過ちの刃   作:千年坂

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L7 突き落とします、容赦なく。

 

 

【十月二日木曜日午後三時十分 茅ノ間唯姫の自室】

 

 唯姫に連れられて入るとそこは、意外にも女の子らしいピンクの装飾が目立つ部屋であった。

 

 入ってきた扉側の壁際には、勉強机が置かれている。机上の棚には教科書が並べられており、私が一学年の時に使っていたのと同じもので、少しばかりの懐かしさを覚える。

 

 ピアノ柄の鉛筆立てには何も入っていない。しかし、過去に使われていたと思われるような汚れは付着している。トマトの形と色をした鉛筆削りも同様に、今は使われていないのだろう。

 

 机の端には写真立てが置いてある。映っているのは唯姫と────他に二人、どこかで見たことがあるだろうか? ……思い出すことは出来ないが、英ヶ野の制服を着た人物が映っている。三人とも明るい表情で手を繋いでいて、背景は英ヶ野のグラウンドとよく似ている。この二人は多分、同級生か何かなのだろう。

 

 部屋の奥にはベッドや本棚が置いてある。本棚の中には多くの漫画がや小説本が置いてあり、最近の漫画や、名前しか知らない有名な著書なども入っている。

 

 扉から見て左側に置いてあるテレビ台の上には、テレビが────いや、ただのモニターだろうか。見ただけでは分からないが、最新のゲーム機と共に置いてある。

 

「ここが私の部屋です、存分にくつろいでってください!」

 

 唯姫は柔らかな笑みを浮かべながらそう言うと、そのままベッドに腰を下ろした。

 

「……ええ、そうさせていただきます。ところで、茅ノ間さんはこの後どうする予定ですか?」

 

「私ですか? 私なら今日はやることありませんから、このまま部屋にいますよ」

 

 こうして普通に話している唯姫を見ていても、先程のような一面があるとは到底思えない。今日の唯姫が嘘だったかのようにすら思えてしまう。

 

 そして、この部屋を見渡すと、ある違和感に気がつく。その違和感の正体はすぐに分かった。

 

(この部屋────窓が、無い?)

 

「あれ? 澪様、どうかしたんですか?」

 

「……いえ、何でもありません」

 

「そーですか。じゃあじゃあ、折角来てくださったんですから、ゲームでもしましょうよ!」

 

「……勉強は?」

 

「ギクッ」

 

 実のところ、唯姫の学力を私はよく知らない。そんなに悪くは無いとななから聞いたことはあるが、一学年トップであるななの学力をアテにして話すことは出来ないだろう。

 

「そっ、そんなの後でいいじゃないですか! ゲームしましょうよゲーム〜」

 

「そんなことを言っていたら月様みたいになりますよ。学業の方はどうなんですか?」

 

「うーん……ほどほど?」

 

「まあ、少しだけならいいでしょう。それで、何をやりますか?」

 

 私はこう見えて、ゲームというものが得意だ。やはり天賦の才というものなのか、何でもそつなくこなしてしまえるのが私、京極澪という人物なのだ。唯姫の勉強の方も気にならなくは無いが、少しくらいは相手にしてやってもいいだろう。

 

 ────それに、私自身が気晴らしを求めていた部分はあった。落ち着きを取り戻すためにも息抜きは必要だ。

 

「なんでもいいですよ、澪様は何がやりたいですか?」

 

「それでは……この『テトリス』なんてどうでしょう」

 

「いいですね! 早速やりましょう!」

 

 そう応える唯姫の手の中には、既にそのカセットと思わしきモノが握られていた。私は唯姫から渡されたコントローラーを握りしめる。

 

 テトリス────言わずも知れた、世界的な落ち物パズルゲームである。そして、私が最も得意とするゲームのうちの一つでもあった。ルールは至って簡単、落ちてきた正方形四つ組のブロックを横一列に並べて消すだけだ。対戦となると少し難しいルールも出てくるが、基本的には積み上げて消すを繰り返すゲームとなっている。

 

(……? コントローラーが二つ……確か、唯姫は自分の部屋に人を呼んだことは無いと言っていたな……)

 

「じゃあ、対戦しちゃいます?」

 

「ええ。容赦は……しませんよ?」

 

「受けて立ってもらいますよ、澪様!」

 

 唯姫の声はとても弾んでいる。まるで年頃の女の子そのものだ。

 

 ……実際、年頃の女の子ではあるが。

 

「ところで澪様、こんな話は知ってますか? いや、澪様なら知ってますよね」

 

 画面を凝視しながら、唯姫は話しかけてきた。番外戦術か何かだろうか。

 

「知っています。どんな話ですか?」

 

「あなたは橋の上にいます。橋の下を通る線路の上には五人の作業員がいます。あなたは暴走したトロッコが作業員に向かって走っているのを見つけました。そして、橋の上にはもう一人、太った人が立っていました。この人はトロッコに気がついていないようで、突き落としてしまえばトロッコは止まり、五人の命は助かります。しかし、太った人は命を落としてしまいます。あなたが何もしなければ、五人の命は確実に助かりません。あなたは太った人を落としますか?────こんな話です」

 

 勿論知っている。トロッコ問題の事だろう。

 

 ────もっとも、私が知っているトロッコ問題とは少し違うようではあるが。聞いたことがあるのは、路線切り替えのレバーがどうこう……みたいなものであったと記憶している。

 

「それが、どうかしたのですか?」

 

「私は澪様の意見が聞きたいんです。澪様ならどうしま────ちょ、ちょっと、速すぎますって!」

 

「……私の意見を聞く前に、茅ノ間さんの考えを教えていただけませんか?」

 

 こんなにも擦られ続けている話、今更何を考えることがあるのだろうか。唯姫は私に何を求めているのだろうか。

 

「う〜ん……私であれば、容赦なく突き落としちゃいます」

 

「どうしてですか?」

 

「だって、五人の中には知り合いがいるかもしれないじゃないですか。だけど、目の前の太った人は、確実に知らない人です」

 

(……それは、前提がおかしい。唯姫のような人が本質を見ずに話すワケが無い。今の発言は多分、本心じゃない)

 

「分かりませんね。本当はどうなんですか?」

 

「何もしません。もしくは────」

 

「……もしくは?」

 

「あっ、また負けた〜! ちょっと、澪様強すぎませんか?」

 

「もしくは?」

 

「────私が橋から飛び降ります」

 

「それでは誰も助かりませんよ?」

 

「はい、助からないですね」

 

「……考え得る限り“最悪”の結果になると言ってもいいでしょう」

 

「最悪────確かに澪様にとってはそうなのでしょうね。でも、私は飛び降りますよ」

 

 私は茅ノ間唯姫という人物の考えが分からない。しかし、彼女は京極澪という人物の考えを分かっている……のだろう。そう思うと、あまりいい気分にはなれない。

 

「澪様はどう考えますか? ────なんてね。そんなの聞かなくても分かりますよ。澪様なら、太った人を突き落とします────」

 

「……?」

 

 ……あれ、もしかして、唯姫が私の考えを読み違えた? そんなことは果たしてあるのだろうか?

 

「────なーんて、そんなことはしませんよね。澪様は合理主義ですから」

 

「……合理主義だと言うのであれば、五人の命を救うために、太った人を突き落とすのが普通じゃないですか?」

 

「それは一般論でしょう。確かに合理主義者でそうする人は多いかもしれません。それと、そうするのが正しいというのは功利主義です。だけど────澪様は違いますよね?」

 

「……何が違うというのですか」

 

「やった! 初めて澪様から一本とれましたよ!」

 

「……」

 

「……えっと……」

 

「……」

 

「……説明する必要なんてありますか? 仕方ないですね、分かりきっている事ですが、敢えて言いましょう」

 

 一体唯姫は、何を語るのだろうか。そして、それは私にとってどのようなものなのだろうか。

 

 

 

「澪様にとって────他人の命は平等に無価値です。五人だろうが一人だろうが、太ってようが痩せてようが。そして、太った人を橋から突き落とすという行為は、澪様にとってはリスクでしかありません。誰が見ているかも分からないし、落とした事を罪に問われるかもしれない。それならば、見て見ないフリをするのが“澪様にとって”最も合理的と言えるでしょう。違いますか?」

 

 

 

 ────全く、その通りだ。ここまで私の考えそうな事を当てられてしまうのは、とても気味が悪い。

 

「……違いませんね」

 

「違わないでしょうね。あっ、別に、私が他人の考えを読み取る能力を持っている……なんてことはありませんから。ただただ澪様の行動は単純、それだけの話────うわっ、待って、ちょっと、負けちゃいますー!」

 

 そもそも、唯姫は何故トロッコ問題の話を持ち出したのだろうか。私に伝えたい事があったのか、もしくはただの興味からか。

 

 結局、今はこの話題の意味を知ることはできなかった。そして、それに気がつけるのはまだ先の話であった────

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