Re:OOO -いつかの明日を求めて-   作:オタクヤミー

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 アンクが曇るターンはオワオワリ! オーズはそんなひたすら暗い話じゃないので!
 そろそろこう……明るい話をね……。
 


第8話 パンツと欲望の匂いと人助け

 

 窓から射し込む朝日で目が覚めた。

 

 網膜を刺激する眩しさに思わず顔をしかめ、しかし二度寝をするような気分にもなれず、未だ残る眠気を振り切って瞼を押し上げる。焦点が合わずぼやけた視界を何度か瞬きすることで調整すれば、目の前に見慣れぬ(みなれた)屋根裏部屋が広がった。

 しばし状況を把握できずに固まり、数秒置いて回りだした思考が昨日の出来事を思い出させる。映司そっくりなグリード・“エイジ”と出会ったこと、ヤミーとの戦い、そしてクスクシエでの居候が決まったこと。アンクがぐるりと部屋を見渡せば、昨日の出来事が夢でも何でもないことを証明するかのように懐かしいあの屋根裏部屋の姿が次々と目に入り、それがまた郷愁を感じさせた。

 

 ふぁ、と欠伸を一つして上体を起こし、ベッドの上で伸びをする。昨日あれだけ動き回ったにも関わらず、もうすっかり疲労は抜けたようだ。

 今のアンクにとってはここは慣れない空間だが、“かつて”は飽きるほど……といっても一年にも満たない期間だったが、とにかくそれだけの間は過ごした場所だ。今回はまだ一晩過ごしただけではあるが、落ち着かないなんてことはなく、快適な眠りだったと思う。

 

 ただし、それは違和感がないというわけではなく。

 

「あ、起きたんだ。おはよう……で、いいんだっけ、こういう時」

「…………ああ、合ってる」

 

 ベッドから見える景色だけがあの頃とは違う。

 “かつて”であれば部屋全体を見下ろしていたはずが、今の自分は見上げる側。アンクは今、映司が使っていたベッドを使っていて──エイジはそんなアンクのことを高い位置に置かれた自分のベッドから見下ろして、にっこりと笑った。

 

 

 トントン拍子にクスクシエでの居候とエイジのアルバイトが決まったが、アルバイトの方は即日というわけにもいかなかった。

 といっても、別にエイジの仕事への慣れがどうこうという話ではない。もっと単純なこと──つまりは生活するにあたって必要になる日用品を何も持っていないという話である。それを知った知世子の「色々と必要なものを買いにいかないといけないわね」という一言で、とりあえずの今日の予定が決まったのだった。

 

 泉家から持ってきた自分の服に着替えつつ、必要そうなものを頭の中でリストアップする。

 そこそこの金がかかりそうではあるが、出せない金額でもない。どうせ急場凌ぎでしかないわけだし、ちゃんとしたものはアルバイトを始めた後に本人の金で買わせればいいだろう。勿論、その前に今日使った分の金は返してもらうが。

 一つだけ買い物にあたって少々心配、という程でもないが、気になる事があるとすれば……。

 

「おい、エイジ」

「なに?」

「お前、その服はどうやって手に入れたんだ」

「え、これ? ただの擬態だよ、腕と一緒。人間はこういうもの着るっていうのは知ってた気がして……っていうか、人間に擬態したらこの格好だった」

 

 アンクに言われたことで興味でも湧いたのか、エイジが自分の着ている服をためつすがめつ眺める。予想はしていたが、何かしらのこだわりがあっての擬態では無かったらしい。

 エイジが着ている、もとい擬態しているのは、映司が着ていたのとよく似たエスニック調のゆったりとした紫のトップスとサルエルパンツ。生憎とアンクの好みからはかけ離れているため、こういった服を売っている店に心当たりはない。だからもしそういった服を要求されれば調べてから出かけなければならなかったのだが、その必要はないと見ていいだろうか。

 

 そう考えてから、そもそも金を貸してやる側がそこまで気を配ってやる必要もないな、と思い直した。

 昨日の食事の件に関してもそうだと、一晩経って冷静になった今なら分かる。あれはグリードであれば当然のことであって、本人が何も気にしていないのにアンクが憂いだのなんだのを感じるというのも可笑しな話というもの。いくらエイジが映司に似ているとはいえ、結局は別人、別個体の存在でしかない。重ねて見るからあんな風に動揺する羽目になる。

 ……もっとも、そうやって理屈だけできっぱり割り切れるのであれば最初からあんな風にエイジの一挙手一投足に感情を掻き乱されることなど無かったのだが。こればかりは慣れるしかないということなのだろう。

 

「ほら、さっさと行くぞ」

 

 そう言えば、エイジはすぐにベッドから飛び降りてアンクの後ろに付き従うかのようについてくる。

 そうだ、映司がこんな風に何も言わずにアンクにただ従うものか。これならエイジの方がよっぽど扱いやすい。それに寂しさにも似た感情を持つのも筋違いに決まっているのだ。

 

 そのままエイジを引き連れて階段を降りれば、もうすぐ開店ということもあって慌ただしく準備をしている知世子と比奈が笑顔で振り返った。

 

「アンク、エイジさん、おはよう!」

「あら、二人ともおはよう! 部屋、不便なところはなかった?」

「まあな」

「えっ……と、おはようございます!」

 

 まだ人間の中での生活には慣れないからか、エイジがワンテンポ遅れて挨拶を返すのを視界の端に留めつつ店内を突っ切る。このまま話していれば準備の邪魔になるし、そもそも無駄話を好む質でもない。

 

「それじゃ、いってらっしゃい!」

 

 慌ただしく追いかけてくるエイジの足音を聞きつつクスクシエから出れば、背後から知世子の声が追いかけてくる。

 久しく言われることのなかったその送り出すための、帰りが前提となっている言葉に、自然とアンクの顔に僅かではあれど笑みが浮かんだのを見た者はいなかった。

 

 

 

 

 どうせ買うものが多いならとデパートまで足を運んだはいいものの、物欲がない人間……ではなくグリードの買い物は、思ったよりも簡単に終わりそうだった。

 そもそも何が人間に必要なのかもわからないエイジは、見慣れない人間の道具に目を引かれつつも、それを欲しがったり、一目見ようと足を止めるということはない。好奇心丸出しであれこれと聞かれるよりはマシだが、あまりにもチグハグな様子はやはり紫のコアメダルの性質によるものなのか。一日と少しエイジと行動を共にしたが、まだその本性がどのようなものかは掴めそうになかった。

 

 万が一に備えてエイジのことを視界から外さないまま、スマートフォンのメモに書き込んでおいた買い物リストを開く。

 アンクだけでなく比奈や知世子の意見も入ったメモだが、彼女らが付け足したものの多くは買わないことになるだろう。何せ、男性、それも物欲がないタイプというのは、色々と物入りな女性が必要だと思うものの大半を必要としないのだ。

 

「歯ブラシ、タオル……箸やらコップやらの食器は店のを使うとして、靴もまあ、しばらくは使い回しってことで何とかなるな。後は服と下着と寝間着か」

「別の服を着てるみたいに擬態すればいいんじゃない?」

「馬鹿か、物がなかったらそこから怪しまれるだろうが」

「そういうもの?」

「そういうモンだ」

 

 特に比奈なんて仮にも男二人の部屋だというのに何の遠慮もなく踏み込んでくるのだから、その時に何の荷物もないのを見られたらその時点で詰みだ。

 比奈の性格やら何やらは“かつて”と変わらないので間違いなくやるという確信があった。アンク自身、自分がこんなことを言う、もとい考える日が来るとは思わなかったが、もう少し年頃の女性であるという自覚を持ってほしい。

 ……想像してみてから、ないな、と真顔になった。多分比奈は本人なりに自覚を持っているつもりでアレなので、恐らくアンクには矯正不可能である。そのあたりは信吾が一番の適任だ。なお、一般的に人はそれを丸投げという。

 

 それはさておき。

 

「とにかく、さっさと残りも済ませるぞ。あまり外にいてみろ、いつヤミーだのグリードだのいう連中に見つかるか分かったもんじゃない」

「ああ、うん」

 

 一番嵩張る服は後回しにし、まずは下着類を扱うコーナーに足を向ける。

 靴下だのパンツだのは多めに買っておいたほうがいいだろうからセット売りのものを、と手を伸ばし……いつの間にか背後からエイジが消えていることに気付く。

 

「なっ……!?」

 

 まさか、この一瞬で奇襲でもかけられたのか。だが周囲は悲鳴の一つも上げていない。

 状況が分からない中、とにかくエイジの姿を探そうとして──。

 

 

 

 

 

 

 下着売り場の、男物のパンツが陳列されているコーナーに身を乗り出す勢いで熱中するエイジの姿が視界に飛び込んできた。

 

「………………は?」

 

 いや、お前。何でそんなパンツなんてものを食い入るように見つめてやがる。他の何にも興味を示さなかったくせに、人間の生活に触れて最初に興味を抱くのがそれで本当に良いのか?

 まあわかる、確かにエイジが映司そっくりである以上はそういう可能性があるのはわかる。映司の明日のパンツ云々の話は未だにアンクの頭に鮮明に残っている記憶なので。……いや、それを踏まえてもやっぱりわからない。ほぼほぼ何の欲望ももたらさないであろうパンツに興味を抱くグリードとか、控えめに言って狂っているのではなかろうか。

 

「お前、何してんだ……?」

「ん? いやあ、これ、確か人間が服の下に着るものだろ? 他の人が見るわけでもないのにこんなに色々種類があるなんて面白いなって思ってさ」

「そうか……そうだな……」

 

 心なしかウキウキと弾んだ声音で、並べられたパンツの中でも柄が派手、もといアンクからしてみればセンスの欠片もないものを手に取るエイジの姿からは、昨日の歓迎会の時の無感動さなど微塵も見えない。

 ようやく欲らしきものを見せたことに本当なら安堵するべきなのだろうが、あまりにも馬鹿馬鹿しい流れに、アンクはげんなりとおざなりな同意の言葉だけを口にする。本当に、昨日の自分の受けたショックだの何だのを返してほしい。

 

「な、アンク。これも必要なんだよな? 俺が選んでもいい?」

「……勝手にしろ。後で金は返してもらうからな」

「わかった!」

 

 アンクの許可を得た途端、エイジは宝の山にでも向き合うように興奮してパンツを選び出した。数あるパンツの中から引っ張り出されるド派手かつセンス皆無のパンツ達に、思わずアンクの顔が引きつる。

 はっきり言おう、知人だと思われたくない。平日なだけあって周囲にあまり人はいないが、それでも落ち着かない気分になるくらいには無邪気な子供のようなはしゃぎっぷりである。

 アンクはエイジに気付かれない程度に距離を取り、大きくため息を吐く。もう舌打ちをする気力すらなかった。

 

 で。

 

「満足か?」

「うん。ありがとう、アンク!」

「そうか……良かったな……」

 

 結局、エイジが一通り見終わって満足したのは、それまでの買い物に費やした時間の倍ほどが過ぎた頃だった。

 その間にアンクがしたことと言えば、興味を示されなかった靴下や作りがゆったりしているために身長さえ分かれば試着の必要がないパジャマの方を先に選んだことくらいである。何故男物のパンツを買うだけのはずなのに比奈のショッピングに付き合った時のような疲労感を覚えなければならないのか。終わる頃にはげっそりして最早文句を言う気すらなくなるのもそっくりだ。

 

「……余計な所で時間食ったからな、服はさっさと選ぶぞ」

「え、ああ……ごめん?」

 

 果たして本当に悪いと思っているのかも疑問なものだが、今はそれにツッコミを入れるために使う気力さえ惜しい。耳を軽くつまんでやることで意思表示として、さっさと下着売り場を後にする。

 幸いと言っていいのかは分からないが、さっきまでの興奮は何だったのかというくらいに道中のエイジは大人しかった。そのまま普段はほとんど利用しないシンプルかつリーズナブルが売りの店に入り、適当に選んだ服をエイジに押し当てていく。

 

 エイジが擬態しているような服を探すのは面倒だったし、扱いがあったとしてズボンくらいなものだろう。そもそもあの手のズボンは合わせるトップスが限られるので、似たような服を持っていない限り着回しには向かない。

 アンクと大して背格好が変わらないのを考慮してサイズを選び、何着かを並べて似合いそうな色をピックアップしていく。……何故か手元に残ったのが紫ばかりになったのには思わず閉口した。

 

「サイズは俺と変わらないな。とりあえず、これとこれとこれ、あとはこれあたりか。試着して、ズボンはウエスト、あー、腰周りが苦しかったりずり落ちたりしないやつ選べ。着方は分かるか?」

「た、多分……?」

 

 使いどころを選ばないワイシャツやポロシャツ、顔を隠しやすいパーカー、サイズ違いのチノパン等を渡して試着室に放り込む。

 

「えーっと、あ、こういうことか。こんな感じなんだな」

 

 擬態していただけあって他のものに比べれば分かりやすかったのか、そう時間を置かずにごそごそと着替える音が聞こえてくる。

 時々苦戦しているのか、あれ、だのうわ、だのといった声が上がったが、しばらくすれば慣れたのかそんな言葉も聞こえなくなり、普通の人間よりもやや遅いくらいの時間で試着室のカーテンが開いた。

 

「こ、これで大丈夫……?」

 

 おそるおそるそう口にしたエイジが着ているのは、暗い紫のシャツに黒のチノパン。自分で選んでおいてなんだがこういうカッチリした服装をしたこの顔の男は非常に珍しい気がして、アンクは思わずまじまじと全身を見回した。

 

「え、何か間違えてる?」

「さっきまでと随分印象が変わったと思っただけだ。そんなことより、他も一応試しとけ」

 

 不安そうなエイジに軽くフォローを入れ、サイズに問題ないことを確認して再び試着室に押し込む。一度着たことでコツを掴んだのだろう、そこからはスムーズに着替えるようになり、選んだ数着の試着が終わるのは早かった。

 そのまま選んだ服を着せたまま帰らせようかとも考えたが、それはそれで先程まで着ていた服を持っていないのがおかしくなるので再び元の格好へと擬態させる。そうこうしていれば、会計を済ませて出た頃にはすっかり昼時を迎えていた。

 

 さて、とアンクはエイジを見やって悩む。

 昼抜きになるのはアンクとしては望ましくないが、かといって食事をしたところで不快でしかないであろうエイジを付き合わせるのも悪い気がする。流石のアンクにもその程度の配慮はできるのだ。

 だが、見方を変えればこれはチャンスでもある。今ここでエイジに味覚がないことを本人の口から告げさせれば、アンクの言動を不審がられることも少なくなるはずだ。今後のためにも、うっかり知るはずのないグリードの生態について口を滑らせる可能性は今のうちに少しでも減らしておきたかった。

 

「エイジ、何か食いたいものあるか?」

「え?」

「人間はこれくらいの時間に何か食べるんだよ。それともグリードとやらは違うのか?」

「ああ……」

 

 少々露骨な誘導だったかもしれないが、エイジがそれを気にした様子はない。昨日のことを思い返しているのかぼんやりした表情で相づちを打つ様子からは食事という行為に忌避感を抱いたりした様子は見受けられないが、かといって好んでいるわけでもないのは明らかだ。

 数秒考え込み、何と言えばいいのかわからないと言わんばかりに唸るエイジに目線だけで促せば、渋々と、それでいて申し訳なさそうに口を開いた。

 

「俺はいいや。アンクだけ食べて」

「つまり、昨日は無理してたのか」

「無理ってわけじゃないけど、必要はないかな。グリードに必要なのはセルメダルとコアメダルだけだから、食べても無駄になるだけだし。あ、別にアンクと仲良くなりたくないとかそういうわけじゃないからな?」

「はあ?」

 

 どうして食事と仲良くなることがイコールで繋がったのだろうか。この一瞬でどう思考が飛躍したのかが分からず、アンクは思わず聞き返してしまった。

 

「え、だって、昨日知世子さんが言ってただろ? 仲良くなるための一歩だって」

「……なるほど、そうなるのか」

 

 エイジにとって食事は未知のものだったはずだ。故に、知世子が言った言葉が人間にとってのスタンダードであると思ったのだろう。

 別にそれが間違いだというわけではないが、全てが全てそうかといったら勿論そんなことはない。あくまで前提となるのは栄養の摂取、及び食欲を満たすことであって、食事を共にすることで仲良くなるというのは副次的効果でしかないのだから。

 

「一緒に食ったからって仲良くなるわけでもないだろ。そういうパターンもあるってだけだ」

「そうなんだ。ああ、言われてみればそんな感じだった気もする。……うーん、でも、やっぱり言っておきたかった気持ちはあるかな。確かに脅しみたいなことされたし、コアメダルのことで揉めたりはしたけど、俺としてはアンクと上手くやりたいしさ」

「ふん、どうだか」

 

 わざわざあえて触れていなかったコアメダルの件を引っ張り出すあたり、本気であることの証左なのか、それとも馬鹿正直なだけなのか。アンクとしては色々と複雑な事情を抱えているせいでそれに素直に応えることはできないため、鼻を鳴らしてそう返すことしかできないのだが。

 

 それにしても、せっかく話題を振ったにも関わらず味覚について何も言わないのがどうしても引っかかる。やはり、味覚が有無をそもそも認識できないほどに記憶の欠落が激しいということなのだろうか。だとすれば、エイジが覚えていることと覚えていないことの差は一体?

 とはいえ、何がエイジを刺激するのかもわからない現状ではこれ以上突っ込んで聞くのはリスキーだ。味覚については昨日の様子から察したという体にすれば何とか誤魔化せなくもないはず、ひとまずはこれで良しとする。

 

「まあ、そんなことはどうでもいい。お前がいらないなら俺一人で軽く食べるだけだ」

 

 注文しない人間(ではないが)がいる以上、レストランのような場に行くことはできない。そもそもアンクはアイス以外の食べ物にこだわりがあるわけでもなし、フードコートあたりで軽く食べることにしよう。

 そう思って歩き出すのと──エイジが背後を振り返って拳を振るうのは同時だった。

 

「ごっ……⁉︎」

「エイジ⁉︎」

 

 何事かと見てみれば、全身黒ずくめにサングラスのいかにも怪しい格好をした男の腹にエイジの拳が埋まっているのが目に入る。男はあまりの拳の威力に泡すら吹き、そのまま気を失って倒れ込んだ。

 突然の凶行に目を見開いて固まってしまったアンクを尻目に、エイジは男を床に転がすと、その手に握られていた鞄を取り上げる。その鞄が男の格好にはあまりにも不似合いな民芸品を彷彿とさせるデザインをしているのを見て、アンクはようやく事態を遅まきながらも察した。

 好都合なことに周囲に人の姿は見当たらなかったから、一連の出来事の目撃者はいない。平日かつ昼時でほとんどの人が食事に向かっていたこと、そしてつい先程までいた店がデパートの端の方に位置していたのが良かったのだろう。あるいは、この男があえてそういう場所を逃走経路に選んだからこそか。

 

「エイジ、こいつは」

「泥棒? ひったくり? だったっけ、とにかくそんな感じだと思う。この人から俺が嫌いな欲望の匂いがしたから」

「欲望の匂い……こいつからか?」

「言っただろ、グリードは人間の欲望からヤミーを生み出すって。グリードは人間がどんな欲望を持ってるのか、どれだけ大きい欲望なのかが何となく分かるんだ」

 

 エイジは倒れ伏す男を見下ろし、睥睨する。

 

「この人からは、誰かを傷付ける欲望の匂いがする」

 

 吐き捨てたその言葉に込められた感情は、嫌悪、そして……やるせなさだろうか。ただ悪人を厭うだけではないその声音にアンクが様子を伺えば、エイジの表情が痛みを堪えるようなものに見えた気がしたが、次の瞬間にはその色は隠れてしまった。

 

 例えばこれが映司であったならどうしていただろうか。男を止めるのは大前提として、その男の欲望にどう向き合ったか。

 更生させようとするだろうな、というのは想像に容易かった。間違ってもエイジのように初手から嫌悪感を露わに排除にかかることはないはずだ。そう考えると今までアンクが見た中で最も映司からかけ離れている要素に思えるが、それだって元を正せば人助けの精神から来ているであろうあたり、そう単純な話でもないのかもしれない。

 

 まあ、今はそれを考えたところでどうしようもない。エイジの記憶さえ戻れば自ずと解ること、人の善を良しとし悪を厭う真っ当な性質を持ち合わせていることに確信を持てただけ進展があったと思うべきだ。

 アンクはそう自己完結すると、ひとまず倒れている男の様子を伺うことにした。

 

 意識が戻る様子はない。骨折は……パッと見たところしていないようだが、果たしてどうだろうか。過剰防衛だの何だのと警察に絡まれるのは御免被りたい。

 ……そういえば、昨日エイジの力の強さについて本人に伝えようと思って、結局タイミングを逃したままではなかっただろうか。思い出したそれに頭を抱えたくなりつつ、アンクは後ろで未だに男のことを見つめるエイジを振り返った。

 

「エイジ、やりすぎだ」

「え?」

「人間はそこまで頑丈じゃない、お前の力で殴られたら下手したら骨が折れるぞ。あとついでに昨日の二体目のヤミーの時みたいな運び方もやめろ、俺が吐く」

 

 苦言を呈せば、エイジはきょとんと目を瞬かせる。相変わらず変なところで抜けているとしか思えないその様に、アンクは今度こそ盛大なため息を吐いた。

 

「……力加減を学べって言ってるんだよ。お前だって、自分が下手をしたせいで怪我人出したくはないんじゃないのか」

「わ、わかった。気をつける」

「先に言っとくが、比奈は参考にするなよ。あれは人間の中でも特殊な例だ」

 

 念を押しておけば、エイジは事の重大さに気付いたのか無言で何度も頷く。これだけすれば騒ぎになるようなことは起こさないだろう……恐らくは、だが。

 

「すみませーん、この辺りで真っ黒な服装で鞄持った男を見なかっ……あー!」

 

 そうこうしている内に、ようやく事情を知っていそうな人間がやってきた。警備員を引き連れた男が倒れている不審者を指差して声を上げ、それを受けて警備員が不審者を取り押さえるために駆け寄ってくる。

 エイジに黙っているように手で示し、果たしてそれが通じているのかを不安に思いつつも一歩前に出る。そうすれば、自然と警備員の視線は背後のエイジではなくアンクへと向いた。

 

「失礼します、状況をお聞きしても?」

「そこで倒れてる男が急に走ってきたんだよ。格好は怪しいし鞄だけ目立つし、おまけにこっちに襲いかかる気配があったから止めた。正当防衛だろ」

 

 さらりと相手から襲ってきたことにしたが、真実を知るのはアンクとエイジのみなので何の問題もない。監視カメラでも見れば話はまた別かもしれないが、何ならアンクが気付いていなかっただけで実際に危害を加えようとしていた可能性だって0ではないのだ。事実、エイジはアンクの言いくるめに対して何の反応も示さなかった。

 警備員はといえば、いっそ心配になるほどにあっさりとアンクの言葉を信じたようだった。てきぱきとひったくり犯を取り押さえた彼らがアンク達を拘束しようとしたり不審がる様子はない。それどころか、恐らく被害にあったであろう最初に大声を上げた男は感激するかのような顔さえしていた。

 

「あの、ありがとうございます! 財布とかもそうなんですけど、この鞄、実は旅先で妻にプレゼントされた一点ものでして。戻って来なかったらどうしようかと……」

「礼ならこっちに言え。気付いたのもこいつを伸したのもコイツだからな」

 

 もう拘束される可能性はないだろうと判断してエイジのことを指し示せば、男はすぐ様エイジに頭を下げる。

 

「ありがとうございます! 本当に、何とお礼を言ったらいいか……」

 

 そこで男は言葉を切り、何を思ったのかまじまじとエイジのことを見つめる。そして何を思いついたのか、顔を輝かせてエイジの手を取った。

 何事かとアンクがぎょっとすることなど気にもせず、男は笑顔でエイジの手に名刺らしきものを握らせる。

 

「あの、俺、普段はこの近くで古着屋を営んでいるんです。お兄さんが着ているような服も多く取り扱ってるので、時間があったら是非のぞいてみて下さい! 一着サービスさせてもらいます!」

「は、はあ……」

「遠慮しないでください、本当に助かったので!」

 

 ぐいぐいと押されれば、エイジは断れずに男の誘いに頷いて名刺を受け取る。そのらしいと言えばらしい流れに呆れつつも名刺を横から覗き込んでみれば、そこには夢見町の外れの方の住所と聞き覚えのない店舗の名前が記されていた。

 

「良かったじゃないか、給料が入ったらそこで服を買っとけ。古着なら新品を買うよりも安上がりだろ」

「別に服にこだわりがあるわけじゃないんだけど……まあいいか」

 

 エイジがそう呟きつつ名刺を仕舞い──ふいに、弾かれたようにその顔を上げる。

 

「アンク、ヤミーだ」

「またか!」

 

 早速カザリが動いたらしい。あるいは他のグリードかもしれないが、アンクからしてみればどちらにせよ同じ事だ。

 予想はしていたとはいえ、こうも立て続けにヤミーと戦わされる身としてはたまったものではない。しかし無視するという選択肢がない以上文句を言ってもいられなかった。

 

「あ、ちょっと君達⁉︎」

「急用だ、話はまた今度にしろ!」

「すみません、急いでるので失礼します!」

 

 男が驚いて引き止めるのを無視してその場から駆け出し、先導するエイジを追いかける。

 ……どうやら、今日は昼食抜きになりそうだった。

 




 
・鷹野アンク

 使ってるベッドが原作と反対。普通の人間にあのベッドは正直寝相次第ではすごく危険だし疲れも取れにくいのでしょうがないね。
 エイジの服は自分が使わないものを渡そうかと思ったものの致命的に似合わなそうなのでやめたという裏話。


・エイジ

 映司に比べて悪人への当たりが強めなのにはちゃんと理由がある、色々と複雑なグリード。
 他者を害する前提の欲望は大嫌いだし無に返したい気持ち。

 パンツの好みが派手というよりは、色が分からないのでグリードの視界でも他と違いがわかるもの、つまり柄が派手なものに興味を引かれる。
 え、派手なパンツを穿くどころか棒に吊り下げてそれを担いで旅する人間もいる? 人間やっぱおもしろ……。
 
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