アニメがぁ……一旦終わってしまったぁ。
スバルが式場に飛び込んできた瞬間のエミリアの表情を見て「これ、スバエミのカップリング変更するの真面目に無粋なのでは?」という思いが今更ながらに生じました。
そんな葛藤を抱えながら書いたお話。
さて、次回はどうなる。
「どんな革命が起きたら今の状態になるんだよ。頭からバケツ被るほどの革命ってなに」
「それはもう、この世界に未曾有の事態が起きて常識がぶっ飛んじゃうくらいの革命さ」
「エミリアの中でいったいなにが……。いや、なんかもぅ、俺の思い描いてた出迎えの構図と違いすぎて頭が痛い。本当に勘弁して」
両手を広げて通せんぼするパックを眼前に、テンは言葉通り頭痛がしたように頭に手を当てる。額から髪の中に指を差し込み、現実から目を背けるために目を閉じた。
クルシュ邸でやることを済ませ、急いで帰ってきたかと思えばこの有様。
ハヤトとスバルは不在、ベアトリスは禁書庫に帰宅、パックは無駄にデカく、エミリアがバケツ頭でかわいくて、レムはいつも通り愛おしい。
昨日は『剣鬼』にボコられ、今日は『戦乙女』にボコられ、格の違いを見せつけられた精神にはそれなりに堪える。前回と違いすぎて、なにがあったのかと聞くのも億劫だ。
「はぁ」と嘆息。甘っ甘にすり寄ってくるレムの可愛さに心を癒されながら、
「とりあえず、本人に聞いてみようかな」
目を開き、瞳の中に世界を映し出す。広い心で全てを受け入れる姿勢を一瞬で整え、悩みの種であるエミリアに意識を向けた。
なにも見えなくても視線は感じ取ったらしい。バケツの中から「ひぅっ」とエミリアの喉が引き攣った音がして、パックの背に隠れた体が目に見えて強張る。
聞いても話してくれなさそうな予感しかしないが、テンは「エミリア」と穏やかな声で名を呼び、
「君の中でなにがあったの?」
「なんでもないの! そう、なんでもないわ! すごーくなんでもないから、だいじょーぶよ! だいじょーぶだから気にしないで!」
「だいじょーぶに聞こえないし、その
「してない! してない……くもないけど! でも違うの! テンがなにかしちゃったとかじゃなくて、私の方がおかしくなっちゃってて、でもそれはテンのせいって言えなくもないから……えっと、その……」
否定に勢いのあったエミリアの声が、後半になるにつれてどんどん弱っていく。自分でもなにを言ってるのか迷子になる言葉は、最終的に迷子のまま萎縮して消えた。
バケツ頭のせいで声がこもって聞こえて、後半はなにを言っているのかさっぱりだった。が、今の様子からして自分に問題があるのは伝わってきたテンである。
エミリアから話を聞ける状態ではない。そう判断してパックに目を向け、
「俺のせいっぽい感じがするけど」
「当たらずとも遠からず、ってところかにゃ。これはリア自身の問題でもあるけど、テンが無関係ってわけでもないんだよ。なにせ、君自身も当事者の一人だからね」
含みを持たせたパックが、その黒い瞳の中心にテンだけを捉えてすっと細める。ふっと真剣な表情になり、飄々とした顔の裏側から父親の顔が露出した。
眼前にいる課題だらけの青年に右前足——二足歩行の今だと右腕を伸ばし、
「これには深い事情があるんだよ。テンにとっても無視できない、とーっても大事な事情がね」
「俺にとっても?」
「そうだよ。ね、リア」
「え!? それは……うぅ」
突然に会話の輪に入れられ、驚いたエミリアがか細い音を立てながら呻く。それが肯定の意なのか、反応に困って萎縮したのか、どちらなのかテンには分からない。
話しかけられる度に、パックの背中に隠れ直すエミリア。構図が完全に、人見知りの子が親の背中に隠れるそれと同じだ。バケツ顔なのも相まって絵面がシュールすぎる。
爪痕が残るほどの力で両肩を掴んでくる、我が子の白い両手。パックはその片方の手にそっと肉球を乗せると、
「気づいちゃったんだから、ここは潔く素直に話しちゃった方がいいと思うんだけどなぁ。ずっと胸の奥にしまい込んでも、モヤモヤしちゃうだけだよ?」
「ーーーー」
「なんか………」
大事な話でもあるの?
そう言おうとした瞬間、テンの脳内に一筋の稲妻が走る。娘の背中を押すように語りかけるパックの様に、大事な話があるのだと感じる今、前にもこんなやりとりをしたことを不意に思い出した。
黙り込んで萎縮するエミリアと、彼女を宥める父親の顔をしたパック。そして、パック越しにエミリアと向き合う自分。
その光景に、とても見覚えがあった。
「……こんな風になったのはいつから?」
いつの日のどの出来事の光景なのかすぐに思い出せず、時間稼ぎとして場を繋ごうとするテンがラムを会話に参加させる。
今のやり取りの間で、いつもの毅然とした態度は取り戻したらしい。横目でエミリアをチラリと見ると、ラムは人差し指を唇に当てて「そうね……」と思案の仕草。
「ご様子がおかしくなったのは今日の朝から。しきりに髪型が変じゃないか聞いたり、服装の乱れを鏡の前で何度も確認したり、全体的にそわそわしている印象は受けたわ」
「ちょっと、ラム! それは……」
澄ました顔で淡々と暴露するラムに怒鳴り、沈黙していたエミリアが感情を破裂させる。すぐ真横、二歩歩けば手が届く距離にいるメイドに近寄り、その口を塞ごうとした。
視界不良にも関わらず正確に伸びてくる手をラムは悠々と回避。二歩近づかれたから二歩離れるメイドは澄ました顔のまま、
「このお姿になられたのは出迎える直前。どこからか持ってきて被られたわ。その前にも胸に手を当てて深呼吸を繰り返して、手鏡で前髪を整えて、窓から外を眺めては同じところを行ったり来たり」
「ラムーー!」
口封じの甲斐なく全て言い切られたエミリアが憤慨した様子で更に怒鳴り、握りしめた拳でラムの肩をぽかぽかと叩く。今度は避けずに叩かれてあげるあたり、暴露したラムなりの配慮と優しさが見えた。
その光景を受け、エミリアがどうしてバケツを被っているのか、テンは薄ぼんやりと分かった気がした。叩かれるラムも「ほら、気づけ」とでも言いたげなジト目で見てきているし。
多分、ヒントを与えてくれたのだと思う。そのせいで「なんで言っちゃうのー!」とぽかぽかされるのだから、ラムからすればはた迷惑だと嫌味を言われても仕方ない。
「そこまでにしてあげて、エミリア。聞いたのは俺だから叩くなら俺にして」
だから小言を言われる前にラムからエミリアを引き剥がす。引き剥がすといっても、レムが左腕に抱きついてるから暇な右腕でぽかぽかをガードする以外にできることはないが。
そうしてラムとエミリアの間に割って入ると、エミリアは驚く素振りを見せ、刹那もせず猫のようにしなやかな動きでパックの背後へ。
明らかにテンから距離を取りたがっているエミリア。どうしてそこまで正確に動けるのか、本当は見えているのではないかと変に感心しながら、
「変なこと聞き出してごめん。今のエミリア、流石に違和感がありすぎるから普通に心配になってさ。嫌な気持ちにさせちゃったなら謝る」
「だから違うって言って……! もぅ、テンのおたんこなす。どーしていつもいつも、そーやって私のことばっかり気遣うの。そんな風に言われたら……」
軽率な行動をカバーしようとするテン。常に自分に矛先を向ける彼の姿勢に爆発しかけたエミリアは、寸前でその感情を飲み込む。ラムに向けた熱を彼にぶつけてどうする、と。
代わりに日頃から感じている愚痴をぶつけ、頭を冷やす。今ので羞恥心が最高潮にまで高まり、胸の鼓動が耳鳴りのように聞こえるようになったことに、バケツの裏で頬を赤らめた。
情緒不安定なエミリアはそうして、再びパックの背中で縮こまってしまう。その理由が半信半疑だが分かったテンは頬を緩ませ、考えるよりも先に行動に出た。
「とりあえず、お出迎えはこんな感じで平気かな。仕事中にわざわざ来てくれてありがとう。ハヤトは俺が適当に対応しとくから、もう解散して大丈夫です。みんな、やることあるでしょ」
ーーエミリアと話をさせて
目で訴えかけ、口パクで言うと、察しのいいロズワールとラムが顎を引くように頷く。パックも頷いてはくれたが、エミリアが離れそうにないので動けなさそう。レムは前提として離れる気がない。
動ける二人、ロズワールはテンに手を振り、
「そうさせてもらおうかーぁな。この場に残ると私にまで飛び火しかねないしねぇ。テン君、事の収拾はちゃーぁんとつけておくように。頑張りたまえ」
「はい。頑張ってます」
ラムは「それじゃ」と一声かけて、
「まさかだけど、気づいているんでしょうね?」
「気づいてます。今の俺が
「ならいい。ラムは仕事に戻るから」
ロズワールはニヤニヤしながら、ラムは確かな信頼と温かい感情を送り、屋敷の中へ入っていった。余計なことは口にせず、エミリアに起きた変化についてはテンに任せて。
素直な二人が帰ると、テンの目は自然と眼下に引き寄せられる。左腕、先ほどから隙間なくくっついて離れないレムに視線が落ちると、
「仕事、まだ残ってるんでしょ?」
「嫌です」
「行かなくていいの?」
「離れたくありません」
「むぅ」とムキになったように頬を固くし、レムは絡みついた左腕にもっと絡みつく。瞬間、テンに訪れるのは柔らかい圧迫感——血圧検査をされている感覚に近い。
テンからすれば慣れた感覚。煩わしく思うことなんてあるはずがない。けれど、今はちょっとタイミングが悪い。パックの背に隠れて息を潜める乙女と、話をつけなければならないことができた。
二人も二人でなにやらコソコソと話している様子。ならばそれが終わる前にこちらも話をつけなければと思い、
「レム。悪いんだけどさ、もっかい右腕を見せてほしい」
「右腕ですか? いいですよ」
藪から棒な要求に不思議な目をしたが、レムはテンの言うことを拒むことはしなかった。絡ませた右腕を解放するとテンの目線の高さまで上げ、色白の肌を見せた。
その腕に右手を伸ばし、テンは手首の下あたりを指先で触れる。じっくり十秒、真剣な眼差しでまじまじ見つめると「ん」と頷き、
「左腕も見せて」
「どうぞ」
右腕を絡め、左腕を解放。解放した腕を目線の高さまで上げると、すぐさまチェックが行われる。今度は隅から隅まで指先で触れられ、くすぐったい感触にレムがみじろぎした。
倍の時間をかけて終え、「よし」と頷く。一仕事終えた感を醸し出すテンは「もういいよ、ありがと」と左腕を下げさせる。途端、有無も言わさず絡められ、体を結びつけられた。
心の中で一安心。ハヤトが上手くやってくれたようで感謝するテンは「あとさ」と声を潜めて、
「何度も確認するようであれだけど、この数日間で子犬に噛まれたりとかは」
「してません」
「本当に?」
「レムが真剣なテンくんに嘘をつくと思いますか?」
空を映し出す双眸で真っ直ぐ見つめ、レムは疑い深いテンに深愛の証で問い返す。吐息が混ざり合う距離で真剣に見つめ合うと、先に折れたのはテンだった。
ゆるゆると首を横に振り、顔を背けてやりづらそうに顔を顰めて、
「思わない」
「知ってます。ですので、嘘じゃありません」
背けた顔を追いかけるレムが両腕を解放し、テンの正面に回り込む。一秒たりとも逸らすことを許さないと体で表現しようとして、背中に腕を回しながらその胸に飛び込んだ。
満足げに目尻を下げ、胸元からテンを見上げる。意図的に上目遣いになって彼の心を揺さぶると、愛しかない瞳の中に一抹の困惑を灯して、
「先ほどから両腕を気にしてますけど、どうしたんですか? 子犬に噛まれることと、なにか関係があるのですか?」
「ううん、気にしないで。ただね、レムは俺にとって大切すぎる存在、大好きで大好きで死なせたくない恋人。ってこと」
「ぇ?」
——大切すぎる存在。
想いを声にすると、エミリアがバケツの中で小さく息を漏らす。他でもないテンの口から出たことで衝撃に打たれ、同時にレムとテンの様子が猛烈に気になった。
バケツで声がこもっている上に、口から溢れた極小の声——距離が空いているテンの耳が拾えることはない。故に、エミリアの変化に気づけることなくレムを抱きしめ返すと、
「だからさ、レム。今夜、レムがしたいことを全部させてほしい」
そっと耳元に口を近づけ、レムにしか聞こえない声で、囁くように言う。それは、一方通行でしかなかった言葉が不意に繋がって、二人の想いが重なり合った瞬間だった。
急なお誘いに固まり、思考が停止したレム。それも数秒のことで、意味を理解すると頬の下から熱が浮かび上がり、情熱的な感情が燃え上がる。
堪えきれずに「んふふ」と幸せそうに鼻を鳴らして破顔し、
「言われなくてもそのつもりでしたよ。でも、テンくんからその言葉が聞けて嬉しいです。やっとレムを求めてくれたんですね」
「だから今は、ちゃんとお仕事をすること」
「ーーーー」
その一言で、レムは天国から地獄に突き落とされたような気分になった。否、気分になったのではなく、地獄に突き落とされた。甘い雰囲気がぶち壊され、夢から現実に引きずり戻される。
埋めた胸から顔を上げると、こちらの言葉を完全に無視した恋人が、至極申し訳なさそうな顔をしているのが見えて、
「……図りましたね。それを言うために今のやり取りをしたんですか」
「言い方を変えればそー言えるかも」
「テンくん……」
一段、声色が下がり、弄ばれた気にされて不機嫌になるレム。
すっと目のハイライトが落ち、文字通り鬼嫁の気配が滲み出す恋人にテンは「でもね!」と、強めの否定を即座にねじ込み、
「レムとしたい、って思ってるのは本当だよ。嘘じゃない。せっかく誘ってくれてるレムに応えなくちゃな、って思えたから。それに……人っていつ死ぬか分かんないんだしさ。俺も例外じゃない」
「縁起でもないことを言わないでください。テンくんが死んでしまったらレムは追いかけますから」
「知ってる。だから俺は絶対に死ねないんだよ」
テンが嘘をついていないことくらい、目を見れば分かる。だからレムは、今の言葉に嘘偽りがないことが簡単に分かった。だからこそ、その裏に隠れたテンの心情の変化を敏感に感じ取る。
どうやら、彼の身になにか起こったらしい。自分が死ぬという想像をするほどのなにかが、彼の心を蝕んでいるに違いない——そんな気がして、いつにも増して態度がしおらしく感じる。
明確に愛し合いたいと伝えてきたのも違和感だ。これまでの積み重ねが成就したと言われればそう思えなくもないが、彼の感情を感じ取る本能が「それだけではない、なにかがある」と言っている。
この場で問い詰めてもいい。が、どうせならもっと落ち着いた場所でじっくり聞き出したいと思うレム。今の思考を刹那で終わらせた彼女は、最適な場所があるじゃないかと心の中で不敵に笑み、
「でしたら、しっかりお役目を果たさないとですね。テンくんの言う通りお仕事を終わらせて、心置きなくするためにも」
「分かってくれたの?」
「言いくるめられたようで不満はありますけど、テンくんの言うことにも一理ありますし。ここは負けてあげます。でも……」
言葉を切り、レムはふっと表情を艶かしい笑みで彩る。背に回した両腕を引き抜き、今度は首に強く回してぐいっと引き寄せる。爪先を立てて身長差を埋め、息を詰めて頬に唇を当てた。
瑞々しいリップ音が二人の鼓膜を短く叩き、不意打ちに目を見開いて驚くテン。レムは赤面する恋人からさっと離れると照れくさそうに笑み、
「夜は負けません。——鬼の夜はとっても長いんですよ、テンくんっ」
スカートの裾を揺らしながらくるりと身を回し、テンに背を向けて足早に歩き出す。会心の一撃を連続で打ち込み、裏でしてやったり顔をして屋敷の中へとるんるんしながら消えて、
「——レム!」
消えていく、寸前。
風船が爆発したように声が弾け飛び、感情の入ったテンに呼び止められたレムが扉から顔を出す。心なしか今の呼び方が悲痛なものに聞こえて、青色の瞳が戸惑いに揺れた。
けれど、その揺れも刹那で解消してしまう。視線の終着点、レムに視線を絡められたテンは「ふっ」と幸せそうな笑みを湛えていて、
「大好きだよ。これからも、ずっと」
愛する人からその言葉を言われるだけで、レムは一つの感情に心を支配されてしまう。他全ての一切合切を押し除けて噴火する恋情に、思考の主導権を奪われる。
不意を突き返され、思わず面食らうレム。止まった呼吸を再開する彼女は胸に手を添えて、一心にテンを見つめて言った。
「レムも大好きです。未来永劫」
伝えられた愛以上の愛を返答とし、レムは世界一幸せな気分を堪能しながら静かに頷く。
その反応をテンに見届けられたのを確認すると、改めて屋敷の中へ帰っていった。
「……ふぅ」
レムの気配が完全に消えたのを感じると、テンは肩の力を抜いて一息。熱を帯びた息を吐き、荒ぶる精神を静め、一旦冷静になろうと頑張る。
今夜があるかなんて分からないのに、色々と勝手なことを言ってしまった。あんな風にしか言えない不器用な自分に、心底腹が立つ。
これじゃ、エミリアと話をするためにレムの恋心を利用したようなものじゃないか。全てが本心で偽りなんてないけど、形としては違いない。
最低だ。
「君たちの
閉じられた玄関扉を眺めていると、飄々とした声が聞こえたのと同時に視界の端っこに白い毛玉が映る。顔を向けると、いつの間にか元の大きさに戻ったパックが肩に乗っかっていた。
声色とは裏腹に顔つきは依然として父親の顔で、こちらを射抜く黒い眼差しが、一切の冗談を許さないことを雄弁に物語っている。
息苦しくなるくらい鮮烈で、刹那も逸らすことのできないエミリアの父親の目。パックはその目でテンの目の中——奥にある心を覗くように見て、
「あんまり、ボクの娘を誑かしすぎないでね。気づいてると思うから言っちゃうけど、今のリア、ちょっとしたことでも過敏に反応しちゃうくらい敏感だから」
「……はい」
反論のする気も起きない嫌味に、テンは短い返事を返すしかなかった。耳打ちしてくるパックに目で頷き、崩れた姿勢をそっと正す。
普段から呑気で、掴みどころのないパック。物理的にも精神的にもフワフワしてる彼が雰囲気を変えてこの顔つきをするとき、テンはいつも極限まで気を引き締められる。
「君が、故意に女の子を誑かしたりする子じゃないってことは分かってる。さっきのが
「ーーーー」
「でも、もう少しやり方は考えてほしいかな。それが君の現状だとしても、補わなくちゃいけない欠陥だからね。もし、今のやり方でリアに接するようなことがあれば、ボクは君を許せなくなる」
畳み掛けられる羅列に意気消沈し、テンの表情がどんどん翳っていく。情け容赦のない厳しい意見に奥歯をぎりっと噛み締め、前を向いていた顔が力を無くすように俯き始める。
期待の裏返しだと知っていても、いざ本人に言われるとヘコむ。同時に、どれだけ身の程知らずなことをしようとしているのか、改めすぎるほどに改めて痛感させられる。
レムとエミリア。二人の想いを受け止め切ることがどれだけ大変で、茨の道のりなのかが。
「ボクから言っておいてあれだけど……こんなこと、言われなくても分かってるよね?」
「分かってます」
「ならいいよ。その調子でどんどん自分の欠点に打ちのめされて、一歩ずつ成長してくれればいい。君はそうやって強くなる子だからね。逆境に負けず頑張るんだよ。期待してるんだからさ」
「はい」
乗せられた期待の重さに押し潰されそうな思いをしながらも、テンは受けた言葉を否定しなかった。ここで拒めば期待を裏切ることにもなるし、そもそも拒む気など毛頭ない。
俯く顔を上げ、前を向く。下を向いている暇なんてないのだと己を叱咤し、特に今は歯を食いしばって踏ん張るところだと言い聞かせた。
以前と比べて立ち直るのが早くなったテン。成長を感じられる場面にパックは「うん、いい顔になった」と足場にしていた肩から飛び立ち、
「伝えることは伝えたから、ボクも屋敷に戻るよ。リアにも、テンと二人っきりにしてほしい、って言われちゃったし」
「へぇ、エミリアが」
「まさか、あの
「これ、あの
ヒソヒソ声で言ってきたパックが、テンの眼前で片目を閉じてウィンク。アイコンタクトをしてくる彼は、言葉の割に楽しそうな様子だった。
横目でエミリアの様子を窺う。こちらの話をじっと聞いているのか、未だにバケツ顔の彼女は気配を殺してひっそりとした様子で背を向け、会話が終わるのを待っているようにも見える。
「娘の想い、しっかり受け止めてね」
「はい」
「よろしい」
的を得た言葉を使わずとも、目の前の青年はエミリアに起きた変化を頭で理解している。力強くも優しい返事から伝わってきた思いに、パックは柔らかく微笑んだ。
これ以上この場に残るのも無粋。あとのことをテンに託して自分は去ろう。そんな風に納得し、浮かべた笑みを最後として玄関扉を開け、中へ入っていった。
せっかくなら我が子の顔を見てから去りたかったけど、残念なことにバケツ顔から彼女を解放できるのは自分ではない。それは嬉しいことでもあるし、ちょっと寂しいことでもあるけど、事実だから。
「頑張るんだよ、ソラノ・テン」
最後に一度だけ、窓の外に見えるエミリアとテンの姿を視界に入れ、その場を去った。
▲▽▲▽▲▽▲
「さてと」
初めにベアトリスが消え、次にロズワールとラムが消え、その次にレムが消え、最後にパックが消えたロズワール邸の玄関前。
お出迎え組が次々と姿を消したその場所に、途端に漂い始めた静けさ。人によっては気まずい沈黙とも言えるそれを肌で感じながら、テンはエミリアと向き合う。
恋心に気づくの凄まじく早かったな——そんなことを頭の片隅で考えながら、
「お待たせしました」
「平気。テンがパックと話すまで、私もパックと話してたから」
声をかけられたエミリアが体を回すと、彼女もまたテンと向き合う。けれど向き合うと言うには不十分で、バケツを頭から被った状態では相手の目も顔も見れていなかった。
再会直後の興奮は落ち着いたのか、話しかけた途端に暴れ出すようなことはなかった。もっとも、バケツをなんとかしないと状態が改善したとは言い難いので、
「それ、いつまで被ってるつもり?」
「……外します」
「俺が外してもいい?」
「……ん」
パックになにか言われたのか、自分で決心したのか、その両方か。いずれにしても逃げれないと悟ったエミリアがようやくバケツ顔を卒業しようとして、その手をテンの声に止められる。
僅かに戸惑ったが、それでも拒むことはない。潔く、諦めたように、バケツの中で目を瞑るエミリアは頭をテンに傾け、身を委ねた。
しばらくしないうちにバケツに手が伸び、テンの手が触れる音が外から内側へと響く。エミリアはその音に身を強張らせて両手をぎゅっと握りしめ、
「はい。取ったよ」
「………ぁ」
閉じた視界が日光に焼かれる不快感に瞼を開くと、エミリアの世界に光が差し込む。バケツの中に長時間いたこともあって刹那の陽光の煌めきに目が眩み、紫紺の目を細めた。
細めた視界の中心に、テンがいる。会いたくて会いたくて堪らなかった、大好きな人がいる。大好きな人が、こっちを見て笑いかけてきている。
たったそれだけで、エミリアの恋心は瞬く間に沸騰。明るさに目が慣れて世界が明確に映し出されるとより沸騰し、はっきり見えるテンの姿に顔が真っ赤に染まっていくのが分かって———、
「ーーっ。み、見ないで」
覚悟としてもやっぱり顔を直視できず、弱々しい声を鳴らしながらさっと目を背ける。手で前髪を整えるふりをして顔を隠し、真っ白になってしまった頭の中で必死に言葉を作り始めた。
感情を材料に想いを形にしようとして、胸の鼓動に邪魔をされる。直球で言うのが恥ずかしくて、遠回りな言葉ばかりが完成して、今はそれを言うことすら恥ずかしい。
目の前に大好きな人がいる。なにを考えようにもその事実が頭も心も掻き乱して、考えたくてもまともに考えられない。
「なにか、俺に言いたいことがあるんだってね」
「……うん。ある」
言葉らしい言葉が口から出てこず、地面を見ながら短い返事を返すことしかできないエミリア。
目に見えて頬が赤く色づく彼女の可愛らしい反応にテンは「そっか」と、胸の中で覚悟を決めると、
「じゃぁ、好きなように、言いたいように言ってみて。いつものエミリアみたいに。俺に言いたい放題言うの、エミリアは得意でしょ?」
「むっ。その言い方、すごーく意地悪」
いつもの調子が出ないエミリアに、いつもの調子で言葉をかけてくるテン。空気を読まない軽口に頬を膨らませ、エミリアは子どもっぽくテンを睨みつけた。
それが彼の気遣いであると分かっているし、嘘じゃないのも分かっているから、睨みつける以上の反撃はできない。当たり前だ。自分がテンにだけは我儘だなんてこと、ずっと前から自覚している。
なら、直球に言ったっていいじゃないかとエミリアは思った。完全に心を許してから直球で物を言ったことがない方が少なく、素直な自分をこれでもかとぶつけてきたのだから。
というより、ここにきて我儘の弊害が出た。直球以外の言葉が出てこない。前置きが長くなればなるほど、遠回しになればなるほど、目がぐるぐる回る気がする。
「あ……あの、あのね、テン」
己の語彙力の無さを呪い、言うしかないと意を決し、逃げ場はないと覚悟を決める。
恥ずかしさも、胸の苦しさも、逃げてしまいたいという弱気も、全てを心の奥に押し込んで。
「その、ね」
一歩、前に出る。テンとの距離を拳三つ分、いつもの距離にまで詰めた。その胸元に両手を添えて、いつもみたいにきゅっと服を掴む。
いつもみたいに胸元からテンを見上げて、いつもみたいにほぼゼロ距離で想いを通じ合わせる。いつもみたいに——そう、いつもみたいにやればいい。
いつもの自分でいれれば、いつものように直球で言えるはずなのだ。
「私は」
鼓動がうるさくて、呼吸が不安に乱れる。服を掴む手に力が入って小刻みに震え、声まで震えている。頬が熱くて、緊張で弾けてしまいそう。
それら全てをテンに見られていると思うだけで、死んでしまいそうな羞恥心に襲われて。それでも、今ここで伝えなくちゃとエミリアは、
「テンのことが……」
エミリアは、
「テンのことがーー!」
エミリアは———。