【十月二日木曜日午後九時五十分 温泉宿 泉海】
温泉を後にした私は、脱衣所にて濡れた髪を乾かしていた。
ここに唯姫の姿は無い。家に戻っているのだろうか、はたまた既に校舎へと向かっているのか。
備え付けられたドライヤーの出力は弱く、腰まで伸ばされた長い髪はまだまだ乾きそうにない。
「はあ──」
短い溜息をつき目を閉じる。辺りは真っ暗闇となり、機能している筈の聴覚までもが感覚を閉ざす。すると、徐々に思考が秩序を取り戻していく。こうして考えるための姿勢は整う。
────『呪いのスポット』
この言葉が頭の中にへばりつき、まるで取れそうにない。いくら思考を切り替えようと、片隅から消えていくことはない。
(呪いのスポットと唯姫の関係────)
何か繋がるものはないか。疑問を解決してくれる何かはないか。必死に、しかし冷静に情報パズルを組み立てる。
(そもそも呪いのスポットってなんだっけ……?)
唯姫の言葉を頭の中で繰り返す。
────『ほら、呪いのスポットなんて、子供らしい呼ばれ方をするようになったキッカケの事件です』
違う、その前だ。私は何を聞いて、唯姫は何と応えただろうか?
────『まあ、英ヶ野上層部はだいぶごたついてるって感じはしましたね〜。なんせ、英ヶ野女學校で殺人事件なんて十年来ですから』
唯姫の話によれば、呪いのスポットは十年前の殺人事件からそう呼ばれはじめたらしい。その事件というものを調べれば、少しは手掛かりになるだろうか?
可能性は薄いが、過去の事件と今回の事件が繋がっている可能性だって否定はできない。いや────
(唯姫は呪いのスポットについて詮索されることに対し、強い拒絶反応を示した。彼女が事件に関わっている可能性は────!?)
…………おかしい。事件が起こったのは十年前────つまり、私が七歳の頃だ。当たり前の話だが、そのときの唯姫は英ヶ野に在籍などしていない。
分からない。私には呪いのスポットに関する情報が一切無い。十年前の事件の概要も、唯姫との関係も。
(調べてみる価値は十分にある……か)
唯姫とは別で行動して自ら情報を手に入れよう────そう決意し、ゆっくりと目を開く。鏡に映った私の姿がぼんやり目に入る。
熱風にあてられ続けていた輝くような銀髪は、とうに乾ききっていたようだ。慌ててドライヤーを冷風に切り替え、毛の先まで冷やしていく。
「──はあ」
もう一度溜息をつき直し、ドライヤーの電源を切る。その空間に残ったのは微かな換気扇の音。その静けさから逃れるように、重い椅子から軽い腰をあげた。袖を通した制服は脱ぐ前よりも、この小さな身体にずっしりとのしかかっているように感じる。
(とりあえず、外に出ようかな)
今は夜風にあたって涼みたい気分だ。それに、そろそろ閉館してもおかしくない時間だろう。流石にそろそろ出なければなるまい。
そうして足早に外へ出ると、先程まで晴れ渡っていた深闇の空が、鈍色の雲に覆われはじめていた────
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【十月二日木曜日午後十時五分 茅ノ間唯姫の自室】
「入りますよ」
唯姫の部屋の前まで戻ってきた私は、扉をコンコンと二回叩き、部屋の中へと声を掛けた。
「…………」
────ある程度予想はついていたが、やはり返事は無い。
扉を開けてみるものの、そこには誰も居なかった。やはり唯姫は既に校舎へと向かい始めてしまったのだろうか?
部屋に戻ってきた形跡は────特に無いように思えるが、戻っていた可能性は否定できない。
唯姫が校舎へ向かっているのだとしたら、その移動手段は自転車か、はたまた別の乗り物か。何にせよ、歩いていこうと考えられる距離ではない。
バスで来た私が校舎へ向かうには、徒歩以外の選択肢が残されていない。今から唯姫に追いつくことなど到底叶わないだろう。
可能であれば唯姫から目を離すことはしたくなかったが、こうなってしまったものは仕方が無いと割り切ろう。それに、この部屋についても気になる事は山ほど残されている。今、無理に彼女を追う必要は無い……と、思う。
(もっと調べられるところはあるかな)
唯姫の影が消えた部屋の中を改めて見渡す。
(あの写真……映っているのは、やっぱり唯姫じゃない……?)
よくよく見れば、唯姫のような唯姫でないような、もしかしたら似ているだけの人物なのかも知れない。
(いや、そんな筈はないか)
唯姫の自室にある写真だ、全く関係のない人物の写真なんて飾らないだろう。しかし、この写真は十年前に撮影されたものらしい。だとすると────
(……あれ、十年前って────)
────十年前の事件。
ふと、脳裏にその言葉が思い浮かぶ。
先程から、身体の芯から冷えていくような、得体の知れない寒気を感じている。
(十年前の写真に十年前の事件。考えられることは……)
写真に映っているのが唯姫ではないとすると、似たような誰かかもしれない。親かもしれないし、姉妹の線だってある。
(────っ! もしかして……)
そして、ある一つの仮説へと辿り着く。
実は、唯姫には姉が居たのかもしれない。その姉が十年前の事件に巻き込まれ、命を落とした。姉の面影を無くさないように、今でも昔の写真を飾り続けている────というのはどうだろう?
唯姫が『呪いのスポット』という呼び名に対して批判的であった事についても、これなら説明がつく。
決定づける証拠などは何も無いが、全く考えられない話ではない。今のところは明確な矛盾も思い浮かばない。
(でも────)
ある程度筋の通った仮説を建てられて気分の良くなったところで、思い直す。
────写真がどのようなものかと分かったところで、今の事件の何が解決するという話ではなかった。それに、これはただの仮説だ。正しいと証明するための手段など私は持ち合わせていない。
「んん〜っ! ふう……」
身体の中に潜む異物感を吐き出すかのように、深々と息をした。これは溜息ではなく深呼吸だ。力が抜けた腰を、唯姫が座っていた勉強机の椅子に下ろす。
さて、一旦状況を整理しよう。
十月一日午前十一時以降、英ヶ野女學校の寮棟二年棟敷地内にて殺人事件が起きた。犯人は未だに見つかっていないらしい。そして私は今、頓宮教導官に目をつけられている。殺人犯として疑われているということだ。
一番の謎である茅ノ間唯姫は、何故かは分からないが私の味方をしていてくれる。
────ただ、彼女にも不可解な行動は多々ある。
一番初めに今日の行動の予定を尋ねたとき、唯姫は『明日になったら探りを入れる』と応えていた。しかし、温泉で再度尋ねたときは『この後校舎に行く』と応えていた。その言葉通りであれば、彼女は今校舎へと向かっている最中だよう。
唯姫の考えを変えたような何かがあったとしたら────勘解由ななからの電話が真っ先に思い当たる。頓宮教導官の名前が出たときから、唯姫の表情は明らかに変わっていた。頓宮教導官と唯姫の間には、絶対に何かしらの繋がりがある筈だ。
その繋がりが何かは分からない。特段仲がいいといったような話も聞いた事が無いし、かと言って仲が悪いという話も聞いていない。
────そもそも、唯姫は本当に私の味方をしているのだろうか……?
もし味方でなかったとしたら、私を裏切るパターンなどいくらでも思い浮かぶ。寝ている間に私を突き出すかもしれないし────唯姫が殺人犯で、私を利用しているのかもしれない。
(────っ!)
何故、今までこの可能性を考慮していなかったのだろう。
唯姫が殺人犯である可能性だって全く有り得ない話じゃない。何故私を傍においておくかなどの様々な疑問はあるが、否定はできない。
一番分からないのは、唯姫の動機についてだ。勿論、分からないのはそれだけではない。裏では私の知り得ない何かが大きく動いているのだろう。
結局、私は何か考えるだけ無駄だということだろうか? 唯姫のいいなりになれば事は解決してくれるのだろうか?
────認めたくない。
私のこれからは、私が決める。今置かれたこの現状は、今まで行動を怠ってきた分のツケなのかもしれない。そうだとしたら、そのツケは今ここで返さなければいけないのだろう。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、床に置いたリュックに手をかける。
ポツ、ポツッ────耳を澄ませてみれば、雨の滴るような音が部屋の外から聞こえてきた。