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吾輩は腹ペコ大蜘蛛のマスターである。名前など無い。
つい最近、名も無いマスターである私は最強のマスターである沙条愛歌を依代にサーヴァントとして水星(正確には彗星)最強のアルテミット・ワン「ORT」を召喚した。
何を言っているのか分からないって? 安心したまえ、当の本人である筈の私ですら未だ完全には理解出来ていない。
そも、サーヴァントの召喚には大量の魔力と、そのサーヴァントを呼び出す為に必要な縁―――何らかの触媒が必要なのだ。
しかし私は、その他のマスターや魔術師と違って特別に秀でた才能を持っているという訳ではない。
今回の召喚は、ある意味では奇蹟、ある意味ではイレギュラーな現実に当て嵌まる―――つまるところの、異常事態だ。
私は確かに召喚術を試したが、しかしそれで彼女が召喚されるとは思いもしなかったのだ。
ちなみに、私は聖杯戦争の参加者という立派な戦士などではない。
何度も言っている通り、私は本当に名も無き―――ただのマスターだ。もしくは、ただの魔術使い。
まぁ、閑話休題。
私はキッチンで、机で私の食事を今か今かと、そわそわしながら(表情などが変わっているという訳でもないのだが)待っている彼女の為に、料理をしていた。
昨日も作った、ふわふわのパンケーキにバニラアイスを乗せた、カフェのメニューに有りそうな代物。
どうやらコレが彼女にとっては、彗星という一つの惑星における最強の生命体ORTにとっては、とても好評だったらしい。
このパンケーキを食べた時だけ、彼女の目が光り輝き、そして鉄仮面か仏頂面とも言える無表情を崩していた。
そんな顔を一度でも見せられたら、もう一度作ってやりたくなるではないか。
と、いう訳で。私は再びパンケーキを作っている。
材料は卵一個、グラニュー糖10g、強力粉50g、ベーキングパウダー1g、そして牛乳40gだ。
ホットプレートは既に温めている。準備は万端だ。
まず、卵を割って卵黄と卵白に分ける。卵黄はボウルに入れ、卵白は別のボウルに移して冷凍庫へと入れて冷やしておく。
卵黄を入れたボウルに牛乳、振るった強力粉とベーキングパウダーを合わせ、よく混ぜる。
こういう作業は時間が掛かるし疲れるものだが、それがデザート作りというものだ。
要するに、慣れの問題だ。まぁ、私がこれを作ったのは昨日が初めてなのだが。
…ま、そんな事より。メレンゲを作るとしようか。
冷凍庫で冷やしていた卵白を取り出し、その冷えた卵白にグラニュー糖を3回に分けて加え、固めのメレンゲを作り出す。
これがまぁ面倒なのだ。これだけで腕がかなり疲れる。
こういった作業を生業としているパティシエの皆々様には、感動する他ないな、と私は思っている。
メレンゲが出来たら、メレンゲの出来の悪そうな部分のみをすくい取り、最初に生地にしっかりと混ぜ込む。
混ぜた生地を残りのメレンゲに合わせ、下から掬って返してを繰り返しながら、少々メレンゲが残る程度まで混ぜる。
混ぜ終えたらホットプレートに薄く油を引き、生地をこんもりと乗せる。
熱湯大1/2~1を加え、蒸気焼き開始する。
蓋をして焼いていくのだが、時々ホットプレートの中の水分を蒸発させるように傾けながら焼くのが良いらしい。
そうして、底に焼き色がついたら優しく返し、再度熱湯を加えて蒸気焼きを繰り返す。
良い感じになったと思ったら、ヘラで側面を触り、生地が付かなかったら完成だ。
パンケーキを皿に移し、キャラメルソースとホワイトパウダーを掛け、その上にアイスを乗せれば―――朝食(デザート)の完成だ。
「出来たぞ。」
「ありがとうございます、マスター。」
机に運ぶと、此方が見ても分かる程に喜ぶ彼女。
まぁ、別に表情が変わっているという訳でもないのだけれど…。
それはそれとして、彼女が喜んでくれたならば何よりだ。
…さて。
「では、行ってくる。」
リビングで私が作ったパンケーキを頬張る彼女に、私はそれだけを告げて玄関の方へと足を進める。
私は既に朝食は済ませているので、食べる必要はない。というか食べる気力もない。
そんな中、何をしに行くか? それは勿論―――“仕事”だ。
人間である以上、成長して大人になれば必ずとして仕事をしなければならない。それは魔術を扱う者とて例外は無い。
何より、私は魔術使い。魔術を極めて『根源』へと至ろうとする研究者などではない。
ただ魔術を知り、ただ魔術を扱えるというだけの人間―――それが私だ。
そんな私が、一般人と同じく仕事をしているというのは、特別珍しい事ではないだろう。
「何処に向かうのですか?」
真の意味で世界を知らぬ、彼女を除いて。
くいっ、と私の服の袖を指で掴んで私の歩みを止めた彼女が、首を傾げながら何処へ行くのかを聞いてくる。
相変わらず俊敏だな…サーヴァントの俊敏ステータスで表すならB、もしくはAか?
まぁ、そんな事はどうでも良いか。
「仕事に行ってくるんだ。私とて社会人だからな。」
仕事に向かい、働く。そして、私が社会人であるからという補足を入れて答えると、彼女は再び首を傾げた。
はて、何か疑問に思うような点でもあったのだろうか…?
と、私が彼女が首を傾げた事に疑問を浮かべていると―――
「マスターは、魔術師ではないのですか?」
そんな問いが、私に帰ってきた。
あぁ、そうか。サーヴァントの召喚を試す、なんて行動をするのは、殆ど魔術師だけか。
ともなれば、私が自身を魔術師ではなく社会人、と表現した事に彼女は疑問を感じたのだろう。
まぁ、私はその魔術師にも当てはまらない半端者ではあるのだが。
「遠からず、だな。私は、正確には魔術師ではなく『魔術使い』だ。彼らとは根本から違う。」
「何が違うのですか?」
「魔術師は魔術を究め、根源へと至ろうと創意工夫をする者達。魔術使いは、簡単に言えば魔術をただの道具のように“使う”だけの人間だ。」
「…では、マスターはその魔術使い、に当たるのですね。」
「そうだ。だから、まぁ、魔術を研究している訳でもない私は、協会からの資金などは得られない。よって、働いて稼ぐしかないんだ。」
一端の魔術師、それこそ魔術協会に所属する魔術師や、時計塔のようや魔術師育成の総本山とも言える場所に所属する魔術師であれば資金の心配は要らぬ。
だが、私は魔術使い。ただ魔術を扱う事が出来るというだけの人間だ。
魔術使いは、魔術師からすれば『魔術師』という括りにすら当てはまらない、“ただ魔術を適当に扱える”というだけの一般人判定だ。
故に、魔術使いは魔術協会からの支援として資金は調達する事が出来ない。
一般人のように、働いて稼ぐ。そうする事でしか、資金を稼ぐ事が出来ないのだ。
「そういう訳で、私は仕事に行ってくる。昼食は置いてあるから、昼になったら食べておいてくれ。」
「分かりました。」
「あぁ。では、行ってくる。」
彼女は私の袖を離し、歩いてリビングの方へと戻って行く。
私は玄関で靴を履き、鍵を取って扉を開け、外の景色を眼に映す。
綺麗な青空、暖かい陽射し。私が住み、そして暮らす町―――「三咲市三咲町」の風景が、其処には有った。
「マスター」
ふと、彼女に後ろから声を掛けられる。
どうしたのだろうか? と振り向くと、
「―――行ってらっしゃい。」
無表情ながら、そんな、言われて嬉しい言葉を言ってくれた。
誰かに、行ってらっしゃい、なんて言われるのは―――いったい、何時ぶりだろうか。
私は嬉しく笑みを浮かべて、
「行ってきます」
と、彼女に返した。
「…現在情報と登録情報の統合を開始。
マスターは、魔術師ではない。魔術師ではなく、魔術使いである。
ただ魔術を使う事が出来るだけの、人間である。」
「統合完了。情報、異常無し。
情報の解析、及び考察を開始。
マスターが優れた魔術師でないならば。
優秀などではなく、ただの凡庸な魔術使いであるならば。
そうであるならば―――いったい」
どうやって、聖杯による魔力の高まり無しにサーヴァントを召喚させる程の魔力を手に入れた?
ORT(腹ペコ蜘蛛)
召喚されて僅か一日で名も無いマスターに胃袋を掴み掛けられている究極生命。理由としては、ORTとして食べてきたものよりも圧倒的に美味いから。
マスターが何者であるのかを気になり、現在詮索中。
名も無いマスター(食費を気にしてる被害者)
英霊の座からORTを押し付けられた魔術使い。この度、着実にORTの胃袋を掴んで行っている。同時に食費も危うい。
三咲町に住んでいる事が発覚し、更には運悪くORTに詮索されている。本人は正体を隠しているつもりは更々無いのだが。