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吾輩は少女の形をした絶望の象徴ORTのマスターである。名前など無い。
昨日、私は久しぶりに魔術回路を開き、自身に強化の魔術を掛けて急いで自宅へと帰還した。
私の想像は全くの間違いであり、彼女は私の家の食料を食べ尽くしている事などは無く、また勝手に外に出ているという訳でもなく、ただ静かに眠っていた。
…まぁ、眠っていた場所が自室ではなく私の部屋だった事には、少しばかり驚いたが。何故、私の部屋に居たのだろうか…?
そんな事が有りながらも、私は何とか無事に日々を過ごす事が出来た。良かった良かった。
「おはようございます、マスター。」
そんな事を振り返っていると、私の部屋で眠っていた彼女が目を覚まし、リビングに現れた。
「おはよう。」
彼女に挨拶を返しながら、私は彼女用の大きな皿に、今日の朝食であるベーコンエッグとスクランブルエッグを盛り付けていく。
彼女は匂いで理解したのか、すぐに席に着いた。
やはり腹ペコのようだ。まぁ、昨日は夜ご飯を食べていなかったのだから、それも当然と言えば当然か。
私は彼女の皿の横にトーストを乗せ、自分の分の朝食も皿に盛り付け、両手で皿を持って机の方へと歩く。
「ありがとうございます、マスター。今日は洋食なのですね。」
「あぁ。最近は和食続きだったからな。」
今日の朝食はベーコンエッグとスクランブル、トーストという完全な洋食だ。
洋食と和食、どちらが好きかと問われれば、私はどちらも好きだ、と答える。
…答えになってないって? 洋食も和食も、どちらも美味いのだから仕方無いではないか。良いじゃん別に。両方が好きでも。
ハンバーグやスパゲッティ、ピザといった洋食は素晴らしい。あれこそジャンキーに陥れる魔性の食べ物だ。
サバの味噌煮や味噌汁、和物といった和食は胃に優しく、心を満たしてくれる。あれこそ母の味と言える素晴らしい食べ物だ。
結論、両方素晴らしい。はい、異論は認めません。
「じゃ、いただきます。」
「いただきます。」
合掌し、日本の由緒正しき食事文句を述べて、私達は朝食を取り始める。
左手に持ったフォークでベーコンエッグの黄身を突き刺して抑え、右手に持ったナイフで分厚いベーコンをゆっくりと、しかし確実な力を込めて、ぎこぎこと引きながら切っていく。
半分に切れたベーコンエッグをトーストの上に乗せ、私は大きく口を開けてかぶり付く。
出来立てのトーストに、分厚いベーコンの汁が染み渡り、そしてそれを口の中へと放り込めば、その味が広がっていく。
黄身の味、ベーコンの味、その二つが染み渡ったトーストの味。
洋食ならではの味わいが、私の口を支配していく。
噛み、噛み、噛み、そして、ごくんっ…と、飲み込む。
「美味しい…」
そんな言葉が、聞こえた。
私も言おうとした言葉を、彼女も言ったのだ。良かった、美味しいと思ってもらえる出来だったようだ。
この頃、私にも料理精神というものが芽生え始めたような気がしてならない。
ついこの間までは、料理をする事に特別楽しいや緊張といった感情など抱かなかったのだが、彼女を召喚してからはそれが芽生え始めたのだ。
彼女が美味しく食べる姿。それを眺める事に幸せすら感じてしまうのは、きっと料理精神が芽生え始めたからだろう。
決して、私がロリコンなどという世間一般からすれば邪なものに目覚めた訳ではない。決して、そう、決してだ。断じてだ。うん。
「ほうふひえば、ふぁふたー」
「…口の物を飲み込んでから喋りなさい。汚いから。」
私がそう注意すると、彼女はよく噛まずに口の中の物を飲み込んだ。
うん、まぁ…ORTだからね。何となく想像はしてたけど。
「そういえば、マスター。」
「言い直すのか…まぁ、いいや。で、どうした?」
彼女はフォークとナイフを空になった皿に置いて…
(え、何時の間に食べ終えたんだ。)
…まぁ、それは後でで良いか。
兎に角、フォークとナイフを皿に置いて、彼女はいつもの無表情で私に問いを投げた。
「マスターは、どうやって私を召喚したのですか?」
どんな仕掛けをして、本来なら召喚される筈が無いエクストラクラス、その中でも異端である『フォーリナー』の自分を呼び出したのか。
遂に聞かれたか…と、彼女の問に私は悩み始める。
というのも、私自身も、何故彼女を召喚する事が出来たのかが、全く以て解らないのである。
そもそもとして、私自身、サーヴァントを召喚する事が出来るとは思ってもいなかったのだ。
聖杯によるバックアップなど受けていないし、だからと言って、アラヤやガイアといった『抑止力』からもバックアップを受けているという訳ではない。
というか、此処が『魔法使いの夜』の世界線、つまるところの『月姫時空』であるならば、サーヴァントの召喚など叶わない筈なのだ。
ガイアの力、星の抑止力が強いならば怪異が表に出やすい。
即ち『月姫』、『空の境界』、そして此処『魔法使いの夜』といった時空になる。
だがアラヤの力が強ければ、其処は『Fate時空』という判定になる。
其処から辿り着く結論は―――
「すまないが、私にもそれは分からん。」
分からない、だ。
この世界線が恐らくFate時空なのは分かるが、それ以外はよく分からん。
まぁ、言える事が有るとすれば―――汎人類史のORTとサーヴァントとしてのORTというORTが二体も居るこの世界線はマジでヤベェ、という事ぐらいだ。
「そうですか…では、最後に一つ。
マスターは、いったい何者なのですか?」
その問に、私は言葉を詰まらせた。
私とは、いったい何者なのか。
名前など無い人間。名前を与えられない人間。名前を付ける事も出来ない人間。
ただの魔術使い。魔術回路たった13本の魔術使い。
型月作品の知識を持っているだけの―――あれ。
思えば、考えた事もなかった。
私は、何故、こんなにまで『この世界』の知識を知っているのだろうか?
何故、現実である筈の『この世界』を『架空の世界』と認識しているのだろうか?
分からない、分からない。
分からない、解らない、判らない、わからない、ワカラナイ。
ワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「勝手にお邪魔するよ。」
聞きたくない声が、聞こえた。
赤い髪が見えた。
それから、私の視界は真っ暗になった。
□ □
「初めまして、サーヴァントちゃん。手荒でごめんね。」
名も無いマスターをソファに寝かせたその赤髪の女性は、椅子に座ったままの彼女に手荒な方法ですまないと謝る。
「マスターの生体活動に問題ありませんので、お気になさらず。」
「なら良かった。ちなみに、もし生体活動に問題が有ったら?」
「今この場で、貴方を殺し、糧とします。」
瞳の色を綺麗な翡翠色に変え、禍々しく、悍ましく、そしてとても澄んだ美しい水色の光となって現れる程の殺気を身に纏い、彼女は返答する。
依代が例え人間であろうとも、しかし彼女はアルテミット・ワン。究極の単一個体である。
一つの惑星、その中でも最強の生物となる種。
確かな目覚めと共に、この星の表面を己が故郷によって喰らい尽くし、人類種から生態系まで、地球に存在する汎ゆる術の、何もかもを己の糧とする星喰らいの大蜘蛛。
サーヴァントとして弱体化していようとも―――たかが一匹の虫を踏み潰す事など、造作も無い。
「ふ…それは、怖いな。」
赤髪の女性は、冷や汗をかきながら引き攣った笑みを浮かべる。
「それで、貴女は何者なのですか?」
神秘を抑え込み、彼女は赤髪の女性へと問う。
女性は少女と対面するような形で椅子に腰を降ろし、掛けていた眼鏡を外し、
「私の名前は、蒼崎橙子。彼の知り合いよ。」
数こそ20と少ないが精密さで他を圧倒する美しい魔術回路、生まれ付き宿した魔眼、世界の機微を感じ取る五感、自らの特異性を削る事なく摂理に適合する知性を持った蒼崎が生み出した天才―――「蒼崎橙子」と、恋をした全能の少女を依代とされた彗星における究極の単一個体「ORT」は、邂逅を果たした。
名も無きマスター( )
名前は無く、しかし存在は確かに有る。
彼は何故、己に名前が無いのかは理解している。
だが、自分が何故、それを理解出来るのか。それを理解出来る証拠となる知識を持っているのかが、この世界に転がり落ちてきた時から分からなくなっていた。
ORT(彗星のアルテミット・ワン)
詮索したにも関わらず、確かに存在しているにも関わらず、『DATA ERROR』となった為に直接聞く事にしたら見知らぬ冠位の魔術師と出会う事になった。
蒼崎橙子(冠位の魔術師)
世界でただ一人、冠位の称号を持った魔術師にして最高の人形師。
名も無きマスターとは一応知り合いであり、彼の起源と魔術回路、その在り方に興味を持っている。
世界に何か異変が起きた事を五感で感じ取り、その元となる彼の家に言ってみれば最強が居た。正直言ってかなりヤバい。