今回はノアの絆ストーリーを基に書いたもので、ネタバレが含まれます。
『……い』
『……せい!』
『先生!』
誰かが呼んでいる気がしてハッと目が覚める。
『先生、睡眠を取る時はちゃんと布団に入らないと身体に悪いですよ、もっともただでさえ少ない睡眠時間を削ってお仕事をするのは更に悪い事なんですからね!』
グッと伸びをして、目元を擦りハンカチで口元を拭くと、腰に手を当て頬を膨らませたアロナの姿がシッテムの箱越しに見えた。
「いや〜、流石に量が多くてね、そうでもしないとリンちゃんに怒られてしまうから」
机の上にはまだ大量の書類があり、思わずため息を吐く。毎回思うのだが書類の量がおかしいのだ。
シャーレの仕事内容は多岐に渡る。このキヴォトスにある全部の学校の生徒の問題の解決、学校同士のいざこざ、不満等が多く寄せられ、更に連邦生徒会から送られる書類もある。
それを合わせると到底一人では終わらす事の出来ない程の量になる。それが一日で終わるわけが無い。
落ち着こうと、愚痴と共にとっくに冷えてしまったコーヒーを飲み干した。愛する生徒の為だ。仕方ない。
時計を見ると、朝の4時半。1時間くらい寝てしまっていた。
「アロナ、今日の予定は?」
私が聞くと、アロナはポケットから紙を取りだした。
『はい、今日はミレニアムでセミナーとの定期面談の予定でした。しかし、モノレールが突然の雨で損傷してしまった様で』
自分のスマホを開くとモモトークにノアから定期面談中止の知らせが届いていた。
「本当だ、残念だね。これで全部かな?」
『はい!今回は定期面談だけでした、なので今日はフリーです』
仕事のない日なんて何時ぶりだろうか。
えっと……約100?いや、200…?……いいや、何だか闇に触れてしまいそうで怖い。
「その前にとりあえず目の前の書類だけ片付けないとね 」
未だ高く聳える紙の塔。この紙媒体以外にも電子媒体でもまだ終わらせていない仕事がたんまりある。
この機会に終わらしてしまうのも悪くは無いと思った。気合を入れる為空になったマグカップにコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ一口飲んでからペンを持った。
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「疲れた〜」
『先生、お疲れ様でした。』
グッと伸びをするとパキパキと身体から音が鳴った。時間は15時頃。あれから一心不乱に仕事に取り組み続けていたせいで手は痛くて今にも腱鞘炎になってしまいそうだ。
今日までにやらないといけないものは片付いたので、手持ち無沙汰となってしまった。
『それでは日頃睡眠時間も取れてないのでお昼寝とはどうですか?先生は身体を休める時間が少なすぎます!』
「確かにそれもいいね」
しかし、まだ日も明るいし休日でもない。そんな日に昼寝をするのは何だか罪悪感があった。
だからといって大した趣味もなく、ここ、キウォドスに来てから仕事がない時何をすればいいのか分からないくらい仕事人間になってしまった。
「ミレニアムに行って見ようか、生徒との交流を深めるいい機会だ」
そう思い立つと軽く身だしなみを整えて、アロナに戸締りを頼み外に出かけた。
向かう途中で今日何も食べていない事を思い出して、丁度あったラーメンの屋台に入り醤油ラーメンを食べた。とても美味しいラーメンだった。
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ミレニアムにつくと、すぐに4人くらいの生徒に囲まれた。今日あったこと、面白かった事、最近の流行り、愚痴など色々な事を話してくれた。
話終わるとすっかり外は暗くなっていた。気温も大分落ちたようで少しばかり肌寒かった。どうやら外を見ると雨が降っているようだ。
その後、時間を潰そうとセミナーの会議室に顔を出す事にした。
会議室に入り、ノアがこちらに気づくと小走りでこちらに来た。
「あら?先生、確か今日の面談はお休みだとお伝えしたはずですが………もしかして見ていらっしゃらなかったですか?」
「大丈夫だよ、ちゃんとノアのメッセージは見た。仕事が早く終わって暇になってしまってね。ノアの所に顔を出そうと思って」
「そうでしたか。」
ノアは1度自分の持っている手帳を見返して何かを確認していた。
「私も突然暇な時間が出てきてしまったもので、何をしようかと迷っておりました。本も読んでしまっていますし、人を観察しようにも雨のせいで殆どいません。先生がお見えにならなかったら退屈な時間を過ごす所でした。」
「ノアはセミナーとしていつも忙しそうだし、折角の空き時間を私が邪魔してしまったんじゃ……」
「とんでもありません、先生が来てくれて大変助かりました。」
そう言ってノアはいつもの様に優しく微笑んだ。
「お恥ずかしいのですが、私は周囲の状況を観察して記録せねばならないという強迫観念の様な物がありまして……賑やかな時間より静かな時間の方が私にとっては辛いのです。」
ノアはふぅーと息を吐いた。
「先生がいらっしゃらなかったら、退屈のあまり一つ騒動を起こしてその風景を他人事みたいに眺めてたかもしれません。」
「騒動を起こすノアってのは全然想像がつかないね」
いつも問題が起こるとユウカと一緒に忙しなく動いているから、自分から問題を増やすと感じには見えなかった。
騒動と聞いて思い出されるのはエデン条約の時のミカ。
むしろノアの方が後ろから操るフィクサーとして適任のような気がした。勿論あんな事はもうコリゴリだけれど。
「もし騒動を起こしていたら、勿論シャーレとして先生も解決に動かれるでしょうから結局私達は今日会う事になってたかもしれませんね」
「そうかもしれないね」
そう言って彼女は幼い子供のように無邪気に微笑んだ。
私はノアが黒幕だったらきっと騒動が複雑になって解決するのに苦労するだろうなと苦笑いをして返した。
「けれどミレニアムの日常はいつも騒動や事件で満ちていますから飽きません」
そう言って彼女は窓の方を見た。
窓には雨が激しく打ち付けられており、所々結露していた。
気温が低くなってきたようだ。
「水滴が床を汚す前に拭かないと……」
ノアはポケットからハンカチを取り出し窓を拭いた。
私も窓の方へ寄ると、曇ったガラスに『ノア』と書いてみた。
「あら、窓に文字を書く遊びですか?ふふ、水気を拭いて書いた文字が曇ったガラスと対比してとても綺麗ですね、私も書いてみましょうか」
ノアはハンカチをしまうと、その絹の様な美しくしなやかに伸びた指を伸ばした。
形の整えられた文字が次々と書かれていくのを見るのは何だか気持ちが良かった。
クエスチョンマークを最後に添えて彼女の指は窓から離れた。
どうやらフランス語の詩の様だ。
私はそれに見覚えがある。
「Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ?」
私は小さく呟いた。
「知っていらっしゃいましたか」
「大分昔にね」
彼女は手を窓に付き、憂う様な顔で窓を見つめた。
「ボードレールの異邦人の一文です、昨日読んだものですからつい」
私はふと昔の記憶を手繰り寄せ、意味を思い出す。
それにより少しだけ私とノアの間にはただ雨が滴る音がこの空間を支配していた。
ノアは不安げに私の方を見つめた。
「キヴォトスには父も母も姉妹も兄弟もいない、ここで私が生まれた訳でもない。でも私はシャーレの窓から見える景色が今までで一番好きかな。少し落ち込んだ時とか疲れた時に皆の楽しそうな顔を見ると頑張ろうって思えるんだ。この笑顔を守る為に私は居るんだってね」
「私は、先生の隣にいる時に見る景色が好きです。」
彼女は言葉の響きを味わうみたいにはっきりと一文字ずつゆっくりと言った。
「おや、それは嬉しいね。」
そう、告げるとノアは物を丁寧に梱包して隠すみたいにゆっくりと微笑んだ。
「先生の隣にいると色んな事件や出来事があって記録のしがいがありますから」
「ははは……」
「私はずっと先生の隣で先生が体験する事を記録したいです。どんな物を食べるのか、好きな物、シャーレとしての活動の内容、どの様に他の生徒と触れ合っているのか、先生の癖、先生がどんな所で生まれ何故ここに来たのか。記録したいことは山ほどあります」
「ではその内シャーレ専属の書記として所属してもらう事にしようか」
外は雨雲が空を覆い隠す様に広がっていて、下では溜め込んだものを吐き出す様に雨が地面を打ち付けている。
曇りガラス越しに見えるミレニアムの夜景も綺麗だった。先程二人が書いた文字から水滴が落ちて随分と崩れてしまっていた。
ノアはその随分不細工になった字を愛おしく見つめた。
「不思議ですね、紙に書く時と違ってとても気分が高揚しました。本来記録は記憶を伝達する為の物であるのに。それなのに時間が経てば消えてしまう刹那的な物であるのに」
「確かにそう言われれば何だかとても儚い物に思えるね」
「私は今まで沢山の事を記録して来ました。それが残るものでも残らないものでも」
ノアは今までの事を振り返るように一息置いた。
「しかし、今回先生との記録はずっと忘れない気がします。この少しばかりの間だけ存在したこの文字を、話した事を」
「一瞬の輝きしかないからこそ美しいもの、記憶に残るものってあるのかもしれないね」
一瞬しかないからこそ、その一瞬に自分の全てをぶつける。そしてその後はきっとボロボロになり消えていく。だからこそ美しい。そしてその記憶が誰かに受け継がれていく。
「だから君達の年齢の時に強烈に光の当たったものを見るとどうしても勘違いしてしまうんだ、それが空っぽであっても、虚構であってもね」
「この気持ちは本物であると断言することが出来ます。そうでなければこの気持ちの高鳴りはおかしいと思います」
ノアは手を胸に当て、しっかりとした目でじっとこちらを見つめる。頬は少しばかり赤くなっていた。
「どうですか?異邦人の方?」
ノアが一番の推しなのですが、絆エピに出てくる一文が異邦人だと知り、これは読まねばと意気揚々と本屋でカミュの異邦人を買ったのですが、それは違う異邦人だったと知って複雑な気持ちになった。