【十月二日木曜日午前五時前 学生寮 京極澪の自室】
京極澪の朝は、周りに比べ少しばかり早かった────
下着姿で綺麗な正座をしながら自室の出入口のドアをじっと見つめていたのは私、京極澪である。
時折、左手に持つ携帯電話に目線を移しながら、ある“モノ”が届くのを待ち構えていた。
持っている携帯電話は入学前に両親から買ってもらったものだ。元々はライトピンク一色であったが、その塗装は既に一部剥がれ、鈍い銀色が顔を覗かせている。
(あと二分……)
待つだけの時間というのはやたらと長いもので、携帯をチラチラ見る回数も、意図せず増えてしまう。
待つことは嫌いではないが、やはり焦れったいし落ち着かない。
(あと一分……)
ご飯を食べているときの六十秒と、何もせず待っているときの六十秒。何故こんなにも、体感時間が違うとだろう……?
ふと、そんなことを考えていた。もっとも、結論が出ることはなかったが。
そして────
(来た……!)
扉についているポストから、私が待ちかねていたソレが、バサッと音を立てて部屋の床に舞い降りた。
『週間英ヶ野新聞』
それは、英ヶ野女學校新聞部が発行している、学校内外のニュースを集めた新聞である。
火曜の朝、配達を希望する生徒の部屋に届けられるものなのだが────なんと私の部屋は、学生寮二年棟の入口に一番近い場所だ。
しかも、新聞は二年棟、一年棟、三年棟の順番に配られるようになっている。つまりこの部屋は、学校内で最も早く新聞を手にすることができる場所────ということであった。
(三学年になっても部屋を変えないように頼んでみようかな……)
そんなことを考えながら、床にボトっと落ちた新聞を手に取り、二段ベッドの上の階にあがる。
置いてあるのは二段ベッドだが、実はこの部屋にルームメイトは居ない。
基本は二人一部屋の学生寮であるが、何故か私だけは一人だった。
学校の首席様になったから特別にアメニティ溢れる個室にしてくれたのか、それとも、同室希望の用紙の提出をワザとすっぽかしたからなのか……
個室になった理由はともあれ、入学から一年の時を経て「英ヶ野の孤高のリリィ」という称号を得てしまったことは事実である────
そうしてベッドの上に寝そべり、枕を覆うように新聞を広げた。
(今日の記事は何かな……)
広げた新聞の見出しを確認する。
『英ヶ野の誇る孤高のリリィ 単騎で大山ケイブを制圧』
────それは、自分の記事だった。
『九月三十日の午後七時、大山の山の麓にケイブが発生。大山から辻興屋の平野にかけてスモール級ヒュージが多数来襲。ほとんどのリリィが学生寮におり咄嗟の出撃ができない中、唯一その場に居合わせた京極澪(17)がケイブの制圧、人命救助を一人で行った。ヒュージによる被害は農作物のみであり、人的被害は奇跡的にゼロとなった。連絡が入り遅れて出動した我が校の生徒12人が撃ち漏らしのヒュージを殲滅、民間人の移動などの後始末を行った。これにて我が校の累計ヒュージ討伐数は12450体となった。』
(ああ、あのことか……)
つい二日前の出来事だ。
夜遅い時間ではあったが、そのとき澪は湯野浜まで温泉に入りに行く途中であった。
自前の洗料、タオル、着替え、それと木製の桶が入ったリュックに、CHARMを両腕に抱えて長い距離を歩いていた。そこでたまたま、ケイブと多数のヒュージの発生を目撃、そのまま制圧したのである。
しかし、目的地だった温泉の閉館時間は午後九時、当然間に合わなくなってしまったのだ。
(あっ……そういえば、惜しかったな、温泉……)
あの時温泉に入ることは叶わなかった。それも仕方の無いことだと分かってはいるつもりであるが、やはり割り切れないものはある。
(私はヒュージを倒す為に数時間歩いたんじゃない、温泉のために歩いたのに────)
そう思い返すと、だんだん腹の奥からモヤモヤが募ってくる。
(見なかったことにして温泉に行けば良かったかな……でも、まあ仕方ないか)
一人でケイブの制圧、という大きい功績をあげた。温泉に入れなかったのは悔しいが、その分たくさんの人に感謝された。
(温泉は……そう、そうだ、今日また入りに行けばいい)
ふと、そんなことを思いついた。
(どうせなら、ただ温泉に入るだけじゃなく、もっと豪華に。ヒュージに温泉を邪魔されたんだ、今日という今日は心ゆくまで遊び倒してやる……)
そう決めた瞬間『京極澪の豪華一日温泉プラン』が頭の中で構築された。計画を考えている心の中が、次第に晴れやかになっていくのを実感する。
(今から外出届を学校に提出して、最寄りのショッピングセンター発のバスに乗ろう。レギオンのメンバーには……置き手紙でも残しておけばいいか)
今日は講義こそ入っていないが、レギオン内の訓練はいつも通りにある。しかし、ここはレギオンの隊長だ。どうとでもすることは出来るだろう。目的の為なら手段を選ばないタイプなのだ。
(訓練が休みになって嫌になる人なんていないよね。そうだ、昼ごはんは外食でもしよう。あとは……海岸の散歩、そして、温泉)
────結局、今日の新聞に載っていた他の内容は、ほとんど頭に入らなかった。
新聞を手放し、携帯を手に取って時間を確認する。
『午前五時三十五分』
木曜日以外は、だいたい今起きるくらいの時間。いつもならまだのんびりしている頃ではある……が、今日は違う。
新聞を畳み、携帯と一緒に左手で抱え、ベッドからジャンプで飛び降りた。床からものすごい音がした。
抱えていたモノを机に置くと、クローゼットから制服一式を取り出し、手際よく着衣していった。
そして着替えが終わり、引き出しから黒のボールペンと、いつか提出するハズだった同室希望の用紙を取り出す。いかにも大事な書類とかに使われていそうな分厚い用紙だったが、躊躇うこともなく半分に切り裂き、何も書いていない裏側にメモをした。
(用事があるので一日出掛けます。今日の訓練は無しです……っと。こんな感じかな)
メモをササッと書き終え、手際よくリュックに荷物を詰めていく。判断に迷いが無いのは自分の長所だと自覚している。
そして荷物を纏めあげ、さっそく外に出ようと腰を上げ────
ふと、机に置いてあった新聞が目に入った。
『“呪いのスポット”で、今度は殺人事件か』
(殺人事件……?そういえば、勘解由さんがそんなことを言っていたような……でも、呪いのスポットって……?)
『十月一日の正午、教導官と生徒数名が例の呪いのスポットにて死体を発見、その場で学校に通報。一時辺りは騒然となった。死体は英ヶ野女學校在籍の生徒で、胸にはCHARMでの攻撃と見られる大きな刺し傷があったという。』
(いや、だから呪いのスポットって何……)
呪いのスポットの正体は分からなかったが、勘解由さんが言っていた殺人事件というのは本当にあったらしい。
気にしても仕方がない、と開いていた新聞を閉じて顔を上げた。
(あっ、携帯も置きっぱなしだった……)
手に取った携帯も一緒にリュックに仕舞い込み、すっと立ち上がる。
今日は思いっきり遊ぶぞ────!
そう意気込み、靴を履き、扉を開け、外出届を手に持ち校舎へと向かった。
空は明るくなりはじめ、晴れやかな天球には雲の一点も見られなかった。
────受付窓口は閉まっていた。