【十月二日木曜日午後六時半 茅ノ間唯姫の自室】
「ぐぬぬ……」
唯姫の部屋に入ってからどれくらいの時間が経っただろうか。隣を見るとそこには、悔しそうな顔でこちらを見つめる唯姫が居た。
「むぐぐ……まさか、ここにある全部のゲームで勝てないなんて……」
「才能の差というものです、諦めてください」
「むぅ……認めざるを得ません……」
少しだけというつもりで始めたゲームは、かなりの長時間に渡って行われた。時間の感覚が少し狂ってしまったのだろうか?
壁に掛けられた時計を確認する。長針が指しているのは一時十五分。短針はついていないタイプだ。ここの部屋に入ってきたのは────
(────あれ? 時計の針は……動いていない?)
部屋に入った際に時間を気にしなかった自分を悔やんだ。リュックから携帯を取り出し時間を確認すると、示されているのは午後六時半。感覚で言えば三、四時間ぐらい経っている気がするため、部屋に入ったのは二時から三時頃なのだようと適当な予想をする。
「茅ノ間さん、あの時計は動かないのでしょうか?」
壁掛け時計を指さしながら訊ねる。
「う〜ん、そういえばずっと動いてないですね。それと……」
「何でしょうか?」
「そろそろ『茅ノ間さん』じゃなくて『唯姫』と呼んでもらってもいいんじゃないですか? ほら、私と澪様の仲ですし」
私に仲良くした記憶は無い。しかし、呼び方に拘りは無いためどちらでも構わないところだ。
「ええ、特に構いませんが……唯姫さん」
「やったー! なんだか澪様にもっと近づけた気がします!」
唯姫は満面の笑みを浮かべている。よくもまあこんなにコロコロと表情が変わるものだ。
「ところで茅ノ間さん」
「唯姫です。何でしょう?」
「事件の話を詳しく聞かせてください」
────そろそろ頃合いだろう。本題に入るには丁度いいくらいの時間が経った。
「そうですね……でも、その前に」
「まだ何かあるのですか?」
「……私、お腹が空きました」
「我慢してください」
「嫌です。お腹が空いては口も回らないというものです」
どれだけ焦らすつもりなのだろうか。時間が経てば経つ程、聞きたい気持ちは大きくなっていく。
「ごはん持ってくるので、ちょっと待っていてください。モチロン澪様の分もありますよ!」
「……ありがとうございます」
「二千円です!」
「やっぱり要りません」
「ツケでもいいですよ?」
「要りません」
「多分もう作っちゃってますよ?」
「……要りません」
「しょうがないですね〜、今日だけは私の奢りです。何も食べないと餓死しちゃいますから」
「……はあ」
「じゃ、今から持ってきま〜す」
唯姫は立ち上がり、背中を向けて部屋を出ていった。その後ろ姿を見届けた私も、部屋を物色しようと立ち上がる。
この部屋には気になる点────言わば、不自然な点が多すぎる。普通の部屋と捉えてしまってはいけないだろう。事件と繋がりがあるかは分からないが、唯姫の過去を知るキッカケにもなり得るかもしれない。
(まず、この部屋には窓が無い。それなら────通気口は、どこだ?)
部屋の壁には壁紙が隙間なく貼られており、変な凹凸は見当たらない。天井を見るも、一面普通の模様が広がっているだけで、換気扇のようなものは存在していない。
明確に穴と呼べるものは、先程唯姫が出ていった扉ぐらいだろう。まるで牢獄だ。
(この部屋は一階。地下室とかあったりしないかな?)
ピンク色のカーペットを一枚一枚捲って確認してみる。扉はおろか、床下の点検口すら存在していない。ベッドの下を覗いてみても、本棚をズラしてみても、やはり隠し扉は存在しない。入口を閉めれば完全な密閉空間となってしまう。
しかも、クローゼットのような収納スペースも無いときた。
果たして、こんな部屋に唯姫は住み続けてきたのだろうか────?
プラグが繋がっていない石油ストーブは置いてあるが、少し付けっぱなしにでもすれば中毒まっしぐらだろう。そう考えていると、なんだか息苦しいような気がしてきた。気の所為だと思いたいものだ。
そして、唯姫が居ない今のうちに、手に入る情報は仕入れておきたい。しかし、この部屋から得られる情報はこれ以上無さそうだ。下手にノート等を開いて勘づかれてしまっても不味い。大人しく帰りを待つとしよう。
(そういえば……)
勉強机に置いてある写真立てを再び見つめる。何度見てもやはり、唯姫以外の二人の人物を思い出すことは出来なかった。しかもよく見て見たら、二人とも顔がそっくりである。双子の姉妹と言われれば納得がいく……というくらいのそっくりさだ。
(背景も……英ヶ野女學校のグラウンド────だよね?)
唯姫もこんな笑顔をするんだなと少し微笑ましくなる。今日まで唯姫に対するイメージなんてものは無いに等しかったし、感情表現が豊かな子だということも初めて知った。今日は私にとって、収穫が大きい日だったのかもしれない。
(まあ、あんなに怖い唯姫を見るのはもう嫌だけど……)
休憩室に居た唯姫を見て、心臓が飛び出るかと思ったのはついさっきの出来事だ。
今となっては、唯姫のあの行動も彼女なりに考えてのものだと分かっている。そして、唯姫の頭の良さというのも思い知らされた。
(あまり唯姫の事を考えるより、今は事件について考えた方がいいよね────ん?)
ふと、とある事に気がつく。写真の端をよくよく見てみると、写真を撮った日付も印刷されていた。
『43' 09' 23' 15' 03』
(九月二十三日……ついこの間の日付だ。今日は十月二日だから、約一週間前────あれ……? いや、違う……!)
『43』
(二千っ────四十三年! 今から……十年前!? 一体……どういうこと!?)
「────澪様」
「……っ!?」
「ご飯持ってきましたよ〜。豪華な海鮮丼です!」
「え、ええ、ありがとう……ございます」
(写真を見ていたことは────バレてなさそう……?)
唯姫の足音が聞こえ、半ば本能で元座っていた位置に戻っていた。少しでも戻るのが遅ければ、完全に怪しまれていたことだろう。
しかし、心臓の鼓動は落ち着かず、冷や汗もかいている。声のトーンも震えてしまっているかもしれない。
「澪様がこっちで、私がこっちです!」
「……ん? 私の方が具材が少ないような……」
「お昼の分、返していただきましたから! ふっふ〜ん」
具材が少ないなんてそんな事を考えていられる場合ではないが、何とか平静を保とうと普通の会話を心掛ける。
「……まあ、茅ノ間さんの奢りということであれば仕方ないでしょう」
「あれ? 意外とはやく引っ込みましたね。あと、茅ノ間さんじゃなくて唯姫です」
「そうですね、唯姫。ところで、事件の話はもうしていただけるんですよね?」
「はい、それじゃあ食べながらでも話しちゃいましょうか」
「……」
部屋には一時の静寂が訪れた。私は息を飲み、唯姫の最初の一言を待つ。
海鮮丼を持ちながら立ち上がった唯姫は、そのままベッドに腰をかけ、こちらを向いて語る体勢となった。先程までの明るい唯姫とは違い、私を見るその黄色い瞳からは、まるで生気を感じることが出来なかった────