放たれた衝撃的な一言に意識を根こそぎ持ってかれ、吐きかけた悪口が一撃で消えた。口が「は?」のまま固定され、己が耳を心の底から疑う。

 

今、エミリアの口からとんでもない言葉が聞こえてきた気がする。そのとんでもない言葉が頭の中で乱反射し、それ以外の考え事が消し飛び、意識が釘付けにされた。

 

僅か一言にして思考をこれでもかと掻き乱されたスバル。あまりにも瞬間火力の高すぎる言葉に処理が追いつかない彼女は考えることを放棄して、

 

 

「………ぱーどん?」

 

「ぱー?」

 

「エミリアたん、今なんて言った?」

 

「なんて言った、って? なんのこと?」

 

 

あどけない表情でポカンとされて、スバルの喉が凍りつく。エミリアの頭の上に浮かぶ大きな疑問符、本当になにを言われているのか分からないと語るそれに、絶句した。

 

ここで引き下がるわけにはいかない。停止した思考を高速回転させて言葉を作り、凍った喉でそれを無理やり搾り出し、

 

 

「私だけのなに、って?」

 

騎士(もの)

 

「………………………(もの)?」

 

「ええ、騎士(もの)。当たり前でしょう」

 

「当たり前なの!?」

 

 

聞き間違えじゃなかったことに疑心、さも当然のように断言するエミリアによって驚愕。縁に腰掛けていた体が飛び起き、飛沫を上げて勢いよく立ち上がった。

 

エミリアとテンはそんな関係性だったのか。いや、そんな関係性とはどんな関係性なのかと聞かれたら曖昧ではあるが、特別な関係性であることに間違いはないはず。

 

前回の世界で見た二人の姿を踏まえると、

 

 

(もの)ってつまり、自分だけの所有物、ってことよね!? エミリアたんとアイツってそんな関係性なの!?」

 

「所有物って言い方は違うかも。ほら、レムがいるから私だけが独り占めするのは………。でも、私だけの所有物……ふふっ。そーなっても私は構わないわよ。だってテンは、私だけの騎士(もの)だもの!」

 

「可愛い顔と声でとんでもないこと叫ばないでくれない!? 今アタシ純粋にビビったんだけど!? エミリアたんの見えちゃいけない顔が見えた気がしたんだけど!?」

 

 

高らかに明言する声が浴室に強く反響し、スバルの鼓膜を殴りつける。どう頑張っても聞き間違えることなんてあり得なくて、嘘だと思いたい心に現実を突きつけられた気分にさせられた。

 

『もの』と定義するものが違うだけで、こんなにもすれ違う。エミリアは単にテンは自分の騎士と言っているのだが、口では『もの』と発しているのでスバルに凄まじい解釈のし方をさせていたのだ。

 

エミリア自身、テンを自分の騎士(きし)ではなく(もの)と思っているか否かはさておき。

 

 

「特別な関係だとは思ってた……思いたくないけど思ってたけどさぁ。だからって物……物ってさぁ。エミリアたんって、意外と独占欲強めのヤンデレラ?」

 

「やんでれら?」

 

「あぁ、えっと………。いや、知らなくていい。聞いたアタシがバカだった。エミリアたんはそのままでいて。世の中、知らない方がいいこともある。知らぬが花よ」

 

 

説明しようとしてやめたスバルが、エミリアの無知な声を聞き、気が抜けたように縁に座り込む。これ以上彼女からこの話を聞くと胃もたれしそうな気がしたから、静かに口を閉じる。

 

癒えたはずの疲労が帰ってくる感覚にため息を吐き、首をがくりと落として、知りたくなかった事実に真っ白に燃え尽きた。

 

 

「それにしても……ここの風呂場って無駄にデカいのね。この屋敷の人数でこの風呂場となると、スペースの無駄遣い感がすごいけど」

 

「そー思う。私もね、初めて入ったときはびっくりしちゃったもん」

 

 

動揺を静めるついでに話題を変えると、今だに髪を洗うエミリアが乗っかってくる。やはりあの長さと毛量を洗い切るのは時間がかかるのか。だとしても全体の八割は洗えているように見える。

 

そのエミリアを素通りし、スバルは浴室内をぐるりと見渡す。

 

浴室の作りはシンプルなものだ。ぱっと見だと正方形の部屋の中心に円状の浴槽があり、壁際にエミリアが使用する湯浴みの設備がいくつも備えられている。

 

大理石で埋め尽くされた床。浴槽に湯を注ぎ続ける湯口。二十五メートルプールの半分ほどの浴槽。浴槽の真ん中にある天井に聳え立つ謎の柱を含めると、古代ローマの浴場を思わずにはいられない作り。

 

流石は貴族の浴室と言ったところか。無意味なスペースの使用はセンスを感じられないが、それもまた貴族らしいと言えば貴族らしい。

 

 

「隣、お邪魔してもいい?」

 

 

そう考えていたところで、髪を洗い終えたエミリアがタオルで体を軽く隠しながらこちらへと歩いてきた。隠しても隠せない部分が布の端っこからチラリズムしている。

 

うん、やっぱりえっちだと思うスバルである。

 

 

「そんなこと聞かなくても自由に座っていいよ。さっきも言ったけど、エミリアたんみたいな女の子と風呂に入る機会なんて滅多にないんだし、ここでアタシと女子トークしよっ! そのついでにちょっとお身体を………」

 

「その手の動き、やっぱりすごーくいやらしい。変なことしようとしたら許さないんだから。私、パックがいなくてもちゃんと戦えるんだからね」

 

 

本能的な危険を感じたエミリアがスバルの目の前で足を止め、片手で胸を隠すように己の肩を抱く。それからもう片方の手をスバルに構え、やや睨みつけた。

 

ここで魔法をぶっ放されるのは御免だ。下手なことをしてエミリアの信用を失うわけにもいかない。「ごめんごめん」と、両手を上げて降参するスバルは適当に謝ると、

 

 

「もうしないもうしない。だからエミリアたんも入りなよ。そこで立ってても寒いだけでしょ? ほら、早く早く」

 

「……本当に変なことしちゃダメよ?」

 

「思ったよりも信用失ってるな!? 本当の本当にしないから。このナツキ・スバル、神に誓ってエミリアたんになにもしません!」

 

「スバルがそー言うと、余計に不安になるのなんでだろう。不思議」

 

 

選手宣誓のように右手を突き上げて誓うスバルに疑いの眼差しを向け、エミリアは苦笑いを浮かべる。しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、結局はタオルを縁に置いて湯船に浸かった。

 

半ば仕方なさそうな雰囲気はあったものの、湯船に浸かる心地よさにそれは散る。縁に寄りかかる彼女からは「ふぅ」と長い吐息が溢れ、気持ちよさげに目が細まった。

 

自分の真横にいるエミリア。同じタイミングで再び湯船に浸かるスバルは、リラックスする彼女の体つきを改めて拝むと、

 

 

「エミリアちゃんの……、やっぱりすごいわね」

 

「ーー? なにがすごいの?」

 

「ナイスボディーだなぁって」

 

「ないす、ぼでい? すごーくヘンテコな言葉」

 

「ヘンテコってきょうび聞かないね」

 

 

自然と胸元に落ちていくスバルのジト目に小首を傾げ、エミリアは自分の胸元を見る。別段、これといって変なところはない。強いて言えば、パックが宿る輝石がないところか。

 

なのにスバルは「これが異世界クオリティ……」と謎に戦々恐々とした様子で、理解できずに困惑させられたエミリアだった。

 

当の本人はというと、エミリアから外れた視線が、今度は自分自身の胸元に移っており、

 

 

「それに比べてアタシときたら………」

 

 

 ——絶壁。

 

 

「いや! ちょっとはある! ちょっとはあるから! それに、これからでっかくなるんだから! ナツキ・スバル十七歳! まだまだ発展途上なんだから舐めないでよね! エミリアたんにだって負けないくらい膨らませてやるわよ、こんちくしょう!」

 

「ごめん、ちょっとなに言ってるのかよく分かんない」

 

 

歯を食いしばり、暴れる両手に釣られて跳ねる飛沫が目元に付着。滴り落ちるそれが涙のように見えるスバルがエミリアに叫ぶも、エミリアはやっぱり理解できない。

 

けど、くだらないことを言っているのは感覚的に分かった。理解が追いつかない人と話すのはこれが初めてじゃないし、どちらかと言えば新鮮で楽しいから好きな方だ。

 

だから彼女は決意を固めるスバルに「ふふっ」と笑って口角を釣り上げる。その笑みを拾ったスバルが「ん?」と小首を傾げ返すと、

 

 

「どったの? そんな顔して」

 

「レムとラム以外の女の子……スバルみたいな子とちゃんと話せたことがなかったから楽しいな、って」

 

「ぐはっ!」

 

 

裏のない純粋な喜びを真っ直ぐに当てられ、スバルが攻撃を受けたように胸に手を当てる。実際、攻撃を受けた気分ではあった。目の前の眩しい笑顔を直視できず、胸を打たれているのだから。

 

一体、なぜ世界はこんなにも可愛らしい女の子を迫害するのだろうか。この笑顔を知らないからだ。先入観に囚われ、これに辿り着く前に彼女を拒絶するからだ。

 

可哀想な世界だな。なんてことを思い、スバルは眩しさに細めた目を開く。ニコニコするエミリアを見ると、今ならテンのことを深く聞けるかもしれないと不意に考え、

 

 

「さっきの話なんだけどさ、テ」

 

「テンのこと?」

 

「反応が早すぎる……。まぁ、そうなんだけどね」

 

 

テンの名前に対する反応速度が光の速さ並みのエミリアにまたしても言葉を盗まれ、スバルの顔に浮かんだ苦笑が引き攣る。

 

他者が名を呼ぶことを許していないと言われても納得するレベル。ついさっき冗談半分で彼女をヤンデレと比喩したが、割と冗談じゃ済まないかもしれない。

 

だからスバルは言葉を慎重に選び、けれども大胆不敵に直球でその問いかけを投げる。

 

 

「エミリアたんから見たテンってさ、どんなヤツなの?」

 

 

声色にほんの少しの真剣味を混ぜ、スバルは何十人にも聞いてきたことを口にした。回答に等しく一貫性がない男の、真の姿を知るために。

 

前回、テンと会ったときの感想は最悪の一言に尽きる。故に、そんな彼のことを、自分が極限まで嫌う彼のことを強く慕うエミリアに、聞いてみたくなったのだ。

 

ここまで慕うのには必ず理由がある。そしてその理由こそが、自分が求めている答えなのではないかと。

 

ハヤトからは語られることのないソラノ・テンの一面、親友以外の親しい存在の目に映るテンの顔を知り、なぜあんな男が皆から好かれているのか知りたい。

 

つまり、本気でテンのことを嫌っているからこその、この問いかけである。

 

 

「私から見たテンがどんな人か……。たくさん話せるから、どれから話したらいいか迷っちゃうかも」

 

 

抽象的な疑問を反芻し、返答に迷うエミリアが言葉を切って考え込む。きゅっと結んだ桜色の唇に人差し指を当てて斜め下、湯に反射した自分の顔を見ながら「んーー」と悩ましげに唸る。

 

その状態が数十秒間続くと、考えがまとまって「うん」と満足そうに頷く。下げた視線と顔を上げ、穏やかな表情でスバルの疑問に答え始めた。

 

自分から見た、ソラノ・テンとは——–。

 

 

「——すごーく、大切な人」

 

 

真っ先に浮かんだのが、それだった。

 

いつの間にか、心の中心に居座っていたテン。彼の顔を思い浮かべたとき、なによりも先に出てきたのはその言葉。紫紺の瞳に映る彼は、自分にとってそういう人だ。

 

 

「私の隣にいなくちゃいけない存在で、ずっと一緒にいたい人。私が頑張ってるとき、それを隣で見守っててほしいな、って思ってる。だから、これから先もずっとずっと、ずーっと一緒にいたい、いてほしい」

 

 

長い銀髪を簡単に手でまとめ、片肩から流すエミリア。膝を抱える彼女はその髪を指先で弄り、頬を赤らめた。

 

それが湯のせいなのか、他のなにかなのか。答えは明白で、聞いているスバルには考える余地などない。

 

 

「私のことを私として見てくれて、普通の女の子として見てくれる。普通の女の子みたいにじゃなくて、普通の女の子として接してくれる。初めてそーやって話してくれた人が、テンだった」

 

 

自分と彼が出会った日のこと——「あ」の一言から始まった関係を思い返し、エミリアは笑む。いつ、どう考えても、不思議な始まり方だったと面白がりながら。

 

きっとあの日、あの瞬間(とき)の出会いが、自分にとって一つの分岐点だったのかもしれない。

 

ロズワールが「森で拾った」と言って連れ帰ってきた男の子を心配して、様子見に行っていなかったら、あんな出会いはなかったかもしれないのだから。

 

ひょっとしたらこんな関係にもならなかった、とは考えすぎだろうか。

 

 

「その日から少しずつお互いのことを知って、理解して、一ヶ月二ヶ月三ヶ月って時間が経つにつれてテンのことが大切になっていって。その大切がどんどん大きくなって、気がついたらかけがえのない大切な人になってたの」

 

 

テンが瀕死になって約一週間程度眠り続けた日々。その日々の経験を境に、自分の中でのソラノ・テンの認識が決定的に変わった。元々変わりつつあったものに、後押しがかかった。

 

なにがどう変わったのか、明確な変化は分からない。けど、テンのことを考えるとわけもわからず胸が高鳴り、テンのことを見つけると目が勝手に追いかけるようになったのは確かなこと。

 

 

「一緒にいると心がぽかぽかして、頭を撫でられるとどきどきして、エミリアって呼ばれると嬉しくて、もっと呼んでほしい、もっと触れてほしい、もっと近くにいたい、もっともっともっと。……って我儘なことも思っちゃう」

 

 

その優しさに、体温に、時間を忘れて甘えていたい。頭を撫でられたときの快楽に、触れられたときの幸福に、我を忘れて我儘に独占していたい。

 

テンが屋敷を出てから今の今まで、ふとした瞬間、気がつけば彼のことばかり考えている。そしてそれは、これからも続くのだと思う。

 

その度に、今のような横暴な思考が過ぎるのだ。

 

 

「でも、そんな私のことも許してくれるんだと思う。テンって、すごーく優しいから」

 

 

目を閉じるエミリアが、そう言って吐息するように笑みを溢す。

 

瞼の裏側に映し出される過去の記憶——自分の我儘なお願いに嫌そうな顔をするテンを見ながら、

 

 

「私がね、どんなに我儘なお願いをしても、どんなに遠慮知らずなことを言っても、全部やってくれるの。えー、やるのぉ? って嫌そうな顔はするんだけど、でも、結局は私のお願いを叶えてくれる、すごーく優しい人」

 

 

テンがそんなんだから、自分は甘えてしまう。テンが自分を拒まない、いや、拒めないのをいいことに自分を押しつけてしまう。

 

不思議と罪悪感はない、むしろ楽しい。こんな風に接することができる相手に、自分というエミリアの心をどこまでも素直に表現できて、歯止めが利かなくなっている。

 

テンは自分には甘いのだ。同時に、その甘さが自分以外にも向けられていると思うと、なぜかムカッとくる。

 

 

「それに、頑張り屋さん」

 

 

一瞬だけ脳裏に映ったレムの姿に心のザワつきを感じつつ、エミリアは次なるテンの姿を語る。

 

目を瞑る自分の横、聞いているスバルが謎の気恥ずかしさに苛まれ、言葉を紡げないことに気づけないまま。

 

 

「ずっと前に、私と約束してくれたことがあって。その約束を絶対に果たすんだ、って毎日張り切って鍛錬に励んでる。魔法も、剣術も、武術も。……頑張りすぎて気絶しちゃうこととか、ケガしちゃうことがほとんどで心配だけど、でも嬉しい」

 

 

自分なんかのためにそこまで努力してくれていることが、堪らなく幸せ。ロズワールに瀕死に追いやられる過度な模擬戦に深夜まで続く鍛錬、どちらも心配で不安しかないけれど。

 

情けない自分を変えようとして、そんな自分と必死に向き合って、前を向いて、もがき苦しみながらも足掻いている。そんなテンの姿はエミリアの目には輝いて見えていて、

 

 

「そーゆーテンを見てると、私も頑張らなきゃって思う。テンにばっかり任せてちゃダメ、頑張るテンのために頑張る。テンの頑張りに応えて、私だって頑張れるところを見せてやるんだから」

 

 

子ども扱いされたくないから。

 

なぜかテンは自分のことを子ども扱いしてくるときがあり、すごく嫌だと常日頃から思っているし言っているのだが、それでもまだ子ども扱いをしてくる。

 

子ども扱いは嫌だ。テンに対等な存在として見られていない気がするから。あくまで庇護対象として捉えられて、背中に隠れていろと言われているような気がするから。

 

 

「いつか、テンをびっくりさせてやるんだから。それで、私は子どもじゃない、って胸を張って言うの。そうしたらテンだって、私のことを子ども扱いできなくなるに違いないわ」

 

 

閉じた目を開き、いずれ来る瞬間にドヤ顔の練習をするエミリアが拳を可愛らしく握りしめる。驚くテンの顔が目に浮かび、イタズラを仕掛けた子どもっぽく無邪気に笑った。

 

果たして、もっと根本的な意味合いで子ども扱いされていることに彼女はいつ気づくのだろうか。

 

 

「真面目で、律儀で、謙虚で、静かで、一緒にいて落ち着いて、心の底から安心できる人。いざってときは本当に頼りになる、心強い人。ちょっと、ううん、すごーく捻くれてて卑屈なところもあるんだけど、私から見たテンは………」

 

 

指折り、エミリアは自分の中のテンをスバルに語り尽くす。一つ一つを細かく語ると時間が足りないと言わんばかりに、語っていないテンを一文にぎゅっと押し込めて。

 

それでも語り足りない部分があることを惜しむように、

 

 

「ソラノ・テンは、すごーく大切な人」

 

 

最後に、始まりの言葉で想いを綴り切った。

 

本人が聞いたら羞恥心で破裂しそうな羅列を淀みなく紡ぎ続け、エミリアは「ほぅ」と一息。上気して赤く色づいた頬をぱたぱたと扇ぎ、聞き慣れた胸の高鳴りの音を不思議に思う。

 

この音の理由は、まだ分かっていない。どうしてテンのことを思うと胸がどきどきするのか、テンのことしか考えられなくなるのか、体が妙にむずむずして疼くのか。

 

手と足を思い切り前に伸ばし、「んーー!」と声を高く喉を鳴らしながら全身に力を込め、少しして脱力。そうやって感情を発散すると、

 

 

「こんな感じで大丈夫だった、スバル? 私が一方的に話しちゃったけど……」

 

 

横に顔を向け、スバルに視線を向ける。こちらが語っている間はずっと黙っていたスバルを見ると、彼女は微妙な笑みを浮かべており、

 

 

「き、聞いてるこっちが恥ずかしい気分にさせられるとは予想外……。ま、まぁ? でも、聞きたいことは聞けたからオッケー。オッケーオッケー、オッケー牧場」

 

 

興味本位で聞いただけなのに、思った以上にエグい返しが連続で放たれて動揺するスバル。片手の指で丸を作る彼女は適当に茶化して揺れる心を誤魔化し、「あはは」と笑う。

 

別人の話をされているのかと疑うほど、エミリアから語られるテンは自分の知るテンとはかけ離れていた。ここだけ聞くと、テンがめっちゃいい奴に思えてくるスバルである。

 

あの出会いの中で知ったテンしか知らないのだからそれが当然だと言われればそうだが、だとしても差がありすぎではないか。

 

 

「今のが、エミリアたんから見たテンなんだ。村の人から聞いて想像してたのと全く違いすぎて、月とすっぽんなんだけど」

 

「ハヤトと違ってテンは誰かと深く関わろうとする人じゃなくて、私みたいな身内との時間を大切にしようとする人だから。私たちの方がテンのことはよく分かってるってことね。……あ、ハヤトがそんな子じゃないって言いたいわけじゃないのよ?」

 

「よく分かってる」

 

 

手を横に振り、今の発言を慌てて修正するエミリアにスバルは手を振り返す。ハヤトに対する信頼度が限界値まで到達しているスバルに疑いはない。

 

「そう、よかった」と胸を撫で下ろすエミリアは「だからね」と熱心な様子で、

 

 

「もしスバルがテンのこと、嫌な風に思ってるならやめてほしい。絶対に誤解してる」

 

「……ちな、どうしてそう思ったの?」

 

「テンの名前が出たときのスバルの顔、すごーく嫌そうに見えたから」

 

 

不意な一撃に沈黙し、辛うじて口にした言葉の応酬に胸を貫かれ、今度こそスバルは沈黙する。

 

綺麗な紫紺の瞳に心を見透かされ、心情が色濃く浮き出た表情をしっかり見られていたと突きつけられ、返す言葉が咄嗟に出てこなかった。

 

言葉が詰まれば世界に静寂が落ちる。真剣な眼差しをスバルに向けるエミリア、その眼差しから目を逸らすことができないスバル。

 

両者無言のやりとりが続き、湯口から湯船に流れる湯の音が二人の間を過ぎてゆく。その静寂に気まずさを感じ、我慢できなくなったスバルが「はぁ」と深々とため息をつくと、

 

 

「ここまで言われたら否定できる要素がなさすぎて文句の付け所もないわね。エミリアたんに完敗」

 

 

がくりと曲げた首をゆるゆると振り、スバルは両手を小さく上げる。思いもよらないエミリアの意志の強さに敵わず、テンへの認識を改めざるを得ないことを痛感した。

 

お手上げである。それっぽい難癖をつけて否定するつもりが、完膚なきまでにボコボコにされた。エミリアが語るテンへの想い、愛と言った方が適切なそれに否定を完封される。

 

テンは最低な奴だ、それは変わらない。が、ちょっとなら認識を改めてやる機会を与えてもいいと思った。エミリアが口にしたテンが本当に真の姿かどうか確かめる時間くらいは、やってもいい。

 

 

「明日、テンが帰ってくんでしょ? そのときに話してみるよ。アタシの中のテンと、エミリアたんの中のテン、どっちか本当のテンなのか確かめるためにね」

 

「うん。そーしてくれると嬉しい。テンってどーしてもハヤトと比べられちゃうけど、テンにはテンの魅力がちゃんとあるってスバルにも知ってほしいの」

 

 

「テンからしたら余計なお世話かもしれないけどね」と、満足そうにエミリアは微笑む。

 

テンの話を始めたときから絶えない笑顔を見ていると、スバルは常々思っていたことをようやく口にした。

 

 

「エミリアたん、本当にテンのことが好きなんだ。いやもう、大好きまであるんじゃない? すごーく大切な人、っていうより、すごーく大好きな人でしょ。完全に恋しちゃってんじゃん」

 

 

曲げた首を戻し、スバルは浴槽の縁に寄りかかって天井を眺める。自然と緊張していた糸を緩めながら、さながら恋バナのテンション感で呟いた。

 

これまでの話を聞いていたらそう思うのが必然。どんなに鈍感な奴だって彼女の秘めたる想いに気づかないことなどない。それくらい幸せそうに華やいでいるのが、一目見て分かる。

 

こんなにも可愛い女の子に恋されるなんて、テンはさぞ幸せなことだろう。どんな方法で彼女を恋に落とさせたのか、明日会ったときに問い詰めてやろうか。

 

 

「ーー?」

 

 

そう思っていたところで、スバルはエミリアからのレスポンスがないことに気づく。不審に思ってエミリアに目を向けると、更に不審に思う事態が発覚した。

 

 

「……エミリアたん?」

 

 

こちらを見つめるエミリアの表情、笑顔一色だったそれが困惑一色に塗りつぶされた状態で固まっていた。呼吸すら止まった静止画状態——名を呼ぶ声にも反応していない。

 

 

「おーい、エミリアたーん」

 

「……ぇ?」

 

「あ、気づいた。急に静止画になるからどうしたのかと思った」

 

 

顔の前で手を振ると、エミリアの意識が現実世界に帰ってくる。はっとして止まった呼吸が再開する彼女は、しかし今度はスバルを凝視するように見つめ出した。

 

困惑に揺れる紫紺の双眸。そこから紡がれた言葉は、スバルの予想を遥かに飛び越えたもので———。

 

 

「す……、き?」

 

「え?」

 

 

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