『陰キャスパイラル』というものがある。
陰キャは基本的に陰キャであることを良しとはしていない。つまり、どこかでそれを脱却するために行動を起こす。大胆に髪を染めてみたり、眼鏡をオシャレな丸眼鏡にしてみたり、急にギターを始めてみたり。なんでもいい、現状を打破しようと動いてみたくなるのだ。
そしてここからが問題。陰キャが陰キャである最大の理由は、一般的な方々とはどこかが『ズレている』のが原因。
つまり、陰キャからの卒業を図って行動するものの、感性が一般的でない人間がやることなので、大抵無慈悲に『スベる』。
そしてその結果、ちっぽけな自尊心がやられてしまった陰キャは、より一層エリート陰キャの道を突き進むことになる。そしてまたそれをなんとかしようと──────
「おねーちゃんあそんでー!」ドン!
......はっ!?
「あっ、おねーちゃんおきた!」
「あっ、ふたり......って、危ないから入ってきちゃダメだよ!」
「えーつまんない!おねーちゃんあそんでよー!」
ふたりのタックルで私は日本陰キャ協会の会合から我に返る。
そう、ここは学会の講演会場なんかではなく、自宅キッチン。包丁やスライサーが台所の上には置いてあり、幼いふたりにとってはまだまだ危険がいっぱいのデンジャーゾーンだ。
とりあえず一旦やんちゃ盛りの妹はお父さんに預け、私はまな板の上にある特級呪物に改めて目をやる。
──────そう、陰キャスパイラル。まさにそれに今の私はハマっている。いや、ハマっていることを自覚して寸前で葛藤しているからちょっと違うのかもしれないけど。
今日は2月13日。つまり明日はバレンタインデー。
私は初めてできた同い歳の友達である喜多ちゃんに、ひっそり友チョコなるものを渡そうと計画していた。そこまではいい。
で、最初は百貨店で既製品を買おうかと思ってたんだけど、通りがかったコンビニで『手作りチョコの材料に!』というポップが踊っていた板チョコの山を見てしまい、ふつふつと湧いた邪な妄想を基にして大量にそれを買い込んでしまう。......ま、まあ、手作りの方が想いも伝わるのは事実だろうし、それもまだいい。
で、でだよ。スマホでレシピを見ながらチョコを溶かしていくうちに、私の無駄な行動力とズレてるセンス、それに喜多ちゃんへの友愛精神がどんどん悪さをしてくる。
普段お世話になってるんだし感謝の気持ちを伝えたいな、やっぱり大きい方が気持ちも伝わるかな、あっお母さんこんな型持ってるんだ!借りちゃおう!こんな感じで。
そして、冷蔵庫で冷やし固めたものを取り出したところで、私は我に返った。
目の前にあるのは、私の顔くらいあるメガサイズハート型チョコ。
友チョコを作っていたはずなのに、愛が重い品にしか見えない。
......いやこれ......どうやって渡すの......
◇◆◇◆◇
もうすぐ時計は8時。朝の方の。
──────結局持ってきてしまった。
あー私のバカ!どうすんのこれ!?渡せるか!?渡せるのかこれを!?距離感間違えた痛い女にしかならないと思うけど!
そもそも冷静に考えたら、もう1回チョコを溶かし直して最初から作り直すとかだってできたはずなんだ。お母さんに「あら素敵!直球勝負が伝わるいいセンスだと思うわ!」みたいなことを言われて(あれ?逆にこれイケてる?)って思い上がったりしなければ、その択も浮かんだかもしれない。朝起きてめっちゃ後悔した。センスのなさを自覚してくれー後藤ひとり!私にあるのはファッションとデザインのセンスだけなんだから!
そんなこんなで頭を掻きむしりながら駅から歩いているうちに、気づいたら私は校内にいた。喜多ちゃんと通学中に鉢合わせなかったのは幸いと言うべきか。
......で、その肝心の喜多ちゃんはというと。
ちらっと喜多ちゃんのクラスを見る。......確か喜多ちゃんがいたはずの席のところに人だかりができてる。
うわー、めちゃくちゃ友達に囲まれてるよ......。さすがの陽キャパワーと言うべきか、朝イチ始業前の段階で既に友チョコ交換の集団が完成している。えってか普通にもう食べてるけど胃もたれしないのかな......。
で、当然あそこに入っていく勇気などあるわけがないので、見なかったことにして自分の教室の机に突っ伏す。分かりきってたけど教室に突撃して喜多ちゃんに渡すのはいくらなんでもハードルが高すぎる。
しかもそれはまともなモノを渡す場合でのハードルであって、今私がカバンの中に忍ばせているような呪われた装備となると、当然更に険しくなる。某アスレチック番組の反り立った壁を駆け上がるようなもの。
──────うん、先送りしよう。
もう持ってきちゃったし、喜多ちゃんに日頃の想いを伝えたいのも事実だからどうにか言い訳してでも渡すのは渡す。あとはそのタイミングだけ。そう、タイミング......
・
・
・
もうすぐ時計は6時。あっこれは夕方の方。
最終下校時刻15分前の音楽がスピーカーから流れてくる。
それを合図に、向かい合っていた喜多ちゃんがピックを動かす手を止めた。
「あっ、もうこんな時間なのね。ひとりちゃん、今日はここまでにしましょうか!」
「あっ......はい。」
「......ひとりちゃん、なんか目から変な液体出てない?」
「あっ大丈夫です!ちょっと胆汁が逆流してるだけです!」
「えっそれ病院行った方がいいわよ......」
......結局今に至るまで渡せてないです。このアホ!ミジンコ!
タイミングは......正直あった。
まずはお昼休み。私と喜多ちゃんはいつも通り2人でお昼を食べ終えて──────
『はい、ひとりちゃん、ハッピーバレンタイン!デザートにどうぞ』
いやここで喜多ちゃんからチョコ貰ってるじゃん。何してんの私。絶好のタイミングじゃん。
まあダメだった理由はあるんだけど。
『あっ、ありがとうございます。あっそうだ、あの......』
私からも、と言いかけてギリギリで止まった。
(......チョコ、カバンの中だった──────)
お弁当しかこの場に持ってきてないです。教室に取りに戻る?いやいやキツい。カバンを取ってくるとして、その往復をやってる間にどんどん渡す適切なタイミングってものが、1分1秒単位で削られ続ける。
そして喜多ちゃんを5分弱待たせるとして、その後に満を持してあのチョコが目の前に現れたらどうなる?......冷え込んだ空気を想像して背筋がゾクッとした。
もうあれを渡すとなると、2人でいるそれっぽいタイミングの時に勢いで渡してなんとか誤魔化すしかない。
『......?ひとりちゃん?どうかした?』
あっそうだった。この会話私のターンでフリーズして止まってたんだった。
『あっいや、あの......ほ、放課後までには!』
『?......そう、何もないならいいんだけど』
主語が消滅した謎の返答をして、この場は何も無かったことにした。あと喜多ちゃんのチョコ美味しかった。
で、次に2人きりになるのはこの放課後ギター練習会。この時はカバンも持ってきてるから、キッカケさえあれば即座にファスナーを開けてチョコを引きずり出し、『は、ハッピーバレンタイン!!』って叫びながら喜多ちゃんの胸にチョコを押し付けることができる。
でも今日はちょっと違った。大抵私の方が先に着くはずの空き教室にはなぜか先に喜多ちゃんがいて、ものすごく真剣な表情でもう弦を掻き鳴らしていた。な、なんでよりによって今日......
こんなやる気に満ちてそうな喜多ちゃんにあれを渡すのは......うん、無理。空気読めってなっちゃう。
ま、まあ小休止のタイミングとかもあるだろうしその時にでもなんとか──────
・・・・・・で、今に至ります。
「おーいひとりちゃん、大丈夫?帰ってきてー?」
「はっ......あっ、はい」
ここまでのハイライトを脳内で再生していたら意識が飛んでいたみたいで、喜多ちゃんに目の前で手をブンブン振られて我に返った。
改めて空き教室の掛け時計を見る。も、もうすぐ時計は......いやもういいや。
とにかく、リミットは学校から出ないといけないあと10分ちょっとしかない。それまでに渡せないともう機会はどこにもない。渡せ。渡すんだ。そもそも友チョコを一方的に貰うだけって絶対NGだ、よく考えたら。さあ動け!動くんだ後藤ひとり!
「ね、ねえひとりちゃん」
そんな情けない逡巡を遮ったのは喜多ちゃんの方だった。
「えっあっ、な、なんでしょう」
「あのね......実はひとりちゃんに聞いて欲しくて練習してきた曲があるんだけど......帰る前に聞いてくれる?」
「えっ、わ、私でよければそれはもちろん」
「ありがとう、じゃあちょっと待ってね!」
そう言ってギターを構え直し、あー、あーと喉の調子を確認する喜多ちゃん。その表情はいつになく──────あっいや、さっき放課後の最初に見た喜多ちゃんの顔だ。
とんとん、とリズムを取ってから弦を鳴らし始める喜多ちゃん。それに乗って紡がれる歌声。
(あっ、この曲......)
流れてくるのは、誰でも知ってる国民的バレンタインソング。80年代のアイドルソングであるそれは、名曲だけれど何度も何度も聴いてきたせいで、この時期には少し食傷気味かもしれない。
でもエレキギターの音に乗って奏でられるそれはとても新鮮なものに感じられ、喜多ちゃんの高低ともによく伸びるかっこいい歌声とも合わさって、まるで全く別のロックナンバーにも思えた。
そしてこれは私1人に聴かせてくれている曲。だから、喜多ちゃんから私へのバレンタインのプレゼントのひとつなんだろう。チョコ以外にこんな素敵なものも貰えるなんて、と嬉しくなる。
......いや、それにしても。
(歌を渡すって......すごくない?)
私もこの前のクリスマスに店長さんに(完全にヤケクソだったとはいえ)歌をプレゼントしようとしたこともあったけど、あれは冷静になって考えたら地雷なんてもんじゃない。
そう、未然には終わったけどああいうのが陰キャスパイラルだ。ああいうので黒歴史を積み重ねて、より陰キャは陰キャに仕上がっていく。
でも、私がやればきっと痛いだけになるものが、目の前の彼女がやるとキラキラ輝いてとても素敵に見える。
なんでだろう。分かりきってるか。喜多ちゃんは自分に自信を持ってる。しっかり自分に芯を持って、後悔しないように行動すれば、仮に失敗したとしても黒歴史なんてものにはならない。だから彼女のその姿勢ひとつひとつが輝いて見えるんだ。
ほら、今だって喜多ちゃんは堂々として──────あれ?喜多ちゃん、少し赤くなってる?
はっとして喜多ちゃんを改めて見つめる。
響き続ける演奏の中、いつも自信に満ち溢れていると思っていた彼女は不安そうに指を動かしていたし、額にも汗が光っている。
......緊張してるんだ。でも、挑戦してるんだ。
ああ、そうか。輝いて見えるのはそれだけじゃない。彼女は自信を持っているのもそうだけど、一歩前へ踏み出せる人なんだ。私だったら尻込みしちゃうような怖いことや恥ずかしいことだって、腹を括って前進できるんだ。
あの時のギターソロだってそうだ。練習もしてなかったのに、自信の裏打ちなんてないだろうに、きっと不安だって大きかっただろうに、私とみんなのために繋いでくれた。あの姿に私は憧れているんだ。
憧れ......そうだよ。私もそうなりたいんだ。
例えばこのチョコを堂々と渡すことができれば、それは傍から見たらものすごく小さいことだろうけど、私にとっては大きな一歩になるかもしれない。
そしてその先の景色を見てみたい。喜多ちゃんがどんな反応をするかを見てみたい。それが私にとっての前進......かも。
気づいたら曲は落ちサビに入っていた。私の記憶が正しければリリックの最後にあたるはずの部分を歌い終えると、ほどなくしてギターの演奏が止まる。少しほっとした顔になっている気もする喜多ちゃん。
いろいろ私が考え込んじゃっていたせいで曲だけに耳を傾けることができなかったことは少し残念だけど、おかげで少し勇気を貰えた。
「す、すごくよかったです」
自然に私は拍手をしていた。2人しかいないこの空間には掌を打ち付ける音がよく響く。
「そう?少し緊張してたんだけど、喜んでもらえたなら良かったわ!」
ぱあっと花開いた彼女の笑顔が眩しい。でもさっきよりは目を逸らしたくなるような明るさではないように思えた。きっと私のネガティブな闇が少し晴れたから、かな。
あとは私が。
「あ、あの、喜多ちゃん」
「ん?何かしら?」
さあ渡せ。渡すんだ後藤ひとり。喜多ちゃんに貰ったものを私なりに返すんだ。
......
............
にへら。
「す、素晴らしい演奏を見せてくれた喜多ちゃんには、私からご褒美にチョコのプレゼントがありまーす......」
......あーもー!!!なんで私はこんな感じになるのかな!!!
ものすごくぎこちない笑顔になっているであろう私は、袋に入れてリボンをかけた特大ハート型チョコを取り出して胸の前でふるふる振っている。し、締まらないなんてもんじゃないけどこれが今の私の精一杯の振る舞いってことで.....。
(め、めっちゃ逃げ出したい......)
そんな微妙な空気を破ったのは、笑いをこらえきれていない喜多ちゃんの方だった。
「......ぷっ。何それ。絶対あらかじめ用意してあったやつじゃない」
「あっ......はい......そうです」
「それにそのチョコ、こーんな大きなハート型って。ひとりちゃん、それ本当に友チョコなの?」
「えっあっはい!喜多ちゃんに渡そうと思って作ってきました!ごめんなさい!」
喜多ちゃんのイタズラっぽい追求になぜか謝罪の言葉が出てきた。そのまま頭を90度に下げながらチョコを持った腕を前に突き出す。
こ、こんな渡し方にしかならないのか今の私は......。
「......ありがとう、ひとりちゃん」
「いっいえ、私なんぞのものでよければ......」
「ねえ、ひとりちゃん、少しいい?」
「......?はい?」
優しい微笑みでチョコを受け取ってくれた喜多ちゃんは、下校時刻が迫っているのもお構い無しにぽつぽつと語り始める。
「あのね、さっきの歌は私なりのひとりちゃんへの感謝の気持ちなの。私を新しい世界へ連れてきてくれて、日常に刺激をくれたひとりちゃんへの。だから、この1年近くでどれだけ私が成長したかを、ひとりちゃんだけに見てほしかったの」
......そう、だったんだ。
でも、感謝なんて。むしろそれは私が喜多ちゃんに──────
「でもやっぱり私まだまだね。これでもお家でいっぱい練習してきたのよ?だけど、いざひとりちゃんを前にしたら、緊張で音程も少し外れちゃうし、運指もなんだか硬くなっちゃう。だからもっともっと上手くならなきゃって。そうじゃないと私、ひとりちゃんの横に並ぶにはまだまだ──────」
「そ、そんなことないです!」
無意識のうちに私は喜多ちゃんを遮っていた。
きょとんとしている喜多ちゃん。手汗が滲む私。でもここは譲らない。踏み出す。
「き、喜多ちゃんに感謝しないといけないのは私の方というか......むしろ私が喜多ちゃんの横に立てるように頑張らないといけないというか......こ、こんなダメな私を引っ張ってくれるあなたみたいになりたいって私はいつも思ってます。だ、だから私が、喜多ちゃんを人間としてもギタリストとしてもむしろ引っ張っていけるようにならなきゃって......」
言いたいことはまだまだあったような気がする。だけど口下手もいいところな私はここで詰まってしまった。
流れる静寂。今回も破ったのは喜多ちゃんの方。
「......ありがとう。優しいのね、ひとりちゃんって」
「あっいや......な、なんかごめんなさい」
「いいのよ、本当にありがとうね、ひとりちゃん!......あっ、もう6時よ、先生に怒られる前に校門出ないと!」
「あっ......そうですね」
......あれ。
ギグバッグを背負いカバンを持って教室を飛び出す私たち。校門を目指して小走りで廊下を駆けながら、私はあることを考える。
(喜多ちゃん......少し泣いてた?)
教室を飛び出す時、なんだか彼女の瞳から雫が溢れた気がした。......だとしたらなんでだろう?
ただそんな疑念は別の要因ですぐ脳内から掻き消されてしまった。
運動神経抜群の喜多ちゃん。運動音痴もいいところの私。これがどうなるかと言うと。
「ハア......ハア......いや、待って......喜多ちゃん......置いてかないで......」
廊下と階段を少し走っただけで、前を行く喜多ちゃんに振り切られないよう食らいつくことしか考えられなくなっている私がいた。
◇◆◇◆◇
ひとりちゃんと別れて家に着いた私は、メイクも落とさず制服のままベッドに横たわる。
そして、ひとりちゃんの言葉を思い出す。
『だ、だから私が喜多ちゃんを......』
──────もう今でも充分私は貴方に引っ張られているのに。だから、貴方を支えていけるようになるって誓ったのに。
身体を起こし、脇に投げ出したカバンを開ける。そこにはひとりちゃんから貰ったものすごく大きなチョコと──────ひとりちゃんに渡そうと思っていたチョコ。他のみんなに渡して、ひとりちゃんにも1つだけあげたトリュフチョコとは別の、小さなハート型のチョコふたつ。
渡し主を失ったそれをつまんで、一人呟く。
「結局渡せなかったな......」
渡せなかった......そうね、渡せなかった。これを渡す資格は今の私にはないと痛感したから。
ひとりちゃんは今のままの私でも、もう自分に並び立っていると言ってくれた。そんなわけないのに。まだまだ全てが未熟な私が、貴方と同じ景色を見ているわけがないのに。
ひとりちゃんの深い心の中で、『貴方の到達点はこのあたり』と思われているような気がしてしまって、目の前が闇に覆われそうになった。本意では無いのは分かっていても、それだけ悔しかった。私、ちゃんと隠せてたかな。
本来食べるべき人のところには辿り着かなかったそれを、そのまま口に運ぶ。しつこくない甘さで我ながら美味しい。ほらひとりちゃん、私のチョコこんなに美味しいんだから。だから、いずれ私が本当に貴方と同じ目線に立つことができたら──────
......おもむろにひとりちゃんのチョコも開け、そのまま齧る。......これ、いろんな板チョコ混ぜて作ったわね。やけに甘かったり苦味が強かったり。そんな風に味が微妙にバラけているのが分かる。それになんだか塩気も......
瞳を拭って、もう一口、もう一口と食べ進める。
バラけた味がする欠けたハートは、なんだか今の私そのものな気がした。