「それで……もし泊まるとして、着替えなど生活に必要なものはどうするのでしょうか?」
唯姫から奪った大トロを口の中へ放り込み、純粋な疑問を投げかける。泊まるという選択肢を取った際、どのように行動すればよいかの指標が一切無い状態だ。
唯姫も私の決断を迫り、はやくはやくと話を進めて来るだろう。頭の中を整理するための時間を稼がせていただこう。
「そんなに考えなくても大丈夫ですよ、お泊まり会みたいなものです。大トロ返してください」
まずは可能性を考察していこう。唯姫の提言を無視し て帰った場合、寮に居ても襲われる危険はあるかもしれない。もしそれが無いとしたならば、唯姫が泊まるよう勧めてきた理由の説明が必要となる。考えるべきは、唯姫の行動は善意からなのか、それとも悪意からなのか、若しくはどちらでもないの三パターンでいいだろう。
「着替え用の下着と制服、タオル程度しかこのリュックには詰めていませんが……」
善意からだった場合、確かに寮に危険がある可能性は高い。唯姫も私の力量を知っている訳なので、対処出来ないことも充分に考え得る。また、唯姫はその事態に対処する手段を持っているのだろう。泊まる行為自体が対処する手段なのかもしれない。悪意からだった場合、当然唯姫の家に泊まるのは危険だ。理由は全く検討がつかないが、寝込みを襲われる危険だってある。
────いや、唯姫が私に危害を加えるつもりであれば、自分の家に呼ぶ理由は無い……? 私は一人部屋で、鍵なんて付いてて付いていないようなものだ。夜中の就寝中に侵入されれば、私でも抵抗のしようがない。
「澪様、いつも制服しか着ないじゃないですか〜。私の制服、貸しますよ。サイズが合うかは分かりませんが、伊勢エビ返してください」
それならば、全く知らない殺人犯と唯姫に襲われる可能性、どちらが高いと言えるだろうか。唯姫は仮にも同じレギオンのメンバーとして共に戦ってきた仲間だ。唯姫に襲われる可能性は前者と比較してかなり低いと捉えていいだろう。単なる願望ではない。
「下着の問題もあるでしょう。今着ているのを含めて二セットしかありません」
そして、どちらでも無かった場合も考えられる。ただ単に、唯姫が私に泊まって欲しかった……などそういった感情があるかもしれない。その場合、帰っても帰らなくても危険性はゼロに等しい。やはりこれについては考察する意味は無いだろう。
「うちは一日一回洗濯回してますから、すぐ干せば乾くと思いますよ。お風呂も系列店で天然温泉がありますから、ホタテの酒蒸し返してください」
そうすると、比較すべき点は必然的に、唯姫の言う殺人犯と唯姫自体の危険性となる。今日の出来事から唯姫を疑いたくなる気持ちはあるが、ここを感情論で語ってしまってはいけない。慎重に、唯姫の話は虚偽か真実かを比較しなければならない。
「具体的には何日間ぐらい茅ノ間さんの宅で過ごすこととなるのでしょうか?」
いや……ここを二択で考えてはいけないだろう。今日の私は、少しばかり偏屈になっているのかもしれない。唯姫自身が事態を間違えて捉えている可能性だって勿論存在する。その可能性を含めると、泊まらない方に天秤が傾くことはあるだろうか。
「まだ分かりません……が、最低三日間とカレイの煮付けはいただきたいですね 」
三日間というのは、行動を起こすまでの時間なのか。それとも、三日間で決着をつけるということなのか。
「茅ノ間さんはその間、何をなさるのですか?」
直球な質問も悪くはないだろう。もし拒否するようであれば、徹底的に問い詰めるだけだ。答えてくれなくてもいい。それも一つの情報となるのだから。
「そうですね……私は問題の解決を図ります。澪様は家でゴロゴロしていてください。それと……」
「それと?」
「……私のお魚さん、全部無くなっちゃいましたよ?」
「そうですか、では私の分を食べてください。これなんて美味しそうじゃないですか? “サーモンとモッツァレラチーズのカプレーゼ”」
「それは……まあ、もらいますけど〜……」
自分の気持ち的には、唯姫の言う通りに動きたくはない。しかし、俯瞰的に見るならば、唯姫の家に泊まった方がいい結果となる可能性の方が高いと言わざるを得ない。流石に同じレギオンの仲間だという信頼値が大きすぎる。そして、私は確率の高い方に賭ける。自分は今までそうして生きてきたのだから。
(……こんなにも身の危険を感じたのは初めてだけど)
「私が茅ノ間さんについて行くのはどうでしょう?」
泊まることにしても、いざとなれば何処へでも逃げ出せばいい。今は唯姫のことを信じてみよう。
……決して、思考を放棄している訳ではない。私の目の届かない様々な情報を確率的に考えての結論だ。その確率に変動が起こったときは、また行動を変えればいい。
「……やっとその気になってくれましたね! ありがとうございます、澪様!」
────あれ、表情に出ていただろうか? いや、そんな筈はない。ポーカーフェイスは一番の得意分野……だと思う。
「────茅ノ間さん、一つ伺ってもよろしいですか?」
「ええ、モチロンいいですよ」
「何故私が決めた考えが分かったのでしょうか?」
興味本位も交えた質問だ。それに、今は茅ノ間唯姫という人物をもっと知らなければならない。ひょっとしたら────
────彼女は、私が想像している以上のバケモノかもしれない。
「そんなに気になりますか?」
「ええ、とても気になります」
「全く仕方ないですね、澪様の為にも教えてあげましょう」
「私の……為に?」
「ええ、澪様の為です。まず────澪様の行動はとっても分かりやす過ぎます。行動理念……と言っていいのかは分かりませんが、必ず自分の利益になりそうな方向に動きますよね?いや、不利益にならなそうと言い換えてもいいでしょう」
「……ええ、そうですね」
「それを知っていれば後はカンタンです。澪様には私の家に泊まっていく考えに傾く情報を与え続ければ良いだけですから。今日はそれすら必要無かったですから、余計に。モチロン、百パーセントの精度で管理することは出来ません。なので、少しでも天秤を傾けてあげればいいだけです。澪様が計り間違えさえしなければ、私の求めるように思考を働かせてくれますからね」
「……」
「澪様なら勘づいちゃってると思いますが、今こうやって茅ノ間唯姫の考えをペラペラ喋っているのも、最後の後押しです。私が今とにかく欲しいのは、澪様からの信用ですから。もう気持ちは完全に固まったんじゃないですか?」
「…………」
────やはり、この子は普通じゃなかった。入学から今の今まで、一切そのような能力を見せる素振りは無かった……と、思う。今この現状、唯姫がこうやって自分を明かさなければどうしようも出来ない、非常に深刻な事態であるとも捉えられる。
「まぁ、気持ちが固まったのはよく分かりました。だって澪様、自分の中で何かを決断するとき、目つきが少し変わるじゃないですか。そのクセ、私みたいな人にはすぐ見抜かれちゃいますよ?」
「ええ────そうみたいですね」
「ちょっと、不貞腐れないでくださいよ〜? 逆に言えば、私くらいじゃないと気づかないんですから。あと、澪様の洞察力が凄まじいのは分かるんですが、もう少し他人を意識した方がいいですね。そんなんだから、私の掌の上で転がされてるような感覚に陥るんです」
そんな事は分かっている。分かってはいる……が、改めて言われると心に刺さるものがある。
唯姫の顔を見てみれば、明るい表情に笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「まあ、澪様だってお疲れでしょうし、続きの話は私の部屋でしましょうか。話してあげちゃいますよ、今回の事件のこと」
「…………っ!」
まさか────唯姫は事件と何か関係があるというのだろうか。
頭の中を整理するどころか、逆に掻き乱されているかのようだ。私一体はどうすればいいのだろうか。
気がつけば、最初にあった余裕は完全に消え失せていた。
「あと────ああ言っといて何ですが、私の言うことは信用しないでくださいね。せっかくの澪様の強み、潰しちゃ勿体ないですから」
「……当たり前です。分かってます、そのくらいのことは」
ふう────っと息をつき、瞼を閉じる。唯姫に言われた通り、私は他人に意識を向けることを怠りすぎている。それは、他人に興味が無いのとは違う。他人への気遣いが足りてない、他人を軸とした行動をしない、そういった意味なのだろう。
「それじゃ、今から私の部屋に案内しますね! ふふっ、誰かを私の部屋に呼ぶなんて初めてです、楽しみ〜」
唯姫は立ち上がりそう言うと、ついてきてください────と個室を出た。