ミスターシービーと契約を済ませた後、『散歩に行ってくるね』と言って彼女はどこかへ行ってしまった。こちらとしても本格的な仕事をするには準備不足なので、散歩やストレッチで身体を動かすくらいに留めてもらえるのは大変助かる。今の時刻はお昼時。トレーナー室のある棟と学生の教室のある棟は離れているが、廊下の奥から喧騒が聞こえてきた。
目下の問題はいつ皆に連絡を取るかだ。予想外なことに出会った子は皆トレセンに入学している。アグネスタキオンは…まぁフランスで達者にやるだろう。サプライズの面を考えるとやはり一人一人直接会って驚かせたいのだが、彼女らがどこに居るのかは把握出来ていない。
情報収集も兼ねて廊下を歩いていると、不意に目の前が真っ暗になり、何者かに抱えられて運ばれてしまった。
「ありがとよ。私はこいつと
「はい!」
ガラガラと部屋から出ていく足音が聞こえる。というかこの声には聞き覚えがある。
「…もしかしてシリウス?」
「…全く。不用心すぎるんじゃないか?」
健治に被せてある頭陀袋を取り、シリウスシンボリはニヒルな微笑で立っている。目に入る僅かな光に目を細めながら周囲を確認する。どこかの空き教室だろうか、窓にはカーテンが張られ、教室内は薄暗い。腕は後ろ手に縛られ、脚も丁寧に縛られている。硬い床が冷たく、少し痛いなと思いながらもシリウスを見上げる。…あ、黒だ。
少しの羞恥と罪悪感に苛まれながらも気を取り直して会話を続ける。
「不用心も何も、学園内でいきなり拉致する奴なんて君くらいだと思うよ」
「ククク…まぁ違いない。それで?ここに居るってことはもう正式にトレーナーになれたようだな。ずいぶんと早いじゃないか」
「うん。おかげさまでね。そっちは最近どう?」
「こっちはボチボチだ。でもまだちゃんとトレーナー枠は空けてあるぜ。どうだ?今の内から契約結んでおくか?」
「それよりこれ解いてよ。床も冷たくて痛いし、流石にこの状態はきつい」
「それは出来ないな。アンタは置かれている状況を理解するべきだ。ウマ娘と一対一で密室。何されても文句は言えないんだぜ?」
そう言いながら顎クイしてくる彼女はやはり絵になる。相変わらず良く顔を近づけてくる子だ。自分の顔の良さを自覚したうえでこうしてくるのだから手に負えない。
「シリウスは無茶なことはしないでしょ」
「何でそう言い切れる?現に攫ってるんだぞ?」
「俺はシリウスを信用してるし信頼してる。それで十分」
真っ直ぐにシリウスシンボリの瞳を見据える。
申し訳ないが、契約に関しては正直まだ早いとしか言えない。健治には実績も無い為、まだ一人しか担当を持てないのだ。それに彼女はまだ中等部2年。デビューまであと2年あるのだから、その間に自分よりももっと良いトレーナーに出会う可能性もある。
問答を続けていると、バゴン!という音と共に鍵が掛かっていたはずの扉が吹っ飛んできた。開いたのではない。吹っ飛んだのだ。歪に凹んだ扉が教室内の机や椅子を蹴散らしていく。そのあまりの光景に健治は言葉を失い、シリウスシンボリは獰猛に笑っていた。
「…!おいおい。ヒトに当たったらどうするつもりだよ。…白い稲妻!」
「……っ!」
開いた扉から入って来たのはタマモクロスだ。彼女は手足を縛られているこちらの姿を確認して目を見開いた。目の瞳孔が開き、耳を絞ってひどく興奮しているようだ。彼女の周りの空間が歪むかのような威圧感が放たれ、ビリビリとした空気が肌に刺さる。
「なにウチの恩人に手ぇ出しとんねんワレェ…」
静かに、どすの利いた声でタマモクロスが問いかける。健治でもここまで怒っている彼女を見るのは初めてだ。
「…いきなり犯人扱いとはずいぶんじゃないか。私が今助けようとしているかもしれないだろ?」
「シラこくなや。アンタんとこの後輩が健治を拉致ってたのはバッチリ見てんねん」
流石に分が悪いと感じたのか、シリウスシンボリは一度大きく溜息をついてタマモクロスを睨みつける。
「はぁ…今良い所なんだから邪魔すんなよ。空気の読み方も分からないのか?」
「黙れ。ウチの恩人に手ぇ出すな言うとるんやワレ」
「恩人ねぇ…。その割にはヤケに興奮してるじゃないか。アンタはそんなキャラじゃないだろ?」
「…何が言いたいねん」
「いつもは飄々と受け流す癖に、今はずいぶんと余裕が無いじゃないか。そんなにこいつの事が大事なのか?」
「っ!恩人は恩人や!ごちゃごちゃ言うとらんで早うそこ退きや!」
もはや売り言葉に買い言葉だ。このまま喧嘩になれば間違いなく巻き込まれてしまう。ウマ娘のパワーで暴れられたら、ヒトなんてゴミ屑同然だ。ヒートアップする二人をどうやって止めるかを健治は必死に考える。
①.誰かに連絡を取る
②.二人を何とか説得する
③.大声で助けを呼ぶ
④.ハンサムな健治は突如この場を綺麗に収めるアイデアが浮かぶ
⑤.何もできない。現実は非情である
①はスマホが前ポケットにあり、取り出せない為却下だ。
②は口論が激化しだしていて、いつ手が出てもおかしくない状況な為、声を聞き入れてくれるとは思えない。却下。
③はタマモクロスが扉を蹴破ってくれたおかげで声が外に届くかもしれない。それに、先ほどの破壊音で人が集まってきていてもおかしくない。
④⑤は…なんだこれ。
健治は③を選び、即座に声を張り上げる。
「だれ…っ!」
「おっと、大声出そうとするなよ。こんな面白い状況もそうそうないからな」
そう言いシリウスシンボリに口を塞がれてしまった。現実は非情である。というか顔が近い。流し目でタマモクロスを見ているあたり、煽る意味合いもあるようだ。
「ん゛ん゛~~!」
「こ、こいつ…!」
タマモクロスはそれを見て更にボルテージを上げ、もうどうなるか分からない。これは覚悟を決めるしかないと悟ったところで、ドンッ!と校舎を揺らすかのような大きな足音が教室内に轟いた。
三人が扉の入り口を見ると、腕を組み足元にクモの巣のような亀裂を生じさせている人影と、姿勢の正しい人影の二人組の姿がある。
「ふむ…ところでルドルフ君。この状況は修羅場という奴なのかな?久々に見たからちょっとドキドキしてしまうね。私も立候補したらどうなるか大変興味深くないか?」
「会長。この惨状を見てそのセリフはどうかと…」
「む、そうか?…そうだな。とりあえずシリウス君とタマモクロス君は反省文だな」
そう言い合い入って来たのは現生徒会長のシンザンと現副会長のシンボリルドルフだった。シンボリルドルフはこちらを見ると柔らかい笑みを浮かべる。
「言いたいことは山ほどあるが、ひとまずおかえり、健治」
「あぁ、ただいま、ルドルフ」
「君たちもこの惨状でそのセリフはどうかと思うんだが…まぁいいか。それにしてもそんな表情が出来るなんて驚きだ。そうしていれば皆も親しみやすいだろうに」
まじまじと顔を見つめるシンザンにシンボリルドルフは頬を赤らめて咳払いをする。
「シリウス。健治と話したいことがあるのは分かるが、やり方が強引過ぎるだろう。そういうのはちゃんとした姿勢で対等な立場に立ってやるべきだ。タマモクロスは…正直これを君がやったとは思えないのだが、もう少し冷静になるよう努めてくれ。これから何かある度に扉を壊されていては困るからな」
「ふん」
「すまんな」
二人の登場で熱の引いた教室内で、シリウスシンボリはすたすたと何事も無いように出て行ってしまった。申し訳なさげな表情でタマモクロスが縄を解いてくれる。
「ごめんなぁ。頭に血ぃ上ってて。もう少しで巻き込んでまうところやったわ」
「別にいいよ。俺の為にあそこまで怒ってくれたんだろ?凄い嬉しいよ。ありがとう」
「そか?ならよかったわ。へへ…なんや久しぶりに会っただけやのに嬉しいもんやな」
「はは、そうだね。にしても身長変わんないね?昔のままでびっくりしたよ」
「言うなやそれ気にしとんやで?健治は大きくなったのぉ。男前になったやんけ」
「歓談のところ悪いけど君は反省室行きだからね」
「うわ!いきなり真横に顔出すなや!ビックリするやんけ!」
ぬっと顔をタマモクロスに近づけたシンザンは続ける。
「状況的にシリウス君がトレーナー君を攫ったのだろうが、なにぶん証拠が無い。非通知で通報があったがその子が証言してくれるとは思えないしね。対して君の場合は扉にくっきり君の足跡が残ってる。心情は察するが、我慢してほしい」
申し訳なさげに通達するシンザンの言葉をシンボリルドルフが補足する。
「そもそも規則上傷害行為や破壊行為は禁止されていても、トレーナーを攫ってはいけないという規則は無いからな。見た限り健治の方には怪我は無いようだし、心の傷があるわけでもなさそうだから傷害とは捉えにくい。完全に規則の穴を突かれたな」
「別にええで。結果的に健治を守れたわけやし。反省文程度10枚でも20枚でも書いたるわ」
「ふふふ。実に健気じゃないか。というかルドルフ君もタマモクロス君も彼と知り合いなのかな?」
昔からの付き合いだと説明するとシンザンは何やら神妙な面持ちになる。
「(…となると彼の競争率はかなり高くなるね。今現在で優秀ながらも何故かトレーナーを付けていない子が何人かいる。その子とも知り合いの可能性があるとなると…ふふふ。面白いね)」
神妙な面持ちからいたずらっ子の様な笑みを浮かべる。入って来た時の一瞬の威圧感といい、なかなか掴めない人物だなと健治は思った。
「さて、いつまでも歓談とはいかないだろう。タマモクロス君と私はここの片付け。これは罰の意味もあるからしっかりやろうね。ルドルフ君は彼を連れて学園内を案内してくれ。新任故、設備等がまだ分からないだろうからね」
「私も片付けを手伝った方が良いのでは?」
「これも練習だよ。次期会長候補君。外部からのお客様がいらした時は会長自らが案内しないといけない。その練習のつもりでやってほしい。異論はあるかな?」
「いえ、ありません」
「よろしい。ハーイ!じゃあ野次馬の子も散った散った!かいさーん!」
手を叩いて廊下でこちらを窺っている生徒を散開させて、「あとはよろしく」とシンボリルドルフに丸投げされてしまった。
周りから好奇の目で見られ始めたのでシンボリルドルフを連れてその場を離れることにした。
すれ違うウマ娘から好奇な目で見られながらも廊下を歩く。居心地の悪い気がする健治と対照的に、シンボリルドルフは堂々とした足取りで先導してくれる。黙々と歩くのも気まずいので、横に並んで話を振ることにした。横に並んだ途端にびくりと反応されたが大丈夫だろうか。
「そういえば生徒会に入ったんだね。やっぱり目標は昔と変わらないの?」
「…ああ。『全てのウマ娘の目標となる』そして『全てのウマ娘に幸福を』。私の目標は変わらないし、その為にも生徒会に入り、会長の座を得る」
「野心家だねぇ。まぁだからこそ支えがいがあるんだけどね。困ったことがあったらちゃんと相談してよ?」
「ふふ、頼りにしているよ。それはそうと、なぜフランスにいる間に連絡をしてくれなかったんだ?電話も繋がらないし、手紙もダメなんて」
まさか手紙まで出してくれているとは思わなかった。向こうにいる間は両親くらいにしか電話をしなかったし、確かに少し寂しい思いをさせたかもしれない。
「ごめんごめん。ネタばらしすると君のお母様に口止めされてたんだよ。なんでも『帰国したときにルドルフ達を驚かせたいから』だって」
それを聞いたシンボリルドルフは呆れたように大きく溜息をついた。
「はぁ…お母様は全く…。だがまぁ無事息災。元気そうで何よりだよ」
そう雑談を続けながら設備を見て回る。トレセン自体の敷地面積がかなり広い為、すでにそれなりの距離を歩いている。そして最後の目的地である学生寮の前まで来た。
「ここが私たち生徒が暮らす寮だ。教師だろうとトレーナーだろうと入ることは許されない。健治を信頼しているが…変な気は起こさないように」
「まぁここにはもう来ないだろうしね。トレーナー寮からも校舎からも離れてるし」
さて、と姿勢を直してシンボリルドルフがこちらに向き直る。
「中央にようこそ。ここでは実力主義だ。人バ一体。努力を怠ることなく、ともに励み、ともに成長できるよう期待しているよ」
「ありがとうルドルフ。君やみんなの期待に応えられるように頑張るよ」
握手を交わすとシンボリルドルフのしっとりとした体温が伝わる。微かに震えているのは嬉しさか緊張か。
「あれ?こんな所でどうしたの?」
声に顔を向けるとミスターシービーが歩いてくる。運動着に着替えており、額には汗が浮かんでいる。
「あぁ、シービー。聞いてくれ、健治が帰ってきていたんだよ。4年も音沙汰が無かった彼に何か言ってやってくれ」
「ん~。さっきも会ったし話もしてるからアタシは別に。それより…」
ミスターシービーは健治とシンボリルドルフの間に視線を落とす。
ふとまだ握手したままなことに気が付く。こちらからは手に力を入れていないのだが、万力で固定されたかのように動かない。力を入れている当の本人はキョトンとしており自覚がないようだ。
「生徒会の仕事でね。彼に学園の設備を案内していたんだよ。」
「ふ~ん。それ以外にはないのかな?」
「ん、まぁ旧友を温めようという面もあるか。情意投合。彼と私は同じ方向を向いているからね。それよりシービー。君が自発的にしっかりロードワークをするなんて珍しいじゃないか。何か心情の変化でもあったのかな?」
何故か頬を掻きながら恥ずかしそうにミスターシービーは告げた。
「ふふふ。実はね…」
「健治がアタシのトレーナーになってくれたんだ」
「」内の終わりの『。』って必要ないんですね。初めて知ってびっくりしました。
指摘してくださった方。ありがとうございます!