「アニスフィア
薄暗い宮殿の冷たい石畳に、革靴の乾いた足音が響き渡る。
動き回るには重たすぎるようなドレスも、ずいぶんと着慣れたものになった。
「ご苦労さまです、グランツ。では
社交。政治。それに加えて、最近はこれも大切な日々の業務の一つだ。
どれも積極的にやりたいなんて思えないけれど、どうしても私がやらなきゃいけないこと。
「……アニスフィア様」
「あら、ユフィリア。どうかなさいましたか?」
「…………いえ、何も。お気をつけて」
泣きそうな顔で言葉を噛み潰したユフィが、頭を下げて私を送り出す。
本当は止めたくて仕方が無いのだろう。自分から進んで傷つきに行く私を、なんでそんなことするんだと縋り付きたくて堪らないのだろう。
ありがとう、貴方は本当に優しいね。どうかその指が紅く染まらないように、汚く穢れるのは私一人で十分だから。
真新しい、けれど飾り気の無い通路をグランツ公に導かれてしばらく、私は"眠り姫の篭"と呼ばれる、部屋の中の小部屋にたどり着く。
小窓から私の顔が見えたのだろう。中に入れられた人たちの、狂ったような叫び声が聞こえた。
『革命を! パレッティア王国の人民に自由を!』
『暴君め! このような檻にいつまでも人々を閉じ込めていられると思うなよ!』
『我々は最後の一兵まで正義のために戦い抜く! 必ずだ!』
「……相変わらず、元気な人たちだね」
こんな状況になっても、彼らに迷いや曇りのようなものはない。
きっと、誰かを
……その熱量が、今の私にはちょっと眩しい。私にあるのは、皆の
私は、貴族だけにもうこれ以上の不幸は背負わせられないと決めた。
民衆は、より多くの不幸を貴族たちに押し付けることを望んだ。
――どうしてこうなったのだろう、とは思わない。
多分こうなると思っていたし、こうするしか無かったのも分かってたから。
「レバーを」
「こちらに」
だから、せめて。
手のひらから溢れていく命だけは、私の手から落ちていくようにした。
作動レバーを引く。
どこかから空気が抜けていく音がして、代わりの気体が小部屋の中に充満する。
中の音がだんだん小さくなっていって、いつも指先から凍りついていくような気分になる。
遠い未来、教科書に記されるアニスフィア・フォン・パレッティアの代表作は、"箒"でも"虹"でもなく、きっとこれになるのだろう。
『ぐっ……かっ……』
『キチガイの……魔……女め……』
"眠り姫の篭"。
革命の火を吹き消し続けた、恐るべきガス室に。
――どうしてこうなったのだろう、とは思わない。
それはきっと、私が生まれるよりずっと前に決まっていたことだから。
それでももし、ほんの少しでも許されるなら。
国を、皆を、恨んでもいいのかな、アルくん。
* * *
「最悪の夢をみた……」
ガンガンと痛む頭を抑えて起き上がる。
朝日の気配は、まだ空の向こうに感じるだけで顔を出してすらいない。
静謐さと冷たさが混じり合った空気にブルリと身を震わせると、そのまま二度寝する気にもなれず机から1枚の手紙を取り出す。
「……まだ、期待半分、ってところなんだけどな」
どうにも夢の中の私は心配性らしい。
こういう時に暖かい隣人が恋しくなるが、残念ながら今日はユフィは居ない。
あるいは、ホットミルクなんか飲むとよく眠れるって言うけど。
「イリアたちを起こして淹れてもらうのも悪いもんね」
そうこうしてる内になんだか目も冴えてしまった。
起こしに来たイリアには怒られるかも知れないけど、軽い工作でもしてしまおうと寝巻きに作業着を羽織る。
「気が早いけど、できる準備はしちゃうかあ。無駄にはならないしね」
家族も愛する人も居ないなら、魔学が一番の友達だ。
鼻歌まじりに机に向かう私をよそに、だんだんと空が白んでいった。
「パッパラパッパッパーパパー、"HIT○CHI"~」
そして翌朝。出来上がった物を片手で掲げ、陽気なメロディと共に命名する。
「……なんです、それ?」
「これはねー、土の魔石を用いた振動装置に木のボールをくっつけたんだー。振動は3段階に調整可能でー、なんとリズム変更機能もあるの!」
ヴィンヴィンと私の手の中で震える魔具に、イリアが胡乱な目を向ける。
一晩でこしらえたにしてはいい出来だと思うんだけどな。
「はぁ、それで何に使うんです?」
「えっと……肩こりをほぐしたりとか?」
どれだけ効果があるのかは未知数だけどね。
なんか、知識としては「こういうものだ」って存在してるのに、その効能についてはふわふわしてるから不思議な感じ。
「ほぐれるんですか?」
「うーん……独特の感覚はあるけど、実際はよく分かんない?」
「回復魔法の方がいいんじゃないですか? 頭に」
「不敬! 不敬だよ!」
血流がどうとか言ってた気もするけど、どうなんだろうね?
ちなみにこちらの世界では、本当に重い頭痛とか肩こりとかだったら回復魔法で治すらしい。
幸い私はまだ若いからか世話になったことは無いけど、生活習慣的に老けたら考えなきゃかも。
「まあ、振動装置の実証の方がメインで、実際何に使うかはそこまで考えて無いんだよね。とりあえず手持ちにできるサイズだったからこうしただけで」
どんな魔具だっていきなり完成品から作ったりはしないから、最初はこうやって一つの機能だけ持たせてテストをする。
ポットだって最初は湯を沸かすだけで、自動で止まったりする機能は後から改良していった。
「要するにいつものガラクタなんですね。いつだったら捨てていいですか?」
「ダメだって! 一応これはこれで使える物なんだから! ほら、使ってみる!」
「きゃあっ!?」
今もなおブルブルと震えるマッサージ器を冷めた目のイリアに押し付けると、びっくりしたのか思いの外可愛らしい悲鳴が上がった。
「お? いい声だすねぇ……お客さんこういうのは始めて? どうどう? これはこれで新感覚じゃない?」
「やっ、ちょ……姫様、お止めください!」
「ワハハハハ、よいではないか、よいではないか~ほれほれ~」
いいね、イリアのそういう反応は久しぶりだから私も楽しくなってきちゃうよ。
そうしてしばらくむずがるイリアにジャレていると、ふと冷えた空気が部屋に流れ込む。
「――……いったい何をしているんですか? アニス?」
ギギギと開く扉の向こうに、目が笑っていない笑顔のユフィが居た。
「あ、いや、ユフィ、これは……」
「人が朝食だけでも一緒にと急いで帰ってきてみれば……ずいぶんご機嫌のようですね?」
「違うんだよ……これはただの、マッサージ器具で……」
「そうですか」
助けを求めて視線を巡らせると、あちゃーって顔をしたレイニを連れて、イリアがとっとと部屋を立ち去ろうとしていた。
いやいや、そこは主人を助ける所じゃないのかな!? とは思うものの、さっきまで追い回して居たのは私なわけで。
「その様子だと、昨日も夜更かしして疲れているのでしょう? こちらへどうぞ、少し揉んであげます」
ユフィはそう言ってベッドの隣に誘ってくれるけれど、そのオーラは食虫植物もかくや。
すわ万事休すかと思った所に、腕から小気味よく伝わってくる振動に気付いた。
「……そうだ、こっちには新兵器がある! 私だっていつもヤラれっぱなしじゃないよ!」
マナブレイドの如く正中に構え、脳裏に瞬くのはオサレなBGM。
「唸れ、HITACH○! 全!開!」
いざ、この振動が勝利を掴むと信じて――!
「やあぁぁぁっ、ぶるぶるお腹に当てるのやらぁぁぁっ!!」
「ずいぶん気持ちよさそうですね、私の指とどっちが良いんですか?」
「しょ、そんなの聞かないでぇっ! ユフィがしゅき、ユフィがしゅきなのぉっ!」