「――しんじゃう、しんじゃうよぅ」
荒く息を吐きながら、もう何度目かになる弱音を吐く。
未だ足先まで強張っているのに身体は怠く軋むようで、目には涙が滲んでいる。
絹より薄い月明かりの下、彼女の瞳が泡沫の夢めいて虹色に輝く。
「もしもあなたが死ぬのなら、その時は私も一緒です」
子をあやすような口付けを一つ落とされて、白く細い指が私の頭を撫でる。
つっぱっていた背筋から蕩けるように力が抜けて、そしてそのまま、彼女の手のひらが下腹部をなぞるように滑り込んで。
「だからもう少し吸わせてくださいね。愛してますよ、アニス」
「だから愛してるって言えばなんでも許しちゃうわけじゃないんだってば!」
すでに形骸化した抗議の言葉を、それでも私はユフィに伝えた。
いや本当、可愛い彼女が積極的過ぎて身体が保ちません。
「あのね、本気で明日は用事があるから……魔力不足だと辛くて……」
「別に私だってアニスの言う事を疑ってる訳じゃありませんよ。現にこうやって、外からしか触ってないじゃないですか。私はただ、アニスのお腹を撫で回してるだけです」
「うう、それで好き放題されちゃう我が身体が恨めしい」
精霊契約者になったユフィは、三大欲求のかなりの割合が私に向いている。
美味しいも気持ちいいも一緒になって、その上非常に食いしん坊なので気を抜くと気絶するまで搾られていることがしょっちゅうだ。魔力の話ね?
「で、明日は何が有るんですか? なにか実験でも? それとも素材採取に?」
「あーいや、ちょっと頼みがあるから、一回診察ついでにティルティに会おうかと」
私の腐れ縁であるティルティは典型的な
逆に私には
そう言ったら、ユフィの眉が急角度で吊り上がった。
「……つまり何ですか。アニスは私より、他の女性との会合を優先すると」
「いえその、そういうのとはちょっと違うと言いますか。学術目的と言いますか……あのう、ユフィリアさん、へその縁を指でなぞるのやめてくだひゃい……」
「わかっていますよ、ええ。ですがティルティと話すだけであれば、もう一口頂いても問題無いですよね?」
「からかわれるから嫌なんだってばぁ! やだ、バカになっちゃうー!」
気持ちを煽るようにくるくると擦る指を振り払い、お腹を丸めてガードの構えを取る。
まあ、こんなのいつも後ろから耳を喰まれて緩んでしまうんだけど。本当に好き放題やらせてると、明日動けるかも怪しくなってしまうから。
けれどユフィは、こちらの想定外に――先程のお芝居めいた嫉妬とは違う――ムッとしたような、酷く寂しげなような表情を浮かべて手を引っ込めた。
「え、あれ、ユフィ……? ごめん、何か当たった? 手、痛かった?」
「いえ、そういう訳ではありません。ただ……」
敵愾心すら秘めたような様子で、ユフィはそっと私の背中を擦る。
何故かは分からないけど妙に居心地が悪くなって、私は枕に顔を埋めた。
「私もティルティに相談したいことが出来たので、同行してもよいでしょうか」
* * *
「それで何の御用かしら、ユフィリア様? 惚気に来たなら蹴飛ばして帰らせるけど」
聞く人が聞けば不敬さに頭を痛めそうな発言を飛ばし、元から暗い顔にさらに仄暗い笑みを重ねて不遜にも頬杖をつく。
今までも薬や医師制度に関して、私を通じて"女王"から相談があることは無くは無かったけれど、この二人がこうして直接顔を突き合わせるのはかなり久々な気がする。
それにしても、具体的な話が決まってるみたいだからユフィの用事を優先したけれど、いったい何を相談するつもりなんだろうか?
女王としての案件は基本的に根回ししてから依頼するものだから、どちらかといえば個人的な事なんだろうけど。
「アニスに私の刻印を刻みたいのですが」
「帰れ」
「あ痛っ!! えっ、蹴られるの私!?」
「どうせアンタが変な事言ったんでしょうが、人をプレイに巻き込むんじゃないわよ」
「私だって初耳なんだけど!? いてっ、この、執拗にスネを……!」
ユフィの刻印って何のこと!? パッと思いつくのは、公文書とかに刻むアレだけど。
王家の所有物や管理してる物である事を示す印である。え、私管理される?
「あ、あのねユフィ。気持ちは嬉しいんだけど、さすがに首輪とかは付けたくないかなって」
「それもときめく提案ではありますが、真面目な話なのです」
違ったらしい。よかった、これで安心だね。
なんだかまだ首のあたりがヒヤッとするのは気にしないことにする。
「アニスがドラゴンの刻印紋を刻んでいる、刻む理由があったのは承知していますが、改めてそれが気になりまして」
「……主治医として言わせてもらうと、アニス様の刻印紋の影響は想定内のものよ。もちろん前代未聞の上に呪いまで受けている以上、危険性が無いと断言はできないけれど」
「想定内というのは、抱えるリスクまで含めてでしょう? アニスにいざ何か有った時に命綱になるような、私を辿ってこれるような何かが欲しいのです。どうせ今後も無茶をするでしょうから」
可能なら、鍵をかけてしまいたいくらいなのですが、というユフィの声が聞こえた気がした。
まあ、今まで散々心配はかけてるよね。ゴメンとは思うけれど、正せる気はしない。
「それで思いついたのが、私の魔力を混ぜることで中和できないかなのですが」
「……なるほど、首輪に鈴を付けたいってわけ。女王様は過保護ね」
「それに二人きりの時にあの紋が見えると、なんだか水をさされた気がして不愉快です」
「…………」
「ノ―! すねダメ! というかなんで私を蹴るの!」
「あっちを蹴っても対して痛くなさそうだからよ」
だからと言って私に当たるのはよくないと思う!
言い返してやろうと目を向けると、ティルティは案外複雑な、噛み潰した苦虫が実は酸っぱかったみたいな妙な顔をしていた。
「でもね、結局もう一個刻印紋に近いものを刻むわけでしょ? 既にひとつ、ドラゴンの力を身に宿してるだけでも人間には過ぎたものでしょうに。そこにさらに異物を刻み込む?」
「……思いついたままでしたが、危険でしょうか」
「逆に危なくはないかもね。尋常の魔力ならシンプルに塗りつぶされて終わりよ」
そう、例えば魔石を自覚する前のレイニが魔法を使うのに苦労していたのと同じ理屈だ。
命綱にする事を目的とするなら、仕様として
普通の精霊石で魔石の支配に勝てるわけがない。例外があるとするなら。
「けど
「リュミに聞いてみても良いけど、絶対知らないだろうね。ドラゴンの知識に刻印紋があるってことは、以前誰かが研究してたのかもしれないけど、精霊に近かったとは思えないし」
稀人と精霊契約者。竜と刻印。一つ一つに繋がりがあった事はあるのかも知れないが、こうして集まったのは奇跡以外の何者でもない。
となれば、知りたければ自分で調べるしか無いということだ。自分たち以外で実験も出来ないし、やってみるしか知る方法はない。
……でも、仮に出来たとしたら凄い事になる気がする。精霊を反応させるための魔力を外付けするというのは私の発想には無かったし、こんな形じゃなきゃ実現する方法もなかったけど。
「冷静になってみると、本末転倒な気がしてきました。リスク回避のためにリスクを侵すというか、つまらない対抗心のせいでアニスがどうにかなったら、悔やんでも悔やみきれません」
「悪いけど、ここで止めた所でもう止まらないわよ。だって面白そうだもの」
「言うねえティルティ。他人事だと思って……」
「あら、止まらないのは私じゃないでしょ?」
半笑いのティルティが、こちらに流し目を送る。
「うん。ティルティに言われるのはシャクだけど。私が『ユフィという精霊を通じて魔法を使える』としたら。それはとても、魅力的だよ。夢みたいだ」
「アニス……」
「ま、碌でなしをその気にさせた貴方が悪いわね」
「もちろん、発起人として責任は持ちますが……もう少し考えて発言するべきでした」
呆れたユフィがため息をついてるけど、口に出したからには責任を取ってもらわないとね。
やるぞー、ユフィの刻印紋開発!
「ところで、アニス様の方の用事はなんだったのよ?」
「あー、そっちは後でいいや。別に急いでないし」