過ちの刃   作:千年坂

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L12 蝕む呪い

 

 

 

【十月二日木曜日午後九時二十五分 温泉宿 泉海】

 

 極楽。

 

 ────この言葉が似合うものなんて、温泉の他にあるだろうか。肩の当たりまで湯に沈むと、体の芯まで温まっていく。

 

 こうしていると、日常を過ごすうちに蓄積されてきた体や脳の疲れが、綺麗さっぱり浄化されていくように感じる。温泉に浸かっているこの時間だけは、唯一何も考えずにいることができる。

 

 ────ああ、なんだか目の前が、ぼやけているようだ。

 

 

 

「澪様、澪様〜。あれ、死んでないですよね?」

 

「……生きてますよ」

 

「顔真っ赤ですよ? のぼせたんじゃないですか?」

 

 気がつけば隣では、ピンク色の手拭いを頭に乗せた唯姫が温泉の縁に腰をかけていた。彼女は足をパチャパチャさせており、お湯が私の肌に飛び散ってくる。

 

「そろそろ上がります、待たせてしまい申し訳ありません」

 

「いえ、まだ浸かっててもらっても大丈夫ですよ」

 

「それなら遠慮なく」

 

「そろそろ換水の時間ですけど」

 

「では遠慮します」

 

 そろそろ温泉からあがろうとふらつく頭で立ち上がり、唯姫の隣へと腰をかける。私はどうやらのぼせているようだ。

 

「澪様、ちょっと気になってたんですけど」

 

「なんでしょう?」

 

「前まで使ってた黒い髪留め、つけなくなったんですね」

 

(ああ、そのことか────)

 

 急に一体何の話だと思ったが、言われてみて思い出す。つい一週間程前のことだ。

 

 私には気に入ってた髪留めがあった。それは、ショッピングモールで買ったごく普通の髪留めだった。

 

 買ってからはほぼ毎日、外へ出る時はその髪留めを付けていた。しかしある日、図書館で寝落ちをしていると、いつの間にか髪留めが無くなっていたのだった。

 

「ええ。いつの日か、無くしてしまって」

 

「とても似合ってたのに、残念です」

 

 唯姫はふーんと言って立ち上がる。隣に座っていた私も、釣られるようにゆっくりと立ち上がる。

 

「澪様は身体洗いました?」

 

「いえ、まだ洗ってません」

 

「あっ、じゃあ私先にあがってますね」

 

 温泉はただの銭湯と違い、身体を洗うのはお湯に入った後の方がよい……という話を聞いたことがあった。詳しいことは知らないが、温泉の成分が云々ということらしい。

 

「少し待ってください。唯姫さんは、この後どう動くのですか?」

 

「私は一回校舎に行きますよ。澪様は出来るだけゆっくりしていてください。ひょっとしたら、休んでいられる状況じゃ無くなるかもしれませんから」

 

「温泉に入った後なのに、大変ですね」

 

「澪様の為です!」

 

 一体何が、唯姫をここまで突き動かしているのだろうか。私には到底分からない。

 

「校舎……というと、やはり殺人現場ですか?」

 

「そうですね。今日くらいしか入れないかもしれないので」

 

 殺人現場────新聞には『呪いのスポット』と書いてあった。唯姫の話によると、二年寮棟がある敷地らしい。

 

(呪いのスポットって何なんだろう……)

 

「そういえば唯姫さん」

 

「はい、何でしょう?」

 

「殺人現場が『呪いのスポット』であることには、何か理由があると思いますか?」

 

「…………知りませんよ、そんなこと」

 

(────?)

 

 おかしい。今、唯姫は明らかに目を逸らした。何かへの拒絶反応だろうか。

 

「もう一度聞きます。『呪いのスポット』であることは、何か関係がありますか?」

 

「知らないって言ってるでしょう」

 

(…………これは、問いただすべきかもしれない。唯姫には、私に隠していることがまだまだある筈だ)

 

「質問を変えましょう。唯姫さんは『呪いのスポット』について何か知って────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめてええええええええええええええええええええええええっ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(────っ!?)

 

 瞬間、唯姫が温泉内に響き渡る声で叫んだ。その声に驚き、私は一歩後ずさる。

 

「…………唯姫さん?」

 

「あそこはっ! 呪われてなんかっ…………!」

 

「私も呪いなんて信じていません」

 

「違う! 違うのっ!!!!!! 」

 

「そうですね、違います」

 

「私は…………なに、も…………」

 

「はい、唯姫さんは何も知りません。私も何も知りません」

 

「…………」

 

(少しは落ち着いた────かな?)

 

 唯姫は手を胸にあて、動悸を抑えているようだ。肩は上下していて、呼吸は荒い。

 

「一旦温泉の外へ出ましょう。私は身体を洗ってますから、先に行っててください」

 

「はい…………」

 

 落ち着きを取り戻したのだろうか、唯姫の呼吸は普段通りに戻っている。少しの間を置き、私はシャワーの方へと歩き出す。横目で唯姫を見ていると、ゆっくり、ゆっくりと彼女は歩き始めた。どうやら温泉の出口へ向かったようだ。

 

(『呪いのスポット』と唯姫の過去の関係────探らないわけには、いかないかな)

 

 温泉で温まった身体は、この数分ですっかり冷えきっていた。シャワーの前の椅子に座ると、お尻がひんやりと冷たくなる。

 

 シャワーを出し、さっと身体を流したらタオルに備え付けのボディーソープをつける。私の頭は妙に冷静で、平然と行動を続けている。

 

(今日はこの後どうしよう…………言われた通りに部屋で休むか、唯姫の後を追っていくか。でも、追っていくメリットは特に無いかな。唯姫が本当に二年寮棟を調べるというのなら、私が確認できることなんてほぼ無いに等しい。唯姫にバレるリスクだけを抱えることになる)

 

 身体をタオルで擦りながら考える。

 

(追わなかった場合、私が得られる情報は唯姫の話だけということになる。それは悪い事では無いかもしれないけど、唯姫を信用できない今、あまり取りたくない選択だ)

 

 泡だらけになった身体をシャワーで流し、タオルを絞る。温泉に入った後だというのに、まったく休まった気がしない。

 

 そうして今後の事に頭を悩ませながら、私は温泉を出ていった────

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