嵐の夜、白い枝   作:カチカチチーズ

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火の炉、知恵の瞳

◆─────

 

 

 

 

 

────知識とは力だ、知識とは武器だ、知識とは暴力だ。

 

 

 

 

 

 痛みが走る。自分の中にある筈のない部位が、空想の臓器が身もよだつほどの痛みが走る。

 まるで腹に突き立てられた錆だらけのなまくらな刃物でぐちゃぐちゃと不規則に下手糞にこちらへのなんら配慮もないような技量で腹の中をかき回されているかのような痛みが、それとも全力で振るわれたモーニングスターで何度も何度も腰を砕かれているにも関わらずそれが繰り返されミンチでも作られているかのような、少なく見積もっても常人ならば激痛で意識を手放すどころの話ではない。

 そんな痛みが絶えず、自分の中で何度も何度も走っていく。

 痛い、痛い、痛い。

 どうしようもないほどに痛い。

 だが、それらを全てただただ気力一つで無視していく。

 別に平気ではない。普通の人間と比べれば、それこそ怪物なんてものではないほどに頑丈であり痛みにも慣れている。慣れているとしても臓器の痛みから派生していくモノには思わずのたうち回りたくなるが、この場において気力で全て押さえこむ。自分だから出来る事、他の同類に耐えられるだろうか?という疑問すら思考の端で湧いてくるが、少なくとも約三名を除いて期待は出来ないモノだろう。

 何度感じてもキツイし辛いそれを経験、今後味わうかもしれない人々に変わらぬ敬意を胸の中で示しながら、彼は眼下を視る。

 

 

 炎。

 そうとしか表現できぬほどの炎の海が眼下に広がっている。

 どのような大火災が起きればここまでの光景になるのかも分からないほどのソレを前にして、彼は僅かに汗が滲みだすのを無視しながら炎の海を見据える。さながら巨大な焼却炉の中か、下手をすれば小さな村一つ呑み込んでしまえるほどの空間にあふれんばかりの炎、頭上を見上げずとも外気を感じない時点でこの空間は完全に密閉された炉であるのは彼も当然の様に理解していた。

 こんな場所に滞在など出来ないモノだが、だからといって脱出の為に何かを探すという行動一つしはしない。

 彼は知っているし、分かっている。

 この空間が何なのか、どうすれば出る事が出来るのか。だから、彼は宙に足場を作り眼下の炎の海を見下ろしている。

 

 

『オオオォォォォォ!!』

 

 

 炉の中に咆哮が響き渡る。

 ただそれだけで空間がたわみ、聞くだけで人体を破壊しかねないそれは炎の海を周囲にまき散らし隙間を埋める様に炎の海を広げていき、代わりにその炎の海の中心を晒しあげた。

 炎の海の底。空間の地肌が露わになった底にいるのは一体の巨人。萎びた両脚に反して筋肉の塊と形容できるほどに太ましい剛腕、金鎚を握る老巨人。

 萎びた脚のせいで立つことはなく、胡坐をかくように座っているというのにも関わらず普通の家屋を一棟、二棟重ねたとしてもなお足りぬその背丈、その威容は正しく眼下の老巨人が尋常の存在ではないことを如実に表している。

そんな老巨人が天井を仰ぎ見て、彼と視線がかち合った。

 

 

『来たか、エピュメテウスの申し子』

 

「どうも、おじい様。とでも、言えばいいか?」

 

 

 地に響くほどの低く厳つき声が先ほどの咆哮とまではいかずとも質量を有しながら炉に響いていき、それに対して彼はまるで軽口同然の返答をする。だが、その表情は言葉とは裏腹に一切の軽薄さなどありはしない。

 彼───玖堂朔真(くどうさくま)の表情に一切の遊びはない。

 今もこの瞬間、激痛が走っているというのにも関わらず、痛みなど顔に出すことはなく戦士としての敵対者へと向けるモノへと切り替わっている。

 だが、それは見上げる老巨人とて変わりはしない。

 人間の身の丈程はある金鎚を握りしめ、握らぬ手には光り輝く何かを携えて、その視線は敵対者への敵意を滲みらせながら。

 

 

「火、火山、雷、鍛治────ああ、輝き、太陽、とはな」

 

『我が身を覗くか、不愉快だなエピュメテウスの申し子。故に死ね、我が炉に焚べる事すらなく灰も遺らずに』

 

「お前が死ね」

 

 

 交わす言葉に団らんは無い。

 敵意と殺意だけが交錯し、どちらからともなく、死が殺到した。

 炉の天井部より降り注ぐ槍の雨。一つ一つに濃密な殺意が込められた槍が無尽蔵にそれこそ雨の様に一切の隙間なく老巨人へと降り注いでいく。まるで手品の様に、虚空から生み出されては降り注いでいくそれを前に老巨人はその手に握る金鎚を振るえば即座に老巨人の頭上を覆う巨大な円形の盾が出現し、まるで傘の様に槍の雨を全て受け止め切る。

 雨の様に降り注ぐソレは当然、十や百では済まない数。

 それらを受け止めながらも盾には微塵の傷も付いてはいない事に朔真は落胆も驚愕も反応はせず、指先で虚空を描く。

 

 

「────車輪は回る(タエグ)一年は終わり始まり巡る(ヤラ)かくして欠乏す(ニィド)

 

 

 盾でもって防ぐが為に視界が塞がった。それは致命的な隙でしかなく三種類の文字の様な記号が中空で円環を構築し始め、まるでミキサーの様な速度で回転を始める。

 何度も回っていくソレに伴って槍の雨では傷一つ汚れ一つも付かなかったはずの盾の輝きが少しずつくすみ始めていく。まるでそれは何年も整備の一つもせずに使い古してきたように摩耗しているかのようで───

 

 

『貴様、我を相手に何たる侮辱をしてくれる』

 

「敵の嫌がらせをするのは当然だろう。何より、敵の武器を使い物に出来ないようにするのは定石じゃないか」

 

 

 くすんだ盾は輝きへと変換され、大きく顔を顰めた老巨人がより一層敵意を剥き出しにしながらその手に握る輝きから雷光を迸らせ始め、金鎚を振るい火が蠢いて槍を作り出していく。それは先ほどの朔真の行った光景の返礼。

 作りあげられた投擲用の長槍は作られた端から朔真へと放たれていく。同時にその空隙に雷光が走り、無数の弾幕として朔真へと殺到していく。

 

 

天空神(ゼウス)の雷霆か。いや、違うな」

 

 

 眼前に迫るそれらを大気を蹴りつけながら、大きく曲線を描くように射線から外れ回避していく。無論、老巨人もまたそんな回避を許すはずもない。

 少しずつ長槍と雷の弾幕がその射線を回避する朔真へと合わせていく。だが、容易く追いつかれる程朔真の足は遅くはない。

 吹き抜ける風の様に、炉の中を駆け抜けていく。

 だが、老巨人はその程度では済ませない。回避し炉の壁へと突き刺さった筈の長槍が次々と壁から抜け落ちていき中空でその穂先を朔真へと執着しまるで誘導ミサイルのように追尾していく。

 

 

「鍛治、であれば当然だな。そういう武器を作りあげた。ここが鍛冶場であるが為か」

 

 

 背後から追いかけてくる長槍は、回避すればするほどにその数を増やしていく。雷だけであれば炉の壁へと衝突した瞬間にそのまま霧散していくが、長槍は放たれ回避するほどにその分がそのまま追加で後を追いかけてくる。

 そんな少しずつ不利になり始めていくというのにも関わらず、冷静にその思考を巡らせながらその不思議な色を持った泉の右瞳を瞬かせていく。

 

 

「“満たせ 満たせ 満たせ 地に満ちて 血を満ちて 生めよ 増えよ”」

 

 

 そうして、朔真が言霊を唱えていけば、一句一句、紡ぐたびに朔真を苛む激痛が大きく強く激しく、体の中で何かが蠢いているかの様なモノとなって襲い掛かる。

 普通ならば絶叫の一つもあげてもおかしくはない。ましてや、激痛でその動きを鈍らせて致命的な隙を晒してもなんらおかしくはないというのに、朔真はそれをおくびにも出さずに朗々と言霊を唱える。

 

 

「“この身は(はらわた) 偽りの杯────」

 

 

 膨れ上がる呪力。同時に虚空が歪み、雄々しい咆哮と共にそれは中空に姿を現した。

 

 

────ギィェヤァアアアアアアアッッッ!!

 

 

 巨大。無数の鱗を持ち蛇の様相を持った怪物。

 しかし、ただの大蛇などではない。蠢くは八の鎌首をもたげた頭、炉の壁を拉げ叩き付ける様に暴れるこれまた八の尾。一つの胴体に対して八頭八尾(やつがしらやつび)の妖蛇が姿を現してすぐさまその八尾の内一尾を振るって朔真を追尾していた長槍を蹴散らし打ち砕く。

 数百あった長槍はその半数以上が打ち払われたが、それでも何十本もの長槍が妖蛇の尾や胴体などに突き刺さっていき、逃れた残りの長槍がまるで高性能なラジコン操作でも受けているようにその場で方向転換をしながら妖蛇を避けて朔真へと追尾を再開していく。

 

 

『その権能……怪物の母胎、そしてギリシアの気配。エキドナの権能か!!』

 

「使い勝手は悪いがそれなりに重宝している」

 

 

 這い出た妖蛇の纏う気配から権能の元となった神の名を看破した老巨人へとそんな何とも言えぬ返答をした朔真は炉の底へと落下していく妖蛇を見送りつつ、自分へと迫っていく長槍への対処を始めていく。

 既に先ほどまで感じていた痛みは無く、削れていた精神力を戻して次の一手を切るために言霊ではない言葉を告げていく。

 

 

「鍛治に火、それは当然繋がる言葉だ。火が無ければ鍛冶は生まれやしない、そして人は文明の象徴であり鍛冶という物を加工する行為もまた文明の象徴だ。だが、これだけでは鍛冶神でしかなく、どこの神なのかは不明だ。では、雷と火山、この要素を有する鍛冶神と言う区分で言えばおのずとその正体も掴めてくる」

 

『ッ、我が来歴を無遠慮に探るか、エピュメテウスの申し子!!』

 

 

 自身を構成する内側すら無遠慮に暴き立てていく様に言葉を口にしていく朔真へと老巨人は不快に叫びながらその手に握る光り輝くモノより無数の刃を作り出しては放っていく。

 追尾してくる長槍をその手にいつの間にかに握っていた槍でもって打ち払い折り砕きながら風の様に空隙を縫いながら適切に対処しつつ、新たに放たれた刃を視界の端に収めつつやはり言葉を口にするのをやめることはない。

 

 

「オリュンポス十二神。天空神ゼウスと貞淑神ヘラの息子、鍛冶神ヘファイストス。

 それが、お前の名────ではない」

 

────ギィエャアァァァアアアッ!!

 

 

 咆哮と共に朔真へと迫っていた刃が横合いから飛んできた溶岩の様な塊によって吹き飛ばされていく。

 それに思わず老巨人が視線を朔真から咆哮の、溶岩弾の出所へと向ければそこには炎の海をまるで本当の海を退ける様にこちらへと突き進んでくる妖蛇の姿。

 如何に神獣であっても自身の領域、この炉に満ちる炎の前では容易く焼け死ぬと考え気に留めていなかったが故に、妖蛇が動いているのに気付くのが遅れた老巨人であるがそれでも神獣程度に遅れは取りはしない。確かに権能によって生まれた怪物、それに対して自分は鍛冶神、武器を振るう神ではない。だが、だとしても、神獣風情と、判断して朔真へと視線を戻す。

 

 だが、その判断は間違いだ。

 

 

「ヘファイストスでは、他の霊視に合わない。輝きとは?太陽とは?そう考えれば、次に思い浮かぶのはヘファイストスの類似神、つまりローマ神話におけるヘファイストスであるウゥルカヌスになる。ああ、ここまで言えばわかるか?わかるだろう、俺の瞳は既にお前を暴きたてた

 では、ここに知恵の新芽を手折ろう」

 

 

 頭上より落下し始める朔真。

 その手には先ほどまでの槍は無く、代わりにまるで折ってしまった若い木の枝の様なモノが握られていた。

 

 

「ウゥルカヌスの名の語源、これはヴェーダ語における輝きであり、元はインド・ヨーロッパ祖語に由来するものだ。そして、このヴェーダ語における輝きという物はインドにおいては火の神アグニや太陽神スーリヤの持ち物であるとされた。アグニの名はヘファイストスの名の語源ともなったと言われている。そして、俺の視た輝き、太陽とは、アグニ、スーリヤの持ち物であり、スーリヤそのものを表わす────お前はまつろわぬウゥルカヌス。太陽神スーリヤ、火の神アグニをエッセンスとして取り込みヘファイストスを主軸に据えた混合神まつろわぬウゥルカヌス」

 

 

 ああ、ちなみにヘファイストスは火山と雷の神であったらしいな。

 そう、後から告げた朔真はその手に持っていた木の枝を自身の胸、心臓へと突き立てる。そんな自殺紛いの行動に老巨人、まつろわぬウゥルカヌスは思わず瞠目する。

 ここで自棄になったのか?そんな思考が脳裏をよぎる。

 しかし、神殺し、愚か者(エピュメテウス)の申し子の思考回路など神たる己からすれば到底理解できないものと判断したウゥルカヌスは即座に目前へと落下していく朔真を殺すために金鎚を持つ腕を大きく振りかぶる。人の身の丈では到底及ばぬサイズの金鎚を神の膂力で振るえば隙を晒した神殺しと言えども致命傷を避けられないはず、そう判断したからだ。

 

 

『死ねッ、神殺しッ!!』

 

 

 朔真の頭蓋目掛けて腕を振るって───刹那、金鎚を持つ腕に激痛が走った。

 

 

『ッッッ!!??何がッ……!!』

 

────ギィェヤァアアアアアアアッッッ!!

 

 

 視線をそちらへとやるよりも先にその正体をウゥルカヌスは悟る事になる。振りかぶった腕に四頭が噛みつき、残った四頭が咆哮をあげながらその顎を開き溶岩の熱を喉奥より覗かせていたからだ。

 

 

『蛇だと……チィッ!!』

 

 

 神獣如きと捨て置いた、ウゥルカヌス自身の判断ミスが招いた事態に舌打ちつつも即座に噛まれていない手に持つ輝きより雷光が迸り始める。

 だが、すぐさま、自分が今誰を狙っていたかを思い出し視線を妖蛇から朔真へと向き直す。

 自身の目前、宙を風の様に浮く朔真の胸には大きく成長した枝葉が茂り、その向こう側に見える朔真と視線がかち合った。

 

 

「そういえば、蛇、アテナにこっぴどく振られていたなお前はヘファイストス」

 

『貴ィ様ァッツ!!』

 

 

 そんな挑発めいた言葉を聞いて、ウゥルカヌスは絶叫をあげる。だが、行動するにはもう遅い。

 言霊を口にしながら、朔真は自分の胸、心臓より知恵の枝を引き抜く。

 

 

「“泉の知恵を以て育む新芽 ここに我が臓腑を捧ぎ 一投一殺勝利の槍を”」

 

 

 心臓の血を啜り知恵を以て育まれた枝葉が、白い輝きを纏った槍へと整えられていく。

 知恵を司らずとも分かる。

 それは自分を殺す為だけに誂えられた武器である、と。

 

 

『アアァァァァッッ!!太陽よォォォッッ!!』

 

「いまさら、太陽か!!当然、それも織り込んでいるに決まっているだろうッッ!!」

 

 

 その手に持つ輝き、極小の太陽その断片が励起しはじめるがもう遅い。

 ウゥルカヌスのそれが機能し始めるよりも先に、朔真の手より放たれた白い枝の槍がウゥルカヌスの胸部を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

─────◇


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