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久遠寺邸の中を歩き、玄関から出口へと出た瞬間。
其処に移り出すのは―――葉が落ちた木々によって作り出された森林などではなく、ただただ広いだけの草原だった。
「…空間転移か? それにしては随分と自然だな…。ORT、魔術式の反応は?」
「魔力感知を開始―――終了。いえ、空間転移の魔術式の反応は有りません。恐らく、私とマスターが居た館が元から館ではなかったのではないでしょうか?」
「……空間の誤認識? 部屋一個の空間ではなく、場所そのものの空間を誤認させていたという事か? なら…」
「最初から、全て見通していたという事よ――――――」
雲が消える。月光が、正午の太陽のように満遍なく周囲を照らす。
冷たい月の光が、無銘の男と蜘蛛の少女に降り注ぐ。
「 “さぁ―――ごっこ遊びをしましょう。” 」
霧が、地を駆け抜ける。
猟犬の形をした濃霧の怪物が、月光に照らされた地面を縦横無尽に駆け回る。
「shun the frumious Bandersnatch.」
魔女の歌声が、際限のない夜に響き渡る。
濃霧の怪物が、狼の如く吼えて獲物へと走り出す。
狙うのは蜘蛛の少女。世界を滅ぼす元凶のみ。決して、その召喚者である無銘の男ではない。
薔薇の猟犬が狙いを定め、喉元へと牙を突き立てるのは一匹の大蜘蛛。
今まで出会った事のない、今まで喰らった事のない、史上最大級の大物だ。
怪物にとって極上の一品。これ以上ない程の餌だ。
だが―――
「マスター、戦闘を開始します。無理をなさらず、援護をお願いします。」
「了解だ。」
相手取るのは二人。
規格外の量と濃度の魔術回路を持つマスターと、規格外のスキルを幾つも所有するサーヴァントの二人掛かりである。
「London Bridge is broken down,
Broken down, broken down.」
澄んだ歌声が響く。魔女の綺麗な詠唱が、霧の中で産声を上げる。
この戦いは、決して蹂躪などでは終わらない。否、蹂躪で終わらせてはならないのだ。
相手はサーヴァント。百戦錬磨の英霊。その実力は、過大評価そものもと言っても過言ではない。
ジェット機にも例えられるサーヴァントだが、それはマスターによって大きく変化する。
例えば、無銘の男と彼女のこの組み合わせは―――二人にとって最高に相性が良く、そして敵側にとっては絶望そのものである。
一本を起動するだけで、大魔術を補う事が出来る魔力を生み出す事の出来る無銘の男は、全ての魔術回路を起動すれば令呪無しで彼女が宝具を連続で使用する事を可能にする。
サーヴァントである彼女はあらゆる全てが規格外であり予測不可能。未知の領域に立っている。
だが―――それを承知して、魔女達は蜘蛛一匹を狙う事とした。
「London Bridge is broken down,
My fair lady.」
橋の巨人。薔薇の猟犬。
魔女は、己が使う事の出来る怪物全てを用いて―――たった一匹の蜘蛛へと襲い掛かる……!
「corpus meum quasi cometes」
ゴゥンッッ―――――――――!!!!!
魔女の歌声を掻き消すように、霧を晴らす鐘の音が鳴り響く。
「ッ―――!」
ドゴッッッッ!!!!!!!
地面を蹴り、その大地を広く抉り取って無銘の男は遥か高みへと己を打ち上げる。
霧は追ってこない。濃霧の怪物は追いかけて来ない。
何故なら、先程の大地を抉り出した衝撃によってほぼ全てが散ってしまったのだから。
「…!」
無銘の男が、巨大な橋の巨人を直視する。
石橋の巨人―――テムズトロル。落ちたロンドン橋。
月の油、薔薇の猟犬と並ぶ神秘の塊。
完全体ともなれば、蒼崎青子ですら破壊する事の出来ないとまで言われる攻略不可能な神秘の城。
だが―――男の目に映るあの橋は、決して完全体ではない。
何より、本体が壊れれば一気に瓦解してしまう、ある種の諸刃に違いはない。
「許せよ、テムズ。」
男は静かに、これより自分が破壊する怪物へと謝罪を投げる。
そして、腕を水平線へと持ち上げて、狙いを定める。
(射程距離は25m以内。弾速は音速。装弾数を六発。魔力をより圧縮して、しかし鋭利に、そして速く―――)
魔弾。それは、単に魔力によって作られた弾丸。
決して、必ず敵に当たるという必中効果があるという訳でもなければ、必ず敵を殺せるという必殺効果があるという訳でもない。
本当に、ただ魔力で練られた弾丸―――だが。
彼が放つ魔弾は、破壊という特性に特化した半人前の魔術師である蒼崎青子をも、上回る。
込められる魔力量。威力を上げる濃厚な魔力。
それら全てが加味されて出来上がる魔弾は、誰もが震えを上げる。
(テムズの本体は小さな人形だ。あの巨躯からそれを見付け出すのは決して簡単じゃない―――だが、私になら視える)
心臓に刻まれている魔術回路から生まれる魔力を、両目に通して視覚を強化する。
遠く見えていた筈の景色、まだ遠かった筈の巨大な敵の姿がくっきりと、その目に映る。
巨大、巨大、巨大。とにかく巨大な、石の巨人。人間が扱う事の出来る最大級の神秘の一角。
それに相対するのは――――――名前すら持たない、ただ規格外の魔術回路を持っているだけの魔術使い。
「装弾完了。標準確定―――発射」
――――――――――――!!!!!!!!!!!!!
六発の弾丸が、音速と化して巨像の顔面と胴体、そして四肢に次々と撃ち込まれていく。
放たれた魔弾は彗星のように、核弾頭すら掠り傷一つ負わせられない神秘の塊を穿いた。
そして、その彗星のような魔弾は巨像に隠れた可愛らしい人形を破壊して、神秘の塊をいとも簡単に瓦解させた。
□ □
神秘の巨像が、呆気なく崩れ落ちる。
樫の木ではなく、石によって作り上げられた万全の巨像が、まるで積み木で作られた城が破壊されるように、簡単に壊されて無くなっていく。
「……! テムズをこんなに速く……それに、今のは青子の…」
僅か数秒で、切り札の一つを破られた魔女は、その手際の良さに驚きながらも、しかし冷静に分析を開始する。
無銘の男から放たれた魔弾を、魔女はよく知っている。
何故ならば、その魔弾の主な使用者である半人前の魔術師に師事しているのは魔女自身なのだから。
だが、男の魔弾と蒼崎青子の魔弾には決定的な違いが幾つもある。
まず、威力。
蒼崎青子が放つ魔弾も、火力が無いという訳ではない。寧ろ、破壊に関しては一流を誇っている。それ程の威力がある。
だが、男が放った魔弾の威力はそれすらも凌駕していた。
あれは、決して拳銃や小銃に例えられるものではない。
あの魔弾は、正しく砲弾。戦艦に備わった、土地一つに傷を負わせる巨大な弾丸だった。
次に、速度。
蒼崎青子の放つ魔弾は威力こそあれ、速度が凄まじいかを問われればそうではない。
低速という訳ではなく、しかし高速という訳でもない。安定の取れた速度、表現しやすいものを選べば、拳銃から放たれる弾丸と同等。
だが、男の魔弾は音速に至った。
常人であれば決して捉える事の出来ない速度。魔術師であろうと捉えるのは困難だろう速度を持っていた。
最後に、質。魔弾の質だ。
あれは誰がどう見ても、現代の魔力によって作られた代物ではなかった。
さりとて、神代に有った魔力という訳でもない。
分からない魔力。理解が及ばない質。
だが、あれが決して普通のモノではなという事は。
あれがこの世ならざるモノでるという事は、嫌でも理解する事が出来た。
「次弾装填完了。ORT!」
重力に従い、超高速で地面へと落下を続けながら、次の手段を備えながら、男は彼女の真名を大きく叫ぶ。
「着地、任せた!」
「了解。」
ORTは短く返す。だが、すぐには行けない状況だった。
未だ、濃霧の怪物は彼女を襲っている。
しかし戦闘よりもマスター優先。これは、本来人間ではない彼女にとって唯一の意地だった。
彼女は手に持った大鎌を、背後から飛び掛かった濃霧の怪物へと振り下ろす。
実体など持たない薔薇の猟犬に、攻撃など大した意味を成さない。そんな事は、彼女も既に理解している。
故に―――彼女は鎌に、攻撃という意味など持たせていない。
『――――――!?』
霧が驚き、体をうねらせる。だが、どれだけ散らしても霧には決して自由は戻らない。
レヴォルーション・ウェブ。またの名を、星航銀糸。
ORTが星間航行に用いたとされる銀糸。元来の蜘蛛が用いる最初にして最高の武器。
それはありとあらゆる全ての生物を絡め取り、その自由を消失させる最強の拘束力を持つ星蜘蛛の糸。
例え最高クラスの神秘であろうと、星の神秘には敵わない……!
「―――」
視線を向ける相手を変えて、彼女はすぐに男の方へと跳んで行く。
月で跳ねる兎のように、細く小さな体を月光に晒しながら、小さな蜘蛛は主の為に飛んで行く。
「お待たせしました、マスター。」
「そこまで待ってないよ。ありがとう、ORT。」
冷たい空と風に当てられた主を、その小さな体で優しく抱き締めるように抱えて地面に降り立つ。
男もまた地に足を付け、拘束された霧の怪物を無視して、怪物の主である魔女と対面する。
「分かってはいたけれど……予想以上ね、サーヴァントというのは。」
「ORTだからな。このくらいは当然だ。まぁ、それはそれとして……家に帰らせてくれないか?」
さも、何事も無かったかのような表情で、男は久遠寺有珠へと言う。
これ以上は争わずに、私とORTを家に帰らせてはくれないか? と。
「貴方だけなら構わないわ。彼女には消えてもらうけれど。」
「……それは困るな。ORTには生きていてもらいたい。だが、出来れば君とも戦いたくない。」
困った表情で、男は考え込む。
呆れた表情で、久遠寺有珠は困惑する。
こんな状況になっても。
命を狙われる状況に陥ったとしても。
されど、無銘の男は決して戦いを選ぼうとしていない。
殺し合いを、しようとしない。
優しいというよりは、甘く。
甘いというよりは、愚かしい。
だが、久遠寺有珠は知っている。
この男が、昔からそういう人柄である事を。
この男が、出会った時から善人である事を。
「……」
「……」
翡翠の瞳が、魔女を貫く。
黒曜の瞳が、蜘蛛を観る。
異様な空気が、互いを刺し合っている。
片や、ただの友人。それ以上ではない。単に、友人を殺したくないというだけ。
片や、男の従者。もしくは、家族。行っているのは、牽制。
だが、そんな事を知らずに、男は答えを出す。
「『自己強制証明』を用いるのは……ダメか?」
自己強制証明―――セルフギアス・スクロール。
権謀術数の入り乱れる魔術師の世界において、決して違約不可能な取り決めをする時にのみ使用される、最も容赦のない呪術契約の一つ。
自らの魔術刻印の機能を用いて術者本人に掛けられる強制の呪いは、如何なる手段を用いても解除不可能。
たとえ命を差し出したとしても、次代に継承された魔術刻印がある限り、死後の魂すらも束縛されるという代物だ。
それを用いて、事を解決する事は出来ないかと、男は話しを持ち出した。
だが―――
「却下します。」
「えぇ……」
バッサリ、と。
その話しは、事の発端である彼女自身から拒絶され、切り捨てられた。
「これはお前の為でもあるんだが…」
「マスターが不利になるのであれば、それは私の為になりません。」
「そうか…そうなのか……だが、それだと戦わない方法が無くなるんだが…」
困惑した表情を浮かべる男に、彼女は言い切った。
「なら、まずはその主義から捨てるべきです。エイリからも言われていましたが、マスターは甘過ぎます。もっと酷くなってください。私のように。」
戦わないようにする考え。誰も殺さない考えを捨て去れ、と。
もう少し容赦を捨てろ、と。
「君からそれを持ち出すのか…いや、とは言っても…人殺しも狩りも、良い気分にはならないだろ?」
「三咲町の皆さん以外は特に何とも思いません。」
「あぁ、そうですか…」
もはや半ば投げやり、諦めかけたような顔で、男は答える。
だが―――それでも、と続ける。
「…やっぱり嫌だな。私は誰も殺したくない。そして、君にも誰かを殺してほしくない。」
「……」
「正直、私の理想に君を巻き込むのは気が引けるんだが…でも、私は君に人として生きてほしいんだ。その為に、人殺しはあまりしてほしくない。」
ぽん、と。
小さな彼女の頭を手を置いて、無銘の男は理想を語った。
誰も殺したくないし、ORTにも誰かを殺してほしくない、と。
星を喰らう蜘蛛である筈の自分に、人間として生きてほしい、と。
その為に、人殺しはしないでほしい―――と。
「……難しい試練ですね。」
「だろうな。でも、頼むよ。」
「……分かりました。」
渋々、といった不服な表情を浮かべながらも、しかし彼女はその理想を肯定した。
男は感謝と共に、彼女の頭を撫でる。
そして―――和んだ空気を、再び鋭いものへと切り替える。
「さて。スナッチも拘束してあるこの状況で―――久遠寺さん。貴方はどう抵抗するんだ?」
橋の巨人は崩壊した。
薔薇の猟犬は拘束された。
もはや、三大プロイは無くなった。
久遠寺有珠の切り札は、もはや無くなったにも等しい。
だが―――
「……そうね。残念ながら、私はこれ以上、無駄な抵抗なんてしないわ。」
余裕のある笑みを浮かべながら、久遠寺有珠は投降の言葉を吐いた。
その言葉に、男は虚を突かれたような表情をして、張り詰めていた肩をがくりと落とした。
徹底的に抗うつもりだったが、しかし当の敵対者である魔女は戦わないと断言したのだ。
「そ、そうか…なら」
「ごっこ遊びはもう終わり、私の出番はもう無いわ――――――貴女が言い出したんだから、早く片をつけなさい、“青子”」
直後、衝撃が空間に迸る。
ドォンッッッ――――――!!!!!!!
爆弾が落ちてきたのではないかと錯覚してしまう程の轟音と共に、砂煙が二人を包み込む。
直後、草原が花園へと変貌を遂げ始めた。
真っ白の世界。白銀の雪景色を思わせる、純白の花々で彩られた花園の世界が、草原を塗り潰していく。
砂煙が晴れていき、細めていた目を開いて、見開いて、男は真ん中に立っている“大人”を直視する。
風に靡いて揺れる長い赤髪。
夜に照らされて美しさを際立たせる青色の瞳。
半袖の白いシャツに、ジーパンというラフな格好。
彼が知る蒼崎青子より―――大人びた姿。
「おいおい…マジかよ。“その姿”は、もっと先の時代でするやつだろ……!」
冷や汗をかきながら、その有り得ない現実に男は可笑しく笑う。
「先に進み過ぎちゃったけど、まぁ仕方ないわよね。さてと! それじゃあ、やらせてもらうわよ!」
本来の蒼崎青子より、遥か先の未来の姿。
経験の超経過。先送り。もしくは前借り。
半人前の魔術師・蒼崎青子でもなければ、一人前の魔術師・蒼崎青子でもない。
第五魔法・青の使い手にしてミス・ブルー――――――蒼崎青子、その人である。
名も無きマスター
ORTに理想を語り、そしてORTに理想を認めてもらいやる気がアップしていた人。それも青子の登場で消え失せてしまった。
本来よりかなり先、何なら魔法使いとして完成したも同然な状態の青子との戦闘に結構焦っている。
ORT
マスターの甘ったるい理想を聞き、しかしそれが自分とマスターの為になる事を信じて共に理想を歩む事にした一人前のサーヴァント。
現れた魔法使いに、初めて警戒と危機感を抱いている。
蒼崎青子(最新の魔法使い)
三人が戦っている中で、蒼崎橙子とベオの二人係を相手取り、橙子の説得と煽りによって魔法を使用する事に決意した。
ORTを倒すという目的の元、魔法を使用した結果として月姫時間の経験まで手に入れた。一人前の魔術師ではなく『一人の魔法使い』としての経験の為、その実力は計り知れない、