SAOオリキャラ妄想短編集(嘘)   作:水野 四十坂Q

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前話とは逆の子の話です。


福音の天使

 チーズとベーコンを乗せた硬パンに、謎の野菜。そしてミルク。

 ここ最近のお気に入りだ。

「いただきます」

 最近、食前の挨拶をはっきりと言うようになった。

 パンを口に運ぶ。硬い皮に包まれたハードなパンに、ベーコンの肉感、塩気。ねっとりとしたチーズ。

 よく噛みしめる。パンのほのかな甘みが感じられる。奥歯が肉をぶちぶちと噛みちぎる感触を味わう。

 定期的に、ミルクで喉のものを流し込む。冷蔵庫に入れられていたわけでもないそれは冷たくもなく温かくもなく、まさしくぬるいと言った具合だったが、それゆえにとろっとした飲みごたえ、ミルク特有の柔らかな甘さを強く感じさせた。

「ふぅ」

 至福の時間だ。

 ちなみに、1層攻略中の現在ではパン以外はそれなりの高級品だ。僕がそれを好きに食べられるのは日ごろからそれなりに稼いでいるからーーいわゆる前線組だからだった。

 他のパーティメンバーに言わせてみれば、特にバフのかかるわけでもない無駄に高価な食事をするより、その金でポーションの一つでも買った方が生存率につながるといったところなのだろうが……この、自分で稼いだ金で贅沢をする、という行為が「イイ」のだ。美味しい食事に達成感というスパイスを入れてやるだけで、それが至福の領域にまで昇華されることを僕は知っている。

「ごちそうさまでした」

 食後の挨拶も丁寧に行う。これは、ご飯を美味しく食べられるようになってから身についた習慣だった。特に他に誰かいるわけでもないが。

 ……いや。これは僕が半ば無意識に、感謝を伝えているのだろう。茅場晶彦に。この世界の創造主に。この世界を作ってくれてありがとう、と。

 虚構が現実へと切り替わったあの日。他の全てのプレイヤーには彼が悪魔か死神に見えていたのだろうが……僕には、それが福音を告げる天使であるように思えていた。

 

 

 

 いい子。

 よく、そう呼ばれていた。

 父と母が共に、教育ママとかパパとか呼ばれる類の、自身の子の教育に非常に熱心な人間だった。僕は幼い頃から塾で勉強したり、水泳のスクールに通ったりして、「いい成績」を修めるように常に努力し、将来「いい会社」に行って、「いい人生」を送るようにと常に教えられていた。

 それが功を奏したのだろう。実際、僕の成績はそれなりに良い方だった。5教科の筆記テストはだいたいトップかそれに近しい位置にいたし、スポーツもまあ、苦手な自覚があるなりに高めのものを出せていたと思う。真ん中よりは上だった。

 だが、僕には当時悩みがあった。「レールの敷かれた人生」。テレビでよく聞いた言葉だ。他人に将来を定められ、自分で自由を選べず、傀儡のように生きていることを意味しているようだった。そして大抵、映像の中ではそんな人生を送っている人間が、それから抜け出そうとするのだ。どこでも、それがまるで善であるように扱われるのだ。僕にはそれが、いいことなのか、悪いことなのか、判断がつかなかった。

 だって、それは、まるっきり僕のことだったからだ。両親の言うがままに勉学に励み、習い事に行き、学校に行く。ハッキリ言って、僕の人生を決定しているのは僕ではなく、両親であるという自覚があった。

 では、僕は今の生き方を変えることが正しいこと、いいことであるのか?

 そうは思えなかった。そう仮定すると、今まで両親に勧められてきた道が間違ったものであるということになるが、少なくとも、僕が考えられる知識の範囲ではこれがいい人生である、という両親の判断に本心から同意していたからだ。僕が送れるものの中で、現状最適解であろうという思いがあった。

 では、現状に甘んじるのが正解であるのか?

 そうとも断言できなかった。だって、様々な媒体で真逆のことを主張されていたからだ。一人が主張するのならばただの個人の意見と切り捨てることもできたであろう。だが、同じことを多数の人間が主張するのならば話は別だ。多数決ではないが、不特定多数の人間が主張するのならそこに共通した根拠があるはずだ。だが、なんとなく、周りの同世代の人間は僕とは違うのではないか? という漠然とした考えがあった。なんというか、具体的に言語化できるわけではないが、彼らには「中身」を感じるのだ。人格に輝きが宿っているというか。僕にはその輝きが無いように思えて仕方がなかった。僕の人生は正しいはずなのに。

 僕は当時小食だった。食事を前にして、妙に箸が進まないという悪癖があった。別に腹が空いていないわけでも、味覚障害を患っていて味を感じることができない、というわけでもなく、正常であったはずだが、何故かご飯を進んで食べることができなかった。いつも母から出された食事を、冷え切ってしまうまで時間をかけて食べていた。

 ある日、僕は学校を休んだ。

 仮病だ。特に熱があるわけでもなかった。咳が出るわけでもなかった。だが、ここ最近、妙に歩くのが辛くて、たまには休んでしまえ、明日また登校すればいい、という考えで一日だけ休むことにしたのだ。両親も特に僕の仮病を疑うわけでもなく、ベッドでゆっくりしていなさいだとか、それなりの言葉を投げて仕事へ出かけていった。

 だが、平日の昼間、誰がいるわけでもない、特にやるべき用事があるわけでもない中、ただ適当に時間を過ごすというのは、存外僕には大変なことだった。

 最初、テレビを見ていた。だが、つまらなくてすぐ消してしまった。

 僕がテレビを見る時間帯といえば、バラエティ番組の充実した、17~21時の、いわゆるゴールデンタイムがほとんどだ。それで、僕の中でテレビというのは無限に時間を潰せるような、大層面白いものであるという認識だった。

 だが、この時間帯のテレビと言えばなんだ。退屈極まりない。淡々とした静かなニュース、将棋、ギリギリ面白そうなもので言えば街中を食べ歩くレポート番組くらいか。それだって正直興味がない上に、やっている時間も1時間とかそこらで、到底半日を潰せるようなものではなかったのだ。

 次に、本を読んだ。僕は少し前から小人や長耳族の出る、中つ国の小説にハマっていた。ボリュームも申し分なく、流石にそれを読んでいれば問題ないだろうと思っていた。だが、どうしたことだろう。まるで内容が頭に入ってこないではないか。本を読んでいるのは好きなはずなのだが、あまりに静かすぎる家の空気が気になってしまうというか、学校を休んでいる罪悪感が心に滑り込んでくるというか、雑念がとにかく読書という行為を邪魔してくるのだ。結果、僕は3ページほどなんとか読み進めたあたりで本をバッグにしまい込んでしまった。

 一応、外に遊びに行くという選択肢はなかった。自分が学校を休んでいるという身分を覚えていたからだ。体裁以前に、流石にそれは違うだろうという考えがあった。

 要は自覚が足りなかったのだ。普段僕はこの時間帯学校で勉強をするなりして過ごしている。何もしないでただ過ごす、という経験があまりにも不足している。なんなら土日だって予習や復習、習い事、外出をしているのだ。体が勝手に「忙しさ」を求めてしまって、ただ無為に過ごす、という行為そのものに体が拒否反応を示しているようだった。一度、仮病だったことを明かして学校に行ってしまおうかと思ったくらいだ。

 困り切った僕は、解決策を普段滅多にしないことに求めた。既存の経験から解決策を見出せないのであれば、未体験のものならばまだ希望があるのではと思ったのだ。

 

 そして、MMORPGに出会った。

 僕には、一台の小さなノートパソコンが与えられていた。僕は普段、それをウェブサイトの閲覧やちょっとしたミニゲームを遊ぶ程度のことにしか利用しておらず、その時初めて腰を据えてゲームを遊ぼうとした。

 正直、僕にとっては1日を過ごすだけの機能さえあればそれでよかったので、かなり適当に検索した記憶がある。僕がそれからしばらく遊ぶようになったのは、今考えてみれば極めて古めかしい2Dグラフィックで、アクティブユーザーも「過疎」と言われる程度に少ない、場末そのものと言ったゲームだった。

 だが、僕はそのゲームにドハマりした。

 最初期に色々アドバイスをしてくれたりした、親切なプレイヤーとのやりとり。自分のキャラのビルドを考える時間。素材欲しさにマーケットで売り買いをしたこと。みんなで集まって、イベントの高難度のボスを倒しに行ったこと。

 僕にはその全てが新鮮だった。

 MMOを通じて初めて、僕は「自分で考えて、自分で行動する」ということを体験したのだ。MMOの中でだけは、僕は、真に自由だった。

 だが悲しきかな、幸せなその時間は終わりを迎える。

 サービス終了だ。

 オンラインゲームには運営コストが発生する。あまりに不人気で、ユーザーからの収入よりも運営コストが大きいようなゲームは運営を終了せざるを得ない状況になってしまう。そのゲームは、僕が始めてから4ヶ月という短さでその短い生に幕を下ろした。

 人生で最大の、と言っていい程の趣味を失った僕は途方に暮れていたが、そこで当時のギルドメンバーが誘ってくれたのだ。

 人生の終着点。

 ソードアート・オンラインに。

 始めこそ、不安があった。あまりにも現実すぎたのだ。意のままに動き、目の前の景色通りに感覚をフィードバックしてくる肉体は、現実のソレと似すぎてて、悪い意味で、僕の愛した「ゲームっぽさ」が無いように思われてしまった。

 だがまあ、人間とは慣れるもので。実際にしばらく遊んでみれば不安はどこへやら。他愛無いコミュニケーションやビルドに悩む時間、みんなでの戦闘はあの時の楽しさのままだった。多少、戦闘がリアルすぎるあまりこれだけは慣れないものだったが、そこはソードスキルというシステムがある程度担保してくれている。興奮こそすれ、不満は一切起きなかった。

 まるで夢のような時間だった。あのMMOが、唯一僕が自由になれる場所が現実そのものと言っていいリアルさで実現されている。指も、目も、口も、四肢も、思い通りに動いていた。今まで、現実の肉体には魂が入り切っておらず、僕の本当の肉体は電子の世界にあったのでは?そう思ってしまうほど。

 ああ……だが、悲しいかな。これはあくまでリアリティなのだ。あくまで仮想現実。本当の現実ではない。19時……いや、18時にもなればこの世界からしばらくのお別れをして、またあの冷たく不自由な現実に帰らなくてはならない。僕にはそれが酷く苦痛だった。それの原因にはゲームを始めてから悪化しつつある両親との関係もあった。

 加えて言えば、MMOは他者と一緒に遊ぶゲームだ。僕一人がいつまでもログインしていても、他の人はそういうわけにはいかない。彼らにも僕と同じように学校が、仕事があって、こうして一緒にゲームをしている裏には現実を抱えているのだ。結局、僕の願望は、どうやったって叶いようのない、くだらない我が儘に過ぎなかった。

 楽しいなあ。本当に、本当に楽しい。いつまでも、こうして、このゲームで遊んでいたいなあ。

 現実なんて、いらないのに。

 そうした願いが、神に伝わったのか。

 17時。僕の叶うはずのない願望は、リンゴンと重く鳴り響くアラートと共に、叶ってしまった。

 茅場明彦は言った。

 僕たちは、これから、ゲームをクリアするまでログアウトすることはできない。

 現実の肉体は保護される。

 そして、ゲーム内でHPが0になると同時、現実の肉体も、死ぬ。

 なんて……ああ、なんて!!素晴らしいことだろう!!

 茅場は、その瞬間、この世界を仮初めではない、本当の現実に変えてくれた。

 ログアウトできない?24時間ずっと、この世界で過ごしていていいということじゃないか。

 死んだら本当に死ぬ?上等。だってここは現実なのだから。怪我をすれば死ぬ。それはあの地球だって変わらない。一緒だ。なんならポーションや街中の安全圏がある分、現実よりも圧倒的に安全とまで言える。なんなら、この世界に命を捧げるならそれはそれでいい。素晴らしいことだ。

 ありがとう、茅場明彦。この世界をくれて。僕を、自由にしてくれて。

 僕は阿鼻叫喚とした人混みの中で膝を折り、胸の中心で手を組んだ。その瞬間、僕は恐らく人生で初めて、最大の感謝の意を、この世界の神へ捧げていた。

 

 

 

 あれから2週間。僕は元気にSAOを攻略している。

 最初の頃は大変だった。街の外に出る人がいなさすぎて、パーティが組めなかったのだ。その頃は多少危険があったがソロで、戦える程度の敵をちまちまと狩りながら過ごしていた。今は多少外に出てくる人が現れてきたので、前のようにパーティを組んでダンジョンに潜っている。……最初の頃のように、ゲームを楽しんでいる様子がみんなに見られないのは、少し残念だが。

 恐怖に焦燥に、強迫観念。負の感情の展覧会みたいだ。ゲームなんだからもっと気楽に、楽しめばいいのにと思う。死の危険はあるけど、そもそもこれがエンターテイメントのために作られたものである、という部分は変わらないのだから。

 まあそれもしばらくのことだろう。ゲーマーとは適応するもの、といつぞやのギルドメンバーが語っていた。僕はこんなに楽しいのだから、みんなもじきにこのゲームの楽しさに気付くに違いない。数ヶ月とすれば、またあの楽しい時間が返ってくるだろう。

 

 ぶちり、と固めのパンとベーコンを噛み切る。そろそろ今日の夕飯も終わりだ。宿の窓から、美しい夜空を眺めて一息つく。

 ああ……本当に、ご飯が美味しいなあ。

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