月日が経つのは早いもので5年生になった。
家庭教師の先生曰く、この時期からフランス語を勉強し、中学からの5年間はフランスでトレーナー資格習得用のカリキュラムを組むそうだ。日本でもそういった職業訓練校のようなものはあるのだが、設備や教育レベルを考えるとまだフランスには追い付いていないらしい。健治としては英語ですら満足に理解していないので、なかなかにハードである。今までは土曜と日曜は遊ぶ日と決めていたのだが、その余裕もなくなり、ひたすら勉強にのめり込んだ。
「なんで俺、こんなに頑張ってるんだろ…。」
勉強が嫌いになったわけではない。ただふと思ってしまった。ふとした疑問は不安に変わる。健治の学校で周りを見ても、健治ほど勉強している生徒はいない。周りの子が放課後によく遊んでいるのを見ると少し羨ましく思う。なぜ自分はあの中に居ないのだろう。なぜ自分はトレーナーになろうと勉強しているのだろう。自分は本当にトレーナーになりたいのだろうか。なりたいのならその理由は何なのか。
最初は確かシリウスに聞かれた所からだ。その時は本当にトレーナーという職業自体を知らなかったな。
その後ルナちゃんにトレーナーになりたいのかを聞かれて、『自分に合ってるかも』なんて曖昧な返事をしたっけか。それでも彼女は輝くような笑顔を見せてくれた。今思うともう少し真剣に返事をした方が良かったのかもしれない。
その後シンボリ家当主にトレーナーになるなら支援すると言われた。この時自分の内にある何かがこの機を逃すなと言ったようにも感じた。あれは何だったのだろうか。その時の心臓の高鳴りが”ワクワクした”と勘違いさせて、あんなことを口走ったのだと思う。
タマちゃんと出会った時、”彼女が走っている姿が見たい”と感じた。なぜこんなことを感じたのだろうか。
「わっかんないな~…。」
思い返してみても結局のところは良く分からない。疑問が不安に変わり、不安が疑問を生む。何かちょっとした答えが欲しいのだ。それさえあれば、勉強は家庭教師の先生が趣向を凝らして、退屈にならないように教えてくれるから楽しく続けられるだろう。
少し考えてみるが自分の納得できる答えが出ずに、このままでいいのだろうかという不安は募るばかりだ。別にトレーナーを目指さなくとも、父の様に医者を目指しても良いのではないか?将来安定した職に就きたいなら、公務員を目指しても良いのではないか?
自分の目標や気持ちが分からず、かといっていつまでも悩んでいても仕方ないので、身近の大人に頼ることにした。
「母さん、ちょっと話があるんだけど。」
「ん?珍しいわね。そんなに改まって。」
母はカタカタとPCに家計簿を打ち込む手を止めてこちらに向き直ってくれる。健治は自分の今の気持ちと、これからどうやっていけば良いのかという疑問を相談した。
「……うーん。カウンセリングやってる私が言うのもなんだけど、やっぱり血は争えないってことねぇ。」
「血?」
「そう。そういえば話していなかったわね。」
母が父と出会ったのは二人が大学生の時だ。カウンセリングの勉強をしていた母が、医学の勉強をしていた父と図書室で出会ったそうだ。その時から父はウマ娘についての論文や医学書を机の上にこれでもかと重ねていたのが印象的で、母が興味を持ち、声をかけた。ウマ娘の何が父を魅了したのかは知らないが、ひたすらウマ娘に真摯に向き合う父の姿勢に惚れたのだという。父もそうだが、父方の祖父も怪我をしにくい蹄鉄の開発・製造に尽力している。要は父方は全員ウマ娘と関わりがあるのだ。それでもトレーナーを輩出したことはなく、その難易度の高さが窺えるというものである。
「けど血のせいでこれからの人生が決まるなんて考えちゃだめよ。私としては健ちゃんは別の道に行っても良いのだし、勉強がキツイなら一旦立ち止まっても良いのよ?大学卒業後にトレーナーになる人も多いのだし。健ちゃんが頑張っているのは私もあの人も知ってるから、文句は言わないわよ。っていうか文句言ったら私がぶっ叩いてあげるわ。」
血のせいと聞いて、タマモクロスに対して取った行動を思い返すと、何となくだがわかる気がする。普通公園で一人の子を見かけて声をかけるだろうか。その子が不健康そうだからと言ってわざわざ弁当を差し入れしようとするだろうか。その子が貧乏だと知って祖父に態々野菜を譲ってほしいだなんて頼むだろうか。あの時健治を突き動かしたものが家系の血だというのなら若干の納得もする。
「まだ納得いかないって顔ね。健ちゃんは勉強する理由が欲しいんだよね?」
「うん…たぶん…。」
「さっきも言ってたけど、健ちゃんは大阪で女の子を助けたのよね?」
「うん。」
「その子と初めて会った時、どう思った?」
「多分…”助けたい”だと思う。」
「じゃあその”助けたい”を理由にしてみたらどうかな?ウマ娘を一人でも多く助ける仕事に就くために、今頑張るの。まぁ頑張り過ぎ感はあるけどね。」
それでも悩む健治に母はため息を吐きながら、おどけた様子で続けてくれる。
「私からしたら健ちゃんは考え過ぎね。私なんてその時出来ることをやってたら自然とカウンセラーになっちゃったんだから。何となくで良いのよ何となくで。」
「ん~~…そういうもんなのかな?」
「意外と人生そんなもんよ。だから今出来ることをやってみなさい。失敗しても、勉強したって事実は将来必ず役に立つんだから。」
「…うん。わかった。頑張ってみる。」
部屋に引っ込み再び教材と向き合う。将来どうなるかは誰にもわからないのだ。だから健治はとりあえず今やれることをやるように決意した。
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「今度一緒に買い物に行こうよ。」
その一言で健治は今、ミスターシービーと一緒に大きなショッピングモールに来ている。休日ということもあってか周りは家族連れで賑わっている。前回来た時からかなり間が開いているためか、知らないお店が多数出店しているのが見て取れる。所々に開店セールといったPOPが目に付く為、最近開いたお店が多いようだ。モールを歩き、ミスターシービーのお目当ての店に来た。洋服関係に疎い健治でも聞いたことのある、若い年齢層に人気の洋服店だ。店内は若い男女で賑わっており、それがよく分かる。
ふと手近にあった洋服の値段に目が行った。シャツ一枚にしてもなかなかのお値段だ。お年玉貯金と貯めていたお小遣いを崩して持ってきたのだが、足りるだろうか。ミスターシービーは気心の知れた友人であるが、情けないところはなるべく見せたくない。そんな健治の事情を知ってか知らずか、ミスターシービーは商品を次々手に取って持ってくる。
「はい。これとこれ。そこに試着室あるから、とりあえず試着してみよっか。」
「…はい。」
有無を言わさず次々に商品を持ってくるミスターシービーに逆らえず、着せ替え人形にされるがままの健治。
「んー。こっちの方が落ち着いてるかな…?でもキミならもう少し明るくても良いかも…?いや…もうちょっと着崩してみた方が…?」
着せ替えた健治を見てあーでもないこーでもないと悩むミスターシービー。健治は黄昏ながらも、何故自分が着せ替え人形になっているのかを思い返す。
「そういえばキミってその服しか持ってないの?」
それは数少ない休日に、ミスターシービーの家でクインさんとマドレーヌを作る練習をしていた時だった。今ではクインさんが料理の師匠のようなものである。いつものように摘み食いだけを行い、ソファーで雑誌を読んでいたミスターシービーが思い立ったかのように話しかけてきた。健治は焼き上がりを待つ段階だったため、素早くスマホを操作した。
「いや?他にもあるよ。ほら…こんな感じのやつ。」
そう言って健治はミスターシービーに最近撮った家族写真の画面を差し出す。
「え゛…このタイプ以外の服は持ってないの?」
「後は上に羽織るジャケットと礼服しか持ってないかな。」
ミスターシービーは信じられないといった表情をしている。健治としては驚くところは何もない。基本的に持っている服は胸のあたりにデカデカとキャラクターのプリントされた服ばかりだ。実際今も健治の胸の前で大きなネズミの顔が満面の笑みを浮かべている。
ドレスコードのある場所に行く際は礼服で良いし、普段着に関してはあまり関心が無い。今までも服で注意を受けたことが無いので、改善する気も無かった。
そういえば最近、ミスターシービーは良くファッションコーデの雑誌を読んでいたような気もする。おそらくそういったモノに興味が湧いたのかもしれない。彼女は頬に人差し指を添えて考えている。
「ん~、思ったより重症だね。本当はルドルフ達とも一緒に行った方が良いんだろうけど…うん、決めた。今度一緒に買い物に行こうよ。」
そうして健治の洋服センスを矯正する為に、買い物に来たのだ。とはいっても本当によくわからない。健治にしてみればキャラクターがプリントされた奴も十分にかっこいいのだが…。
そういえば以前の夏休みの自由研究で、公園のスケッチを描いたことを思い出した。確かあの時はタマモクロスも絵を見てくれたのだが、顔を引きつらせて『ノーコメントや。』としか言ってくれなかったし、提出した時の先生の何とも言えない表情も印象に残っている。
もしかしたらそっち系の才能が無いのかもしれない。事実図画工作や音楽の評価は最低よりギリギリ上くらいだし。
そう思うと若干落ち込まなくはないが、自分のためにミスターシービーが手を貸してくれているのだ。出来る限り改善しようと意識を洋服に向ける。
基本的にタイトなジーパンは固定のようだ。後は上半身のコーデだけなのだが、これがなかなか難しい。ふと目についた良さげな上着を選んでみる。
「このゆったり目なんかどう?俺的にはこういうのがかっこいいと思うんだけど。」
「ん~ダメ。アタシは好きじゃないかな。こっちのスッとした方が良い気がする…うん。こっちにしよう。」
「何が駄目なんだ…。」
スパッと健治の意見は却下され、ミスターシービーの意見が取り入れられた。
結局3年分のお年玉とお小遣いが吹き飛んでしまったが、良い経験になったと思って割り切ることにする。
ようやく決まったことに安堵した矢先に、ふと視線を感じた。周りを見ても親子や友達連れと思しき人たちばかりで、こちらに視線をやるそれらしい人物はいない。気のせいだったか。
買い物を済ませてモール内を歩く。途中でコーヒーショップに寄り、甘めのコーヒーを買う。新商品でハチミーなるモノが発売されていたが、流石にそれを買う勇気は無かった。途中ちょっとだけ手に零してしまったが、ハンカチを用意しておいてよかった。
ミスターシービーと談笑しながら歩いていると、また不意に視線を感じた。自意識過剰だろうか。ただ健治は他人からの視線に敏感などということは無い。どちらかというとそういったことには疎い方だ。周囲を見渡せど、周りは談笑しながら歩く家族連れや恋人連れ、友達連ればかりでそれらしい人物は見当たらない。キョロキョロしている健治を不審に思ったのかミスターシービーが声をかけてくれた。
「…?どうかしたの?なんか挙動不審だけど。」
「いや…ん~…なんか見られてるような気がして…。」
「…ああ、なるほど。『とある組織に狙われているんだ!』ってあれ?でもキミがそれになるのはまだ早いんじゃない?確か中学生くらいからだよね?」
「いやいやいや!そんなんじゃないから!…まぁ気のせいっぽいし、次のお店に行こう!」
そうしてモール内の端にあるスポーツ用品店にやって来た。ここに来たのはミスターシービーの用事で、蹄鉄と靴の合ったものを購入する為だそうだ。
「キミはどれが良いと思う?」
唐突に聞かれて、店内でまじまじと蹄鉄を見ていた健治は面食らってしまった。
「え、店員さんに聞かないの?」
「もちろんこの後聞くつもり。でもキミの意見も参考にしようかなって思ってね。」
「そういう事なら別にいいけど。えっと確か…このアルミニウム合金製が軽くて競争するのに向いているんだよね。こっちの鉄製は重いけど丈夫で長持ちする。あんまり蹄鉄を打ち直すと靴そのものが駄目になるから…今は鉄製の物を長く使った方が良いんじゃないかな?形は流石に専門の人に任せるけど…今は速く走るより重い蹄鉄を使って鍛える方が良いと思う。」
一通り意見を言うとミスターシービーは嬉しそうに聞いてくれた。すると、どこから来たのか気の良さそうな店員さんが傍に現れた。
「いらっしゃい。蹄鉄を探しているのかな?」
「あっはい。この子の蹄鉄と靴を探してます。」
「さっき話を聞かせてもらったけど、君、よく勉強してるね。最近は普段使い用にアルミニウム合金製を使う子が増えているんだけど、こっちは鉄製に比べて少し高いし、減りも早いから、君たち位の歳だとあまりお勧めしないね。今はたくさん走って身体を作る時期なんだから、僕としては鉄製がおススメだよ。」
健治はその説明を聞いて自分の考えが間違いじゃなかったことに安堵した。早速ミスターシービーは脚の採寸と蹄鉄を合わせるために店員さんに着いて行った。おそらくは10分から20分ほどかかるだろう。店を出たすぐそこにベンチがあるため、そこまで移動しようとする。
店を出ると右半身にドンっと衝撃が走った。
咄嗟に相手が転ばないように手を伸ばす。だがその心配は杞憂で、ぶつかって来た少女は倒れる素振りを見せず、こちらを見上げている。綺麗な栗色の髪で前髪に菱形の模様があり、顔をぶつけたのか若干赤みがかかっている。
ジーッと見つめてくる少女と目を合わせていると、高そうなスーツに身を包んだ男性が慌てたようにやって来た。
「こらこら。いきなり走りだすなんてはしたない真似は止めなさい。君も、すまなかったね。怪我は無いかな?」
「ええ、大丈夫です。ごめんね。気が付かなかったよ。怪我は無い?」
すぐに膝を折り、少女と目線を合わせて謝罪する。少女はフルフルと首を横に振り、怪我がない事を教えてくれた。
「よかった。でもここじゃあまり走っちゃダメだからね。いい?」
そう言うと少女はコクコクと首を縦に振ってくれた。
「ぶつかってしまってすみませんでした。本当は何かお詫びをしたいのですが、これから予定がありまして…こちらの名刺をお渡ししておきますので、何かありましたらお電話ください。それでは私たちはこれで失礼します。」
親子であろう二人が遠ざかっていく。途中少女が振り返り手を振って来たので振り返しておく。
ベンチに座って少し経つと不意に尿意に襲われた。靴と蹄鉄合わせはもう少しかかるだろう。丁度良いタイミングだと思い、トイレに行く。用を済ませて手を洗い、ハンカチのあるポケットを探るがハンカチが見つからない。
「おっかしいな…さっき手を拭いた時にちゃんと戻したはずなんだけど…。」
可能性としてはポケットに戻した際にそのまま落としてしまったか。仕方ないので入念にエアブローで水気を飛ばしてお店に戻ると、丁度ミスターシービーが出てくるところだった。
「早かったね。もっと時間がかかるかと思ったよ。」
「凄かったよ~。もうトントン拍子に決まっちゃった。あの店員さん、やるね。」
店員さんとのやり取りを楽しそうに語るミスターシービーに相槌を打つ。
用事を済ませた健治たちはその後もお店を見て回り、彼女を家に送り届けて解散となった。
家に帰り、洋服を一度着て鏡を見てみる。なるほど確かにかっこいい…ような気もする。自分としては今までの姿とあまり変わらないのだが、これが世間一般の美意識なのだろう。おそらくこれからミスターシービーと遊ぶ際には、キャラクターのプリントされたシャツは使えない。今まで連れ添い、時を過ごした友達に別れを告げて、タンスの奥へと仕舞い込むことにした。
このSilhouetteは…?
主人公の気持ちの整理は雰囲気で読んでもらえると助かります…。