いつも通りの日常。いつも通りの生活。目新しさがあるとすれば、明日、入学式と新任式があるくらいだろう。生徒会での仕事は入学式で、新任式に生徒は介入しない。何故新任式に生徒が介入しないのか。それは新人トレーナーを守るためでもある。一昔前までは生徒とトレーナーの顔合わせとして実施していたが、トレーナーのいない子が焦って無茶な契約を持ちかける事例が多発した為に今の体制になった。
私としてもその子たちの気持ちが分かる…とは言えない。中央に入って2年。未だに私へのスカウトは絶えず、それを全て袖にしている。そんな私が逆スカウトすら出来ない彼女たちの心が分かるなど傲慢というものだろう。
体育館で生徒会役員と共に入学式の準備をする。床にマットを敷き、生徒の動線を確保し、椅子の列に乱れが無いように指示を飛ばす。本当は現会長であるシンザンさんが指示を飛ばす立場なのだが、彼女は講堂で行われる新任式の準備の方に回っている。生徒会役員の手際は優秀で、スムーズに準備を終えることが出来た。
準備の終えた体育館を後にし、講堂の方へと向かう。あの会長の事だ、余計なことをしている可能性がある。足を速めて講堂に入ると、中は異様な静けさに満ちていた。作業している誰もが静かに丁寧に掃除をし、習字体で書かれた我が校の校訓である『
「ん。どうしたんだいルドルフ君。何か連絡があるなら電話でも良いだろうに」
「いえ、その…また変なことをしないかと気になりまして」
「あのねぇ。それじゃあ私がいつも変なことをしてるみたいじゃないか。いいかい?新任式は教職員や用務員、もちろんトレーナーも参加する。彼らは厳正な試験と面接をパスした得難い存在だ。そんな彼らをもてなすのに変なことできるわけないだろう?」
呆れた。この人は去年の新任式で何をやろうとしたのか忘れたのか。
「去年、会長が何をやろうとしたかお忘れですか?この講堂をクリスマスパーティーよろしくキラキラに装飾した挙句、ケーキやチキンを手配しようとしたことを…お忘れですか?」
私がジト目で彼女を見ると、『シューシュー』と不出来な口笛を吹き、目を逸らした。
今思うとあの時は大変だった。こう見えてシンザンさんはその実績と人柄故人望が厚く、役員は彼女の言葉に首を横に振れないのだ。夜遅くまで時間をかけて何とか装飾を撤去させて手配を止め、今日と同じような状態に出来た。
それを考えると今回の会場設営は100点満点だろう。激励の言葉を役員に送り、講堂を後にしようとすると、不意に肩を叩かれた。
「ルドルフ君。君さえ良ければ新任式当日に中を覗けるようにしておこうか?」
おそらくは100%善意なのだろう。来年デビューを控えているのに未だトレーナーを持たない私を心配し、不安に思っている目だ。
彼女は時々このような目をする。それは彼女が三冠を取り、生徒会長に就任した際に宣言した言葉のせいだろう。
『生徒会長の座はクラシック三冠。もしくは私の認める者にしか譲らない。それまで私は生徒会長を続けるし、この学園に在籍し続ける。私を超え、私からこの座を奪って見せろ』
事実彼女が生徒会長になって既に6年間その座は揺らがなかった。彼女は求めているのだろう。後継を。私は既に信念を告げている。そしてそれに彼女も共感してくれたが、一つ条件を付け加えてきた。
『それだけでは会長の座は譲れない。いくら信念があろうと有名バであろうと、実績という支えが無ければ誰もついて来てはくれない。だから手始めに三冠を取ってもらおうか』
私もその意見には賛同し、共通の目的を持つ同志になった。その同志がデビューすら出来なくなりそうなのだから笑い話にもならない。彼女は暗に言っているのだ。『そろそろスタートラインに立て』と。
だけどすまない。私の隣は既に予約済なのだ。
「配慮は嬉しいですが、すみません」
「そうか。だが早く私を安心させてくれよ?不安で9時間しか眠れないからな。全く最近は寝不足気味で困るよ」
それは寝すぎて疲れているだけでは?という野暮な突込みはしない。そのまま彼女はワザとらしく欠伸をしながら作業に戻ってしまった。
トラックをひたすら走る。全力は出さずに身体の軸をブレさせないように、流して、8割出してを繰り返す。あぁ、やっぱり走るのは良い。不安も焦燥も走っている間は忘れられる。
だがその時間も長くはない。太陽が景色に沈みつつあり、最後の輝きを放っている。もうそんな時間か。荷物の中からタオルを取ろうとすると手と手が触れ合う。
『はいタオル。ちゃんとクールダウンはしなよ?練習中にケガなんて、俺が許さないからな』
「…ふふ、分かっているさ」
そう溜息の様に呟き、荷物からタオルを取り出して汗を拭く。
「あと一年か…」
彼が約束を違えるはずがない。だからこそ、あと1年で私の前に姿を現すはずだ。その時成長した私を見てどのような顔をするか楽しみだ。
カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。目覚まし時計が鳴るより10分早く起きられた。いつもの様に顔を洗い、軽くメイクをして身だしなみを整える。皆の手本となるために乱れた服装は許されない。姿見鏡の前で何度も確認して寮の食堂で食事を摂る。私が朝食をとる時間は他の生徒より早いのでほぼ一人での食事だ。食事を終えて一度部屋に戻り、荷物を入れたバッグを持って部屋を出る。
「行ってきます」
相部屋なのに相方のいない部屋に虚しく響く声。私はこれを受け入れている。このようなことがもう起きないように私が変えていくと決めたのだから。
入学式が滞りなくスムーズに進行し、予定時間より少し早く終わった。これから生徒会主導の元、新入生に学園の設備案内をし、教室まで送り届けなければいけない。新入生は私の言う事を素直に聞いてくれて、カルガモの雛の様に後ろをついて来てくれる。ダンススタジオや歌のレッスンスタジオ等、あらかた案内して講堂の近くまで来た。予め現在新任式中なので静かにするよう伝え、講堂を通り過ぎようとすると妙な姿勢でいる人影が見えた。
「……会長……何をしているのですか…」
シンザンさんだ。その手には双眼鏡があり、講堂内を覗いていたのは間違いないだろう。案内を他の役員に丸投げして自分は遊んでいたのだと知ると流石に怒りが湧いてくる。
そんなこちらの心境を察したのだろう。慌てながらゴマを擦り始めた。
「いや~ははは。ほら…ね?」
「はぁ…。新入生の前なのですから軽挙妄動は慎んでください」
「だって最年少タイで中央に合格したトレーナーが来てるっていうから気になるじゃないか」
「頬を膨らませても絆されませんよ」
尚も目を逸らすシンザンさんは何やら思いついたように顔を輝かせた。
「そうだ。新入生の案内を私が引き継ごう。はいこれ。それじゃあ新入生諸君。私について来たまえ」
そう言って有無を言わせず強引に双眼鏡をこちらに渡して新入生を引き連れていった。この双眼鏡は…ラベルが張ってあるので間違いなく備品からくすねてきたのだろう。返しに行こうと歩き出すと、ふと足が止まった。
先ほどのシンザンさんはどこから覗いていた?来年防止する為に今の内に把握しておいた方が良いのではないか?
そう思い先程の位置に移動すると丁度窓のある場所だった。しっかりカーテンで覆われているはずだが、一部だけ目立たないようにカーテンが切られている。
なるほどここから覗いたのか。踵を返そうとするとまたしても足が止まった。何かが引っかかる。最年少タイで合格…。そこまでの傑物ならシンボリ家に話が来ないわけがない。それに最年少といえば東条家のあのトレーナーと同じレベルということだ。ますます気になる。
周囲を確認。ヨシ。双眼鏡で中を覗く。確かに全体が満遍なく見渡せるベストポジションだ。こういったことに関しては本当に多才を発揮する人だと感心してしまう。
ふむ。用務員、食堂スタッフ、医療スタッフ、教員、今年入る人員は例年より少ないのか。視線を横に流すと見知ったトレーナー達が並んでおり、その先には……。
「…っ!」
焦るな…慌てるな…見間違いかもしれない…いや、見間違うものか。自分の制御下を離れた尻尾を片手で押さえ込み、震える手で双眼鏡を握りしめる。間違いない。あの目、あの鼻、あの口、あの輪郭、あの髪型、身長が伸びて身体がガッチリしているが、彼だ。今すぐにでも彼の下に駆けだしたい欲求を抑え、その場を離れる。私の目標の為に、そんな無様な姿は見せられない。何より彼に呆れられるだろう。彼が中央に入ったのなら必ず近い内に会える。明日以降でも良いし、今日の放課後でもいい。
「すぅぅぅぅぅ…はぁぁぁぁ…」
深く深く深呼吸して内臓をかき乱すかのように跳ねる心臓を落ち着かせる。お昼までは授業、昼食後はトレーニングがあるのでその後だな。その時間なら余裕があるだろう。
「また会おう」
そう小さく呟いて再会時のリアクションへの期待に心躍らせながら、教室へと足を進める。
『はわわわわ!たたたタマちゃんさんが鬼のような形相で空き教室に向かってますううううう!!』
そんな一報が入ったのは昼休みも終わりに近づいたタイミングだ。匿名かつ非通知ではあるが、この声は間違いなく彼女だろう。
『早く止めに来てくださいいい!ああ!扉が!扉が!!』
電話越しに何やら破壊音が聞こえた。しかしあのタマモクロスが扉を壊すほどか。私がこのトレセンに来てからは一度も聞いたことが無い事例なだけにどうするか戸惑っていると、電話の内容が聞こえたのかシンザンさんがウキウキした様子でこちらの腕を掴んできた。
「さぁ!行こうか!面白くなりそうだ!!」
きっとこの人は長い事在籍している為に娯楽に飢えているのだろう。そうに違いない。廊下を静かに走ると目的地にはすぐに着いた。
扉が破壊され、中に人影は三人。タマモクロスは今にも飛び掛からんとしているがどう止めるか。それを考える間もなく凄まじい轟音と共に足元に大きく亀裂が走るのが見えた。これの修繕費の方が掛かりそうだと思いながらも中に入ると、縛られて地面に転がる人と目が合った。
「…っ!」
バレていないだろうか。尻尾は…辛うじて死角か。平静…平静を保つんだ。あぁ、ダメだ。顔のにやけが止まらない。再会まで時間があると思っていた為、何を言えば良いのか分からない。何とか言葉を紡ぐと彼も返してくれた。その反応がとても嬉しい。
今回はタマモクロスが彼を救った形になるが、あれが私だったなら…どうなっていたのだろうか。そんな取り留めもないことを考えていると、シンザンさんが彼を案内するよう提案してくれた。これも彼女なりの後押しなのだろう。それらしい問答の後に快諾する。
最初は彼が私の後ろをついてくる形だったのだが、間を置かずに隣に並んできた。瞬間ドクンと心臓が鳴り、今日何度目かの自身の制御を離れた尻尾が振れ出す。彼の留学前はこんなことが無かっただけに戸惑いが隠せない。尻尾が当たらないよう左手で押さえながら何とか案内を終えた。
案内している内に考えた歓迎の言葉を贈ると、こちらの期待した通りの言葉を返してくれる。手にした温もりは私からすると少し冷たいが、それでも心を溶かしてくれるものだった。
「あれ?こんな所でどうしたの?」
ふと声を掛けられ、そちらを見やる。ミスターシービーだ。彼女にしては珍しく、運動着に着替えて額に汗を流している。いつもなら平然と制服で歩き回っているので少々意外だ。
彼女も私と同じく健治の帰国を知らないだろうからと教えてあげるが、帰ってきた言葉は素っ気ないものだった。含みのある言動に思考を巡らせる。あぁ、そうか。ここは学生寮前だ。誤解を招くといけないので事実を告げると、不承不承ながらも納得してくれたようだ。
歓談ついでに先程の疑問を投げかけてみよう。
「それよりシービー。君が自発的にしっかりロードワークをするなんて珍しいじゃないか。何か心情の変化でもあったのかな?」
すると彼女は頬を染めて照れ臭そうにしだした。
待て。何故今の質問で頬を染める?日に照らされているわけではない。明確に頬が染まっている。不意に胸のあたりにモヤが掛かったような、息苦しさを覚えた。
「ふふふ。実はね…」
待て。何故目を逸らす?何故頬を掻く?その仕草はまるで……。
「健治がアタシのトレーナーになってくれたんだ」
「ダメだ!」
間髪置かずに私の声が辺りに響く。衝動的に出た声に私も慌てて言い繕うとするが、混乱した脳は何を言えばいいのか分からずに思考が纏まらない。
「あっ!…いやっ…ちがっ…私は何を…!」
「ど…どうしたのルドルフ。大丈夫?」
心配そうにこちらを見るミスターシービーと健治の顔を見ると心がざわつく。身体が、心がここに居たくないと叫んでいる。
「っ!すっ…すまない!」
私は逃げるように駆け出した。
寮に入り鍵をかけてその場に座り込むと、自分の言動への嫌悪感で胸がいっぱいになる。
何故私はあんなことを…。
彼はトレーナーだ。誰を担当に持とうが彼の自由だし、ミスターシービーなら実力に関しても申し分ないだろう。本来なら祝福してやるべきだ。なのに『おめでとう』の一言も言えないとは自分が情けない。それにこの胸のモヤは何なんだ。
悩めども悩めども胸のモヤは晴れず、ただ悪戯に時間だけが過ぎていった。
結局何故拒絶の言葉を口にしたのか分からないまま、次の日が来てしまった。スマホには健治からの着信履歴が残っているが、何故だか掛け直す気が起きなかった。寝不足な顔を他の者に見せるわけにはいかない。身だしなみを整えて校舎への道を歩くと丁度人影が見えた。
「やぁ。酷い顔だね。ルドルフ」
「ミラクルか。そんなにひどい顔をしているかな?」
朝が弱い彼女にしては珍しく、朝のジョギングだろうか。運動着に流れる汗を見て昨日の光景を思い出し、少しだけ顔を顰めてしまった。そんな私にお構いなしに、彼女は話しかけてくる。
「そういえば昨日、まだ保留だけど仮契約の逆スカウトをしてみたんだ。ふふっ。今でもまだ胸がドキドキしているよ」
何故そのようなことを嬉々として、今言うのだろうか。嫌でも昨日の光景を思い出してしまう。
「…それは重畳。お互い来年にはデビューする身だ。今からでもトレーナーが居るに越したことはないからね。その人は信用できそうかい?」
「うん。昔からの知り合いでね。おれの命の恩人なんだ。あの人に恩を返すためなら、何だってやるつもりだよ」
ケイエスミラクルとの付き合いは2年ほどだが、『恩人』の話になると彼女の瞳はとても輝く。それこそ絵本の王子様に憧れる少女の様に。ついぞその『恩人』の名前を聞くことは無かったが、事前に聞いておいた方が良かったと後悔した。
「トレーナーになるとは以前から聞いていたけど、まさかこんなに早くなるなんて思わなかったからビックリだよ。昨日君が案内しているのを見て本当に驚いたんだから」
嫌な汗が背筋を伝う。昨日感じた胸のモヤがまたしても大きくなる。
「…その…仮契約を持ちかけたトレーナーの名前は…?」
何故そんな質問をする?昨日私が設備を案内したのは一人しかいない。決まっているじゃないか。
白い肌をほんのり赤らめてケイエスミラクルが口を開く。
「羽柴健治だよ。今年入った新人トレーナーの。羽柴健治」
彼女の口から彼の名が出た途端に胸が締め付けられるように苦しくなった。拳を握り締める私を見て、それでも彼女は続ける。
「新人トレーナーは、最初に担当した子がシニアになるまでは他の子を持たないのが規則だけど、キャパシティの大きな新人も時には居る。そういう人を活躍させるためにも、実績さえあれば1年に一人担当を増やしても良いようになっている。おれはそれに立候補するつもりだよ。シービーさんなら多分、放っておいても結果を出すだろうからね」
…気に入らない。そう。気に入らないのだ。
「ん、もう良い時間だね。こちらばかり話をして悪いけど、またね」
そうだ。昔も今も、私の隣が彼の定位置であり、彼の隣は私の定位置だ。そこに誰かが居るのが気に入らない。
それが例え友人であるミスターシービーであっても。彼に恋い焦がれるケイエスミラクルであっても。
気に入らない。
この胸のモヤは嫉妬だ。
自己中心的な、浅ましく醜い嫉妬だ。
他の人の事情を鑑みないワガママだ。
この気持ちはひどい矛盾だ。
皆の手本になると。全てのウマ娘が幸福になれるような世界を作ろうなどと言いながら。
……それでも私は。
ゲンコラみたいなことをずっと続けてて、定期更新する人の偉大さが身にしみてわかりました。