愛歌(ORT)さん喚んじゃった。   作:全智一皆

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第十五話「絶対防衛抗戦・Ⅱ」

■  ■

「フッ!」

 銀の刃金が振るわれる。

 先には無垢な少女。

 ゆらゆらと濃い神秘を身に纏い、死神の鎌が如き蜘蛛の腕爪を握り締めて立っている一人の少女の首に、異端審問の代表者が剣を振るう。

 本来、それは異端の存在では決して防ぐ事の出来ない浄化の一撃。

 死徒二十七祖。最初の真祖から独立した、死徒の中で最も強い力を持つ死徒達。

 その一角を、否、三角を葬ったナルバレックの一撃は、決して平凡なものではない。

 浄化の力。この世ならざる者を清め、消え去る力。

 銀の剣。聖なる炎を宿す白銀の剣。

 それを受けて、何も影響を受けない事など有り得ない―――本来ならば。

「…」

 少女の首を切り落とさんと、主の御心ではなく殺意の元に振るわれた白銀の剣だが、しかしその目的が果たされる事はなかった。

 何故ならば。

 その剣は、少女の首を斬り付けるどころか―――少女の体に触れてすらいなかったのだ。

「ほぉ…!」

 殺人狂が、声を上げて驚いてみせる。

 殺す気だった。取るつもりだった。確実に、その首を斬り落とす勢いを付けた筈だった。

 だが、現実はそうではない。事実は彼女の思い通りではなかった。

 首を斬り落とす勢いで振るった剣は、少女の肌ではなく神秘によって防がれた。

 神秘が攻撃を防ぐ。本来なら実体、物質化されない筈の『神秘』という概念が、攻撃を防いだ。

 それが何を意味しているのか?

 神秘による攻撃の防御――――――それ即ち、星の神秘の物質化。

 彗星という幾千幾万と宇宙の彼方に群がる星々に内包された神秘の実体化。

 それは―――人間という種族にとって、体を蝕む毒どころか、魂そのものを蝕み苦しめる劇毒、猛毒に他ならない。

「……邪魔です」

 ただ一言。放たれたのは、ただそれだけ。

 同時に―――白銀の大鎌が、殺人狂の顔面へと一瞬で距離を詰めた。

 疑似触覚。または、ORTの外殻。

 堅く、柔らかく、気温差にも耐え、さらには鋭いという、この世界に存在するあらゆる物質よりも特異な物質。

 それが武器となった物。血肉を喰らう牙となった大鎌。

 それが、殺人狂の顔面へと振るわれた。

「ィ―――!」

 銀剣を手放し、倒れ込むように体の重心を後方へと下げて寸での所で鎌を躱す。

 毛先がなくなる。冷や汗が飛ぶ。

 ついさっき。蜘蛛の大鎌を回避する直前の事。

 埋葬機関の局長にして殺人狂ナルバレックは、人生で初めて死を実感した。

 首を斬り落とそうとした自分が、逆に首を斬り落とされそうになった。

 蜘蛛を殺そうとしていた自分が、逆に蜘蛛に殺されそうになった。

 だが―――それが、何よりも。

「良いな…! 良いぞ、ORT!」

 何よりも彼女を湧き立たせた。

 そして―――

「……私の真名を呼んでいいのは、マスターだけです。」

 彼女の言葉が、蜘蛛の逆鱗に触れた。

 彼女の真名。正確には、種族の名前。

 ワン・ラディアンス・シング――――――輝けるただ一つの存在。

 幾千幾万と有る彗星の内の一つに産まれた、最強の生物。その星で、孤独のまま強さの頂に立ち続けていた子供。

 この世界におけるORTの亜種であり、攻撃性の低い個体。

 そんな彼女が―――唯一、あらゆる信頼を置いた存在。

 呼ぶ名も無ければ、与える名すら無い、無銘の男。名も無きマスター。

 正体を知って尚、恐れない。強さを知って尚、恐れない。

 真実を理解して尚、恐れない。現実を理解して尚、恐れない。

 未来を見て尚、恐れない。全てを見て尚、恐れない。

 そんな例外。そんな特異。それ故に―――“愛する”人。

 その人以外に、真名を呼ばれるなど―――言語道断。

「霊基への直接干渉を確認。暗黒生物(ダークマター・プランクトン)による再臨素材の代用を開始。本体の経験を元にした膨張現象(インフレーション)を容認。

 霊基再臨・第二段階へと移行します」

 姿形は変わらない。

 されど―――もはや、何もかもが絶望に浸っていた。

 

 

□  □

 場所と時間は大きく変わる。

 双子で体の自由を封じられたまま、無銘の男は久遠寺邸に数ある部屋の一つ、その内部に閉じ込められていた。

『お腹は空いた?』

『お腹は鳴った?』

「腹が鳴る程、空いてはないかな。というか、仮に腹が空いていても今のままじゃ食べられない。」

 ホッチキスの口で甘く噛み付かれた自分の両腕へと目を配りながら、無銘の男はやや憂鬱そうにしていた。

 霊基再臨。それは、白紙化してしまった地球と人類が刻み込んできた永きに渡る歴史である人理を取り戻す為に戦った、一人の少年を主役とした物語において登場した概念。

 霊基の上限を突破し、さらなる力を手にする事が出来るというその概念は、四段階に別けられている。

 第一段階。保有スキルの開放。

 第二段階。純粋に霊基そのものの上限強化。

 第三段階。最終に近付いた状態。第三スキルの開放。

 最終段階。霊基再臨の最終状態。

 それを―――ORTが行った。霊基再臨の第一段階を終わらせた。

 第二の保有スキルの開放。同時に、霊基の強化。

 デフォルトで強かったORTが、更に強くなったという事は。それ即ち、霊基の性質が元の状態に戻ったという事になる。

 それがどれだけ恐ろしい事か。無銘の男は、それを理解しているが故に憂いていた。

(どうしたものかな…ORTの性質に近付いたなら、青子達のどんな攻撃も意味を成さないぞ。)

 ORTの外殻の特異性は、この世界に存在するあらゆる物質を凌駕している。

 どんな物質よりも堅く、柔らかく、気温差にも耐え、更には鋭い。

 つまり、何が言いたいのか。

 人間や魔術師、更にはサーヴァントですら、ORTに対する攻撃は無意味に等しいという事である。

(そもそも、封印指定にされたのは俺だ。決してORTじゃない。なら、俺の方には執行者か代行者のどちらかが来る筈だ。俺も余裕綽々という訳にはいかない。)

 封印指定にされた魔術師には、その魔術師を捕らえる為に魔術協会から送られる“執行者”と、その魔術師を滅ぼす為に聖堂教会から送られる“代行者”という二つの危機が迫る。

 生け捕りにするのが執行者であり、殺害するのが代行者。

 魔術師としての悲願の為に幽閉という名目で封印する選択を取る魔術協会と、この世ならざる者と成り果てた異端者は消すべきだと殺害の選択を取るのが聖堂教会である。

 両者共に派遣されるのは実力者ばかり。特に聖堂教会には埋葬機関という、最高位の異端審問機関が存在している。

 そんな中で、無銘の男は「シエル」という存在を特に恐れていた。

(ナルバレックも勿論恐ろしいが…それでも俺はシエル先輩の方が怖いな。弱体化していたとは言え、真祖の姫であるアルクェイドを倒した人だ。剣僧ベ・ゼの『剣』の原理血戒に、俯海林アインナッシュの『実り』の原理血戒…そして、第七聖典。武器が多過ぎるんだよ、あのカレー好き。)

 埋葬機関第七位「弓のシエル」。

 ロアの転生体として選ばれ、ロアが内から居なくなって尚も不死性を有し、ロアへの復讐を目的にして埋葬機関に入った異端の代行者。

 つまるところの、元吸血鬼の代行者である。

 彼女が使用する武装は多岐にわたり、そのどれもが真祖や人外の生物に強力なものばかりだ。

 だが、それ以前に身体能力も莫迦げている。正しく完全無欠と言うに相応しい実力の持ち主なのだ。

 それに、本来の型月世界において、人間という括りだけで見れば魔術回路の本数も魔力生成量も彼女の方が圧倒的に上である。

 その時点から、彼女と敵対し、尚且つ殺さず倒すなど無理難題も良いところである。

(ORTを相手にするなら埋葬機関だって出張ってくる…いや、ORTではなく俺を襲いに来る筈だ。何せマスターなんだから。)

(それは確定的だ…問題なのは、それをどう対処するか。殺さずに倒す様にするだけじゃない。久遠寺邸への被害も最低限なものにしたい。)

(ORTは恐らく何人か葬っているな…出来れば彼女に人を殺めて欲しくはなかったんだが…。しかし、状況が状況だ。相手が代行者なら仕方ないか。)

(…いや、やっぱりダメだな。彼女に人殺しはさせたくない。こういう時にこそ、“コレ”は使うべきだ。)

 無銘の男は選択を決める。

 極限の単独種、究極の単一個体。彗星より飛来した星を喰らう大蜘蛛。

 それが行う捕食を、彼女が行う殺人を、無銘の男は良しとしなかった。決して許そうとは思わなかった。

 それが、傍から見ればあまりにも愚かな行為であると理解しながら。

「―――令呪を以て我が星に命ずる。」

『なんだって!?』

『なんだとー!?』

 二匹の子豚が声を上げる。

 男の腕をどうにかしまいと、ガジガジと何度も噛み付く。

 だが、二匹の子豚にそんな特性は無い。おしゃべりな双子には、相手の腕を噛み千切る程の牙など存在していない。

 魔力が高まる。男の右腕、その手の甲が深紅の光を上げる。

 令呪―――サーヴァントのマスターが持つ、サーヴァントに対する絶対の命令権。

 三角しかないが、しかし三回だけならばどんな命令もする事が出来るという“令呪”は、聖杯戦争においてマスターが持つ最も重要な武器の一つだ。

 だが、それをどう使うのかを決めるのはマスター自身だ。

「帰って来い、ORT」

 ――――――――――――

 一瞬、静寂が包む。

 だが―――次の瞬間、群青の閃光が辺りを包み込んだ。

 

「おかえり、ORT。久々の捕食は不味かったか?」

「―――ただいま、マスター。はい、久しく食べましたが、マスターのご飯の方が美味しいです。」

「はは、そうか。それは嬉しいな。なら、久しぶりに家に帰ろう。家でご飯を食べて、旅に出るのはその後だ。」

 男は笑う。蜘蛛を前に、平然と。

「はい。」

 蜘蛛も笑う。まるで普通の少女のように、明るく。

 

 だが、戦いは決して終わっていない。

「その為にも―――まずは、此処から抜け出そう」

 一人の無銘が、一匹の蜘蛛と共に行く。




名も無きマスター(マスター)
令呪の一角を消費してORTの自分の元に召喚した。その時には既にナルバレックは虫の息だった。
おしゃべり双子をORTに食わせ、ORTと共に自宅へ戻る事を決意した。

ORT(ワン・ラディアンス・シング)
ダークマター・プランクトンを霊基再臨用の素材に代用し、また本体への直接干渉によって膨張現象を引き起こし、霊基再臨を第二段階へと引き上げた。
この度、埋葬機関の局長であるナルバレックと戦った為、聖堂教会の技術を取り込んだ。

ナルバレック(局長)
死にかけた。というかもう死んでいるも同義な程に死に体。

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