ひとりちゃんは、最近疲れている。
当の本人は気丈に平気そうなフリをしているけど、しんどい思いをしているのは間違いない。今だってノートを広げて、頭を掻きむしりながら息を荒くして、どうにか言葉を紡ぎだそうとしている。
最近はずっとこんな感じ。中途半端に私たちは名前が売れてしまっていて、自ずと曲調や歌詞、はたまた衣装や売り出し方に、『メッセージ性』なんて見えないモノを勝手に見出されて、勝手に期待されて。だから追い込まれているんだ。
世間って本当に欲しがりさんだと思う。送り手はこんなに頑張っているのに、ありのまま以外の付加価値を欲しがるなんて、ね。
だから私も疲れている。こんなにも追い詰められているひとりちゃんに、救いの手を伸ばせないから。温かいコーヒーを淹れてあげて、眠気覚ましのカフェインを残酷にも押し付けることしかできないから。
そばにいるのに助けてあげられない、無力感って短い単語で片付けちゃうには複雑すぎる感情を胸に秘めた私も、同じく疲れちゃっている。
だから、お互いのためになればいいかな、なーんてかるーい気持ちで私はひとつ提案してみた。良く言えば人助け、悪く言えば──何もできない自分へ向けた、やってますよ感のアピールでしかないそれだったけど。
「──ああ……いいかもですね、せっかくですし遠出しても」
反応は意外にも前向きなものだった。タスクがなかったとしても、元来が出不精のひとりちゃんなのに。
「本当?大丈夫なの?」
「え、喜多ちゃんが誘ってきてくれたから乗ったんですけど、そう言われると……これもまだ途中ですし、うーん……」
クマが深くなった目で私を見てくれていたひとりちゃんは、またノートに目を落として唸り出す。あっ、いけないいけない。
「あーごめんなさい!私は全然大丈夫だから、残してる仕事も大したことないし!」
「そっそうですか?なら……行きましょうか、ふたりで」
「やったわ!ひとりちゃん、どこ行きたいとかある?」
「あっどうせなら北の方に、……北、行くよーっていいますか」
「ひとりちゃん?」
「あっ調子乗りました」
◇◆◇◆◇
『北に行きたい』なんてざっくりした提案を受けて私が選んだのは、安直にも北海道。そんな話をした直後に、翌日の羽田新千歳便を手配して弾丸ツアーと相成った。
『折角だし北の端まで行っちゃいましょうか』『あっそういえば最北端ってどこなんでしょう?』『……ひとりちゃん、宗谷岬くらいは知っておいた方が大人としていいと思うわ』『……すみません』
そんなバカみたいな会話を羽田のロビーでしていた私たちだったけど。
北の大地に降り立ち、レンタカー会社までマイクロバスで移動し、サッと手続きを済ませて赤いコンパクトカーに乗り込んでからだった。
「……遠すぎるわね、宗谷岬」
「……ですね」
カーナビに向けた人差し指が固まる。新千歳から宗谷岬、距離にして360km。時間にして5時間。今がお昼の12時だから4月という時期を考えても、着く頃には真っ暗なんじゃないだろうか。もちろん休憩も挟みながらになるし。
とりあえず北海道の広さを舐めてた。札幌ドームでライブしたことなんてないし、普通に経験が浅すぎた。ごめんなさいひとりちゃん、私も大概無知だったわ。
「──あっなら逆にですね、最南端行ってみませんか?北海道の」
固着していた私は、ひとりちゃんの声で呼び戻された。
「最南端?逆に?」
「逆に、ですね」
「うーん……全然ナシではないわね」
「まあ、言っといてなんなんですが、どこが最南端なのかももちろん知らないんですけど……」
無言で私は「えりもみさき」とテンポよくタップする。
距離はここから180km。ちょうど半分だった。
「──なんだかこういうのも私たちらしいかもね?」
「あっ……よく分かんないです」
「そこは乗ってよ、ひとりちゃん」
とにもかくにも、路肩に寄せていた邪魔な車は目的地に向かって走り出した。
そこからの道中は、まさに他愛もないという言葉で飾りつけるのに相応しいものだったと思う。
北海道中にあるらしいオレンジ看板のローカルコンビニで、遅い昼ごはんとおやつを買って。片側一車線の高速をおっかなびっくり飛ばしながら、車窓を流れる牛やサラブレッドに好奇の目を向けて。
終点から下道に降りるとあっさりスピード違反で捕まって、ニコニコのおまわりさんに1万2千円の小切手にサインさせられて。超がつくほどのノロノロ安全運転に切り替えてからは、運転席側に現れた太平洋に歓声を上げて。
高校時代の話をして、専業バンドマンになってからの話もして。虹夏先輩の得意なプロレス技が何だとか、リョウ先輩の新しいピアスが正直似合ってないだとか。STARRYの個室トイレの鍵が掛からなくなったことも、ストレイビートの事務所移転がやっぱり頓挫しつつあることも。
そんなどうでもいいけど心地よい車内は、汚れた心の洗濯には充分だった。
100kmくらい道なりで走った国道から機械音声に沿って逸れると、10分ほどで目的地に到着した。
シーズンも外しているし時間も夕方。そこそこ広い駐車場には、車は1台も停まっていない。
ふたりぼっちで潮の香りがする方へ向かう。よくわからない見学施設のようなものにはさすがに食指が動かず、それ以外に寄り道できそうなところもないので──すぐに目の前に雄大な海が広がった。
荒波は岩に打ち付けられ、少しだけ遅れて大きな音が響く。横にいる人と違って言葉が貧相で申し訳ないけど、ここは自然のスケールを感じるにはこれ以上ない場所かもしれない。
なんだけど。
「……風、すごいわね」
……海のことよりも、容赦なく顔を殴りつけてくる暴風が気になった。岬だから遮るものがないのは当然なんだけど、それにしても、だ。
「そっそうですね、これがまさに私たちへの逆風ってやつですかね」
「そんな文字通りな……って、ぷふっ」
「え、どうしました、喜多ちゃん」
「い、いや……ひとりちゃん、貞子になってる……ふふっ」
「あっもうかき分けてもかき分けてもこうなるんで諦めました」
とんちんかんな返答に突っ込みを入れようと横を向くと、そこには長い髪がほぼ全て前に来てしまった、幽霊のようなひとりちゃんが佇んでいて。不意打ちだったしいくらなんでもシュールすぎたので、普通にツボに入ってしまった。
ひとしきり笑ったあと、少しだけ零れた涙を拭ってから、スマホのカメラを絶景ではなくひとりちゃんに向ける。
「えっ写真撮るんですか……?」
「そりゃー撮るわよ、さすがに貞子ひとりちゃんは付き合い長いけど見たことないもの」
そう言い終わらないうちにシャッターを切る。なかなかケッサクで特にリョウ先輩は大喜びしそうなワンショットだけど、これはどこにもアップせずに私の家宝にしておこう。
「──そういえば、襟裳岬と言えば」
「言えば?」
「あれですよ、昔の名曲」
「ああ……こほん、『えりぃーものーはるーはぁ〜ああ〜、なにもー、ない、はるです〜』ってやつね」
「……喜多ちゃんの演歌、なかなか刺さる人いるかもしれませんね」
「そうかしら?誰も求めてないわよ、こんなの」
得意気にこぶしも効かせちゃって歌い上げたけど、これも私とひとりちゃんだけの秘密。今更欲しがったって、誰にも見せてやらない。
「あの歌詞、どう思いますか?ちょうど今春ですけど」
「えっと、うーん……何もないのは事実でしょうね」
いかにも作詞家らしい質問が来たのでちょっとだけ考えてみる。
でも……辺りを見渡してみても観光客すらいない。あるのは灯台とさっき見た施設だけなら、『何もない』でいいでしょう。
「わっ私もそう思ったんですけど……そんなことも無い気がして」
「へー、作詞家先生の見解は気になるわね」
「あっ先生だなんて、いや、うへへ」
「溶ける前に聞かせて欲しいわ、ひとりちゃんの考え」
ほっぺをむにむにして原型をなんとか保たせる。すぐに調子に乗っちゃうところは全く変わらないままだったけど、そこが可愛いところなので今更気にしない。
「あっまあ……『何もない』って言っても、私たちふたりがここにいるなら、まあそれは『何もない』ってこともないんじゃない、かな……って……すみません調子乗りました」
ひとりちゃんは今度は溶けることはなかったけど、その代わりに少し耳を染めて下を俯いた。
いつの間にか風は凪いでいる。
「……ロマンチストさんね」
「あっごめんなさい」
「責めてないわ。褒めてもないけどね」
「うぅ」
「まあでも……確かに『何か』はあるわね」
周囲を見渡してから、最後にひとりちゃんの横顔をまた見つめる。
圧倒されていたはずの大自然が、なんだか身近に感じられた。
「……はい」
西陽がいい感じに私たちと海を照らしている。それこそいつもなら、SNSにアップするために何枚も写真を撮りたくなるような。
でも今はそんな気分じゃない、かな。そんなチープなロマンチックでは片付けたくないから。
……私も意外と作詞センスあったかも。
「──どうする?まだいる?」
「……いや、もう行きましょうか」
「……そうね」
「あっ、でもポストカードは出していきたいかも、しれないです」
「じゃあ売店寄る?でもあったかしらね、駐車場のあたりに」
「いや……なかった気がしますし、あったとしてももう開いてないような」
「じゃあ諦めるしかないわね」
「……ですね」
歩き出す。どちらからともなく、手を繋いで。
「──でも、北海道の最南端なんておかしな響きだけど、私結構気に入ったかもしれないわ」
「あっそういえばなんですけど、ここ最南端じゃないらしいです」
「……えっ、そうなの」
「あっはい、車で見たんですけど、なんなら函館の方がここより南だとか……」
「……ホントごめんなさいひとりちゃん、朝バカにしたこと謝るわ」
「えっなんのこと……?あっでも、朝言ってましたけどここは確かに私たちらしいな、って思いましたよ」
「どのへんが?」
「ええと、なんと言いますか、……実に中途半端なところが」
「うーん、全く嬉しくないわね」
「でも、中途半端って悪いだけじゃないと思いますよ」
「……ひとりちゃんがそう言うなら、そうなんでしょうね」
ちっぽけだけどとても大きな世界の中で、私たちは歩みを止めない。
「あっあの……ありがとう、ございました」
「……どういたしまして、だけど……なんで過去形?」
「あっ……『これからも』、よろしくお願いします」
「──ええ、もちろん!」
また吹き出した強い風は、今度は追い風に変わった気がした。
私たちは、私たちが進みたいところへ進んでいく。ふたりだけで。