向かった田んぼの中心には、スモール級のヒュージ────識別名『オルビオ』が、たった一体居座っていた。
スモール級と聞いていたが、その大きさがほとんどミドル級のように見えるのは、おそらく気の所為では無いだろう。
(……相手はこちらに気がついていない。今のうちに──っ!)
背後から最速でCHARMを振るおう────とするのは私ではなく、両手に抱えているCHARM『シバルバー』の判断だ。
「……っ!」
ヒュージとの距離がぐんと詰まり、抱えていたシバルバーを大きく上へと振りかぶる。
接近の気配に反応したヒュージが振り向こうと試みる────が、その姿を目視することも、悲鳴を上げることさえも許さない。
灰色の装甲に包まれた身体は、シバルバーによるその一太刀で、見事に真っ二つに分断された。流出した体液と、割れて倒れた灰色の塊は、やがてマギの残滓となって蛍の光の様に散っていく。まるで見慣れた光景だ。
「ふう……」
少しばかり荒くなった息を整え、乱れた制服を直し、ゆっくりと足を進める。ヒュージが陣取っていたその足元には、収穫されることなく命を閉じた稲穂たちが横たわっていた。
(ガーデンへの報告は……要らないかな)
休暇をヒュージに邪魔されたことに多少の怒りを覚えていたのかもしれない。ガーデンへの交戦報告は義務となっているが、どうも行う気にはなれなかった。
しかし、CHARMの内蔵機構により、討伐したヒュージの数がガーデンに送られる仕組みが存在する。直接の報告と討伐カウントの差異があれば、いずれ報告漏れは発覚するだろう。
(面倒くさいなあ……)
ガーデンへの悪態をつきながら、元いたバスへ歩みを進める。神無月の冷える朝だというのに、制服に包まれるその体は少し汗ばんでいた。
【十月二日木曜日午前八時四十五分 湯野浜海岸】
ショッピングモールの待合室から乗ってきたバスも湯野浜に到着し、気分よく海岸を散策していた時だった。
『ピロリンッ♪ ピロリンッ♪』
背負っていたリュックから、喧しい着信のメロディーが聴こえてきた。
ムッ────としながらも携帯を取り出し、呼び出しに応える。着信をかけてきたのは、同じレギオンの一年生である勘解由ななだった。
「はい、京極澪です」
『もしもし、私です、ななです』
「何の用事でしょうか?」
『もう、澪様は今どこにいらっしゃるんですか!勉強教えてくれるって約束したじゃないですか!』
「……本校舎にいます」
『……嘘つかないでください。波の音、聴こえてますよ』
「気の所為です。それで、何を教えて欲しいのですか?」
『結局今はこっちに居ないんですか〜?せっかく澪様の部屋の前まで来たというのに……』
「勉強を教えるだけなら電話でも十分でしょう、分からないところを口頭で伝えてください」
いい気分で歩いていたところに水を刺され、ただただ一方的に腹をたて、機嫌を損ねていた。この時点で既に、まともに勉強を教える気は無かった。
『えっと……ベクトルの問題なんですけれど────』
ななは、一学年の中でもトップクラスの成績を誇っている。特に数学は得意分野らしく、既に二学年の範囲を先取りして学習していた。
……その勘解由ななに数学を教えている私、京極澪は、英ヶ野女學校では右に出る者が居ないと断言出来る程に数学が得意だ。
『────のとき、体積を求めよ。っていう問題です』
「そう、この問題のどこが分からないのですか?」
『これってどうやって高さを求めるんですか?』
「はあ……勘解由さん、ただの知識不足ですね。底辺が第3成分が0であるベクトルaとbを用いてa+kcとb+lcで定まる平行四辺形なら、今の問題の体積はdet(a b c)の絶対値です。ガヴァリエリの定理は調べましたか?」
『えっ、えっ……ガヴァ……?』
教えている内容は高校の範囲を大きく逸脱しているが、この位は当然だといって話を進める。教えるのが面倒くさい時の常套手段だ。
「これが分からないのであれば、解く前に自分で証明を確認してください」
『えっ……と……ちょ、ちょっと待ってください!!』
「どうかしましたか?」
『何言ってるのかサッパリです! 私でも分かるようにお願いします!』
「それなら、諦めなさい」
『帰ったらまたその時お願いします!』
「……」
『それと……』
突如、ななは声色を変えて言った。
「…………?」
『明日から学校、休校になるみたいですよ』
ん?────と、面持ちを神妙にする。
「……詳しく」
『えっと……昨日、殺人事件の話をしたじゃないですか』
「ええ、しましたね」
『なんでも、今日から捜査が入るらしいです。外出も出来るだけ控えるようにって』
「分かりました、報告ありがとうございます」
『いえいえ〜、澪様どうせ学校からの連絡なんて見ないとおっ────』
プチッ────
(なんだか大事になっているみたい……)
殺人事件というものがどれだけの事態なのか分かっているつもりではいたが、イマイチ危機感が湧かないのもまた事実であった。
講義が無くなるのはラッキー────などと考えつつ、これからどう動こうかと考えを巡らせていると────
『────ピロリンッ♪ ピロリンッ♪』
先程閉じてポケットに閉まった携帯から、再び着信音が鳴り始めた。
「はい、京極澪です」
『それと、もう一つ』
ななの声だった。
『今日中に、戻って来るように────って教導官様が言ってましたよ』
ななの口振りは、明らかにある教導官を真似ているようだった。
「……そうですか、分かりましたと伝えておいてください。ところで、その教導官とはどなたですか?」
『頓宮教導官様ですよ〜モチロン』
頓宮教導官────英ヶ野女學校のベテラン教導官だ。名前を頓宮叶愛といい、十年程前からここで教導官をしているらしい。発言力がものすごく大きいことから、陰で『権力の鬼』と呼ばれていたりもするが、生徒たちからの人気は高い。
「用事はそれだけですか?」
『はい〜ゆっくり休暇をお楽しみく────』
プチッ────
携帯電話を再びリュックに仕舞い込み、止めていた足をゆっくりと動かしはじめる。
気温は然程落ち込んでいるワケでは無いが、肌に纏わりつくような潮風に体温を奪われる。
「はあ……」
今日は溜息が多い日だ。
(とりあえず、ゆっくり出来る場所でも探そうかな)
幸いなことに、湯野浜には多くの温泉や旅館、更には無料で浸かれる足湯などもある。休憩する場所に困ることは無いだろう。
山沿いの国道をずっと進んだところにある加茂には水族館もあるが、今日は歩いてそこまで行く気にはなれない。海産物を楽しむのであれば、その先にある鼠ヶ関が最適だ。しかし、それこそ徒歩で行けるような距離では無い。
結局、休憩場所は湯野浜内で探すことにした。
どこかいい場所は無いかと辺りを見渡せば、年季が見て取れる旅館らしき建物がいくつも見受けられる。海沿いの街だからだろう、潮風に当てられて風化、ヒビ割れを起こしている箇所がたくさんある。
そんな古びた建物に入る勇気は無いので、これまでも何度か行ったことのある温泉に寄ろうと決める。
(確かあそこには売店と休憩所もあったはず……)
過去の記憶を頼りに建物を探す。そして、その建物は意外とあっさり見つかった。
(何か変わっているところはあるかな)
懐かしさを覚えながら自動ドアを潜り、建物の中へと入っていった。
「────あれ、澪様じゃないですか」
休憩所に立ち寄ろうとしてみれば、そこには茅ノ間唯姫が居た。