「——以上が、レムの全てです」
聞いた。テンは、全て聞いた。
レムがラムと一緒に忌み子である『双子』として生まれてきたこと。ラムは類稀な才能を宿していたけど、レムは平々凡々だったこと。
その事実を覆そうと努力し、苦しめられ、その果てに全てを諦めたこと。誰もが姉のような自分を求めて、本当の自分なんて求めてくれなかったこと。
村が魔女教徒の襲撃に遭い、自分と姉以外の全てが滅ぼされ。終いには自分を庇った姉の角が折られてしまったこと。折られて、「やっと折れた」なんてことを不意にも思ってしまったこと。
それら全部を含めて、あの日のこと。
その日からレムは、その感情の贖罪のためだけに生きてきた。完璧な姉の代わりに成ること、それだけに自分を作ってきた。
姉は自分を庇って角を失ってしまった。レムは、姉のその姿を見てそう思ってしまった。だから、その罪滅ぼしのために、レムはレムで在ることを本当の意味でやめた。
それが、
「過去に犯した罪、その罪滅ぼしで作られた人間——それが、レムという未完成の鬼。姉様の代替品にすら成れないどうしようもない女です」
それが、レムという存在だ。
自分が自分で在ることを。自分が自分を許すことを。それらを諦めた女がレム。あの日から自分は、姉の代替品として生きていくことしかできないのだと。レムはレムを殺したのだ。
「レムは、姉様とは比べ物にもならない程に出来損ないです。その上、鬼族の落ちこぼれです。あの日から何年も努力して追いつこうとしても、結局は何も変わっていない、ただの無能なんです」
「そんなこと——」
「事実としてッ!! レムのために姉様が傷ついたように、テンくんも傷ついてしまった。理由は明白、レムが一歩も進んでいないから! そうやってまた、同じことをレムは……!」
そんなことないよ。
用意されていた否定を紡ぐはずのテンの声が割り込んできたレムの声に弾き飛ばされると、そのまま彼女は言葉を続けた。彼の目の前で、レムは胸をギュッと握りしめる。
跳ね除けたレム自身、彼が言わんとしていることは分かっていた。きっと、否、彼は本心でそう言うつもりなのだろう。そんなことないよ、とレムがレム自身を傷付ける手を止めてくれるはず。
けど、それじゃダメなんだ。そんなことないわけないから。同じこと繰り返し、同じ罪を心に刻み、同じ十字架を背負った——その事実があることがテンの否定を否定している。
「だから言いました。レムはレムを許すことができないんです、と。テンくんを傷付けたこと自体は当然ですが、過去の同じ罪を重ねてしまったことがもっと許せない。あの頃から、何も変わっていないレムが、レムは許せないんです」
愛する人を傷付けた罪と、過去と同じ罪を犯した罪に板挟みにされて、それを許すことを心が許容しない彼女は『許す』という選択肢を自分から取り上げてしまった。
故に、その自分を肯定する事も否定する事もできないまま、今のようになってしまったのがレム。
「姉様ならこんな失態、するはずがない」
独り言のように言い、レムは力無く首を横に振る。服を握りしめる拳に、震えるほどの力が入った。
何もできない、ただ感情に任せて暴れ回ることしかできなかった自分をレムは糾弾する。
「本当の姉様がいれば、あの騒動だって被害を出さずに終わらせていた。レムのような出来損ないに角が残っていなければ、こんなことにはならなかった」
どこまでも己の事を否定するレム。
過去を語る上で散々卑下したとしても彼女のそれは止まらない。否定と嫌悪しか出てこなくて、口を開けばそれと類似する言葉ばかりが吐き出される。
姉ならばこうはならなかったと強く思わせる縛りが心を締め付けるせいで、それは時間と共に加速していく一方だ。
「あの日、レムが角を折られていればよかったんです。レムが、レムだけが傷付けばよかったんです。こんな未完成で、姉様に一生追いつけないレムなんかではなく、姉様が無事であるべきだったんです」
止まらない後悔が。終わらない自己否定が。自分という存在そのものを完全に拒絶してしまう言葉の羅列が次々と溢れ出て。
いつしか、溢れて止まらないものが一滴の涙となって頬に垂れる。
「姉様に角があったら。とか、本当の姉様ならこんな失態はしない。とか、レムは言うけどさ」
頬に垂れる雫、レムの悲哀が溢れるそれをテンは丁寧に拭いながら語りかける。この涙を止めたくて、彼女は拭った指でレムに手に触れた。触れると、レムは条件反射のような速度で指を絡ませながら触れた手を握りしめる。
二人の距離はずっとゼロ。レムがテンの胸に背を預ける姿勢を変えた二人は至近距離で見つめ合っている。お互いの声が、はっきりと聞こえる距離だ。
そんな距離でテンは「酷いことを言うようで申し訳ないけど」と前置きし、
「現実的な意見を言うと。それって、気にするだけ無駄なんじゃないの? 気にしたところで、どうにかなるものじゃないでしょ?」
「そんなこと——」
「それは全部、過去で、理想で、夢物語なんだろ? 叶うはずのない幻想なんだろ? ……違う?」
言った直後、喉を引き攣らせるレムの表情が固まる。反論を語るはずの口は凍りついてしまったように動かず、そもそもの話として反論すら浮かんでこない。
図星だ。角があったら、自分の姉が本来の力を出せていたら——そんな、たらればの話が過去の話で、理想で、夢物語だなんてこと、とっくに理解している。
それでも否定し続けるのは、心のどこかで認めたくない自分がいるからかもしれない。或いは、本来の姉の姿を心に留めておくことで、自分という人間を否定したいのかもしれない。
それを目標としていないと、自分は、自分で在ることをしてしまいそうだから。
そして、そのレムをテンは意地でも引っ張り出す。
「レムはその時のことを気にしすぎなんだよ。それしか……過去しか見てない。過去の自分ばっか見て、今の自分を見る気配すらない」
「それに」と、テンはレムに言い聞かせるような声色で、
「レムが生きてるのは、今だろ。過去に縛られてるだけであって、レムは今を生きてるんだろ。過去のことばっか気にしてちゃ、いつまで経っても前に進めないよ?」
過去でもなく、未来でもない、今。過去に縛られ続けるレムは、今を生きているのだから。昔のことばかりを引きずっていてはもったえないとテン思うのだ。
確かに、過去に心を置いてきてしまう程の出来事があったことは否定できない。ずっと引きずってしまいたくなる悲劇がレムの身に降り掛かって、過去に縛り付けていることは事実だ。
しかし、
「過去を振り返るのは大切なことだと思うよ。振り返れば自分が見失ったものを見つけられるかもだし。でもね、レムはそこにずっと止まってんの。そこに、縛られ続けてるの」
過去を振り返ることは大切——テンも思うことはある。しかし、レムの場合は振り返ったまま帰ってこない。振り返って、そのままだ。
ずっと、そこにいるのだ。過去の出来事が作り出した現状と向き合わず。贖罪、罪滅ぼしという形で角が折れた事実から目を逸らし。ラムと真正面から向き合おうともしないで。
結局、自分の中だけで全てを完結させてしまうから、過去に縛られ続けることになってしまった。
「そういうものに縛られるのは良くないよ。過去でも、記憶でも、運命でも、その種類は千差万別だけど。何かに縛られたままでいるのは絶対に良くない。俺はそう思う」
「どうしてですか?」
「俺も、今さっきまでそうだった」
レムの瞳が驚愕に見開き、「テンくんも、何かに縛られていたんですか?」と表情に光が差し、陰りが瞬間的に消失した。宿ったのは希望か、もしくは同族を見つけた安心感か。
彼とは共通点が多いとは薄々勘づいてはいたが、ここまで一致されると、いっそ運命的なものすら感じてくる。
「一体、何に縛られていたのですか?」
彼も自分と似たような思いに苦しんでいた事実を知り、レムは興味そうに詰め寄る。元からゼロ距離なそれが縮まれば、彼女の体は彼の体にぴったりくっついた。
指を絡めた手はそのままに、胸元に寄りかかりながら彼を見上げるレム。くっつきたがる彼女にテンは「そうねぇ」と考える素振りを見せ、
「固定概念、ってやつかな。一つの考え方にずっとこだわって、縛られて、そうでなくちゃダメなんだ、って。そう思ってた。……ほんと、馬鹿馬鹿しい話だよ」
一段、テンの声色が下がる。
心の底から響いてきた本音が重く呟かれると、レムは見上げた瞳の中に深い後悔と激しい嘲笑を見た。
物思いに耽っているのか、カーテンの開いた窓から夜が明けつつある空を見る彼は、どこか虚だった。
「なんで、そんなくだらないものに縛られる必要があったんだ、って。今なら思える。別に気にしなくてもいいことをいつまでも引きずって、捨て切れなくて。結局、自分の心を永遠と抑え込んでた」
レムへの恋心を自覚しそうになる度に、それはダメだと怒鳴りつけて。自分にそれを捻じ曲げるだけの力があるはずがないと決めつけて。
浅く考えれば簡単なはずなのに、深く考えすぎて自分から余計に縛られる。深刻に考える必要もないことを、過度に突っかかって。
「簡単なはずのことを、難しく考えてた。心に絡みついた糸を、自分の手でぐちゃぐちゃにするみたいに、解くことを難しくさせてた。……要は、自分が自分を苦しめてたんだよ」
一番の問題は、自分自身。
拳を軽く握りしめながら、テンはそう言う。淡々と語りながらも、その声には確かな悲哀が込められていた。
その発言に至るまでにどれほどの苦悩と時間を費やしたのか。自分の知らないところで苦しむ背景を想像すると、共感する部分のあるレムは途端に胸を締め付けられる。
「きっと、レムも俺と同じ。自分で自分を苦しめて、話をややこしくしてるだけ。難しく考えすぎちゃってるんだよ。だから、何かキッカケさえあれば縛りなんて簡単に抜け出せる。心配しないで」
そんな彼女にテンは明るい声で笑いかける。「筋金入りだとしてもね」と、レムを何年間と苦しめてきた縛りと真っ向から向き合う宣言をした。
過去を聞いても尚、その覚悟が揺らぐことはない。
「そんで、そのキッカケは俺が掴ませてみせる」
当たり前だ。
安心して助けられろと言ったのだから。もう後戻りはできないし、するつもりなど毛頭ない。レムの心に掛かった数年ものの闇、この時間の中で跡形もなく晴らしてみせる。
そうしたら、レムの満面の笑みが見れてハッピーエンド。あの夜から引きずってきたものを一つ残らず拭って、それで悲劇を終わらせよう。
「つーかさ。過去の話を聞いて思ったんだけど、そんなこと誰が言ったの?」
「え?」
「レムが落ちこぼれだ、って。誰が言ってきたの?」
唐突な話題転換。
自分の縛りを語り終えたテンが投げかけた疑問に、レムは自分でも笑ってしまう程に気の抜けた声が出た。全く予期していなかったために、思わず出てしまったのだ。
問いかけたテンは、真面目な態度。ふざけた雰囲気を声に孕ませていない彼は頭の中で巡り続けていた事の答えを求めている。
言葉の意味を咀嚼するレム。恐らく、テン以外には聞かれることのないそれに彼女は「それは……」と言い繋ぎ、
「誰かに言われたわけではありません。ですが、レムは姉様の劣等品にすら成れなくて、周りからの期待の声から逃げて、何もかも全てから逃げた。それに、角が一本しかない時点で、二本が普通の鬼族にとっては落ちこぼれなんです。だから、レムは——」
「その言い方だと。ラムも落ちこぼれ、ってことになるけど。よろしいですか?」
自分を否定する羅列を生み出すことに関してはどこまでも前向きなレムに、テンは平然と言葉を挟む。
言われてレムは気づいた。確かに、その言い方では自分が尊敬する姉も自分と同類になってしまう。
が、
「姉様は違います。才能があって、人徳があって、人として何一つ欠落のない完璧な鬼族ですから。姉様がレムと一緒なわけがありません。姉様は落ちこぼれではありませんよ」
当たり前のように言い切り、レムはうっすらと笑みを浮かべる。過去を語り出してから見るようになった、全てを諦めたような笑みだ。
儚く、弱々しく、理不尽な物事を受け入れるような。完璧で天才な姉と出来損ないで無才の自分、その二つを対比して、何一つとして追いつけない自分を嫌うような。
「角が一本である事実を覆す程の能力があったから、ラムは落ちこぼれなんかじゃないと」
「はい。そうです」
「自分にはそれが無いと?」
「はい。当然です」
即答された二言にテンは短く唸って沈黙。これは、自分以上に重症だ。縛られるというよりも信じ込むに近い。
自分の中で生き続ける角のあるラムと、それに追いつけない自分。その二つが固定概念のように心底に取り憑いているせいで、レムは悪循環から抜け出せていない。
考え方が一つに縛られる彼女なら尚更。一度でも深く根を張った思考に囚われ続けてしまう。なら、その二つをどうにかして壊してやる必要がある。
「俺は、そうは思わないけど」
決まりきった答えで己を地の底まで否定するレムに返されたのは否定。否定を否定された彼女は、同じく決まりきった答えで返してきたテンに「え?」と、またしても腑抜けた声。
自分がレムの否定を否定すると彼女は思わなかったのだろうか。あっけらかんとする彼女にテンは首振り人形のように何度も頷き、
「確かに、レムの中のレムはレムが言った通りなのかもしれない。けど、俺の中のレムは違うよ。出来損ないでも落ちこぼれでもない」
「そんなこと……。だってレムは、姉様の代替品だってずっと、ずっと生きてきたんです。鬼族として出来損ないのまま、生きていたんです。そんなレムが落ちこぼれてないとテンくんは言うんですか?」
「おん。言う」
日常会話の一環のような軽々しさで言われてしまったレム。特に深刻そうに語らないのは、それが本心であるという事のなによりの証拠だと彼女は感覚的に察した。
本気で、彼は、自分の中の自分を否定している。肯定するわけでもなく、糾弾するわけでけでもなく、卑下するわけでもない——否定。話し始めた時からその姿勢を刹那たりとも崩そうとしない。
その真っ直ぐで、純粋な瞳が贈る否定に、レムは、自分の心がさざ波程度に揺らいでいるのを感じた。
「じゃぁさ、レムを鬼族としてじゃなく人として評価してみようよ。角の有無とか関係なしに、ラムの代替品だとか関係なしに。レムを普通の人として、レムをレムとして評価してみようよ。鬼族で在る前に人なんだし」
「レムを、レムとして?」
「そうそう。そうすれば評価も変わってくる」
鬼族であることに異常な拘りをみせるレムに、テンは新しい評価基準を示した。
鬼族であることが普通であるレムからすれば考えもしなかった評価基準。それしかないと決めつけていたから拘り、その自分を評価するのを普通とするレムにとって、目を丸くしてしまう基準。
それを基準にしたときテンの中のレムは、
「嘘なしで正直に言うけど。冗談抜きで、レムは人として……というか、女性として完璧だと俺は思うよ。これ以上ない、ってくらいにレムは理想の女性だよ」
当たり前のように言われた言葉に、レムは頬を赤く染めた。状況からすれば唐突なそれに、またしても彼の胸に顔面を埋める羽目に。
ーーあとで、絶対にやり返します
埋めた胸の中、聞こえぬように心の中で呟く。密かにレムの逆襲が決定したところでテンは「だって考えてみろよ」と明るい声で、
「レムはお料理が得意で、広いお屋敷のお掃除も完璧にできて、洗濯もやれて剪定もやれて、家事全般を一人で余裕で担当できる。あのね、俺からすればこの時点で出来損ないじゃないのよ。出来損なってないのよ」
「分かる?」と笑いかけてくるテンにレムは目を合わせることができない。更に、「その上」と言葉を紡ぎ続けられると、より一層のこと合わせられない。
「努力家で、礼儀正しくて、何事にも一生懸命で。でも、ちょっと抜けてて……そこが可愛くもあるんだけどさ。あとは、とっても強い子」
強い子。
そう言われたレムが疑問符を浮かべる気配。言葉にすることはないがレムは首を小さく傾げると、テンは彼女の頭に手を優しく乗せて、
「物理的にじゃないよ? 過去に縛られてても、懸命に生きる力がある、ってこと。苦しんで悲しんで怖がって、それでも毎日を頑張れる強さがレムにはある。そーゆー意味での強い子」
「ちがっ……、レムは、そんな女の子なんかじゃ」
「でも、努力してきたことに変わりはない。例え、それがラムへの贖罪で罪滅ぼしだったとしても、思い込んだその重圧に耐えてきたことは事実。強い子だよ。レムは、とっても強い女の子」
テンの中のレム——レムがテンに見せてきた、本当の自分を語る彼に彼女は苦し紛れの反論を弱く紡ぐも、即座に否定される。
そんなの自分じゃないと頑なに認めないレムを、一生否定し続ける。
「そんでもって、優しい。レムの一番の長所だと俺は勝手に思ってる。ありがちだけどさ」
「レムのどこが……」
「おいおい。今までレムが、俺にどれほどの優しさを与えてくれたのか、まさか知らないとは言わせないよ? もしかして、無意識だったりします? それこそ優しさの極みじゃねーか。なんだお前、女神か」
半笑いするテンにレムは口を塞がれる。自分のどこが優しいのか思い当たらない彼女は口籠った。
当然だ。レムからすれば、テンにしてきたことは自分がしたくてしたことで。愛する人にする行為としては当たり前のことなのだから。
その『当たり前』が、テンにとっては当たり前ではないことをレムは知らない。テンがその優しさにどれだけ支えられたか、励まされたか、救われたか、レムは知らない。
だからテンは、その当たり前が当たり前でないことを語る。
「そんなレムが出来損ないなわけねーだろ。逆に、レムが出来損ないに当てはまるなら、他の人たちはどうなっちゃうのさ。頼むから、最低の基準を上げないでほしいんだけど。最低が最高に近いんだ」
「俺には、身の丈に合わない女性だよ」と。テンはレムを褒めちぎる羅列を言い連ねる。
彼女が自分を否定した分だけ肯定する彼はそう言うと、握っていた手を離し、腰に回した両腕でレムのことを強く抱きしめた。
不意のそれに、胸の中からレムの裏返った快楽の声が漏れる。少しだけ、涙っぽい声だった。少しだけ、鼻を啜る音がする。
「レムはさ、自分の中に閉じこもりすぎなんだよ。でもまぁ、それも仕方ないか。自分に向けられる言葉を嫌って、耳を塞いで、それが悪い癖になっちゃったんだよな。無意識に、殻に閉じこもるように……なっちゃったんだよな」
言うと、レムが浅く何度も頷いた。嗚咽を我慢する口元を固く閉じても、自分の心を理解してくれる彼に、彼女は心を曝け出す。
そんな彼女にテンは手を差し出すように、
「ねぇ、少しだけ世界を広げてみない? だって、今は昔とは違うんだから。レムを取り巻く人も、環境も、常識も、レムが縛られ続ける過去とは丸っ切り違うんだぜ」
レムでないレムを求める人は一人もいない。レムの話をしない人は一人もいない。ラムのようになれと言い聞かせる人は、ここには誰一人としていない。
「ほら、周りを見てみなよ。レムのことを大事に思って、レムの中の『ラムの代替品のレム』を否定してくれる人はいる。レム、っていう名前の女の子を求めて、肯定してくれる人はちゃんといる」
「そんな人いるわけが——」
「そう思う?」
レムの否定を真っ向から打ち消すテンの声がそれを貫くと、レムは顔を上げる。
涙でくしゃくしゃになった、彼だからこそ見せれるひどい顔。テンは至極真剣な顔つきで、
「ほんとうに、そう思う?」
瞬間。
レムの中で、形成していた『当たり前』が一つ、壊れる音がした。当たり前だと思っていたことが、ただの思い込みだと。夢の世界と同様に、自分がそうだと思っていただけだったと。
そう、思えることができて。
「ここにいるよ」
大好きな人が、
胸が苦しい。でも、この苦しさは辛いわけではない。嬉しくて、死んでしまいそう。
「レムがレムを否定するなら、俺はその分だけレムを肯定する。いや、違うかな。その分以上に肯……全肯定……、そう。全肯定するよ! 俺の全てを尽くして、レムがレムで在ることを全肯定する!」
「俺は、レムが好きだから!」と感情の昂りが表に出たテンが声を殺して叫ぶ。気がつけば、レムはテンに抱きついていた。
これから先、何度となく抱きつくであろう人の首に腕を思いっきり回すと、込み上げた感情を発散するようにがむしゃらに抱きしめる。声はない。嗚咽もない。乾かない涙だけが流れていた。
彼は自分を求めてくれた。こんな未完成な自分を好きだと言ってくれた。弱虫で、面倒な女に何回もその言葉を贈ってくれた。嬉しすぎて、言葉にならない。
救われる。今、自分は彼に救われている。救われる過程にある。その感覚がする。
「泣いていいよ。たくさん泣いて、スッキリしちゃおうよ。その方がラクになる。俺の胸でよければ、いくらでも貸すからさ」
「はい……。はい……!」
端的に返事をした後、レムは泣くことに熱を注いだ。我慢してきたものを、噴き上がってきたものを、恥ずかしさすら捨て、彼女はテンを求めるように大粒の雫を雨のように流した。
「辛かったね。よく、今まで頑張ったね」
人生の中で溜まっていた涙を受け止めながら、テンはレムを労った。安心の表情を浮かべながら、やっと本気で泣いてくれた彼女を抱きしめて、背中をさする。
今の自分には、これしかできないから。自分のできる全てを尽くして、彼女のことを労わった。
辛いとき、彼女がそうしてくれたように。
▲▽▲▽▲▽▲
「そういえば、レムの疑問に答えてなかったね。俺を傷付けたレムが、俺を愛する資格なんてあるのか、と。どうすれば自分を許せるのか、ってやつ」
涙を流していたレムが落ち着いた数分後の今。一生離れてくれなくなったレムが胸に寄りかる中、テンはその二つを口にした。
危ないところだった。色々と語られて、語りすぎたせいで未解決のまま忘れ去ろうとしていた。それを解決せずにレムを救えるわけがないだろう。
声に反応したレムが「はい」と息を呑む気配。意地でも自分を救うと言ってくれた人の声に耳を傾けると、テンは「あのね」と感情を音にし始めた。
「その二つの疑問。俺なりに考えてみました」
今夜——もはや、今夜と呼べる時間帯ではないものの。今夜の目標の一つともいえるそれを解決するべく彼は一度だけ深呼吸。レムに甘えられてふわふわした精神を整える。
そうして気持ちをリセットすると、
「じゃあ。まずは一つ目の疑問について話していくけど、それでいい?」
「はい。お願いします」
若干、声に緊張感を持たせたテンがそう言った直後、レムは深呼吸。彼女なりに心を穏やかに保っているのか。或いはテンと同じくふわふわした精神を整えたのか。
いずれにしても、それで心は整ったらしい。テンに再度「お願いします」と声をかければ、彼女のゴーサインは彼に伝わった。
「俺を愛していいのか悩んでいるレムに。一つ、質問します。レムの気持ちを素直に教えてね」
眼前。言葉そのままの意味でゼロ距離にいるレムに小首を傾げ、
「レムは、どうしたい?」
疑問というよりも意志確認に近いものだった。自分のことを好きなのに、罪が邪魔をするせいで好きな気持ちを抑え込むしかないと語ったレムに対する、彼女の素直な言葉を聞くための一言。
答え方に幅がありすぎる疑問。何をどうしたいのか分からないレムは困惑するように目を細めて、
「どうしたい、とは……」
「自分を許せないだとか。罪深いだとか。そーゆーの全部放り投げて、俺とどうなりたい?」
細められた目が開いたとき、レムは自分の心に耳を傾けた。意識を外側ではなく内側に向けた彼女は、己の中にいる、テンのことが好きで好きで仕方ない乙女の声を聞いた。
好きなのに好きになっちゃいけない。資格なんてないのに、愛してしまう。そんな矛盾を抱える元凶はいつも同じことを言っている。自分が罪に苦しんでいても知らん顔で、毎日のように叫んでいる。
そんな自分が発し続ける声。罪に囚われて、何も分からなくなっても、想いだけは刹那たりとも揺らぐことなかった声は——、
「恋人に……。なり、たい」
「それが、レムの本音?」
「はい」
三回、頷いたレム。秘めてきたことを彼に曝け出す彼女に嘘はない。人を見る目に自信はないが、それくらいはテンにも分かった。
嘘は言っていない。素直なレムをレムは見せてくれている。途端、面と向かってそう言われてしまうと今更ながらに恥ずかしくなってくるテンは「そっか」と声を柔らかくして、
「じゃあ、それでいいじゃん。こんな俺のことを好きでいてくれるなら、それを貫いてよ」
「でも………。レムは、テンくんを傷付けたんですよ? 今だって、今だって傷が痛んで辛いはずなのに。そんなレムがテンくんを愛していいんですか?」
「逆にダメな理由ってある?」
自分の否定を突き詰めるレムにテンは淡々と返す。レム自身ですら、否定したがる自分に嫌気が差してきたが、それでもテンの声が尖ることはない。
一つ一つ丁寧に、難解に絡まった糸を解くように否定を否定していく。不安そうに瞳を揺らす少女の頭にそっと手を添えながら、
「好きなら好き。それでいいじゃない。愛していいのかとか、資格がないとか、そんなつまんねーものに拘ってなんの意味があるの? 辛いだけでしょ? それとも、レムがレムを許せないから、それに拘るわけ?」
「………ごめんなさい。やっぱり、レムは面倒な女ですよね」
「待て待て待て。謝るな謝るな。別に、責めてるわけじゃないんだから。その一言で俺が一気に悪者になっちゃう。つか、女の子って基本的にそんなもんじゃないの? 面倒なくらいがちょうどいい、ってハヤトも言ってたよ」
「アイツ。俺より恋愛経験あるから参考になるぜ」と、自己否定癖のあるレムに自己否定癖のあるテンは笑いかける。情緒不安定が発動すると直後から落ち込む彼女の頭を、髪を手櫛で梳かすように撫でた。
そこで謝罪の言葉が選択されるあたり、自分の指摘したことは間違ってもいないのだろうとテンは思う。レムがレム自身を許せないから、テンが何を言っても意味はないと。
素直になってもまだ心残りはある。それを解決しなければ、何も終わらない。だからテンは、自分の想いを伝え続ける。
「レム、俺はね。誰かを好きになること、って大事にした方がいいと思うんだよ。その感情は、一番優先した方がいい。その人のことを本気で好きになったんなら、それを邪魔する事柄なんて投げ捨てなよ」
好きなんだから好き、その感覚は大事にしていきたい。だって、好きになってしまったのだから。自分はレムのことが好きになって、それから離れられなくなってしまったのだから。
好きになってしまったものは、仕方ないだろう。
なら。罪が有るだとか、傷痕がどうのこうのとか、そのような考えは要らないとテンは考える。どうしてか、『好き』の感情は何事においても優先されるからだ。
万事において勝る感情——そう表現してもいい。自分に降りかかる不都合を押し退けてそれは心の中で強く光り輝き、何があろうとも揺らぐことはない感情。
愛が深ければ深いほど、その輝きは増すばかり。ならば、レムがそれを抑え込むことなんてする必要はない。全部をポイと放り捨ててしまえばいいのだ。
それができたらレムは———、
「できません」
「ですよね」
願望に近いそれがレムの一声によってシャットアウト。たった五文字にテンの考えが、ぴしゃりと音を立てて潰される。やはり、大元をなんとかしない限りは手の打ちようがないらしい。
テンが焦る様子はない。寧ろ、そう返されることを予期している彼は用意していた言葉を頭の隅っこから引っ張り出すと「なら」と、言葉を繋げて、
「俺から提案。レムが、自分を許す必要がなくなる方法。それを一つだけ提示しよう」
シームレスに二つ目の疑問の解決——レムを縛り付ける大元を叩く事にテンが静かに移ると、胸元にいるレムの喉元から唾を飲み込む音が聞こえた。
当たり前の反応だ。約一週間に渡って頭を悩ませて、心を苦しめ、挙句の果てには生命すらも脅かす悩みの種について触れられたのだから。
安心して助けられる心構えでいたとて、微塵も動揺しないわけがない。その不安を察したか、テンは柔らかく微笑みながら言った。
「レムは、俺を傷つけた自分を許すことなんて絶対にできない。誰が許しても……俺自身がレムを許しても、レムはレムを許すことができない。好きな人を傷付けた事実は決して許されることじゃないから。……これが、レムの考えで正しい?」
「そうです」
「じゃあさ。その自分を受け入れてあげようよ」
その自分を良しとする肯定でも、悪しとする否定でもない。受け入れる、という道を新たに示した彼にレムは数瞬だけ呼吸を忘れた。
言われてみれば確かにありそうな答えだが、いざ言われると衝撃を受ける。
「レムはどうしたら自分を許せるか、って聞いてきたけど。俺からすればそれ以前の問題。別に、許せないなら無理に許す必要もないでしょ。無理やり許すよりも、許せない自分を受け入れる方がずっとラク」
「今のレムを、許容するということですか?」
「そ。受け入れるという意味合いで許容する。許せない自分を受け入れて、前を向いていく。そうしないと、いつまで経ってもそこから前に進めないし、辛いままだろうしさ」
声が帯びた力強さと共に紡がれる羅列に、レムは俯き、戸惑いの色を濃く浮かべる。
許せない自分受け入れるなんて考えなかったから、自分がそれを選択できるか不安だった。
「許せない自分を受け入れること。って、レムには難しいことかな。今の自分を、一つの自分として許容してあげること。って、レムには苦しいことかな」
そんな時、不意な温もりを感じたレムは顔を上げた。その正体を探るまでもなく、自分は彼の両腕に抱きしめられていることを彼女は理解する。
何回、何十回、何百回。求めたら求めた以上の愛を注いでくれる人の肌と自分の肌が接すると、レムはどうしようもなく安心してしまう。
そんなレムにテンは優しく語る。この声、届けと願いながら。それはまるで『許容』へと続く道の入り口、その手前で躊躇するレムの前に立ち、手を差し出すように。
「だって辛いじゃん。仮に、今が永遠と続くなら、自分をどうやって許せばいいのか分からないままずっと生きるんでしょ。そんなの、辛すぎるし、悲しすぎるよ。俺は、好きな人にそんな風に生きてほしくない」
「押し付けがましいよね」と、軽くテンは息を吐くように笑うが、レムがそれに反応する気配はない。彼の話を黙って聞く姿勢を貫いている。
それを横目にテンは語る口を動かし続け、
「だから、許せるようになるまで受け入れてあげようよ、って話。それでいつか、許せる日が来たらいいと思わない? ずっと今の状態を引きずるよりも、その日を気長に待つ方がいいと思わない? もちろん、俺と一緒に」
目を逸らさず、真正面から受け止めさせる。受け止めて、前を向かせる。前を向かなければ、何も進まないのだから。そこに蹲ったままでは、何も始まらないし終わらない。
それをするための許容。それを答えの形として捉えるか、答えの形を出すまでの妥協として捉えるかは人それぞれだが。
どちらにせよ、前に進むことが大切なのだ。
「ラムにはね、受け入れることは否定も肯定もできずに決断することから逃げた人間がすることだ。って言われちゃったんだけど、それは違うと思うんだ」
手厳しい意見だと思うと同時に、ご最もな意見だともテンは思う。自分がレムに示した選択肢は、あくまでその場しのぎにしかならず、決断の先延ばしにすぎない。逃げたと、そう言われても仕方ない。
確かにそうだ。ラムの言うことは頷いてしまうところはある。納得して、共感してしまう部分はある。
けれど、それだけで終わらせないのがテンだ。彼には彼なりの意見があるのだ。
「言ってて思ったんだけどさ。その自分を受け入れることは、逃げるためのものじゃない。レムの明日に繋げるためのものだよ」
「あした?」
「そう。言い方を変えれば、今を生きるためにするためのもの、かなぁ」
それらしい言い回しがパッと思い浮かばないテンは「んーー」と低く喉を鳴らすと、頭の中で言葉と言葉を縫い合わせながら、
「今を生きれない人に明日はないんだよ。未来なんてないんだよ。だから、
自分を許容すること。それは、そのままの自分を一つの自分として受け入れて、前に進むこと。それを「逃げてる」なんて言葉で一括りにされていいだろうか。
いいわけがないだろう。
今、レムは前に進もうと足掻いている。許せない自分をどうにかして許そうとして、今の状態から脱しようとして、自分を変えようとしている。
なら、それを後押ししてやるのがテンの役目。だから、彼はその道を示した。その道を歩もうとする彼女を「逃げてる」などと言うつもりは一欠片もない。
正解、不正解などないのだから。
「生きないとだめなんだ。辛くても、生きないと。そうやって、前を向いていかないと。下を向いてちゃ、後ろを向いてちゃ、何も変わらない。その自分から一生変われないまま、苦しむことになる」
「レムはそれでもいいの?」と、テンは彼女に問いかける。彼自身、彼女と同じ境遇にあるために、その問いかけは自問自答しているとも言えた。
返された反応は否定。首を横に振るレムが「イヤです」と、感情を押し殺した声で今の自分のまま時を過ごすことを拒絶。抱いたテンの服を強く握りしめた拳が彼女の心を激しく表した。
変えたい、今の自分を。変わりたい、今の自分から。こんな自分を好きでいてくれる彼に応えたい。
なら、その道を歩みたい——歩みたいのに。どうすればいいか分からない。自分を受け入れる事がこれほど難しいとは思わなかった。
今まで、ありのままの自分を否定してきた自分に今の自分を受け入れることなんて、とてもじゃないができそうにない。彼を傷付けた罪深き自分を許さないまま受け入れるなんて、困難だ。
「テンくんは。許せないこと、ってありますか?」
新しい取り組みにレムは迷い、テンに糸口を求める。彼が示した道に、それしかないと全力を懸けて進むことを決意した彼女は必死に答えを探し続ける。
故に、自分の当たり前を壊して、光を与えてくれた人の声を彼女は欲した。自分と同じ歩幅で、ずっと隣を歩いてくれる人に助けを求めた。
そうすれば、必ず彼は応えてくれる。
「あるよ。レムの想いに気づけなかったこと」
レムの心がその方向に定まると、過去を思い出すような声色でテンは語る。それは少し前、テンがレムに告白した時に話した内容に触れてくることだった。
ずっと、今までずっと。レムが向けてくれた想いを何一つとして気付いてあげられなかったことが、テンにとっての許されざる罪。
許せるわけないし、許していいと思わない。
けど、
「許せないことを許せないままにする事は別に、悪いことじゃないと俺は思う。許せないなら許せないでいいさ。でも、その代わりに、そこで止まることは絶対にしない」
ほぼゼロ距離。レムの僅かな呼吸音がハッキリと聞こえてくる距離で力強くテンは語る。
今、今まさにレムが闇から引っ張り上げられようとしているのだから、自分の紡げる言葉を全力で紡ぎ続けた。
「自分が許せない。そんなの分かってる。じゃあそこからどうするの? っていうのを一つの答えとして出さないと。そうやって自分を納得させて前に進まないと、何も終わらせられないし、始められないでしょ」
要は、自分が許せないところで止まっているのがレムの一番の問題だと、テンは主張しているのだ。
彼が問題視しているのは、許せないなら許せないとして許さない事をどう補っていくか、ということ。
許さないことはつまり、許すという行為を拒否したことになる。それならば、許すことで終わるはずだったことを別の形で終わらせる必要があるのだ。
許さない代わりに何をするか、それが受け入れるために大切なこと。
「前に進む。受け止めて、受け入れて、前に歩き出す。そうしないとさ、こうしてる間にも今は過去から遠ざかってくばっかりだし。いつまでも過去で立ち止まってちゃダメだ。今をしっかり生きるために、前に進み続けないと」
語り続けられるテンの言葉に、レムは自分の鼓動が恐ろしく速くなっていくのを感じた。繋いだ左右の手を握る手に勝手に力が込められていく。
それはきっと、予感がしたから。
自分と同じ痛みを抱えて、自分と同じ罪を背負って、それでいて自分とは違う答えを導き出した人。そんな人の言葉を聞いて、自分は今、確実に自分の中で縛られていたことから解放されつつある。
そんな予感を、心が孕んだからだ。
「なら、テンくんはどうするんですか?」
「なにが?」
「その……、レムの想いに気づけなかったことが許せない。それを受け入れて、そこからどうするんですか?」
「レムをもっと好きになる」
それが、テンの答えの形だ。
許さないから、許せるようになるまでレムを好きになる。許せる日が来るまで——そんな日が来るかは分からないけど。そんな日が来るまで、レムのことをたくさん好きになる。
「だから俺は、レムを好きになった自分を受け入れたんだ。傷付けた分を……取り返したいから」
今までの彼にとって、それがどれだけ難しいことだったのか、レムは知らない。
だから、その言葉に宿された決意に彼女は気付かない。その発言が『ソラノ・テン』という男が、過去の自分を吹っ切った何よりの証拠だということを知る由もない。
「レムもさ。今は許せなくても……例え、ずっと許せなかったとしても。許せるようになる日が来るまで頑張ろうよ。もし、もしも、自分が自分を許せるようになるとしたら。その日まで、前を向こう。俺と一緒に頑張っていこうよ」
縋るような目で、必死に手を伸ばすような声色で、心配するような顔つきで、テンはレムの瞳を覗き込む。筋金入りの心を解き放つために、この世界と故郷で培ってきた十八年の経験を糧とし。
そして、
「どうする。レムは、許せない自分を受け入れて前に進むか。ずっっとそのまま過去に蹲ってるか。決めるのはレムだよ。でも、俺としては前者を選んでほしい」
今、彼はレムの覚悟を問いただす。二人の関係にとって決定的なものとなる一言を、低い声で突きつけた。
あとはレム次第。レムが自分の想いを聞いて、どう感じて、どう思って、どのような答えの形を出してくれるか。それによって全てが決まる。
全てが始まるか。全てが終わるか。それは分からない。
ただ、分かるのは。自分を見つめるレムの瞳には大きな決意が宿っていて、不安を消し飛ばしたような晴れ晴れとした表情をしていることくらい。曇りの一つもない晴れ模様で、
「前に進みたいです。今のままの、テンくんを素直に愛せない自分から変わりたい」
「じゃあ、許せない自分を受け入れるために、レムはどうする?」
固まった決意にテンは畳み掛ける。瞬間の安堵を越えた彼はうっすらと口角を釣り上げながら問いかけを重ねた。
その問いかけを最後にテンの役目は終了する。あとは、レムが自分で答えを出すだけ。そこに自分の意志は不要。正解も不正解もない問いかけに、当人の意志以外は何も要らない。
見守る。それだけ。
「レムは………」
温かい目に見守られながら、レムは考える。
今の自分を受け入れるためにはどうすれば良いか。どうしたら、真っ直ぐな想いでテンを愛することができるか。
許す行為の代わりとして、自分は何をすれば自分自身を納得させることができるか。絶対に無理だと決めつけていたことを真っ向から蹴散らすためには、何をするべきか。
考えて、考えて、考えて。そして見つけ出した、答えの形。
それは、
「レムは————テンくんと添い遂げます」
▲▽▲▽▲▽▲
「自分を許せない分、テンくんを愛することに決めたんです。許せないことなんて気にならないくらいテンくんを愛すると、自分に誓ったんです」
添い遂げる、と。予想の斜め上をゆく答えを出されて唖然とするテンに頬を染めながら、レムは語る。
それを告げることがなにを意味するのか分かっていても。少し、否、とてつもなく先走ったことだと思っていても。
これは自分なりの覚悟だから。許せない自分を受け入れて、前に進むためには必要なことだから。私利私欲が含まれている部分もあるけれど、それしか思いつかない。
正解だとか、不正解だとか、そのようなことは一切考えていない。これが自分の『答え』なのだ。考えた結論として出た、自分が自分を納得させるための答え。素直に彼を愛せる方法。
なら、それに従うだけしかないだろう。
「ですからレムは、テンくんにレムの全てを捧げます。身も心も——一生も。今この瞬間から、レムは『テンくんのレム』になります。これからのレムの一生を、あなたに捧げさせてください」
切実な想いを真摯に伝え、レムは胸の中に残っていた愛を一つ残らず彼の心に注ぎ込む。もうずっと前から心に決めていたことを今、本人に受け止めてもらうために。
星々が所狭しと浮かぶ夜空の下、彼のことを好きな自分を自覚した瞬間から抱いた感情。その日から、伝えたくて伝えたくて、何度「言ってしまえ」と思ったか覚えていない、胸が苦しくなる想い。
それを、もうレムは我慢しない。気付いてくれたのなら気付いてもらえなかった分をここから解き放つ。そしてそれを、彼を愛する糧にしよう。
「レムの人生をかけて、あなたのことを愛したい。愛して、尽くしたい——それが、レムが出した答えの形です。それが、あなたの隣で
告げた声は真っ直ぐで。彼を見つめる双眼には決意と覚悟が宿っていて。紡ぐ唇は震えていない。一番——世界で一番愛している人への愛の誓いは、決して、なにがあろうとも、折れはしない。
「あのさ……、レム」
「なんですか?」
「その……ね。添い遂げるってことはつまり……。ふ、ふぅ……ふうふに、なる……と、いうことで正しいんだよ、ね?」
肩をすくめるテンが歯切れの悪く、途切れ途切れな、弱々しい言葉を紡ぎ出す。レムが救われて歓喜に震えながらも、それよりも手前にある事実に彼は萎縮した。
一文字発する度に声量が衰えていくそれは、最後の言葉を言い終わる頃にはレムの鼓膜が拾うことすら困難な程に小さくなっていた。
正しいことを確認しているはずの彼は、自分が間違った事を聞いているかのように自信なさげな様子。
彼には少し早かったか。なんてことを考えながらレムは「もちろん。そうですよ」と、目の前に座るテンに微笑み、
「添い遂げる。それはつまり、レムはテンくんと夫婦になりたい……ということ。生涯を尽くして愛すのですから、当然です。レムの全てを捧げるやというのは、そういう意味ですよ」
代えの利かない想いを告げ、レムは想い人に対して一生の愛を誓うことを直球で投げ掛ける。夫婦になる、と。先走りすぎていると自覚しながらも、答えの形として形を成したものを曲げるつもりはない。
途端、確認したことが間違っていない事を把握したテンが俯き、黙り込む。その真顔には、困惑の色が少なからず浮かび上がっていた。
「急がなくても、焦らなくてもいいです。この答えのお返事は、今すぐには求めません。レムもやっと、テンくんを素直に愛せるようになったばかりで。テンくんだって、レムの想いと向き合ってくれたばかりなんですから」
だからレムは即座に言葉を繋いだ。ただただ優しく、愛おしむように、ほんのちょっとだけ残念がりながら。けれど、それを打ち消す程の幸福を感じつつ。
お互い、ようやく踏み出せた一歩目。指を絡めて手を繋ぎ、隣り合って歩む道を進み始めたばかりだ、答えを焦って求めるつもりはレムにはない。
じっくり、ゆっくり、二人の歩幅で、愛を育んでいけたらいいなと思っている。一歩ずつ、一歩ずつ。沢山の愛を経験して。時が経って彼の準備が整ったら、そうしたら返事を聞かせてほしい。
愛している、と。勢いなんかじゃなく、ちゃんとした心構えで伝えてほしい。
お返しに、自分も愛を伝えよう。
「ただ、レムの心はずっと……ずぅっとテンくんだけのもの、ということは知っておいてくださいね。この瞬間から、レムはテンくんだけのものです。……全て、奪われてしまいましたから」
「……うん。ごめん」
「謝らないでください。大丈夫ですから」
言い、レムはテンの頬に手を添える。俯く顔を優しい力で持ち上げ、彼と目を合わせた。だって、ずっと見つめ合っていたい。自分はこの人の目が好きだから。
一見してぼーっとしてそうな目なのに、その奥には明確な意志の力が宿っている、その目が好きだから。自分を抱きしめる時に見せる優しさに満ちた、その目が好きだから。
こうやって体に触れながら、この距離で見惚れていたい。罪に縛られていた今までの自分ではできなかったから、今の自分で思う存分——、
「………テンくん」
不意に、レムの頬が引き締まる。
甘々な様子しか漂わせていない彼女の気配がそれを境に急激に変わり、改まった声で眼前にいる最愛の名を呼んだ。
ふと、甘美な世界で溶けそうになる中、思い出した事があった。それは自分が犯した罪。まだ、伝えなきゃいけないことを彼に伝えていなかった。
唐突な切り替わり方に不穏なものを感じ取ったテン。彼は「急に改まってどうしたの?」と、探りを入れるように小首を傾げた。
「その………。腹部の、傷痕の件について、なんですが」
疑問符を浮かべる挙動に、レムは頼りない声で伝えそびれていた事を伝えるために前置く。直後、どこか申し訳なさそうに話を切り出した彼女にテンは「あぁ」と納得。
どういった経緯でその事が口から出てきたのかは不明だけれど、今の言葉で彼女の態度に説明がついた。
多分、レムが今回の罪を終わらせにきたのだろう。彼は態度を改めて真剣さを纏い「うん。それで?」と前と同じように話を促す。
レムは受けの姿勢をとった彼に意を決しながら、
「本当にすみませんでした。謝らせてください」
「別にいいよ。気にしてない」
「それでもです。一度、今までの自分との節目として、謝りたいんです。区切りをつけさせてください」
テンの即答はレムも分かりきったこと。それ故に、言葉が返される間隔も短い。テンことを真っ直ぐ見つめる彼女の瞳に迷いはなかった。本気で、謝ろうとしている。
つまり、罪の清算。決してこの程度で清算できるわけがないが、一つの境界線として。その自分を吹っ切るため。
今一度、レムは己が犯した罪を一つ一つ口にする。
「その傷はレムの至らなさが招いた悲劇。あの時からなに一つとして変われていないことが原因で、レムが暴走してしまったから。何一つとして進歩していないレムが、ダメだったから」
ダメだった。ダメ以外になかった。
あの炎の夜から姉の代替品として生きてきたのに、必死に努力してきたのに、それら全てに意味なんてなくて。
そうやって罪から目を逸らして。結局、自分は同じ罪を犯してしまった。愛する人の命を危険に晒すような真似を。二度もしてしまった。
「姉様ならもっと上手くやれたはずのことをレムはできなかったから、テンくんを傷付けた。レムが無才で無力で、鬼族の落ちこぼれで、代替品にすら、成れなかったから」
何をしても姉に追いつくことはできなかった。追いつこうと努力しても、姉はそれを軽々しく突き放していく。どんなにがんばろうとも、凡人が才能に溢れた天才の背中を掴むことはできなかった。
この悲劇は、そんな自分への罪。姉に庇われた挙句、それが角が折られた原因となり、その償い一つまともにできなかった自分に与えられた神様からの天罰。
だから、
「——本当に、ごめんなさい」
誠心誠意。
レムは正座し、体を丸め込むように頭を下げる。
きっと、彼からすれば伝える必要なんてないのだと思う。けど、これだけは伝えなくちゃ自分の気が済まなかった。
ごめんなさい。なんて言葉で補える罪じゃない事は自分が一番分かっているけど、それでもだ。
踏み出せずにいた一歩を踏み出し、彼と隣り合って歩くために。彼と添い遂げて、命尽きるまで一緒にいるために。
後ろめたい感情は、今ここで全て吹っ切る。それができないと自分は前と何も変わらない——そんなのは絶対にイヤだから。
「その謝罪、確と聞き届けました。レムの覚悟はよく伝わってきた。十分だよ」
言葉を挟むのは無粋な行いだとして口を閉じていたテンが口を開くと、彼は折り畳まれたレムの体を起こす。
「目を逸らしたい自分の
彼女の体を起こしながら、落ち着いた声でテンは語る。頑張って頑張って、躊躇していた一歩目をようやく踏み出せたレムに「えらい。えらすぎる」と称賛の声をかけつつ、顔を上げた彼女に笑みを見せた。
それは昔、レムが惚れた笑みだった。
どこまでも朗らかで、安心して緩んだ頬は子どもみたいに無邪気で、自分のことを見つめる瞳はとても温かくて。自分のことを終わりなく全肯定してくれる声は優しさに包まれていて。
たったそれだけで、レムは全身の力が抜けていく。縛りから抜け出したばかりで、不慣れなことを行った反動が、途端に心身共に影響を及ぼし。訳の分からない安堵感に襲われる。
「謝れたのは、レムがそれと向き合った証拠。俺に話してくれた事と向き合って、それで自分なりの答えを出した。それができたら、レムはもう前の自分とは違う。……一歩、やっと踏み出せたな」
全身が愛する人の温もりを求めたレム。我慢の糸が切れたように正座を崩し、弱く胸に飛び込んでくる彼女の体を受け止めつつ、テンは嬉々として言葉を紡いだ。
それから、無条件で彼女の体を抱き留める。お返しとして首に両腕を回された。一度は開いた距離が再びゼロに縮まり、眼下、言葉そのままの意味で目と鼻の先にいる甘えたがりなレム。
胸板に額を当てる彼女にテンは「一つ、聞くけどさ」と、
「今もまだ、自分がラムの代替品だ、って思ってる?」
それだけが、最後の気掛かりだった。
自分の全身全霊を尽くして彼女を過去の縛りから解き放つために様々な言葉をこれでもかと注ぎ込んできたが、その一つだけがまだ不透明。
「テンくんは本当に、優しい人ですね」
自分の縛りを一つ残らず解放しようとする彼の姿勢にレムは顔色を明るく彩る。自分が抱えてきたものを一緒に抱えてくれるだけでなく、解決してくれる彼がとても輝いて見えた。
実際、そう思ってしまう部分が無いと言えば嘘になる。レムはテンと同じように、縛られていたものから抜け出したばかりだから。今すぐに、その自分を完全に変えることは、レムには難しかった。
けど、
「テンくんがレムで在るレムを求めてくれたから、レムが出来損ないではないと、落ちこぼれでないと、そう言ってくれたから。姉様の代替品のレムを否定してくれたから——。頑張って、その自分を変えていこうと思えました」
心の中で繋ぎ合わせられた言葉をそのまま紡ぐレム。特に飾ろうとも、取り繕うこともせず、純粋な想いのみを彼女はテンに伝える。
自分を救おうとしたテンの頑張りを否定するような気がして、申し訳なさを感じてしまう言葉を連ねたレムの態度は真っ直ぐだ。正気に満ち溢れた声をしている。
それはきっと、そこで完結しなかったから。
「レムはレムで在っても、いいんですよね? 姉様の代替品のレムでなくても、いいんですよね? レムは……レムらしく生きても、いいんですよね? レムは——レムを肯定しても、いいんですよね?」
聞き、数センチ、距離を詰める。
今まで自分の存在を否定され続けたレムが自分の存在を全肯定してくれる人を求めるように、お互いの吐息が唇に触れる距離まで。
レムしか見えない。テンしか見えない。お互いがお互いのことしか考えられない。邪魔の入らない世界で、二人がこの悲劇を終わらせようとしている。
暗がりだった世界に夜明けが訪れるように。血の夜からずるずると引きずってきた悲劇に、炎の夜から無限に続くと思っていたレムの過去に、今ようやく、夜明けが訪れる。
それはきっと、テンの言葉で———、
「当たり前じゃん。レムはレムらしく生きていいんだ。レムはラムの代替品でも劣等品でもまして出来損ないでもない『レム』っていう名前を持った一人の存在なんだから女の子なんだから。それを拒む理由なんてない」
当然のように返された感情の言葉。勢いに任せた伝え方には句読点すら付かず、テンの必死さがよく表れていた。
何か大きなことを成す力が自分には無いと自覚しているから、彼はただ必死に手を伸ばす。その姿勢はこの世界に来た頃と何一つ変わらない。やれることに全力で取り組む。
その様子に、レムがどれ程の感動を覚えたか彼は知っているだろうか。その懸命さに、心を震わせているレムに彼は気付いているだろうか。
「息をしている。声を出している。温もりがある、心がある——命がある。レムは『レム』っていう名前の一人の女の子なんだ。ラムの代わりにしていいはずがない。代替品に、なっていいわけがないよ。レムはレムになるんだ」
レムがどう思っていたとしても、テンはそう思っている。レムは、ラムの代替品でも劣等品でもまして出来損ないでもない。レムは、レムなんだ。個で成り立ってる存在なのだと。
それに、テンが好きなのはラムではなくてレムだ。レムで在るレムだ。
だから、
「それを無視することなんてできっこない。もう俺は、レムのことが好きになっちゃったから。お前の命を大切に扱いたいよ。扱わさせてほしい。生きてもいいか、なんて言わないで」
言った直後、テンがレムの体を強く抱きしめた。何度抱きしめたのかそろそろ分からなくなっていたけど、そんなことどうだってよかった。だって、レムがとっても嬉しそうだったから。
それ以上に。最後の最後とばかりに愛を言語化した言葉を心に注いでくる彼に、沸騰した感情が喉から迫り上がるせいで、レムはまた泣いてしまいそうになる。
「生きててくれてありがとう、レム。レムが生きててくれたから、俺はレムと出会えた。自分が本気で好きになれる、こんなにも素敵な女性と出逢えた。嬉しい。ほんとに嬉しい」
言うと、首に回されたレムの腕に力が込められる。飽きることのない愛する人の体温を互いに伝え合うと、肩に顔を埋めたレムが波紋してきた幸福に無邪気な笑声を小さくこぼした。
生まれたことすら後悔していた自分が今、その人に強く求められている。
嬉しすぎて、本当に死んでしまいそう。経験したことのない愛と幸福と満足感を感じて、どうにかなってしまいそう。
でも、あと一つだけ足りない。強欲な願いだなんて思っていても、どうせならその一つを最後に言ってほしかったな、なんてことを心の片隅で思って。
思って、
「——生まれてきてくれてありがとう」
救われた。
「大好きだよ。レム」
たった今。レムは救われた。
暗闇から。引っ張り上げられた。
「ーー!」
もう、我慢の限界だった。
小刻みに体が震え出すと、それがレムの中の感情を解き放つ予兆となった。肺を圧迫される感覚がテンに襲いかかると、激情に駆られるがままにレムは彼を力一杯抱きしめる。
愛が爆発した結果だ。恋に一直線になったレムは誰にも止められない。いつもの、テンの事となると暴走しがちなレムが。いずれ、テンが最も愛おしいと思える姿のレムが。彼の前にはいた。
泣いて、泣いて、泣き止んだレムの表情は輝かしいほどに満面の笑み。涙なんて吹き飛ばしてしまうそれには、至近距離で見詰めるテンを見惚れさせる破壊力があって。
「——ありがとうございます、テンくん。レムを助けてくれて」
その一言には、伝えても伝えきれない感謝が込められていた。愛してやまないテンに対する沢山の「ありがとう」が、彼に届けられる。
それだけでよかった。テンは、それだけ聞ければ満足だった。自分のしたことが、本当の意味で報われたと思えたから。
「うん。どういたしまして」
手を伸ばし、テンは梳くように青髪を撫でる。優しく、穏やかに。
柔らかな手つきにくすぐったそうに目を細めるレムが、喉を甘く鳴らして甘えたがった。体を前に倒し、彼の胸にゆっくりと沈み込む。
心音を聞き、ひどく安心する。深呼吸し、ひどく落ち着いて。ずっとこうしていたくなって。
そんな彼女のことをテンは撫で続けた。やっと落ち着いた心を宥めるように。寂しがらないよう、温もりを感じれるように。
——血の夜より。今日で八回目の朝日が、テンとレムを優しく照らし始める。
暗がりに包まれていた世界にようやく一筋の光が差し、闇の気配が消えていく。
それは、長く続いた悲劇の終わりを知らせるように。
悲劇の本当の幕引きを——象徴するように。
夜明けは、訪れた。