【十月二日木曜日午後十時四十五分 学生寮 勘解由ななの自室】
「ねー、明日からどうする?」
後ろから掛けられた声に反応し、シャーペンを動かしていた手を止める。振り向いてみれば、私のルームメイト────眺夢ノ原エナが、二段ベッドの上段から身を乗り出し、こちらをじんまりと見下ろしていた。
「ん? どうするって?」
「明日からずっと暇になるよね。外にも出れないし、あ〜どうしよ〜……」
いつも思うが、彼女の声は随分と気が抜けている。
「それなら勉強しなよ。エナだって進学するつもりなんだよね?」
「そんなコト言ったっけ〜、覚えてないや。勉強だけはしたくない〜」
「まったく……まあたっぷり時間はできたけどね」
────『時間ができた』。そう、久々の休暇だ。といっても、例の事件のせいで休講になっちゃっただけなんだけど。
「そうそう、せっかくの休みなのに、勉強ばっかりだと疲れるよ〜。ななだって、もっと休んだらどう?」
「私はしっかり休んでるよ。エナはちょっと休みすぎじゃない?」
「あたしだって、いっつも動き回ってるよ〜。なんなら休み足りないくらいだよ」
休む時間が出来るのは嬉しいことだ。でも、休講といっても完全な休みになるワケじゃない。私たちにはリリィとしての責務────ヒュージの討伐の当番がある。
ヒュージが出現したとあらば、当番のリリィが出動しなければいけない。
「そういえばさ、エナの当番はいつだっけ?」
「あたしは金曜日だよ〜。うーん、ななは大変だよね。メイゾールのメンバーだからいっつも出動してて」
「そんな事ないよ。まあ、ちょっと大変な先輩はいるけど……」
そんな会話をしていると、携帯がピピッピピッ────と鳴り出した。
「ななの携帯〜?」
「うん、ちょっと外出てくるね」
「はーい」
着信は────ちょっと大変な先輩からだった。
(澪様の方から電話だなんて珍しい……)
いつも通りさっと移動してサンダルを履き、扉を開けて外に出る。手に持った携帯は細かく震えている。
「はい、勘解由ななです」
そして、電話を耳にあてたまま談話室へと移動する。
『────ん─────────て───い』
「はい? あれ、澪様?」
澪様の声が微かに聞こえる────が、それ以上に大きいノイズが声を邪魔してくる。
『───です───て──さい』
「澪様、なんか声が聞き取りにくいです」
『──────お願いです、助けてください』
(────っ!!)
ノイズが晴れ、聞こえてきたのは助けを求める澪様の声だった。
「どうしたんですか!?」
『すみません、電波のいい所に移動しました』
「助けてくださいって……」
『勘解由さん、お願いがあります。どうか、私を助けてください。厚かましいということは分かってます。でも、今の私は勘解由さんに頼るしかありません』
澪様の声は落ち着いている……ように思えるが、いつもより口調が走っている。相当に焦っているのかもしれない。
「助けてくださいだけじゃ分かりません! 何があったんですか!?」
『少しだけ説明が長くなります。一から説明するので、聞いてください』
────こうして、澪様は語り始めた。
『事情があって、茅ノ間唯姫さんの自室付近にいます。なので、私がそちらへ向かうことが出来ないことを前置きしておきます』
「まだ海岸の方にいるんですか!?」
『落ち着いて聞いてください。そして今、私は殺人事件の容疑者として第一候補に挙げられているそうです』
「えっ…………」
殺人事件の────容疑者。すなわち、殺人者。本当に澪様が疑われているのだろうか?
『これは茅ノ間さんからの情報です。確証はありません』
どうしてここで、茅ノ間唯姫の名前が出てきているのだろうか?
『────彼女の話によれば、頓宮教導官が私を疑っているとのことでした。茅ノ間さんは私を助けてくれる────と言ってはいましたが、正直信用なりません。しかし、茅ノ間さんを頼るしかないというのもまた事実です』
「澪様、待ってください」
『何でしょうか?』
「さっきから茅ノ間さん茅ノ間さんって言ってますけど、どうしてそこまで唯姫さんのことを信じてるんです?」
『どうして……?』
「冷静に考えてみてください。そんな突飛な話、まず信用出来なくて当然じゃないですか」
『信用はしていません。ただ、有り得ない話ではありませんし、仮に本当だった場合の危険が…………』
────一体何を馬鹿げたことを言っているのだろうか、澪様は。現実的に考えたら有り得ない話だろう。
「だって、考えてみてください。ただの一生徒に過ぎない唯姫さんに、そんな行動力があると思いますか? しかも、私たちも知らない事件に関する話を知ってるなんて。明らかにおかしいですよ」
『…………茅ノ間さんとのやり取りについては後で会って話します。電話口で話しても明確に伝わりませんから』
話を聞いてみれば聞いてみるほど、変な違和感だけが積もっていく。
「私も百パーセント否定するワケじゃないですけど、唯姫さんの戯言かもしれませんよね?」
『ええ、そうですね』
(なにか、おかしい気がする。いつもの澪様じゃないというか────そうだ、言ってることと行動が乖離してるような感じ)
いつもの澪様なら、他人の言うことに耳を貸すことなんて、無い。
「……まあいいです。それで、私は何をすればいいんですか?」
『そうですね、ここからが私のお願いです。勘解由さんには茅ノ間さんの“尾行”を頼みたいのです』
「えっ…………」
『ちょうど今、茅ノ間さんが英ヶ野の敷地へと向かっている筈です。多分2年棟へと向かうでしょう、そこでバレないように隠れながら彼女の動向を見ていてください』
なんとも不確定な指示だ。澪様らしくもない────なんて思ってしまうのは、果たして私の感覚がおかしいからなのだろうか?
「来なかったらどうするんですか?」
『絶対に来ます。私を信じてください』
(今、世界で一番信用できないのが澪様────貴女なんですけど)
「自信満々に言われても困ります。まずは自分の行いを振り返ってみてください」
『振り返りました。私を信じてください』
「今のはどう考えても振り返ってる間の長さじゃないです! ちゃんと振り返ってください!」
『…………』
「…………」
『…………振り返りました』
「本当ですか?」
『本当です』
「はあ……今回だけですよ? もうこんな頼み事なんて聞きませんからね?」
『それは困ります』
「じゃあ今回も聞かないです!!」
『やっぱり困りません』
まったく澪様は────やれやれと思いつつも、いつもの澪様の調子が戻ってきていることに、少しだけホッとする。
「はあ……それで、私は今から唯姫さんを監視しに行けばいいんですよね?」
『はい。念の為携帯を持って、いつでも連絡を取れる体制でお願いします。時間的にはもう茅ノ間さんが到着する頃でしょう、そろそろ通話を切ります』
「なんでこんなことになったのかは後で詳しく聞きますからね!」
『はい。それでは切りますね』
プチッ────ツー、ツー……
澪様に問い質したいことは沢山ある。納得いかないことも沢山ある。でも────
(もう、なるようになれ……か)
携帯をパジャマのポケットにしまい、そのまま自分の部屋へと戻る。廊下に人気は一切なく、今が夜中であることを嫌でも認識させられてしまう。
ゆっくりと自室の扉を開ければ、エナが眠たそうに声を掛けてきた。
「おかえり〜。誰から?」
「澪様から。ちょっと用事が出来ちゃったから、もっかい外出てくるね」
「大変だねぇ、いつも」
「あはは……それじゃ、行ってくるね」
「はーい気をつけて〜。あっ……」
「ん? どうしたの?」
「……いや、何でもないよ〜」
「そう……」
なんとも締まらない挨拶をし、サンダルからスニーカーに履き替えそのまま自室を後にした。
ふと廊下の窓を見ると、蛍光灯の光で自分の顔が鏡のように映し出されている。それは、いつも通りのようで、どこか寂しげな表情だ。
(澪様…………)
大丈夫、何事も無いハズだ。そう頭の中で繰り返しながらも、拭いきれない不安は大きくなっていく一方だった────