郁ちゃんの機嫌が悪い。
発端は......それが何か分かれば苦労しないので、全く見当がつかない。ということで困った。
とりあえずお昼前、家で一緒にブランチを食べてからレコーディングが始まるまでは、いつもの天使のような郁ちゃんだった。
で、そこからが問題で、無事に新曲3曲のレコーディングを終えてさあタクシー乗って帰るぞーってタイミングで。
「あっ郁ちゃん、トランクまだスペースありますけど、ギター以外も乗せなくても大丈夫?」
「......いい」
まあこれだけで、「ああなんか機嫌損ねてるな......」とは察せられた。長い付き合いだからよく分かる。郁ちゃん、拗ねてる時と普段とで声色が違いすぎる。
慣れたもんとは言っても、こうなるとまあまあ厄介なんだよね。いや、普段の私の奇行癖(昔に比べたらだいぶマシになったけど)よりは多分全然マシなんだろうけども。
なにせ郁ちゃんは、根っからの陽キャな割に嫉妬深く構ってほしがりだから、たとえばタクシーの中で触らぬ神に祟りなしとばかりにダンマリを決め込むと、かえってもっと機嫌が悪くなる。
かといって迂闊に話しかけても、怒りのツボが分からない以上どこで地雷を踏んじゃうか分からない。
とりあえず横に座っている郁ちゃんになるべく気付かれないようにスマホを開き、ロインのトーク画面へ移動する。いつもならかなりくっついて座ってくるのに、今日は間にわざわざトランクに入れなかった荷物を置いてるからまあ余裕。ずっと窓の外見てるし。
で、こういう時に頼れるのはまあ1人しかいないわけで。
後藤 ひとり:郁ちゃんがなんか機嫌悪いんですけど心当たりありますか?
にじか:えー
にじか:まあいつも通り妬いちゃったんじゃない?
後藤 ひとり:やっぱりそうですかね
後藤 ひとり:今日うちのメンバー以外と話してないと思うんですけど
にじか:リョウとどんな話した?
後藤 ひとり:ハードオプで買ったエフェクターの話と
後藤 ひとり:あとは前リョウさんに見せてたアルバムに入れる曲の歌詞の話くらいだったような
にじか:その歌詞って喜多ちゃんに見せてないの?
後藤 ひとり:まだ見せてないですね
にじか:絶対それじゃん笑
これかーーーーー!
車内で天を仰ぐ。
言われてみれば確かに、リョウさんとあーだこーだ意見交換してる最中に背筋が冷えたタイミングがあったような気がした。あれ郁ちゃんの視線だったんだね......。
やっぱりどうしても、結束バンドの作詞作曲はほぼ私とリョウさんで賄ってる以上、私たち2人で先に共有しておかないといけない内容だってある。
でもまあ、それが郁ちゃんにとって面白くないってのも分かるんだけどね。
私だって、逆の立場で虹夏ちゃんやリョウさんと郁ちゃんが、2人きりで楽しそうに秘密のお話してるの見ちゃったら、きっとあんまりいい気分じゃないだろうし。
「─────ひとりちゃん誰とロインしてるの?」
「ひゃっ!?」
急に鋭く冷たい声が飛んできて、思わずたじろいだ。
首都高の車窓を眺めたままの郁ちゃんが、こっちを見てないはずなのに私の行動をドンピシャで当ててくる。エ、エスパー......?
「に、虹夏ちゃんと......」
「・・・・・・」
嘘をついても見抜かれる気しかしないので正直に答えるも、それが逆に気に障ったのか返事が帰って来ない。
虹夏ちゃんとのロインにそこそこ時間をかけてしまったせいで、その間放置されていた郁ちゃんの機嫌は確実に悪くなっている。あー、やっちゃったかな......。
とりあえず、これ以上お互い沈黙していたところで状況が良くなることはないのだけは明白。それでいて、もう郁ちゃんからこちらに歩み寄ってくることはなさげ。
そうなると、私主導でなんとか対話を試みざるを得ない。
ただ(おそらく)怒ってる原因が分かったとは言っても、これはどんなアプローチをしたらいいのかな......。
「い、郁ちゃん」
「・・・・・・」
とりあえず名前を呼んでみる、が、無視。
「お、怒ってる?」
「・・・・・・怒ってない」
はい早速行き詰まってこの世で一番意味の無い質問をしてしまいました!私のアホ!
明らかに怒ってる相手に「怒ってる?」は完全に無意味!絶対「怒ってない」って返されるし、そこからなんも進展しないから!
ぷっつりと会話が切れちゃった車内をまた沈黙が包む。なんかどんどん車内の空気が冷えていってる気がする。運転手さんも暖房1℃上げたし。
え、えーと、じゃあもうおだてる方向で行くしかないかな......。ごくごくたまーにこれで機嫌直ることもあるので、うっすいワンチャンスにかけるつもりで。
「あっ郁ちゃん、......今日レコーディングいい感じ......でしたね」
「・・・・・・そう?」
「う、うん。なんと言うかいつもより歌声が力強い感じで──────」
......あっ、もしかしなくてもやたら力入った感じの歌い方してたのって、単に私に怒ってたからか。口に出してからすぐ気づいたけどもう遅い。
「私、あんまりああいう歌い方好きじゃないんだけどね」
車内がシャレにならないくらい冷え込んだ気がした。
運転手さん、もう暖房それ以上上がらないと思います。
◇◆◇◆◇
タクシーが私たち2人の自宅マンションロータリーに滑り込む。結局あのあとは一切会話もなく、当然郁ちゃんの機嫌が直ることもないままだった。
荷物を降ろし、オートロックを開け、エレベーターに乗り、部屋の鍵を開ける。ここまでも会話なし。空気キツすぎて消え去りたくなってきた......。
そしてそのままお互いそれぞれの自室に入ってしまう。......今郁ちゃん部屋の鍵かけたよね?これはだいぶ不味いな......。
とりあえずベッドに寝転がってスマホを開く。まず嬉嬉として煽ってきてるリョウさんのメッセージを既読スルーしてから、郁ちゃんに謝罪のロインを入れておこうと頭をひねりながら考える。
......何も思い浮かばない。
あーダメだ。一応私だってソングライターやってるんだから、直接話すよりも文章にした方がまだ郁ちゃんに響くことを伝えられそうなものなんだけど、なんだか何を書いても逆効果になる気しかしない。
そもそもまず何を謝るんだ?いや、歌詞を真っ先に見せてなかったことについてなのは分かるんだけど、今回はあくまで試作段階のもので、まだ完成作ってわけじゃなかったんだから、リョウさん以外に見せるのは少し恥ずかしかった。
ブラッシュアップして完成したものは普段真っ先に見せてるんだから許して欲しい......ってもし言ったら、「言い訳しないで!」「リョウ先輩に見せるのなら私にだっていいわよね!」って言われちゃいそう。理不尽だけど、妬いてる時の郁ちゃんならそんな感じ。
それかあえて一切謝らずに、明日どうする〜?的な感じで何事もなかったかのように会話を─────うん、絶対無視されて終わっちゃうな、それ。
そんなこんなでドツボにはまっている最中、部屋の外から微かに聞こえる音で現実に引き戻される。お風呂が沸いたことを示す軽快な電子音だ。
もちろん私は帰宅後部屋から出ていないので、お湯を張るタイミングはなかった。つまり、このお風呂を沸かした郁ちゃんはこれから入浴タイムということになるんだろう。
......あまりやりたくはないんだけど、確実に怒りを収めてくれる方法はひとつだけあるんだよね。
─────もうやるしかないか。
・・・・・・・・・・・・
「......何?」
産まれたままの姿になって、浴室に突撃した私の前には、湯船の中で小さくなっている郁ちゃんだけが目に入る。
視線はこちらに向けず、水面を眺めているだけの。
私も無言で湯船に入る。向かい合う体勢に......なったと思ったら反対側向かれちゃった。
でもこれはむしろ好都合かもしれない。背中を向けて無防備になった郁ちゃんにそっと抱きつく。
「......何のつもりかしら」
「い、郁ちゃん、ごめんなさい」
「...だから怒ってないわ」
「......ごめんなさい」
ただただ謝りながら身体を寄せる。
結局のところ、郁ちゃんは独占欲が強い寂しがり屋なんだから、こうしてあげれば怒りも収まってくれる。
......昔はこういうボディタッチ的な行為は苦手なんてものじゃなかったけど、2人で日々を過ごすようになってからは、普段めちゃくちゃベタベタしてくる郁ちゃんのおかげで耐性がついた。もちろん郁ちゃん以外にはできないけど。
しばしの沈黙のあと。
「......ひとりちゃん」
「な、なに」
「なんで私がこうなってるのか分かってる?」
「......うん」
「わがままなのは分かってるけど......やっぱり私がひとりちゃんの一番じゃなきゃ嫌だわ」
ほらね。
「そんなこと言わなくても、ずっと郁ちゃんは私の一番だよ」
「......バンドよりも?」
「そ、そういう意地悪なのは─────」
「冗談よ」
その声色はいつものような明るい天使のような甘い声で。
郁ちゃんが絡みついていた私の腕をそっとほどき、こちらに向き直る。
何時間ぶりかに、私達はお互い目を合わせた。
「ひーちゃん・・・・・は私のこと好きかしら?」
「あっうん、それはもちろん」
「そうじゃなくて!」
「あっ......はい、......好き」
「もう1回言って?」
「好きです、好き」
「うん!満足した♡」
少し照れて俯いている私を見て、郁ちゃんは心が満たされたように微笑んでいる。
うん、これでいい、これで。いつも通りの郁ちゃん。
─────あー、良かった......結構今回は長期戦になるかもと思ってたけど、やっぱり郁ちゃんの独占欲を上手いこと満たしてあげさえすればなんとかなるね......。
言っちゃなんだけど、私が恥ずかしい思いをするっていうのに目を瞑りさえすれば、郁ちゃんはチョロいからまあ今回もいけるかなって気は─────
「それじゃ私先にお風呂出るから、ひーちゃんも後で私の部屋に来てね♡」
「......はへ?」
「もう、みなまで言わせなくても分かるでしょ?仲直りしたんだから......ね♡」
「えっいや、でも明日も朝早いし」
「ね?ひーちゃん♡」
「......あっ、はい」
──────どうもやりすぎてスイッチ入れちゃったっぽい。うん、これ私死んだ。
翌日、身体がバッキバキになった私が丸一日グロッキーなまま仕事をこなすハメになったのは言うまでもない。虹夏ちゃんからは冷ややかな視線を、リョウさんからはバカにしたような視線をずっと感じながら。